LARMES Column

脳の活性化【一杯の幸せ】

継続は力なり。
んなことわかっちゃいるけれど、どんなことも毎日続けるって、なかなかできないものですよね。
ところが、怠け癖のあるワタクシが、この半年、ほぼ毎日続けていることがあるのだ。

朝食の一番に、絞りたてフルーツジュースを飲むことである。(なぁんだ、また食べること飲むことか、とつぶやいたI谷氏。とりあえず最後まで読んでくださいね)きっかけは、名古屋市内でフルーツショップを経営する鈴木和子さんの取材だった。


鈴木さんが教えてくださったフルーツ摂取術は・・・。胃が空っぽの状態で、ご飯やおみそ汁よりも先にフルーツをとると、フルーツの栄養素は腸でしっかり吸収され、ブドウ糖となって脳に伝わる。脳を活性化させる栄養素はブドウ糖なので、朝一番から集中力を高めることができ、精神も安定するというのだ。試験やスポーツの直前にフルーツを食べるといいと言われるのは、そんな理由なのだそうだ。寝ぼけ眼で皮をむくのが面倒な怠惰なワタクシはジュースにして飲んでしまおうという魂胆。


オレンジ・トマト・ニンジンをジューサーでまわすだけ。
これが定番の朝一番メニュー。
赤い食べ物は老化防止になるとどこかの雑誌で読んだので、
その効果を期待して「赤いジュース」を飲んでいるというわけだ。


こちらは、いちじく・トマト・バナナのジュース。
いちじくは無農薬の安心できるものを買ったので、
皮ごと搾ってみた。
赤いツブツブはいちじくの皮。


なかなか物事を続けられない怠け者が、これだけは珍しく実行できているので、先日ご一緒したO本女史に得意げにこの話をしてみた。O本女史いわく「それでマリコさん、そのジュースの効果はあったんですか?」
・・・・・・ギクッ・・・・・・
考えたことがなかった。果物の恵みを朝からいただく贅沢に満足していて、その効果まで思い至らなかったのである。ワタクシの脳を活性化させるには、相当量のフルーツが必要となりそうだ・・・。

そっか〜、効果か。
O本さん、今度お会いする時は、ちゃんと効果測定をして、ご報告できるようにしておきます。
朝から頭がくるくる回転して良い知恵が浮かぶとか、お肌がつるつるになったとか、そういう効果を期待しつつ、明日もジューサーをまわそうっと。


逆インタビューの初体験【えとせとら】

友人のフリーアナウンサー・加藤千佳ちゃんがパーソナリティーをつとめるMid-FMの番組にゲスト出演させていただいた。千佳ちゃんとは7年来のお友達で100%プライベートなおつきあい。


今回がはじめての「職場訪問」みたいな感じで、なんだか不思議な気分だった。この番組は、千佳ちゃんのお知り合いを中心に毎週ゲストを迎えていて、そのゲストの人となりや活動を、千佳ちゃんがインタビューしながらおもしろ楽しく聞き出していくという趣旨のもの。普段の仕事内容から言えば、私は「インタビューする側」なので、今日のように「インタビューされる側」は初体験だった。
「事前の用意なんて要らないですよ〜。いつも通りに私とお話してくだされば、ちゃんとナビしますから大丈夫」という千佳ちゃんの言葉通り、本当にいつものおしゃべりの延長のように、あっという間に1時間が終わってしまった。あんなんで良かったのかしら?


