LARMES Column

ティファニーで朝食を 村上春樹訳【読書する贅沢】

言わずと知れたトルーマン・カポーティの小説が、村上春樹氏による翻訳で文庫本化されている。今迄に何十冊もの翻訳を手掛ける村上氏。1Q84の第3部を執筆中であることが話題で、この翻訳本の方は陰が薄くなっているが、自らが影響を受けた作家の小説は、翻訳挑戦してみたいという欲望があるようだ。その内の何冊かを読んだが、中でも村上春樹訳「グレートギャッツビー」は本当に素晴らしい出来上がりだった。それを温泉旅行に持参した私は、お部屋の温泉風呂に体をしずめながら読み、あまりに面白くてお風呂から上がるのをすっかり忘れてしまって読むふけり、足がふやけてしまったことがあるほどだ。


その時のコーフンが忘れられなくて、今回も本屋で「ティファニー」を見かけたのでつい買ってしまった。私たちは、ティファニーのタイトルを聞くと、ごく自然にオードリーヘップバーンのパイプ姿を思い浮かべる。ヘップバーンの代表作としてあまりに有名だからだろう。


しかし、村上本を読むと、その印象はがらっと変わった。ラブコメディータッチの映画と原作の内容が違った作りになっているのはともかくとして。なにより、あの主人公の女性は、ヘップバーンのイメージとはあまりに違うのだ。村上本では、主人公ホリー・ゴライトリーは自由で奔放で闊達に生き、そして徹底的にもの悲しく孤独に過ごしている。意味不明な経済力とどん底の貧困、美しさといかがわしさが同居していて、ゆえに魅力的な女性、ホリー・ゴライトリー。村上本を読みながら、勝手に頭の中でホリーという女性を想像して楽しむことができた。


原作を超える映画はない、絶対にない、というのが私の持論(偉そうですみません)。今回もまったく別物として原作を読んだおかげで大した違和感は感じなかったものの、村上氏があとがきにも書いているように、どなたか「ティファニー」を原作に忠実に再映画化してもいいのではないだろうか。女優ありき、ではなく、原作ありき、の製作で・・・。


赤堀登紅さんの観月会【伝統芸能の継承者たち】

先週の土曜日は、徳川園の蘇山荘にて、日本舞踊家・赤堀登紅さんの観月会が催された。赤堀登紅さんとお知り合いになったのはまだ半年あまり。極めて短いお付き合いながら、私の大好きな着物や日本舞踊のお師匠さんということもあり、お話していると勉強になることばかりで、あっという間に親しくなってしまった。加えて、美味しいものに目がないこと、お互いの住まいが徒歩3分圏内という共通点もあり、いつも楽しいひとときをご一緒させていただいている。その彼女が舞踊を披露してくださる観月会は、とても楽しみにしていた。というのも、登紅さんの舞踊を見るのは、今回がはじめてだったのである。


お庭に舞台が設置され、日本庭園を借景にして、間近で鑑賞。
最初の舞踊は、「長唄[浅妻船]より、月待つの節」。
毎日お月様を眺める姿を描いた舞踊だった。


会場の様子から想像して、てっきり素踊りだと思っていたら、このようにきちんと床山さんによる鬘と舞踊化粧をほどこしたお姿で登場。このあたり、さすが、ですね。


そして、お衣装を替え、次の舞台は「長唄[鷺娘]抜粋」。
白無垢姿の鷺の化身となった娘の恋に焦がれる様子を描いたもので、歌舞伎の演目でも馴染み深い舞踊である。


登紅さんのふたつの舞踊を拝見し、すっきりと昇華されるような想いにとらわれた。観る者を自然に幽玄の世界へと誘ってくれる登紅さんの舞踊は、シナをつくることなく、小気味良い品の良さだったのだ。(舞踊に小気味良いなんて表現使っていいのかしら?)
美しい踊りだなと私が思う時の共通点は、見えぬ糸。まるで糸が人間の体を操っているかのように、腰が定まっているのに上体や下腿が自由自在に美しいラインを描いていく踊りだ。登紅さんの舞踊は、まさにこれであった。
もともと赤堀は、西川を源としていると聞いているが、西川の踊りを見慣れている私にとってはとても新鮮な印象だった。流派が違うと、舞踊の表現もこのように違ってくるのだなぁということを実感することができた。
今回は、日本舞踊にふれて欲しい、という登紅さんのご好意で、こうした栄に浴することができたのだ。(フツウ、プロの方に舞踊をお願いしたらお花代がしっかりかかるところなんです)



