えとせとら

レストランにおける隣人愛について【えとせとら】

 昔々のお話。実家の一本北の道にカトリック教会があったので(今でもあるけど)、小学3年生の頃、ただ単なる憧れと興味だけで友人と一緒に日曜ミサに出掛けていた時期があった。賛美歌を歌ったり、聖書の中に出てくるいろんなお話について神父さんからお話を聞いたりしていたが、その中の言葉で「汝の隣人を愛せよ」というのが子供心に引っかかってならなかったことを覚えている。なんで隣にいるというだけの人を愛さなければならないのか?もちろんカトリックの教えには深い意味があったはずなんだけど、先日2軒のレストランにて余りに隣人(隣席)に恵まれないことがあったので、大人になって改めて、隣人を愛することとは一体なんぞや?と考えてしまった。
 ひとつ目のお店は数ヶ月前のこと。名古屋のイタリアンで予約がとれないことで有名なお店(イニシャルだけで絶対に分かってしまうので店名は伏せますね)にて友人たちとディナーを楽しんでいた。女子4人で食事とワインを楽しんでいる私たちの隣に、20代と思われるカップルがやって来た。
男「予約には苦労したんだよ。何回もトライしてやっととれたんだ!」女「一度は来たいって思ってたお店なの、◎◎さんホントにありがとう♥嬉しいわ!」という会話から想像するに二人はまだ交際しておらず、男性の雰囲気からして、予約困難店でのディナーで「キメてやるぜ」みたいな匂いがぷんぷん漂っていた。2皿目のアンティパストが終わった頃、パスタ好きらしい男性は「パスタって大盛りにできますか?」とお店の人に聞いていた。ううむ、パスタハウスじゃないんだから大盛りはないでしょ〜?と、このあたりから私たちは耳ダンボ。相手の女性も目が点になっているところを見ると、彼女の方がレストランには慣れているみたいだ。お店からさりげなく大盛りを断られた後に、件のパスタが運ばれてきた。そして次の瞬間である。男性はズルズルズルズルズルッ!とけたたましいすすり音をたてて、パスタを召し上がったのだ。いや、喰らったという表現の方が正しいかもしれない。私たちも周りのお客さまも、そしてお店のスタッフも、そこに居合わせたすべての人の動きが一瞬にしてフリーズした。目の前にいる女性は、驚きを通り越してすでに怒りの形相に変わっていた。男性は、パスタがお皿からなくなるまで、一心不乱に音をたてた。それからである。女性はほとんど話をせず黙って料理を食べ、男性はなぜ女性が不機嫌になったのかがわからず困り果てたまま、ほどなくするとディナーが終わった。男性が会計を済ませている間に女性はすっくと席をたち、一言のお礼も言わないまま、さっさとお店を立ち去ってしまったのである。手に汗にぎる、すごいドラマを真横で見た夜だった。
●さて、ふたつ目のお話は私が大好きな東京のフレンチレストランでのこと。私たちの隣人は家族連れだった。40代の歯科開業医とその妻、中学生くらいのお嬢さんの3人で、どうやらご夫婦の結婚20周年記念ディナーだったようだ。なぜここまで詳しい情報を私が知っているかというと・・・この夜の隣人は極めて声が甲高くて大きく、ビックリするほどのおしゃべり好きだったのだ。ご主人の病院で事務を手伝っている奥さんは、娘のPTAの役員にもなっていて、ママ友との付き合いに苦労していること。病院事務の古株であるおばさんと仲がよろしくないこと。そろそろ娘の受験体制を整えなければいけないことなど、息つくヒマなく(マジでお食事は口に入っているのか?と思うほど)しゃべり続けている。気が短い私は何度もキレそうになった。「ねぇ奥さん、お金持ちのアナタにとっては、いつでも来られるレストランかもしれないけど、わたしゃわざわざ名古屋から新幹線に乗って来ているんだし、美味しいお食事とワインとフレンチレストランならではの優雅な時間を楽しみたいんだよっ。お願いだから、アナタの娘の受験や塾の話、ママ友や病院のおばさんの話を、まったく関係のない私に聞かさないでくださいっ!ここでは非日常を味わいましょうよ。もしくは、どうしても話したいなら、もっと小さい声で話してっ!(←妄想)」と言えたなら良かったんだけど、意外にもチキンハートなものでして、結局言えないまま、前述の妄想劇を想像しつつ我慢して時を過ごしていた。せっかくの美味しいお食事も残念ながら半分くらいはイメージダウンしてしまった。この奥さんのように周りがまったく見えなくなるタイプは、同性を悪くは言いたくないが、一般的に男性よりも女性の方が多いような気がする。私も他人からそう思われないように、気をつけなくっちゃですね、ホントに。
 それにしても、今回のコラムは完全に私のぼやきになってしまった。読んでくださった方、どうもありがとうございました。そして奇しくも今月は、上記の2軒、どちらのお店にも再訪予定となっている。はてさて、今度、私は隣人を愛せるだろうか。


