えとせとら

井戸えり作品展「衣と袋」【えとせとら】


中学時代の同級生で、昨夏30年ぶりに再会を果たした美術家・井戸えりさんの作品展が、名古屋・栄のギャラリーで始まっている。すぐに行かなくちゃ!と思いつつ3日目の日曜日にやっと行くことができた。思えば、一年前にえりちゃんと再会したのも同じギャラリーだったので、感慨深い思いで会場に向かったのである。昨年以降はバッグ作家としての作品を見せてもらってきたが、今回はそれに洋服も加わるとのことだったので、どんなんかしら〜と楽しみにしていたのだ。


先月、彼女が舞台衣装を手掛けたお芝居を観に行った時、簡素な舞台とえりちゃんの"主張しすぎない衣装"のバランスがとても良かったので、日常衣装となると「どんなんかしら?」と思ったわけである。それが↑こんな感じでした!「まかしときな!」的な姉御肌の彼女だが、作品はなかなかフェミニンで可愛くて、やさしさがにじみ出ている。触るとやわらかそ〜!という物がほとんどで、彼女の心のやわらかさそのものだった。


私が買っちゃったのはこのバッグ。風呂敷に荷物を入れる感覚で真四角な布を立体の鞄に仕上げたもの。ななんと包帯を柿渋染めにしたものが使われている!すごい発想。すごいデザイン。そして、すごぉぉく手間がかかっているのにお値打ち価格!


手に持った感じは、もっとふわっと丸くて、えりちゃん曰く「これは着物で持ってほしいわ」とのこと。は〜い、仰せの通り、着物の時に使ってみますです。ホントはショルダーバージョンが欲しかったのだけど、残念ながら開催3日目にしてもう完売状態だった。きっと彼女のバッグファンが多いんでしょうね。


というわけで皆様ぜひお出かけくださいまし。
サロンギャラリー 余白(よはく)
名古屋市中区栄4-17-30 Tel.052-262-5454 月曜休廊
〜5/30(日曜日)まで。10:30〜18:00(最終日16:00まで)


すでに作品はかなり売れてしまっているけど、お気に入りの物があったら、熱望すれば特別オーダーに応じてくれるかもしれないので、もしそんなお気に入りがあったら、コンドウマリコの友人だ!と恫喝してやってください。ただし作家さんは土日しか会場にいないそうなので、ギャラリーの方には全く通じません。平日の恫喝はご勘弁いただきますようヨロシクお願いいたします。


もうひとつ、この週末に訪ねたところが←ココ。覚王山の「サブリエドヴェリエ」の一日だけメキシカンカフェ。前述のえりちゃんと私を30年ぶりに引き合わせてくれたイラストレーターの伊藤ちづるさんや、コピーライターの小境和恵さんたちが一日だけ限定でタコスやピンチョスを作ってくれるというとてもワンダホーなイベントディだったのだ。姪っ子アユミと共にお邪魔して、美味しいメキシカンフードをいただいてきた。写真は手作りピンチョス。美味しそうでしょ?美味しかったデス。そんなわけで、もう一つ土曜日にお誘いいただいていたスタイリスト原結美さんの「一日写真館」にはど〜しても時間がなくてお邪魔できなかった。コスプレして行きたかったのだけど、ホントに残念。結美さん、すみませんでした〜!!!


四十オンナ【えとせとら】

四十オンナ、という表現を聞いたら、どんな女性を想像されますか?

40代のワタクシ、最近、「やっぱり年なのね・・・とほほ」と感じることが多く、やたらめったら「四十オンナですから」と自虐ネタを含めて自分を表現している。このコラムでも頻繁に登場しているため、ある人から指摘を受けた。"四十オンナという表現はおやめください"と。

「年齢は実際に40代なのでしょうけど、それをコラムで敢えて広報する必要はありません。四十オンナという表現からは、所帯やつれした昔の主婦を想像させます。仕事に張り切っている、生き生きとした教養ある女性のイメージとはギャップがありすぎます」

