えとせとら

祖母に似た人【えとせとら】


今朝、打ち合わせに遅刻してしまった。駅で、祖母と背格好がそっくりな人に出逢ったから。祖母に似た人を電車の乗り口まで送っていったから。

その人は真っ黒なサングラスをかけて、右手に杖を持っていた。そう、視覚障害者だったのである。障害者の方と居合わせた場合、必ず声掛けしてお手伝いするようにしているので、今朝も自分の時間に余裕がないことはわかっていたけど、声を掛けないわけにはいかなかった。視覚障害者のお手伝いをする時は、杖を持っていない方の腕を自分の肩にのせてもらい、目的地までゆっくり歩いて誘導するのがルールである。むやみに腕を引っ張ったり、杖を持ってあげたりすると、相手を不安がらせることになるからだ。私がこのルールを守って障害者の方たちのお手伝いをするのは理由がある。亡くなった祖母が視覚障害者だったからだ。今朝のその人と祖母が似ていたのは背格好だけではなかった。


祖母は整腸剤をお医者様から出していただき、服用していた。名高い悪薬、キノホルムである。厚生省が認可した薬であるにもかかわらず、恐ろしい副作用が祖母の体を襲った。まず視力を失い、やがて下半身の神経まで奪われた。私が生まれた時はまだ元気だったらしいが、私の記憶の中の祖母は寝たきりの姿しかない。
江戸時代から続く紙問屋の長女として生まれ、乳母日傘で育った祖母は、気高い精神の持ち主だった。何不自由なく暮らしてきた祖母が、晩年は不自由な生活を余儀なくされたのである。お医者様からは「国に保障を求めることができますよ」と何度も言われたらしいが、祖母は頑としてそれをはねのけた。お世話になったお医者様に迷惑がかかると考えていたのと、世間に名前を晒してまで保障を受けようとは思わなかったらしい。関西弁でいう「ええかっこしぃ」だったのかもしれない。


私が小学生の時である。友人のご家族が知多半島へ一泊で海水浴旅行に連れて行ってくれたことがあった。海辺の民宿に泊まった私たちは、波の音を聴きながら夕食をいただくという贅沢を味わった。波の音って音楽みたいだね、と友人と話していて、突然、祖母の顔が浮かんだ。何年も寝たきりの祖母は波の音を聴くことができない。夕食を終えた私は、おこずかいの中から10円玉を取り出して、民宿の公衆電話から祖母に電話をかけた。まず叔母が電話口に出るが、祖母につないでもらうのに時間がかかる。手元には10円玉が3枚しかない。この時のもどかしさは今でもハッキリ覚えている。やっと電話に出てくれた祖母に「おばあちゃん、波の音聴こえる?受話器を海に向けるから聴いてよ!」そう告げてから受話器を海に向けたが、数秒後に公衆電話は切れてしまった。翌日帰ってから、祖母に会いに行って確かめると、目を閉じたまま、にっこり笑って「まりちゃん、おおきに。ちゃんと聴こえたよ」と言ってくれたが、果たして祖母の耳に波の音が届いていたかどうかはわからない。


現代は障害者に随分やさしい社会へと変化しつつある。もちろんまだまだ足りないものはたくさんあるけど、ユニバーサルデザインで設計された施設が増えて、昔と比べると障害者の方が比較的自由に外出し、買い物や催しなどを楽しめるようになっている。祖母の時代はそんな環境が整っていなかったし、祖母自身も自ら動こうとは思わなかった。それでも視力が失われただけの時は、サングラスをかけて外出することもあったようなので、やはり下半身不随になってから寝たきりになってしまったんだと思う。↑上の写真のサングラスは祖母の物↑


自由がきかず、闇の中で毎日を過ごした晩年の祖母を思うと、今でもたまらない気持ちになる。仕事の打ち合わせに遅刻することがわかっていても視覚障害者の方のお手伝いをしたのは、自分が祖母にできなかった孝行の代わりをしているのかもしれない。私は今、このコラムを泣きながら書いている。


加齢にもがく女子には専科!【えとせとら】


今日は昭和生まれの女子の皆様にご紹介したい基礎化粧品のお話。専科という商品をご存知だろうか。小池栄子さんがキャラクターとなって、年齢肌の個別の悩みを解決する基礎化粧品としてドラッグストアなどで市販されている、あの商品群のこと。ご縁があって、昨日、専科のビューティーイベントに参加させていただいた。美魔女のトークショーがあったり、専科の研究開発・企画開発それぞれの担当者から、開発秘話を聞いたりと、年齢肌に悩む女性にとっては興味深いお話がてんこもり。広告屋のワタクシとしては、ホントはパッケージデザインやネーミングの話も聞いてみたかったんだけど・・・会場にいらしてたのはマジメに肌のことを考えている女性ばかりだったので、場違いになるなーと断念。


美魔女・開発担当者・企画担当者のトークショー。
女性たちは食い入るように壇上の美女を見ていましたねー。
この美魔女は、テレビや雑誌でおなじみ、
モデルの原志保さん。