善と悪うごめく、"ウィキッド"【えとせとら】


昨日は、映画のおねいさん・松岡ひとみさんと"ひとだん"(ひとみさんの旦那様)にお誘いいただき、劇団四季のミュージカル"ウィキッド"のプレビュー公演にお邪魔してきた。会場にはマスコミ関係者やスポンサー企業の方々でにぎわっていて、ロビーでもトイレでもお知り合いに会いまくり。新名古屋ミュージカル劇場がとっても華やかな雰囲気になっていた。(名古屋外の方々のためにー新名古屋ミュージカル劇場とは、13年前にオープンした劇団四季の専用劇場)
さて、ウィキッドのサブタイトルは「誰も知らない、もう一つのオズの物語」。あの有名な童話「オズの魔法使い」から想を得て作られたアナザーストーリーだ。ドロシーは出てこないけど、良い魔女・グリンダや、ブリキ男、かかし、ライオンは登場するし、オズの国もエメラルドの都もお話に出てくる。「オズの魔法使い」は子供も大人も楽しめるファンタジーなお話だけど、このミュージカル"ウィキッド"はどちらかというと大人向けの内容だなぁと思いながら舞台を拝見した。友情、愛憎、ヒューマニティ、社会風刺、そして善と悪の表裏一体など、いろいろなテーマが見え隠れする内容だったのである。


生まれながらにして肌が緑色のエルファバは、その肌の色からコンプレックスにさいなまれるが、魔法の力に気づいた時から人生は一転する。観客は、この主人公エルファバに知らず知らずのうちに自己投影をしていくのである。どんな人間でも内側には誰にも言えないコンプレックスを抱いて生きている。そのコンプレックスとどう向き合っていくかが、人生の表に出てこないテーマの一つだと思っているのだけど。エルファバのように明らかなコンプレックスが表面に出ている人物が、悪に立ち向かって善を積んだり、時には悪の道に陥ってしまったり、善者と悪者の間を行ったり来たりする。その姿に思わず応援してしまい、善と悪の間でうごめくエルファバに自分を投影するのである。


アメリカのミュージカルとは思えない哀しみの結末を迎え、それでもどこかスッキリした気分で会場を出ると、秋晴れの青空が広がっていた。プレビュー後はお楽しみサプライズがあるよ、とひとみさんから聞いていたんだけど、なんと会場をヒルトンホテルに移してのオープニングパーティーですって。え〜ホテルでパーティーだったら、もう少しきれいな格好してくれば良かった〜。思い切り普段着やん。


「いいのいいの、気にしない!」とひとみさん。
ヘアメイクの村上由見子さんに
PARTY PASSをペタっと貼ってもらい、
ヒルトンホテルへ歩いて移動。


舞台にはキャストの方々が勢揃い!
ついさっきまで緑色だった方が美しい淑女に早変わり。
役者さんってすごいですよね。
愛知県出身の役者さんも多くいらっしゃった。


役者さんが各テーブルをまわってお話してくださった。
真ん中の男性が、フィエロ役の北澤祐輔さん。
(写真ボケボケですみません)
舞台でもかっこよかったけど、本物もかっこよかったですぅ〜♥


左端がマダム・モリブル役の中野今日子さん。
彼女のお肌の美しさには、女子全員がうっとり。
舞台の内緒話も少し教えていただき、楽しかったです。
(ひとみさん、綺麗な写真ありがとうございました)


ミュージカル"ウィキッド"は、新名古屋ミュージカル劇場で今日から開幕。日本では東京、大阪、福岡に次いで4番目の開催だそう。ミュージカルは苦手・・・という方にもマジメにオススメできる大人のお話なので、是非お出掛けくださいまし。お話そのものはもちろん、劇団四季のレベルの高い歌とダンス、そして必見は凝りに凝ったクラシカルな衣装(溜め息がでちゃいますぞ)、デコラティブなヘアスタイル。どれも本当に素晴らしいものばかり。私ももう一度観たいと思っているので、どなたかよろしかったらお誘いください。詳細はこちらへ。
さて昨日はこのパーティーの後、友人の舞踊を拝見するために観月会へ。慌てて帰宅し、お着物に着替えて速攻で再びお出掛けした。その時の様子は次回にアップします。


お肉が熟成するということ【えとせとら】


コラムアップが遅くなってしまいました、熟成肉を喰らう話。ネタまで熟成させちゃいました。今から遡ること2ヶ月前にご近所の美味仲間であるdannaさんから「カルネヤ名古屋会やるよ〜」とお誘いいただき、肉食人間がなんと30人も集った。そう、神楽坂の肉系イタリアン「カルネヤ」の高山シェフが名古屋に出張してくださり、ご近所の「ラ・ヴェンタ・デ・ラ・フエンテ」にて熟成肉の会となったのだ。もちろんプレゼンテーターは料理上手かつホントのグルマンのdannaさんである。
さて、熟成肉とは肉を専用の熟成庫などで保存して、旨味成分を増加させたもののこと。今まで日本の肉文化は、圧倒的にサシ重視&新鮮さ重視だったので、肉を熟成させるという発想自体がほとんどなかった。サシ(脂身)が赤身にどれだけ均等にきれいに入っているかが、人気のある牛肉の物差しだったのである。脂身の少ない上等なフィレ肉もあるにはあるが、まだ旨味が完成されていないまま食すことが多く、熟成という段階にはほど遠いものがほとんどだ。確かにサシがきれいに入った新鮮な牛肉は脂身のコクと甘みが赤身を引き立てて、美味しいお肉であるんですけどね。


