伝統工芸の職人たち

今様の茶陶展【伝統工芸の職人たち】


このwebのおかげで、とても素敵な出逢いがあった。ネット上のコミュニケーションに少々疲れ気味の私にとって、久方ぶりに嬉しい交流だったので、ここに紹介させていただこうと思う。webを通じて今までいろんな方々との出逢いがあったのだけど、今回ははじめて?とも言うべきファンレターをいただいたことに端を発する。そのお方は、あるキーワード検索で偶然、当webに行き着いてくださり、たまたま偶然コラムを読んでくださった。以来、この拙コラムのファンになってくださり、一ヶ月ほど前にメールでファンレターをくださったのである。そしてその方がなんと同郷の岐阜市の方で趣味や興味が共通してそうだったため、私も密かに思いがヒートアップ。これはいつかお会いしてお話するチャンスが巡ってこないかと思っていた矢先に、↑このご案内状をいただいたのである。「今様の茶陶展を開催します、ご実家に戻られている時にでもいらしてください」と。そうなんです、その方とは、岐阜市で長く画廊を経営していらっしゃる石原美術の石原夫妻だったのだ。



石原美術は趣ある街並にあって、すぐ近くには料亭「水琴亭」やお蕎麦屋の「吉照庵」などがあり、私が小さい時から今も風景はほとんど変わっておらず、馴染み深いエリアである。「水琴亭」は老舗料亭で、老舗ならではのオーセンティックな料理と立派な庭園が見事。岐阜市出身の実業家で芸術家たちのパトロンになったことでも有名な原三渓が描いた壁画(普段は公開していないけど、多分お願いすれば見せてくださる)があることでも知られている。「吉照庵」の方は、丁寧に打たれた美味しいお蕎麦がいただけるので、県外からも来客がある有名店だ。とまぁ、こんなお店や古い日本家屋が並ぶ中で、石原美術のひときわ目をひく外観はレンガ貼りの洋館。この日は、姪っこアユミを引き連れてお邪魔した。アユミは、はじめて足を踏み入れる画廊に少々緊張気味。私もはじめてお会いする緊張感に加えて、どんな茶器があるんだろう?と期待感がないまぜになっていた。入った瞬間、石原さんのご主人が「もしかして近藤さん?」と声を掛けてくださった。いきなり正体がばれるとは思ってなかったので面食らいつつも、ご主人と奥様のおすすめに従って、鑑賞させていただいた。今回の展覧は、6人の今を生きる若手世代の作家さんばかり。茶器を中心に、想像力をかきたてられる愉しい作品から、正統派の美しいラインが特徴のものまで、充分に堪能させていただいた。気に入ったものが幾つもあって、結局購入しちゃいました〜。この報告はまた後日。


お茶人でもあられる石原さんが「気に入ったお茶碗で一服いかが?」とお誘いくださり、私とアユミはそれぞれお茶碗を選んで、お薄をたてていただいた。それから先客の紳士も交えて、しばし会話を楽しんだ。ご夫婦そろって趣味人なので、お話は面白く、会話術もとてもスマート。今度はグラスか盃でも傾けながらゆっくり芸術論をお聞かせいただきたいなぁ。


お名残惜しくも失礼しようとすると、奥様が「お母様にお持ちになって」と渡してくださったのがこちらの薔薇。石原美術の前に咲き誇る薔薇をくださったのだ。母は大喜び。「玄関に飾って」とのお達しがあったので、早速飾っておきました。むか〜しの家の洋室に飾ってあった油絵。そこに描かれていたような薔薇と花器。この薔薇を見ていたら、目の前にあるものなのになんだか懐かしい気持ちになった。


石原さんご夫妻、素敵なおもてなしをどうもありがとうございました。そんなご夫妻と素晴らしい作品に逢うことのできる展覧「今様の茶陶展」は、今週末の6/5まで。石原美術/岐阜市米屋町24番地 TEL 058-262-4313 皆様どうぞお出掛けくださいませ。