このイベントの前に、専科の商品一式が参加者全員にモニターとして送られていたので、皆さんはすでに専科を自分のお肌で体験済みでイベントに参加されている。もちろん私も使わせていただいた。専科という商品があることは知っていたけど、商品コンセプトは存じ上げず。でも、このパッケージを見ればコンセプトは一目瞭然ですよね。加齢による肌の衰えからなんとか守ろうと必死にもがいている、そう、私みたいな女性がターゲットなのである。


私の加齢肌(こう書くと悲しい響きですな)に一番ぐぐっと刺さったのは、この商品。パーフェクトウォータリーオイル。要するにオイルクレンジングのことなんだけど、一般的にオイルクレンジングって、お肌の表面についている化粧品を根こそぎ剥がしてしまうため、お肌へのダメージが大きく、本来剥がしとりたくない皮脂まで洗い流すことが難点とされてきた。乾燥肌の私はいつも化粧品アテンダントの方から「オイルよりクリーム系の方がダメージが少ないですよ」と進言されているのだけど、でもやっぱりクリーム系だと汚れが残っちゃう気がして、いつもオイル系を使っている。で、洗顔後のつっぱり感というか乾燥感が怖くて、入浴後はすかさず化粧水をバシャバシャとつけているのだけど・・・このパーフェクトウォータリーオイルは違うんですよ。メイクはきれいに浮かせてから洗い流せるのに、つっぱり感がなく、オイル系独特のヌルヌル感がない。さらに洗い流した後でもしっとりした感触が残っているのだ。開発担当者の方のお話によると、保湿剤と同じ構造を持った洗浄成分が入っているとのこと。なるほどねー。よくできてますね。


ところで、加齢肌って幾つくらいから現れるものなんでしょうね。昔から25歳はお肌の曲がり角なんて言われたものだけど、そう思って姪っ子2人の肌を思い浮かべてみると・・・25歳になったアユミは色白つるつる卵系だからか、シミソバカスがそろそろ気になり始めているけど、22歳のアイはスッピンの方が可愛いという若さあふれる肌をしている。そういえば、アユミは昭和生まれだけど、アイは平成生まれである。ということは、今日のこの時点で、昭和生まれ女子は加齢肌、なのかも。


ちなみに昨日の会場にいらしてた女性たちは、おおよそ全員が昭和生まれ。一部、平成生まれらしきカワイコちゃんもいたにはいたけど「アナタには肌の悩みなんてないでしょーが」的な視線で見られてましたな(←やっかみ)。それがどこでわかったかというと、出されたこのケーキの食べ方である。平成のギャルたちはすべてきれいに完食。悲しき昭和の女たちには脂肪分のある生クリームが多すぎて、生クリームだけよけて食べていた。いくら若づくりのファッションに身を包んでも、食べる物で年齢ってわかるんですよねー。だからせめて肌だけは若々しくいたいというのが本音なのですな。


保湿重視と美白重視で、さっぱりとしっとり、それぞれに商品が分かれている専科は、その日の乾燥具合や肌の調子に合わせて、使い分けていくといいのだそう。お値段もお値打ちなので、おこづかいで揃えられる価格帯。最近美容院に行く時間がどうしてもとれなくて髪が伸び放題になっていて、引退前の山口百恵みたいな髪型になっている私は、間違いなく昭和生まれの代表格。自分の肌年齢に合わせて、化粧品をちゃんとマジメに使わなくちゃ、と誓った一日になりました。


こちらが専科の開発担当者の松井さん。
女性の中で黒一点。
とっても愛らしいキャラで会場を湧かしていました。
私もファンになっちゃった。


「お友達に分けてあげてください」と試供品をいただいてきた。
専科を試してみたい加齢肌(!)の方、
どうぞ私にご一報を。
先着5名様にてお譲りいたしまーす。
専科に関する詳しいお話は↓
http://www.hada-senka.com/index.html


晩餐会からお座敷遊びまで【えとせとら】


いつものことながらコラムアップが遅くなってしまってネタが山積み。文章の出来具合とか前後の整合性については精査なしですので、まぁご勘弁いただき、ばばっと一気に書いちゃいます。
というわけで「本物は不変」であることを感じた時のことを写真と共に記してゆこうと思う。まず最初に、この上の写真は、去る5月に東京ニューオータニで開催された「シャンパーニュ騎士団叙任式」の様子。一昨年にも参加させていただいた叙任式と晩餐会が、今年も盛大に執りおこなわれた(シャンパーニュ騎士団については、グーグル先生に聞いてください)。シャンパーニュ地方の大手メゾンの当主がわざわざ日本にまで来て叙任式をするのだから、その方法は本場シャンパーニュとまったく同じで、騎士団のメンバーがマントをはおり、ラッパによる叙任の知らせと共に、各人に騎士団の称号を与えてゆく。古式ゆかしいそのスタイルには、おもわず感心の溜め息がでちゃった。


こちらは、一昨年に参加した「フランスチーズ鑑評騎士の会/シュバリエ・デュ・タストフロマージュ」の叙任式の様子。シャンパーニュ騎士団と同じようにマント姿の騎士の方から、うやうやしく叙任され、メダルをいただく。


