伝統工芸の職人たち

KOUGEI EXPO IN AICHI 工芸茶会【伝統工芸の職人たち】

KOUGEI EXPO IN AICHI(第38回伝統的工芸品月間国民会議全国大会)が、11月27日から29日まで、愛知県常滑市の愛知県国際会議場(Sky Expo)にて開催された。わたしはプランナーとして、約1年前から工芸にまつわるプランニングに携わらせていただいた。わたしの名刺にはコピーライターとプランナーの2つの肩書が入っているが、その2つが一緒になる仕事は少ない。KOUGEI EXPO IN AICHIにはプランナーとして入っていたので当初はコピーを書く予定はなかったものの、企画会議では「そういえばコピーライターだったよね」という感じで、はずみでキャッチコピーを書いたので、珍しくも2つの肩書が同時並行することとなった。このポスターの「百年の恋、千年の愛」というテーマが、わたし作。良い工芸品は親子孫の3代に渡って使われ、やがて朽ちることがあってもそれはいずれ自然に戻る。その自然の中からまた次の工芸品が作られてゆく、という時間軸を意味するもの。そして、使い手が工芸品に恋をする百年、作り手が工芸品に愛を注いできた千年に想いを馳せる、という概念を表現しているのだけど、ポスターや映像だけでなく、会場のあちこちでこのテーマを目にすると、知らぬ間にわたし自身が工芸品に魅了された人生を送ってきたのだなぁと自らをふりかえることになった。


そしてプランニングの中でもっとも時間と手間をかけて心をこめて準備してきたのが「工芸見立て茶会」だ。経済産業省から認定を受けた愛知県内15の伝統的工芸品の産地をめぐり、工芸士の方々から作品を見せていただき、話し合い、茶の湯の道具として”見立てる”というチャレンジをして、2つの茶席の道具組を完成させ、3日間に渡って茶会を開催したのである。監修は紅雲庵の稲垣紹紅先生にお願いした。産地を訪ねる旅が始まったのは、6月くらいだったか。職人さんの工房でお話を聞きながら、その工芸品のもっとも特徴的なポイントはなにか、茶の湯に使うとしたらどんなものがあるのか。そして小さなものへの眼差しを持ち続けて、工芸品と茶の湯を結び付けてくださった。愛知県の15の伝統的工芸品のうちの3つが三河仏壇・名古屋仏壇・尾張仏具の仏壇系、そして別の3つが常滑焼・赤津焼・瀬戸染付の陶器系、さらに3つは名古屋友禅・有松鳴海絞・名古屋黒紋付の生地系と、極端に偏った工芸品グループだったため、いずれをも平均的に道具に取り入れるというのは本当に難しい課題だったのだ。しかしそこは”百年の恋 千年の愛”のテーマのごとく、稲垣先生が愛情をこめて道具組をつくりあげてくださったおかげで、2つの茶席は素晴らしい仕上がりとなった。稲垣先生、長い期間に渡り、ありがとうございました。参加された方からは「本当に面白かった」「お茶を楽しいと思ったのははじめて!」「よくぞここまで見立ての茶会を仕立てられましたね!」などと声をかけていただいた。愛知県の工芸の魅力を茶の湯という形で多くの方にお伝えすることができたと思う。
無事に茶会もそしてKOUGEI EXPOも終了し、片付けが終わって搬出を待っている間、この2つの茶室は、あっという間にあっけなく解体されていき、気がつけば茶室はどこにもなかった。さびしいなぁという思いと同時に、なぜだか頭の中はドリフの「8時だよ!全員集合」でセットが撤収される時に曲がリフレイン!
https://www.youtube.com/watch?v=2ur1bx12NTk

そうか!わたしはKOUGEI EXPOを通じて、茶の湯キャラバン・工芸キャラバンをしていたのか!と気がついた。また次なる企画で、お茶と工芸を楽しむお席をつくっていけばいいのだ、と自分に言い聞かし、常滑の海風にさらされながら会場を後にしたのだった。

以下、工芸見立て茶会とKOUGEI EXPOの様子を写真で紹介させていただく。


立礼席の床。

掛け軸箪笥のコーナー

立礼席の点前座をお客様側から見た図

立礼席の点前座を内側から見た図

プレゼンテーションの茶席は、表千家の松風楼を写したもの

点前座

茶会では稲垣先生から見立ての説明トークをしていただいた

初日に水屋の皆様の記念撮影。稲垣先生は、どこも絞っていない有松の竹田嘉兵衛商店のお着物に絞りがポイントになった帯で。

最終日の稲垣先生のお着物姿。2日目は痛恨の撮り忘れ。

1日目のお点前は松尾流の三宅宗完先生。別名・沈黙の貴公子。

2日目のお点前は表千家・志津直行さん。普段はメスを持っておられますが、この日は茶杓を。

3日目は表千家・高橋雅俊さん。袴がよくお似合いでご立派なお点前姿でした。

松風楼写のお席の会記

立礼席の会記

掛軸箪笥コーナー

エントランスすぐの工芸品を現代生活にとけこませた展示

エントランス近くの工芸プレゼンテーションコーナー


細見美術館の杉本博司さん展【伝統工芸の職人たち】


今日も今日とて京都。
京都大学で
哲学ぶった取材を終えて
細見美術館へ。
杉本博司さんの展覧会が
あまりに素晴らしくて
完全にノックアウトされた。
婦人画報に連載された
謎の割烹が
展覧会という形で再現されてて
そのしつらえのセンスこそ
日本の粋そのもの。
これは必見の展覧会です。
6月19日まで。
3階の茶室でも作品展示が。
ここは京都が誇る
中村さんの大工仕事を愛で、
末富の生菓子と
一保堂のお茶がいただけて
一人で来る京都にはピッタリの場所だと思う。
#京都
#細見美術館
#杉本博司
#いつもすいてるから好き



宗達とウォーホル【伝統工芸の職人たち】


東京国立博物館「栄西と建仁寺」展と、森美術館「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」に連続して出掛けてきた。建仁寺展の方は俵屋宗達の「風神雷神図」が揃っているから。ウォーホル展の方は過去最大の展覧会だから。どちらも行かなくてはいけない、のである。
まずはウォーホル展から。ウォーホルは私にとって特別な作家である。ウォーホルが亡くなったのは1987年2月。学生だった私はその時パリのポンピドゥセンターにいた。シュルレアリズム、ダダイズム、ポップアートという順番で観ていて、ウォーホルの「10人のリズ」の前に来た時、ウォーホルが亡くなったことを学芸員から知らされたのだ。何がどういう状況だったのかはっきり覚えていないのだけど、観覧者が集まってざわざわ話していたので、何があったのですか?とかなんとか聞いたんだと思う。そうしたら学芸員らしき人から訃報がもたらされた。人々は深い溜め息をつき、胸元で十字をきって祈っていた。私は目の前にある作品が、コンテンポラリーアート(同時代の)からモダンアート(現代の)に変わる瞬間に居合わせたことになる。そういう意味で、特別な作家なのである。


そして建仁寺展。こちらは言うまでもなく、国宝・風神雷神図。私が好きな絵や意匠が数々あれど、こと和物に限って言えば、風神雷神図はベスト3に入るほど好きだ。しかも今回の展覧では、俵屋宗達と尾形光琳の両方の風神雷神図が揃って観られる希少な機会ということがあって、もうこれは行かなくてはいけない十分な理由になる。