青木良太さんに逢えた!【伝統工芸の職人たち】


青木良太さん。東海地区で活躍する陶芸人として、ここのところ話題を集めている新進気鋭の若手作家である。NHKや情熱大陸など、マスコミをにぎわしていることでも有名で、全国から個展のオファーがあるだけでなく、その活躍ぶりは海外でも知られるようになっている。私がはじめて青木さんの器に出逢ったのはお茶会だった。黄金色と乳白色がコンビになったモダンなお茶碗がお点前で使われたのである。ひと目見た瞬間に、とても不思議な感覚にとらわれた。お茶碗が畳の上に浮いているように見えたのだ。手にとってみると、まずその軽さにびっくりし、しっとりと手に馴染む感覚が、見た目のクールさとは裏腹でこれまたびっくり。これは面白い作家さんだなぁとお茶碗拝見をしげしげとしていると、お師匠が興味津々なお顔つきで「マリコさん、どうですか、そのお茶碗」とお声かけしてくださった。その時に青木良太さんのお名前を拝聴したのだ。偶然が重なったのか、それとも青木さんの器が多くの方から愛でられているのか、その後、行く先々で青木さんの器との出逢いが続いた。和菓子屋さんの茶寮で、雑誌の記事で、滋賀にあるお料理屋さんで。あれ?この器は・・・と思って手にとると、青木さんの作品だったのだ。それ以来、いつか青木さんにお会いしたいなぁ、取材して作陶にかける思いを聞いてみたいなぁ、ろくろをまわしているところを撮影したいなぁという思いが募っていた。


そして!そう念じていると通じるのである。とあるクライアントの広報誌の取材で、青木良太さんを取材せよとのご指示をいただいた時は、思わず電話口で「やった〜」と叫んでしまったほど。ありがたや〜。某クライアントさま、どうもありがとうございました。そんなわけで、意気揚々の心持ちで工房にお邪魔してきた。この時に撮影した写真をなぜだか間違えて紛失してしまったので(青木さんの写真をたくさん撮ったのに〜ショック!)、その代わりに↑の写真は私が取材時に購入した器である。


この透け具合、見てみてください。
ガラス? いえいえ陶器です。
繊細なラインですぐに割れちゃいそうだけど、実は強度あり。
見た目はクールだけど、手にとってみると温かみあり。


この作品の魅力と技術の秘密・・・お知りになりたい方は、某社の広報誌をご覧ください。青木良太さんの作品の魅力を、私なりに解釈し、お人柄の不思議さと共に紹介させていただいた。ご希望の方は下記アドレスにメール送信してください。
Sassi-ko-ryu.Koe@chuden.co.jp
1.郵便番号・住所、2.氏名(ふりがなを添えて)、3.なぜ欲しいと思ったか、を記入の上、お申込くださいませ。


バンコクの空は何処へ【伝統工芸の職人たち】


先々週に脱稿明けの徹夜明け状態でバンコクにひとっ飛びして、もうすでに2週間が経とうとしている。日常というものは、なぜこんなにも光陰矢の如しなんだろう。すっかりいつもの取材と原稿〆切と打ち合わせの毎日に戻り、あの埃くさい灼熱の国のことなど忘却の彼方である。
バンコクには約20年前に当時勤めていた会社の社員旅行で訪れ、10年前にトランジットで空港だけ寄ったことがある。社員旅行で行った時はバス移動でガイドさんに連れられての旅だったので、今回ほとんど同じエリアを回ったにも関わらず、バンコクの地図が記憶にまったく残っていないことに気づいた。普通なら地図を片手に歩き回るので、何年か経っても旅した街の地理は頭に残っているものなのに。泊まったホテルはどこだったっけ?あの怪しくエロいお店はどこだったっけ?とかすかな記憶を呼び起こそうとしたのだけど、まったく思い出せなかった。


でもそれは私の記憶力が低下しているせいでも、20年前ガイドさんに連れられたせいでもないことに、旅の途中でやっと気づいた。そう、バンコクという都市が変化しすぎていたのである。そりゃ当たり前だ。20年ですもの。あの時生まれた子供はハタチになっているんですもの。どんな都市だって変わるはずだ。
アジア諸国を旅すると、どうしても頭の中で「これは○十年前の日本だね」と、かつて成長途上だった日本に当てはめて考えようとする癖がある。確かに10年ほど前まではその当てはめ方式が通用した。だけど今や、もうかつての日本と同じ状況の国や都市なんて存在しない。下手をすると、現在の日本よりもずっと発展していたり豊かだったりする。バンコクもその例に漏れず、600万人の人口を抱えるアジア有数の大都市なのである。


現在バンコクにある国連関連のIOM(国際移民機構)でインターン生として仕事をしている姪っこアユミ。4ヶ月ぶりに再会したアユミと、フツーの食堂でカンパイ。何を食べても美味しくて安いので、今回はタイご飯を食べ尽くす美食の旅となった。そう、観光は20年前に十分したので一切ナシ。ひたすら食とマッサージとショッピングの毎日である。


