えとせとら

レストランにおける隣人愛について【えとせとら】

 昔々のお話。実家の一本北の道にカトリック教会があったので(今でもあるけど)、小学3年生の頃、ただ単なる憧れと興味だけで友人と一緒に日曜ミサに出掛けていた時期があった。賛美歌を歌ったり、聖書の中に出てくるいろんなお話について神父さんからお話を聞いたりしていたが、その中の言葉で「汝の隣人を愛せよ」というのが子供心に引っかかってならなかったことを覚えている。なんで隣にいるというだけの人を愛さなければならないのか?もちろんカトリックの教えには深い意味があったはずなんだけど、先日2軒のレストランにて余りに隣人(隣席)に恵まれないことがあったので、大人になって改めて、隣人を愛することとは一体なんぞや?と考えてしまった。
 ひとつ目のお店は数ヶ月前のこと。名古屋のイタリアンで予約がとれないことで有名なお店(イニシャルだけで絶対に分かってしまうので店名は伏せますね)にて友人たちとディナーを楽しんでいた。女子4人で食事とワインを楽しんでいる私たちの隣に、20代と思われるカップルがやって来た。
男「予約には苦労したんだよ。何回もトライしてやっととれたんだ!」女「一度は来たいって思ってたお店なの、◎◎さんホントにありがとう♥嬉しいわ!」という会話から想像するに二人はまだ交際しておらず、男性の雰囲気からして、予約困難店でのディナーで「キメてやるぜ」みたいな匂いがぷんぷん漂っていた。2皿目のアンティパストが終わった頃、パスタ好きらしい男性は「パスタって大盛りにできますか?」とお店の人に聞いていた。ううむ、パスタハウスじゃないんだから大盛りはないでしょ〜?と、このあたりから私たちは耳ダンボ。相手の女性も目が点になっているところを見ると、彼女の方がレストランには慣れているみたいだ。お店からさりげなく大盛りを断られた後に、件のパスタが運ばれてきた。そして次の瞬間である。男性はズルズルズルズルズルッ!とけたたましいすすり音をたてて、パスタを召し上がったのだ。いや、喰らったという表現の方が正しいかもしれない。私たちも周りのお客さまも、そしてお店のスタッフも、そこに居合わせたすべての人の動きが一瞬にしてフリーズした。目の前にいる女性は、驚きを通り越してすでに怒りの形相に変わっていた。男性は、パスタがお皿からなくなるまで、一心不乱に音をたてた。それからである。女性はほとんど話をせず黙って料理を食べ、男性はなぜ女性が不機嫌になったのかがわからず困り果てたまま、ほどなくするとディナーが終わった。男性が会計を済ませている間に女性はすっくと席をたち、一言のお礼も言わないまま、さっさとお店を立ち去ってしまったのである。手に汗にぎる、すごいドラマを真横で見た夜だった。
●さて、ふたつ目のお話は私が大好きな東京のフレンチレストランでのこと。私たちの隣人は家族連れだった。40代の歯科開業医とその妻、中学生くらいのお嬢さんの3人で、どうやらご夫婦の結婚20周年記念ディナーだったようだ。なぜここまで詳しい情報を私が知っているかというと・・・この夜の隣人は極めて声が甲高くて大きく、ビックリするほどのおしゃべり好きだったのだ。ご主人の病院で事務を手伝っている奥さんは、娘のPTAの役員にもなっていて、ママ友との付き合いに苦労していること。病院事務の古株であるおばさんと仲がよろしくないこと。そろそろ娘の受験体制を整えなければいけないことなど、息つくヒマなく(マジでお食事は口に入っているのか?と思うほど)しゃべり続けている。気が短い私は何度もキレそうになった。「ねぇ奥さん、お金持ちのアナタにとっては、いつでも来られるレストランかもしれないけど、わたしゃわざわざ名古屋から新幹線に乗って来ているんだし、美味しいお食事とワインとフレンチレストランならではの優雅な時間を楽しみたいんだよっ。お願いだから、アナタの娘の受験や塾の話、ママ友や病院のおばさんの話を、まったく関係のない私に聞かさないでくださいっ!ここでは非日常を味わいましょうよ。もしくは、どうしても話したいなら、もっと小さい声で話してっ!(←妄想)」と言えたなら良かったんだけど、意外にもチキンハートなものでして、結局言えないまま、前述の妄想劇を想像しつつ我慢して時を過ごしていた。せっかくの美味しいお食事も残念ながら半分くらいはイメージダウンしてしまった。この奥さんのように周りがまったく見えなくなるタイプは、同性を悪くは言いたくないが、一般的に男性よりも女性の方が多いような気がする。私も他人からそう思われないように、気をつけなくっちゃですね、ホントに。
 それにしても、今回のコラムは完全に私のぼやきになってしまった。読んでくださった方、どうもありがとうございました。そして奇しくも今月は、上記の2軒、どちらのお店にも再訪予定となっている。はてさて、今度、私は隣人を愛せるだろうか。