これが俵屋宗達

これが俵屋宗達

こっちが尾形光琳

こっちが尾形光琳

これは雷神図の帯。
お気に入りでよく締めるので
見た事があるお友達はたくさんいると思う。
大好きな絵が帯になってたら、買っちゃいますよね。


建仁寺展では、風神雷神図の他、油滴天目など多くの名品があるが、お茶好きの方には四頭茶会の空間が会場に再現されているので、ぜひおすすめ。建仁寺を開創した栄西禅師の生誕を祝して毎年おこなわれる四頭茶会の様子が、映像でも空間でも見る事ができるのだ。僧が立ったままお茶を点てるのはちょっとビックリしたけど、どんなにうまく点てる人でもお茶が着物に飛んじゃうだろうなーなんて考えちゃうのは小市民の証ですね。


ミュージアムグッズの紙ものに弱い私が買ってきたシリーズ。
これは先にお出掛けした友人のお土産でマリリンのポストイット。
私はクリアファイルやチケットファイル、メモにハガキを買いました。


風神雷神図の紙ものグッズはいっぱい買っちゃった。
便箋、封筒、メモ、ポストイット、
クリアファイル、チケットファイル、
これ以外にもハガキ各種にシールにノート。
完全に買い過ぎです。


こういうミュージアムグッズの紙ものを購入しても、もったいなくて使えないので、新品のまま机の引き出しに何年も入れておくクセがある。たまに引き出しを開けては眺めて、やっぱりもったいないなーと言ってしまい直す。これを繰り返すから、ミュージアムグッズ専用の引き出しはもうてんこ盛りになってしまった。仕方ないので、10年ほど前に購入したハガキや便箋を惜しむようにして使っているのである。我ながらなんとビンボーくさいことか。


これは思わず買ったユニクロ×MOMAのウォーホルTシャツ。
服っていいですね、どんどん着るから、もったいなくない。
引き出しに入れっぱなしということがないもの。
カジュアルデーはこのTシャツに決まりです!
今夏はウォーホル着て出歩きましょ。


ドキュメンタリー映画 "紫"【伝統工芸の職人たち】


10年以上前に購入して、宝物のように大切にしている本がある。染織史家の吉岡幸雄さんによる【日本の色辞典】である。かつて日本のあちこちで植物染めをされてきた日本の伝統色を、古来から伝わる植物と染色方法で再現し、絹の生地を染めて辞典のように仕上がった本で、そこにはうっとりするような美しい色見本とともに、日本の四季の情景が頭に浮かんでくるような色の名前が連なっている。この本を読んで、あるいは眺めて、何度溜め息とともに妄想の世界に浸ったことか。数えきれないほどである。




これが私の宝物の本。
日本の色辞典。


中はこんな感じ。たとえば裏葉色とは、葉の表ではなく裏側の色のこと。ただのグリーン、緑ではなく、葉の裏側の少し白みがかった色のことをこんな素敵な表現で話していたんですねぇ。昔の人の鑑賞眼には頭が下がります。


もちろん眺めて溜め息ついてるだけでなく、原稿の資料にしたり、着物の色合いの表現を何度も参考にさせていただいた。また染料である植物についての知識や、地域の祭りや神社の行事にまつわる色の話などが全編に書かれているので、色の日本史として読み応えのある一冊なのだ。


この本の著者である吉岡幸雄さんは、京都の「染司よしおか」の継承者として生まれ、生家の家業を継ぐ前に美術図書出版「紫紅社」を設立している。上記の本はその出版社からの上梓である。美術図書出版でアートディレクターとして成功してから、実家の家業を継ぎ、染織家になっている。いつかこの人を取材したい、と思い続けているが、なかなかそのチャンスには恵まれないでいたところ、吉岡先生のドキュメンタリー映画ができたと聞き、私はもう何週間も前から浮き足立っていた。


映画は吉岡先生のインタビューから始まる。そして日本の色を追う二人の男性が描かれていく。吉岡先生と、染司よしおかで長年染色職人として働き続けている吉岡先生の右腕・福田伝士さんである。吉岡先生が、染料である植物の栽培を復活させて、農家さんと共同作業で研究開発している姿。福田さんが昔の色を実際の染色で実現している様子を、静かな視点で見つめ続ける映画である。ところどころで、二人の男性が語る話には、時に身につまされる思いが募った。失われてしまった色を現代に蘇らせるための涙ぐましい努力。昔の人々の仕事に挑戦する頑固な意志。これら静かな映像を見ていると、わたしたち日本人が失ってしまった色の奥には、人間の愚行がその原因であることが浮き彫りになっていくのだ。


名古屋では、今池シネマテークにて、なんと今週の金曜日までの上映である。きっと地味な映画だから、あまり興業収益が見込めないのでしょうね・・・。DVD化されたら絶対に買うつもりでいるけど、できれば多くの方に観ていただきたいので、日本の色にご興味のある方は、ぜひご覧になってください。名古屋の他は、横浜、京都、大阪、福岡などで上映が決まっているよう。詳細はこちらでご確認ください→ http://www.art-true.com/purple/


美山荘の眼福は職人の手仕事【伝統工芸の職人たち】


羽田に到着したのが6:50。国内線に乗り継ぎ中部国際空港に到着したのが9:10。自宅に辿り着いたのは10時過ぎだった。それからスーツケースを荷解き、洗濯して入浴し、再び旅の準備をした。そう、京都・花背の里へ出向くためである。フランス出張より半年も前から、花背の里にある美山荘に出掛けることは決まっていた。本当ならあと数日パリに留まって週末を過ごすこともできたのだけど諦めた。パリにはまた行けると思うけど、この季節の美山荘にこのメンバーで行く機会は、これから先それほどないと思ったから。


京都・花背の里で過ごした時間のことは、たくさん書きたいけれど書ききれないので思いきって割愛する。美山荘の素敵なおもてなし術と摘み草料理の素晴らしさについては、多くの著名人が書き記しているのでまぁいいだろう。私にとっては、日本建築の粋が記憶に残る。左官職人の友人が言っていた「土壁の錆」の醸成途中をこの眼で確かめることができたのは何よりの眼福だった。土壁の錆とは、経年により本物の土壁だけに現れる現象のことで、一見するとカビにも見えるため、無知な人は「壁を塗り直して欲しい」と職人にダメ出ししてしまうらしい。手を入れて20年が経つという美山荘の壁はまさにその錆が出始めて、風雅の変化をじっくりと味わえる。職人技術の美しい手仕事は随所に見られ、さすが世に名高い中村工務店さんのお仕事と一人膝を打っていた。中村さんによるお宿は俵屋で何度か経験したけれど、町中とは趣を変えて、自然と一体化した山里らしさがとても心地よい。またこの山里に来られるように、明日からのお仕事に一層力を入れねば、と誓っている。この心持ちがずっと続くといいのだけれど。



シャネルと東北の手仕事Vol.1【伝統工芸の職人たち】


昨年の東日本大震災以降、ずっと思いつめていたことがある。被災された方々のために私が出来ることは何だろう?と。
震災で多くの大切な命と物がなくなり、悲しみが日本中に渦巻いている真っ最中に、友人の左官職人・挟土秀平氏が「東北には素晴らしい手仕事がいっぱいあったが流されてしまった。職人の高い技術だけでなく、生活の中に崇高な手仕事が生きている地域だったのに」と悔しそうに語っていた。挟土氏が言うように、東北では真冬が農閑期になるため、自分たちの生活道具を作って冬を過ごしていた。暮らしの中で根気よく作られ、連綿と伝え継がれた「なんでもない物たち」。その多くが津波に流され、作り手たちは制作意欲をなくし、まさに貴重な日本の手仕事が、この世から消えゆこうとしている。