でもってこちらは、つい先月、フランス大使館で開催されたシャンパンメゾンの「ローランペリエ社200周年記念晩餐会」の招待状。ドレスコードはブラックタイ。正式な招待状は、名前も手書き。こういうのをいただくと気分はアゲアゲでした。


晩餐会では、受付の後にローランペリエの当主との記念撮影を済ませ、フランス大使館の庭で、ローランペリエをいただきながらアートを楽しむという趣向だった。寒空のもとのガーデンパーティーには、和紙を使ったアートが設置され、全身に電飾をまとったバレリーナが客人の間をするりと抜けるように軽やかなステップを踏んでいく。いかにもフランスらしい演出にはこれまた感心。正式な晩餐会では、このようにテーマを設けて、客人を喜ばせることがとても大切なマナーでもあるのだ。そして大使館の館内でのディナーは、2platsのメニューだった。つまり、2皿で完結するディナーの内容だったのである。一般的にフランス料理というと、前菜で数品、スープが間に入り、魚とお肉と続くフルコースを想像する人がほとんどだと思うけど、実は正式な晩餐会といえば、前菜とメインの2皿に、チーズやデザートが供されるという極めてシンプルな内容で構成されている。さらに、料理はひと皿ごと運ばれてくるレストラン方式ではなく、大人数分の料理が盛られた大皿から自分の分を取り分け、隣の人にまわす、というスタイルであった。これまた実は正式な晩餐会での方法だ。さすがにフランス大使館で開催される晩餐会、何から何まで本来の晩餐会のスタイルを踏襲していて、とても勉強になった。
ついでに申し上げると、ワインラヴァーを自称する方々にありがちな「甘いもの苦手発言」も、本来のフランス料理の筋から言うと、とんでもない話である。前菜と主菜を食べ終え、最後に甘いデザートで締めてはじめてフランス料理は完結する。砂糖やみりんを料理に多用する日本料理や中華料理と違い、フランス料理はあまり加糖しない。舌に感じる甘みは野菜などからにじみ出る物がほとんどである。最後にデザートを食べるのは、甘味で栄養を補充するためと、アルコールの解毒作用の両方なのだ。銀座のある三ツ星レストランでデザートを選ぶ段になり「最後にデザート食べるなんてマリコさんってお子ちゃまなのね」と同席したご婦人に思い切りバカにされた経験があるが、まぁその時ばかりは頭に血が上るくらいにカチンときたんだった(もちろん反論もせずに我慢しましたとも)。


晩餐会の会場で偶然バッタリお会いしたMen's clubの戸賀編集長。
シャツも真っ黒で、真っ黒くろすけなタキシード姿。
タキシードが似合うというのも、素敵な紳士の条件ですな。
これも不変のテーマ。


あー、それでもってこちらは、叔父と叔母が出させていただいた小唄会。浴衣ですからね、夏ですね。芸事が好きな我が家系は、小唄やら長唄やら日舞などの世界が小さい時から日常にあった。親戚が集うと必ず芸のおさらい会のようになっていたんだっけ。これもある料亭のお座敷をお借りしての小唄会だったのだけど、やっぱり椅子とテーブルじゃなくて、お座敷にお座布団なんですね。そして浴衣とは言えども、ちゃんと足袋を履いている。いくら暑いからといっても素足なんてとんでもない話。当たり前のようで最近は当たり前じゃなくなった光景ですね。本物は不変なのだ、ふむ。


あー、これは我が叔父。小唄が本当に上手で、身内ながら毎回絶賛してしまうのだけど。小唄会が終わってからの宴席で、アルコールがまわり始めると、それぞれが得意の唄を披露する。お師匠さんがお三味線を弾いてくださるんだから、こんな贅沢な遊びはない。我も我もと唄った後に、我が叔父の極めつけ都々逸のシーンです。いやはや、その昔、叔母を随分泣かせたこともある色艶話の多かった叔父が、歳をとってからは妙におとなしくなってるなぁと思っていたのだけど。この時の都々逸はエロそのもので、座はわきにわき、身内である私は笑うに笑えず、たいそう困った瞬間だった。超遊び人で昭和の最後の旦那衆と言われた祖父の血をひく叔父。芸子さんを楽しませ、お客様を笑わせるのが、本物のお座敷遊びなのだなぁーと妙に実感した一夜だったのだ。っていうかシモネタは不変ということか。だらだらと書き連ねてしまったけど、こんな身内のオチを最後に、大変失礼いたしましたー。


