LARMES Column

勝沼のワイナリーにて 土に還る【今日の地球】

今朝は早くから起きて、一路、山梨県勝沼のワイナリーへ。
このワイナリーには4年ほど前にプライベートでお邪魔したことがあり、
日本のワインの可能性について情熱的に語ってくださったオーナーの想い出と共に強烈な印象が残っていた。
今日は取材でお邪魔するとあって、あの情熱がどんなカタチ(ワイン)となって現れているのだろうと楽しみで仕方がなかった。


期待をはるか超えたレベルでワイナリーは進化し、しっかりと大地に根をはって、日本人にぴったり合う葡萄酒が生産されていた。醸造責任者の方の、熱く、けれど決してぶれることのない考え方に触れ、すっかりファンになってしまう。

ここのワインは、葡萄酒という言葉の方が似合うのではないか、と思った。

たった一種類の品種で、ここまで多くのバリエーションを創出するぶどうはないと思う。いや、実際ないのだそうだ。・・・・・。うぅぅぅぅぅ。書きたいけれど、これ以上はここでは書けません。ご興味がおありの方はご一報ください。後日作成する本が出来上がりましたら、ご笑読いただきますので。(これじゃあ何が言いたいのかわかりませんよね。すみません)

作り手の熱き思いを、素晴らしい葡萄酒のレベルを、日本のワインの可能性を、きちんと言の葉に表現することができるかしら。感動した想いが深い分だけ、心配になってきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日、最も心に残った言葉は「土に還る」。本当に持続可能なものは、すべてが土に還ることができるのだと。私の言の葉も、人さまのお気持ちに留まり、心で消化され、いつか想い出という土に還ることができますように。名古屋の空に小さく煌めくお星様に願いをこめて、今夜は眠ることにする。



こちらはワイナリーの外塀で見つけた「ぶどうの葉」。
かわいいでしょ!!!???


円頓寺商店街の七夕まつり【暮らしの発見】

今日は名古屋市西区、国際センタービルのすぐ近くにある円頓寺商店街の七夕祭りに行ってきた!
この商店街の理事長は、友人のグラフィックデザイナー高木麻里。
商店街のイベントがある度に足しげく通っているので、どこにどんなお店があるか、どこの何が美味しいか、地元の人なみに知っているつもりである。


七夕祭りも毎年の夏の行事のひとつだ。この商店街は、ただでさえ昭和の香りがぷんぷんする、懐かしさいっぱいの街なのに、七夕祭りになるとアーケード内すべてに屋台が所狭しと並ぶので、それはもう昭和50年代の小学生垂涎の的であった「買い喰い」の聖地となるのである。

串カツ、イカ焼き、綿菓子、チョコバナナ、りんご飴、たこ焼きにビール!

子供の頃、我が家では「買い喰い」は罪であり、お祭りで売っている物は合成着色料の塊だから食べてはいけないという御法度まで出ていた。

合成着色料の塊というのは、りんご飴の色を見て母が勝手に思い込み、私にそう教えたんだと思う。

だから今でも、屋台で食べたい!とは思うものの、三つ子の魂で結局手が出ないのである。
未だに「屋台のラーメン」が食べられないのは、こんなところに理由があるのかしら。

おそらく、心配性の母のことだから、夏に外で調理された物を食べておなかをこわしたら大変だと思ったのだろう。
子供である私に、屋台の食べ物への恐怖心を与えて、食べさせないように教育したのである。
パブロフの犬の法則に従って、大人になった今でも、屋台の物が食べられない体となってしまった。


今日のお祭りは、もちろん食べ物だけではなく、
いろんなお店が出ていたので、屋台ものNGの私でも大丈夫!
金魚すくいにワニすくい!(ワニすくいって昔はなかったよね?)
占いがあれば飴細工体験もあり、途中で消防隊のパレードにも出くわした。
日替わりでイベントが盛りだくさんなので、飽きることがない。

残念ながら今日が最終日。
皆さん、来年は是非お出かけくださいませ。

こういう下町らしい人情味あふれる商店街っていいなぁ、来るたびにそう思う。
七夕祭りは特別だけど、普段の商店街もとても親しみやすい街だ。
昔懐かしい風景に出逢いたかったら、ぶらっとお散歩をおすすめする。
子供の頃に見たものや感じたものが、必ず視界のどこかに入ってくるはずだ。

最後に、円頓寺商店街の七夕祭りの名物、ハリボテのコンテストはご存知?
商店街のお店がそれぞれに手作りしたハリボテを出展して審査されるもので、
写真は、高木麻里の家業である下駄屋さん「野田仙」の作品。
下駄の形がすごいでしょう?
見事に、西区長賞を受賞していました。ぱちぱちぱち。



まりもっこり【えとせとら】

昨日の「あさりはまぐりしゃぶしゃぶ」コラムの最後のイラストに、
友人たちが食いついた食いついた!
これは誰?とか、マリコはどれ? とかいうメールをいただいた。

皆さんご想像の通り、私は板の上にのっております。

私の顔、何かに似てると思いませんか?