職人の手仕事や生き方に深い感銘を受けて、この15年ほど取材を続けてきた私が出来るお手伝いは、彼ら職人を守ることではないのか?彼らの手から生み出された素晴らしい手仕事の品々を多くの人に知らしめることではないのか?そう思いついてから、クライアントへの提案書や企画書に必ず「東北の手仕事」を加えるようにしたのである。私の勝手なる思いがそう簡単にクライアントに通じるわけはなく、一年以上が経過した今年の初夏、やっと思いが実を結んで東北の手仕事を取材させていただけることになった。それが、福島県三島町の伝統的工芸品に指定されている「奥会津編み組細工」である。山ぶどう、ヒロロ、マタタビといった植物の皮を用いて、バッグや籠、ザルなどの生活用品に編まれた物の総称で、素晴らしく繊細で美しい編み目模様と、高いデザイン性、そして丈夫で長持ちすることから、丁寧な生活者たちに絶対的な支持を受けている道具である。


山ぶどうで編まれたバッグ。福島県がルーツと言われている。奥が木の節を生かした乱れ編。手前がきしめん状に割いた山ぶどうの茎を編み込んだもの。モダンな着物姿にピッタリなので、籠ブームですっかり人気商品になっている。


こちらはヒロロ細工。紐状のヒロロが編み込まれていて、まるで布のよう。ヒロロには、生成り色を中心に、薄緑もあれば茶色もあり、それらの色を組み合わせるとなんとも優しいグラデーションになるから不思議だ。


これはマタタビ細工。マタタビは水を含むと膨張するので、米をこぼさず傷つけない。米研ぎザルにピッタリなのだそう。実はこのマタタビ細工の米研ぎザルを昨年末に購入し、年賀状の素材として使用したので、ご覧いただいた方も多いと思う。このマタタビ細工の山を見た時、ついついコーフンしてしまい、クライアントが横にいることをころっと忘れて右往左往。値札と大きさをにらめっこしてしまった。


というわけで、ミイラ取りがミイラになって購入したのがこのザル。いただいたばかりの沖縄の島ニンニクとパッションフルーツをのせてみた。野菜以外にもいろいろ飾ったり使ったりしてみたんだけど、やっぱり野菜が一番似合いました。


使い込むほど飴色に変化し、丈夫になると言われる植物の籠。これらは、もともと売るためではなく、自分たちの生活のために作られたもの。そこに心豊かな生活の循環があった。マタタビ細工の米研ぎザルは、昔の男達がみな親から作り方を教わったという。結婚したら、夫が作って妻に贈るのが習わしだったとか。こうした生活道具の素晴らしさを、なんとか次代へと繋げていきたいなとつくづく思う。プラスチック製の方が安価で扱いも簡単だけど、そこに愛情や思い入れは生まれない。なんでもない物にも生命力を与え、丈夫さだけではなく美しさをも追求する日本の手仕事。それを紹介していくことが、仕事を通じた私の社会貢献になるのではないかと思っている。今回、東北の手仕事を取材させてくださったクライアントR社のOさん、そして私のワガママな企画をアレンジしてくださった代理店N社のKさん。ここで改めてお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。ホントにちっぽけな貢献でしかないのだけど、震災後一年半を経てやっと、役割の一部を果たせたような気になっています。
あ、ところでタイトルに「シャネル」とあるのに、本文には一言もシャネルが出てきませんでしたね〜。この続きはまた後日。シャネルと東北の手仕事の共通点について書きます!


和紙の力【伝統工芸の職人たち】


みなさ〜ん、マスキングテープってご存知ですよね。読んで字のごとく、何かを覆い隠すために使うテープのことで、資材を塗装する時に塗装しない部分を保護したり、建築資材の角っこなどが傷つかないように貼ったりする物である。粘着力がきちんとあるのにはがしても跡が残らないので、何かと便利なテープであり、最近ではプリント柄のマスキングテープが市販されていて、封筒のとじ目に貼ったりする女子的使い方がちらほら紹介されているようだ。
私は女子的使い方はあんまりしていないのだけど、陶器の金継ぎを趣味にしているので、金継ぎをする時にマスキングテープは欠かせないアイテムである。欠けたお茶碗を漆で直す時に、漆で汚れたり紙やすりでこすっても傷つかないように、健全な部分をマスキングテープで覆って守るのである。手でちぎれ、まっすぐのラインもR型のラインも自由自在に形づくれるマスキングテープは、手仕事をする人にとっては本当にスグレモノの道具なのだ。


と、マスキングテープをこよなく愛している私なのだが、実はマスキングテープの素材が「和紙」であることを、つい最近はじめて知ったのである。和紙を扱う環境で生まれ育ったというのに、なんちゅう不覚・・・。なんでも、マスキングテープは自動車塗装の現場で塗装をはがさずに保護するための物として開発されたらしい。日本では海外のマスキングテープに発想を得て、1918〜1938年の間に塗装と火薬包装用に和紙を用いたマスキングテープが生まれ、以後、和紙の使い勝手の良さから、世界中のマスキングテープに和紙が導入されるようになったのだそうだ。びっくり。和紙独特の柔らかさと薄さ、そして耐久性が成し得た商品なのだろう。


「マスキングテープは和紙でできているのよ」と教えてくださったのは、今お仕事でご一緒しているグラフィック&テキスタイルデザイナーのセキユリヲさん。セキさんは「天然生活」で”北欧の手づくり春夏秋冬”を連載されている。現在発売中の天然生活12月号には創刊8周年記念として、セキユリヲさんデザインのマスキングテープが特別付録になっているのである。それが一番上の写真。セキさんのテープ使ってますよ〜と私が話したところ、セキさんが和紙素材であることを教えてくれた。左上の写真は、セキさんのマスキングテープの私流使い方。一日の"to do list"と、現在抱えている原稿や仕事について、毎日メモしてmacに貼るのがクセになっていて、今までは生成り色の何の変哲もないテープを使っていたのだけど、ここのところセキさんデザインのテープが取って代わった。こうしてmacに貼っても違和感なくおさまるのは、和紙の優しさと幾何学模様のデザイン(編み図がデザインされている)が効いているのかな。数回は使い回しが出来るので、かなりのエコになる。「こんな薄いテープに印刷する技術はすごい、この印刷技術があるから最近は模様入りのテープが商品になってるんですね」と私が話すと、セキさんは「いやいや、印刷技術の前に、このテープに模様を入れちゃおうと発想したデザイナーがすごいのよ」と。確かに。無地から模様が入ったことで、マスキングテープは工業用製品から文房具・雑貨としての性格を持つことができたのだから。古くて伝統のあるモノに新しい発想とデザインを加えていけば、日本のプロダクツはもっと良くなる。この和紙の力のように、日本にはまだまだ素敵なものがいっぱいあるのだ。都会ではなくて地方にね。


"職人という生き方"展 芝パークホテル【伝統工芸の職人たち】


かろうじて文章を生業にしている私にとって、最も心躍る表現対象のひとつは「職人」である。小さい頃から古いモノに囲まれて育ったということも手伝ってか、職人の手仕事が大好きだ。繊細で美しい手仕事の品を暮らしの中で使うことにこの上ない幸せを感じている。30歳を過ぎた頃から、陶器や漆器といった伝統工芸品の作り手、大工や左官や庭師といった職人にインタビューさせていただく機会が増え、職人の苦悩と喜びに触れる度に、その生き方や感受性に感銘を受けてきた。そして日本から消えゆこうとしている職人の未来を憂い、美しい手仕事を日本に残していきたいと願うようになったのである。そんな思いを抱いている私に、嬉しい出逢いがあった。あるアートフェアで同級生の造形作家との縁でご紹介を受けたギャラリー「羽黒洞」さんである。羽黒洞の木村泰子さんとそのご主人でカメラマンである富野さんも私と同じ思いを持っていらっしゃり、さらに日本の職人の手仕事を残していくために積極的な活動をおこなっている「ニッポンのワザドットコム」の木下社長をご紹介くださった。前置きがすっかり長くなってしまったけど、今回ご紹介するのは「ニッポンのワザドットコム」プレゼンツの「職人という生き方」展である。