インタビューされていると、いろんなことが分かってきた。聞き手は、ゲストの話の中からおもしろいネタの糸口を探し、その話題を掘り下げ、さらに他の話題にも触れながら全体をまとめあげていく。私の場合は、後日制作に取り組む原稿の構成を頭の中で考えながら、取材をする。
でも、インタビューされる側は特に考えなくても良いのである。ひたすら聞かれたことに分かりやすい回答をすればそれでいいのだ。
・・・・・ということは「答えやすい質問」をきちんと相手にぶつけることが必要なんだな。今日の千佳ちゃんの質問はすべて分かりやすく答えやすいものばかりだった。だから知らないうちに1時間が過ぎてしまったし、私自身楽しい思いをさせていただいた。こんな単純なインタビューの基礎を、今日改めて思い知ったのである。
私はインタビューしている相手に、こんな心地よい思いをさせているだろうか。
たま〜に考えすぎた質問をぶつけてしまい「難しい質問ですね」などと言われることがある。あれじゃあダメなんだな〜。


逆インタビューされてみてはじめて、インタビューのコツを千佳ちゃんから教わったような気がする。千佳ちゃん、とても良い経験になりました。どうもありがとうございました。
(前髪を切りすぎて、ワカメちゃんになってしまったワタクシ。恥ずかしいので、前髪は隠しておりますの)


かの名はポンパドール 佐藤賢一【読書する贅沢】

家庭画報に連載されていた「かの名はポンパドール」が、今月号で最終回を迎えた。フランス王ルイ15世の籠姫であり、聡明で美しい女性として、そして今に伝わるフランス文芸の保護者として有名なポンパドール侯爵夫人のことを、その実弟であるマリニィ侯爵の目で描いた小説である。
ポンパドール夫人は、趣味の良い目利きにより多くの芸術を育ててきた。当時のヴェルサイユに渦巻いた「ア・ラ・ポンパドール」は現代にまで引き継がれたひとつの価値観となっている。
パリのホテル・ド・クリヨンはルイ15世が夫人のために作らせた館であるし、大統領府であるエリゼ宮は夫人自ら設計したものである。
さらに、ワイン好きの方ならご存知だと思うが、かのロマネコンティは、ポンパドール夫人とブルボン王朝の名族コンティ公がその所有権をめぐって争い、結果コンティ公のものとなって、ロマネコンティの名が付けられたもの。
さらにさらに、かのシャトー・ラフィット・ロッチルド(ワタクシがこの世で最も愛するワインであります)は、ロマネコンティ争いに破れたポンパドール夫人が怒ってヴェルサイユからブルゴーニュワインを閉め出し、代わりに愛飲したワインなのだ。


このポンパドール夫人、当然ながら良くも言われるが、悪くも言われている。佐藤賢一さんは、そのポンパドール夫人を、実弟であるマリニィ侯爵の目線で描くことで、崇高な誇り高き女性として見事に表現しているのだ。
家庭画報の連載を読む楽しみが、今月で終わってしまうのは少しさびしいけれど、最後の最後まで、ポンパドール夫人の潔い生き様を読ませてもらえたので、とても心地よい思いで満たされている。

ちなみに佐藤賢一さんといえば、直木賞作品「王妃の離婚」が有名で、私もその本が最初の佐藤作品となった。フランスの歴史小説に特化した小説家として、史実に忠実に、けれど独自の視点と創作を加えて仕立てられた小説は、時間も忘れて読みふけってしまうほど素晴らしいものばかりだ。中でも私がいつも「うなる」のは、カタカナ表記の少なさである。

フランスが舞台の小説なので地名や人名にカタカナ表記があるのは必然であるが、形容詞などにほとんどカタカナを用いないのである。見た目にも実に美しい文章だ。昔から使われていた言葉を用いて古い時代を表現することこそ、歴史小説の理想型なのではないかと思わせてくれる。


殿方のユカタ【着物だいすき】

日曜日は、友人のフリーアナウンサー・加藤千佳ちゃんのYUKATA PARTYが、
堀川沿いの「ほとりす」で開催された。
夏の最後にユカタを着て楽しみましょう、という催しで、ユカタ美人が勢揃い!
それはそれは、華やかな、そして楽しいパーティーだった。
女性だけでなく、男性にもちらほらとユカタをお召しになっている方がいらっしゃり、個人的にオトコキモノが大好きなワタクシとしては、じっくり殿方ウォッチングをさせていただいた。むふふ。


女性の着付けに比べると、圧倒的に殿方の着付けの方がラクチン。
そんな気軽さからか、普段はスーツ姿で身を固めているであろう方々が、ユカタをラフにお召しになっている姿はなかなか良いものだった。
でも、少しだけ残念なことに、スラックスと同じ感覚で、腰上に帯をお締めになっていた方がいらしたのである。殿方のキモノの帯は、おなかの出っ張りの下で締めていただくと、格好が良い。



ちょっと旅館のユカタ風だけど(笑)、
たとえば、こんな感じ!


