えとせとら

[きぬぎぬ]の連鎖反応【えとせとら】

嬉しい連鎖反応。前回のコラムで、死語だの下ネタだの、どなたにもドストライクな話題をふりまいたためか、あちこちから多くの反応をいただいた。やっぱり男女の色恋ネタはどなた様もご興味がおありのようですね。その中でも嬉しい連鎖反応が2つあった。一つ目は、死語辞典下ネタ辞典を発行しようという話の発端になった写真家の初沢さんと、ツイッター上での140文字どころか、140字×複数回という、つぶやきレベルを軽く超えたやりとりで通じ合ってしまい、明日の東京出張の折に久々にお会いする段取りまでスピーディーに運んでしまったこと!
そして2つ目は、このコラムに何度も登場している同級生でプランナーで児童小説作家で・・・ああ面倒くさい。とにかく肩書きをたくさん持っている岡田氏が、後朝の別れについて、連鎖反応を示してくれて、ブログに書いてくれたことだった(2/7のもの)。私が好きだと書いた死語は、後朝の別れ。岡田氏がバーチャル体験したのは、後朝の文。平安時代の男女の恋愛に端を発するお手紙のことで、まぁほとんど光源氏の世界ではあるが、思わずうっとりするような平安の習慣なのである。平安の貴族というのは、あれだけ毎夜遊んでいながら政治も片手間にやっていたわけで、そういう意味でも本当に大したものですね〜。今の政治家も見習って欲しいくらいです、個人的にはね。
さて、このように、一つの言葉に連鎖反応して書き手の文章がどんどん連なってゆくのは、なかなか楽しく刺激的である。まるでコピーライター同士のしりとりゲームみたい。職業的書き屋の皆さん、僭越ながら、こういう書くことの楽しみをブログで広げていきましょうよ。食事の内容とかカフェのメニューの写真撮るのなんかそろそろやめて・・・ね。


死語辞典に下ネタ辞典!?【えとせとら】

先日、ツイッターで久しぶりな方と巡り会った。写真家の初沢克利さん、である。私がまだピチピチで駆け出しの頃に親友の紹介で知り合った写真家で、当時すでにパリ・モンパルナスの一つのカフェを何十年も撮影し続けていた重鎮だった。青山にある初沢スタジオで夜中遅くまで、時に場所をモンパルナスのカフェに移して、赤ワイン片手に怪しげな会話を楽しみながら、生意気盛りの私は初沢さんから多くの薫陶を受けたのだった。パリに長く住んでいた初沢さんは、フランスの知的な部分と激しく接触しているからか、頭の回転が鋭く早く、しなやかな饒舌を持つ人である。だから、年賀状のやりとりと一年に数度のメールを交わす程度でしばらく無礼を重ねていた私は、思いもよらぬツイッターで初沢さんの文章が読めるようになるのは嬉しい驚きだった。なぜなら、初沢さんは写真家である前に文学の人だから。

〜以下、ある日の初沢さんのツイートと私のやりとり〜
初沢さん●樋口一葉の「大つごもり」を読んでいたら「ほまち」という言葉が出て来た。懐かしい。子供の頃母親(明治生まれ)がよく使っていた。これも死語かも知れないが「へそくり」と言う意味。江戸のころのホモは「衆道」。死語をいっぱい知っているが、死語辞典があれば見てみたいものだ。
ワタクシ●それにしても死語辞典、面白い!あったらいいのに辞書シリーズ、下ネタ辞典に続き、リストに加えておきます。
初沢さん●「下ネタ辞典」は作ったら売れそうですね。「死語辞典」と重なる言葉が多いかもね。下ネタには古い言葉がふんだんに使われたり、そのまま生きていたり「松葉くずし」とか。今の若者は裏ビデオからの知識だけでかわいそうだし。(悪のりしてすみません)
ワタクシ●いえいえこちらこそ御意。おっしゃる通り、昔の下ネタは淫美な響きが多いですよね。いやらしさよりも綺麗が際立っていたり。ビジュアルなコピーたったりする。これも私が知るおそらく僅かな限りでそうなんだから、辞典があったらさぞや、と。

これだけ見ても、初沢さんが一級の表現者であるということがお分かりいただけるだろう。(それに比べて私の文章の貧相なことといったら・・・)というわけで、以来、私は死語と昔の下ネタに意識が集中するようになっていった。


古い言葉、使われていない言葉を思い浮かべてみると・・・たとえば青色ひとつをとっても、水色、浅葱色、浅葱ねず、藍白、瑠璃色、群青、灰青と限りなく名前がある。こんな古い表現を知っていても何の得にもならないし、日々の暮らしに役立つわけでもない。でも昔の人は、空の色や涙の色、あるいは哀しい気持ちや嬉しい心を表現するのに、時にはこうした色を用いたのではないかな。古い表現や死語に俄然興味がわいたので、ちょっとずつ調べてみると、面白い言葉が出るわ、出るわ。