アートが玄関にやって来た!【えとせとら】


これは私が実行委員を務めた ART NAGOYA2012 で出逢った作品で、山本一弥さんの『needle』。山本一弥さんは、完全なる左右対称の世界を作り上げる作家だそう。この美しいラインと藤田嗣治の乳白色を思わせるなめらかな色合い、そして完璧なシンメトリーにすっかり心惹かれたのである。(そういえば、デザインも写真もシンメトリーな美しさが好きな私)
昨年はハービー山口さんのアート写真だったけど、今年は立体を選んでしまった。ただでさえ狭いマンションのどこにこの作品を設置するのか?この作品を購入するかどうかで迷った一番の理由がそれだった。樹脂でできているこの作品は、乳白色の溶けそうな色合いがとても美しく、それを際立たせるには濃い色の壁が必要なのに、我が家にはそれがない。それどころか、マンションなのですべて壁はクロス貼り。クロスと樹脂作品はまったく合わないのである。困ったな。欲しいけど飾る場所がない・・・。
「唯一飾る場所があるとすれば、玄関ドアかな」私がそうつぶやくと、F-1ギャラリーのオーナー、こじまひさやさんは、すかさず「玄関ドアの色は何色?」と。黒だと答えると「もう、そこに飾るしかない。毎日出掛ける時、家に戻った時にこの作品が迎えてくれるなんて最高じゃん!」もともとご自身がアーティストであり、グラフィックデザイナーでもあるこじまさんから、具体的な設置方法と具体的なビジュアルイメージを説明されると、もう購入欲は高まるばかりである。そこでART NAGOYAの実行委員の面々を一人ひとり連れ出しては、F-1ギャラリーに引っ張って行き、設置方法やそれに伴う心配事を相談し「大丈夫でしょ、いい作品だね」とほぼ言わせて自分を納得させた。


アートがやって来る前の我が家の玄関ドアはこんな感じだった。
いただいた展覧会チケットや、個展情報などが貼ってある。開催期間中に忘れずに出掛けるために、玄関ドアに貼付けていたのである。掲示板的性格の強い情報コーナーだった。


それが、今はこうなっている。
needleのための額として、玄関ドアが存在している。
出入りするためのドアである前に、
作品の額としてのドアの存在。いいでしょ。
扉の開け閉めをしても、作品はびくとも動かない。


こじまさんが設置してくれた時の写真。
専用の赤外線装置で並行と中心をはかり、
ぴったりきれいにど真ん中に来るように設置してくださった。
その方法は・・・秘密です!


ART NAGOYAの実行委員の面々。設置されるのを待って、我が家で打ち上げ会を開催した。いい作品だね、と言わされた方々が、設置された作品を見に来てくださった。「作品にストレスを与えるのは良くないから玄関ドアは心配だ」と言い続けていた岡田氏も、実際に設置されて頑丈にくっついている作品を見て、安心してくれたみたいだった。そういうわけで、今、我が家に遊びに来てくださると、このアートをご覧いただけます。巷ではゲージュツの秋も始まりつつあるので、お茶飲みがてら、是非いらしてくださいませ。


ヴァカンスをとる方法【えとせとら】


うわ、日付見たらおよそ一ヶ月ぶりの更新だったんだ・・・。facebookで日常のネタを放出しているので、こっちのコラムは気づかぬうちにご無沙汰になっていたんですね。まぁ、コラムにじっくり向かえる時間がなかったというのも正直なところで、夏休みもなかった私。これではいけないと思って、木曜から週末まで、えいやっと4日間のお休みをいただいたわけなんです。写真は、ホテルのお部屋に飾っていた花と、読書のお供にした大好きなシャンパン。これが私の夏の思い出になった。
私が社会人になった頃はポケベルとパソコンの時代で、連絡方法は固定電話が主流だったのだけど、今や固定電話なんてファックス以外は鳴りもしないし、ファックスそのものもほとんど使わなくなってしまった。つまりケータイとネットとパソコンがあれば、いつどこでも仕事ができる環境である。確かにおそろしく便利ではあるのだけど、我々フリーランスの立場から言うと「休めない」状況が出来上がっている。出張に出ていても、取材中でも、土曜や日曜だって、電話やメールは届いちゃうし、それに対して即レスしないとせっかちな相手は焦るわ心配するわ、あげくのはてには怒っちゃう。おまけに最近はお盆休みをとらない代理店が多く、各個人で時期外れなお休みをとったりするもんだから、当然外注スタッフである我々はいつになっても休めない。←別に愚痴ってるわけではないのですが、そういうわけで気づいたらきちんと「お休みします」宣言して休日を過ごしたことが今年に入って一日もなかったことに気づいたのである。正確には、精神的休養をきちんととっていなかった、という意味なんだけどね。


