えとせとら

2021年が終わろうとする今日この時に【えとせとら】

本当に今年はなんという一年だったのだろう。
3月に大切な大切な友人、7月には遊びを教えてくれた先輩、9月に物書きの先輩を、亡くした。
そして12月には最愛の母が旅立った。
親しい人がこの世からどんどんいなくなってしまうこの現実を未だに受け止めきれないまま、またあたらしい年が明けてしまう。
4年前に父を亡くし、とうとう母を亡くしたので
天涯孤独になってしまったわたしは、それでも生きてゆかねばならない。
生きてゆかねばならない、ということが
こんなにも重いことだったとは。

生きてゆかねばならぬので、体のメンテナンスをしなければいけない。
体に悪いものが蓄積して石灰化したみたいで、痛みとともに胆石が見つかった。
夏のことだった。
手術前後で1週間はお休みできるタイミングで、とドクターに言われ
年末年始なら間違いなくゆっくりできるだろうとのことで
計画的にこの時期を選び、爆弾を抱えながら半年を過ごして
年末ギリギリに胆嚢摘出の手術をした。
4年前の父が亡くなる直前には腎臓結石が見つかって随分痛い思いをしたが
母が亡くなった直後に今度は胆石で胆嚢摘出。
体のあちこちに石ができるなんて、
どこかでメドゥーサに睨まれたのかしらん。

わたしは両親が歳をとってから生まれた子供なので
同級生のご両親と比較すると親の世代がちょっと年かさである。
そんなこともあって、たとえ離れて生活していても
常に両親の体のことを気遣いながら暮らしてきたようなところがあった。
もうその必要はないよ、
と自分に言いかしながらも、やはり無性にさびしい。

養老孟司先生の言葉をお借りするなら、生きているのが一番危ない、のだそうだ。
死んでしまえば2度死ぬ心配はなかろう、というのだ。
父のことも母のことももう心配する必要はない。

死は生の延長にあるのではなく
死は生の中にあるという持論を、あまりにつらい現実で体感する一年となった。

あたらしい年が明ける前に、
ごちゃごちゃになってしまった気持ちの戸棚を整理整頓したくて
このコラムを書いた。


ベルばら茶会、開催しました【えとせとら】

本席のお軸は、岡本太郎による「愛」。ベルばらといえば、♬愛それは尊く、愛それは気高く♬です

「ベルサイユのばら」を読んだのは、すでに連載が終わってしばらく経ったころで、おそらく小学校の高学年くらいになっていたと思う。オスカルとアンドレの純愛に涙し、革命へと動いていくフランス社会の身分制度に心をいためる少女時代を送った。以降、何百回と読んだため、場面描写や台詞は細かく覚えており、今でも一年に数回は読み直しているので、筋金入りのベルばらファンだと言ってもいいだろう。ベルばらを通じてフランスという国に漠然と憧憬の念を抱き、大学進学でフランス語学科を選んだことに、ベルばらが起因していることは間違いない。そんなわたしが、いつか「ベルばら茶会」を実現したいと考えるようになったのは、一年ほど前だったか。お茶のお稽古でお世話になっている稲垣紹紅先生、通称・紅雲庵あかね先生から、その時々のテーマに沿った茶の湯の道具組を教えていただくたびに、膝を打ちたくなったり、思わず嬌声をあげたり、深くうなづき感嘆していて、時に洋物を道具に組み込まれるセンスに惚れ惚れしているので、ベルばらと茶の湯をくっつけちゃったらきっと面白い!と思い描いてきた。そんな無茶なお願いをあかね先生に相談したところ、ご快諾いただき、去る5月9日(日)に、金鯱がお留守になっている名古屋城にて、ベルばら茶会を開催することができた。道具組をどう考え、組み立てていくか、そこにベルばらの要素をどう取り入れるか、やりすぎはダメだけど分かりやすさも大事。あかね先生と何度も打ち合わせを重ねながら、茶会を作り上げる過程を学ぶことができた。
心配はもちろんコロナ問題だった。対策を万全にしながら、一席の人数を抑え、換気と消毒をしつこく、次客以降は紙製のディスポーザル茶碗、お菓子はパッケージごと、などなど、風情に欠ける点はあったけれど、それでもなんとか開催にこぎつけて、多くの仲間たちに楽しんでいただけて、本当に良かった。
以下、道具組の一部と、お越しいただいた方々のベルばらコスプレ的なご紹介をば。薔薇の帯、着物、半襟、バッグ、バッジにチーフ、リボン、マスク。エッフェル塔やトリコロールを意識してくださった方もいて、みなさんがベルばらというテーマを楽しんでくださったことが伝わり、とても嬉しかったです。
ちなみに私はあやめ色の着物(フランス王家の紋章がアイリスなので→百合と言われているがそれは間違いとのこと)にあやめの帯、鍵の形の根付(ルイ16世が錠前作りが趣味だったので)を帯に挿して。ただし画像はございません苦笑。


オスカルの便箋で会記を書きました

こちらは寄付

香合は、プチトリアノンの池に遊ぶ白鳥。紙釜敷はトリコロール

花入は、ルイジョゼフ王太子が亡くなった時に葬儀資金のためにフランス王家が売却した銀の燭台を、この度買い戻してきたもの笑。そして花は、オスカルフランソワと名のついた薔薇。

点前座。風炉先屏風はベルサイユ宮殿、長板は鏡の間を表現。南鐐つまり純銀の風炉釜に、ボヘミアの水差の美しさに皆さんから感嘆の声が上がりました。

お菓子は、ハートにくりぬかれた薔薇の花びらが入った葛菓子。 川口屋さんに特別誂え。菓子器はドレスデンのマリー花文字。このお菓子の下にMの美しい文字が現れます。

料亭志ら玉、料亭香楽から、大女将、若女将、宗平社長にお越しいただき、とても楽しいお席に。

金工作家の長谷川まみさんは、オスカル風!のブラウスに、馬をイメージしたブローチ、もちろんまみさんの作品で。

マリー・アントワネットが愛したと言われる伝統的なフランスのデザイン生地で作られたマスクとリボンベルトでお越しくださいました。


オムライスの品格【えとせとら】


先日、老舗洋食店をある方にご案内いただいた。78歳になられるシェフと奥様のお二人で営んでいるお店で、来年で開業して50周年を迎えるのだそうだ。わたしもまぁまぁ名古屋歴が長くなったのだけど、今までまったくノーマークのお店だった。入った瞬間に、昭和感たっぷりの木彫インテリアやカウンターの奥にあるウィスキーボトルの棚を見て、おおよそのメニューが想像できる、そういうタイプのお店だった。

ミックスサラダ、ポテトサラダ、串カツ、カニクリームコロッケ、ハンバーグ、とんかつ、ステーキ、チキンライスにオムライス、ナポリタンスパゲティ。かつてどの街にも存在した洋食店の誰もが思い描くメニューだ。その日は、お連れくださった方のおすすめに従ってオーダーしたのだけど、もうのっけから心を鷲掴みにされてしまった。手羽先の完成度の高さといったら、京都の某有名店の某メニューはここからインスパイヤされたのではないか?と思うほど。ひとつひとつの野菜が丁寧に仕事されたミックスサラダ、玉ねぎが挟まった串カツ、丁寧なベシャメルを感じるカニクリームコロッケにグラタンなどなど。デミグラスやマヨネーズはもちろん手作りである。最後になにかごはんものを、という段になって、わたしからわがままを言わせてもらい、オムライスを注文することにした。