今回楽しみにしていたのは、タイの民芸品を探すことだった。20年前の私はまだ工芸への興味が薄かったのでチェックしなかったけれど、40代の今はアンティークや工芸品フェチとなってしまったので、民芸品を求めて歩き回る4日間となった。日本の優れた古い民芸品は、一部のマニアか博物館の手中。その点、多くのアジア諸国ではまだ民芸は健在で、旅をしているとそうしたモノがまだ生き生きと作られているのに出会うことができる。今回訪れたうちで唯一観光らしい施設「ジムトンプソンの家」では、美しく素晴らしい焼き物(ベンジャロン焼)の壺や器を見ることができたし、竹や大理石を使った精緻な製品があしらわれていた。


ところが。タイでは工業化と観光化が進み、優れた民芸品はとうに博物館に入ってしまっているみたいだった。陶器や竹の専門店に行けば大量生産された工業製品が並び、シルクのお店に行けば妙にソフィスケートされてしまった手触りの良いシルク製品が並んでいた。20年前は当時から最も有名なジムトンプソンでさえ、ごつごつした節目が素朴なシルク生地でバッグやストールが生産されていたのに。今ではヨーロッパブランドと遜色ないデザインと素材に仕上がっているのだ。うーむ。これが20年かけて変化した大都市の姿なんだろうか。都市化という発展には民芸の衰退という影がつきまとうものなのかしら。


都市の肥大化に伴い手仕事が衰退する前に、民芸の職人たちと技術を守ることはできないのか。そんなことを考えつつ、アユミが住むマンションからバンコクの街(↑写真↑)を見下ろすと、そこには動く気配のない渋滞道路と排気ガスで曇った街並がぽっかりと浮かんでいた。


千家十職と洛中洛外図【伝統工芸の職人たち】


昔から私の悪い癖のひとつが、美術館の展覧ぎりぎりにすべり込みセーフして、時間制限がある中を慌てて観覧することである。またまた今回もそうだった。先日お邪魔したのが、愛知県碧南市にある「藤井達吉現代美術館」でおこなわれている[千家十職×みんぱく]という特別展だった。この美術館、名前は何度か聞いたことがあって、なかなか通好みの展覧をすることで知られつつあるらしい。千家十職と言えば、家庭画法をご覧になっている読者の方々はご存知だと思うが(連載されていたので)、茶事のあらゆる道具を作り伝える京都の十の家(職人)のこと。そして、みんぱくと言えば、日本が誇る研究機関でもあり博物館でもある国立民俗学博物館を略した言葉。この展覧会は、みんぱくが研究しコレクションしている何十万点にも及ぶ工芸品から、千家十職の当代がインスピレーションを受けてコラボレーションした作品を生み出し、展覧しているものである。千家十職という職人の家柄を大切に守り伝える当代の心意気を、作品を通して感じることのできる稀有な企画展だった。職人好き、工芸品好きの私にとって、千家十職は憧憬の的ということもあり、JRの車内で展覧の中吊りを見て以来、「ちょっと遠いけど、絶対に行くぞ〜」と心に決めていたものだった。


藤井達吉現代美術館は、昔の豪商街?と思われる一角にあり、
なかなか落ち着いた美術館だった。
一階にあるカフェは、手作りメニューが温かな印象の
アットホームな空間でオススメです。
ここに、やっとこさ行けたというわけ。コラボレーションの中身については見た人だけが感じることのできる世界なので、ここでは言及を避けるが、千家の方々がどんなご苦労を常々抱えて制作活動に携わっているかは作品越しに伝わってきたような気がした。千利休という偉大な先人の思想を受け継ぐわけだから、その家での子息に対する教育は生半可なものではなかったはず。そういうものの見方をする人でなければ生み出せない力強さが、作品群から感じることができた。これはあと少し、12月5日まで開催されているので、ご興味のある方は是非に!


こちらは岐阜市の歴史博物館で火曜日まで開催されていた「洛中洛外図に描かれた世界」。岐阜市の長良川河畔で生まれ育った私は、博物館のある岐阜公園は小さいころの遊び場だった。河畔の古い街並・川原町に祖父母の家があり、同じく川原町にある老舗旅館の十八楼は親しみ深い空間でもある。今回、この展覧会に展示されていた洛中洛外図の一点は、この十八楼が数年前まで個人所有していたもの。数年前に岐阜市に寄贈されたことで、修復計画が持ち上がり、多くの修復師の手を経て、はじめての公開となったのである。十八楼の大女将からご案内をいただいたので、早く行かなくちゃ終わっちゃうよ!と母に言われていたのに、なかなか時間が見つからなくて。まさに最終の火曜日に、母と叔母と女3人でお邪魔したというわけだ。


紅葉はじまった金華山を仰ぎ見て

紅葉はじまった金華山を仰ぎ見て

この時期の定番、菊花展!