会場では、6年ぶりの「プリンス」との感激の再会も!
あ〜ん襟が片方寄っているし、パリパリ結城で肩が尖っている(泣)


素敵なオトナの女性、正恵さんとの出逢いもあり、
有意義で優雅で素敵な秋の宴であった。
この日のお着物は、結城紬の単衣に、更紗模様の帯。半襟はぎりぎりまで白と迷い、結局松葉色に。帯締め松葉色・帯揚げ薄紫・ギャルリももぐさで購入した下駄をセレクトです。


食欲のない人生なんて!【おうちごはん】

食欲の秋、である。
年がら年中食欲旺盛な人種であるウチの家系は、秋になるとその様相をさらに深めるらしく、
今週我が家に滞在中の姪っ子ちゃんは受験が終わった途端にすっかり食欲モードだった。



オープン以来、すっかり私のごはん屋さんとなっている
伏見の和蕎楽(わそら)で、秋鮭の新いくらにメロメロ。



いくらの後は、〆鯖、新生姜の天ぷら、ごま豆腐などなどたいらげ、
最後はお蕎麦で。
食べ過ぎてしまい、甘味の蕎麦ぜんざいが食べれなくて残念だった〜。



試験日翌朝は、ブランチ代わりに新さんまの干物をがぶり!



きれいに食べました〜。



そして姪っ子アユミの希望で、名古屋名物ひつまぶしを。



お〜いし〜〜〜〜〜。


この半年でちょくちょく我が家に泊まりに来ていた姪っ子ちゃん。
他に何食べたっけ?とケータイの写真データを探してみると・・・.



円頓寺商店街の「はね海老」にて。



我が家でプチパーティー♪



我が家ではまぐりしゃぶしゃぶ♪


この他にも数えれきれないほど共に食卓を囲んだ。
食べる楽しさを与えられたら、無条件にガンバルのが我が家系。
受験結果が吉報であることを祈るばかり。


ついでにケータイに残されていた昨年春の桑名のはまぐり屋さんでのショット。
あ、やっぱり血はつながってる〜。
大口あけて食べるところは、姪っ子とそっくりかも。
(ちなみにこれは天然の焼きはまぐり。すごい大きさでしょ?)


そして、こんなところでも食欲は活動していた!
友人・高木麻里の所に最近やってきた招き猫の「宝輪」(ほうりん)。
ものすごい勢いで哺乳瓶に吸い付いている。
(まだ片手にのるくらいの小ささですがパワーはすごい!)


こうして立ち飲みするあたり、かなりなオヤジぶり。
でも女の子ちゃんなんです〜。
今日はオチもなんにもない内容で失礼しました。
あまりにも食のバラエティが豊かなケータイ写真だったので、
ほんのお裾分けでございました。


コピーライター操縦術は馬のニンジン作戦【おうちごはん】

今週は姪っ子ちゃん滞在週間。
というのも、大学生の姪っ子アユミが、
とある試験を受けるため、遠路はるばるやって来て我が家で寝泊まりしているのだ。
今日と明日が本試験ということで、こちらまで緊張感が伝わってくる。
本当は外食したいところだけど、一生懸命お勉強している姪っ子ちゃんを少しでも元気づけようと、今日は彼女の大好きな子羊を焼くことにした。


メインは子羊のロティ。
付け合わせはラタトゥイユに焼きチーズリゾット(これは先日とあるお店でいただいて美味しかったので早速真似っこ)。
それと和洋折衷だけど、ナスの煮びたし、大根葉の煮物。
これにワイン、といきたいところだけど、なんてったって試験なのでお酒はガマン。と思いましたが、ガマンしきれず、一本だけビールをいただいた。