日本の職人の手仕事を紹介するために企画された"職人という生き方"展は、芝パークホテル別館の「掌」及び「バーフィフティーン」にて今回でvol.2。前回は江戸切子で、今回が江戸小紋である。小さく繊細で美しい模様が連続して成る江戸小紋の作品と、職人の仕事風景が写真で展示され、廣瀬染工場四代目・廣瀬雄一さんと、伝統工芸士・岩下江美佳さんによる反物や小物の販売もされている。さらにバーフィフティーンでは、江戸小紋×オリジナルカクテルということで、小紋をまとったカクテルグラスが登場する。
初日の10月3日にはレセプションがおこなわれ、偶然私も東京滞在中だったのでお邪魔して、作家の岩下さんやニッポンのワザドットコムの木下社長ともお会いすることができた。この時の様子をデジカメにおさめたはずなのに、なぜだかデジカメ紛失中なのでここにアップできないのがひたすら残念(泣)。なぜなら粋なお着物姿の方々が多くいらっしゃっていて、それをちゃんと撮影したはずだったからだ、ぐすん。羽黒洞の木村泰子さんのそれは素敵なお着物姿もおさめてるんだけどなぁ。
それにしても、共通の思いを持った方にはどこかで必ず出逢うことができるということを今回は実感したことになる。実はここのところ、もっと丁寧に気持をこめて仕事に向かいたいのにそれが許されない状況が続いたりして、仕事上で結構凹んだりしていた。職人という生き方にもっとこだわってものづくりをしていきたい、そう思っていた矢先での出逢いだったので、なおさら嬉しかったのだと思う。羽黒洞の木村さんとカメラマンの富野さんとの縁を導いてくれた、造形作家の井戸えりさんと大野泰雄さんには深く感謝深謝。


というわけで、年末まで開催されている「職人という生き方」展に、ぜひお出掛けくださいましね。
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芝パークホテル別館1階 17:00〜23:30 入場無料
10月3日月曜日〜12月26日月曜日

※土日祝定休、臨時休業ありですので、ご留意ください。
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いいものはいいんです!【伝統工芸の職人たち】


7月のある日曜日は、珍しくちょっと遠出して岐阜県多治見市までお出掛けしてきた。目的は、陶芸家・青木良太氏の個展を見に行くためである。とある企業の広報誌の取材で念願の青木さんにお会いできたのが今年の2月。その時、彼の工房で作品に惚れてしまって幾つか器を買い込んだ。以来、我が家の食卓では頻繁にその器が登場しているのだが、これが実に使いやすい。薄くて軽いのに丈夫、見た目はクールだけど手に持つとしっとり馴染む。なんとも言えない柔肌の触り心地は、陶器のそれでもなければ磁器でもない。このあたりの秘密については、取材記事に書き込んであるので、よろしければご覧ください。


お邪魔したのは器のギャラリー「陶林春窯」さん。
昔の大工さんの技術の粋が随所に現れた築50年ほどの日本建築を、
とっても上手にリノベーションして、
日本家屋ギャラリーとして蘇らせていらっしゃる。


薄くて軽くて繊細な器たち。どう置いてもかっこいいのだけど、こうして重ねてみるとオブジェみたい。

薄くて軽くて繊細な器たち。どう置いてもかっこいいのだけど、こうして重ねてみるとオブジェみたい。

これはポット。射込みで作られているので、ほぼ左右対称。きれいなラインがシンメトリーになって、これまたオブジェ風。

これはポット。射込みで作られているので、ほぼ左右対称。きれいなラインがシンメトリーになって、これまたオブジェ風。

こちらはカフェコーナー。ここでお茶をいただきました。陰影のバランスがすごくいいでしょう。これぞ日本建築の良さなんですね。

こちらはカフェコーナー。ここでお茶をいただきました。陰影のバランスがすごくいいでしょう。これぞ日本建築の良さなんですね。

これが今回購入してしまった器。いぶし銀彩の器は、日本茶、紅茶、ハーブティーあたりが似合いそう。前菜や珍味を入れてもよさげです。

これが今回購入してしまった器。いぶし銀彩の器は、日本茶、紅茶、ハーブティーあたりが似合いそう。前菜や珍味を入れてもよさげです。

ちなみにこっちは、前回の取材時に購入しちゃった器。こちらはフレッシュミントティーで大活躍してます。この前カンパリソーダを作ったら、きれいに映えました。

ちなみにこっちは、前回の取材時に購入しちゃった器。こちらはフレッシュミントティーで大活躍してます。この前カンパリソーダを作ったら、きれいに映えました。


陶器好きなのは学生時代からで、ちょっと背伸びをしながら分不相応に少しずつ買いそろえた器は、一人暮らしとは思えない食器棚に窮屈にしまわれている。その内のどれをとっても「買わなきゃ良かった」などと思う物はなく、買った時の情景や一緒にいた人のことや、その日のお天気や空気感まで覚えている。そしてそれらは思い出と共に何十年という時を私と一緒に過ごしてくれている。ひとつひとつはちょっぴり高価だったとしても、心から良いなぁ!と惚れ込んだ物は決して後悔することなく、いつまでも私の暮らしに寄り添っていてくれるのだ。大好きな物だから大切に扱うし、万が一欠けたりしても、金継ぎで直して再び命を蘇らせている。たかが物、されど物。気に入った素敵な物たちは、時が経ってもやっぱりいいんです!
この日に購入した青木さんの器も、お財布情勢が厳しい今の私には分不相応だったけど、多分何年かしたら、雨降る多治見の街のことや、日本家屋の魅力に惚れ惚れしたことをきっと思い出すはずだ。・・・と考えていて、ふと気づいた。多治見の街が好きで一年に何度か訪れる私は、多治見で多くの逸品に出逢っているのだ。


青木さんの個展を見た後にお邪魔したのがココ!
およそ一年ぶりの「ギャルリももぐさ」。
陶芸家のご主人と布作家の奥様が手掛けられるギャラリーは
全国から多くの人が訪ねていらっしゃるほど有名なので、
ご存知の方も多いだろう。


山の奥に入っていってこの風景を見ると、もう胸キュンになっちゃう(あ、死語かな)。随分前に取材させていただいたり、撮影にご協力いただいたり、ももぐさグッズに惚れて買い込んだりしているので、個人的にはかなり思い入れのある場所でございます。


これは、5年程前に購入した"ももぐさグッズ"の下駄。大切に履いています。

これは、5年程前に購入した"ももぐさグッズ"の下駄。大切に履いています。

こちらは18年ほど前に多治見のギャラリーで衝動買いしたガラス。これで日本酒の冷を呑むと美味しいんですよ!

こちらは18年ほど前に多治見のギャラリーで衝動買いしたガラス。これで日本酒の冷を呑むと美味しいんですよ!