この時期の定番、菊花展!

樹木ひとつひとつに思い出がある♥

樹木ひとつひとつに思い出がある♥


十八楼から寄贈された洛中洛外図は、岡山の林原美術館が所有しているものと同じ工房で制作されたことがわかっており、今回は林原美術館の洛中洛外図も展示され、その他にも徳川美術館やら方々の洛中洛外図が大集合。一度にこんなたくさんの洛中洛外図を見たのははじめてのことだったので、その違いを比較しながら楽しむことができた。面白かったのは京都の街のレイアウトである。徳川ルートと思われるものは、家康公が建立した二条城を大きく真ん中にレイアウトしている。一方、遊興好き?なオーナーのものは、祇園の芝居小屋が大きく真ん中に描かれ、道を歩く人もなにげに楽しそうである。「我が親戚一同は、どう考えても二条城派じゃなくて芝居小屋派だよね」と笑いながら見ていたら、そこに十八楼の若女将の知子さんが!旅館の女将業に多忙な毎日を送る知子さんは、ご自分の家が寄贈した作品なのに「今日はじめて見たんです」とおっしゃっていた。ぎりぎりすべり込みセーフを母になじられていた私は俄然気持ちが大きくなる。だって毎日お仕事してるんですもの、そんなものよね〜と大きな鳩胸をほっとなでおろした。


和菓子の風雅と旦那はん【伝統工芸の職人たち】


上半身を思い切り折り曲げて、手元の小さなオブジェクトに集中しているこの男性は、名古屋市瑞穂区にある和菓子屋さん[花桔梗]のオーナー・伊藤さん。この日は、とある企業の広報誌の特集記事で和菓子を取り上げることになったための撮影だった。制作スタッフ全員が男性で、彼らは和菓子とあまり縁のない生活をしているということもあり、紅一点で和菓子好きの私が企画段階から好きなことを言わせていただける幸運なお仕事だったのである。和菓子好きとは言え専門知識を持っていない私は、いわゆる素人の強みというもので、協力先の花桔梗さんに言いたいことを言い放ってしまった。こんな記事にしたいんです→だからこんな絵が欲しいんです→だからこんな和菓子を作って欲しいんですけど・・・・という思いを、オーナーの伊藤さんにぶつけたところ・・・あまりに暴挙な無茶ぶりに、電話の向こうでしばし絶句されていた。あれ、やっぱり無茶ぶりだったかな・・・と感じたものの、今更引き返すわけにもいかないので、絶句している伊藤さんにたたみかけるように説得を続ける。「実際に販売されるようなお菓子じゃなくていいんです、これはあくまでもイメージで・・・」すると伊藤さんは意外にもあっさりと「わかりました。かなり難しいチャレンジですけど、試作してみます!」と爽やかにお答えくださったのである。きっと心の中では、この人めっちゃ無茶ぶりするな〜とあきれていらっしゃったはずだが、それを微塵も感じさせずに爽やかにお引き受けくださるところは、さすがに和菓子屋の旦那はんである。



この日のカメラは、ブルースタジオの浅野さん。お茶目な浅野さんが撮影すると、現場の雰囲気がとっても楽しくなるので、勝手ながら大好きなカメラマンのお一人だ。淡々と粛々と、時にくだらない冗談を言いながら、撮影は進行し、最後にくだんの無茶ぶりしていたお菓子の撮影となった。お昼時間をとっくに過ぎて、みんなの胃袋がキューキューと鳴き始めていても、誰も文句を言わずに撮影に取り組む。難易度の高いお菓子を作ってきてくださった伊藤さんの思いに対して、無事に撮影完了するまでは気が抜けないというわけだ。小さな課題はみんなが少しずつ知恵を出し合って解決し、午後2時に無事終了した。もちろんみんなのおなかは空き空き状態。撮影に使った和菓子を伊藤さんがどうぞ食べてください、と差し出された瞬間に、全員の手が伸びた時は思わず笑ってしまった。だってクライアントの女性と私以外は、和菓子に縁がないと言ってた男性たちだったから。