女性を表現するのに使われる「きゃん」と「おむく」ご存知ですか?「きゃん」は侠と書き、勇み肌な人のことを指す言葉。そういう雰囲気を持ち合わせた若い女性のことを、きゃんむすめ、と言ったのだそう。一方「おむく」は、文字通り無垢で純真なタイプのこと。現代語で当てはまる言葉が思い当たらないのは、どちらのタイプの女性もいないからかな。


そして初沢さんのツイッターにもあったように、昔の下ネタとか男女の仲を示す言葉には艶やかな色気があった。私が好きな言葉が「後朝の別れ」である。古い歌などによく出てくる言葉で、恋人と過ごした夜が明けた朝の別れのことを表現したもの。ポイントは読み方である。後朝を「こうちょう」とは読まずに「きぬぎぬ」と読むのだ。男女が互いに着ていた衣(きぬ、と言うのだからおそらく着物のこと)を重ねて共寝し、次の朝にはそれを別々に身にまとう時、とても辛くて哀しいという解釈(だと思う)で、美しく切ない言葉ですよね。


そんなわけで、死語に秘められた日本の美をもっと追求したいと思うのだけど、どなたかこの死語辞典編纂話に携わってくださる方はいないものでしょか。ここのところの会合で何度かそんな話をしたところ、アラフォー女子がそれに賛成してくれた。先日我が家でご飯会をした時のメンバー、お隣の由美さん市川りっちゃんがブログにその時のことを書いてくれている。
明治の文学から昭和の死語まで、一つひとつの意味を精査していったらさぞ面白いと思う今日このごろなのです。


雪の日のハーブ&ドロシー【えとせとら】


名古屋の街は雪でお化粧されて真っ白になっている。雪が珍しい子供たちにとってはサイコーのおもちゃなのだろう。街角に、マンションのベランダに、子供たちが作った雪だるまが並んでいるのを見ると、なんだか懐かしい気持ちになる。私も作ってしまおうかしら。明日は早朝からロケハンに出掛けなければいけない私は、いつもなら「明日の朝は道路凍ってるだろ〜な〜やだな〜」なんて愚痴ってるところだけど、今日は気分が穏やかだ。なぜなら、今話題のハーブ&ドロシーを観てきて、気持ちがとっても優しくなっているから〜♥


ハーブ&ドロシーは、4000点もの現代アートをアメリカの国立美術館ナショナルギャラリーに寄贈した夫妻の名前だ。アートコレクターと言えば大富豪を思い浮かべるけど、この夫妻は違う。郵便局員と図書館司書のごく慎ましい家庭のお財布の中から、30年以上に渡ってこつこつと現代アート作品を買い続け、膨大なコレクションを築き上げた人たちなのだ。彼らがアートを買う基準は、自分たちの収入で買えること、1LDKのアパートに入る作品であること、この2つ。それがとうとう4000点を超えてしまい、ナショナルギャラリーに寄贈したのである。作品群はすでに価値が高騰した作家も多くいて、数点売却すれば大金持ちになれるにも関わらず、夫妻は売らずに一切を寄贈した。その奇跡のような夫妻のストーリーをドキュメンタリー映画にしたのがハーブ&ドロシーである。


物質的に豊かであっても心が豊かじゃなければ、シアワセとは言えない。お金があってもシアワセじゃない人はたくさんいる。そしてお金がなくても、たった一枚のアートが人生のシアワセを創り出すことだってある。映画の冒頭と最後に登場したあるアーティストの言葉が印象的だった。Art is mute, when money talks. by Patrick Mimran(金がモノを言うとアートは沈黙する)
そう、アートは一部のお金持ちのものでもなければ、一部の自称知識層のものでもない。市井の人々が、一枚の版画を、写真を、絵画を、なんの知識も経験もなく所有することで、日常を過ごす空間が心地よいものになることを、この映画が教えてくれた。
とても穏やかになった私は、雪道を楽しみながら歩いて家路につく途中、雪が降り積もったお庭の美しさに心奪われて、ついつい美味しいお店の暖簾をくぐってしまった。それが↑上の写真。雪が積もったお庭が眺められるのは今夜限りですからね、これもアートです。花うさぎさん、ごちそうさまでした!そしてハーブ&ドロシーは上映期間残りわずかです。アートに興味がある人もない人も、ぜひご高覧を。


