えとせとら

金沢と博多〜寿司職人との対決【えとせとら】


今回書きたいテーマは、金沢と博多を旅した時の話なのだが、残念ながら、金沢の写真はすべてPC内で行方不明(多分間違えてゴミ箱に行ってしまったと思われる)、博多の写真はかろうじて残っているものの、↑こんな意味ない写真しかない。基本的に飲食店で食事をする時は写真を撮らないことにしているので、お寿司ネタで書こうとしているのに、お寿司の写真がまったくない。ご容赦くださいませ。でも一応いいわけしておくと、「博多駅」の表示マークが「博多献上の柄」にデザインされているのはカッコいいなぁと思ったので、写真を撮ったんだと思う。


さて本題です。春に金沢へ、初夏に博多に出掛ける機を得た。どちらも食いしん坊が旅の友だったので、当然ながら一番の目的は食事であった。そしてどちらもお魚が美味しい場所となればお寿司屋さんが目当てとなる。幸運にも現地に知り合いがいて「地元のお魚をちゃんと仕事して出してくれるお店」とオーダーすると、当地で評判になっているお店を教えてくださった。知らない土地ではじめて入るお店、特にお寿司屋さんとなると、どんなお店なのか、どんな大将か、お魚揃えは?お仕事ぶりは?得意なお魚は?お客さんとの距離感は???など、相手の懐を探るようにして食べ始めなければならない。これは楽しみだけでなく緊張感も伴うものである。まして今回の場合、私は通りすがりの観光客で、お店の人にとってプライオリティは当然ながら低い。仕方ない。一見で終わるかもしれない観光客より、誰だって地元の常連客を大切にしたいものね。金沢も博多もアウェイってことです。そういうことも心して、控えめに努めなければいけないのだ。


あぁ、なのにやってしまったんですね。素晴らしい仕事ぶりを魅せてくださる職人を前にすると、ついつい対決姿勢でのぞんでしまうんです。大将を相手に「もっと違う部位を、もっと別の食べ方も」と無言のうちにプレッシャーをかけてしまうのだ。


金沢の時は「のどぐろ」だった。日本海でとれる高級魚で、火を入れるとバターのような芳香を伴うこの魚は寿司ネタになること自体が珍しい。その日の一番客だった私たちに、大将はのどぐろを尻尾の方から切り、それをさっと炙って握ってくださった。う、美味しい。思わず「もう一回アンコール!」と叫ぶと、大将はやはり尻尾から数えて5切れ目に包丁を入れる。最初に尻尾を食べたんだから今度はおなかの脂がのっている部分を食べたいというのが私の本音だった。でも仕方ない、私は一見の客なのだ。おなかの部分はこの後やって来る常連のために残しておかねばならない。一旦はあきらめ、他のネタをいただいていると、やがて予想通りに常連客がカウンターに並んだ。彼らが順調に食べ進み、のどぐろを食し終わると、ちょうどおなかの部分にさしかかっていた。こんなチャンスを逃してなるものか。私はすかさず3度目ののどぐろを所望した。ここまで来ると大将の根負けである。苦虫を噛み潰したような表情で、大将は炙りの加減を微妙に変えた2カンを塩とお醤油それぞれで食べさせてくれた。脂がより落ちている方をお醤油で、脂がのっている方を塩で。その2カンは本当に圧巻だった。相手がこっぱずかしくなるほど丁寧にお礼を言い、お会計を済ませて帰る時、大将は笑顔をはじめて見せてくれた。多分、やっかいな客がやっと帰ってくれるという喜びの笑顔だったんだと思う(苦笑)。グルメブロガーと称する人々が大嫌いで写真禁止を掲げる頑固な大将の、見事な仕事ぶりには心から拍手を贈りたい。


長くてすみませんね。今度は博多。ここも美味しいお魚の宝庫である。本州では滅多に食べることのないお魚がずらり。江戸前風の仕事をする寿司職人の大将で、地元のお魚だけで勝負している。中でもビックリしたのは赤雲丹だ。もちろんミョウバンはかかっておらず、口の中に海をそのまま放り込んだような香りと独特の甘みが忘れられない。三重県にも坂手の雲丹があるけれど、もうその比ではない。これまたアンコールを何度もすると、最後に大将は雲丹と寿司飯だけで小さく握った一品を出してくださった。わさびも塩もお醤油もなし。こうなると雲丹の生飯という感じでお寿司の領域を超えている。否、これこそお寿司の原点なのかも。ご飯のための雲丹、雲丹のためのご飯。ご飯と雲丹が黄金比率となっていた。


金沢と博多で続けて寿司職人と面白い対決をして以来、むくむくと対決欲望がもたげてきている。それは寿司職人じゃなくても、フレンチでもイタリアンでも中華でもいい。お客の無尽蔵な食欲と探究心を徹底的に満足させてくれる「職人」に出逢ってみたいのだ。そろそろ、また旅に出ようか。