それにしても、今回の和菓子撮影は、時間がない中、勝手な無茶ぶりばっかりしたのにも関わらず、絶対に「無理です」とか「出来ません」という言葉をおっしゃらなかった伊藤さんには頭の下がる思いだった。江戸時代から脈々と流れる和菓子職人の心意気がそうさせるのか、よっ!旦那はん!と拍子木を打ちたくなるような気持ちの良いお仕事ぶりだった。実は先日とあるパーティーにて、遠方からの賓客へのお手土産に特別オーダーの和菓子が手渡されたが、その製作も花桔梗さんがお引き受けになった。きっと評判の良いお菓子を創られたのだろうと拝察している。和菓子屋の旦那はんから、和菓子の風雅と仕事の粋を教えていただいた。


この企業の広報誌、なかなか良い仕上がりで、来月初旬に発行予定でございます。ご興味のある方はメールください。広報誌が発行されたら、こっそりPDFでご覧いただきますので。また和菓子好きの方は、ぜひ花桔梗さんにもお出かけくださいまし。日本の季節を美しい形にした伝統的な生菓子・干菓子はもちろん、かりんとうや和マカロンなどのジャンルを超えた創作和菓子も数多く取り揃えていらっしゃいます。お店の雰囲気もそれはそれはモダンでカッコいいですぞ。「花桔梗 名古屋」でググッていただけばすぐに出ます。桜通線・桜山駅より徒歩10分程度。月曜定休。ちなみに私が無茶ぶりした和菓子は、もちろん販売されておりません、はい。


銀座和光のディスプレイ【伝統工芸の職人たち】


今夏の銀座4丁目は、左官職人・挟土秀平さんの壁がお目見えしている。6月の終わりから始まっていた和光のウィンドウディスプレイに、出張の際、やっとお邪魔することができた。夏ぎりぎり間に合ったという感じ。銀座4丁目、日本のど真ん中である。和光のウィンドウディスプレイと言えば、おそらく日本一注目されるデコレーションではないかしら。そこに壁を塗っちゃうわけだから、まぁすごいことですよね〜。
銀座で地下鉄を降りて、さぁてどの出口から出ようかなぁと悩むのも楽しみだ♬いきなり真ん前に見えるのも情緒がなくてなんだし、少し距離を置いて段々見えてくるのが一番良いんじゃないかと思って、まずは鳩居堂を目指した。鳩居堂で少しお買い物をしてからくるっとUターン。相変わらずの人混みにもまれながら歩いていくと、見えてきました。挟土氏の壁が。
私の大好きなブルーのきれいな色合いが目に入った。まるで虹のように壁がカーブを描いている。そして土で作られた女性像がその前に佇んでいた。思わず発した言葉は一言、きれ〜い。全体をじっくり鑑賞してみると、きれいすぎて、なんだか寂しい。とてつもなく美しいなのに寂寥感が漂っていた。まるで砂漠の夜みたい。暑いのに夜になると寒くなるみたいな、あるいはすごい美人だけど整いすぎてクールに見える、みたいな、ね(なんとなく例えが間違っているような気がしないでもないが)。完璧主義の職人が制作した作品ならではの孤独感なのかもしれない。


これは反対側のウィンドウ。
ガラスがあるので、きれいな写真が撮れなくて残念。
でもガラスに銀座の街並が映りこんでいるのがいい感じ。


これはそのアップでございます。
う〜ん、プロの写真家が撮影したら
もっとかっこよく映りこむんでしょうね。
実はワタクシ、映りこみの写真ってかなり好きなんです。


これは女性のマネキンの足元で、挟土氏お得意の計算されつくした「ひび割れ大地」。やっぱり都会の砂漠、みたいだなぁ。
一連の壁作品にご興味のある方は、こちらをどうぞご覧くださいませ。きれいな写真が見られます。
作品を間近で鑑賞した後、今度は三越側へと信号を渡ってみた。こっちの角度からもウィンドウを見たかったからである。すると、改装中の三越の入り口からはおそろしく冷たい風が大量に吹いていた。涼しかった。今が酷暑の夏であることも、銀座の真ん中であることも一瞬わからなくなった。今、私はどこに立っているんだったっけ?
ここは都会の砂漠だよ、挟土氏のメッセージが聞こえてくるような気がした。


挟土秀平「土と水陽」青と琥珀【伝統工芸の職人たち】


高山の左官職人・挟土秀平さんの個展「土と水陽」が、渋谷東急BUNKAMURAで始まっている。東京出張の際にお邪魔してきた。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100603hasado/index.html
キリン焼酎「白水」の地下鉄車内刷りポスターに挟土氏が起用されており、今回の個展はキリンビールが協賛している。ポスターの方はご覧になったことがある方も多いはずだ。4月に高山でお会いした時に、個展で用いる文章を見せていただいたので、その文章に作品がどう絡むのか、一体どんな仕上がりになっているのか、とても楽しみであった。