それが冒頭の写真である。4人でシェアしたので、これは大盛サイズ。チキンライスのケチャップの水分がしっかり飛んでいるので、チャーハンのようにパラパラしている。しかも薄味でしっかりした味なのはチキンの旨味がちゃんとご飯に染みているから。そしてなにより卵が薄い。大盛りなのに薄いので、トップがすこし破れているところがまた愛おしい(笑)。これを4人でナイフとフォークを使ってきれいに割ったのだが、チキンライスの山が崩れなかったのは、卵でしっかり巻かれているからだ。これこそ、50年の間、丁寧に調理に向き合ってきた職人の仕事である。脱帽だった。街の片隅でずっと真摯に作り続けて来た味には、品格が漂っていた。
最先端の才能あふれるアグレッシブな料理を頭をフル回転させて考えながら食べるのはとても楽しいし創造性の高いひとときだ。けれどこの日は、こうして50年もの間、人々の心とおなかを満たした味をしっかりと味蕾にきざむ大切さを思い知ったのであった。




名古屋まちなみデザインセレクション【えとせとら】


第4回 名古屋まちなみデザインセレクションが発表になり、昨日、名古屋市役所にて河村たかし市長による授賞式が行われた。名古屋市民がお気に入りの風景やまちなみを写真で応募したものの中から、審査されて選ばれるもので、名古屋のまちへの愛着や誇りを高めてもらうための催しである。私は有識者懇談会の構成員の一人として、審査に参加させていただいた。昨年の春に始まった有識者懇談会では、建築のプロの先生たちに混じり、素人目線ではあるがまちなみを構成する文化的な側面を中心にして色々と意見を申し上げた。専門家のお話を聞きながら、市民目線で意見を交換することは、私自身の学びにもなったし、一市民として住みたいまちなみづくりの取り組みは楽しい時間でもあった。専門知識はないものの、魅力創生という意味では小さな小さなお手伝いができたのではないかと思っている。


有識者懇談会の構成員。左から岡崎まちそだてセンターの三矢勝司さん、ピースグラフィックスの平井秀和さん、この懇親会の座長であり中部大工学部教授の中村研一さん、愛工大教授の中井孝幸さん、そしてわたくし。



まちなみデザイン賞
 建築物・工作物部門
●LT城西2 名古屋市西区
●グローバルゲート 名古屋市中村区
●料亭か茂免の白壁 名古屋市東区

 広告物部門
●印傳屋名古屋御園店のサイン 名古屋市中区
●ランプライトブックスホテル名古屋のサイン 名古屋市中区

 景観まちづくり部門
●SOCIAL TOWER PROJECT
●名古屋折り紙建築
●街茶 MACHI-CHA

受賞された皆様、おめでとうございました!

このほか、市民投票により選ばれたまちなみデザインが20選発表されている。
詳しくはこちら↓
http://www.city.nagoya.jp/kankou/category/358-5-0-0-0-0-0-0-0-0.html


極上の孤独【えとせとら】

大人に囲まれて育ち、大人の世界のすぐ隣で暮らすように成長した私は、小さい時から一人で過ごすことが多かった。どちらかといえば内気な性格の私を、母はあろうことか1年保育で幼稚園に行かせた。周りの園児たちは2年目ですでに仲良しグループが出来上がっていたため、私にはアウェイ感が半端なく、入園式では号泣して嫌がり、先生たちをかなり困らせたのだそうだ。小学校に上がってからも友人を作ることが苦手なままで、気がつけばいつも一人で行動していた。
私が小学校から帰宅する時間は、年の離れた姉と父はまだ帰っておらず、母はほとんどキッチンで料理をしていた。母からは宿題をやりなさいと言われながら、私が向かうのは勉強部屋ではなく応接間だった。一つには母がいるキッチンから遠いので干渉されなくて済むということと、もう一つには、そこにステレオがあったからである。父が買ったと思しきレコードを触ると怒られるので、私は子供用のソノシートのプレイヤーで音楽を聴くのが大好きだった。一番好んでかけていたのは、クライスラーの「愛の哀しみ」で、確か緑色のソノシートを何度も擦り切れるほど聴いたのである。もちろん、愛のことも、哀しみのことも、全く理解していなかったが。

さて、先日。仕事でインタビューした世界的ピアニスト・竹澤恭子さんのリサイタルにお邪魔した時のこと。竹澤さんはクライスラーの「愛の哀しみ」を演奏されたのだが、久しぶりに聴くこの曲に、なぜだか涙腺が反応して堪えきれなくなってしまった。ちょっと湿っぽい匂いのする応接間の、出窓に置いてあったソノシートの風景を思い出したからだろうか。あの応接間には、私の孤独が詰まっていたのである。
ここでいう孤独には、寂しさからくる悲壮感はまったくない。たった一人の空間で、邪魔されることなく好きなことを考えて過ごす豊かさを指している。孤独を味わい尽くす習性は、大人になった今でも続いており、多くの友人たちとにぎやかな時間を共有することはもちろん人生の楽しみの一つではあるが、一方で、友人たちと別れてから一人になってその会話を思い出すことも至上の喜びなのである。わかりやすい例を挙げると、自宅に友人を招いてホームパーティを催す時など、一人で準備をしている段階がもっともテンションが上がる。その日のテーマと主役を設定して、どんなメニューにするか、テーブルセッティングは何をモチーフにするか、何度もラフスケッチを描きながら妄想してさんざん楽しんだ後、本番がやってくる。当日は友人たちといっぱいおしゃべりし、最高の時間を過ごす。そして友人が帰った後、また一人になって後片付けをするのが、これまた豊かな孤独の極みなのである。つまり、私がホームパーティを開催するのは、孤独を味わいたいから、というパラドックスが成立するのだ。

孤独論には一家言あるつもりなので、下重暁子さんの「極上の孤独」がベストセラーになっていると聞き、早々に拝読したのだが。正直に申すと、私にとっての驚くような新しい論はそこには書かれていなかった。代わりに、私はすでに孤独を体現しているのだと確信することができたのである。それにしても、極上の孤独とはいい言葉だ。おそらくこれからの私にとって「極上の孤独」という言葉は人生の標語になるだろうと思う。
どなたか孤独論をお持ちの方、よろしかったら、孤独論を話しませんか?と書いてから、孤独論は一人では論を闘わせることはできない、というパラドックスをまた発見してしまった。


晩餐会をプロデュースしました【えとせとら】


先月のこと。長い付き合いの友人が還暦を迎えるということで、お祝いの記念晩餐会をプロデュースさせていただいた。今年60歳になられるわけなので、つまり昭和32年(1957年)にご誕生のその方のお仕事は、フレンチレストランのオーナーソムリエ。名古屋を代表する重鎮のお一人なので、「すんごいワインのラインアップで豪華な晩餐会を!」と発想するのが普通だと思うのだけど、普通なんてつまんない!と思ってしまう職業病のわたくし。日本におけるソムリエという職業の先頭を走ってこられた方の歴史を、参加した方と一緒に感じながら、会話を楽しめる晩餐会にしたいと思って、今年の1月くらいから企画を始めたのであった。
晩餐会のキーワードは昭和32年。そのドレスコードに見合う会場探し。メニュー構成。ワイン探し。サービスのスタイル。BGMにお手土産のセレクト。そして特別に仕事してくれる料理とサービススタッフの人選。全てにわたって昭和32年を意識し、参加した方はもちろん、お祝いされる主役にとって忘れられない思い出の1日となるよう、方々に頭を下げて協力をお願いし(笑)、楽しかった!と言ってもらえる晩餐会を無事に開催したので、ここで詳細をご紹介させていただこうと思う。ま、正直に言って、プロデュースしてるわたしが多分いちばん楽しかったんですね、きっと。