・・・・・・・・・・・・・・と。

張り切るほどの仕事もなし(泣)、生き生きしているのは食事の時だけで、教養があるとはとても言いにくく・・・とまた自虐方向に走りがちなワタクシ。苦言を呈してくださったのは、20年前にクライアントだったTさん。現在は労務管理事務所を主宰していらっしゃり、私の20代(ぴっちぴちで可愛かった頃)をよくご存知なのである。


そこで、ふと思い出したことがあった。私が30歳になったころのこと。取引先から、社内報の少し拡大版「○○新聞」みたいなノリの情報誌が毎月送られてきていた。そこに、私と同年代の女性たちが綴る「三十路オンナの独り言」(不確かですが)というコーナーがあり、三十代を迎えた女性の悲哀、三十代だからこそわかることなどが書かれていた。そして、私はそのタイトルに不快感を持っていた。
三十路という表現自体、古くさいし、今や三十代の女性は輝いている人ばかりなのに、どうしてこんなマイナス方向の表現をするのかしら?同じ三十代を楽しく過ごしている女性が不快な思いをするのでは???と思い、一度その担当の方に「タイトル、少し変えてみては?」などと生意気なことを申し上げたことがある。数ヶ月したら、そのコーナーはなくなってしまった。なんだか余分なことを言ってしまったのでは?と自責したけどすでに遅し。生意気な自分を恥じていた。


今回、Tさんがお感じになったのは、この時の私の感覚と似ているのかもしれない。昔の使い古された表現で今の自分を卑下するのは女性として美しくない、と。
そして、見た目も中身も確実に年老いていくという現実に、四十オンナという表現を加えて使えば悲壮感がある。ふむ、確かにある。イマドキ風に言えば、痛いってやつですね。

というわけで、今日から、四十オンナ、封印いたします。これからどんな言葉で表現するかはまだ未定。Tさんからは「言葉のプロなんですから」とプレッシャーをかけられているので、考えなくっちゃ。

もう四十オンナとは言わない、と言って、結果、言っている、パラドックスなコラムになりました!


スイーツ天国!【えとせとら】

先々週、友人のフリーアナウンサー・加藤千佳ちゃんのお誕生日パーティーが開催された。場所は、クッチーナ・イタリアーナ・ヤヤマ。我が家から徒歩数分のイタリアンで、千佳ちゃんセレクトメニューもあり、美味しく楽しい会だった。彼女はアナウンサー業のかたわら、スイーツやパンのサイトを主宰していることもあり、その夜はなにかとスイーツが話題になった。


オーナーシェフの矢山氏が千佳ちゃんのために作ったバースデーケーキはメガサイズのショッキングピンクイチゴケーキだったし(シメシャンはロゼを用意していけば良かったぁ〜と後悔しきりでした)、某T島屋でオープン直前だったドーナッツがお目見えするし、シフォンケーキで有名な某F社の新商品も試食できちゃったりした。


こちらが某T島屋に17日にオープンしたばかりのドーナッツ。なんでもオープンした日は千人あまりの行列ができたという話だけど、すごいですよね。T島屋の独身ナイトハンター・ナナちゃんがばっちりアピールしていた。


そしてこちらは、フレーバーの新商品「マーナズ・グラノラ」。(ボケボケでごめんなさい!)岩田社長自ら説明してくださり、口卑しい私は食事中にもかかわらず早速味見させていただいた。見た目はビスケットっぽいけど、実際いただいてみるとシリアルをぎゅっと凝縮した感じで、美味しいんです。オートミール・ブラウンシュガー・メープルシロップだけが原材料だと岩田社長はおっしゃったけど、どうやって固めるの?と素朴な疑問がわいたので聞いてみた。


「シリアルのでんぷん質を利用して固めてるんですよ〜」とのことで、これまたびっくり。余分な物が一切入っていなくて、噛み締めるほどに自然の甘みをじんわり感じることができる。普通のシリアル感覚で牛乳かけちゃっても良さそうだし、岩田社長いわくヨーグルトとの相性も良いのだとか。これもT島屋のフレーバーで買えるそうです。


というわけで、千佳ちゃんバースデーは、私も大好きなスイーツ話とワイン話と美味しいお食事やお店情報、さらには一部エロトークも混じり合って、楽しく不思議にコーフンした一夜だった。お食事やワイン、そしてエロスはすべて繋がっている、とどこかのゲージュツカがおっしゃってたなぁと思いつつ、それがどなただったのかを思い出せないままに、千鳥足で久屋大通を北上して帰路についたのだった。一体誰だったんだっけか???