以前、阿部寛が主役の蜷川演出による「梅川忠兵衛」(確かタイトルは近松心中物語だったと思う)の舞台を観に行った時。キモノ姿の阿部寛を見て愕然とした。モデル体型の阿部ちゃんは、足が長く、おなかがまったく出ていないので、キモノが似合わないのである。殿方のキモノは、中肉中背で足が長くなく、おなかがちょっと出っ張ったくらいの体型に似合うように出来ているのだ。


そして次の日、月曜日。お仕事の打ち合わせで、モデルエージェンシー・ジオットの松本さんにお会いし、ランチをご一緒した。
松本さんと言えば、名古屋の、いえ日本の男性モデルの重鎮中の重鎮であり、現在は経営者としても幅広く活躍されている。普段から鍛えていらっしゃるということもあり、相変わらずスリムで見事なモデル体型は変わらず。打ち合わせで真面目な話をしながらも、頭の中は、「キモノを着た松本さん」を想像していた。おなかがまったく出ていない松本さんが、キモノを着こなしたら、一体どんなお姿になるのかしら?と。着こなすことはプロだから、おなかが出てなくてもかっこ良くキマルんでしょうね、きっと。


妄想から一夜明け、今日になってケータイで撮ったYUKATA PARTYの写真を見ていたら、こんな写真が!
右は昌子ちゃん、彼女のユカタはワタクシが着付けをさせていただいた。
左は昌子ちゃんの上司で某T社の方。
いなせな殿方でしょう?


買ったばかりだという夏のキモノを、
お帽子と共にかっこ良くコーディネイトされていた。
後ろ姿もなかなかいなせ。
というか粋筋の方みたい(笑)。


ワタクシは、麻混の縦縞のユカタに、
堀川沿いということで、水の流れっぽいイメージで、
水色の博多献上帯、緑の帯締めと帯揚げを選びました。
あ、肝心の主役・千佳ちゃんの写真を撮り忘れてる!
詳しくはエトレイユのwebでご覧くださいませ。


パイナップルの生命力【今日の地球】

二回続けて南国フルーツネタでご勘弁くださいませ。
5月に沖縄へ旅行した時に買ってきた物と言えば・・・。
当然ながらマンゴー、そして八重山パイナップルにも心奪われ、業者買いした。
フルーツショップのお兄さんに
「お客さん、そんなにパイナップルが好きなら、食べた後は育ててあげてね」と言われた。
パイナップルを育てる? しかも食べた後に?


左が食べる前。
右が食べた後。
そのお兄さんによると、実を食べてから、切り口を少し乾燥させ、
鉢に入れて土をかけてやれば、自然に根付くそうである。


そして、こちらが、今日現在の姿。
一部傷んでいる箇所があるけれど、立派に根をはり、
伸び伸びとお日様に向かって葉が成長しているのがよくわかる。


食用として栽培され、収穫されて売られる運命のパイナップルも、
土と太陽と水さえあれば、こうして立派に生きることが出来るのだ。
生命力って本当にすごいんだなぁ、と鉢に向かってつぶやいてみた。

先週までの怒濤の連続原稿締め切りが山を越え、一息ついているタイミングなので、
そこはかとなく無意味なことを考える晩夏の昼下がり。

忙しければ現実からの逃避行を妄想する癖があり、
暇ができるとついついマイナス思考に走る癖がある。
どちらにしても前向きとか積極的とはほど遠い性格だ・・・自己嫌悪。