会場は名古屋市東区にある大洋ビル。昭和6年に建設されたレトロビルで、主役のご両親とほぼ同年齢のビルヂング。普段は薬膳料理の料理教室として使われている場所を、無理を言って貸してもらいました。

会場は名古屋市東区にある大洋ビル。昭和6年に建設されたレトロビルで、主役のご両親とほぼ同年齢のビルヂング。普段は薬膳料理の料理教室として使われている場所を、無理を言って貸してもらいました。

テーブルセッティングはこんな感じ。主役から「お店ではクリストフルを使ってるので、お店のカトラリーを持参するね」と言われたけど、いえいえ昭和32年ですから、と説き伏せて、あえて会場にあったカトラリーで昭和32年を演出です。お花は紅白でアレンジしました。BGMは、映画「ALWAYS三丁目の夕陽」のサントラ。あの切なくて懐かしいメロディが会場に流れました。

テーブルセッティングはこんな感じ。主役から「お店ではクリストフルを使ってるので、お店のカトラリーを持参するね」と言われたけど、いえいえ昭和32年ですから、と説き伏せて、あえて会場にあったカトラリーで昭和32年を演出です。お花は紅白でアレンジしました。BGMは、映画「ALWAYS三丁目の夕陽」のサントラ。あの切なくて懐かしいメロディが会場に流れました。

ワイングラスは必要最低限の種類をお店から持ち込み。ワインをサーヴするためのお道具類も持ち込み。普段のお店とは全く違った印象でした。

ワイングラスは必要最低限の種類をお店から持ち込み。ワインをサーヴするためのお道具類も持ち込み。普段のお店とは全く違った印象でした。

これが当日お配りしたメニュー表。でもただのメニューじゃござんせん笑。

これが当日お配りしたメニュー表。でもただのメニューじゃござんせん笑。

中面のごあいさつです。晩餐会のテーマのこと、いろいろ説明しております。

中面のごあいさつです。晩餐会のテーマのこと、いろいろ説明しております。

主役をお祝いするべく、集まってくれたスタッフは、お店でお仕事してきた歴代のシェフ、ソムリエたち。遠方で活躍している人には声がかけられませんでした。それはちょっと残念でした。

主役をお祝いするべく、集まってくれたスタッフは、お店でお仕事してきた歴代のシェフ、ソムリエたち。遠方で活躍している人には声がかけられませんでした。それはちょっと残念でした。

メニューその1。

メニューその1。

左が生春巻きに包まれたポテトサラダ、こういう発想が現代解釈っぽくていいでしょ。右下がシーザーサラダ、本来のシーザーサラダと上下が反対になってて面白い。右上はホットドッグ。パンから手作り。トマトケチャップも手作りなんですって。

左が生春巻きに包まれたポテトサラダ、こういう発想が現代解釈っぽくていいでしょ。右下がシーザーサラダ、本来のシーザーサラダと上下が反対になってて面白い。右上はホットドッグ。パンから手作り。トマトケチャップも手作りなんですって。

昭和32年といえばコーンポタージュは大ご馳走!コーンポタージュだと思って食べると、あれ?という印象。実は下のポタージュが新玉ねぎ。上の黄色いピューレだけがトウモロコシ。現代解釈のコーンポタージュです。

昭和32年といえばコーンポタージュは大ご馳走!コーンポタージュだと思って食べると、あれ?という印象。実は下のポタージュが新玉ねぎ。上の黄色いピューレだけがトウモロコシ。現代解釈のコーンポタージュです。

カニクリームコロッケ。でもとっても贅沢なんです。毛ガニがたっぷり入ってて、松浦さん渾身の作。実は家庭用のガスで火力が足りず、揚げるのがとっても難しかったのだそうです。

カニクリームコロッケ。でもとっても贅沢なんです。毛ガニがたっぷり入ってて、松浦さん渾身の作。実は家庭用のガスで火力が足りず、揚げるのがとっても難しかったのだそうです。

メニューその2。

メニューその2。

メインのお皿は、ナポリタン風のラザニア、ハンバーグステーキ、ハヤシライス。昭和32年にはキャビアもフォアグラもトリュフも使ってませんでした。洋食が何よりの外食のご馳走だった時代。3人のシェフの合作プレートです。

メインのお皿は、ナポリタン風のラザニア、ハンバーグステーキ、ハヤシライス。昭和32年にはキャビアもフォアグラもトリュフも使ってませんでした。洋食が何よりの外食のご馳走だった時代。3人のシェフの合作プレートです。

デザートはシュークリーム!昭和のオシャレなスイーツといえば、何と言ってもシュークリーム!永遠のアイドルのようなものですね。

デザートはシュークリーム!昭和のオシャレなスイーツといえば、何と言ってもシュークリーム!永遠のアイドルのようなものですね。

グランターブル・キタムラの北村シェフより、お祝いのケーキがサプライズで届きました。

グランターブル・キタムラの北村シェフより、お祝いのケーキがサプライズで届きました。

最後のコーヒーは、これまた私の長年の付き合いである珈琲職人の友人に特別に昭和32年ブレンドを淹れてもらいました。昭和32年のコーヒー事情を振り返り、打ち返しという当時の淹れ方を再現!お世辞抜きにこれは本当に美味しかった!

最後のコーヒーは、これまた私の長年の付き合いである珈琲職人の友人に特別に昭和32年ブレンドを淹れてもらいました。昭和32年のコーヒー事情を振り返り、打ち返しという当時の淹れ方を再現!お世辞抜きにこれは本当に美味しかった!

当日ライブがあり参加できなかったケイコ・リーさんから映像でお祝いメッセージとハピバソングのプレゼント。

当日ライブがあり参加できなかったケイコ・リーさんから映像でお祝いメッセージとハピバソングのプレゼント。

料理人チームは、四間道レストランmatsuuraの松浦さん、コリエドールの野々山さん、ルマルタンペシュール現シェフの藤村さん。

料理人チームは、四間道レストランmatsuuraの松浦さん、コリエドールの野々山さん、ルマルタンペシュール現シェフの藤村さん。

ソムリエチームは、現ルマルタンペシュールのソムリエール、前田さんと梶原さん、2001年頃にソムリエだった佐藤さん、cafe&wine nonの今浦さん、六区の尾崎さん。

ソムリエチームは、現ルマルタンペシュールのソムリエール、前田さんと梶原さん、2001年頃にソムリエだった佐藤さん、cafe&wine nonの今浦さん、六区の尾崎さん。

歴代シェフが一緒に仕事する風景は、見ている方もジーンときましたね。

歴代シェフが一緒に仕事する風景は、見ている方もジーンときましたね。

この日のワインのラインアップ。主役が選んだワインは、いろいろな思い出が詰まったものばかり。一部のものはワインではなくなっていたという声も。でもそういうハプニングも含めての楽しさなのです。それを理解してくださったお客様に感謝でした。

この日のワインのラインアップ。主役が選んだワインは、いろいろな思い出が詰まったものばかり。一部のものはワインではなくなっていたという声も。でもそういうハプニングも含めての楽しさなのです。それを理解してくださったお客様に感謝でした。