ゆく人、くる人。【えとせとら】

あけましておめでとうございます。とは申しましても、私の中では2010年はまだ終わっていなくて(苦笑)、「お正月のお休み明けまで」という〆切原稿を抱えたまま、とうとうお正月に突入しちゃったという状況です。なんせ年賀状さえ制作できずに終わってしまったのですから・・・こんなことはじめてだぁ〜〜〜泣。思えば12月は1日もお休みがなかった。実家の引越作業に追われる時も、夜は両親が寝静まるのを待ってPCを開いていたし。というわけで、ホントは〆切を抱えたままのお正月ではあったけど、元旦だけは仕事から離れようとPCの電源を入れずにひたすら寝正月を決め込んだ。そこで、ぼんやりと2010年を振り返ってみたら、2010年は多くの方を亡くし、多くの方と出逢えた一年だった。
友人のご主人、大学時代の友人、そして多くのことを教えてくださった和食の料理人のじゅうべえさんを亡くした。これは特に辛かった。今でも、大好きなじゅうべえさんのお料理やお人柄を思い出して、時に涙にくれることがある。この他にも、12月に喪中を知らせるハガキが、例年よりも多かったような気がするのは、私の年齢のせいだろうか。
年末も押し迫ったころ、心に小さな傷を作った。ネット上でのコミュニケーションのあまりの簡単さに危惧を抱いていたのだが、くしくもその簡単なコミュニケーション上で、誤解とすれ違いが怒りを生んでしまったのである。仕事上、仕組みを知らなければと思って始めたツイッター。なかなか面白さが理解できないままに、フォローする数も増えなくて、当然フォロワーも大した数ではなかったのだけど。とある人のツイートに戯れたツイートを返信したところ、それが相手の怒りを買ってしまったのである。文字で書かれた文章では自分の真の気持ちを伝えきれないことから、こういうすれ違いはよくあることだ。今迄もメールに何気なく書いた言葉で相手を傷つけたり傷つけられたりして、その後に顔を見て話せば誤解はとけたという経験が私にも何度かある。そのケースもそうだと思っていた。ところが、なんと相手は私のフォローを解除したのである。ビックリした。ショックだった。相手が有名人でもない限り、フォローを解除するって「もうこの人との関係を絶つ」ってことだと思っちゃうんだな、昭和世代としては。思えば、クリックひとつで友人になっちゃったり(ツイッターに限らずね)、匿名で人の悪口を好き放題に書いたり袋だたきにしたり。なんだか自分勝手な世の中になっちゃったんだなぁと悲観していたのだけど、まさか自分がそんな目に遭うとは思いもよらない出来事だった。
これとは真反対のエピソードで、ネット上の簡単な行き来により新しく出逢った方達もいた。東急ハンズでお買い物をしていた時のこと。ステーショナリーを熱心に見ていた私に、20代後半くらいの可愛らしい女性が声をかけてくださったのである。「ラルムの涙さん、ですよね?」と。これまたビックリした。その女性とは名刺交換した覚えはないからである。どうやら「伝統工芸 名古屋」と検索したら我がwebに行き着いたようで、その偶然の検索以来、このコラムを欠かさず読んでくださっているそうだ。感謝感謝。奥三河の花祭に出掛けた時もそうだった。私が書いた花祭のコラムを読んでくださっていた方から「あんたに会いたかったんだよ!」といきなりお酒をつがれたのである。嬉しいような恥ずかしいような気分だった。そして同じような嬉しい驚きが年末のワインパーティーでもあったのだ。岐阜市にあるワインショップの男性が、やはり声をかけてくださった。これは知り合いのwebからのリンクで訪問してくださったようで「いつもコラムを拝見しています、楽しみにしていますよ」とおっしゃっていただいた。嬉しかったな〜。ネットがなければ知り合うこともなかった方たち。これも「簡単なワンクリック」のおかげだと思うと、なんだかな〜と複雑な気持ちになった。ま、そんなわけで、2010年はゆく人もたくさんいて哀しかったけど、くる人とも知り合えて、にぎやかな一年でした。2011年は実家の片付けと掃除、そして原稿〆切に追われる三が日で始まっちゃったけど、どうか今年も良い一年でありますように。そして懲りずにこのコラムを読んでくださっている皆様、今年もワタクシのボヤキと妄想に、よろしくおつきあいくださいまし♥