パイナップルの生命力を目の前にして、
私も弱音なんてはいていないで、張り切っていくぞぉ〜、と思い直し。

さぁ、前向きな発想でいかなくちゃ〜とパイナップルとにらめっこ。

そうだ、来年はこのパイナップルに実を成らせることを目標にしよう。


マンゴーの残香【おうちごはん】

一番好きなフルーツを挙げよ、と言われたら、すかさず「マンゴー」と答える。
もともとマンゴーが大好きで、フィリピンやメキシコの物をオトナ買いするのが、自分で仕事をするようになってからのささやかな楽しみだった。

国産マンゴーの美味しさに目覚めたのは今から9年前。
一部のフルーツショップに、国産マンゴーが登場した頃だと思う。
とあるイタリアンのシェフが「マンゴーがそんなに好きなら、沖縄マンゴーを食べてみるといいよ。値段は高いけど、びっくりするくらい美味しいから!」と教えてくださった。
翌日、教えてもらったフルーツショップで、沖縄マンゴーを求め、完熟した甘さに感激したことを覚えている。

以来、毎年5月から8月にかけては、まるでマンゴーのために仕事をしているかのように、せっせとマンゴーを買って食べている。


沖縄と宮崎を食べ比べてみると、沖縄の方が甘みが強く、ひとつのデザートとして完成されているように思う。中でも、ヤンバルマンゴーの甘みと香りは忘れがたいものだった。
一方の宮崎は酸味と甘みのバランスが素晴らしい。フォワグラなどの料理と組み合わせたり、フルーツドレッシングにするなら絶対に宮崎がいい。
その時のメニューによって、宮崎か、沖縄か、を判断するのが理想的ではあるが、そんな贅沢な食べ方をしていたら、マンゴーでお財布が空っぽになりそうなので、妄想だけで我慢しているワタクシである。


さて、そのいただき方。
個人的なこだわりをここで披露させていただく。
こちらは宮崎マンゴー。右側が上部で、左側が下部である。
木に成っている間に、甘みは引力の法則で、下へ下へと移動する。


こちらが皮をむいたもの。よぉ〜く見ると、右の色が薄く、左の色が濃いことがおわかりでしょう?
当然ながら、下部である左の方が、右よりも甘みが強いわけ。
だから、右から食べ始めて、左でフィニッシュすれば、旨味も甘みも段々濃くなり、マンゴーの美味しさをより堪能することができる。コース料理が、さっぱりした味から濃い味へと変化するのと同じ理屈でございますね。
ちなみにこれはメロンやイチゴなどフルーツ全般に共通することなので、ぜひお試しくださいませ。


その大好きなマンゴーの季節も、もう終わり。
来年までお預けとなる。
マンゴーの甘ったるい残香に、夏が終わる切なさを想うのであります。


すきや橋次郎 東京・寿司【200字で綴る美味の想い出】

全20カンのお寿司は、交響曲のごとく、完璧な組み立てとなっている。スタートで軽やかに、中盤には変化に富んだ味わいを、後半はシンプルなネタで満ち足りた想いにさせてくれる。はじめて伺った時は、食べ方をじっと見られるので緊張して味がわからなかった。三ツ星シェフになられてからはコース仕立てとなり、メニュー表がいただける。ひとつひとつのネタには、かのロブション言うところの「ピュア」な想いがかけられている。

※いわゆるグルメブログは、多くのブロガーの方々にお任せするとして。ここでは、愛してやまないお店、あるいはたった一夜の素晴らしい記憶について200字の文章で綴りたいと思います。お店や写真のデータなどは記載いたしませんので来訪希望の方は申し訳ありませんがご自身でお調べください。


コピーライターは体力勝負である!【徒然なるお仕事】

職業を聞かれて「コピーライターです」と答えると、
多くの人から「紙と鉛筆があればできる仕事ってカッコいいですね」と言われる。
(もっとも最近は「パソコンさえあれば・・・」と言われることが多いが)