そう、ここのところ人気の「まりもっこり」のキャラクターに、
私の顔がそっくりだと、イラストレーターの多喜田保子が言うのだ。


彼女が私を呼ぶ時は「マリモッコリ」または「モッコリーナ」。
そして、イラスト上の私の顔はすべてまりもっこりになっている次第。
最初は、マリの2文字が一緒だからだ・・・と思っていたら、
そうではなくて、顔が似ていると言うのだ。
自分ではまったく自覚がないのだけれど、イラストレーターの眼で見ると、似ているらしい。


一昨日送ってきた携帯添付メールがこちら。
プレゼンの仕事で紙粘土イラストを作っていたら、
紙粘土が余ったので「みんなの顔を作ったよ〜」とのこと。
どの顔も、本人の特徴をとってもよく捉えているので、思わずぷっと笑ってしまう。


イラストレーターの眼は、すごいんだなぁと実感しつつ。
このweb siteのプロフィール写真を改めて見てみたら、私の目とまりもっこりのふざけた目、似ているではないか!(ちなみにこの写真は多喜田保子による撮影だった)

やっぱり似てたのか・・・。


こちらは、上の写真から衣替えした私の顔。
題して「やどかりモッコリ」なのだそう。
(マリの字が消えているっっっ!
 すでに独立したキャラクターになってしまった?)


そして、これが、私と友人カメラマン二人のためのイラスト。
琵琶湖畔でプンスカ怒りまくっている私たちのエピソードを、イラストにして送ってくれた。

この時は、滋賀のある町に取材で訪れていて、その先で「アッタマにくること」があったのでメールで愚痴ると、数時間後にこのイラストを送ってくれたというわけだ。このイラストを見て、私たちは大笑い。もちろんプンスカ怒りも収まった。


最後の一枚。
こちらのエピソードは、ご想像におまかせいたします。
多喜田保子いわく、
近藤マリコの生態を見事に描き出せるのは彼女だけ、なのだそうだ。
あはは。


あさりとはまぐりのしゃぶしゃぶ〜【おうちごはん】

いやはや、やっぱり忙しい。
ここのところ、忙しすぎて、まともに食べていない。
食べていないというのは、食事を摂っていないという意味ではなく、
私の場合は「きちんと作ったご飯」を食べていないという意味である。
「ぱぱっとご飯」の日々が続くと、頭に栄養がいかなくなる。


せめて、頭の中だけでも「美味しい記憶」でいっぱいにしたくて、
ケータイに残されている食事の写真を眺めていたところ、
ありましたありました〜。
あさりとはまぐりのしゃぶしゃぶの写真。

4月から6月まで、合計7回も催した我が家の「あさりとはまぐりのしゃぶしゃぶ」。
あさりは日間賀島のもの、はまぐりは桑名のものを、お魚屋さんにお願いして仕入れていただく。
もともと、このお鍋料理を思いついたのは、桑名にある有名なお店にお邪魔してからだった。
びっくりするほど大きくてジューシーなはまぐりにうっとり〜としたものの、
出汁のお味が個人的には好みでなかったため、
無謀にも自分で作ってみようとトライしたのが始まりだった。
はまぐりだけで作ろうとすると材料費がとってもかかってしまうので、
はまぐりの前座にあさりを登場させた。
名古屋は、伊勢湾と三河湾の間にあるということで、
日間賀島と桑名の名産を一度に食す鍋に仕上げてみたのだ。


この写真は、5月に催した時のもの
(写真はプロカメラマンのケータイによるものです)。
日間賀島のあさり〜。
ぷりぷりのオデブちゃんでした。


そしてこちらが桑名のはまぐり。(この時はまだ身が小さく、この後どんどん大きくなっていった)
最初にあさりでしゃぶしゃぶをやると、それだけで美味しくて、はまぐりなんて要らないのでは?という声が必ず挙がるが、実際にはまぐりを食べてみると、
比較にならないほど、はまぐりの味が濃厚だということがよくわかる。