音楽の効能【えとせとら】


この一年ほどをかけて行った実家の建替&引越プロジェクトが、この忙しい師走のまっただ中である先々週にやっと終わった。両親が新しい家でなるべく早く日常生活をおくれるように、私たちは膨大な荷物の整理に追われた。週末、姉夫婦や甥っこノゾムが手伝いにやってきてくれた。相変わらず、母の片付け下手や物が捨てられない状況に、またまたイライラが募る私。夏の仮住まいへの引越の時もそうで、その時はイライラしている私をオルゴールが癒してくれたことを、このコラムでも書いた。さて、今回のイライラを癒してくれたのは、なんとノーテンキな甥っこが奏でるギターだったのだ。母と一緒にクローゼットの中を整理していた時だった。何も音源がないはずの新築の家で、エリッククラプトンが聴こえてくるじゃあありませんか。あれれ?と思ってのぞくと、そこには流しのギター弾きのごとく、歩きながらギターを弾くノゾムがいたのである。もちろん彼にとっては、そこにギターがあったから弾いただけなんだろうけど、以前のトラウマがある私には「イライラしないで〜気を休めながらいこ〜」と聴こえてきたのである。


両親のリビングを見て「まるで老人ホームみたいだな」と言って、両親をむっとさせていた甥っこ。真実は人を傷つけるということをまだ知らない弱冠20代半ばの若者だけど、時にこういうノーテンキさが切羽詰まった心を救ってくれることもある。高い授業料を相当払っているとみえて、ギターの腕もなかなかのもの。思わず聴き入ってしまった。焦っても仕方がないのだから、イライラしないで、とギターが私に語りかけてくれたよう。


そして再び驚いたのは、←このオルゴールである。先々週に荷物だけの引越をおこない、人間の(つまり両親の)引越はこの前の日曜日におこなった。仮住まいから身の回りの物を車で運ぼうとした時、またまたこのオルゴールが乙女の祈りを奏でてくれたのである。父が一言。「ウチが引越しようとすると、なぜかこのオルゴールが動くんだなぁ。不思議だなぁ」ホントにそうだった。仮住まいのテーブルの片隅に忘れ去られていたはずのオルゴールを、母が思い出して玄関先に置いたところ、チリンチリンとわずか2音だったけど鳴らしたのである。思えば、暮らしは音楽であふれている。テレビやラジオから聴こえてくる音楽はもちろん、人が集まる場所ではストリートミュージシャンが唄っていたり。それを好むかどうかは別にして、隣家のオジサンが湯船に漬かりながら鼻歌を口ずさむのも立派な音楽だし、水道の蛇口からしたたる水の音も、聞きようによっては音楽である。私たちは音楽に寄り添いながら暮らしているんだなぁ。


実は今年はまだ仕事納めができていなくて、多分今年の仕事納めが来年になりそうな気配(苦笑)。思うように仕事がはかどらない今日このごろなのである。そこで、オルゴールの教訓で学んだように、今日の私は音楽をかけながら原稿を書いている。言葉が耳に入ってくると原稿に集中できないため、私が持っているCDのほとんどが器楽曲なのだけど、たまには気分転換も兼ねて歌声を聞きながらのデスクワークだ。うん、たまにはいいなぁ。仕事しながら歌声を聞くのって。というわけで、年末ぎりぎりまで音楽で癒しながら頑張ってお仕事に勤しむことにいたします。皆さん、良いお年をお迎えくださいませ。


年末進行最後の一週間!【えとせとら】


いよいよやってきました。我々広告業界及び出版業界及び〆切を抱えるすべての書き手にとって、この一週間は一年の中でもとりわけ気ぜわしい日々となる。夏休みやゴールデンウィークを休まないで営業する会社はあっても、お正月に休まない一般企業はほとんどないので、なにかと年内の打ち合わせとか年内の草案アップという話が先週あたりから舞い込んできている。おまけに印刷会社が長期休暇に入るということは、年内に印刷物を納品するための最後の入稿日が明日あたりに集中するのである!なので先週あたりから、夜のお誘いには一切乗らずに、ぐっと我慢しながら、ひたすらにPCとノートとスケッチブックに向かっている。


でもね〜、やっぱりね〜、デスクにかじりついてばかりなんてつまんな〜い!美味しいもの食べたいし飲みたいし。みんなとお話した〜い。今夜だって、取引先の忘年会が3つも重なってて、すべて丁重にお断りしたわけだけど、なんでこの時期に忘年会に出席できるのかしら?と不思議なくらいに私は気ぜわしい。みんなは気ぜわしくないのかしら?・・・・・ここでいつもの私の妄想が始まった。この2ヶ月くらいに集中したパーティーの数々を思い出しては余韻にひたり、デジカメに残されていた画像を見ては、この時のあの人とはこんなお話したんだわ、と思い出して、この気ぜわしい一週間を乗り切ろうと目論んでいるのである。冒頭の写真は、私の第2のパパママであるM宅にて。最後のご飯がこんなに美しかったので、隣に座っていたなぎさカメラマンに撮影してもらったもの(私のデジカメなのに、私が撮るのとは大違いの美しい絵ですね〜さすが巨匠)。以下、先月と今月に参加したパーティーの一部の写真を眺めて(デジカメ持参時しか画像がないのがくやしいっっ)、しばし妄想の世界に浸ろうと思う。


