えとせとら

同級生の無条件シンパシー【えとせとら】

いよいよ師走。毎年12月になるたびに、1年が早いなぁ、昔よりも時間の流れが圧倒的に早くなったなぁと実感する。それは、分母(自分の年齢)が毎年増えていくので、多くなった分母に対しての分子(1年)は当然ながら短く感じるからだそうだ。確かに、3歳にとっての1年は3分の1でしかないが、30歳にとっての1年は30分の1となるから、短く感じるという理屈はうなづけるものがある。
ところが、年をとればとるほど短くなっていく「時の感覚」が、ある一瞬、止まることもある。今年はそれを何度も体感した1年となった。何十年かぶりに同級生たちに会い、まるで時が止まったかのような楽しい時間を過ごすことが出来たのである。
それは、6月のある朝、1枚のハガキを受け取ったことに始まった。


イラストレーターの伊藤ちづるさんから届いたそのハガキは、6人の作家によるバッグ展のお知らせだった。ちづるさん以外の作家の名前に、中学校の同級生と同姓同名を見つけたのである。井戸えりちゃんだった。バッグ展にお邪魔すると、すぐに互いを認識し、なんと30年の時を超えて一気に中学1年生に戻ることができた。


2回目はこのコラムがきっかけだった。高校の同級生の岡田くんが、児童小説を出版したことを紹介すると、それを読んだHさんが岡田くんと知り合いだったことがわかり、「岡田さんと同級生なんだ!じゃあ今度一緒に飲みましょう!」と誘ってくださったのだ。オトナになった者同士、はじめてお酒を酌み交わし、岡田くんを朝帰りさせてしまった!Hさん、あの時はありがとうございました。
3回目は9月だった。大学のゼミの同級生だった松崎くんが、名古屋出張になったからと連絡をくれたのである。松崎くんとは、彼の結婚式に会ったのが最後で、その後、彼は海外駐在を繰り返したので、会うチャンスがなかったのだ。十何年ぶりに食事をし会話を楽しんでいたら、松崎くんがつぶやいた。「松崎クンか。そんな風に呼ばれたの何年ぶりだろ。なんかいいな!」今や部下を何人も抱える国際派のビジネスマンだけど、私にとってはやはり松崎くん、である。前述の岡田くんにしても、広告会社の社長サンで、いろんな事業を興す企画マンで、実は偉い人なのだ。えりちゃんに至っては、作家の先生である。


でも、私にとっては永遠に、えりちゃん、岡田くん、松崎くんなのだ。
同じ時代をずっと一緒に生きている感覚や、元が知れているので気取る必要がないことや、仕事で知り合っていないから余分なことを考えなくてもいいことやら、とにかく同級生はいいもんです。同級生というだけで、無条件にシンパシーを感じてしまう私の今の楽しみは、年明けに行われる高校の同窓会だ。ひょんなことがきっかけで岡田くんが企画してくれたのである。名付けて、私立文系同窓会。そう、高校3年の時のクラス編制で、私立文系の大学を目指すクラスにいた十数名が会するのである。同級生と過ごす心地よさにすっかり味をしめた私は、同窓会で皆にいっぱいシンパシービームを送ることにいたしますわ。岡田くん、よろしくね。


オバマ大統領!【えとせとら】


じゃじゃ〜ん!
オバマ大統領スピーチの招待状!


と言っても、残念ながら私が出席したわけではない。ホワイトハウスから、我が姪っこちゃんのところにやって来た招待状なのだ。上智大学の英語学科の学生を対象に大使館から招待があり、くじ運の良い姪っこちゃんが当たったというわけ。


学生は2階席に座るように指示されたが、出席者に女性が少なかったので、姪っこちゃんたちは、女性人数調整でなななんとVIP席へと移動させられたのだとか。まぁ、その感覚がいかにも日本人だな〜とビックリしつつも、アメリカ大統領の演説を聞けるなんて、なんてラッキーなことでしょうね〜とうらやましく思っていた。姪っこちゃんによると、オバマ大統領はメモを一切見ないで、観客の方だけを見つけて最後までスピーチをしたそうだ。