友人の帰山人さん。珈琲職人ですが普段は別のお仕事してる人。珈琲は完全なる趣味の世界だけど、珈琲嫌いの私が美味しいと思える珈琲を唯一淹れてくれる人。

友人の帰山人さん。珈琲職人ですが普段は別のお仕事してる人。珈琲は完全なる趣味の世界だけど、珈琲嫌いの私が美味しいと思える珈琲を唯一淹れてくれる人。

ドレスコード昭和32年を忠実に守ってくれた友人たちに感謝。「オー!モーレッツ!」の小川ローザ風のいでたちで現れたのは、サロン・ド・タマラドの女主人。

ドレスコード昭和32年を忠実に守ってくれた友人たちに感謝。「オー!モーレッツ!」の小川ローザ風のいでたちで現れたのは、サロン・ド・タマラドの女主人。

なんとー!当日お祭りだったので、そのまま昭和感を背負ってきてくださったOさん

なんとー!当日お祭りだったので、そのまま昭和感を背負ってきてくださったOさん

昭和の未亡人をテーマに、ヘアメイクと着物のセレクト。実は当日のメニュー表などデザインしてくれたマルチデザイナーのトヨちゃん。

昭和の未亡人をテーマに、ヘアメイクと着物のセレクト。実は当日のメニュー表などデザインしてくれたマルチデザイナーのトヨちゃん。

よーく見ると、完璧な昭和感のおふたり。親友のSドクター夫妻です。

よーく見ると、完璧な昭和感のおふたり。親友のSドクター夫妻です。

主役とSドクター。よく似たスタイルでした。

主役とSドクター。よく似たスタイルでした。

皆さんにお手土産として持ち帰っていただいたのが、白木のあられ。ごぼうとおこげ。昭和32年のお菓子は、クッキーやチョコレートよりも圧倒的に米菓子だったんです。名古屋が誇る白木のあられを選びました。

皆さんにお手土産として持ち帰っていただいたのが、白木のあられ。ごぼうとおこげ。昭和32年のお菓子は、クッキーやチョコレートよりも圧倒的に米菓子だったんです。名古屋が誇る白木のあられを選びました。

あられにはこの帯を付けて。主役からのお手紙みたいな感じでね。それと、主役が還暦のソムリエですからね、当然ながらこのあられにぴったり合う赤ワインをセレクトしてもらいました。が、手元にないので画像がない泣。

あられにはこの帯を付けて。主役からのお手紙みたいな感じでね。それと、主役が還暦のソムリエですからね、当然ながらこのあられにぴったり合う赤ワインをセレクトしてもらいました。が、手元にないので画像がない泣。

参加された方にはジャーナリストがいらっしゃり、翌日の夕刊のコラムでこんな風に書いてくださっていました。

参加された方にはジャーナリストがいらっしゃり、翌日の夕刊のコラムでこんな風に書いてくださっていました。

ちょっと気恥ずかしいのですが番外編。当日はスタッフのまかない弁当を私が用意しました。だって買ってきたお弁当なんてプロの皆さんに申し訳ないもの。たとえ味はイマイチでも、手作りなら安心ですから。

ちょっと気恥ずかしいのですが番外編。当日はスタッフのまかない弁当を私が用意しました。だって買ってきたお弁当なんてプロの皆さんに申し訳ないもの。たとえ味はイマイチでも、手作りなら安心ですから。


最後まで長々と読んでくださってありがとうございました。プロデュースしたわたしの方が楽しんでいたということがよくおわかりいただけたのではないかと思う。これから年上のお兄さんやお姉さんが続々と還暦を迎えることになると思うので、これに気を良くして、還暦晩餐会のプロデュース業はじめようかな。それ以外にも、いろいろな晩餐会があってもいいよねぇ。生前葬のプロデュースなんて面白そうだな。不謹慎なんかじゃなくて、みんな死に向かって生きているのは間違いないんだもの。得意の妄想癖がこの日から止まらないのである。


これがお土産にしたあられとワイン。
私の手元にはなかったのだけど
今回のグラフィック系のものすべてのデザインをしてくれた
マルチデザイナーの豊田ミサゴさんが送ってくれたので、
追加掲載させていただく。


それでもって当日のメニュー表がこちら。
豊田ミサゴさんがデザインと和綴じ製本をしてくださった。
おかげで立派な8ページのメニューが完成。
職人ミサゴに心より感謝。
持つべきものは、手が器用で知識豊富なデキル友人ですな。


妄想クイーン活発な秋【えとせとら】


子供の頃から激しい妄想癖がある。そのほとんどが、ドリフの「もしも●●●な●●●がいたら」っていうあの「もしもシリーズ」みたいなもので、私がもし●●だったら、と、一人で妄想しては一人で「ダメだこりゃ」と突っ込んでは遊んでいる。言ってみれば、脳内一人遊びなので、誰にも迷惑をかけないし、お金もかからないし笑、どこにいたってできる。
今まで行ったことのない場所に取材で出かけると、「もしも私がこの土地に移り住んだら、どんな暮らしをするか」という妄想をよくする。山間の町なら、農業を楽しみながら古民家カフェ。都会なら、街角で占い師になる。海沿いの町なら、謎の女が営む小料理屋。妄想癖があるとは言っても、発想力がないので苦笑、だいたいこのレベルなんですけどね。
先日、我が家の近くにある飲食店に初めてお邪魔した時のことである。私のかつての妄想癖の内容を思い出し、しばらくその妄想が止まらなくなってしまって、翌朝が早いにもかかわらず眠れない夜があった。
その飲食店では、三重県尾鷲市の漁師さんから魚を仕入れているとのことで、新鮮で美味しい尾鷲のお刺身をいただくことができるのだけど、私の妄想のスイッチを押したのは、このお刺身の姿だった。
2年前のちょうど今頃、初めて尾鷲を取材で訪れ、港町の活気や浅黒い漁師さんたちのかっこよさ、それを支えるおかみさんたちの頼もしさ。街じゅうに魚が溢れているのに、魚臭さがなく、みんなツヤツヤの肌をしていて、何て素敵な街なんだろうと思ったのだった。ここなら住んでみたい、もし私がこの街に住むのなら・・・という妄想を何度も繰り返ししていたように記憶している。
尾鷲から来たお刺身ですよ、とお店の方に言われたこのお皿を見て、その時の妄想を急に思い出したのだった。
海のない街で生まれ育ったからか、港町の雰囲気には無条件に反応するきらいがある。もし私が尾鷲に住むのなら、やっぱり一人で居酒屋を営む謎の女だ。どこからともなくやってきた流れ者のような中年女が、小さなお店を始める。カウンター6席くらいの一階のお店で、二階が自宅になっている、よくある感じのお店。夕方4時頃から、仕事を終えた漁師たちが一杯ひっかけにやってくる。彼らは自宅で夕飯を食べなくてはいけないので、お店ではお酒のアテをちょっとつまむだけ。女将はそこのツボを心得ているので、小皿にアテを盛って出す。今日の海の話をさんざ話した後、数杯飲んで満足した漁師たちは6時には自宅へと帰ってゆく。それと入れ替わるようにして、地元のわけありアベック(笑)が2組くらいやってくる。アベックは放っておく、というのが女将の信条なので、お世辞を言うこともなく黙々と食事を出し、お酒を作り、程なくするとアベックも帰る。すると、さらに入れ替わるようにして、今度は意味ありげな女が一人入ってくる。実はこのお店は、10時以降は男性客お断りの札を掲げる店だった。女は恋愛の相談ごとにやってきたか、職場の愚痴を言いに来ている。女将は女の話を黙って聞き、話し疲れて酔いが回った女はいつの間にかカウンターで眠ってしまう。女将は肩に毛布を掛けてやり、小さなため息をひとつついて、暖簾をしまい、鍵をかける。
とまぁ、こういう妄想をし始めると止まらないのである。我が家近くの飲食店、あそこに行くときっと尾鷲の魚があるだろうから、またその夜は尾鷲の妄想で眠れなくなっちゃうんだろうな。美味しいお店だったので、今夜あたり、また行きたいのだけど。あ、明日の朝は早いんだったなぁ。ダメだ、こりゃ。