秋田屋さん主催の巨大なワインパーティー!好きなだけワインが飲めるすごいパーティーでした。

秋田屋さん主催の巨大なワインパーティー!好きなだけワインが飲めるすごいパーティーでした。

ミッドランドスクエアのクリスマスパーティーにて。T島屋広報のナイトハンターななちゃんと、同じくT島屋広報の昌子ちゃん。

ミッドランドスクエアのクリスマスパーティーにて。T島屋広報のナイトハンターななちゃんと、同じくT島屋広報の昌子ちゃん。

相変わらずカッコいいななちゃんは、この日のドレスコード「ブリリアント」をこんな風に取り入れて、かっちょえ〜!

相変わらずカッコいいななちゃんは、この日のドレスコード「ブリリアント」をこんな風に取り入れて、かっちょえ〜!

これは我が家で開催した「フランスと日本のキノコを食す会」。友人のキノコ博士と共に秋のキノコを堪能しました。前夜から鶏ガラスープを仕込み、キノコ鍋をやって、最後は真黒になったスープにラーメン。バターをおとしたら激ウマラーメンになりました。


これは友人のお誕生日会のめで鯛!

これは友人のお誕生日会のめで鯛!

フランスチーズの騎士叙任式に参加した時のもの。飯田橋にあるエドモンドホテルにて。

フランスチーズの騎士叙任式に参加した時のもの。飯田橋にあるエドモンドホテルにて。

珍しいチーズが好きなだけいただける、チーズ好きにはたまらない晩餐会でございました。

珍しいチーズが好きなだけいただける、チーズ好きにはたまらない晩餐会でございました。

同級生で写真ギャラリーオーナーの岡田クンの会社が主催するアートパーティー。

同級生で写真ギャラリーオーナーの岡田クンの会社が主催するアートパーティー。

そのパーティーで久しぶりに再会したひろたつ君のオポンチなショット!

そのパーティーで久しぶりに再会したひろたつ君のオポンチなショット!

これは先々週、我が家で開催した、とある制作チームの忘年会!
スペインバルを通じて仕入れたとびきりのイベリコ豚を
Sディレクター持ち込みのベア1号(ほぼ日で爆発的に売れている土鍋ですね)で食すという会。
みんなよく食べました〜♬


先週開催されたワインパーティー!

先週開催されたワインパーティー!

ワインのプロが大集合して、ワインと音楽をマリアージュしちゃう企画が大成功でした。

ワインのプロが大集合して、ワインと音楽をマリアージュしちゃう企画が大成功でした。

この日のドレスコードはぶどう。携帯を帯に差し込んで、ストラップをぶどうに見立てました!

この日のドレスコードはぶどう。携帯を帯に差し込んで、ストラップをぶどうに見立てました!

そうなんです、この日はお着物で参加したのだけど、友人のヘアメイク・服部小百合嬢にお願いして、ヘアを手掛けていただいた。私のオーダーは「ふけないアップスタイル」。服部ちゃんの魔法により、この日の夜はたくさんの人から「今夜はきれい」とお褒めいただいた(今夜だけだったらしいけど・・苦笑)


こうして思い出しているだけで楽しくなってくるのだから、記憶というのは大切なものですね〜。いつかテレビでやっていたのだけど、人間の脳というのはうまくできていて、記憶の中の楽しい思い出は残そうとし、哀しい思い出は積極的に消そうとするのだそう。たとえ哀しい事がたくさんあったとしても、記憶の中の楽しさと哀しさの割合はいつも同じになるようにできているんだとか。最近すっかり忘れっぽい私ですが、この楽しい記憶は心にしっかり焼き付けて、この気ぜわしい年末進行を乗り越えようと思います。お仕事が片付いたと思っても、その後には大掃除とか年末のもろもろの用事があるので、次にゆっくり杯を傾けるのは、お正月のお屠蘇かなぁ。う、先は長いゼ。では、これから打ち合わせに行ってきま〜す。