4月から5月はあさりの旬。5月後半から6月がはまぐりの旬。
3ヶ月に渡って、この二つの食材を同じ条件で食べていると、
最初のうちはあさりがオデブちゃんで、後半ははまぐりがオデブちゃんになっていくのがよく判る。
また、はまぐりは、大和種と呼ばれる日本古来種が、今は桑名でしかとれないのだそうだ。
大和種のはまぐりと、千葉あたりでとれる朝鮮種の違いは、形にある。
大和種は貝の形がいびつな三角形になっており、朝鮮種は二等辺三角形になっている。
我が家がお魚屋さんにお願いするのはもちろん大和種の方。
食事をしながら、貝の形をみんなで確認し合うのも、楽しい話題だった。


最後は、あさりとはまぐりの出汁がたっぷり出たスープでお雑炊!
じっくり弱火で煮込んで、卵を入れて火を切る。
フタをしてゆっくり蒸らし、とろっとろになったらみんなで奪い合うようにして食べる。
う〜ん、思い出しただけで頭が満腹になってきた。


そして、最後に・・・。
5月のお鍋に来てくれた友人イラストレーターからのお礼イラスト。
こんなん添付してきました〜。


多忙なはずが、船上の一夜【着物だいすき】

はぁ〜忙しい毎日・・・・・・。
春以降あんなにヒマだったのに、
仕事というのはなぜいつも同時期に重なるのだろう。
秋ものが動く時期ということもあり、抱えている原稿だけでも数知れず。

最近「健忘症」が激しいことは先日の尾てい骨事件で露見したので、
TO DO LISTに漏れがないかどうか、細かくメモしてデスク横に貼ってあるのでございます。


そんな多忙な夜のはずなのに、実は今夜は船上クルーズへと繰り出した。
「お着楽会の夏バージョン」ということで、「ユカタで船上お着楽会」に行ってきたのだ。
スタイリストの原結美さんや、ヘアメイクの村上由見子さんたちが主催してくださった。
納屋橋から乗船し、2時間かけて船は名古屋港へと向かい、また納屋橋へと戻ってくる。
その間、船の上でお酒と料理を楽しむという興のものだった。

色とりどりのユカタ姿の女性が何十人も屋形船に乗り込む風景というのは、
なかなかオツなものだった。
気難しいキモノのルールなど、どこかにうっちゃっといて、可愛いから着てみました!という雰囲気の女性もいたりして。
キモノビギナーとしてのスタート地点がユカタであるなら、
そういう「ルール違反」もいいのではないか?と思える。


いざ、船が動き始めると、川の水位が思ったよりも高いので驚いた。
私の目の前に座っていたK氏「セーヌ川にもこういう船ってあったよね」
その横に座っていたY子「あれは〜もう少し豪華かな」

その会話を聞いていて、突然レオスカラックスの「ポンヌフの恋人」を思い出した。
あの映画のエンディングは、セーヌ川に落ちた恋人たちが船に助けられ、
そのままセーヌ河口の町、ル・アーブルへと向かう。
川に落ちるんだけど助けられてハッピーエンドになる。
当時カラックスは主演のジュリエットビノシュと恋人関係にあったので、
ビノシュが悲しい結末だったはずの台本に二人の生活を投影させてしまい、
彼女の希望でハッピーエンドに変更した、という逸話があったはずだ。

仕事が忙しくなると必ず「逃避行を妄想する癖」があるので、
今夜も、ポンヌフの恋人よろしく、このまま船が名古屋港に流されることを想像してしまった。

船は名古屋港に流され、難破する。(ありえない!)
ユカタの裾はみだれ、あらわな姿で助け出される私。(これは難破しなくても酔っぱらえばありえる)
立派な紳士が乗っている船に助け出されたので(これまたありえない)
命は助かり、仕事は誰かが適当にやってくれて、
おまけに豪華客船クルーズを紳士からプレゼントされる。(やれやれ)