まぁそういうわけで、私が選んだヴァカンスはというと・・・ひたすら非日常空間で「なんにもしない」をすることだった。名古屋市内のホテルに3連泊し、朝と夕方のお散歩以外はホテルを出ない。朝食はお部屋で、お昼と夕食のどちらかもお部屋でとる。もちろんスッピンなので誰にも会わない。パソコンは持参したので文章は書いたのだけど、それは自分のための書き物であって仕事はしなかった。あとはひたすら読書と入浴と惰眠である。あ、ちょっとだけお酒もね。のんびりさせていただきました。
友人たちは「一人暮らしなんだから、家でのんびりすればいいのに」とか「どうせホテルに泊まるなら京都とか行けばいいのに」と進言してくれたのだけど、自宅で過ごせばお金はかからないけど非日常は味わえない。京都に行けば楽しいだろうけど、ついいろんな所に出掛けて情報収集(仕事の延長)してしまうのだ。
さて、この贅沢なのんびりを4日間過ごして気づいたことがある。お休みがとれない!と自虐的な思い込みをしていた私だけど、休日はいつも自分のすぐ隣にあったのだ。今回facebookで「お休みいただきます」と宣言していたこともあり、クライアントやスポンサーは気を遣ってくださって、連絡は電話ではなくメールにしてくださった。しかも本当は急いでいるはずなのに「対応は月曜日でいいですよ」と優しい一言もつけてくださった。私がお休みをとることを知らないクライアントからは「来週水曜までの原稿、今週中になんとかなりませんか?」と連絡があったのだけど、もうホテルにチェックインしていたので、申し訳ないけどキッパリとお断りした。他の仕事は大きな波を過ぎていたこともあり、私自身も「よほどのことがなければ仕事はやらない」と決めていたので、メールのやりとり程度で、本当に仕事をしない4日間を過ごすことができたのである。
でも、これって、普段からやろうと思えばできますよね?週末は絶対に休むとか、この日はお休みにするので連絡とれませんとか宣言しちゃえば、それなりになんとかなっちゃうのである。なぜ今までそれをやらなかったのか→答は簡単で仕事を失うのが怖かったから。即レス対応できないコピーライターは仕事が来なくなるという恐れにも似た思い込みが、年甲斐もなく精神休養なしの毎日を作り出してしまったのだ。そうなのです、私の悩みや抱えている問題は、いつだって自分の中に答があった。それに気づくのがあまりに遅すぎるというだけで。人生ももうすぐ折り返し地点、いや、とっくに過ぎたか? 次に抱える問題については、早め早めに答を見いだそうと思っているのだけど、できるかなぁ・・・。


5月は新幹線移動月間でした【えとせとら】

黄金週間だわ、なんて浮かれてた日々が嘘のように、連休明けてからは怒濤の忙しさであっという間に終わってしまった5月。あんまり忙しかったのでテレビはほとんど見ておらず、ワイルドだぜ〜だか、ワイルドだろ〜とか言う芸人のことも、ソフトバンクのCMに武田鉄矢のリョーマの休日編が放映されていることも、数日前までまったく知らなかった。
大きな編集物の取材が幾つか重なったため遠方取材が多く、名古屋にいる時間の方が少なかったのではないか?と思うほど移動ばかりが続いたのである。先週末はぼけっとする時間ができたので5月の移動時間を試しに全部足してみると・・・なんと新幹線移動だけで合計34時間。車での移動は合計18時間(この他に特急電車とか細かい移動は数えるのが面倒になってしまったので割愛)。実はワタクシ何を隠そう、新幹線に乗るとほぼ毎回、面白いエピソードをひろってくるクセがある。その幾つかは過去にこのコラムでも何度か紹介してきたので読んでくださった方も多いだろう。ギターを抱える男や、新幹線紳士のマナー光と影や、続・新幹線のマナーや、新幹線缶詰事件などなどあるので、お暇な方はぜひお読みくださいませ。
これら以外にも、最近は新幹線で小ネタをひろう度に、facebookでアップするので、友人たちからは「なんでそんなに面白いネタばっかりひろってくるの?」とか「なんで毎回人間模様があるの?」と聞かれるのだけど、だって本当にあるんだから仕方がない。ただ、私が新幹線での人間模様に目を配る決定的な理由は「新幹線に乗ると人間観察しかやることがない」からである。新幹線のような速い乗り物が苦手で、窓の外の流れる風景を見ていると酔ってしまうし、本を読めば気持が悪くなる。パソコンやケータイや食事も然り。たまに超急ぎでパソコン仕事やラフを描くという作業をしなければならないが、新幹線を降りた途端にフラフラになってしまうのだ。だったら寝ればいいじゃない?と友は助言してくれるが、以前東京から最終電車で戻った時、お酒の酔いも手伝って熟睡して京都まで行ってしまい、仕方なく京都でムダな一泊をしたことがあった。あれ以来、新幹線で眠ることがトラウマになってしまった。


というわけで、人間観察が新幹線車内での唯一の楽しみにもなっている私なのだけど、5月も未知なる方々と新幹線車内でご一緒になり、facebook上で幾つかネタを披露させていただいた。さて、なぜ人は新幹線で奇怪な言動をして私なんぞに注目されてしまうんだろうか。その対象の多くは、勝手な振舞で周囲に迷惑をかけたり目立っちゃったりする人なのだけど、ほとんどがデキル男風のビジネスマンなので、そのギャップが余計に不思議に映るのだと思う。で、ふと、考えた。彼らは新幹線の座席を「買っている」から、その空間は「自分のもの」だと考えているのではないか?目的地までの数時間は自分の席なのだから、何をやっても自由だと・・・。もしかすると不動産を買う感覚と一緒なのかな。ま、座席の大きさとはいえ、あれも立派な空間ですからね。そんなわけで、今週末もまた新幹線に乗る予定なので、「買った席」で、私も自由に振る舞ってみようかしら。メイクしちゃうとか、念仏を唱えるとか、エッチなぱらぱらマンガを描くとか・・・(いずれも小市民!)。そして、どこかで私の言動をじっと見つめる人がいたなら、その人は間違いなく「人間観察しちゃう族」ですな。