多治見には、日本一おいしいと思ううどん屋さんがあるし、思い出いっぱいのお蕎麦屋さんや鰻屋さんもあって、器屋さんは果てしなく軒を連ねる。飽きっぽい私が、お昼から夜までゆっくり時間を過ごすことが出来る稀有な街である。行ったばかりなのにまたすぐに行きたくなる。日本一暑い街だと観測されようが、私は行きますよ。多分、暑い季節のうちにもう一度。


ナイフのような職人との対峙【伝統工芸の職人たち】


7年ほど前に取材がきっかけで知り合いになり、その後、親しくさせていただいている左官職人の挟土秀平さん。その当時から、左官のカリスマと言われてマスコミでも注目されていたが、その後のご活躍は皆さんご承知の通りでめざましい。今では、大手メーカーの商品キャラクターに選ばれたり、左官アーティストとして個展を開催するなど、すっかり有名人である。ところが、彼はどんなに売れて有名になっても、芯がぶれるということが絶対にない。土と水に対する真摯な情熱や、より高みへと追い求める心、そして自然への畏怖は変わらず、むしろ強くなっていて、お話するたびにドキッとさせられる。どうして彼はこんなにも純粋でいられるんだろう。さらに最近は文章を書くことも彼にとっては大切な創造性となっている。彼が紡ぎ出した言の葉を何度も読ませてもらったが、我々コピーライターが入り込む余地のないほど、哀しくも美しい文学をつくりあげている。


その挟土さんの取材を、7年ぶりにさせていただくことになった。4月の中旬、飛騨の山頂にはまだ雪が残る頃、高山へと向かったのである。今までに偶然同じ人物を取材するということは何度かあったし、時間経過によるインタビューの差異を自分でも楽しむことができたのだけど。取材してから友人になってしまった人を再び取材するというのははじめての経験である。嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちだった。そして、普段から挟土さんの話は聞いていて、仕事の内容も個人的に建設を進めている洋館の進行状況もなんとなくわかっていたから、いざインタビューとなると正直言ってどうしたらいいのかわからなくなった。情けない話である。


クライアントの視点を考慮しつつも質問を選びながらインタビューしたつもりだったけど、結果としては「すごくコアな質問取材」になってしまったのだ。私とご本人は理解できたとしても、周りで聞いている方々には伝わらないことがあったんじゃないかな。インタビューの途中で「マリコさん、それ、飲み屋での会話になってますね」と代理店のO女史は笑いながら指摘してくださった。お、そうだった、ここは高山の酒亭ではないのだ。さらにその後、場所を移動するため挟土さんと私が車に乗り込んだ時、挟土さんから「取材ってあんなんで良かったの?いつもの調子でしゃべりたいことしゃべっちゃったけどさ」と真顔で聞かれた。あ、そうだった、これはいつもの電話トークではないのだ。


インタビューだか会話だかわからないような取材を終え、いろいろな方からの厳しいチェックを受けて出来上がった原稿は、以下の媒体でお読みいただけます。
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ナイフのように研ぎ澄まされたナイーブで純粋で怖がりな、それでいて土と水にすべての愛情を注ぎ込む職人の「今の姿」を書いているつもりです。取材中はインタビューに迷ったりしたけれど、その迷いが文章に出ていないことを祈りつつ、どうぞ皆様お読みくださいませ。


須田菁華さん 九谷焼

加賀百万石・前田藩のお膝元で花開いた武家文化。
陶芸では九谷焼がその代表で、金沢の近辺には多くの窯がある。

九谷を代表する陶芸家・須田菁華さんにお会いしたのは、
今から5年ほど前になる。

九谷五彩と呼ばれる色を操り、自由な形に特徴のある作家だ。

山代温泉の中心地に、須田さんの窯元はあり、
時代のかかった建物の中で、作品を見せていただいた。

掌に置いて眺めていると、
どことなく、ゆるい、という印象を受けた。

取材記事にも、素直にそう書いた。

怒られるかな?と思ったら、意外に校正は直しもなくすんなり終わった。
何も言われなかったところをみると、
須田さんご自身も、「ゆるさ」を認識されているのだろうか。

もちろん歪んでいるわけではないけど、
定規ではかったような几帳面なラインじゃない。
それが安心できるのだ。

きちっと型にはまったようにきれいに成形された器って、
食べていても緊張するんじゃないかな。

取材の帰り際「いつとは言えないけど、必ず買いに来ます!」と
申し出ると、須田さんはなんとも言えない静かな笑顔で、
「待っていますよ」と答えてくれた。

それから約4年後、友人おすすめの山代温泉に宿をとり、
(そこは大変良いお宿でした、後日アップします)
須田さんを訪ねることができた。
えへん、須田さんとの約束を果たしたのである。

写真は、その時に買ったもの。
わかります?
ね、ちょっとゆるい、でしょ?

上が銘々皿。
下が豆皿。

須田さんの器は、はっきりいってかなり高価だけれど、
「ゆるさ」のおかげなのか、
使っていると安心感があって、緊張することがない。

いろいろな方にお会いすることが日常のコピーライターにとって、
「今度はプライベートでお邪魔したい」と思える取材対象は、
貴重な存在だ。
出来ればそんな風に思える方ばかりを取材したい、と思う一方、
気に入った作家の作品は大体値段も良いので、お財布は苦しくなる。

「あ〜これでまたギャラ使っちゃった・・・」ということもしばしば。
ミイラ取りがミイラになってばかりいるので、
我ながら、まったく困ったものなのだ。



上田の姉弟職人

昨日は滅多にしない朝5時起床で、信州・上田へ。
ここのところ、やたら信州づいている。
10日おきくらいに中央高速を走って信州と名古屋を行き来し、
あちこちのサービスエリアで休憩するので、
長野の特産品リストがすっかり頭の中に入ってしまった。

採れたばかりの新鮮野菜をはじめ、幻豚、おやきなど、
「昔は売ってなかったような」特産品が陳列してあるのを見ると、
サービスエリアが新たなマーケットになっているのを実感する。

この日は、「農家のドリンクヨーグルト」なるものを横目に見ながら、ぐっと我慢。
(おなかが痛くなると困るので)

10時半には目的地の上田市に到着した。
上田は紬の有名な産地で、今でも手織りにこだわる工房がある。

三代続く紬工房で、新しい上田紬の可能性にチャレンジする職人を訪ねた。
ここでは、姉と弟が次代の職人として奮闘しているのだ。
高齢のおばちゃん職人に混じり、
生き生きと体を動かし、美しい色の世界で糸を手繰り寄せる姿は、
誇りと自信に満ちあふれていた。

後継者がいないと嘆くことの多い着物制作の世界で、
祖母・父親と受け継いできた紬の仕事を次代に繋ごうとする職人の
意気込みがオーラとして出ていたんだと思う。

こだわればこだわるほど、
経済的には立ちゆかないことが多いのが伝統工芸や着物の世界。
本物の美しさを求めるなら、日本の素材で日本伝統の技術を用いるべきだが、
コストがかかりすぎるため、中国などで生産されてしまうこともある。
当然、安価にはなるが、仕上がりは期待できない。
このパラドックスを止めるには、どうしたらいいんだろう?

各地の美味しい名産品が
サービスエリアという新しいマーケットで人気になるように、
(あまりにも陳腐な例えで申し訳ないけれど)
日本の美の表現者たちが、もっと正当に評価され、
新しいマーケットが開かれて、
モノが売れ、長く愛されることをひたすら願う取材となった。

着物の世界だって、フェアトレードを考えるべき対象なんじゃないのかな。



新根津美術館、開館

昨日10月7日に根津美術館が、3年半の休館を経て新創開館した。開館に先立ち、プレス対象の内覧会があったので、嬉々としてお邪魔してきた。根津美術館は東京で個人的にベスト3に入るミュージアム。財界人で茶人でもあった根津嘉一郎氏が、その趣味の良い目利きで収集した茶道具や陶磁器、漆工、染織、絵画などが多く収蔵されているのだ。伝統工芸の職人たちのさらに先人の作品がわんさかあるというわけ。都心の真ん中で、こんもりした森林を散策し、庭園を眺めながらゆったりできる優雅さもいい。


こちらが内覧会の招待状と写真。隈研吾氏による建築と、ドイツ人デザイナー、ペーターシュミット氏によるロゴマークは、ジャパニーズモダンそのものだ。この屋根瓦のかっこよさと言ったらどうでしょう!エントランスもすっきりデザインでかっこよかっった〜。