うらやましく思った割にアメリカにまったく興味のない私は、オバマ大統領の来日よりも演説よりも気になることがあった。それは、大統領の来日が一日遅れてしまったこと。もちろん遅れた理由はもっともなことで、然るべき対応だったとは思うけれど、直前に一日延びることが日本の受け入れ体制側にどれほどの影響があったかを他人事ながら憂いてしまったのである。印刷物の日にちの刷り直しはどうなるの? 晩餐会の食材の仕入れは大丈夫だろうか???と特にこの二つの案件を心配してしまったのである。もし私がそのどちらかの担当者だったら、きりきりしながらこの数日を過ごしていただろうな〜。


もろもろ細かい段取りを完了して、我ながら完璧!と自己満足にふけった後に、急な訂正やら状況の変化があった時、めちゃめちゃ混乱するのが私の情けない性分なのだ。これで完璧だと自己満足してアップさせた原稿に大幅な直しが入った時、あるいは一日刻みで完璧なスケジュールを作ったにも関わらず先方の事情で作り直しを余儀なくさせられた時など、一からやり直すというリセットボタンがなかなか押せないのである。


電気製品の調子が悪くなった時に、一旦電源を抜いてもう一度電源を入れ直すともと取りになることがあるように、私もリセットの状況に陥った時はすべての思考のスイッチをオフにして、見知らぬ場所へふらっと出掛けてしまうことにしている。それは時に一人旅になったり、一人食事になったり、やみくも散歩になったり。リセット状況によって程度は様々、である。


まる一日あるいは数時間のスイッチオフで、バッテリーを交換することができるのだ。(と信じているだけだけど)こうしてメンテナンスした後は、すっきりした頭で案件にとりかかることができる。
お仕事先の皆様、たま〜に携帯電話の電源が切れている時は、どこかで充電山ごもりしているか、本当に地下鉄に乗っているかなので、ご用件は留守番電話が承ります。ちゃんと折り返ししますので、ご伝言を残してくださいませね!


熟女に熟男【えとせとら】

先日、とある場所でおこなわれた会合にて、とある20代後半イケメンから声をかけられた。
「近藤さん、僕のすっごいタイプなんですけどぉ〜。今度飲みに誘ってもいいですか?」と。
タ、タ、タイプって誰が誰の???とハテナマークで頭がいっぱいになったところで、周りにいた人たちから面白がってもてはやされ、そこでイケメン君の強烈な一言があった。
「友達にもよく言われるんですけど、僕、熟女好きなんですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

じゅ、じゅ、じゅくじょって私のことですか???
まるでハンマーで殴られたかのような(ってこの表現自体が古くて熟女っぽいけど)衝撃を受けて、一瞬もてた喜びよりも、熟女と言われたショックの方が大きく、会合を終えると、一人とぼとぼ帰路を急いだ。


40代にもなれば完璧に熟女、ですよね。確かにそうだ。でもなにも面と向かって言うことないじゃないか!と思い、かつて熟女好きだったという同年代のIさんに聞いてみたところ「20代後半の男性にとっては、大人っぽい40代の女性は魅力的に思えるもの」らしい。ふ〜ん、そうなのか。彼らにしてみれば、熟女は褒め言葉なんですな、きっと。


そこで、はたと私も考えた。普段から年上の方々とご一緒する機会が多い私。気づかないうちに、褒めたつもりで発した言葉で年上の相手を傷つけてはしまいかと。年齢を重ねることで人の魅力は増すものだと信じ込んでいるので、いぶし銀とか、渋いとか、素敵なオネエサマとか、そんな言葉を好んで使っている。でも言われた本人は、いぶされて汚い?とか、渋いって苦みばしってるってこと?、オネエサマじゃなくて名前で呼んで!などと思われているかもしれない。言葉が罪なのか、厳しい現実が罪なのか。言葉を生業にしているのだから、もう少し慎重にならなければ、ね。


それにしても不思議なのは、熟女という言葉があるのに、熟男という言葉はないですよね。男性の場合はなんて言うのかしら?字面を追って見れば、熟した女と書くのだから、フルーツで言えば「食べごろ」。ま、悪くないか。いやいや、熟した後は腐るのを待つのみ。やばい。腐る前になんとかせねば。と、くだらぬ妄想していて、気づくともうこんな時間!今日は〆切原稿があり、外出しないでパソコンに向かう一日と決めていたのに、あっという間に時が過ぎてしまった。やらなきゃ、仕事!