ホテルユニク【えとせとら】

最近の東海道新幹線に
広告がよく出ている
ビジネスホテルがある。
ホテルユニゾという
名前なのだけど
この名前を見るたびに
懐かしく思い出される
ご夫妻がいる。
10年ほど前まで、
パリのモンパルナスにあった
ホテルユニクの管理人夫妻。
ユニゾとユニク、
ちょっと似てるでしょ笑。
モンパルナス駅を背にして
右手に入る小さなモンパルナス通、
ここに、ホテルユニクはあった。
わたしにとって
パリの旅に必要なのは、
清潔で安全なベッドだったので、
便利で安価なホテルユニクは
最適な宿泊場所だった。
そのころは
ネットでホテルをとる時代ではなく
予約はいつも電話とFAX。
おばさんの方が
受付にいる時間帯をねらって
電話をかけ、
KONDOと告げると
必ず
Je connais bien!(わかってるわよ)
と笑って答えてくれた。
なぜおばさんがいる時間帯を
狙うかというと
おじさんの方は
かなりいい加減で
予約がとれていないことがあるから。
一度こんなことがあった。
飛行機の遅延で、
パリについたのが
夜中の24時になってしまった時、
ホテルユニクに行くと
満室で部屋がないという。
おじさんに電話したよ!
FAXも送ったよ!と言ったが
そんな予約は受けてない!
の一点張り。
夜中では
ホテルを探すこともできないので、
ロビーで寝かせてと頼み込むと
かわいそうに思ったのか
(当たり前といえば当たり前だけど)
おばさんが事務所の奥の
管理人室に呼んでくれて、
狭い寝室の床に
寝袋を用意してくれた。
おじさんとおばさんの
ベッドの間で寝かせてもらったのだ。
疲れてたから
ぐっすり寝たんだよね。
いつも日本から、
ホッカイロをお土産に持っていくと、
魔法みたいだ!
といって喜んでくれた
おじさんとおばさん。
高齢のため
ホテル管理人をやめられて
その後、
そのホテルは
大型ホテルチェーンのひとつに
生まれ変わってしまった。
おじさんとおばさんが
今どこでどうしているのか
知る由もないけど
なぜこんなことを思い出して
投稿してるかというと
東京からの新幹線が大雨で止まり
熱海で新幹線停止して
やっと動きだしたのはいいけど
名古屋着が
24時を過ぎてしまいそうで
目の前の掲示板に
ホテルユニゾの
広告宣伝文句が流れたからなのだ


美女のふるまい【えとせとら】

すみません、毒吐きです。
美女だと思ってた女性のビックリ仰天な振る舞い。
やっぱりある程度の年齢を重ねたら
外見だけじゃなくて内面も磨かないと
とんでもない愚女になってしまいます。
いい年した私自身も、
知らずに恥をかいていることはたくさんあると思うので
自戒をこめて。(その時はこっそり教えてね)
●日本の伝統文化を守りたいんです!と言う美女が、
 伝統工芸品を受け継ぐ日本家屋のお座敷に招かれた。
 裸足にサンダルでやってきた彼女は
 あろうことか、サンダルを脱いで素足のままお座敷へ。
 さらにはお座布団の上で立ったままご挨拶。
 お隣の紳士は、ぶっ倒れそうな顔してました。
●ハイブランドのオープントゥパンプスを履いた美女。
 あろうことか、ストッキングを履いてオープントゥパンプスを。
 つま先が開いているオープントゥパンプスは
 春も秋も、たとえ冬でも、絶対に素足で履かなきゃダメなはず。
 もちろん真夏の今ならありえないですよね。
 ハイブランドを、一年中履きたい気持ちはわかるけど苦笑。
素足で人様のお宅に上がらないこと、
オープントゥは素足で履くこと、
この二つは、法律で取り締まって欲しい。
※わたしのウチに遊びに来てくださるお友達には
 素足でいいよー、床の間もお座敷もないし、
 といつも言ってますので、ご遠慮なくね。


蓄音機の夕べ再び【えとせとら】


蓄音機にはじめて出逢ったのは1年半くらい前のことか。友人Sドクター夫妻のご自宅で催された蓄音機のコンサートディナー会でのこと。わたしたちが普段聴き慣れている電気的な媒介を通しているものと明らかに異なるその音は、ひと晩たっても体から消えることなく残っていた。その時の蓄音機の残像について書いたコラムはこちら
その残像が忘れられず、後日、某レストランで蓄音機による音楽とお料理とワインを調和させようという無謀な試みをSドクターとともに楽しんだこともあった。「そろそろまた聴きにこない?SP盤がけっこう増えてるからさ!」とお誘いいただき、第3弾のコンサートディナー会にお邪魔してきたのだ。


前々回のSドクター夫妻宅、前回の某レストランでの会から、時間も経っているし、わたしたちの耳も蓄音機に慣れてきたのと、Sドクターのコレクションが増えているので、時代ごとにSP盤の音源に違いがあることを聴き分けることができたのは驚きだった。
エディット・ピアフの「La vie en rose」は、蓄音機の隆盛期といってもいいと思うのだけど、まるでそこにピアフがいるかのような臨場感とピアフの緊張感が蓄音機から放たれて、思わずこっそり落涙してしまった。ところがもう少し時代が後になると、おそらく録音方法も進化したのか、エルビス・プレスリーの「Love me tender」では、プレスリーが蓄音機の前で聴く人々の表情を思い浮かべながら唄っているかのような余裕を感じるのである。エルガー自身の指揮による「威風堂々」は、前半がびっくりするほどテンポが速くて、エルガーは本当はこの速さで、あの名曲を聴いて欲しかったのかなーと想像したり。


Sドクターのコレクションには日本の古いものもいっぱいある。春日八郎、三波春夫、美空ひばり、霧島昇、笠置シズ子などなど、懐メロで聴いたことがある唄ばかり。中でも印象的だったのは、西条八十作詞、服部良一作曲、藤山一郎歌唱による「青い山脈」。♬若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く♬っていうあの唄ね。Sドクターによると、これは世の中が暗く落ち込んでいた戦後から、復興を願って新しい時代への希望がこめられた唄なのだとか。♬古い上着よさようなら さみしい夢よさようなら♬という歌詞はまさに新しい時代に踏み出そうとする気持ちそのものである。戦後復興を目指す日本人が、蓄音機から流れる「青い山脈」で気持ちを奮い立たせたのかなと想像してたら、再びこっそり落涙。やっぱり蓄音機には、音楽以上の影響力をわたしたちに及ぼすようである。


蓄音機はSドクターがぜんまいを手回ししたり
一枚ずつ針を変えたりする手間がかかるので
お料理はみんなで持ち寄り。
すごいラインアップのメニューになりました。


これがこの日の蓄音機コースメニュー!
いつもながら、Sドクターのセンスには脱帽です。
あ!先生のコレクションにピアフのpadampadamを見つけたのに
かけてもらうのをすっかり忘れてた!今度お願いします!笑


この日のごはんは、
萌黄色の春らしいお鍋
しかも名前入りのバーミキュラ鍋で炊いた
あさりご飯!


