LARMES Column

世界3大料理の2つがコラボ!【えとせとら】


世界3大料理と一般に言われているのは、フランス料理、中国料理、トルコ料理である。え?トルコ料理なんて食べたことないよ!という方のためにちょっと調べてみたら、トルコ料理がランクインしているのは、19世紀後半のヨーロッパでトルコ料理が流行し、珈琲を飲む習慣をヨーロッパの食文化に与えたと言われているからなのだそう。現代ではむしろイタリア料理や日本料理の方が取沙汰されているし、実際に影響を与え合っているような気もするのだけど。まぁいいか。
ということで、その世界3大料理の残りのふたつ、フランス料理と中国料理についてほとんどの人がその特徴をご存知だと思うので、ここでは割愛するけれど、少なくともまったく特徴が異なる両極端の料理として一般に認識されているはずである。その2つの料理が一度に楽しめるコラボイベントがあると聞けば興味津々、行かない手はありませぬ。


去る5月29、30日と、ローズルーム名古屋でおこなわれた[フレンチと中国料理の響宴]に美女チームと共にお邪魔してきた。↑上の写真は仏中が混じり合った前菜の盛り合わせ↑
行くまでは、フランス料理と中国料理のコラボってどんなんでしょ?と美女たちと話していたのだけれど、女子同士の会話は料理からすっかり乖離して、あらゆる話題へと飛びまくっていた。ホントはいろいろ考えながら食べるつもりだったのだけど、気がついたらほとんどの料理をなんの違和感もなく、するすると食べ進んでいたのだった。つまり、フレンチのシェフと中華の料理人がお互いに歩み寄り、譲り合って溶け合う、そんな完成されたコース料理だったから、違和感なく食べてしまったのだと思う。


この日の中国料理の料理長を務められたのは、村川光則シェフ。村川さんはあの陳さんの愛弟子でもあり、陳式四川料理の継承者である。本来なら辛く痺れて旨味ののった料理がお得意のはずなのだけど、この日はそのあたりをうまーく調整されて、旨味の利かせ方はあくまでも中国式に、素材の持ち味に寄り添うようなスパイスの使い方で、極めて上品な中国料理を仕上げてくださった。一方フレンチの菅野雄大シェフは、ローズルーム名古屋を任されている。菅野シェフのお料理をいただくのははじめてなのだけど、今回はさぞ試行錯誤されたのだろうなと思う。「フカヒレの姿煮込み黒トリュフのソース」などは、素材は中国料理なのだけど、ロワイヤル仕立てだったので、なんとなくフレンチを食べているような気持ちになった。でも中国料理にも茶碗蒸しというのはあるわけなので、こうなるとどこからどこまでがフレンチで中華なのかが段々わからなくなってくる。


どこからどこまでが・・・???この日のテーブルで一番話題になったのが最後のデザート「杏仁パンナコッタ メロンスープ」である。杏仁風味のパンナコッタの上に生メロンとメロンスープが浮かんでいるというもの。杏仁豆腐は中華料理。パンナコッタはイタリアン。よく似たものにフレンチのブランマンジェというのもある。「パンナコッタと杏仁豆腐とブランマンジェってどう違うんでしょうね?」と女子同士で話していたが皆知識不足でよくわからない。後日調べてみたら(ホントはとある料理人に聞いただけなんだけど)、以下のようなことらしい。


●パンナコッタ/牛乳と生クリームを固める
●杏仁豆腐/アーモンドパウダーと牛乳を固める
●ブランマンジェ/アーモンドパウダーと生クリームを固める
※エバミルクを使うかどうか、アーモンドエッセンスにするかどうか、生クリームと牛乳のバランスなど詳細については製菓職人によって違うとのこと。


「フランスと中国って、よく考えたら大陸つながってるもんね!」とこの日の女子の発言。確かにそうだ。玉村豊男さんが、ラーメンからパスタになる分岐点がどこにあるのかということをエッセイに書いていらしたけど、フランス料理と中国料理の間にもいろいろなつながりがあって然るべきなのだ。そんな愉しい食巡りを空想できたのも、このコラボディナーのおかげ。村川さん、菅野さん、どうもありがとうございました!



ご一緒した美女たちと、村川シェフ、菅野シェフと記念写真。
※福岡由美さんから画像を(勝手に)頂戴しました。


私のちんたら備忘録よりも、美女たちのブログにきれいな写真とメニューがきちんと掲載されているので、ぜひこちらも併せてご覧くださいまし。
福岡由美さんのブログ
川本えこさんのブログ
※今回のコラボディナーは、リゾートトラスト創業40周年を記念したもの。今年一年は40周年記念のイベントがエクシブをはじめとしたあらゆる施設で開催されるらしいので、webなどでチェックしてみてくださいね!