最後に、これが今日のおやつ♬
先週末にお手伝いした円頓寺商店街のイベントの時、
地元の小学生の子から「オネエサン、あげる!」と言われたので
喜びいさんでもらったおやつセット、なつかしのポン菓子もある!


ファントムに会いそこねた赤い夜【えとせとら】

先週、ミッドランドスクエアの「ナイトショッピングwithオペラ座の怪人」というパーティーイベントがあった。ミッドランド全館がパーティー会場となっていて、招待状がないと中に入れない仕組み。ドレスコードは「赤」だった。
会場についた頃にちょうど始まったのがオペラ座の怪人に出演している方々のトークショー。エントランスにはウェルカムドリンク(スパークリングワインが赤色のロゼで凝った演出)が置かれ、レッドカーペットが敷かれて、さながら映画祭のような雰囲気。ドレスコードが赤なので、皆さんどこかに赤をあしらったファッションで、ミッドランドのどこを見回しても、赤色アクセントが目に入る。実りの秋のスタートにふさわしい色合いだった。


私は爪の先っちょだけ赤ネイルに、
ワインレッドのバッグで。


私の最も若いボーイフレンドのノゾム君は
赤いネクタイで参加でした。
(ネタをあかせばただの甥っこなんですが)


赤色コーデで始まり、ショッピングの特典や飲食店10%オフなど、いろいろお楽しみテーマはあったが、私が一番キャーキャー言ったのは、帰り際に見た「怪人」の姿だった。エスカレーターで階下に降りる時に、イベントに使われた怪人の人形を片付ける風景に出くわしたのである。目の悪い私は、遠目で見たらそれが完全に「人間が演じている怪人」だと勘違い。「わ〜。ファントムだ〜」と叫んで慌てて階下へ。意外に冷静な甥っこノゾムは、「あ、あれ人間じゃないよ、人形だよ」と言って軽くスルー。
なぁ〜んだ。人形か・・・・・・。
ここで天井から例の「ははははははははは」という声が聞こえてきて、ミッドランドのホワイエをファントムが飛ぶように登場したら「チョー感動するのに〜」(んなことあるワケないですよね)
妄想好きのアイデアは一人撃沈し、初秋の夜はスルーっと更けていった。


逆インタビューの初体験【えとせとら】

友人のフリーアナウンサー・加藤千佳ちゃんがパーソナリティーをつとめるMid-FMの番組にゲスト出演させていただいた。千佳ちゃんとは7年来のお友達で100%プライベートなおつきあい。


今回がはじめての「職場訪問」みたいな感じで、なんだか不思議な気分だった。この番組は、千佳ちゃんのお知り合いを中心に毎週ゲストを迎えていて、そのゲストの人となりや活動を、千佳ちゃんがインタビューしながらおもしろ楽しく聞き出していくという趣旨のもの。普段の仕事内容から言えば、私は「インタビューする側」なので、今日のように「インタビューされる側」は初体験だった。
「事前の用意なんて要らないですよ〜。いつも通りに私とお話してくだされば、ちゃんとナビしますから大丈夫」という千佳ちゃんの言葉通り、本当にいつものおしゃべりの延長のように、あっという間に1時間が終わってしまった。あんなんで良かったのかしら?


インタビューされていると、いろんなことが分かってきた。聞き手は、ゲストの話の中からおもしろいネタの糸口を探し、その話題を掘り下げ、さらに他の話題にも触れながら全体をまとめあげていく。私の場合は、後日制作に取り組む原稿の構成を頭の中で考えながら、取材をする。
でも、インタビューされる側は特に考えなくても良いのである。ひたすら聞かれたことに分かりやすい回答をすればそれでいいのだ。
・・・・・ということは「答えやすい質問」をきちんと相手にぶつけることが必要なんだな。今日の千佳ちゃんの質問はすべて分かりやすく答えやすいものばかりだった。だから知らないうちに1時間が過ぎてしまったし、私自身楽しい思いをさせていただいた。こんな単純なインタビューの基礎を、今日改めて思い知ったのである。
私はインタビューしている相手に、こんな心地よい思いをさせているだろうか。
たま〜に考えすぎた質問をぶつけてしまい「難しい質問ですね」などと言われることがある。あれじゃあダメなんだな〜。


