伝統工芸の職人たち

バンコクの空は何処へ【伝統工芸の職人たち】


先々週に脱稿明けの徹夜明け状態でバンコクにひとっ飛びして、もうすでに2週間が経とうとしている。日常というものは、なぜこんなにも光陰矢の如しなんだろう。すっかりいつもの取材と原稿〆切と打ち合わせの毎日に戻り、あの埃くさい灼熱の国のことなど忘却の彼方である。
バンコクには約20年前に当時勤めていた会社の社員旅行で訪れ、10年前にトランジットで空港だけ寄ったことがある。社員旅行で行った時はバス移動でガイドさんに連れられての旅だったので、今回ほとんど同じエリアを回ったにも関わらず、バンコクの地図が記憶にまったく残っていないことに気づいた。普通なら地図を片手に歩き回るので、何年か経っても旅した街の地理は頭に残っているものなのに。泊まったホテルはどこだったっけ?あの怪しくエロいお店はどこだったっけ?とかすかな記憶を呼び起こそうとしたのだけど、まったく思い出せなかった。


でもそれは私の記憶力が低下しているせいでも、20年前ガイドさんに連れられたせいでもないことに、旅の途中でやっと気づいた。そう、バンコクという都市が変化しすぎていたのである。そりゃ当たり前だ。20年ですもの。あの時生まれた子供はハタチになっているんですもの。どんな都市だって変わるはずだ。
アジア諸国を旅すると、どうしても頭の中で「これは○十年前の日本だね」と、かつて成長途上だった日本に当てはめて考えようとする癖がある。確かに10年ほど前まではその当てはめ方式が通用した。だけど今や、もうかつての日本と同じ状況の国や都市なんて存在しない。下手をすると、現在の日本よりもずっと発展していたり豊かだったりする。バンコクもその例に漏れず、600万人の人口を抱えるアジア有数の大都市なのである。


現在バンコクにある国連関連のIOM(国際移民機構)でインターン生として仕事をしている姪っこアユミ。4ヶ月ぶりに再会したアユミと、フツーの食堂でカンパイ。何を食べても美味しくて安いので、今回はタイご飯を食べ尽くす美食の旅となった。そう、観光は20年前に十分したので一切ナシ。ひたすら食とマッサージとショッピングの毎日である。


今回楽しみにしていたのは、タイの民芸品を探すことだった。20年前の私はまだ工芸への興味が薄かったのでチェックしなかったけれど、40代の今はアンティークや工芸品フェチとなってしまったので、民芸品を求めて歩き回る4日間となった。日本の優れた古い民芸品は、一部のマニアか博物館の手中。その点、多くのアジア諸国ではまだ民芸は健在で、旅をしているとそうしたモノがまだ生き生きと作られているのに出会うことができる。今回訪れたうちで唯一観光らしい施設「ジムトンプソンの家」では、美しく素晴らしい焼き物(ベンジャロン焼)の壺や器を見ることができたし、竹や大理石を使った精緻な製品があしらわれていた。


ところが。タイでは工業化と観光化が進み、優れた民芸品はとうに博物館に入ってしまっているみたいだった。陶器や竹の専門店に行けば大量生産された工業製品が並び、シルクのお店に行けば妙にソフィスケートされてしまった手触りの良いシルク製品が並んでいた。20年前は当時から最も有名なジムトンプソンでさえ、ごつごつした節目が素朴なシルク生地でバッグやストールが生産されていたのに。今ではヨーロッパブランドと遜色ないデザインと素材に仕上がっているのだ。うーむ。これが20年かけて変化した大都市の姿なんだろうか。都市化という発展には民芸の衰退という影がつきまとうものなのかしら。


都市の肥大化に伴い手仕事が衰退する前に、民芸の職人たちと技術を守ることはできないのか。そんなことを考えつつ、アユミが住むマンションからバンコクの街(↑写真↑)を見下ろすと、そこには動く気配のない渋滞道路と排気ガスで曇った街並がぽっかりと浮かんでいた。