こちらは、これまた某T島屋に1月末から並び始めたワタクシの大大大好きな豆大福!東京上野の岡埜栄泉から、なんと毎日入荷しているというんだから、T島屋のスイーツ根性にはたまげた!下町上野の銘菓と言えば、岡埜栄泉の豆大福とうさぎやのどらやきと昔から決まっていて、上野の美術館に行く時にこの大福のことを思い出し、どうしてもガマンできなくって豆大福を買い、上野公園のベンチで食べちゃうのが私の数少ない至福の時間である。江戸では町民文化が発達したから、今でも銘菓と言えばおせんべいや大福などの庶民派おやつが美味しいのだ。京都は上品な生菓子や干菓子ですよね、やっぱり。


岡埜栄泉は、根岸にも谷中にもあって(別々の経営らしいんだけど)、特に谷中のお店は構えもご店主のおじさんも昔の風情たっぷりで大好きだ。いつか、名古屋へお土産に持って帰りたいとおじさんに告げると、「うちのはね、やわらかさが売りなんだから、絶対に今日中に食べてくださいよ」と江戸弁でまくしたてられたことがある。何が美味しいって、そのおじさん言う通り、日持ちはしないが塩味がしっかりきいた皮のやわらかさ、そして餡のコクと味わい深さだ。T島屋さんのご努力のおかげで、この豆大福を毎日でも買うことができるのだから、本当に新幹線とT島屋の企画担当の方には感謝感謝である。(一回前のコラムには確か地元で獲れた物を地元で消費するべし的な記事を書いているっつうの!)あ、上野のうさぎやは、大学時代の同級生・谷口クンが家業を受け継いでいるお店でございますので、こちらのどらやきも名古屋駅のT島屋で買えるようになったりしちゃったら嬉しいなぁと思う今日このごろである。


さくら城に沈む月【えとせとら】

昨夏30年ぶりに再会を果たした中学時代の同級生・井戸えりちゃん。彼女から先日一枚のハガキが届いた。井戸えりちゃんは、立体美術家で、かばんも作っちゃうし、舞台の衣装なんかも担当するマルチアーティスト。いろんな所で個展やグループ展を開催し、地道に制作活動を続けている。今回は、彼女が衣装を担当するお芝居のお知らせだった。
「さくら城に沈む月」という舞台は、戦国時代の伊勢の国に実話をもとに作られている。話の舞台になっているのは、現在の四日市市桜のこと。さくら城下でおきる恋愛話と家同士の争いなど、いろいろな「縁」が紡がれ、もつれ、ほぐれていくお話らしい。
えりちゃんは、衣装のデザイン、一部染色、縫製を手掛けている。一人で全部やっちゃうなんてスゴいですよね〜。そのお芝居には仏教版ゴスペルの「声明」も加わるとのことで、楽しみな舞台になりそうだ。声明は歌うように唱えるお経みたいなもので(間違っていたらごめんなさい)、以前に京都のお寺の住職さんと知り合いになった折に聴かせていただいたことがある。私が聴いたのはゴスペルというより、どちらかというとお経のフォークソングみたいな感じだったけど、おそらく歌う人によってまったく印象が違うのだと思う。
この舞台は今月末の週末に名古屋・覚王山の相応寺本堂でおこなわれるというのだから、これまた空間と舞台の相性も楽しみな要素のひとつである。
ご興味がおありの方は是非お出かけくださいませ。
チケットぴあでも取り扱いがあるようでございます。


「さくら城に沈む月」 劇工房MAKOプロデュース
3月26金曜19時、27土曜19時、28日曜18時30分
入場料/一般前売2500円、当日2800円
お問い合わせ/劇工房MAKO企画 09017520168(浜島)
www.md.ccnw.ne.jp/makokikaku/
会場・浄土宗 宝亀山 相応寺本堂