特別内覧会は、招待状を見ると午後12時30分スタート〜14時30分迄となっていた。お昼どきに招待されるのだから、もしかするとお食事つき???と卑しい想像が頭に浮かび、おなかをビミョーに空かしてうかがうと、さすがお見事、ちゃんと飲み物及びおいしい軽食が用意されていた。やった〜、やっぱり得した気分。ちなみに新根津美術館では、緑に囲まれたNEZU CAFEで喫茶や軽食も楽しめる。新創記念特別展第一部は「国宝那智瀧図と自然の造形」。私が一番好きな尾形光琳・燕子花図は、修復を経て、来年4月に公開される。これまた行かなくちゃ、ですね。
和の趣を基調に、日本庭園と一体化したデザインで、さらに素敵な美術館に生まれ変わった根津美術館。皆さま、是非ご高覧あれ。→ http://www.nezu-muse.or.jp


NAGOYA DESIGN WEEK

14水曜日から18日曜日まで名古屋市内で行われているNAGOYA DESIGN WEEK。デザインの視点でいろいろな実験や企みをおこなっているイベント、とでも表現すればいいだろうか。今年で5年目を迎えるイベントで、なんと市内100カ所でデキゴトがあると言う。
公私共に仲良くさせていただいているスタジオ・ワークの皆さんも、そのうちの1拠点としてデキゴトに参加されていて、その場所は我が家からすぐ近くのなじみ深いスタジオということもあり、昨日お邪魔してきた。


FINE TUNINGというタイトルで、愛知県の工芸品である和ろうそく・日本酒・糸をテーマに、写真とインテリア空間で構成したインスタレーションを、五感を使って鑑賞するというもの。


手前のスダレのように見えるのが「糸」。
その奥に、日本酒の原料のお米・山田錦の田んぼや、糸などの写真が飾られている。その写真がまたいい。具象なのに抽象で、まるで心象風景を映しているかのようだった。


こちらは岡崎の和ろうそくが灯された小部屋。
ゆらゆら揺れる和ろうそくの幻想的な風景に、
思わず床に座って鑑賞してしまった。
ちなみに写真はすべてワークの鈴木あつしさんに撮ってもらいました。
(あっくん、アナタの名前の漢字を忘れてしまいました、ごめんね)




たとえ私のちんけなデジカメでも、プロが撮るとこーなります。
やっぱ、かっこいい〜。


この展覧会は、残念ながら日曜日で終わってしまいます。
日本酒・義侠の純米酒の試飲もさせていただけるので、
是非お出かけくださいませ。
会場/CREATION Zag(東区東桜2-9-16レジデンス高岳)
時間/11h00〜18h00


唐獅子牡丹

唐獅子牡丹と聞けばすぐに任侠ものの映画や彫り物を想像してしまう人、高倉健の見過ぎです。実は、かくいう私も、唐獅子牡丹と言えばやっぱり背中の彫り物んでしょう?と思っていた一人。
もう半月以上前のことになるが、松坂屋美術館で開催されている「東本願寺の至宝展」を見に行った時のこと。彫り物ではなく、それはそれは可愛らしい唐獅子牡丹に出逢ったのだった。


世界最大級の木造建築で、ふすま絵やら日本画やら、知られざる美術品の宝庫でもある東本願寺。私の家の宗派でもあるので、これは観ておかねばと出向いたのである。ちなみに私の祖父母のお骨は、京都・東本願寺のなんとかという台座???の下に眠っているはずなので、京都に行く際にはなるべく寄ってお参りするようにしている。このチケットにも印刷されているが、望月玉泉という日本画家による孔雀のふすま絵が、もう筆舌に尽くしがたいほどの素晴らしい物だった。恥ずかしながら、この展覧会ではじめて知った作家だったので「うわ〜すご〜い」と感嘆の声を挙げながら、このふすま絵の前を行ったり来たり、近づいたり遠のいたりしていたら、係員の人に不審な目で見られてしまった。だって〜孔雀の胴体の肉感とか羽根のふさふさした重なり具合が本当にすごかったんですもの〜。でも、こんなリアルな絵がふすまに描かれてて、夜中にご不浄に起きた時に見たら怖いでしょうね〜。


こちらが、同じく望月玉泉による”ついたて”で、「唐獅子牡丹図」。獅子のたてがみの筆使い、まるで動き始めるかのような躍動感、獅子と同化しないように細かいタッチで描かれた牡丹、そして真ん中のこの間合い。いや〜見事だわ〜と独り言を吐いていると、ここでまた先ほどの係員の視線を感じ、すごすごとついたての裏面にまわる。


そしたら、裏面にはこんな絵がっっ。紺色の獅子が蝶とたわむれているではありませんか。まだ幼い獅子が蝶にじゃれつこうとしている様子が、いかにも愛らしい。係員の存在を忘れ、か〜わい〜!と叫んでしまったら、近くで観覧していらしたやんごとない雰囲気の老婦人も「本当に可愛いわね〜」と言ってくださった。老婦人を味方につけた勢いで「ほ〜らね、素敵だなと思ったら声に出したっていいのよ!」という思いで係員をチラ見してみた。そしたら今度は係員に知らん顔された!無視かよっ!


というわけで、これまた今週の日曜日までではありますが、この展覧会に是非お出かけくださり、唐獅子牡丹図がいいなぁと思われたなら、ぜひその前で感嘆の声をおあげくださいまし。美術品は心に感じたままに観覧するのが一番楽しいと思うのでございます。皆さん、どう思われますか?


表現者

先週末、春祭が終わったばかりの高山に出掛けた。
ワイドビューという名の通り、本当にワイドに広がった窓から眺める山の景色は素晴らしい。急な冷え込みで冬に逆戻りしたかのような気候が続き、花の蕾も人間もすっかり体を縮めていた頃で、今が冬なのか春なのかがよくわからなくなっていた。名古屋から高山に向かうと風景は季節を逆戻りする。桜がほとんど散ってしまった名古屋をあとに、電車から見える景色は、葉桜から散り際へ、そして下呂あたりで満開を迎える。映像を逆回しして見ているみたいで退屈することなく、2時間強の時間はあっという間に過ぎてしまった。


それにしてもやっぱり高山は名古屋に比べると寒い。雪こそさすがに降ってはいなかったものの、駅について電車から降りた瞬間、さむっっっ!と声に出してしまった。「こんなもん、寒くなんかねーよ」と頭っから否定してきたのは、左官職人の挟土秀平さん。5年ほど前に取材がきっかけで知り合いになった。NHKやTBSの番組、キリンのCMなどですっかり有名人で、今や左官という枠を超えたアーティストとして多くの話題を呼んでいる。その彼が私財と情熱と技術のすべてを注ぎ込んでいる「王国」を2年ぶりに見せていただいた。古い古い洋館に出逢った彼は、そこに昔の職人技術の素晴らしさを見た。ぼろぼろの洋館を買い取り、1700坪の土地を手に入れて、そこに復元移築するという壮大な計画を実行中なのである。(※その進行過程が某局で映像化されるそうなので、皆様楽しみになさってください。ここでは中途半端な写真紹介はやめておきます)


小雨が降る中、その洋館に向かった。ブルーシートに覆われたこの洋館の中は、挟土秀平の世界観で満ちていた。
オレがやっていることはサグラダファミリアだよ、と秀平さんが言うように、それはそれは物凄い世界だった。すべて秀平さんのデザインである。現代最高峰の大工による細工、飛騨春慶の建具、修復した春慶のドア、絶妙なバランスの色配合。すべて手で積んだあまりにきれいな石垣、手植えした山野草、まるで昔からそこにあったかのようななんでもない石の階段。そして左官技術の高さを感じる壁。一面の壁だけでこれだけ人を陶酔させる職人は、おそらく他にいないだろう。語っても語ってもその完璧なまでの美しさは表現できない。思わず言葉を失い、壁に手をあててしばらくじっとしていた。なぜだか泣きそうになった。