あさりご飯に
柚子をかけてくださるSドクター。


アートもインテリアも
お料理もワインも
とにかく素敵なSドクター夫妻のご自宅。
いつもありがとうございます。
また次回もぜひよろしくお願いいたします!


失敗と誠意

知人がオススメの居酒屋に連れていってくれた。
新鮮なお魚に旬の野菜をふんだんに使ったお皿はどれもおいしくて、
お店の大将とはカウンター越しに話が盛り上がり、
楽しいひとときを過ごしていた。
最後に、二人とも焼きおにぎりを選択。
私たちの目の前で、ちょうど頃合いに焼けたおにぎりを
大将がお皿にのせようとしたその時、
不運にも焼きおにぎりは引力の法則に従って床へ一直線。
知人と思わず目を合わせる私。
すると大将は、何事もなかったかのように
拾ったおにぎりをまな板の上にのせて、二度目の醤油をはけで塗り始めた。
そしてもう一度網の上にのせて焼き台へ。
およそ5分後、私の元にはカリッカリッに焼かれたフレーク状のおにぎりが出されたのである。
残念ながらおいしい物ではなかった。

帰り道、もし私が大将だったら・・・と考えてみる。
潔く謝り、新しく焼き直して出し、
お漬け物かデザートをサービスしちゃうだろう。
私がお客だったら、それだけの「誠意」を示してもらえれば、
納得すると思う。
でもこれって、「余分に出してくれなきゃ許してやんないぞ」
というかなり「いやらしい根性の持ち主」でもあるわけで。
結局のところ、失敗した側もそれを許す側も、
「人間性」が出るものなのだなと妙に納得した夜だった。


すわ野口五郎!!!

昨日は、人毛かつらを作る浜松のサロンに取材でお邪魔してきた。
化学繊維毛と人毛では、重さや汗のこもり具合が全然違うらしく、
それを実感するために、化学繊維毛のかつらを試着させてもらったのだ!
確かに重くて暑い。夏はそれが原因で熱中症になることもあるのだとか!


私のかつら着用姿を写真に撮ってディレクターS氏が喜んでいたので、
「くっそ〜、他にかつらが似合いそうな人いないかしら?」と探すと、
いましたいました、エディターのN氏。
上が使用前、下が使用後。浪人生風から野口五郎に早変わり!
売れないフォーク歌手との説もあり、取材現場は大盛り上がりだった。


お相撲場所は社交場だ

名古屋場所は暑い。
暑い暑いとぶつぶつ言いながら、今日はお相撲観戦に行った。
とは言っても、お相撲そのものにはさほど興味はなく、
どちらかと言うと名古屋の夏の風物詩を楽しんでいる方である。


はじめてお相撲を見たのはいつのことだっただろうか。
目の前で繰り広げられるスポーツよりも
美しく彩られた土俵まわりの、日本の伝統色に目がいってしまったことを覚えている。
お相撲さんのまわし、土俵にぶら下がっているふさ(の表現でいいのか?)
行司の着物の色、お弟子さんたちの浴衣の色・・・。
歌舞伎で出てくる正絹の深い色合いに似て、モダンである。


周りを見回してみると、私同様お相撲そのものを真剣に見ているというよりも雰囲気派が多数いて、今日もその手合いの話を盗み聞きしてしまった。

「ほら、また来てる。あの人、どっかのママだよね」
「そうそう、毎年同じ場所に座ってテレビに映ってる人ね」

砂かぶりと呼ばれる席に必ず座るクラブHのJママのことだ、と思った。

テレビでお相撲を見る場合、テレビカメラは正面から向正面を映す。
必然的に、取組の最初に向正面の前列に座っている観客の顔はばっちりテレビに映るのである。
「顔」を売る仕事の方が積極的にその場所で観戦したがるのは、テレビを意識してのもの。(もちろん純粋に観戦を楽しんでいる人もいるが)
だから、クラブでお仕事している女性や芸能人など、知った顔が映るとテレビのこちら側では結構話題になったりする。
逆に「通」は正面に座り、テレビカメラと同じ視点で取組を楽しむのだとか。


今でこそ、テレビカメラがあるので、本人の意志とは無関係に顔が映しだされることがあるが、
実は昔から、相撲場所というのは、誰々が来てたとか誰々と会ったとか、社交場のような性格を持っていたのでは?と思ったことがあった。

何年か前、今日と同じように、父や叔父と共にお相撲観戦をした時のこと。

叔父K「あの富士山みたいな頭は?どこの子だ?」
叔父S「見たことない子だなぁ」
父「キモノは華やかでいいね」
叔父S「見てるだけでもいいなぁ」
父「あ〜ゆ〜のより、西側に座ってる感じの方がいいなぁ」
一同、西側のキモノ姿の女性軍団を注目。
叔父K「あれは名古屋じゃないね、京都あたりから来てるね」
叔父S「なんでわかるの?」
叔父K「雰囲気が全然違う。祇園あたりの匂いがする〜」
叔父S「なるほどね、あれは素人さんじゃない、独特の雰囲気」
父「祇園ね〜、い〜ね〜」
一同「確かに〜。あっちがいい」

お相撲よりもずっと盛り上がっていたこの会話を聞き、
お相撲場はスポーツ観戦以外の目的も大いにあり得る、と確信することができた。
やれやれ。
我が父、我が叔父ながら、名古屋と京都の差異を見分けるとは、見事な観察眼であった(笑)。


今の症状を言うのなら・・・

一昨日、タクシーに乗って取材先から帰る途中に、後ろから追突されてしまった。
体全体ががっくんと前にのめり、シートに深く倒される。
大したスピードではなかったが、タクシーのバンパーに大きなへこみが出来た。
後ろの車の運転手は、携帯でメールをしていたらしい。
私は大したことはなかったが、同乗していた人が木箱を抱えて座っていたため、
木箱と前のシートで胸を強く打ち、ずいぶん痛がっていたので、
事故処理はタクシーに任せて病院に向かった。
幸い、同乗者は打ち身だけで済んだようで、湿布を貼って休んでいたら痛みはすぐにひいていった。
私もむち打ちが心配ではあったが、とりあえず痛みもなかったので、湿布をいただいて帰宅した。

次の日になると痛くなるかも、と脅されたので心配していたが、翌朝になっても痛みはない。
症状は、頭がぼぉ〜っとしている、だけである。
それはただ眠いだけかも!(いつものこと!)
これなら大丈夫そうだ、と安心していたら、今日になって尾てい骨が痛みはじめた。
中腰になると特に痛い。
おばあさんのごとく「いてててて」と言いながら立ったり座ったり。

もしかして、症状はむち打ちよりももっとひどくて、
ぶつかったショックで背骨が縮み、尾てい骨に影響を及ぼしたか?とありえない想像に至った。
どうしよう、整形外科に行った方がいいだろうか。

リビングで横になりながら悩む私の視界に、椅子が見えた。

あ・・・そうだった、落ちたんだった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

追突された前日、
本棚の一番高い所にあるモノをとろうとして、
よせばいいのに滑車のついた椅子に登り、お尻から真っ逆さまに落下したのである。

その時したたかに打ちつけた尾てい骨が、今日になって傷みだしたのだ。
(おそらく一昨日から痛みはあったが、追突のショックでそちらに気が取られ、
尾てい骨の痛みに気づいたのが今日、という感じ)

昨日の事故が頭にあって、一昨日の落下はすっかり忘れていた。

なんということ!