エル・ブリの秘密【えとせとら】

スペインの片田舎で、たった半年間だけ、わずか45席を求めて、世界中からグルマンが訪れる三ツ星レストラン、エル・ブリ(スペイン語発音だとエルブジ)。食に関心のある方なら、名前は聞いたことがあるはずだ。料理に詳しい方なら、すべての食材を泡状にするエスプーマを開発したシェフと言えばお分かりになると思う。食にも料理にも関心がなくても、日本の柚子を世界中に知らしめたのがそのシェフだと聞けば、その功績を讃えずにはいられないだろう。2005年の愛・地球博の時はそのシェフのメニューが供されたので、炎天下を長時間並んだご仁も少なくないはず。そういうわけで、エル・ブリのことも、シェフのフェラン・アドリア氏のことも、知っている人は知っているので、ここでは多くを書かないことにする。詳しくお知りになりたい方は映画「エル・ブリの秘密」をご覧ください。あ、でもこれはドキュメンタリーであって、料理に人生をかけるシェフのヒューマンドラマではない。あくまでも映画を観ている人はエル・ブリのことをある程度知っているという前提で、淡々と、実に淡々と、ドキュメントが描かれてゆく。バルセロナの乾いた空気や赤い瓦屋根を眺めているかのように、エル・ブリの様子を俯瞰から観ている気分にさせられた。


かつて何度も何度も旅して歩き、居候して暮らしたことのあるバルセロナは思い出の地である。ここはスペインでも一番フランス寄りにあるカタルーニャ地方で、巻き舌が特徴の一種攻撃的とも感じるスペイン語と違い、フランス訛りで少し上品な発音になる。フェラン・アドリアも、その周りのスタッフもカタルーニャの柔らかなスペイン語を話し(ソムリエ氏はフランス語だったからフランス人なのか???)、予想に反して穏やかな口調でひたすら食の実験を続ける。やがてやってくる半年ぶりのオープンまで、実験は幾度となく繰り返され、その実験過程が描かれた2時間の映画である。
映画としての評価はよくわからないけど、これはすべてのクリエイター(広告制作者という意味だけでなく)と経営者が観るべきものだと思った。フェラン・アドリアの食材に対する真摯で敬虔と言ってもいい想いから、過去の料理人と自然への敬意を感じたし、彼の飽くなき探究心とそれを支えるスタッフとの信頼関係、パートナーであるスタッフたちとの情報共有の完璧さと情熱共有の素晴らしさが、スクリーンごしに伝わってくるのである。実験結果が完璧にデータベース化されていて、失敗のデータから多くの成功を導き出している。とてもあのいい加減なユルイ国民性とは思えない(爆)。これって、料理人だけでなく、我々広告制作のクリエイターやあらゆる分野のデザイナー、職人などの専門職、そして従業員を抱える経営者にとって、とても大切な条件だと思いませんか?
2011年7月にエル・ブリが閉店するニュースには本当に驚かされたけど、どうやら2年後に料理研究財団として新たに生まれ変わるのだそう。この映画は、レストランだった頃のエル・ブリを記録したという意味で貴重なドキュメンタリーになっていると思う。


「エル・ブリの秘密」は、名古屋では2月3日まで、名古屋駅のゴールドシルバー劇場で上映されている。皆様、お急ぎくださいませ。
ってわけで今日、仕事をさぼって行ってきちゃいました、えへ。平日の映画館、特にゴールドシルバーみたいな小劇場はお客さんがホントに少なくて、しかももの好きな映画ラバーばかりで居心地がいい。上映がはじまる直前まで、場内のお客さんのほとんどが文庫本を広げて読んでいらっしゃる。こういう静かな雰囲気、好きだなぁ。ところが残念ながらゴールドシルバー劇場は2月末にて閉館になるのだそうだ。ここでは数えきれないほど映画を観た。「ニューシネマパラダイス」「さらば、わが愛(覇王別姫)」「ブエノスアイレス」「デリカテッセン」「山の郵便配達」・・・・。どれもいい映画ばかりだったなぁ。いろんな映画の思い出に浸り良い時間を過ごした後は、ちゃんと原稿書きに戻りました。


スッピンより見られたくない顔とは?【えとせとら】

あ〜あ、またもや、やってしまいました、恥ずかしい失敗。
数日前のこと。その日は終日撮影で、朝一番に我が家近くの大通り沿いでカメラマン車にピックアップしてもらう約束だった。朝早いのが苦手な私は前夜からキンチョーして眠れないため、いつもの寝不足顔で車を待っていた。ほどなくすると見慣れた車がやって来る。朝が早かったこともあり、カメラマンは助手席で薄目を開け、会釈の代わりに左手を上げた。「おはようございま〜す」と低めのトーンで軽く挨拶し、車に乗り込む私。運転手はこれまた馴染みのカメラアシスタント君である。バックミラーごしに私の顔を認めると同時に「うぅ〜っす」と挨拶にならない挨拶で返してくれるのもいつものこと。常と違っていたのは、その後のカメアシ君の仕草である。私の顔を認めてすぐに前を向こうとしたのに、慌てて私を二度見したのである。「???」朝ご飯に食べたおにぎりの海苔の端でも顔についてるのかしらん。その程度にしか思っていなかった私は、走り出した車のシートに身を預けて、流れゆく車窓の風景をぼんやり見つめていた。約1時間後、高速道路のSAに寄ってトイレ休憩した時である。驚愕の事実が判明したのは!