ケイコ・リーに秒殺された夜【えとせとら】


ケイコ・リーさんのライブに出掛けた。ケイコさんの地元である名古屋でのライブのセカンドステージは、ケイコさんのお友達や知り合いでほぼ埋まっているからか、会場はあたたかな親近感で充ち満ちていた。こういうの、いいな。ほどなくしてケイコ・リーとジェラルド・アルストンが登場。そして馴染みの名曲「ルート66」が静かに始まる。「ライブが始まったらすぐ秒殺したるでね!」と名古屋弁バリバリでケイコさんが言っていたけど、このことだったのか。♪We will Rock U♪が2曲目。はい、確かに数秒でrock onされました!


今回のケイコさんのパートナーであるジェラルド・アルストンは、マンハッタンズのヴォーカル。昨年発売された「KEIKO LEE sings super standards 2」の中に「You make me feel brand new」が収録されている。ソロで歌っていても、この声を聴いてしまうとマンハッタンズになっちゃうくらい印象的な歌声の持ち主。そのジェラルド・アルストンとケイコ・リーのセッションは、なんと穏やかな愁い、なんと艶やかな妖気。ヴェルヴェットのように柔らかでしなやかなケイコさんの歌声に、ジェラルドのねっとりした深いヴォーカルが見事に溶け合っていく。もし空気に色がついているとするなら、この時の会場は、それは美しい紫色だったんじゃないだろうかと思う。少なくとも私には、紫色のフィルターがかかったステージに見えた。


アーティストというのは人生をそのまま抱えて自分の作品に投影している。この夜のケイコ・リーは、まさに自分の人生をまっすぐに歌い上げていた。それが観客に伝わって来るから、透明なはずの空気が紫色に見えちゃうんじゃないかな。人の心をこんなに満たすことができるなんて、音楽って素晴らしいですね。
かけがえのない時間というのは、いつも短くはかないもの。この日もあっという間に終わりの時がやってきた。数曲あったアンコールのうちの一曲は「卒業写真」。感極まるというのはこういう時に使うんだな、と思ったのだけど、人生を歌い上げたケイコ・リーの「卒業写真」には泣けた、泣けましたー。もうこれは理屈じゃない。私の涙腺は強い力で刺激され、音をたてたかのように涙がぽろぽろと流れていった。


この日ご一緒した方々。澤田晴美さん、サンタマリアノヴェッラの徳田さん、同じくサンタマリアノヴェッラのマーケティングマネージャー野嶋さん、中村千代さん。写真を撮ってて映ってないけど、美人広報こと林美保子さん。どうもありがとうございました。


祖母に似た人【えとせとら】


今朝、打ち合わせに遅刻してしまった。駅で、祖母と背格好がそっくりな人に出逢ったから。祖母に似た人を電車の乗り口まで送っていったから。

その人は真っ黒なサングラスをかけて、右手に杖を持っていた。そう、視覚障害者だったのである。障害者の方と居合わせた場合、必ず声掛けしてお手伝いするようにしているので、今朝も自分の時間に余裕がないことはわかっていたけど、声を掛けないわけにはいかなかった。視覚障害者のお手伝いをする時は、杖を持っていない方の腕を自分の肩にのせてもらい、目的地までゆっくり歩いて誘導するのがルールである。むやみに腕を引っ張ったり、杖を持ってあげたりすると、相手を不安がらせることになるからだ。私がこのルールを守って障害者の方たちのお手伝いをするのは理由がある。亡くなった祖母が視覚障害者だったからだ。今朝のその人と祖母が似ていたのは背格好だけではなかった。


祖母は整腸剤をお医者様から出していただき、服用していた。名高い悪薬、キノホルムである。厚生省が認可した薬であるにもかかわらず、恐ろしい副作用が祖母の体を襲った。まず視力を失い、やがて下半身の神経まで奪われた。私が生まれた時はまだ元気だったらしいが、私の記憶の中の祖母は寝たきりの姿しかない。
江戸時代から続く紙問屋の長女として生まれ、乳母日傘で育った祖母は、気高い精神の持ち主だった。何不自由なく暮らしてきた祖母が、晩年は不自由な生活を余儀なくされたのである。お医者様からは「国に保障を求めることができますよ」と何度も言われたらしいが、祖母は頑としてそれをはねのけた。お世話になったお医者様に迷惑がかかると考えていたのと、世間に名前を晒してまで保障を受けようとは思わなかったらしい。関西弁でいう「ええかっこしぃ」だったのかもしれない。