今日、一次試験から帰って来た彼女は開口一番「今日のご飯な〜に〜?」そうくると思ってたので、すかさず私は「今日はラムを焼くよ〜」と伝えると、案の定、彼女のまんまる眼はくるくるとまわり、キラキラと輝いた。口が卑しいのはどうやら家系の遺伝らしく、私も小さい時は必ず「ご褒美のごちそう」を目当てに勉強していたらしいのだ。オトナになった今もこのクセは治らず、未だに労の多いお仕事を終えると「自分にご褒美」と称して美味しいものを食べに行く。簡単に言うと、ニンジン目指して走る馬、というわけだ。お仕事先の皆様、馬のニンジン作戦はとっても効果があります。お試しになってみませんか?
というわけで、姪っ子アユミにもニンジンをたっぷり提供した。もちろん合格したあかつきには、とあるレストランのディナーを約束している。さぁ、美味しいディナー目指して、頑張れ!アユミ!


ピエールガニェール・ア・東京(archives) 東京・フレンチ【200字で綴る美味の想い出】

個人的に三ツ星を献上していたので、先月末の突然の閉店情報は本当にショックだった。ひとつの食材を部位ごとに異なる調理をし、結果、何皿もの組み合わせとしてメニューを完成させるフレンチの新しい技法が、東京のフレンチにおいて最も象徴的に試されたお店だと思っていた。ガニェール氏がインスパイアされたと言う日本料理のエッセンスそのものだった。パリの本店よりも東京の方が好みだと思ったのは、私が日本人だからかもしれない。

※いわゆるグルメブログは、多くのブロガーの方々にお任せするとして。ここでは、愛してやまないお店、あるいはたった一夜の素晴らしい記憶について200字の文章で綴りたいと思います。お店や写真のデータなどは記載いたしませんので、来訪希望の方は申し訳ありませんが、ご自身でお調べください。


昭和の旦那衆よ、よみがえれ!【伝統芸能の継承者たち】

今日も、前回の名古屋をどりの続き。
名古屋をどりのパンフレットの冒頭に、西川右近さんの挨拶文が載っている。「もう名古屋をどりを止めようかと考えている。だけど、戦後の大変な時に始めた先代の気持ちを考え、今の辛い時代をなんとか踊りで切り抜けていくことが我々に科された使命である」というようなことが書かれていた。
そう、日本舞踊を存続させるには現代はあまりにも難しい世の中になってしまったのだ。日本舞踊は、その昔、お嬢さんの習い事の定番だった。発表会ともなれば舞台衣装も必要になるので、そこそこお金がかかるが、日本舞踊を習うことによって立居振舞や行儀が身に付くので、多くの婦女子が舞踊を習い事にしていたらしい。
また、一般家庭の婦女子の習い事としてだけでなく、芸者さんたちのお稽古の場でもあった。芸者さんはお座敷でお客さんを接待するのに、舞踊や小唄を披露していたので、当然ながらお稽古には芸者さんが多く習いに来ていたのだ。

明治生まれの私の祖父は、昭和の時代の最後の旦那衆と呼ばれる世代で、日本舞踊をはじめ、小唄、長唄など日本の伝統芸能の世界を応援していた人だった。祖父の家にはいつも芸者さんが遊びに来ていたし、週末ともなれば、舞踊やら小唄の発表会に小さい私もよく連れられていったものである。


花柳界は、そうした旦那衆によって支えられていた。芸者さん及び置屋さんの収入源としてだけでなく、日本伝統の芸能の庇護者として旦那衆がいたのである。芸者さんとの色っぽい話だけが目的ではないのだ(もちろんそれだけを目当てにしていたエロバカ旦那もいたとは思うけど)。旦那衆は、芸事だけでなく、地域の困った問題や街おこしにも積極的に力を貸した。富んだ者は責任もって地域を守り育てるという気概が、昔の旦那衆にはあったのだ。旦那衆文化とは、欧州で言うところの「ノブレスオブリージュ」だと思う。
ところが昭和の終わりごろに、厳しい税制や明確な経費計上を義務づける流れで、旦那が使うお金に自由度がなくなってしまった。なんにでも領収書がいる時代、不明瞭な「お花代」は経費では落ちないのである。
こうして自然に旦那衆文化がなくなってから、日本の伝統芸能や地域の街おこしといった運動は、にわかに消えていったように思う。
最後の旦那衆世代を祖父に見てきたので、ちょっと言わせていただくと。
政権交代したことでもあるし、この際、旦那衆認定制度でも作って、税制をゆる〜くゆる〜くしてもらえませんかね〜?民主党さん。