今の私の症状は、むち打ちでもなければ尾てい骨損傷でもない。
ただの「健忘症」であった。




まりもっこり

昨日の「あさりはまぐりしゃぶしゃぶ」コラムの最後のイラストに、
友人たちが食いついた食いついた!
これは誰?とか、マリコはどれ? とかいうメールをいただいた。

皆さんご想像の通り、私は板の上にのっております。

私の顔、何かに似てると思いませんか?

そう、ここのところ人気の「まりもっこり」のキャラクターに、
私の顔がそっくりだと、イラストレーターの多喜田保子が言うのだ。


彼女が私を呼ぶ時は「マリモッコリ」または「モッコリーナ」。
そして、イラスト上の私の顔はすべてまりもっこりになっている次第。
最初は、マリの2文字が一緒だからだ・・・と思っていたら、
そうではなくて、顔が似ていると言うのだ。
自分ではまったく自覚がないのだけれど、イラストレーターの眼で見ると、似ているらしい。


一昨日送ってきた携帯添付メールがこちら。
プレゼンの仕事で紙粘土イラストを作っていたら、
紙粘土が余ったので「みんなの顔を作ったよ〜」とのこと。
どの顔も、本人の特徴をとってもよく捉えているので、思わずぷっと笑ってしまう。


イラストレーターの眼は、すごいんだなぁと実感しつつ。
このweb siteのプロフィール写真を改めて見てみたら、私の目とまりもっこりのふざけた目、似ているではないか!(ちなみにこの写真は多喜田保子による撮影だった)

やっぱり似てたのか・・・。


こちらは、上の写真から衣替えした私の顔。
題して「やどかりモッコリ」なのだそう。
(マリの字が消えているっっっ!
 すでに独立したキャラクターになってしまった?)


そして、これが、私と友人カメラマン二人のためのイラスト。
琵琶湖畔でプンスカ怒りまくっている私たちのエピソードを、イラストにして送ってくれた。

この時は、滋賀のある町に取材で訪れていて、その先で「アッタマにくること」があったのでメールで愚痴ると、数時間後にこのイラストを送ってくれたというわけだ。このイラストを見て、私たちは大笑い。もちろんプンスカ怒りも収まった。


最後の一枚。
こちらのエピソードは、ご想像におまかせいたします。
多喜田保子いわく、
近藤マリコの生態を見事に描き出せるのは彼女だけ、なのだそうだ。
あはは。


逆インタビューの初体験

友人のフリーアナウンサー・加藤千佳ちゃんがパーソナリティーをつとめるMid-FMの番組にゲスト出演させていただいた。千佳ちゃんとは7年来のお友達で100%プライベートなおつきあい。


今回がはじめての「職場訪問」みたいな感じで、なんだか不思議な気分だった。この番組は、千佳ちゃんのお知り合いを中心に毎週ゲストを迎えていて、そのゲストの人となりや活動を、千佳ちゃんがインタビューしながらおもしろ楽しく聞き出していくという趣旨のもの。普段の仕事内容から言えば、私は「インタビューする側」なので、今日のように「インタビューされる側」は初体験だった。
「事前の用意なんて要らないですよ〜。いつも通りに私とお話してくだされば、ちゃんとナビしますから大丈夫」という千佳ちゃんの言葉通り、本当にいつものおしゃべりの延長のように、あっという間に1時間が終わってしまった。あんなんで良かったのかしら?


インタビューされていると、いろんなことが分かってきた。聞き手は、ゲストの話の中からおもしろいネタの糸口を探し、その話題を掘り下げ、さらに他の話題にも触れながら全体をまとめあげていく。私の場合は、後日制作に取り組む原稿の構成を頭の中で考えながら、取材をする。
でも、インタビューされる側は特に考えなくても良いのである。ひたすら聞かれたことに分かりやすい回答をすればそれでいいのだ。
・・・・・ということは「答えやすい質問」をきちんと相手にぶつけることが必要なんだな。今日の千佳ちゃんの質問はすべて分かりやすく答えやすいものばかりだった。だから知らないうちに1時間が過ぎてしまったし、私自身楽しい思いをさせていただいた。こんな単純なインタビューの基礎を、今日改めて思い知ったのである。
私はインタビューしている相手に、こんな心地よい思いをさせているだろうか。
たま〜に考えすぎた質問をぶつけてしまい「難しい質問ですね」などと言われることがある。あれじゃあダメなんだな〜。


逆インタビューされてみてはじめて、インタビューのコツを千佳ちゃんから教わったような気がする。千佳ちゃん、とても良い経験になりました。どうもありがとうございました。
(前髪を切りすぎて、ワカメちゃんになってしまったワタクシ。恥ずかしいので、前髪は隠しておりますの)


ファントムに会いそこねた赤い夜

先週、ミッドランドスクエアの「ナイトショッピングwithオペラ座の怪人」というパーティーイベントがあった。ミッドランド全館がパーティー会場となっていて、招待状がないと中に入れない仕組み。ドレスコードは「赤」だった。
会場についた頃にちょうど始まったのがオペラ座の怪人に出演している方々のトークショー。エントランスにはウェルカムドリンク(スパークリングワインが赤色のロゼで凝った演出)が置かれ、レッドカーペットが敷かれて、さながら映画祭のような雰囲気。ドレスコードが赤なので、皆さんどこかに赤をあしらったファッションで、ミッドランドのどこを見回しても、赤色アクセントが目に入る。実りの秋のスタートにふさわしい色合いだった。


私は爪の先っちょだけ赤ネイルに、
ワインレッドのバッグで。


私の最も若いボーイフレンドのノゾム君は
赤いネクタイで参加でした。
(ネタをあかせばただの甥っこなんですが)


赤色コーデで始まり、ショッピングの特典や飲食店10%オフなど、いろいろお楽しみテーマはあったが、私が一番キャーキャー言ったのは、帰り際に見た「怪人」の姿だった。エスカレーターで階下に降りる時に、イベントに使われた怪人の人形を片付ける風景に出くわしたのである。目の悪い私は、遠目で見たらそれが完全に「人間が演じている怪人」だと勘違い。「わ〜。ファントムだ〜」と叫んで慌てて階下へ。意外に冷静な甥っこノゾムは、「あ、あれ人間じゃないよ、人形だよ」と言って軽くスルー。
なぁ〜んだ。人形か・・・・・・。
ここで天井から例の「ははははははははは」という声が聞こえてきて、ミッドランドのホワイエをファントムが飛ぶように登場したら「チョー感動するのに〜」(んなことあるワケないですよね)
妄想好きのアイデアは一人撃沈し、初秋の夜はスルーっと更けていった。


熟女に熟男

先日、とある場所でおこなわれた会合にて、とある20代後半イケメンから声をかけられた。
「近藤さん、僕のすっごいタイプなんですけどぉ〜。今度飲みに誘ってもいいですか?」と。
タ、タ、タイプって誰が誰の???とハテナマークで頭がいっぱいになったところで、周りにいた人たちから面白がってもてはやされ、そこでイケメン君の強烈な一言があった。
「友達にもよく言われるんですけど、僕、熟女好きなんですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

じゅ、じゅ、じゅくじょって私のことですか???
まるでハンマーで殴られたかのような(ってこの表現自体が古くて熟女っぽいけど)衝撃を受けて、一瞬もてた喜びよりも、熟女と言われたショックの方が大きく、会合を終えると、一人とぼとぼ帰路を急いだ。


40代にもなれば完璧に熟女、ですよね。確かにそうだ。でもなにも面と向かって言うことないじゃないか!と思い、かつて熟女好きだったという同年代のIさんに聞いてみたところ「20代後半の男性にとっては、大人っぽい40代の女性は魅力的に思えるもの」らしい。ふ〜ん、そうなのか。彼らにしてみれば、熟女は褒め言葉なんですな、きっと。