展覧の前半は、キリンビールからのオーダーで制作した「水の鼓動」をはじめ、コマーシャリズムにきちんとのっとった物でまとめられていた。左官の仕事にはかならず施主がいるのだから、この場合の施主がキリンビールと考えれば納得できるなぁと考えながら、隙のないきれいな仕上がりの「壁」を見てまわった。「水の鼓動」の微妙な色の移り変わりは照明の効果かな?と思ったが、実はすべてが計算された土の色の積み重なりであった。まるで緻密に計算され織り込まれた紬の文様のように、縦、横、斜めに水の波紋が広がっている。完璧、である。土で水を表現できるなんて凄い!と思ってから、はっと気がついた。土は水に含まれているものだということを。ここで、個展のタイトル「土と水陽」を改めて考えさせられる。う〜ん、やっぱり唸らされるな〜、秀平さんには。



そしてこの個展の真骨頂は、後半にあった。「青と琥珀」と題された小説のような物語にそって、十数点の「壁」が作品となって掛けられている。もちろん文章も挟土氏によるものだ。壁は、土の上に群がる蟻の姿だったり、心の奥底のほとばしりだったり、どこにも持っていきようのない哀しみが表現されたりしていた。物語にそって作品を見ていたら、なぜか苦しくなってきた。苦しくて、その場に居ることができなくなって、慌てて建物の外に出てしまった。こんな展覧会ははじめてだ。苦しくなった原因のひとつには、すべての作品が美しく隙がなさすぎるということ。そして、もうひとつは、作者の感性がナイフのように尖って研ぎ澄まされすぎて、受け止める側が咀嚼に苦労するということ。挟土秀平とは一体何者か。左官か、芸術家か、否、詩人か。おそらくそのすべてなのだろう。その感性を受け入れるだけの受け皿を持たない私は、受け止められなくて苦しくなったみたいだ。
あ、こんな風に書いちゃうと、個展のアピールになってないかな。でも本当に素晴らしい作品ばかりなので、是非ご覧になってください。開催中はご本人にお会いできるかもしれませぬ。あ、でも私はご本人のお写真を撮り忘れてしまいましたけど。


挟土氏は、使い古された言葉かもしれないけど非常に人間くさい。キリンの焼酎「白水」の商品コンセプトをアピールするのにはピッタリの逸材だと確かに思う。語らせたら詩人だし、壁を塗らせたら芸術家だし、こんな逸材をメディアがほっておくはずがないと思う。でも挟土氏が創りだす壁の美しさとは別の世界で、タレントとしての挟土秀平が一人歩きしてしまうのではないか?と勝手な老婆心を抱いてしまう。高山の雄大な自然に佇み、土と水に向かう左官職人として、いつまでも存在して欲しいと願ってはいけないのだろうか。でも多分、私の老婆心は陳腐にすぎないのだろう。なぜならコマーシャリズムとは関係のないところで「青と琥珀」というとんでもない文章と壁の作品をこうして発表しているのだから。左官の枠を超えたアーティスト挟土秀平を象徴するように、今夏、銀座和光のショーウィンドウを彼の壁が飾る。


天領のかおり【伝統工芸の職人たち】

高山では、左官職人・挟土秀平さんが連れていってくださったとある割烹にて夜を迎えた。とりたてて特色のなさげな、なんでもないお店。けれど、目を凝らして見ると、アンティークのランプや磨き抜かれたカウンターになんともいえない佇まいがある。大将がお一人で切り盛りするお店で、次々と入るオーダーに実にてきぱきと仕事をこなし、お料理とお酒を仕上げていく。その手際の良さだけでなく、味も驚く程おいしいのである。特に書き立てるほどでもない、なんでもないお料理。たとえば飛騨のあげを炙ったものに、醤油と大根おろしをつけていただくもの。ところがこの飛騨のあげが格段に味わい深く、醤油がまたコクのあるおいしいお醤油なのだ。秀平さんは他のお客さんのオーダーが混んでいない頃合いを見計らって、大将にお酒や料理の注文をいれる。大将も我々の食べ方を見ながら、決してお箸が休むことのないよう気づかいつつ、料理を出してくださる。この抜群の間合いはなんなんだ!
さらに大将は、お客さんの会話にするりとうまく入り込む。シュールレアリズムという言葉を発した時、「福沢一郎」の話をし始めた。日本酒を吹き出してしまうかと思う程驚いた。音楽にしたってそうだ。あれだけ忙しそうに料理しているのに、お客さんの会話や雰囲気に合わせて選曲し、大将セレクトのMDでBGMを流しているのである。一体何者なんだろう、この大将は。