トイレの鏡で自分の顔を見てビックリした。なんと、パウダーをはたいただけの顔で出てきてしまったのである。男性は判りにくいと思うのでご説明申し上げると、メイクの手順としては、1・化粧水をつけて下地クリームを塗った後にファンデーションまたはパウダーを塗って、2・眉やアイシャドウやアイラインで目元まわりを彩り、3・チークや口紅を塗って完成、となる。この日の私は、この手順の1番までしかほどこさず、アイメイクをしないままに出掛けてしまったのだ。つまり大げさに言うと白塗りの状態、というわけ。カメアシ君が二度見したのは「あれ、いつもの近藤さんと違う。眉毛が薄い。目がぼやけてる」と思ったからなのだ。そうなんです、目元周りのメイクをしないと、おそろしく童顔で、ぼや〜っとした顔になってしまうんです。


もうそこからは必死である。バッグに入っている"なにか"でアイメイクの代用品を探さなくてはいけない。ずぼらな私は朝メイクしたら一日中そのままで過ごすので、バッグにメイク用品がまったく入っていないのだ。口紅はもともと塗らないので、あるのはメンタムリップだけ。女性らしいメイクポーチなど持ったことがない。トイレの鏡の前でバッグをひっくり返し、取材道具のペンシルケースを取り出した。いつも使っている水性ボールペンで眉を描くと入れ墨みたいになっちゃうし、皮膚に痕が残ったら大変なのでNG。ボールペンもくっきりハッキリしたイモトアヤコ眉になっちゃうのでNG。ということは、残るはシャープペンしかない。鏡に向かって、シャープペンで眉を描く女を、多くのトイレ休憩女子が異様な目で見ていた。正直言って、痛かったっす。眉は頑張って誤摩化す程度に描けたけど、アイラインはとても無理と判断し、なんとか眉だけ体裁を整えて、いつもの私のメイク顔の半分くらいが出来上がった。ふ〜。これなら白塗りよりまだマシだ。


眉をシャープペンで必死に描いている時、向田邦子のエッセイを思い出した。見知らぬ若い女性からトイレで口紅を貸して欲しいと頼まれる話。ディナーが終わってトイレに立ち、脂のついた口紅をきれいにぬぐって新しく紅をひこうとした女性はバッグに口紅が入っていないことに気づく。偶然そこに居合わせた向田邦子に必死の形相で「口紅を貸して欲しい」と頼む。ところがあまりに必死だったからか、口紅を塗った後のスティックをティッシュでぬぐうことなく、そのまま向田邦子に返し、あわててディナーの席に戻っていったという話だったと思う。その話を思い出したからというわけではないが、見知らぬトイレ休憩女子に「メイク道具を貸してください」と言う勇気はなかった。変に小心者なのである。そして、この時ほど自分のすぼらな性格を呪った日はなかった。


どんな人に道を尋ねますか?【えとせとら】

今日も地下鉄の出口で道を聞かれた。何を隠そうワタクシ、結構な割合で道を尋ねられるのだ。一週間に最低でも2回。多いと一日に数回声を掛けられることだってある。よほどお人好しに見えるのか、あるいは道を知ってそうなのか、はたまた話しかけやすい顔をしているのか。今日のように自分が住んでいる街で尋ねられるのは教えられるからまだいいとして、見知らぬ土地でも声を掛けられることが多々あり、お断りするのが申し訳なくって困ってしまう。数日前も香川県の琴平駅で「金比羅さんへはどう行ったらええかの?」と腰の曲がったおじちゃんに声をかけられ面食らった。私だって行ったことがないんだから教えられるわけがない。仕方がないので駅員さんに行き方を教えてもらって、おじちゃんに説明し直してさしあげた。京都御所の真横で「御所はどこですかね?」と素っ頓狂なことを聞かれたこともあったし、一番遠い所ではパリの北駅で黒人女性に「バルセロナに行きたいけどオーステルリッツ駅への行き方を教えて欲しい」と頼まれたことがあったっけ。もうこうなると、人種や場所を超えて、どこの国のどの地域に行っても、私は他人に道を聞かれる運命にある、ということになる。きっと能天気な顔をしてふらふらと歩いているので、この人だったらヒマそうだし(当たってるけど)、聞いたら教えてくれそう、と思うのでしょうねぇ。


でもねぇ、世の中そんなに甘いもんじゃないんですよね。人相や雰囲気だけで道を尋ねてはいけない、ということを今日は若者にしっかりと教えてやったので、ここで白状しようと思う。今日の夕刻、地下鉄の出口から外に出た途端、いきなり上から声がした。「●●ビルってどこ?」と。私よりはるかに長身の10代後半とおぼしきニキビ面のチャラ男が道を尋ねてきたのである。しかも横にはガールフレンドらしき女の子を連れていて、またその女の子がチャラチャラした格好をしてケータイをいじっている。その言い方、人に物を尋ねる態度じゃないでしょうが。すみません道をお訊ねしますが、と言うべきでしょうが。なんですか、その横にいる彼女は。ケータイいじってるならケータイで行き先を調べればいいでしょうが。と説教する代わりに、意地悪な私は真反対の方角をその少年に教えてやった。「この道をまっすぐこっちに向かって行けば、右側にありますよ」と。