逆インタビューされてみてはじめて、インタビューのコツを千佳ちゃんから教わったような気がする。千佳ちゃん、とても良い経験になりました。どうもありがとうございました。
(前髪を切りすぎて、ワカメちゃんになってしまったワタクシ。恥ずかしいので、前髪は隠しておりますの)


まりもっこり【えとせとら】

昨日の「あさりはまぐりしゃぶしゃぶ」コラムの最後のイラストに、
友人たちが食いついた食いついた!
これは誰?とか、マリコはどれ? とかいうメールをいただいた。

皆さんご想像の通り、私は板の上にのっております。

私の顔、何かに似てると思いませんか?

そう、ここのところ人気の「まりもっこり」のキャラクターに、
私の顔がそっくりだと、イラストレーターの多喜田保子が言うのだ。


彼女が私を呼ぶ時は「マリモッコリ」または「モッコリーナ」。
そして、イラスト上の私の顔はすべてまりもっこりになっている次第。
最初は、マリの2文字が一緒だからだ・・・と思っていたら、
そうではなくて、顔が似ていると言うのだ。
自分ではまったく自覚がないのだけれど、イラストレーターの眼で見ると、似ているらしい。


一昨日送ってきた携帯添付メールがこちら。
プレゼンの仕事で紙粘土イラストを作っていたら、
紙粘土が余ったので「みんなの顔を作ったよ〜」とのこと。
どの顔も、本人の特徴をとってもよく捉えているので、思わずぷっと笑ってしまう。


イラストレーターの眼は、すごいんだなぁと実感しつつ。
このweb siteのプロフィール写真を改めて見てみたら、私の目とまりもっこりのふざけた目、似ているではないか!(ちなみにこの写真は多喜田保子による撮影だった)

やっぱり似てたのか・・・。


こちらは、上の写真から衣替えした私の顔。
題して「やどかりモッコリ」なのだそう。
(マリの字が消えているっっっ!
 すでに独立したキャラクターになってしまった?)


そして、これが、私と友人カメラマン二人のためのイラスト。
琵琶湖畔でプンスカ怒りまくっている私たちのエピソードを、イラストにして送ってくれた。

この時は、滋賀のある町に取材で訪れていて、その先で「アッタマにくること」があったのでメールで愚痴ると、数時間後にこのイラストを送ってくれたというわけだ。このイラストを見て、私たちは大笑い。もちろんプンスカ怒りも収まった。


最後の一枚。
こちらのエピソードは、ご想像におまかせいたします。
多喜田保子いわく、
近藤マリコの生態を見事に描き出せるのは彼女だけ、なのだそうだ。
あはは。


今の症状を言うのなら・・・【えとせとら】

一昨日、タクシーに乗って取材先から帰る途中に、後ろから追突されてしまった。
体全体ががっくんと前にのめり、シートに深く倒される。
大したスピードではなかったが、タクシーのバンパーに大きなへこみが出来た。
後ろの車の運転手は、携帯でメールをしていたらしい。
私は大したことはなかったが、同乗していた人が木箱を抱えて座っていたため、
木箱と前のシートで胸を強く打ち、ずいぶん痛がっていたので、
事故処理はタクシーに任せて病院に向かった。
幸い、同乗者は打ち身だけで済んだようで、湿布を貼って休んでいたら痛みはすぐにひいていった。
私もむち打ちが心配ではあったが、とりあえず痛みもなかったので、湿布をいただいて帰宅した。

次の日になると痛くなるかも、と脅されたので心配していたが、翌朝になっても痛みはない。
症状は、頭がぼぉ〜っとしている、だけである。
それはただ眠いだけかも!(いつものこと!)
これなら大丈夫そうだ、と安心していたら、今日になって尾てい骨が痛みはじめた。
中腰になると特に痛い。
おばあさんのごとく「いてててて」と言いながら立ったり座ったり。

もしかして、症状はむち打ちよりももっとひどくて、
ぶつかったショックで背骨が縮み、尾てい骨に影響を及ぼしたか?とありえない想像に至った。
どうしよう、整形外科に行った方がいいだろうか。

リビングで横になりながら悩む私の視界に、椅子が見えた。

あ・・・そうだった、落ちたんだった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

追突された前日、
本棚の一番高い所にあるモノをとろうとして、
よせばいいのに滑車のついた椅子に登り、お尻から真っ逆さまに落下したのである。

その時したたかに打ちつけた尾てい骨が、今日になって傷みだしたのだ。
(おそらく一昨日から痛みはあったが、追突のショックでそちらに気が取られ、
尾てい骨の痛みに気づいたのが今日、という感じ)

昨日の事故が頭にあって、一昨日の落下はすっかり忘れていた。

なんということ!