熟成させるという発想は、肉食の歴史的先輩諸国である欧州で盛んにおこなわれている。特に野鳥類などは腐る寸前まで熟成させて野性味あふれる獣臭まで含めて食すのが肉食先輩諸氏の贅沢なのである。日本では野菜も魚も新鮮が一番の贅沢であり、魚を熟成させることはあってもせいぜい数日から1週間。その感覚でお肉を食べてきたから、肉の熟成には思い至らなかったのでしょうね。


ところが、この15年ほどだろうか。日本のレストランでも熟成した牛肉を供するお店がぽつぽうと出始めている。近江や神戸といったブランド和牛を、脂身を含めて熟成させたもので、ちょっとエロスを感じるねっとりとした味わいが特徴だ。まだギャニエールが青山にあった頃に、宮崎牛の熟成肉をギャニエール風の料理でいただいたことが鮮明に思い出される。


ところが、このカルネヤの熟成肉には脂身がほとんどない。ホルスタインの4ヶ月熟成を主に使っているとのことで、脂身は共に網で焼くが卓上に上る時には赤身の部分だけが「赤いのに温かい」という理想的なロゼ状態で出てくるのである。実はお肉というのは脂身がないと非常に焼きにくいもの。火は脂身を通して入っていくため、内側に脂身がない肉の火加減は完璧を求められる。その完璧な火加減をやってのけちゃうんだから、さすがに肉焼き名人である。その日のメニューは前菜から最後までお肉のオンパレードだった。中には白味噌や鮎の内臓うるかを隠し味に使ったメニューもあり興味津々。もう肉食人種がまさに肉の塊に食らいつく様子は、見ていても食べていても気持ちが良いものだった。以下、一部のメニュー写真です(普段はお店の料理の写真は撮影しないことにしていますが、この時ばかりは特別に撮影させてもらっちゃいました)牛肉、豚肉、鶉、鹿など、ニクニクしいメニューばかり。



さて、赤身が美味しい熟成肉の話(前フリが長過ぎっ)。脂身たっぷりのエロスあふれる熟成肉と違って、赤身そのものの味わいが深くなっているので、エロスとは真反対の、噛めば噛むほど系のスルメ的な肉質だった。おそらくその牛の餌の穀物系の香りもする。従来の脂身系熟成肉が鈴木京香さんだとしたら、カルネヤの赤身熟成肉は山口智子さん。う〜ん、やっぱりちょっと違うかな。ま、でもつまり、女性だって色気があればイイ女とは限らないわけで、色気はないけどイイ女が赤身の熟成肉といったところでありました。


そしてさらに嬉しいニュース。我が家のご近所でもあるスペインバルのラバノ(カルネヤ会の会場となったラ・ヴェンタ及びラ・フエンテの姉妹店)では、先月あたりからこの熟成肉をメニューにオンリストし始めたのだ。山内シェフが渾身の「焼き」を仕上げてくれる。エロスはないけど味わい深い熟成肉がいつでも食べられるようになったというわけ。これも平成の旦那衆dannaさんのおかげです。ありがとうございました。