梅の精 桜の詩【えとせとら】


本日より3/28まで、名古屋・栄の地下街セントラルパークにあるセントラルギャラリーで、カメラマン池田史郎氏の個展が開催される。タイトルは「梅の精 桜の詩」。史郎さんが何年にも渡って撮影した梅や桜など、日本の里山の美しい風景を圧倒的なスケールで観ることができる。池田史郎さんは、名古屋の広告カメラマンとしてはすでに重鎮で、スタジオワークのご意見番でもある。はじめて会う人は多分小難しいという印象を持つと思うけど、実際にお話していると結構というかかなりお茶目な人なのだ(奥様の敏子さんがこれまたサイコーにお茶目で可愛い方!)。ところが、今回の作品はご本人の印象とは少し違って、マジメに美しい。圧倒的な花の美しさを史郎さんが黄金比率に切り取ったもので、作品を見せてもらった時は思わず「きれい」と言葉をもらしてしまった。史郎さん曰く、「春の花は、どんな人の顔をも笑顔にする」ので、その花の美しさをなんとか写真におさめたいと思ったそうだ。



この個展に出展されるのは、花の写真が39点。そして、写真に添える文章を私が書かせていただいている。史郎さんの美しい作品にふさわしい文章が書けたかどうか、少し不安はあるけれど、皆様、お時間がございましたら、あるいは「久屋大通」駅で乗降されることがあったら、あるいはセントラルパークでお買い物されることがあったら、セントラルパークの一番北側のセントラルギャラリーにて3/28まで開催されているので、是非足をお運びくださいませ。
ちなみに2年前、私もこの同じ場所で、フランスの食事情やビオディナミワイン畑を訪ねた旅をエッセイにして発表した「美味しフランスぶらぶら紀行」を開催している。あれも4月のはじめの頃でまだ花冷えの寒い時期だったことを懐かしく思い出しつつ、今日、会場をぶらぶらしていた。


なごや下町商店街ムービー【えとせとら】

さてさて、今日は映画製作のインフォメーションです。友人の高木麻里が製作委員会の会長を務めているのが「なごや下町商店街ムービー」である。名古屋市西区の円頓寺商店街の理事長の肩書きを持つ彼女の、生まれ育った商店街での体験をもとにしてストーリーが作られており、テーマは「おせっかい」だそうだ。
小学生の男の子が主人公で、円頓寺商店街や堀川が舞台となり、商店街の人々もボランティアで協力するというのだから、手作り感あふれる映画になるだろう。監督は古波津陽さん、撮影は桐島ローランドさん。公開予定は今年の終わりか来年の頭くらいだそうだ。


そこで、皆様にお願いしたいのがこの映画製作のための支援金のご提供、である。個人の方なら一口1万円〜。企業協賛は30万円、100万円がある。支援金を提供すると、エンドロールやパンフレット、DVDに名前が掲載されるほか、チケットやスペシャルDVDが進呈される。かくいう私も個人名義でなけなしのお金を提供するつもりだ。私自身がこの商店街が大好きで、下町情緒という言葉をそのまま町にしたような温かい商店街に、いつも自転車をかっ飛ばして遊びに行っている。
行けば必ず買うのが、お肉屋さんのコロッケとメンチカツ。「菊井カツ」でソースをたっぷりかけて食べる串カツも捨てがたいけど、「はね海老」の海老フライも「西アサヒ」のタマゴサンドも、さらに「勝利亭」のハヤシライスも迷うところだ。高木麻里の実家である下駄屋さん「野田仙」にはそろそろ今年の下駄を買いに行かなくちゃいけないし、野田仙の真ん前にはスタイリストさんがオープンさせたばっかりのお店があるからのぞかなくちゃいけないし、その隣にはもうすぐスペインバルが開店する。ねっ、楽しそうでしょ〜円頓寺商店街!
皆様、ぜひぜひ、この素敵な町を舞台にした映画製作に、支援金のご提供をよろしくお願いいたします。私の手元に紹介パンフレットがいっぱいあります!
お問い合わせは → 052-990-6428 (なごや下町商店街ムービー製作委員会事務局)
オフィシャルサイト→http://www.nagom.jp/