私はいつも即座にこうお答えすることにしている。

「いえいえ、紙と鉛筆だけじゃございません。消しゴムも机も必要ですし、なにより体力が一番大事です。決してカッコいい仕事ではございません」・・・と。

どちらかというと、知的労働のように思われがちなコピーライターの仕事。
もちろん頭も使うけれど、頭を動かす前に体力をしっかり使わなければ取材はできないし、知識をつけることもできないのである。まして「体験取材」ともなれば、自らの体をはって、新商品を試したり、ホテルやエステなどでお客さんになってみたり、クライアントの商品や施設の特徴を実感しなくてはならない。たとえそれが自分の興味対象外だとしても、だ。


現在、私が自分の体をはって「体験中」なのが、とあるセレブ向け高額基礎化粧品のトライアルセットである。シワ、たるみ、シミなど、年齢を重ねた人の悩みをカバーする基礎化粧品で、確かに使い始めたその日から、その効果は現れた。ふむふむ、これがこうでこうなるから、肌がすっきりするのね?などと、説明書を片手に「体験取材」をしているわけである。

肌は割と強い方なので、アレルギーもなければ肌荒れもなく、どんな化粧品でもOKではあるが、たとえ一時期だとしても、普段使い慣れている物から変えるというのは抵抗感がある。でも「これもお仕事なのだから、頑張りましょう!」と自分に声をかけながら、体を実験台にしているわけだ。


今迄の体験取材の中で印象に残っているのは、「メディカルエステで素肌をきれいにする」「マッサージエステをアロマオイル焚きながら全裸(!)で受ける」といったエステがらみのものから、「お百姓さんと一緒に田植えをする」とか「介護施設でおじいちゃんのお話相手になる」といった有り難いもの、さらには「年収500万円の家庭の主婦になりきってマンションのショールームを見学する」といった変わり種まで、あらゆる「体験」をさせていただいた。

貴重な体験にはなるが、中には嫌な思いをすることもあり、正直申し上げてつらい取材も数多くあった。でも人生何事も経験、と言い聞かせながら、今日も体をはってお仕事させていただいている。

また取材だけでなく、夏の炎天下や極寒の空の下での撮影立ち会い、お食事もお茶もなしのエンドレス5時間打ち合わせなどなど、体力がなければとてもできましぇん!と叫びたくなるような案件は、日常茶飯事である。

皆さんの隣人がもしコピーライターだったら、「コピーライターは紙と鉛筆があればできるカッコいい仕事」などとは、どうかおっしゃってくださいますな。

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ちなみに今日はこれからとある劇場へ。
お芝居に出演される俳優さんのインタビューが後日にあるため、事前知識としてお芝居を観ておいてください、というオーダーである。
これは個人的に完璧な興味対象内!なので、嬉々として行ってきま〜す。
こういう楽しいお仕事があるから、つらいお仕事を忘れることができるというわけだ。
もちろん今日の観劇はお仕事でございますわよ。ほほほほ。



朝の来ない夜はない。【今日の地球】

二回目の成人式を迎えたのがもう数年前のこと。
40歳を過ぎてはじめての「徹夜」をしてしまった。

最近はお盆休みを交代でとる人が多くなったせいか、この数年、お盆休みをフツウにとれた試しがない。そして、「ボクはお盆は休むけど、休みあけには原稿欲しいんだよね」という代理店サマの一言により、我々コピーライターは汗水流してお盆休みにパソコンに向かうことになるのだ。
同業者の友人たちが、やはりお盆休み返上で仕事に向かっていると聞くと、「私だけではないんだ、良かったぁ」と少しホッとしつつも・・・、なにも徹夜することはないでしょ?と一人つっこみしたくなる。
夜中は電話の邪魔も入らず集中できるので、お昼間にちんたらしながら原稿を書くよりスラスラと筆が進むことが往々にしてあるのだ。