全国を飛び回ってあれだけ忙しい仕事をこなしながら、一人の表現者としてこんなにも次元の高い世界を創りだしていることに、心から敬意を表するし同時に自分がはずかしくもなった。実は再会した瞬間に秀平さんに言われたのである。「今、病んでるだろ?」と。自分では病んでいるなどとは思っていなかったので、その言葉にびっくりしたけれど、この洋館を見てからは秀平さんの言った意味がなんとなくわかったような気がした。豊かな自然の中で時に自然の厳しさを眼前に、土と水に向かっている秀平さんの心の声は、この日の春雨が大地を湿らしたように、しっとりとやさしく体に染みていった。


天領のかおり

高山では、左官職人・挟土秀平さんが連れていってくださったとある割烹にて夜を迎えた。とりたてて特色のなさげな、なんでもないお店。けれど、目を凝らして見ると、アンティークのランプや磨き抜かれたカウンターになんともいえない佇まいがある。大将がお一人で切り盛りするお店で、次々と入るオーダーに実にてきぱきと仕事をこなし、お料理とお酒を仕上げていく。その手際の良さだけでなく、味も驚く程おいしいのである。特に書き立てるほどでもない、なんでもないお料理。たとえば飛騨のあげを炙ったものに、醤油と大根おろしをつけていただくもの。ところがこの飛騨のあげが格段に味わい深く、醤油がまたコクのあるおいしいお醤油なのだ。秀平さんは他のお客さんのオーダーが混んでいない頃合いを見計らって、大将にお酒や料理の注文をいれる。大将も我々の食べ方を見ながら、決してお箸が休むことのないよう気づかいつつ、料理を出してくださる。この抜群の間合いはなんなんだ!
さらに大将は、お客さんの会話にするりとうまく入り込む。シュールレアリズムという言葉を発した時、「福沢一郎」の話をし始めた。日本酒を吹き出してしまうかと思う程驚いた。音楽にしたってそうだ。あれだけ忙しそうに料理しているのに、お客さんの会話や雰囲気に合わせて選曲し、大将セレクトのMDでBGMを流しているのである。一体何者なんだろう、この大将は。


時計が九時半を過ぎると、お食事のお客さんがお帰りになり、飲むお客さんがぞろぞろと入ってくる。秀平さんによるとここは「学習割烹」だと言う。高山の知識人が集まるサロンなのだと。ここで語り合い学んだことが仕事に結びつき、悩みを解決し、表現者としての活力を得ているらしい。次々とのれんを分けて入ってくる人を見て「あ、この人は大関」「この人は横綱や」とコメントがつく。秀平さんは、このお店では前頭筆頭なのだそうだ。先生と呼ばれる人、建築家、職人、職業はさまざまである。ここで語られるのは、文学、美術、建築、音楽、映画、小説、郷土史と、無限大に会話がひろがってゆく。


ここはまるで60〜70年代のパリである。サルトルやボーヴォワールが語り明かしたサンジェルマンのカフェである。ワインの代わりに日本酒を飲み、チーズの代わりに飛騨の漬け物をかじる。それぞれの知識と欲望を交錯させながら、刺激を与え合う。酔いの心地よさとぴりぴりした知的好奇心の中で、これはパリ以外のどこかで味わったことのある感覚だと思った。


それは倉敷だ。確か倉敷を訪ねた時にも同じような感覚を覚えたのだ。一地方都市でありながら、とてつもない底力を土地の人の会話から感じ取ったのである。その街で生まれ育ったことに誇りを持っている。その街から全国に向けて文化を発信しているという自負がある。そしてそれが実際に多くの文化財を生み出してきている。そして、よくよく考えてみると、倉敷と高山、2つの街に共通しているのは、天領地だったということだ。


江戸時代の幕府直轄領のことを天領と呼んでいた(実際に天領という名がついたのは明治になってかららしい)。天領になるということは、つまりそこに莫大な富を生む産業があるということで、豊かな土地の証である。倉敷のとある老舗旅館の大女将が「倉敷は天領の地ですから、こういう考えの人がおおございますの」と言っていたのを思い出した。こういう考えとは、"富んだ者がその土地の人のために文化交流の空間を提供する"ことで、それは倉敷の場合、大原美術館のことを指していた。


先のコラムで紹介した挟土秀平さんの洋館も、いずれは大原美術館のように後年の人々を魅了してやまない空間になるだろう。物質的に富んでいるかどうかはともかくとして、少なくとも精神的にはかなり富んだ人が集う「学習割烹」。その末席にひとときでも加われて、この夜は満足して帰路についた。そうそう、帰る時の大将のおはからいにもびっくりした。前夜ほとんど寝ていなかった私は、日付が変わった頃に酔いと共に眠気が襲い、はからずも二度ほどあくびをかみ殺したのである。三度目のあくびを飲み込んだ時、秀平さんの目配りで大将がタクシーを呼んでくださった。細かなところに目線が行き届く「職人芸」には、とてもかないそうにない。


挟土秀平「土と水陽」青と琥珀


高山の左官職人・挟土秀平さんの個展「土と水陽」が、渋谷東急BUNKAMURAで始まっている。東京出張の際にお邪魔してきた。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100603hasado/index.html
キリン焼酎「白水」の地下鉄車内刷りポスターに挟土氏が起用されており、今回の個展はキリンビールが協賛している。ポスターの方はご覧になったことがある方も多いはずだ。4月に高山でお会いした時に、個展で用いる文章を見せていただいたので、その文章に作品がどう絡むのか、一体どんな仕上がりになっているのか、とても楽しみであった。


展覧の前半は、キリンビールからのオーダーで制作した「水の鼓動」をはじめ、コマーシャリズムにきちんとのっとった物でまとめられていた。左官の仕事にはかならず施主がいるのだから、この場合の施主がキリンビールと考えれば納得できるなぁと考えながら、隙のないきれいな仕上がりの「壁」を見てまわった。「水の鼓動」の微妙な色の移り変わりは照明の効果かな?と思ったが、実はすべてが計算された土の色の積み重なりであった。まるで緻密に計算され織り込まれた紬の文様のように、縦、横、斜めに水の波紋が広がっている。完璧、である。土で水を表現できるなんて凄い!と思ってから、はっと気がついた。土は水に含まれているものだということを。ここで、個展のタイトル「土と水陽」を改めて考えさせられる。う〜ん、やっぱり唸らされるな〜、秀平さんには。



そしてこの個展の真骨頂は、後半にあった。「青と琥珀」と題された小説のような物語にそって、十数点の「壁」が作品となって掛けられている。もちろん文章も挟土氏によるものだ。壁は、土の上に群がる蟻の姿だったり、心の奥底のほとばしりだったり、どこにも持っていきようのない哀しみが表現されたりしていた。物語にそって作品を見ていたら、なぜか苦しくなってきた。苦しくて、その場に居ることができなくなって、慌てて建物の外に出てしまった。こんな展覧会ははじめてだ。苦しくなった原因のひとつには、すべての作品が美しく隙がなさすぎるということ。そして、もうひとつは、作者の感性がナイフのように尖って研ぎ澄まされすぎて、受け止める側が咀嚼に苦労するということ。挟土秀平とは一体何者か。左官か、芸術家か、否、詩人か。おそらくそのすべてなのだろう。その感性を受け入れるだけの受け皿を持たない私は、受け止められなくて苦しくなったみたいだ。
あ、こんな風に書いちゃうと、個展のアピールになってないかな。でも本当に素晴らしい作品ばかりなので、是非ご覧になってください。開催中はご本人にお会いできるかもしれませぬ。あ、でも私はご本人のお写真を撮り忘れてしまいましたけど。