肥大化した妄想が現実に戻るころ、船体は納屋橋の岸へと到着した。


今の症状を言うのなら・・・【えとせとら】

一昨日、タクシーに乗って取材先から帰る途中に、後ろから追突されてしまった。
体全体ががっくんと前にのめり、シートに深く倒される。
大したスピードではなかったが、タクシーのバンパーに大きなへこみが出来た。
後ろの車の運転手は、携帯でメールをしていたらしい。
私は大したことはなかったが、同乗していた人が木箱を抱えて座っていたため、
木箱と前のシートで胸を強く打ち、ずいぶん痛がっていたので、
事故処理はタクシーに任せて病院に向かった。
幸い、同乗者は打ち身だけで済んだようで、湿布を貼って休んでいたら痛みはすぐにひいていった。
私もむち打ちが心配ではあったが、とりあえず痛みもなかったので、湿布をいただいて帰宅した。

次の日になると痛くなるかも、と脅されたので心配していたが、翌朝になっても痛みはない。
症状は、頭がぼぉ〜っとしている、だけである。
それはただ眠いだけかも!(いつものこと!)
これなら大丈夫そうだ、と安心していたら、今日になって尾てい骨が痛みはじめた。
中腰になると特に痛い。
おばあさんのごとく「いてててて」と言いながら立ったり座ったり。

もしかして、症状はむち打ちよりももっとひどくて、
ぶつかったショックで背骨が縮み、尾てい骨に影響を及ぼしたか?とありえない想像に至った。
どうしよう、整形外科に行った方がいいだろうか。

リビングで横になりながら悩む私の視界に、椅子が見えた。

あ・・・そうだった、落ちたんだった・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

追突された前日、
本棚の一番高い所にあるモノをとろうとして、
よせばいいのに滑車のついた椅子に登り、お尻から真っ逆さまに落下したのである。

その時したたかに打ちつけた尾てい骨が、今日になって傷みだしたのだ。
(おそらく一昨日から痛みはあったが、追突のショックでそちらに気が取られ、
尾てい骨の痛みに気づいたのが今日、という感じ)

昨日の事故が頭にあって、一昨日の落下はすっかり忘れていた。

なんということ!

今の私の症状は、むち打ちでもなければ尾てい骨損傷でもない。
ただの「健忘症」であった。




お相撲場所は社交場だ【えとせとら】

名古屋場所は暑い。
暑い暑いとぶつぶつ言いながら、今日はお相撲観戦に行った。
とは言っても、お相撲そのものにはさほど興味はなく、
どちらかと言うと名古屋の夏の風物詩を楽しんでいる方である。


はじめてお相撲を見たのはいつのことだっただろうか。
目の前で繰り広げられるスポーツよりも
美しく彩られた土俵まわりの、日本の伝統色に目がいってしまったことを覚えている。
お相撲さんのまわし、土俵にぶら下がっているふさ(の表現でいいのか?)
行司の着物の色、お弟子さんたちの浴衣の色・・・。
歌舞伎で出てくる正絹の深い色合いに似て、モダンである。


周りを見回してみると、私同様お相撲そのものを真剣に見ているというよりも雰囲気派が多数いて、今日もその手合いの話を盗み聞きしてしまった。

「ほら、また来てる。あの人、どっかのママだよね」
「そうそう、毎年同じ場所に座ってテレビに映ってる人ね」

砂かぶりと呼ばれる席に必ず座るクラブHのJママのことだ、と思った。

テレビでお相撲を見る場合、テレビカメラは正面から向正面を映す。
必然的に、取組の最初に向正面の前列に座っている観客の顔はばっちりテレビに映るのである。
「顔」を売る仕事の方が積極的にその場所で観戦したがるのは、テレビを意識してのもの。(もちろん純粋に観戦を楽しんでいる人もいるが)
だから、クラブでお仕事している女性や芸能人など、知った顔が映るとテレビのこちら側では結構話題になったりする。
逆に「通」は正面に座り、テレビカメラと同じ視点で取組を楽しむのだとか。


今でこそ、テレビカメラがあるので、本人の意志とは無関係に顔が映しだされることがあるが、
実は昔から、相撲場所というのは、誰々が来てたとか誰々と会ったとか、社交場のような性格を持っていたのでは?と思ったことがあった。

何年か前、今日と同じように、父や叔父と共にお相撲観戦をした時のこと。

叔父K「あの富士山みたいな頭は?どこの子だ?」
叔父S「見たことない子だなぁ」
父「キモノは華やかでいいね」
叔父S「見てるだけでもいいなぁ」
父「あ〜ゆ〜のより、西側に座ってる感じの方がいいなぁ」
一同、西側のキモノ姿の女性軍団を注目。
叔父K「あれは名古屋じゃないね、京都あたりから来てるね」
叔父S「なんでわかるの?」
叔父K「雰囲気が全然違う。祇園あたりの匂いがする〜」
叔父S「なるほどね、あれは素人さんじゃない、独特の雰囲気」
父「祇園ね〜、い〜ね〜」
一同「確かに〜。あっちがいい」