時計が九時半を過ぎると、お食事のお客さんがお帰りになり、飲むお客さんがぞろぞろと入ってくる。秀平さんによるとここは「学習割烹」だと言う。高山の知識人が集まるサロンなのだと。ここで語り合い学んだことが仕事に結びつき、悩みを解決し、表現者としての活力を得ているらしい。次々とのれんを分けて入ってくる人を見て「あ、この人は大関」「この人は横綱や」とコメントがつく。秀平さんは、このお店では前頭筆頭なのだそうだ。先生と呼ばれる人、建築家、職人、職業はさまざまである。ここで語られるのは、文学、美術、建築、音楽、映画、小説、郷土史と、無限大に会話がひろがってゆく。


ここはまるで60〜70年代のパリである。サルトルやボーヴォワールが語り明かしたサンジェルマンのカフェである。ワインの代わりに日本酒を飲み、チーズの代わりに飛騨の漬け物をかじる。それぞれの知識と欲望を交錯させながら、刺激を与え合う。酔いの心地よさとぴりぴりした知的好奇心の中で、これはパリ以外のどこかで味わったことのある感覚だと思った。


それは倉敷だ。確か倉敷を訪ねた時にも同じような感覚を覚えたのだ。一地方都市でありながら、とてつもない底力を土地の人の会話から感じ取ったのである。その街で生まれ育ったことに誇りを持っている。その街から全国に向けて文化を発信しているという自負がある。そしてそれが実際に多くの文化財を生み出してきている。そして、よくよく考えてみると、倉敷と高山、2つの街に共通しているのは、天領地だったということだ。


江戸時代の幕府直轄領のことを天領と呼んでいた(実際に天領という名がついたのは明治になってかららしい)。天領になるということは、つまりそこに莫大な富を生む産業があるということで、豊かな土地の証である。倉敷のとある老舗旅館の大女将が「倉敷は天領の地ですから、こういう考えの人がおおございますの」と言っていたのを思い出した。こういう考えとは、"富んだ者がその土地の人のために文化交流の空間を提供する"ことで、それは倉敷の場合、大原美術館のことを指していた。


先のコラムで紹介した挟土秀平さんの洋館も、いずれは大原美術館のように後年の人々を魅了してやまない空間になるだろう。物質的に富んでいるかどうかはともかくとして、少なくとも精神的にはかなり富んだ人が集う「学習割烹」。その末席にひとときでも加われて、この夜は満足して帰路についた。そうそう、帰る時の大将のおはからいにもびっくりした。前夜ほとんど寝ていなかった私は、日付が変わった頃に酔いと共に眠気が襲い、はからずも二度ほどあくびをかみ殺したのである。三度目のあくびを飲み込んだ時、秀平さんの目配りで大将がタクシーを呼んでくださった。細かなところに目線が行き届く「職人芸」には、とてもかないそうにない。


表現者【伝統工芸の職人たち】

先週末、春祭が終わったばかりの高山に出掛けた。
ワイドビューという名の通り、本当にワイドに広がった窓から眺める山の景色は素晴らしい。急な冷え込みで冬に逆戻りしたかのような気候が続き、花の蕾も人間もすっかり体を縮めていた頃で、今が冬なのか春なのかがよくわからなくなっていた。名古屋から高山に向かうと風景は季節を逆戻りする。桜がほとんど散ってしまった名古屋をあとに、電車から見える景色は、葉桜から散り際へ、そして下呂あたりで満開を迎える。映像を逆回しして見ているみたいで退屈することなく、2時間強の時間はあっという間に過ぎてしまった。


それにしてもやっぱり高山は名古屋に比べると寒い。雪こそさすがに降ってはいなかったものの、駅について電車から降りた瞬間、さむっっっ!と声に出してしまった。「こんなもん、寒くなんかねーよ」と頭っから否定してきたのは、左官職人の挟土秀平さん。5年ほど前に取材がきっかけで知り合いになった。NHKやTBSの番組、キリンのCMなどですっかり有名人で、今や左官という枠を超えたアーティストとして多くの話題を呼んでいる。その彼が私財と情熱と技術のすべてを注ぎ込んでいる「王国」を2年ぶりに見せていただいた。古い古い洋館に出逢った彼は、そこに昔の職人技術の素晴らしさを見た。ぼろぼろの洋館を買い取り、1700坪の土地を手に入れて、そこに復元移築するという壮大な計画を実行中なのである。(※その進行過程が某局で映像化されるそうなので、皆様楽しみになさってください。ここでは中途半端な写真紹介はやめておきます)