おそらくそのカップルは延々と目的地を探し、行き着かずに怒りまくり、私の顔を思い浮かべながら舌打ちしただろう。でもね。人に何かお願い事する時はそれ相応の態度で臨まないといけないのだ。そして、人が良さそうに見えても、実は意地悪だということもあるのだから、道ゆく人を簡単に信用してはいけないのである。私のように意地悪じゃなかったとしても、その人の知識や見解が正しいとは絶対に言えないのだから。私は目的地がわからなくなっても、道を尋ねる人は冷静にしっかり選ぶようにしている。ヒマそうで能天気に見える人間には決して尋ねないようにしている。ま、スマホが道を教えてくれるから、意地悪な私が道を聞かれることは少なくなると思いますけどね。


臆病風が吹いた夜【えとせとら】


極めて臆病である、と思う。加えてかなりマイナス思考だと思う。とにかく悪い方へ悪い方へと考える癖がある。石橋を叩きすぎて割っちゃうものだから、計画する以前に計画がこけてしまうことさえある。「もし●●●が●●●になったら・・・どないしょ〜」と悲観的な妄想をしてしまうのだ。そんな性格なものだから、待ち合わせ時間に遅れるのが嫌で、ついつい早めに到着して待つはめになるし、飛行機は2時間以上前にチェックイン体制に入ってるし、電車は調べておいた時間よりも一本早いのに乗ってしまう。私の人生の中で「待つ」という時間を全部足していったら、多分一年くらいになっちゃうんじゃないかと時々考えている。


その日は楽しみにしていた神戸のレストラン訪問の日だった。前日から松葉蟹の取材で兵庫県と京都府の日本海側の県境あたりにいた私は、当日の朝6時から漁港取材をし、朝9時にはその日の仕事が終了していた。取材クルーと一緒に朝Macした後、何度も電車を乗り継ぎ、神戸についたのがお昼過ぎ。久しぶりにお会いする作家さんを訪ねたりしていたら、あっという間に約束の時間になっていた。予約がとりにくいスペイン料理レストランとあって、期待値はかなり高まっている。ディナーが始まると、香りの生きた繊細な料理に陶然としつつ、同席した方々との会話とワインですっかりいい気分に。6時過ぎには食事をスタートさせていたので、新幹線の最終には余裕で間に合うつもりでいたのだが・・・。名古屋に帰る新幹線の新神戸最終が22:16。最後のデザートが出たのが21:40。そのお店から新神戸駅はタクシーで約10分。「そろそろタクシー呼んでおかないと間に合わないかも」同席した方の一言で、一瞬にして私に臆病風が吹き始めたのである。
というのも、乗り物に関しては大きなトラウマがある。沖縄から名古屋に戻る飛行機にあやうく乗り遅れそうになったり、福岡から名古屋への飛行機では便を遅らせる失態をやらかしている(いずれも同行者ともども時間の読み間違いが原因)。そんなトラウマもあるので、焦って新幹線に乗るよりも神戸に泊まろうかなと思っていたのだけど、一人で神戸に泊まっても面白くなく、神戸日帰りを選択することになったのだ。
で、件のタクシー。呼んだはずなのに21:50になっても到着しない。急いでいるのでもう一度呼んで欲しいとお願いしたが、このあたりで私の臆病風はマックスにさしかかっていた。ギリギリ新神戸についたとして→漁港で買ったカレイの干物やお泊まりセットを駅に預けてあるので→コインロッカーで荷物をよっこらせと取り出しているうちに→みんなは走って新幹線に飛び乗り→私も走るが先日治ったばかりの肉離れが再発してぶっ転び→私と大きな荷物だけが新神戸に取り残され→みんなは新幹線の窓から私に手を振る→さびしいよ〜怖いよ〜どうするんだよ〜と悲しい妄想は肥大化していった。21:57頃に到着したタクシーに乗り込むと、酔いも手伝ってタクシー内で私が大騒ぎ。運転手さんに急いで!と脅すと、周りの友人たちに「マリコさん騒ぎ過ぎ〜」「間に合うから大丈夫だって〜」となだめられ、そうこうしている内に22:07頃に新神戸駅に到着。コインロッカーの大きな荷物を王子様に持っていただいて小走り。東へ向かう新幹線のホームについたのが22:11くらいだったかしら?「ほらね〜待つ余裕あったでしょ!」と友人たちからは白い目で見つめられた。ふ〜〜〜〜ご一緒くださった皆さま、ごめんなさい。


一番上の写真は、そのレストランで最後にいただいたはずのハーブティー。確かヴェルヴェンヌとレモングラスだったと記憶しているのだけど、味をまったく覚えていない。お茶を飲む頃なんて臆病風が吹きまくって頭はテンパッていたので味わう余裕などなかったのである。冒頭に、臆病がゆえ人生において「待つ」時間を足したら一年くらいになるのでは?と書いたが、ここで加筆修正しておこう。臆病がゆえ人生において「ビビる」時間を足していったら、少なく見積もっても三年くらいにはなると思われる。