挟土氏は、使い古された言葉かもしれないけど非常に人間くさい。キリンの焼酎「白水」の商品コンセプトをアピールするのにはピッタリの逸材だと確かに思う。語らせたら詩人だし、壁を塗らせたら芸術家だし、こんな逸材をメディアがほっておくはずがないと思う。でも挟土氏が創りだす壁の美しさとは別の世界で、タレントとしての挟土秀平が一人歩きしてしまうのではないか?と勝手な老婆心を抱いてしまう。高山の雄大な自然に佇み、土と水に向かう左官職人として、いつまでも存在して欲しいと願ってはいけないのだろうか。でも多分、私の老婆心は陳腐にすぎないのだろう。なぜならコマーシャリズムとは関係のないところで「青と琥珀」というとんでもない文章と壁の作品をこうして発表しているのだから。左官の枠を超えたアーティスト挟土秀平を象徴するように、今夏、銀座和光のショーウィンドウを彼の壁が飾る。


銀座和光のディスプレイ


今夏の銀座4丁目は、左官職人・挟土秀平さんの壁がお目見えしている。6月の終わりから始まっていた和光のウィンドウディスプレイに、出張の際、やっとお邪魔することができた。夏ぎりぎり間に合ったという感じ。銀座4丁目、日本のど真ん中である。和光のウィンドウディスプレイと言えば、おそらく日本一注目されるデコレーションではないかしら。そこに壁を塗っちゃうわけだから、まぁすごいことですよね〜。
銀座で地下鉄を降りて、さぁてどの出口から出ようかなぁと悩むのも楽しみだ♬いきなり真ん前に見えるのも情緒がなくてなんだし、少し距離を置いて段々見えてくるのが一番良いんじゃないかと思って、まずは鳩居堂を目指した。鳩居堂で少しお買い物をしてからくるっとUターン。相変わらずの人混みにもまれながら歩いていくと、見えてきました。挟土氏の壁が。
私の大好きなブルーのきれいな色合いが目に入った。まるで虹のように壁がカーブを描いている。そして土で作られた女性像がその前に佇んでいた。思わず発した言葉は一言、きれ〜い。全体をじっくり鑑賞してみると、きれいすぎて、なんだか寂しい。とてつもなく美しいなのに寂寥感が漂っていた。まるで砂漠の夜みたい。暑いのに夜になると寒くなるみたいな、あるいはすごい美人だけど整いすぎてクールに見える、みたいな、ね(なんとなく例えが間違っているような気がしないでもないが)。完璧主義の職人が制作した作品ならではの孤独感なのかもしれない。


これは反対側のウィンドウ。
ガラスがあるので、きれいな写真が撮れなくて残念。
でもガラスに銀座の街並が映りこんでいるのがいい感じ。


これはそのアップでございます。
う〜ん、プロの写真家が撮影したら
もっとかっこよく映りこむんでしょうね。
実はワタクシ、映りこみの写真ってかなり好きなんです。


これは女性のマネキンの足元で、挟土氏お得意の計算されつくした「ひび割れ大地」。やっぱり都会の砂漠、みたいだなぁ。
一連の壁作品にご興味のある方は、こちらをどうぞご覧くださいませ。きれいな写真が見られます。
作品を間近で鑑賞した後、今度は三越側へと信号を渡ってみた。こっちの角度からもウィンドウを見たかったからである。すると、改装中の三越の入り口からはおそろしく冷たい風が大量に吹いていた。涼しかった。今が酷暑の夏であることも、銀座の真ん中であることも一瞬わからなくなった。今、私はどこに立っているんだったっけ?
ここは都会の砂漠だよ、挟土氏のメッセージが聞こえてくるような気がした。


和菓子の風雅と旦那はん


上半身を思い切り折り曲げて、手元の小さなオブジェクトに集中しているこの男性は、名古屋市瑞穂区にある和菓子屋さん[花桔梗]のオーナー・伊藤さん。この日は、とある企業の広報誌の特集記事で和菓子を取り上げることになったための撮影だった。制作スタッフ全員が男性で、彼らは和菓子とあまり縁のない生活をしているということもあり、紅一点で和菓子好きの私が企画段階から好きなことを言わせていただける幸運なお仕事だったのである。和菓子好きとは言え専門知識を持っていない私は、いわゆる素人の強みというもので、協力先の花桔梗さんに言いたいことを言い放ってしまった。こんな記事にしたいんです→だからこんな絵が欲しいんです→だからこんな和菓子を作って欲しいんですけど・・・・という思いを、オーナーの伊藤さんにぶつけたところ・・・あまりに暴挙な無茶ぶりに、電話の向こうでしばし絶句されていた。あれ、やっぱり無茶ぶりだったかな・・・と感じたものの、今更引き返すわけにもいかないので、絶句している伊藤さんにたたみかけるように説得を続ける。「実際に販売されるようなお菓子じゃなくていいんです、これはあくまでもイメージで・・・」すると伊藤さんは意外にもあっさりと「わかりました。かなり難しいチャレンジですけど、試作してみます!」と爽やかにお答えくださったのである。きっと心の中では、この人めっちゃ無茶ぶりするな〜とあきれていらっしゃったはずだが、それを微塵も感じさせずに爽やかにお引き受けくださるところは、さすがに和菓子屋の旦那はんである。



この日のカメラは、ブルースタジオの浅野さん。お茶目な浅野さんが撮影すると、現場の雰囲気がとっても楽しくなるので、勝手ながら大好きなカメラマンのお一人だ。淡々と粛々と、時にくだらない冗談を言いながら、撮影は進行し、最後にくだんの無茶ぶりしていたお菓子の撮影となった。お昼時間をとっくに過ぎて、みんなの胃袋がキューキューと鳴き始めていても、誰も文句を言わずに撮影に取り組む。難易度の高いお菓子を作ってきてくださった伊藤さんの思いに対して、無事に撮影完了するまでは気が抜けないというわけだ。小さな課題はみんなが少しずつ知恵を出し合って解決し、午後2時に無事終了した。もちろんみんなのおなかは空き空き状態。撮影に使った和菓子を伊藤さんがどうぞ食べてください、と差し出された瞬間に、全員の手が伸びた時は思わず笑ってしまった。だってクライアントの女性と私以外は、和菓子に縁がないと言ってた男性たちだったから。


それにしても、今回の和菓子撮影は、時間がない中、勝手な無茶ぶりばっかりしたのにも関わらず、絶対に「無理です」とか「出来ません」という言葉をおっしゃらなかった伊藤さんには頭の下がる思いだった。江戸時代から脈々と流れる和菓子職人の心意気がそうさせるのか、よっ!旦那はん!と拍子木を打ちたくなるような気持ちの良いお仕事ぶりだった。実は先日とあるパーティーにて、遠方からの賓客へのお手土産に特別オーダーの和菓子が手渡されたが、その製作も花桔梗さんがお引き受けになった。きっと評判の良いお菓子を創られたのだろうと拝察している。和菓子屋の旦那はんから、和菓子の風雅と仕事の粋を教えていただいた。


この企業の広報誌、なかなか良い仕上がりで、来月初旬に発行予定でございます。ご興味のある方はメールください。広報誌が発行されたら、こっそりPDFでご覧いただきますので。また和菓子好きの方は、ぜひ花桔梗さんにもお出かけくださいまし。日本の季節を美しい形にした伝統的な生菓子・干菓子はもちろん、かりんとうや和マカロンなどのジャンルを超えた創作和菓子も数多く取り揃えていらっしゃいます。お店の雰囲気もそれはそれはモダンでカッコいいですぞ。「花桔梗 名古屋」でググッていただけばすぐに出ます。桜通線・桜山駅より徒歩10分程度。月曜定休。ちなみに私が無茶ぶりした和菓子は、もちろん販売されておりません、はい。