もう朝になっちゃうなぁ、早く仕上げなくちゃ!と思いながら、
ふと空を眺めると、えも言われぬ美しい朝の光が空を染めていた。
これ、夜と朝の間くらい、5時の西空。


そしてわずか15分後、すっかり朝を迎えた西空がこちら。
メナードビルのガラスに、美しい朝の光が映りこんでいたので、
思わず窓を開け放して、カメラを向けてしまった。


我が家は南西の角のお部屋なので、東の空が見えないが、朝のこの時間、東から昇るお日様を見ることができたなら、もっときれいだったと思う。
こんな早い時間帯に起きていることが珍しいので、しばし仕事の手を休めて、朝の空をじっくり眺めてしまった。

そう、朝の来ない夜はない。

でも、ちんたらしていると、原稿はいつまでたってもアップできない。朝が来ようがお昼になろうが、止まった筆は進まないのだ。

夜、私が眠っている間に、
働き者の小人がどこかからやって来て、Macの中で勝手に原稿を仕上げてくれないかしら。

いけない、また逃避行の妄想癖がはじまっちゃった。

真面目に原稿に向かいます、今夜もまだまだ・・・。


陶器の金継ぎ【今日のエコ】

端が欠けたり、ヒビが入ったり、あるいはまっぷたつに割れてしまったり。
そうした陶器類を「直す」技術があることをご存知だろうか。
いわゆる「金継ぎ」である。
食器であれば使用に支障がないように直すことが出来る。

今から4〜5年前に、漆作家のところに、この金継ぎを習いに通ったことがある。
手先の仕事がもともと好きなのと、陶器は見るのも使うのも買うのも好きなので、
あっという間に金継ぎの世界に入り込んでしまった。
以来、自分の家の物はもちろん、友人知人の大切な器が欠けてしまった時に、趣味を発揮して直してさしあげている。


この器は知人の物。
上部に小さな欠けがあり、そこに漆のパテをつめて乾燥させ、形を調えてまた漆を塗り、形が整うまでその作業を繰り返し、最後に絵漆を塗って、上から金粉をかけ、さらに絵漆が乾くまで保存して、金をたたいて安定させて、やっと完成する。

実に地味で地道な作業で、漆が乾くのに湿気と時間を要するので、場合によっては完成まで二ヶ月近くかかることもあり、性格的に向き不向きはあると思うけれど、器として蘇った瞬間は、もう筆舌に尽くしがたい喜びがあるのだ。


アップにすると、こんな感じ。
欠けてはいたが、再び食器として使えるので、道具として二級品の扱いにはならないそうだ。(特にお茶の世界などで)
それどころか場合によっては「景色がついた」として、価値が上がることもあるそうなので、日本の陶器というのは面白いものである。


ところが、西洋ではこうした金継ぎの技術は用いられない。
もちろん漆の歴史がないという背景もあるけれど、それ以前に欠けた器はその時点で価値がなくなってしまうのだそうだ。

観賞用の陶磁器については、化学樹脂を用い、まるで壊れていないかのように修復する技術はある。
直したことが一目瞭然の金継ぎとは正反対で、西洋の考え方は「元通りにすること」なのだ。
完全なる物を愛でるのが西洋で、
不完全な物を愛でるのが日本の美意識なのだろうか。
ちなみに現在、日本で国宝指定されている陶磁器の中には、金継ぎされた(銀や漆のみで継がれている物も含めると)物が何点かある。
直された器が国宝指定を受けるなんて、西洋の修復師が聞いたらビックリ仰天なんでしょうな。



この金継ぎ、作業している最中は面白くて仕方ないのだけれど、
漆のパテをつめている時に、必ず頭によぎることがある。

顔のシワにこうしてパテを埋めることができたらなぁ・・・と。

金継ぎされた器は景色がついていいのです!と高尚ぶった言葉を吐いても、
所詮、思考回路はオンナなのだ。悲しい性、である。

こればっかりは、西洋も東洋も同じ価値観だと思うのであります・・・。