小雨が降る中、その洋館に向かった。ブルーシートに覆われたこの洋館の中は、挟土秀平の世界観で満ちていた。
オレがやっていることはサグラダファミリアだよ、と秀平さんが言うように、それはそれは物凄い世界だった。すべて秀平さんのデザインである。現代最高峰の大工による細工、飛騨春慶の建具、修復した春慶のドア、絶妙なバランスの色配合。すべて手で積んだあまりにきれいな石垣、手植えした山野草、まるで昔からそこにあったかのようななんでもない石の階段。そして左官技術の高さを感じる壁。一面の壁だけでこれだけ人を陶酔させる職人は、おそらく他にいないだろう。語っても語ってもその完璧なまでの美しさは表現できない。思わず言葉を失い、壁に手をあててしばらくじっとしていた。なぜだか泣きそうになった。


全国を飛び回ってあれだけ忙しい仕事をこなしながら、一人の表現者としてこんなにも次元の高い世界を創りだしていることに、心から敬意を表するし同時に自分がはずかしくもなった。実は再会した瞬間に秀平さんに言われたのである。「今、病んでるだろ?」と。自分では病んでいるなどとは思っていなかったので、その言葉にびっくりしたけれど、この洋館を見てからは秀平さんの言った意味がなんとなくわかったような気がした。豊かな自然の中で時に自然の厳しさを眼前に、土と水に向かっている秀平さんの心の声は、この日の春雨が大地を湿らしたように、しっとりとやさしく体に染みていった。


唐獅子牡丹【伝統工芸の職人たち】

唐獅子牡丹と聞けばすぐに任侠ものの映画や彫り物を想像してしまう人、高倉健の見過ぎです。実は、かくいう私も、唐獅子牡丹と言えばやっぱり背中の彫り物んでしょう?と思っていた一人。
もう半月以上前のことになるが、松坂屋美術館で開催されている「東本願寺の至宝展」を見に行った時のこと。彫り物ではなく、それはそれは可愛らしい唐獅子牡丹に出逢ったのだった。


世界最大級の木造建築で、ふすま絵やら日本画やら、知られざる美術品の宝庫でもある東本願寺。私の家の宗派でもあるので、これは観ておかねばと出向いたのである。ちなみに私の祖父母のお骨は、京都・東本願寺のなんとかという台座???の下に眠っているはずなので、京都に行く際にはなるべく寄ってお参りするようにしている。このチケットにも印刷されているが、望月玉泉という日本画家による孔雀のふすま絵が、もう筆舌に尽くしがたいほどの素晴らしい物だった。恥ずかしながら、この展覧会ではじめて知った作家だったので「うわ〜すご〜い」と感嘆の声を挙げながら、このふすま絵の前を行ったり来たり、近づいたり遠のいたりしていたら、係員の人に不審な目で見られてしまった。だって〜孔雀の胴体の肉感とか羽根のふさふさした重なり具合が本当にすごかったんですもの〜。でも、こんなリアルな絵がふすまに描かれてて、夜中にご不浄に起きた時に見たら怖いでしょうね〜。


こちらが、同じく望月玉泉による”ついたて”で、「唐獅子牡丹図」。獅子のたてがみの筆使い、まるで動き始めるかのような躍動感、獅子と同化しないように細かいタッチで描かれた牡丹、そして真ん中のこの間合い。いや〜見事だわ〜と独り言を吐いていると、ここでまた先ほどの係員の視線を感じ、すごすごとついたての裏面にまわる。


そしたら、裏面にはこんな絵がっっ。紺色の獅子が蝶とたわむれているではありませんか。まだ幼い獅子が蝶にじゃれつこうとしている様子が、いかにも愛らしい。係員の存在を忘れ、か〜わい〜!と叫んでしまったら、近くで観覧していらしたやんごとない雰囲気の老婦人も「本当に可愛いわね〜」と言ってくださった。老婦人を味方につけた勢いで「ほ〜らね、素敵だなと思ったら声に出したっていいのよ!」という思いで係員をチラ見してみた。そしたら今度は係員に知らん顔された!無視かよっ!


というわけで、これまた今週の日曜日までではありますが、この展覧会に是非お出かけくださり、唐獅子牡丹図がいいなぁと思われたなら、ぜひその前で感嘆の声をおあげくださいまし。美術品は心に感じたままに観覧するのが一番楽しいと思うのでございます。皆さん、どう思われますか?