妄想クイーンの告白【えとせとら】

なにを隠そう、私の趣味は妄想で、特技は妄想を現実と間違えて周りに変な顔をされてしまうことである。人呼んで妄想クイーン。
プロダクション社長でコピーライターの伊藤秀一氏からは、「アンタの拡散思考っぷり、結構好きだよ」とお褒め?の言葉をいただいたが、妄想なのか拡散思考なのかは定かではない。お仕事をしている時以外は、食事中も含めてほぼ妄想の時間だ。先日もある人から「スコッチパーティーやるからおつまみ担当しない?」と言われて、以来、毎日スコッチに合いそうなおつまみやパーティーの様子が勝手に頭の中を巡り続けて止まらない。誰か止めて〜。


この妄想癖は一体いつからなのか?とこれまたダブルで妄想している時、テレビで布施明が歌っているのを見て、人生最大の妄想劇を思い出した。そうだ!妄想歴によると、布施明は親戚だったんだ!


幼稚園児の頃、布施明は当時のアイドル世代よりも少し年上で、イカしたお兄さん的な存在の歌手だったと思う。特に好きな歌手、というわけではなかったのだけど、なぜだか幼稚園児だった私の夢の中に出てきたのである。


その夢とは・・・布施明は、母と年の離れた弟で、オトナの事情により姉弟と知らされることなく別々に育てられ、今は東京で歌手として成功している。その布施明が、祖父母の家を訪ねてやって来た所に偶然私が居合わせてしまう。祖父母からは、布施明が母の弟であることは誰にも言ってはいけないよ、と厳しく教え込まれたので、私は何があってもその秘密を口にしまい、と固く心に誓うのである。


その夢から覚めた後も、布施明叔父さん説はなぜだか現実の私の頭の中にしっかり残っていて、布施明は本当に私の叔父さんなんだ!と勝手に信じていたのである。今から思うと、なんでそんな妄想が働いたのかはわからないけれど、子供の脳は意外に大人びているもので、絶対にこれは言ってはいけないんだ!と必死に秘密を隠したつもりでいた。テレビで布施明を見るたびに、祖父母の心痛を思って、一人枕を濡らしたのである。


というわけで、およそ半年あまり、私は布施明が叔父さんだと信じて疑わなかった。ところが祖父母はその後なにも言わなかったため(当たり前だ!)、いつの間にか叔父さん説を忘れてしまい、なんとなく「んなわけないよね〜」的に事情はのみこめていったのである。


それにしても、我ながら大した妄想である。今でも、テレビにキムタクとかが出ていると、もしキムタクが恋人だったら・・・やっぱ寝化粧しちゃうよな〜、それでもって・・・などと考えることしばしば。昔のドリフターズの「もしも○○○だったらシリーズ」(これがわかる人、年代層一緒ですね!)の世界を地でいく感じの生活だ。


そんなわけで、日々妄想を繰り返すワタクシですが、この場で布施明さんに深くお詫び申し上げます(お読みになるわけないけどっっ)。私は幼稚園の頃、約半年間、勝手に叔父さんだと思い込んで日々を過ごしておりました。大変ご迷惑おかけいたしました!


女子会続き!【えとせとら】

先週から今週にかけて、〆切に追われる毎日を過ごしつつも、夜は親しい人たちとの会合が相次いだ。暇だと言われる広告業界もさすがに年末はバタバタしたからか忘年会がほとんどなく、その分、今年は新年会が妙に多かったような気がする。数々の会合の中でも、特に記憶に残っているのが「女子会」である。文字通り女性ばかり、気の置けない人が集った食事会だった。


これは、おねえさまお二人とご一緒した女子会。直美おねえさまと美紀おねえさま。場所は新栄の勝手屋。相変わらず何を食べても美味しかった〜。お二人は何十年にも渡る親友同士で、私が親友の会に特別参加させていただいた。