約1時間40分の妄想劇【えとせとら】

明日の取材のための前入りで、今日から東京に来ている。打ち合せやら雑務をバタバタとこなし、新幹線に飛び乗ったのは夕方になっていた。夏休みだからか、まだお盆休みの人が多いからか、車内は満席で立つ人もいるほど混み合っていた。私はいつもの[2人席の通路側]を指定していたので、その座席に向かうと、なんとそこにはギターケースが置かれているではありませんか。お隣の窓際の席に座る男性の持ち物らしいので「あのぉ」と声をかけると、「あ、座ります?」と聞かれ、心の中で「あったりまえでしょ?指定とってるんだから」とつぶやきながらも、顔ではニッコリ笑って「えぇ、すみません」と外面良く答える私。自分の荷物を棚に上げようとしていると、その男性はギターケースを抱えて座ったまま窮屈そうに体勢を保っていた。なにも大きなギターケースを抱えなくても、棚には十分なスペースがある。親切心のつもりで「上に置けますよ・・・」と声をかけると、その彼はきっぱりと「いえ、大丈夫です」と答えた。なんだか変な人だなぁ。
おもむろに荷物を片付け、お茶と本をテーブルに置き、新幹線での佇まいを整えた私は、ふと足元を見て再び驚いた。お隣の彼は、ギターケースが床に触れないように、自分の靴の甲の部分にタオルを載せ、その上にギターケースを置いて抱きしめているのである。な、な、なんですと???ギターがそんなに大切なのか?この人は。それとも新幹線の微妙な振動がギターに不具合を与えるんだろうか。さらに30分が経過しても、その人は姿勢を保ったまま、ギターケースを抱えて座っていた。
妄想好きな私は本を読むふりをしながら、お隣の男性の人生についていろいろなことを思いめぐらすことにした。妄想1→地味な格好をしているけど有名なギタリストで、京都あたりで演奏活動をして東京に戻る途中。妄想2→ギターのコレクターで、関西のオークションで珍しいギターを手に入れたばかり。妄想3→実は中身はギターではなく、今高騰している金塊が入っている。中身が金塊だと思うと、俄然ドキドキしてくるから不思議だ。う〜ん、楽しいなぁ。
妄想をしながら、いつしか私は中学時代のT先生のことを思い出していた。中学一年生の担任は、自分が音楽の先生だったこともあり、私たちにやたら合唱を練習させようとしていて、2日に一度はピアノを弾いてクラス全員で唄うことが習慣になっていた。中学生活に慣れ始めた初夏のある日。T先生は一生懸命にピアノを弾いて暑くなってしまったのだろう。着ていたジャケットを脱いで、あろうことか、それをピアノの上にバサッと置いたのだ。私はビックリした。音楽を専門にしている人が、大切なピアノの上に脱いだ洋服を置くだろうか。その当時から偏屈な性格だった私は、その瞬間から「この先生のことは信用しない」と心に決めた。
そんな思い出話からお隣の男性の行動を結論づけるとすると・・・。もしギターケースの中身が本物のギターだとしたら、そして男性がギター弾きだったとしたら、T先生とは比べようがないほどに楽器を愛おしく思っている人ということになる。このあたりで妄想は完全にタイプ1に決定づけられ、私の中でお隣は有名なギタリストとなっていった。そうなると、どんなジャンルのギタリストなんだろう、地味な雰囲気から想像するにスタジオミュージシャンじゃなかろうか、などと妄想はステージ2へと発展。そんな頃、新幹線は新横浜に停車し、件の有名スタジオミュージシャンはギターケースを大切に抱えながら、私に会釈をして去っていった。正直言って決してイケメンでもなく、若くもなく、一見したところはただのオジサンだというのに、楽器を愛おしんで使うギタリストというすり込みのおかげで、私は密かに赤面していた。
ぽぉ〜っとしたまま約10分が経ち、車体は再びスピードを落としてホームへとすべりこむ。新幹線を降りると、潮の香りがわずかに混じった生暖かい風が赤面していた私の頬を撫でた。いつもの品川の風だった。


金沢と博多〜寿司職人との対決【えとせとら】


今回書きたいテーマは、金沢と博多を旅した時の話なのだが、残念ながら、金沢の写真はすべてPC内で行方不明(多分間違えてゴミ箱に行ってしまったと思われる)、博多の写真はかろうじて残っているものの、↑こんな意味ない写真しかない。基本的に飲食店で食事をする時は写真を撮らないことにしているので、お寿司ネタで書こうとしているのに、お寿司の写真がまったくない。ご容赦くださいませ。でも一応いいわけしておくと、「博多駅」の表示マークが「博多献上の柄」にデザインされているのはカッコいいなぁと思ったので、写真を撮ったんだと思う。


さて本題です。春に金沢へ、初夏に博多に出掛ける機を得た。どちらも食いしん坊が旅の友だったので、当然ながら一番の目的は食事であった。そしてどちらもお魚が美味しい場所となればお寿司屋さんが目当てとなる。幸運にも現地に知り合いがいて「地元のお魚をちゃんと仕事して出してくれるお店」とオーダーすると、当地で評判になっているお店を教えてくださった。知らない土地ではじめて入るお店、特にお寿司屋さんとなると、どんなお店なのか、どんな大将か、お魚揃えは?お仕事ぶりは?得意なお魚は?お客さんとの距離感は???など、相手の懐を探るようにして食べ始めなければならない。これは楽しみだけでなく緊張感も伴うものである。まして今回の場合、私は通りすがりの観光客で、お店の人にとってプライオリティは当然ながら低い。仕方ない。一見で終わるかもしれない観光客より、誰だって地元の常連客を大切にしたいものね。金沢も博多もアウェイってことです。そういうことも心して、控えめに努めなければいけないのだ。


あぁ、なのにやってしまったんですね。素晴らしい仕事ぶりを魅せてくださる職人を前にすると、ついつい対決姿勢でのぞんでしまうんです。大将を相手に「もっと違う部位を、もっと別の食べ方も」と無言のうちにプレッシャーをかけてしまうのだ。


金沢の時は「のどぐろ」だった。日本海でとれる高級魚で、火を入れるとバターのような芳香を伴うこの魚は寿司ネタになること自体が珍しい。その日の一番客だった私たちに、大将はのどぐろを尻尾の方から切り、それをさっと炙って握ってくださった。う、美味しい。思わず「もう一回アンコール!」と叫ぶと、大将はやはり尻尾から数えて5切れ目に包丁を入れる。最初に尻尾を食べたんだから今度はおなかの脂がのっている部分を食べたいというのが私の本音だった。でも仕方ない、私は一見の客なのだ。おなかの部分はこの後やって来る常連のために残しておかねばならない。一旦はあきらめ、他のネタをいただいていると、やがて予想通りに常連客がカウンターに並んだ。彼らが順調に食べ進み、のどぐろを食し終わると、ちょうどおなかの部分にさしかかっていた。こんなチャンスを逃してなるものか。私はすかさず3度目ののどぐろを所望した。ここまで来ると大将の根負けである。苦虫を噛み潰したような表情で、大将は炙りの加減を微妙に変えた2カンを塩とお醤油それぞれで食べさせてくれた。脂がより落ちている方をお醤油で、脂がのっている方を塩で。その2カンは本当に圧巻だった。相手がこっぱずかしくなるほど丁寧にお礼を言い、お会計を済ませて帰る時、大将は笑顔をはじめて見せてくれた。多分、やっかいな客がやっと帰ってくれるという喜びの笑顔だったんだと思う(苦笑)。グルメブロガーと称する人々が大嫌いで写真禁止を掲げる頑固な大将の、見事な仕事ぶりには心から拍手を贈りたい。