今の私の症状は、むち打ちでもなければ尾てい骨損傷でもない。
ただの「健忘症」であった。




お相撲場所は社交場だ【えとせとら】

名古屋場所は暑い。
暑い暑いとぶつぶつ言いながら、今日はお相撲観戦に行った。
とは言っても、お相撲そのものにはさほど興味はなく、
どちらかと言うと名古屋の夏の風物詩を楽しんでいる方である。


はじめてお相撲を見たのはいつのことだっただろうか。
目の前で繰り広げられるスポーツよりも
美しく彩られた土俵まわりの、日本の伝統色に目がいってしまったことを覚えている。
お相撲さんのまわし、土俵にぶら下がっているふさ(の表現でいいのか?)
行司の着物の色、お弟子さんたちの浴衣の色・・・。
歌舞伎で出てくる正絹の深い色合いに似て、モダンである。


周りを見回してみると、私同様お相撲そのものを真剣に見ているというよりも雰囲気派が多数いて、今日もその手合いの話を盗み聞きしてしまった。

「ほら、また来てる。あの人、どっかのママだよね」
「そうそう、毎年同じ場所に座ってテレビに映ってる人ね」

砂かぶりと呼ばれる席に必ず座るクラブHのJママのことだ、と思った。

テレビでお相撲を見る場合、テレビカメラは正面から向正面を映す。
必然的に、取組の最初に向正面の前列に座っている観客の顔はばっちりテレビに映るのである。
「顔」を売る仕事の方が積極的にその場所で観戦したがるのは、テレビを意識してのもの。(もちろん純粋に観戦を楽しんでいる人もいるが)
だから、クラブでお仕事している女性や芸能人など、知った顔が映るとテレビのこちら側では結構話題になったりする。
逆に「通」は正面に座り、テレビカメラと同じ視点で取組を楽しむのだとか。


今でこそ、テレビカメラがあるので、本人の意志とは無関係に顔が映しだされることがあるが、
実は昔から、相撲場所というのは、誰々が来てたとか誰々と会ったとか、社交場のような性格を持っていたのでは?と思ったことがあった。

何年か前、今日と同じように、父や叔父と共にお相撲観戦をした時のこと。

叔父K「あの富士山みたいな頭は?どこの子だ?」
叔父S「見たことない子だなぁ」
父「キモノは華やかでいいね」
叔父S「見てるだけでもいいなぁ」
父「あ〜ゆ〜のより、西側に座ってる感じの方がいいなぁ」
一同、西側のキモノ姿の女性軍団を注目。
叔父K「あれは名古屋じゃないね、京都あたりから来てるね」
叔父S「なんでわかるの?」
叔父K「雰囲気が全然違う。祇園あたりの匂いがする〜」
叔父S「なるほどね、あれは素人さんじゃない、独特の雰囲気」
父「祇園ね〜、い〜ね〜」
一同「確かに〜。あっちがいい」

お相撲よりもずっと盛り上がっていたこの会話を聞き、
お相撲場はスポーツ観戦以外の目的も大いにあり得る、と確信することができた。
やれやれ。
我が父、我が叔父ながら、名古屋と京都の差異を見分けるとは、見事な観察眼であった(笑)。


すわ野口五郎!!!【えとせとら】

昨日は、人毛かつらを作る浜松のサロンに取材でお邪魔してきた。
化学繊維毛と人毛では、重さや汗のこもり具合が全然違うらしく、
それを実感するために、化学繊維毛のかつらを試着させてもらったのだ!
確かに重くて暑い。夏はそれが原因で熱中症になることもあるのだとか!