私よりもほんの少しおねえさまのお二人とは、マシンガントークあり、涙あり、笑いあり(笑いが一番多かった)で、勝手屋がお店を閉めるぎりぎりまで楽しく時間を過ごすことができた。さすがに40も過ぎれば、仕事先では年下の人を相手にすることが多くなってきたこのごろだけど、おねえさまと一緒の時間は心のどこかで甘えてしまうらしく、気持ちも楽だったからかお酒は進み、時間経過と共に確実に加速度的に酔っぱらっていった。話題は恋バナからバブルの懐かしい想い出話まで。厳しい時代をたくましく生き抜くお二人のお話を聞いていて、私も頑張らなくっちゃと酔った頭で考えつつ、歩いて帰途についた。多分、知らない人が見たら、あぶなっかしい千鳥足で酔っぱらいの四十がらみだっただろうな〜、と少々反省。


そして今週、我が家にて開催した女子会は、名付けて「男前女子会」。お仕事でご一緒する女性陣の中でも、あっぱれな小気味良さや見事なさばきでとりまとめていく姿が印象的なOTさんお二人(イニシャルトークにしてみてはじめて気づいたけど、お二人ともイニシャルがOTだ!)と、我が家のお隣さんである由美さん(彼女も見た目と違ってなかなか男前)をお見合いさせる会だったのである。それぞれが初対面ということもあり、我が家だったらすぐに場も和むかと思い、拙宅での開催となった。


これは女性4人でその夜平らげたお酒たち。
料理は和食に極めて近い中華とお伝えしてあったので、
皆さんにお酒を持ち寄っていただいたのだが、
純米酒を選ぶあたり、なかなか男前、でしょ?


前半は和食、進むにつれて中華に変貌していったメニュー。
お肉は、ちょっと不思議な食感のマリコ酢豚!
(と言っても、私が酢豚になったわけではござんせんよ)
これにロゼのカヴァがよく合ってました〜。
最後は麻婆豆腐を食べられるだけ炊きたてご飯にかけて!とお出しすると、お鍋いっぱい作ったはずの麻婆豆腐が見事になくなった。食べ方も男前!こういうのって、作った甲斐があると言うか、本当に気持ちの良いものですね。


どちらの会でも話題になったのは、最近の草食系男子や、男前と言える女性が多くなったことだった。皆さんとお話する中で思ったことは、男前と言われていても、彼女たちは決して「男まさり」ではないということ。むしろ女性らしいきめ細やかな心配りができ、てきぱきと仕事をこなしている。時に侠気あるなぁと思えるほどの決断力や行動力を発揮するので、それが男前と映るのである。結局、男性と女性の区別なく、人間の魅力として、それが男前と表現されているだけなのだ。
世の男性諸氏、どうか誤解なさらないで聞いてください。男まさりと男前は違いまするぞ。むしろ男前な女性ほど、内面は女性らしくて美しい人が多いような気がします。そういう内面を理解される男性が少ないようでそれが残念でもありますが。前述のOTさんはお二人とも花の独身。どなたか紹介を希望される方があれば、ぜひご一報を。またいつでも「男前女子会」を開催いたしますので!(念のため申し上げると、私も花の独身ですがっっっ)


同級生の無条件シンパシーVol.2【えとせとら】

高校の同窓会があった。と言っても、クラスや学校のオフィシャルな同窓会ではなく、お互いに連絡がつく人同士が声を掛け合って集まった、総勢14名の小さな同窓会だった。ほとんどが高校を卒業して以来の再会で、結婚して名字が変わっていたり、住む場所が変わっていたり、ちょっぴり体型が変わっていたりしたけれど、30分も話していたら、20数年前の高校生にすっかり戻っていた。人間って変わらないもんですね〜。アイドルだった女の子は、やっぱり主婦になっても同級生の間ではいつまでもアイドルで、人を笑わせ惹きつけていた男の子は40過ぎても人気者だ。