お相撲よりもずっと盛り上がっていたこの会話を聞き、
お相撲場はスポーツ観戦以外の目的も大いにあり得る、と確信することができた。
やれやれ。
我が父、我が叔父ながら、名古屋と京都の差異を見分けるとは、見事な観察眼であった(笑)。


別れの言葉はいらない【読書する贅沢】

「約束のつばさ」という児童小説が先月刊行された。
これは高校時代の同級生・岡田新吾氏の作品だ。
岡田くん(高校時代の通り君づけさせていただきます)とは高校を卒業してから交流がなかったが、偶然名古屋で15年ぶりくらいに再会した時は、お互いに同じコピーライターの仕事に就いていた。

その後、岡田くんは広告会社を設立し、写真ギャラリーをオープンさせ、
とうとう夢のひとつであった児童小説を出版させた。
我が同級生ながら、あっぱれな活躍である。


「約束のつばさ」は、戦争で命を落とした男が、一人娘に会うために、
天国からやって来て、主人公の小学生と交流をするお話。
児童小説ながら、読みごたえのある文章と中身の深さに、
児童向けということをすっかり忘れて読み進んでしまった。
出逢いの喜びと別れの切なさが、小学生の目を通して描かれていく。
子供だけでなく、大人にも読んで欲しいと思える小説だった。


読み終わったばかりのこの本を、昨夜もう一度読んでしまったのには、理由がある。
昨夜のこと、仕事(と呼んでいいかどうかわからないけど)で6年近く共に過ごしたクルーが
新天地へと旅立ったのである。
いろんな想いを共有し、苦しみ、笑い、時に嘆き、楽しんで、
経験を積み上げた大切な仲間だったので、
万感こみあげるものがあり、不覚にも何度も涙を流してしまった。

「約束のつばさ」では、天国からやってきたおじさんは別れの言葉を言っていない。
「いつになるかわからないけど、きっともどってくる」と言っている。

新天地へと旅立ったN氏とF氏とも、私は別れの挨拶はしなかった。
約束のつばさ、ならぬ、約束の一皿で、きっと近いうちに会えると確信できるから。


すわ野口五郎!!!【えとせとら】

昨日は、人毛かつらを作る浜松のサロンに取材でお邪魔してきた。
化学繊維毛と人毛では、重さや汗のこもり具合が全然違うらしく、
それを実感するために、化学繊維毛のかつらを試着させてもらったのだ!
確かに重くて暑い。夏はそれが原因で熱中症になることもあるのだとか!


私のかつら着用姿を写真に撮ってディレクターS氏が喜んでいたので、
「くっそ〜、他にかつらが似合いそうな人いないかしら?」と探すと、
いましたいました、エディターのN氏。
上が使用前、下が使用後。浪人生風から野口五郎に早変わり!
売れないフォーク歌手との説もあり、取材現場は大盛り上がりだった。


セカンドラインの意味【一杯の幸せ】

L'esprit de Chevalier(レスプリ・ド・シュヴァリエ)2007
お店の人にボトルをプレゼンしてもらって字面を見た時、
一瞬あの白ワインか!と勘違いしてしまった。
名前から想像できるように、ボルドー白ワインの銘酒Domaine de Chevalier(ドメーヌ・ド・シュヴァリエ)のセカンドラインだった。

そのワインを勧めてくれた尾崎ソムリエ曰く、
「セカンドの定義は、ファーストと同じ畑に育ってはいるが、その中でも樹齢の若い木に成ったぶどうの実で醸造されるものを言う」らしい。
その日のL'esprit de Chevalierもまさに「ドメシュヴァ」のセカンドというにぴったりの味わいで、
決して値段は高くなく、けれどもバランスの良い若々しさに満ちていた。

まだ若く経験が足りなくて王者の位置にはつけないけれど、
やがて時期が来れば、誇り高き冠が与えられる。

セカンドラインは、王者におさまる前の姿なのだ。ふむふむ。

「古いことこそ佳きこと也、若さはあくまでも成長過程」というヨーロッパ感覚そのもの。

未熟な私なぞは、まだまだ成長過程で、精一杯がんばらねばと思った次第。
(本人はまだ樹齢が若いつもりでいるのです)

女房と畳は新しい方が・・・などとは言わしませぬぞ。