えとせとら

祖母に似た人【えとせとら】


今朝、打ち合わせに遅刻してしまった。駅で、祖母と背格好がそっくりな人に出逢ったから。祖母に似た人を電車の乗り口まで送っていったから。

その人は真っ黒なサングラスをかけて、右手に杖を持っていた。そう、視覚障害者だったのである。障害者の方と居合わせた場合、必ず声掛けしてお手伝いするようにしているので、今朝も自分の時間に余裕がないことはわかっていたけど、声を掛けないわけにはいかなかった。視覚障害者のお手伝いをする時は、杖を持っていない方の腕を自分の肩にのせてもらい、目的地までゆっくり歩いて誘導するのがルールである。むやみに腕を引っ張ったり、杖を持ってあげたりすると、相手を不安がらせることになるからだ。私がこのルールを守って障害者の方たちのお手伝いをするのは理由がある。亡くなった祖母が視覚障害者だったからだ。今朝のその人と祖母が似ていたのは背格好だけではなかった。


祖母は整腸剤をお医者様から出していただき、服用していた。名高い悪薬、キノホルムである。厚生省が認可した薬であるにもかかわらず、恐ろしい副作用が祖母の体を襲った。まず視力を失い、やがて下半身の神経まで奪われた。私が生まれた時はまだ元気だったらしいが、私の記憶の中の祖母は寝たきりの姿しかない。
江戸時代から続く紙問屋の長女として生まれ、乳母日傘で育った祖母は、気高い精神の持ち主だった。何不自由なく暮らしてきた祖母が、晩年は不自由な生活を余儀なくされたのである。お医者様からは「国に保障を求めることができますよ」と何度も言われたらしいが、祖母は頑としてそれをはねのけた。お世話になったお医者様に迷惑がかかると考えていたのと、世間に名前を晒してまで保障を受けようとは思わなかったらしい。関西弁でいう「ええかっこしぃ」だったのかもしれない。


私が小学生の時である。友人のご家族が知多半島へ一泊で海水浴旅行に連れて行ってくれたことがあった。海辺の民宿に泊まった私たちは、波の音を聴きながら夕食をいただくという贅沢を味わった。波の音って音楽みたいだね、と友人と話していて、突然、祖母の顔が浮かんだ。何年も寝たきりの祖母は波の音を聴くことができない。夕食を終えた私は、おこずかいの中から10円玉を取り出して、民宿の公衆電話から祖母に電話をかけた。まず叔母が電話口に出るが、祖母につないでもらうのに時間がかかる。手元には10円玉が3枚しかない。この時のもどかしさは今でもハッキリ覚えている。やっと電話に出てくれた祖母に「おばあちゃん、波の音聴こえる?受話器を海に向けるから聴いてよ!」そう告げてから受話器を海に向けたが、数秒後に公衆電話は切れてしまった。翌日帰ってから、祖母に会いに行って確かめると、目を閉じたまま、にっこり笑って「まりちゃん、おおきに。ちゃんと聴こえたよ」と言ってくれたが、果たして祖母の耳に波の音が届いていたかどうかはわからない。


現代は障害者に随分やさしい社会へと変化しつつある。もちろんまだまだ足りないものはたくさんあるけど、ユニバーサルデザインで設計された施設が増えて、昔と比べると障害者の方が比較的自由に外出し、買い物や催しなどを楽しめるようになっている。祖母の時代はそんな環境が整っていなかったし、祖母自身も自ら動こうとは思わなかった。それでも視力が失われただけの時は、サングラスをかけて外出することもあったようなので、やはり下半身不随になってから寝たきりになってしまったんだと思う。↑上の写真のサングラスは祖母の物↑


自由がきかず、闇の中で毎日を過ごした晩年の祖母を思うと、今でもたまらない気持ちになる。仕事の打ち合わせに遅刻することがわかっていても視覚障害者の方のお手伝いをしたのは、自分が祖母にできなかった孝行の代わりをしているのかもしれない。私は今、このコラムを泣きながら書いている。