名古屋をどり【伝統芸能の継承者たち】

先日、母と二人でお出掛けしたのは、「第62回西川流名古屋をどり」だった。今年は、名古屋をどりをスタートさせた西川鯉三郎さん生誕百年に当たる年だそうで、例年のような舞踊だけではなく、名古屋をどりの歴史紹介から舞台が始まった。鯉三郎さんの生い立ち、歌舞伎界での修行、結婚して名古屋に来てからの活躍、そして戦後の大変な時代に名古屋をどりをスタートさせた話などが語られる。鯉三郎さんは、多くの劇作家や芸能関係者との交流があった人で、高名な方との舞台共演を実現させた方でもある。中でも驚いたのは、美空ひばりと舞踊で共演していることである。美空ひばりが日本舞踊をやっていたことさえ知らなかった私は、白黒フィルムの映像が本当に美空ひばりなのかどうか、目をこすりながら見入っていた。最後にあの独特の声で礼を述べるシーンがあり、あぁ本当に美空ひばりだったんだ!と納得した次第。


一方の母が隣で少女のように喜んで観ていたのは「長唄 鷺娘」を踊った茂太郎さんだった。今年の2月ごろに名古屋能楽堂で催された「鯉女会」にも茂太郎さんは出演されており、その時の「紅葉狩」が素晴らしかったので、今回も事前から「鷺娘」をずいぶん楽しみにしていたのだ。確かに茂太郎さんの「鷺娘」は存在感のある舞台だった。

茂太郎さんの舞台が終わると、母は遠い目をして言った。
「ママが結婚する前に最後に出た踊りの会でね、島の千歳を踊ったんだけどね、その時に後見をやってくださったのが茂太郎さんだったの。途中で汗をふいてもらったんだよ。その頃からあの人かっこ良かった〜」と。

な、な、なぬ?
茂太郎さんの踊りにうっとりしてたんじゃなくて(もちろん踊りにもうっとりはしてたんだろうけど)、茂太郎さんそのものにうっとりしてたわけ?

どうやら、日本の伝統を守ろうとか、継承しようといった高尚な言い訳は、母には通用しないようだ。やっぱり、この母にしてこの私ありだな〜とつくづく実感したのだった。


名古屋平成中村座〜法界坊〜【伝統芸能の継承者たち】


素晴らしかった。最後は特に圧巻だった。歌舞伎では普通はしないスタンディングオベーションが自然にわき起こった。中村勘三郎、ブラヴォー!と。

勘三郎丈の見事なセリフまわしに、ジョークがたっぷり効いたアドリブ。脇を固めるのは、スッキリ二枚目の橋之助に個性派の笹野高史、独特の面持ちの片岡亀蔵、お品の良い御姫様役の中村扇雀。そして二人の息子、勘太郎と七之助。
小気味の良い江戸弁と早いテンポでストーリーはどんどん進んでいった。抱腹絶倒の連続で、一瞬たりとも舞台から目が離せない。
そしてなんといっても、最後のダイナミックな演出は見事であった。名古屋城二ノ丸を借景に仕掛けたアイデアに、かの徳川宗春もさぞ喜んでいることだろう。

名古屋平成中村座は、江戸時代の芝居小屋を再現して作られたものだ。会場の半分は座布団の上に座る席になっていたし、ろうそくに見立てた照明が用いられ、さながら江戸の中村座がそのまま名古屋城下で興行しているかのよう。そして最初から最後まで、昔の芝居演出の方法を極力取り入れて、電気などを使わずに人力で舞台を動かしている。こじんまりと作られた舞台は、観客との距離が近く、演ずる側も観る側も一体感をもって芝居を楽しむことができた。歌舞伎界の歴史に名を刻むであろう名古屋平成中村座に「参加」できたことがとても嬉しかった。