長くてすみませんね。今度は博多。ここも美味しいお魚の宝庫である。本州では滅多に食べることのないお魚がずらり。江戸前風の仕事をする寿司職人の大将で、地元のお魚だけで勝負している。中でもビックリしたのは赤雲丹だ。もちろんミョウバンはかかっておらず、口の中に海をそのまま放り込んだような香りと独特の甘みが忘れられない。三重県にも坂手の雲丹があるけれど、もうその比ではない。これまたアンコールを何度もすると、最後に大将は雲丹と寿司飯だけで小さく握った一品を出してくださった。わさびも塩もお醤油もなし。こうなると雲丹の生飯という感じでお寿司の領域を超えている。否、これこそお寿司の原点なのかも。ご飯のための雲丹、雲丹のためのご飯。ご飯と雲丹が黄金比率となっていた。


金沢と博多で続けて寿司職人と面白い対決をして以来、むくむくと対決欲望がもたげてきている。それは寿司職人じゃなくても、フレンチでもイタリアンでも中華でもいい。お客の無尽蔵な食欲と探究心を徹底的に満足させてくれる「職人」に出逢ってみたいのだ。そろそろ、また旅に出ようか。


ふぐ屋のサードオピニオン【えとせとら】


今年の安定しない天候はいろんなところに影響を及ぼしている。我が家のベランダで毎年香しく咲くくちなしが枯れかけで半分あきらめていたところ、たった一輪の蕾を見つけたのだ。良かった〜。一部は枯れてしまったけど、なんとか命をつなげることが出来たのだ。蕾を見つけて以来、まだ咲かないのかな〜と毎日眺めて楽しみにしたら、一昨日、真っ白な花が甘い匂いと共に開き始めた。きっと近いうちに良いことある気がする〜♥と小学生のように心躍るワタクシに、本当に嬉しい出来事があったのです!
ここのところの憂い事である「舟状骨骨折」について、いつも仲良くしているふぐ屋の女将が心配してくれて、ほぼ強引にサードオピニオンに連れていかれることになったのだ。キョーレツな名古屋弁が特徴の女将は「整形外科の先生に聞いたけど、ほっといたら左手が動かんくなるらしいぎゃ〜!信用できるドクターにちゃんと診てもらわないかんて。私が連れてったるで保険証持って黙ってついてこや〜!土曜日の午前に迎えに行くでね!」と一方的に用件を告げられ、一方的に電話を切られたのは5日ほど前。というわけで、今日土曜日の午前に、女将に連れられてとある整形外科病院へと出向いた。レントゲンとMRIを新たにとって、その画像を見て先生がにやり。「骨、くっつきかけてますね。大丈夫そうですよ」とおっしゃった。良かった〜!保護者代わりについてきてくれた女将も横で良かったね〜!と喜んでくれる。どうやら、くっつきにくい骨も私のしつこいカルシウム積極摂取作戦によって、どうやらくっつき始めているらしい。「完全にくっつくのにまだ数ヶ月はかかりますから引き続き用心してくださいね。それにしても、転んだ直後にちゃんと専門医に見せていれば、こんなに長引くことはなかったのにね〜」と今度は苦言を呈する先生。私を最初に診断した某有名ヤブ病院の名前を口にすると、先生は苦笑いをしながらも「まぁね、やっぱり餅は餅屋でね、医者にも専門分野があるんですよ。レントゲンの撮り方ひとつにしても、角度とか、いろいろポイントがあるんです。これからは何かあった時は必ず専門医にきちんと診てもらってくださいね」としっかりお説教されてしまった。


まぁ、そういうわけで、くちなしの甘い香りが運んできた「なにか良いことある気がしたこと」は、手のひらの骨がくっつきはじめたという吉報だったのだ。女将の言うことを聞いてサードオピニオンに行ってみて良かったです。ご心配をおかけした皆様に報告申し上げますです。ありがとうございました。
今夜は友人とミュージカルを観て帰宅し、ベランダで一人乾杯しながら骨がくっついたお祝いをしている。先日、松岡ひとみさんにいただいた七尾の和蝋燭を灯して、一輪のくちなしを眺めつつ、辺りに漂う甘い香りを嗅いでいる・・・。和蝋燭は風が吹いても消えにくく、ゆらゆらとゆらめく姿が美しいのだ。でも、ひざに抱いたパソコンの熱と蝋燭の温かみでさすがに暑くなってきたので、そろそろ引き上げて眠ることにします。おやすみなさい。皆様も良い夢を。