そこで、はたと私も考えた。普段から年上の方々とご一緒する機会が多い私。気づかないうちに、褒めたつもりで発した言葉で年上の相手を傷つけてはしまいかと。年齢を重ねることで人の魅力は増すものだと信じ込んでいるので、いぶし銀とか、渋いとか、素敵なオネエサマとか、そんな言葉を好んで使っている。でも言われた本人は、いぶされて汚い?とか、渋いって苦みばしってるってこと?、オネエサマじゃなくて名前で呼んで!などと思われているかもしれない。言葉が罪なのか、厳しい現実が罪なのか。言葉を生業にしているのだから、もう少し慎重にならなければ、ね。


それにしても不思議なのは、熟女という言葉があるのに、熟男という言葉はないですよね。男性の場合はなんて言うのかしら?字面を追って見れば、熟した女と書くのだから、フルーツで言えば「食べごろ」。ま、悪くないか。いやいや、熟した後は腐るのを待つのみ。やばい。腐る前になんとかせねば。と、くだらぬ妄想していて、気づくともうこんな時間!今日は〆切原稿があり、外出しないでパソコンに向かう一日と決めていたのに、あっという間に時が過ぎてしまった。やらなきゃ、仕事!


最後に、これが今日のおやつ♬
先週末にお手伝いした円頓寺商店街のイベントの時、
地元の小学生の子から「オネエサン、あげる!」と言われたので
喜びいさんでもらったおやつセット、なつかしのポン菓子もある!


オバマ大統領!


じゃじゃ〜ん!
オバマ大統領スピーチの招待状!


と言っても、残念ながら私が出席したわけではない。ホワイトハウスから、我が姪っこちゃんのところにやって来た招待状なのだ。上智大学の英語学科の学生を対象に大使館から招待があり、くじ運の良い姪っこちゃんが当たったというわけ。


学生は2階席に座るように指示されたが、出席者に女性が少なかったので、姪っこちゃんたちは、女性人数調整でなななんとVIP席へと移動させられたのだとか。まぁ、その感覚がいかにも日本人だな〜とビックリしつつも、アメリカ大統領の演説を聞けるなんて、なんてラッキーなことでしょうね〜とうらやましく思っていた。姪っこちゃんによると、オバマ大統領はメモを一切見ないで、観客の方だけを見つけて最後までスピーチをしたそうだ。


うらやましく思った割にアメリカにまったく興味のない私は、オバマ大統領の来日よりも演説よりも気になることがあった。それは、大統領の来日が一日遅れてしまったこと。もちろん遅れた理由はもっともなことで、然るべき対応だったとは思うけれど、直前に一日延びることが日本の受け入れ体制側にどれほどの影響があったかを他人事ながら憂いてしまったのである。印刷物の日にちの刷り直しはどうなるの? 晩餐会の食材の仕入れは大丈夫だろうか???と特にこの二つの案件を心配してしまったのである。もし私がそのどちらかの担当者だったら、きりきりしながらこの数日を過ごしていただろうな〜。


もろもろ細かい段取りを完了して、我ながら完璧!と自己満足にふけった後に、急な訂正やら状況の変化があった時、めちゃめちゃ混乱するのが私の情けない性分なのだ。これで完璧だと自己満足してアップさせた原稿に大幅な直しが入った時、あるいは一日刻みで完璧なスケジュールを作ったにも関わらず先方の事情で作り直しを余儀なくさせられた時など、一からやり直すというリセットボタンがなかなか押せないのである。


電気製品の調子が悪くなった時に、一旦電源を抜いてもう一度電源を入れ直すともと取りになることがあるように、私もリセットの状況に陥った時はすべての思考のスイッチをオフにして、見知らぬ場所へふらっと出掛けてしまうことにしている。それは時に一人旅になったり、一人食事になったり、やみくも散歩になったり。リセット状況によって程度は様々、である。


まる一日あるいは数時間のスイッチオフで、バッテリーを交換することができるのだ。(と信じているだけだけど)こうしてメンテナンスした後は、すっきりした頭で案件にとりかかることができる。
お仕事先の皆様、たま〜に携帯電話の電源が切れている時は、どこかで充電山ごもりしているか、本当に地下鉄に乗っているかなので、ご用件は留守番電話が承ります。ちゃんと折り返ししますので、ご伝言を残してくださいませね!


同級生の無条件シンパシー

いよいよ師走。毎年12月になるたびに、1年が早いなぁ、昔よりも時間の流れが圧倒的に早くなったなぁと実感する。それは、分母(自分の年齢)が毎年増えていくので、多くなった分母に対しての分子(1年)は当然ながら短く感じるからだそうだ。確かに、3歳にとっての1年は3分の1でしかないが、30歳にとっての1年は30分の1となるから、短く感じるという理屈はうなづけるものがある。
ところが、年をとればとるほど短くなっていく「時の感覚」が、ある一瞬、止まることもある。今年はそれを何度も体感した1年となった。何十年かぶりに同級生たちに会い、まるで時が止まったかのような楽しい時間を過ごすことが出来たのである。
それは、6月のある朝、1枚のハガキを受け取ったことに始まった。


イラストレーターの伊藤ちづるさんから届いたそのハガキは、6人の作家によるバッグ展のお知らせだった。ちづるさん以外の作家の名前に、中学校の同級生と同姓同名を見つけたのである。井戸えりちゃんだった。バッグ展にお邪魔すると、すぐに互いを認識し、なんと30年の時を超えて一気に中学1年生に戻ることができた。


2回目はこのコラムがきっかけだった。高校の同級生の岡田くんが、児童小説を出版したことを紹介すると、それを読んだHさんが岡田くんと知り合いだったことがわかり、「岡田さんと同級生なんだ!じゃあ今度一緒に飲みましょう!」と誘ってくださったのだ。オトナになった者同士、はじめてお酒を酌み交わし、岡田くんを朝帰りさせてしまった!Hさん、あの時はありがとうございました。
3回目は9月だった。大学のゼミの同級生だった松崎くんが、名古屋出張になったからと連絡をくれたのである。松崎くんとは、彼の結婚式に会ったのが最後で、その後、彼は海外駐在を繰り返したので、会うチャンスがなかったのだ。十何年ぶりに食事をし会話を楽しんでいたら、松崎くんがつぶやいた。「松崎クンか。そんな風に呼ばれたの何年ぶりだろ。なんかいいな!」今や部下を何人も抱える国際派のビジネスマンだけど、私にとってはやはり松崎くん、である。前述の岡田くんにしても、広告会社の社長サンで、いろんな事業を興す企画マンで、実は偉い人なのだ。えりちゃんに至っては、作家の先生である。


でも、私にとっては永遠に、えりちゃん、岡田くん、松崎くんなのだ。
同じ時代をずっと一緒に生きている感覚や、元が知れているので気取る必要がないことや、仕事で知り合っていないから余分なことを考えなくてもいいことやら、とにかく同級生はいいもんです。同級生というだけで、無条件にシンパシーを感じてしまう私の今の楽しみは、年明けに行われる高校の同窓会だ。ひょんなことがきっかけで岡田くんが企画してくれたのである。名付けて、私立文系同窓会。そう、高校3年の時のクラス編制で、私立文系の大学を目指すクラスにいた十数名が会するのである。同級生と過ごす心地よさにすっかり味をしめた私は、同窓会で皆にいっぱいシンパシービームを送ることにいたしますわ。岡田くん、よろしくね。