中村勘三郎の当たり役である「法界坊」を観たのははじめてのこと。私にとってこの名前は、子供の頃に叱られた記憶につながっている。お金と女に目がなく、どうしようもない生臭坊主の悪党は、乞食坊主と呼ばれるほど汚くだらしのない格好をしている。私が小さい頃、洋服を汚したり、ぞろぞろとスカートをひきずっていたりすると、必ず「そんな法界坊のような格好はやめてちょうだい!」と母から怒られたのだ。法界坊そのものを知らない私は、大人になるまでずっと、法界坊と言えばだらしなく汚い人の形容詞だと思い込んでいたのだ。今日、長年の疑問がやっと解けたような気がする。法界坊という言葉には忌み嫌うような印象を持っていたが、勘三郎が演じた「どこか憎めないキャラ」がその印象を塗り替えてくれたようだ。

次は楽日の夜の部。近松と黙阿弥という江戸のスーパーストーリーテラーの作品が現代名古屋に蘇るのだ。今から心待ちでならない。


秋の夜空と虫の声【暮らしの発見】

久々に母と二人でお出掛けして、そのまま実家に帰った昨日。一人暮らししている私は、生まれ育った家に戻ると、自分を無意識にリセットしているような気分になる。
段差だらけで生活しにくい古い家屋ではあるが、木造建築独特の匂いがどこかから漂い、そこかしこに子供の頃の記憶が刻まれた家。何をするということなく、その空間でぼぉ〜っとしていると、それだけで満ち足りた気持ちになる。壁や襖や障子が息をしているような気がするのだ。普段の私は、コンクリートに囲まれて虚構の世界に生きているのではないか?と思うほど。


夜、お布団に入って眠ろうとすると、網戸越しに庭から聞こえてきたのが、虫たちの競演だった。虫の名前はわからないけれど、高音から低音まで、それは美しいハーモニーを奏でている。風が吹けば一瞬演奏は中断され、風が落ち着くと再び始まった。眠るのがもったいなくて、縁側に出てしばし演奏会の聴衆となった。夜空を見上げれば、十六夜。秋らしく透明感のあるお月様が、こっちを見ていた。こんな夜は、盃のお酒に月を映して呑みたくなる。今年もこの季節がやってきたな、と思った。


ファントムに会いそこねた赤い夜【えとせとら】

先週、ミッドランドスクエアの「ナイトショッピングwithオペラ座の怪人」というパーティーイベントがあった。ミッドランド全館がパーティー会場となっていて、招待状がないと中に入れない仕組み。ドレスコードは「赤」だった。
会場についた頃にちょうど始まったのがオペラ座の怪人に出演している方々のトークショー。エントランスにはウェルカムドリンク(スパークリングワインが赤色のロゼで凝った演出)が置かれ、レッドカーペットが敷かれて、さながら映画祭のような雰囲気。ドレスコードが赤なので、皆さんどこかに赤をあしらったファッションで、ミッドランドのどこを見回しても、赤色アクセントが目に入る。実りの秋のスタートにふさわしい色合いだった。


私は爪の先っちょだけ赤ネイルに、
ワインレッドのバッグで。


私の最も若いボーイフレンドのノゾム君は
赤いネクタイで参加でした。
(ネタをあかせばただの甥っこなんですが)


赤色コーデで始まり、ショッピングの特典や飲食店10%オフなど、いろいろお楽しみテーマはあったが、私が一番キャーキャー言ったのは、帰り際に見た「怪人」の姿だった。エスカレーターで階下に降りる時に、イベントに使われた怪人の人形を片付ける風景に出くわしたのである。目の悪い私は、遠目で見たらそれが完全に「人間が演じている怪人」だと勘違い。「わ〜。ファントムだ〜」と叫んで慌てて階下へ。意外に冷静な甥っこノゾムは、「あ、あれ人間じゃないよ、人形だよ」と言って軽くスルー。
なぁ〜んだ。人形か・・・・・・。
ここで天井から例の「ははははははははは」という声が聞こえてきて、ミッドランドのホワイエをファントムが飛ぶように登場したら「チョー感動するのに〜」(んなことあるワケないですよね)
妄想好きのアイデアは一人撃沈し、初秋の夜はスルーっと更けていった。