なんと、骨折でした!【えとせとら】

え〜、今から遡ること3ヶ月前。我が実家で11歳になる老犬の散歩に行き、調子にのってサンダルで走って転倒し、左腕を負傷したことは以前にこのコラムで書いた。その時、レントゲン技師との間でブラジャーを巡る一悶着があったことも書いて、皆さんの失笑をかった。詳しくはこちらを再度お読みください。だけどもがっっっ。再び皆さんの失笑をかうような出来事が発覚してしまったので、白状させていただく。
転倒事件の後、「全治10日間」というヤブ医者の言うことを信じて疑わず、なんとなく痛みは残るけど、治ってるんだからいいよね、とすっかり左手を放置プレイしていた私。さすがに3ヶ月たった今でも痛みがひかず、いまだに左の手のひらをついて立ち上がることができず、左肩に鞄をかけようとすると痛みが走ったりする状況に不安を感じ、先日、実家の近くの信用できるG整形外科で診てもらった。レントゲンを見たG先生と私の会話。「あなた、どこの病院に行ったの?」「マンションのすぐ近くなのでヤブで有名な●●病院に行きました」「それ、夜間だったでしょ」「はい」「あそこ、★★病院のインターンの先生が夜間診療のバイトに行くことで有名なんだよね。多分あなたの腕を診た医者は整形外科の専門医じゃないね」「はぁ」「これ、多分骨折してますよ」「な、な、なんですと!?」


そうなんです、手のひらには、人間の体の中でくっつきにくいワースト3とされる舟状骨(しゅうじょうこつ)という骨があるのだそうです。だから、手のひらから転んだと言われたら、まずは舟状骨骨折を疑うのが整形外科の教科書なのだそう。スキーなどで変な転び方をした人がよく骨折する箇所だとか。ところが専門医じゃなかったインターンの先生(確かにかっこ良かったけど若い先生でした)は、手のひらのレントゲンは撮らなかった。ただでさえ見落としがちな骨で骨折判断が見えにくいため難しいとされる場所を、夜間のバイトインターンが診たのだから、誤診も仕方ないのかな。G先生はこう続けた。「自分の専門外だったのなら、翌日にでも専門医に診てもらうように指示すればいいのにねぇ」なるほどね、私もそうアドバイスを受けていたら、きっとセカンドオピニオンを求めていたはずだ。
そんなわけで、時間がたち過ぎている私の骨折は、今となってはレントゲンでは詳細がわからない状態だったため、MRI検査へと進んだ。MRIの結果を診て、G先生は改めて「あぁ、やっぱり骨折ですね。出血もまだあるようです」とすごく残念そうに教えてくださった。
なぜG先生が残念そうに言ったかというと・・・舟状骨の骨折はたちが悪く、くっつきにくいことから、大げさな外科手術が必要になるかもしれないからだった。時間経過の自然治癒ではくっつかないまま痛みがひかないことが多く、その場合は骨盤の一部の骨を削って移植し、金属でブリッジをかけて固定するのだそうだ。もう聞いただけで痛そう、死にたくなる。


骨盤削って・・・というあたりからすっかりビビリ姫になってしまった私は、重病人の趣となり、顔色は悪くなり、左手首の痛みは増し、まさに世界の終わりという感じで帰宅した。とりあえずは数ヶ月様子をみて、再びMRI検査を受け、骨の状態がかんばしくないようなら外科手術を受けなければいけない。その日から、左手首を徹底してかばって行動している。もう左腕で重い荷物を持つのはやめよう。カルシウムたっぷりの食事をとるように気をつけよう。お魚の骨なんかバリバリとかじってやる。あ、大事なこと→調子にのってお酒を飲んで走ったりするのはやめよう。また転んだりしたら大変だ。もし夜の街で酔っぱらってへらへらと笑いながら走る私を見かけたら、どうか皆さん、無理矢理でもタクシーに乗せてくださいね。よろしくお願いいたします。


音楽と文章のハーモニー【えとせとら】


マリアージュというフランス語をご存知だろうか。直訳すると結婚という意味になるが、最高の組み合わせを表現する言葉でもある。ワインと料理の調和を舌上で感じる時にも用いられるので、日本のグルマンたちがこぞって声高にマリアージュを叫びはじめたのは、ワインブーム以降だった。かくいう私もワインを飲み始めたころ、ワインと料理を組み合わせするだけでは物足りないから、そこに音楽を組み合わせて楽しみましょうよ、などと小生意気なことを提案して、ソムリエ諸氏を随分困らせたものだった。


そんな小生意気だった私も多少はオトナになった。今は、美味しいワインとお料理の組み合わせを黙って味わえるようになり、独りごちて眠った夢の先で音楽が流れてくるのが最上の喜びとなってきた。ワインと食事と音楽を同時期に組み合わせて楽しむという実験は難しいテーマがたくさんあるだけでなく、同席する方との好みの差異もあり、かえって楽しみが散漫になることがある。それならば、美味の記憶がまだ新しいうちに一人で音楽を聴く方が満足度も完成度も高いような気がする。


