えとせとら

2021年が終わろうとする今日この時に【えとせとら】

本当に今年はなんという一年だったのだろう。
3月に大切な大切な友人、7月には遊びを教えてくれた先輩、9月に物書きの先輩を、亡くした。
そして12月には最愛の母が旅立った。
親しい人がこの世からどんどんいなくなってしまうこの現実を未だに受け止めきれないまま、またあたらしい年が明けてしまう。
4年前に父を亡くし、とうとう母を亡くしたので
天涯孤独になってしまったわたしは、それでも生きてゆかねばならない。
生きてゆかねばならない、ということが
こんなにも重いことだったとは。

生きてゆかねばならぬので、体のメンテナンスをしなければいけない。
体に悪いものが蓄積して石灰化したみたいで、痛みとともに胆石が見つかった。
夏のことだった。
手術前後で1週間はお休みできるタイミングで、とドクターに言われ
年末年始なら間違いなくゆっくりできるだろうとのことで
計画的にこの時期を選び、爆弾を抱えながら半年を過ごして
年末ギリギリに胆嚢摘出の手術をした。
4年前の父が亡くなる直前には腎臓結石が見つかって随分痛い思いをしたが
母が亡くなった直後に今度は胆石で胆嚢摘出。
体のあちこちに石ができるなんて、
どこかでメドゥーサに睨まれたのかしらん。

わたしは両親が歳をとってから生まれた子供なので
同級生のご両親と比較すると親の世代がちょっと年かさである。
そんなこともあって、たとえ離れて生活していても
常に両親の体のことを気遣いながら暮らしてきたようなところがあった。
もうその必要はないよ、
と自分に言いかしながらも、やはり無性にさびしい。

養老孟司先生の言葉をお借りするなら、生きているのが一番危ない、のだそうだ。
死んでしまえば2度死ぬ心配はなかろう、というのだ。
父のことも母のことももう心配する必要はない。

死は生の延長にあるのではなく
死は生の中にあるという持論を、あまりにつらい現実で体感する一年となった。

あたらしい年が明ける前に、
ごちゃごちゃになってしまった気持ちの戸棚を整理整頓したくて
このコラムを書いた。