驚いたのは、同級生たちが立派になっていたこと。我々マスコミ系で言えば、三の丸の新聞社やら大手代理店やら。他にも家業を継いでいる人、会社経営者、銀行マン、そうそう政治家になった人もいた。女性の方は、私以外皆結婚していて、多分、シアワセな家庭生活を営んでいる。仕事の話をしていれば視点がぶれていなくて頼もしい限りだし、子供の話になれば良いお父さんやお母さんの顔になる。なんだか極楽トンボな生活しているのは私だけみたいだ。やれやれ。


それでも、以前このコラムに書いた「同級生の無条件シンパシー」は、この夜も私の中で炸裂し、普段のビジネス環境とはまったく異質の心地良さを感じつつ、気分良くお酒を飲むことができた。10代後半の3年間を同じ校舎で過ごしたというだけの関係なのに、あの安心感はなんなのでしょうね。皆と時間を過ごすほどに懐かしさが増し、深夜帰宅してからしばらくは頭の中が卒業アルバムでいっぱいになり、なかなか眠れなかった。


思い返してみると、高校を卒業してすぐに地元を離れてしまったせいもあり、連絡を取り合っている友人は数少ない。誤解を恐れずに言えば、同級生との邂逅を、心のどこかで懐古趣味だと自分勝手に捉えていたのではないだろうか。大人になった自分を見せるのが気恥ずかしいような、そんな気持ち。それが40を過ぎて、自然に垣根が取っ払われたのはなぜだろう。
人は、生きてきた時間の分だけ想い出があって、年を重ねるほどに懐かしさの分量は増えていく。ある時点から、想い出の中にパワーを見つけることがプログラミングされていて、懐かしい人々との邂逅が必要になってくるんじゃないかな。きっと、そうだ。年をとるって悪くないものだなぁ、と独りごちて眠りについた。


薄壁の悲哀【えとせとら】

2回連続で博多出張ネタで失礼いたします。
博多では取材は順調に進み、取材先で温かい人情にふれ、美味しい玄界灘のお魚を食し、大変良い気分でホテルに戻った私。ホテルはよくある普通のビジネスタイプで、お部屋は決して広いとは言えないけれど、清潔で心地よい空間だった。のんびり入浴してからお茶が飲みたくなり、廊下の自動販売機に向かうと、そこには「美男子」という言葉をそのまま人間にしたような、見目麗しい男性が立っているではありませんか。お風呂上がりのスッピンを恥じながらも、軽く会釈してもう一度美男子をチラ見しておいた。ビジネスホテルにはおよそ似合わない風貌である。やんごとないお生まれの貴公子である彼は、お父上の厳しい帝王学教育により、世間の荒波へと送り出され、こうしてしがないビジネスホテルに宿泊してお仕事されているに違いない。ほんの数分で、私の妄想は勝手にどんどん膨らんでいった。


そして驚いたことに、その貴公子は私の隣の部屋へと入っていくではありませんか。そう、この夜、私はどこかの国からやって来たプリンスと壁一枚をはさんで眠る運命となったのである。だからどうってわけではないけれど、なんとなく緊張するものだ。それほど、その貴公子は美しいお顔立ちをされていたのである。


眠る前の儀式のようにして、いつも本を読む癖のある私は、その夜もベッドに寝転がりながら文庫本の世界に入り込んでいた。すると、壁の向こうから奇妙な音がする。ビジネスホテルならではの壁の薄さだった。しかも音のする方向はあの貴公子のお部屋だ。何事かしら?と耳を澄ますと、もう一度奇妙な音が。なななんと、それは貴公子が放屁された音だった。
・・・・・・・・・・・・。
貴公子だって人間ですもの。そりゃ出ますよね。おそらく私の部屋側の壁に背中をくっつけるような格好だったのでは?と思うほど、その音ははっきり聞こえた。面白いのは、その音がいかにもつまらなさそうに聞こえたこと、そして一回ならずも何十回もの放屁をされたことである。
最初はつまらなさそうだったのが、なんとなく眠そうな音へと変化し、私もその眠そうな音に誘導されて、いつしか眠ってしまった。
玄界灘の美味しいお魚と共に、貴公子の放屁も博多の良き想い出のひとつに加えようと思う。