こんな風に理屈っぽいことを考えるのが好きな私に、先日とある方が自作のCDをプレゼントしてくださった。クリエイティブディレクターのU氏である。U氏にはその日までお会いしたことがなく、facebookで知り合いになり(同じ業界なのでお互いに共通の知り合いが多く、実際にお会いした時はクリエイターE氏が紹介してくださったのだが)、メッセージのやりとりをするようになった。ネット上での交流には少々トラウマもあり、気をつけるようにはしていたのだけど、なぜだかU氏のメッセージは心に響くものが多かった。だから是非お話してみたいなと思ったのだと思う。


これは都会のど真ん中にある飲食店のお庭。U氏がセッティングしてくださったのは竹林と池を見てお食事のできる素敵なお店。私のコラムを読んでくださっていたU氏は「文章を拝読していたら、この雰囲気がマリコさんには喜んでもらえるような気がして」とおっしゃった。なんて気配りなんでしょう。はい、確かに好きです、この感じ。


美味しいお食事をしてから庭を眺めてお茶を楽しんでいた時、音楽と読書の話になった。どんな音楽を聞くのか、どんな本を読むのか。音楽、本、映画の好みというのは、他人を知るのに最も良い手段だと個人的に思っているので、初対面の方との会話にはピッタリのテーマだ。そして最後にU氏が鞄から件のCDを取り出し「マリコさんのコラムを読んでいて、あなたの文章に合わせて音楽を選んでみました。夜9時以降にゆっくり聴いてみてください」とおっしゃったのである。


人が作ったワインに人が作った料理を合わせたり、音楽とワインを合わせたりしたことはあったけど、自分の文章にどなたかが音楽を合わせてくださるなんていう経験ははじめてのこと。そんな立派な文章の書き手ではないので、恥ずかしくて仕方がないのだけど、私の人間性よりも先に文章を知ってくださった方がどんな音楽を合わせてくださったのか、興味津々である。夜9時以降というリクエストをマジメに守って、その日の夜に聴いてみた。


最初はお琴の音かと思うような和のイメージで始まり、やがてクリアでセンシティブな音と、清らかな歌声が聴こえてくるではありませんか。え?私ってこんな綺麗な文章書けていないんだけどいいのかな、と思っていると、やがて深淵から響いてくるような音へと変わっていった。ちょうど井戸の上から柄杓で水を落としたように。果てしない底の淵に細いしずくをしたたらせるような静かで深い音だった。


正直に申しまして、私はこんなに奥ゆかしい文章はまったく書けていません。なのに、私のドロドロした人間性や稚拙な文章力をはるかに超えて、透明感のある音楽を選んでくださったなんて。もしかすると、これはU氏が私に設定してくださった目標値なんじゃないかな。もっと鮮明になれ、もっと純粋であれ、そしてたくさん書きなさい、と、地球の深淵から語りかけてくださったのだ。
Uさん、素敵な音楽をありがとうございました。制作に行き詰まった時じゃなくて(苦笑)、良い時を過ごすことができた一日の終わりに、一人でじっくり聴いていきたいと思います。そして、Uさんとのご縁をいただいたEさん、どうもありがとうございました。シャトーマルミエの件、またご相談させてください。


女子会にもいろいろありまして【えとせとら】


前回に引き続き、こちらも先月の風景デス。連続古いネタですみません。とあるウィークディのとあるヒマな午後。同じくヒマだ〜とつぶやくお姉様たちから「作りながら飲みながらおしゃべりする女子会を淑子さんのスタジオでやろうって盛り上がってるんだけど」とお誘いがあった。淑子さんとは、とっても素敵なハウススタジオ「相生山スタジオ」の田中淑子さんである。フード系のスタイリングで第一人者の淑子さんのスタジオは、名古屋を見晴らすような里山(でも名古屋市内)の中にあり、広〜いキッチンとスタジオがとっても気持ちの良いところ。皆で作りながら、おしゃべりしながら、飲んで食べようという会である。この日のテーマはベトナム料理だった。生春巻、牡蠣のアジアン風、えびせんべいサラダ、ベトナム鍋、フォー。ヘルシーで野菜たっぷりのさっぱりメニュー。ところが会話の方のテーマはさっぱりとは裏腹の、ドロドロした人生のお話ばかり。なぜかというと、女子会とは言っても、アラフォーを通り越してアラフィフの女子会だったからだ。あはは。