3年7組マスコミ系同窓会【えとせとら】

高校を卒業して20年以上がたった。あ、いや、20年どころじゃない、もっとだ。地に足のつかない生活をしているのは私くらいで、当時やんちゃだった男の子はカッコいいお父さんになり、可愛かった女の子は綺麗なお母さんになっている。そんなイカしたみんなが集まって、今年のお正月に「ほぼ私立文系クラスにいた者同士」という同窓会がおこなわれた。久しぶりに会った同級生たちの立派な様子には感心していたのだけど、中でも、極めて嬉しい発見が一つあった。同じ3年7組の同級生の中に、名古屋でマスコミ系の仕事をしている人が私を含めて4人もいたのである。某地元有力新聞社でスケールの大きなお仕事をしているKくん、某大手広告代理店で局長として先月までお勤めしていたKちゃん、そしてこのコラムには何度も登場しているコピーライター・広告デザイン会社社長・絵本作家・写真ギャラリーオーナーと数々の肩書きを持つOくん。そして極楽トンボのワタクシの4人である。そして先日、Kちゃんが長く勤めていた会社を退職し、独立して会社設立するということで、3年7組マスコミ系同窓会を兼ねてKちゃんのお祝い会をおこなった。


酒宴の話題は、Kちゃんの新会社設立に関することでひとしきり盛り上がり、その後、それぞれの仕事観を語り合い(ここはチョ〜マジメでした)、最後はお決まり?のエロい話で笑い合った。楽しかったなぁ〜。同級生というのはたとえ同じような業界にいても、決して損得勘定なく心を開いてしまうのはどうしてなんでしょう。垣根がない。そして、一応オンナである私の前でもまったく憚ることなく、男子3人がそれぞれにエロトーク炸裂するのはどうしてなんでしょう。それだけ私がオヤジだってことかな。やっぱり垣根がない。
わたしたちが通っていた高校は、一応は進学校だったのだけど、どこか”ゆるさ”のある学校だった。時代もそんな雰囲気だったのかもしれない。勉強している人はすごく頑張って有名大学に進学したし、それなりの人はそれなりに、そしてどちらかというと勉強以外のことに興味津々な感じの3年7組は、勝手気ままというか自由人が多かった。体育祭とか文化祭になると集団行動が苦手で必ず学校を休んじゃう人。美術大学に進学するわけでもないのに妙に美術の授業に真剣な人。私立文系なので数学は勉強しなくてもいいのになぜか数学の先生と仲良くしている人。この3年7組の立ち位置って、全職種におけるマスコミ系職種の特徴と似ているような気がするのだ。マスコミ系のお仕事をしている人は、一般企業と比較すると、フリーはもちろん会社勤めしていても個人個人の自由感は高い(つまり勝手気ままな人が多い)。だから3年7組の”ゆるさ”は、そのまま自由度の高さだったのかもしれないな。だって、クラスの人数を仮に40人として(それより絶対に少なかったけど)、4人がマスコミ系にいるということは1割ですもんね。
そんなわけで、先日集った4人以外でマスコミ系のお仕事をしている人が他にもいたら是非お声おかけいただきたい。みんなで集まって、わたしたちの自由人度を確かめてみようじゃありませんか。


大人の社会見学〜国会議事堂【えとせとら】


先月の半ばごろ東京出張した折に、かねてよりお誘いいただいていた所にお邪魔してきた。
それは↑じゃじゃ〜ん↑、国会議事堂でございます。タクシーで議事堂あたりを走ることはあっても、この建物に用はないので、敷地内に立ち入るのは中学校の修学旅行以来だ。お訪ねしたのは、衆議院議員で眼科ドクターでもあり、楽しいお食事仲間の吉田つねひこ先生。東京にいらっしゃることがあればいつでもご案内しますのでお寄りください、とおっしゃっていただいていて早一年半。やっと実現できた大人の社会見学だった。


国会議事堂の駅で降りて秘書の方にお電話すると、通行証を持って迎えに来てくださった。秘書の方は多くの来賓を迎えて慣れていらっしゃるからだろうか、説明がとってもわかりやすく、時にすれ違うエラい先生方について説明してくださったり、政権交代や総理辞任の時のエピソードなども交えながら話してくださるので、政治には無関心な私も、ついつい身を乗り出してふむふむと聞き入ってしまった。そして、私がなにより驚いたのは、国会議事堂の建築物としての芸術的価値である。昭和11年に竣工した建物は、その頑健で荘厳な雰囲気と政治の場所であるという事実から、私なぞは何となく冷たい石の建造物という印象を持ってきた。ところが、中に入ってしげしげと眺めてみると、その芸術的価値はそれは素晴らしいものだった。


ステンドグラス・ドアノブ・郵便投函口の3点のみ外国産で、それ以外の建材はすべて日本産。大正の終わりから昭和のはじめにかけて、当時の日本で最上級の技術と贅沢な建材が使われている。緻密な彫刻がほどこされた壁、大理石の床や柱、漆喰の天井、漆や螺鈿、織物などの工芸品、4キロに及ぶ絨毯、壁に描かれた絵画、デザインされた照明、ステンドグラス越しに入る空の色・・・。どこを見ても溜め息がでる。80年近い年数が経っていても、その美しさは変わることなくむしろ深まっているという事実。これこそ時代を超越した技である。昭和初期の粋の極みにいた職人たちの、誇りと気合いと心意気が伝わってくるようであった。


