えとせとら

お相撲場所は社交場だ【えとせとら】

名古屋場所は暑い。
暑い暑いとぶつぶつ言いながら、今日はお相撲観戦に行った。
とは言っても、お相撲そのものにはさほど興味はなく、
どちらかと言うと名古屋の夏の風物詩を楽しんでいる方である。


はじめてお相撲を見たのはいつのことだっただろうか。
目の前で繰り広げられるスポーツよりも
美しく彩られた土俵まわりの、日本の伝統色に目がいってしまったことを覚えている。
お相撲さんのまわし、土俵にぶら下がっているふさ(の表現でいいのか?)
行司の着物の色、お弟子さんたちの浴衣の色・・・。
歌舞伎で出てくる正絹の深い色合いに似て、モダンである。


周りを見回してみると、私同様お相撲そのものを真剣に見ているというよりも雰囲気派が多数いて、今日もその手合いの話を盗み聞きしてしまった。

「ほら、また来てる。あの人、どっかのママだよね」
「そうそう、毎年同じ場所に座ってテレビに映ってる人ね」

砂かぶりと呼ばれる席に必ず座るクラブHのJママのことだ、と思った。

テレビでお相撲を見る場合、テレビカメラは正面から向正面を映す。
必然的に、取組の最初に向正面の前列に座っている観客の顔はばっちりテレビに映るのである。
「顔」を売る仕事の方が積極的にその場所で観戦したがるのは、テレビを意識してのもの。(もちろん純粋に観戦を楽しんでいる人もいるが)
だから、クラブでお仕事している女性や芸能人など、知った顔が映るとテレビのこちら側では結構話題になったりする。
逆に「通」は正面に座り、テレビカメラと同じ視点で取組を楽しむのだとか。


今でこそ、テレビカメラがあるので、本人の意志とは無関係に顔が映しだされることがあるが、
実は昔から、相撲場所というのは、誰々が来てたとか誰々と会ったとか、社交場のような性格を持っていたのでは?と思ったことがあった。

何年か前、今日と同じように、父や叔父と共にお相撲観戦をした時のこと。

叔父K「あの富士山みたいな頭は?どこの子だ?」
叔父S「見たことない子だなぁ」
父「キモノは華やかでいいね」
叔父S「見てるだけでもいいなぁ」
父「あ〜ゆ〜のより、西側に座ってる感じの方がいいなぁ」
一同、西側のキモノ姿の女性軍団を注目。
叔父K「あれは名古屋じゃないね、京都あたりから来てるね」
叔父S「なんでわかるの?」
叔父K「雰囲気が全然違う。祇園あたりの匂いがする〜」
叔父S「なるほどね、あれは素人さんじゃない、独特の雰囲気」
父「祇園ね〜、い〜ね〜」
一同「確かに〜。あっちがいい」

お相撲よりもずっと盛り上がっていたこの会話を聞き、
お相撲場はスポーツ観戦以外の目的も大いにあり得る、と確信することができた。
やれやれ。
我が父、我が叔父ながら、名古屋と京都の差異を見分けるとは、見事な観察眼であった(笑)。