私のかつら着用姿を写真に撮ってディレクターS氏が喜んでいたので、
「くっそ〜、他にかつらが似合いそうな人いないかしら?」と探すと、
いましたいました、エディターのN氏。
上が使用前、下が使用後。浪人生風から野口五郎に早変わり!
売れないフォーク歌手との説もあり、取材現場は大盛り上がりだった。


失敗と誠意【えとせとら】

知人がオススメの居酒屋に連れていってくれた。
新鮮なお魚に旬の野菜をふんだんに使ったお皿はどれもおいしくて、
お店の大将とはカウンター越しに話が盛り上がり、
楽しいひとときを過ごしていた。
最後に、二人とも焼きおにぎりを選択。
私たちの目の前で、ちょうど頃合いに焼けたおにぎりを
大将がお皿にのせようとしたその時、
不運にも焼きおにぎりは引力の法則に従って床へ一直線。
知人と思わず目を合わせる私。
すると大将は、何事もなかったかのように
拾ったおにぎりをまな板の上にのせて、二度目の醤油をはけで塗り始めた。
そしてもう一度網の上にのせて焼き台へ。
およそ5分後、私の元にはカリッカリッに焼かれたフレーク状のおにぎりが出されたのである。
残念ながらおいしい物ではなかった。

帰り道、もし私が大将だったら・・・と考えてみる。
潔く謝り、新しく焼き直して出し、
お漬け物かデザートをサービスしちゃうだろう。
私がお客だったら、それだけの「誠意」を示してもらえれば、
納得すると思う。
でもこれって、「余分に出してくれなきゃ許してやんないぞ」
というかなり「いやらしい根性の持ち主」でもあるわけで。
結局のところ、失敗した側もそれを許す側も、
「人間性」が出るものなのだなと妙に納得した夜だった。


料亭志ら玉、料亭香楽から、大女将、若女将、宗平社長にお越しいただき、とても楽しいお席に。

金工作家の長谷川まみさんは、オスカル風!のブラウスに、馬をイメージしたブローチ、もちろんまみさんの作品で。

マリー・アントワネットが愛したと言われる伝統的なフランスのデザイン生地で作られたマスクとリボンベルトでお越しくださいました。


2021年が終わろうとする今日この時に

本当に今年はなんという一年だったのだろう。
3月に大切な大切な友人、7月には遊びを教えてくれた先輩、9月に物書きの先輩を、亡くした。
そして12月には最愛の母が旅立った。
親しい人がこの世からどんどんいなくなってしまうこの現実を未だに受け止めきれないまま、またあたらしい年が明けてしまう。
4年前に父を亡くし、とうとう母を亡くしたので
天涯孤独になってしまったわたしは、それでも生きてゆかねばならない。
生きてゆかねばならない、ということが
こんなにも重いことだったとは。

生きてゆかねばならぬので、体のメンテナンスをしなければいけない。
体に悪いものが蓄積して石灰化したみたいで、痛みとともに胆石が見つかった。
夏のことだった。
手術前後で1週間はお休みできるタイミングで、とドクターに言われ
年末年始なら間違いなくゆっくりできるだろうとのことで
計画的にこの時期を選び、爆弾を抱えながら半年を過ごして
年末ギリギリに胆嚢摘出の手術をした。
4年前の父が亡くなる直前には腎臓結石が見つかって随分痛い思いをしたが
母が亡くなった直後に今度は胆石で胆嚢摘出。
体のあちこちに石ができるなんて、
どこかでメドゥーサに睨まれたのかしらん。

わたしは両親が歳をとってから生まれた子供なので
同級生のご両親と比較すると親の世代がちょっと年かさである。
そんなこともあって、たとえ離れて生活していても
常に両親の体のことを気遣いながら暮らしてきたようなところがあった。
もうその必要はないよ、
と自分に言いかしながらも、やはり無性にさびしい。

養老孟司先生の言葉をお借りするなら、生きているのが一番危ない、のだそうだ。
死んでしまえば2度死ぬ心配はなかろう、というのだ。
父のことも母のことももう心配する必要はない。

死は生の延長にあるのではなく
死は生の中にあるという持論を、あまりにつらい現実で体感する一年となった。

あたらしい年が明ける前に、
ごちゃごちゃになってしまった気持ちの戸棚を整理整頓したくて
このコラムを書いた。