議事堂内は撮影禁止なので写真でご紹介できないのが本当に残念ではあるが、国会議事堂見学は一般受付しているそうなので(この日も見学ツアーにいらしていた方々と何度も遭遇した)、東京で半日お時間がある方は、是非お申し込みなさってみてください。芸術品という観点での国会議事堂見学、オススメです!こんなに素晴らしい建造物で日本の政治が動いているということに、私たち日本人はもっと誇りを持ってもいいんじゃないのかな。ロンドンのビックベンやパリのエリゼ宮で写真撮影して喜んでる場合じゃないのである(←私のことですが)。
そしてもう一つ驚いたこと。政治家というのは健脚じゃないと務まらないお仕事であるということ。国会議事堂はとても広く、議員会館から議事堂を歩きまわるとかなりの距離になる。この日、夜の食事があったために少し高めのヒールを履いていた私は、足の指にしっかりマメを作ってしまった。また議会は長時間に及ぶことしばしばで時間の制約もきつく、健脚だけでなく体力と健康も間違いなく必要なお務めである。政治家と言えばなんとなく威張ってる人みたいな印象があるけど(←激しく幼稚ですが)、あれだけの激務を人生かけてこなすのだから、ちょっとくらい威張りたくなっちゃいますよね(←説得力ありませんけど)。


センセイ方のための食堂はまるで昔のデパートのレストランみたいな雰囲気があり、昭和の匂いがぷんぷん。お寿司屋さんのカウンターがあったのにはビックリした。私がオーダーしたのは、これまた懐かしいクリームソーダ。こんなの飲んだの何年ぶりだろ。


最後に、最近新築された議員会館の吉田先生のお部屋を訪ねて、つねひこ印のm&m'sチョコレートをいただき、社会見学でコーフンした話を聞いていただいた。まるで小学生の子供を見るような吉田先生の優しい眼差しを見て、子供っぽくはしゃいでしまったことを恥じつつ、議員会館を後にした。それにしても楽しかったな〜。皆様も、ぜひお訪ねくださいまし。社会見学には、大人になったからこそ気づく面白さが、きっとありますよ。吉田つねひこ先生、秘書の晃子さん、あの時は本当にありがとうございました!


姪っこからのバンコク便り【えとせとら】

今年の春から名古屋で大学院生となった姪っこアユミは、毎日遅くまで研究だか勉強だかをしていたらしく、せっかく近くにいるのになかなか会うチャンスがなかった(ご飯をご馳走してあげると誘っても、アユミは行きたいけど行けないと泣きながら悔しがっていた。大学院っつうのはホントにたくさん勉強するところなんですねぇ、当たり前だけど)。大学院でどんなことを学ぶのかしら?ということを周囲が理解する間もなく大学院を休学し、彼女が目指す国際開発分野の世界でインターンとなってバンコクへと旅立ったのが、およそ一ヶ月前。国際開発ってどんなことやるの?と何度か聞いたような気もするが、私はいまだにはっきりとわかっていない。
彼女が今インターンを務めているのは、国連の関連であるIOM(国際移住機関、移民の受け入れと社会統合に取り組む国際機関)である。今日、IOMのオフィスの様子や、住んでいるマンションの写真などが送られてきて、バンコクでのアユミの生活風景をかいま見ることが出来た。なんともまぁ楽しそうな顔をして写真に映っているところを見ると、すでにオフィスに馴染んでいるのだな、とホッとした。子供の時から親の仕事の都合でいろんな国を行ったり来たり。せっかく日本に帰ってきたと思ったら、大学で下宿したり、留学したり、春からは名古屋にやって来たりと、ひとつの土地に根を下ろすという感覚を持たないままオトナになってしまったのである。そんなアユミが、移民に関わる国際機関でインターンとはいえ働くことになるとは、なんだか運命って不思議なものだなぁと思う。



上の写真は、アユミがバンコクに旅立つ前夜に、誕生日祝いを兼ねて壮行会をした時のもの。彼女が世界で一番好きなお寿司を一緒に食べに行った。食べている時が最も幸せそうな顔になるので、見ている方も思わず笑ってしまう。


これはその翌日の中部国際空港。
空港についた頃から、喉が痛くなった、寒い、風邪かもと言いつつ、ゲートへと向かうアユミ。
この後、アユミの身にとんでもないことが連続しておきたのだった。


