えとせとら

姪っこからのバンコク便り【えとせとら】

今年の春から名古屋で大学院生となった姪っこアユミは、毎日遅くまで研究だか勉強だかをしていたらしく、せっかく近くにいるのになかなか会うチャンスがなかった(ご飯をご馳走してあげると誘っても、アユミは行きたいけど行けないと泣きながら悔しがっていた。大学院っつうのはホントにたくさん勉強するところなんですねぇ、当たり前だけど)。大学院でどんなことを学ぶのかしら?ということを周囲が理解する間もなく大学院を休学し、彼女が目指す国際開発分野の世界でインターンとなってバンコクへと旅立ったのが、およそ一ヶ月前。国際開発ってどんなことやるの?と何度か聞いたような気もするが、私はいまだにはっきりとわかっていない。
彼女が今インターンを務めているのは、国連の関連であるIOM(国際移住機関、移民の受け入れと社会統合に取り組む国際機関)である。今日、IOMのオフィスの様子や、住んでいるマンションの写真などが送られてきて、バンコクでのアユミの生活風景をかいま見ることが出来た。なんともまぁ楽しそうな顔をして写真に映っているところを見ると、すでにオフィスに馴染んでいるのだな、とホッとした。子供の時から親の仕事の都合でいろんな国を行ったり来たり。せっかく日本に帰ってきたと思ったら、大学で下宿したり、留学したり、春からは名古屋にやって来たりと、ひとつの土地に根を下ろすという感覚を持たないままオトナになってしまったのである。そんなアユミが、移民に関わる国際機関でインターンとはいえ働くことになるとは、なんだか運命って不思議なものだなぁと思う。



上の写真は、アユミがバンコクに旅立つ前夜に、誕生日祝いを兼ねて壮行会をした時のもの。彼女が世界で一番好きなお寿司を一緒に食べに行った。食べている時が最も幸せそうな顔になるので、見ている方も思わず笑ってしまう。


これはその翌日の中部国際空港。
空港についた頃から、喉が痛くなった、寒い、風邪かもと言いつつ、ゲートへと向かうアユミ。
この後、アユミの身にとんでもないことが連続しておきたのだった。


トラブルその1→なんとロストバゲージになってしまいスーツケースがないまま入国へ。(翌々日に遅れてスーツケースだけが到着したそう)
トラブルその2→バンコクについてから高熱が出て寝込んでしまい、顔は腫れ、心配になって病院に行く。
トラブルその3→診断の結果、病名は急性耳腺炎。つまりおたふく風邪である。片方の頬がパンパンに腫れてしまったらしい。
トラブルその4→数日後の初出勤の日は、まだ少し腫れが残っていたそうで、それは気落ちしたんじゃないかと私も勝手に心配してしまった。


そんなわけで、踏んだり蹴ったりのスタートだったバンコク生活も、今は随分慣れた様子で生き生きと仕事をしているみたいだ。あの日、アユミを空港に見送ってから、私はその足で、ある方のご尊父様のご葬儀に参列した。ちょうど私の親世代の方のご葬儀だったこともあり、ついつい自分の身と重ねてしまって、哀しく複雑な思いでお見送りさせていただいた。これから社会に出て行こうとしているアユミの姿に眩しさを覚え、一方でこの世から旅立つ人もいるという現実。あぁ、私もアユミの年齢の頃は何も心配事などなく、前途洋々と未来だけを見つめていたのだわ。今のアユミがそうなように、私も怖いもの知らずだったし、両親も元気で病気などしていなかった。本当に時間って残酷なものですね。半年間のインターンを終えてアユミが帰国した時、ひとまわり成長している彼女から、私はどんな刺激を受けるんだろう。