お日様たっぷりの素敵なハウススタジオです

お日様たっぷりの素敵なハウススタジオです

どっちの方向からも撮影できるキッチンスタジオ!こ〜んな広いキッチン、憧れちゃいますね。

どっちの方向からも撮影できるキッチンスタジオ!こ〜んな広いキッチン、憧れちゃいますね。

キッチン収納もシステマティック、いいなぁ〜

キッチン収納もシステマティック、いいなぁ〜

ハウススタジオなので、いろんな暮らしの風景が撮影できるようになってるのだ。

ハウススタジオなので、いろんな暮らしの風景が撮影できるようになってるのだ。

キャフェオレ色の壁がシックでいい感じ。これは宴会がはじまる前の風景です。

キャフェオレ色の壁がシックでいい感じ。これは宴会がはじまる前の風景です。


ま、そんなわけで、ドロドロしたメンツは↑一番上の写真↑。左からカメラマンのなぎさ、スタイリストの服部由紀さん、田中淑子さん、右奥がスタイリストの加藤多寿子さん、一番右がスタイリストの原結美さん。業界の話でひとしきり盛り上がった後は、自然にお互いの親の話になっていった。どなたも同じように親の問題を抱えていて、認知症を患っているご母堂とどう暮らしているかを語る人もいれば、年老いた親との付き合い方に悩む人などなど、この年代の女性にとって、親の存在は大切であり心配事の一つでもある。私も両親がなんとか元気で暮らしてくれているので安心しているけど、先のことを考えると不安でいっぱいになることがある。これだけ男女の間に境がなくなっていても、やっぱり親の介護ということになると、直接ふりかかってくるのは女性なんですね。


そして最後はどの年代層の女子会であっても定例テーマである「恋バナ」だった。もっちろん、アラサーやアラフォーの恋バナとは趣の違った内容だったけど、少し酔いも手伝ってか可愛い発言が相次いだ。ふむふむ、やっぱり年はとっても女性の可愛さは変わらないんですね。
親のことで悩むのも女子、さりとて恋に悩むのも女子ならでは!やっぱり女性同士って、どの年代でも楽しくて気楽でいいものです。相手がお姉様たちばかりだと、私の場合は気楽さに拍車がかかる。おかげで話ははずみにはずみ、ドロドロした女子会は午後から深夜まで続き、帰宅したのは日付が変わるギリギリの時間になっていた。さ、そんなわけで、これからもいろんな女子会にて人生を語っていこうと思うのであります。女子の皆さん、よろしくね。


ブラジャーはとるべきか?【えとせとら】


そんなわけで、年甲斐もなく、こけました。左腕から肩にかけての打撲、全治10日間の診断。三角巾で左腕を吊った状態で1週間が過ぎ、やっと80%くらいまで復帰しつつあります。お騒がせした皆様、取材時にご心配おかけした皆様、大変申し訳ありませんでした。
この事故が起きたのは実家帰りしていた時のこと。御年11歳の犬の散歩に、よりによってサンダルで出掛けたワタクシ。11歳とはいえ、まだまだ走りたい盛りの犬にとって、私は一緒に走ってくれる「仲間」である。年老いた父は時間をかけて散歩はしてくれるものの、じゃれたり走ったりはしてくれない。だから私が散歩するとなると「走れる走れる〜♥」と目を輝かすのである。そんな目で見られたら走らざるを得ないですよね〜。サンダルで走り、道路の溝に思い切りつまづき、左手からこけました。利き腕である右手が無傷だったのは不幸中の幸い。左に激痛が走るものの、骨折ではないとタカをくくって実家から電車でマンションに戻り、数時間を過ごした。夜になってずきずきと痛みが増してくるので、念のためレントゲンだけ撮ったら?という友人の勧めにより、ご近所のヤブで有名な某病院へ。さて、そこで起きた第2の事件が今日のテーマでございます。


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夜間診療で御年28歳と思われるインターンのお医者さまに左腕を診ていただいてから、レントゲン室へ。そこには御年30歳と思われる男性のレントゲン技師が待っていた。以下、私とレントゲン技師(以下レ)との会話。(  )内は私の心のつぶやきである。
レ・「痛い所の写真を撮りますからね、洋服は脱いで、こちらの籠に入れてください」
私・(金具が反応するから洋服脱ぐんだ。でも腕が回らないからブラジャーがはずせないっ!)
  「あのぉ、腕が回らないものですから、ブラジャーはずしてもらえますか?」
レ・「ブ、ブラジャーですか?」
私・「えぇ、ですから、手が痛くて後ろに回せないんです」
レ・「ブ、ブラジャーはとらなくてもいいですよ、そのコートだけ脱いでもらえれば・・・」
私・「は???? コートだけ脱げばいいんですか?」
レ・「はい、コートだけ脱いで、左腕を置いてください」
私・「あ、はい。ブラジャーはいいんですね・・・」(なぁんだブラジャーはいいのか)
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この話を友人たちに話したところ、レントゲン技師の言い方も確かに誤解を招くけど、さらに私の応答も誤解を招くのではないか?と指摘を受けた。つまり、友人たちは、中年女性患者から若年レントゲン技師へのセクハラだと言いたいのだ。痛いのと不安なのとでセクハラどころではないというのが当時の私の心境なのだけど、冷静に考えてみると、こりゃ確かにセクハラですよね。左腕のレントゲンを撮るのに、ブラジャーの金具が反応するわけないじゃないのさ。やれやれ。年をとると、言動には気をつけなければいけないものなんですねぇ。会社の上司が女性の部下からセクハラと言われないように気づかいするのが大変だという話をよく聞くけれど、そんな中年上司の気持ちがちょっぴり理解できたような気がする。世の若者諸君よ、我々中年はセクハラしてみたいなどと思っているわけでは決してございませんのよ。どうぞ誤解めさるるな。