トラブルその1→なんとロストバゲージになってしまいスーツケースがないまま入国へ。(翌々日に遅れてスーツケースだけが到着したそう)
トラブルその2→バンコクについてから高熱が出て寝込んでしまい、顔は腫れ、心配になって病院に行く。
トラブルその3→診断の結果、病名は急性耳腺炎。つまりおたふく風邪である。片方の頬がパンパンに腫れてしまったらしい。
トラブルその4→数日後の初出勤の日は、まだ少し腫れが残っていたそうで、それは気落ちしたんじゃないかと私も勝手に心配してしまった。


そんなわけで、踏んだり蹴ったりのスタートだったバンコク生活も、今は随分慣れた様子で生き生きと仕事をしているみたいだ。あの日、アユミを空港に見送ってから、私はその足で、ある方のご尊父様のご葬儀に参列した。ちょうど私の親世代の方のご葬儀だったこともあり、ついつい自分の身と重ねてしまって、哀しく複雑な思いでお見送りさせていただいた。これから社会に出て行こうとしているアユミの姿に眩しさを覚え、一方でこの世から旅立つ人もいるという現実。あぁ、私もアユミの年齢の頃は何も心配事などなく、前途洋々と未来だけを見つめていたのだわ。今のアユミがそうなように、私も怖いもの知らずだったし、両親も元気で病気などしていなかった。本当に時間って残酷なものですね。半年間のインターンを終えてアユミが帰国した時、ひとまわり成長している彼女から、私はどんな刺激を受けるんだろう。


お蕎麦屋にて地酒の会【えとせとら】


妙齢(!)のクリエイター5人で始めた逸品もっとよくなるプロジェクト。その活動の一貫として、今月スタートを切ったのが「もっと!地酒の会」である。第一回定例会は、手打ち蕎麦・小料理「和蕎楽」(わそら)を会場に、11名の日本酒好きが集って開催された。「もっと!地酒の会」では、毎回ひとつの蔵元からおすすめの日本酒を何種類かご提供いただく。蔵元の風土や、どんな環境でお酒が作られているかを、飲み比べしながら舌上で実感していくのである。飲み手の感想は蔵元へとフィードバックされるので「もっと!地酒の会」が、作り手と飲み手の媒介となるのだ。


今回ご提供いただいたのは、岐阜県各務原市の小町酒造さん。上の写真と左の写真の計5種類で、それぞれにまったく異なった個性を持つお酒だったので、飲み手の好みがはっきりと分かれた。私の印象では「しぼったまま純米」がベスト。少し冷やしていただいた←にごり発泡も爽やかでミルキーな口当たりがなかなかの出来。とまぁこんな風に、参加者それぞれが自分勝手に感想を言い合い、このネーミングはわかりにくいよね、とか、ラベルデザインは女性向けだよね、とか、広告業界特有の会話で盛り上がった(予想以上にほとんどが広告業界のクリエイターやディレクターだったため)。酔いがいい感じでまわってくると、日本酒に対する熱き想いを語る人もいれば、女性と一緒に恋バナに夢中になってるオジサンがいたりで、これもまた良き日本酒の風景なのである。


会場の「和蕎楽」(わそら)さんでは、地酒の会だからとお気遣いくださったようで、日本酒のアテがたっぷりのっかった八寸をご用意してくださった。おなかも心も満たされる料理の数々には感謝でございます。そして最後の〆はもちろん、秋の4たてを楽しむ「お蕎麦」。地酒を飲む会にお蕎麦屋さんはふさわしい場所ですよね。香気ただよう秋の蕎麦を手繰って、第一回定例会は幕を閉じたのである。蕎麦屋で長っ尻をしては江戸っ子から怒られちゃいそうだけど、日本酒文化のひとつ「お酒と共に会話も楽しむ」のが目的でもあるので、そこんところ、江戸っ子の粋人にはこれからも目をつぶっていただこうと思う。次回の蔵元は現在鋭意選定中。「もっと!地酒の会」にご興味のある方はお気軽にお問い合わせくださいまし。


地酒の会だから〜キモノでお出掛け。
縦縞のキモノに緑の帯、緑の半襟、黄緑の帯掛け。
COP10をテーマに緑オンパレードにしてみたんデス。
テレビ塔も緑になってることですし。
帯留は仕事仲間のイラストレーター遠山画伯のダイレクトペインティングのブローチ。坂本龍一氏が提唱する環境活動MoreTreesに参画している遠山画伯が、無垢の檜に直接描いたカエルと虫の絵。森の中の生物を描くというテーマだったんだそうだ。ブローチだけど帯留めにしても可愛いでしょ?誰も気づいてくれなかったけどね(苦笑)。