私が小学生の時である。友人のご家族が知多半島へ一泊で海水浴旅行に連れて行ってくれたことがあった。海辺の民宿に泊まった私たちは、波の音を聴きながら夕食をいただくという贅沢を味わった。波の音って音楽みたいだね、と友人と話していて、突然、祖母の顔が浮かんだ。何年も寝たきりの祖母は波の音を聴くことができない。夕食を終えた私は、おこずかいの中から10円玉を取り出して、民宿の公衆電話から祖母に電話をかけた。まず叔母が電話口に出るが、祖母につないでもらうのに時間がかかる。手元には10円玉が3枚しかない。この時のもどかしさは今でもハッキリ覚えている。やっと電話に出てくれた祖母に「おばあちゃん、波の音聴こえる?受話器を海に向けるから聴いてよ!」そう告げてから受話器を海に向けたが、数秒後に公衆電話は切れてしまった。翌日帰ってから、祖母に会いに行って確かめると、目を閉じたまま、にっこり笑って「まりちゃん、おおきに。ちゃんと聴こえたよ」と言ってくれたが、果たして祖母の耳に波の音が届いていたかどうかはわからない。


現代は障害者に随分やさしい社会へと変化しつつある。もちろんまだまだ足りないものはたくさんあるけど、ユニバーサルデザインで設計された施設が増えて、昔と比べると障害者の方が比較的自由に外出し、買い物や催しなどを楽しめるようになっている。祖母の時代はそんな環境が整っていなかったし、祖母自身も自ら動こうとは思わなかった。それでも視力が失われただけの時は、サングラスをかけて外出することもあったようなので、やはり下半身不随になってから寝たきりになってしまったんだと思う。↑上の写真のサングラスは祖母の物↑


自由がきかず、闇の中で毎日を過ごした晩年の祖母を思うと、今でもたまらない気持ちになる。仕事の打ち合わせに遅刻することがわかっていても視覚障害者の方のお手伝いをしたのは、自分が祖母にできなかった孝行の代わりをしているのかもしれない。私は今、このコラムを泣きながら書いている。


地産を地で飲食す〜愛知県設楽町【今日の地球】


 連休初日は、かねてからお誘いいただいていた設楽町にロングドライブ&BBQに出掛けてきた。設楽りさこさんのおかげか?、どなたも地名はお読みになれると思うのだけど、どこにある町なのか、愛知県外の方にはあまり知られていない。愛知県の東三河地方にある設楽町は、日本の原風景とも言える山里がそのまま残され、今でも生き続けている稀有な町で、緑連なる山々と田園風景、そして美味しい食材と空気に恵まれた「美しいニッポン」である。
 FM愛知のパーソナリティー・川本えこさんが、設楽町の観光大使的なことを続けていることもあり、折に触れて彼女から設楽町の話を聞いていた。美しいニッポンなんてわかったようなことを書いているけど、近隣の東三河には仕事で何度か出掛けたことがあるものの、設楽町に行くのは実ははじめてのことだった。前夜の痛飲により若干二日酔い気味でバスに乗り込み、眠さと闘っていたはずの眼に飛び込んできたのが、絵葉書のようにきれいな"生きた山里"だった。山里と言っても、人の営みがそこになければ山里は生きない。設楽町の風景は、まさに"生き生き"としていたのである。
 地産地消と言うようになって久しいけど、この日ほど、きちんと地産地消をやり遂げた日は今までになかったんじゃないかな。設楽町の新鮮野菜と極上のお肉でBBQ。町の人たちが山菜を採ってきて、天ぷらを揚げてくださる。澄んだ空気と町の人の笑顔のおかげで、いただく物はどれも本当に美味しくて、ここのところモヤモヤしていた気持ちはどこかに吹っ飛んでいってしまった。
 「どの食材も美味しいですね。もっと設楽町を多くの人に知って欲しいですね」と牧場主である竹内さんにお話していたら、竹内さんはこう語ってくれた。「私ら牧場も、お米の農家も、野菜を作っとる農家もね、頑張って朝から晩まで働いて自分たちが稼いだお金で、子供たちを学校に行かせて、家の一軒でも建てられんかったら、おかしいでしょ?当たり前なはずの農業の仕組みづくりを、みんなでマジメにやってみようと今呼びかけとるんだよ。そのためには、設楽町の豊かな食をまず知ってもらうことから始めないと!」この言葉を聞いた瞬間、私の中で複雑なパズルの最後のピースがぴたりと当てはまったような爽快感があった。そうか!生きた山里だと感じた理由は、ここにあったのだ。町の人々が生きることをマジメに考えているから、山里の風景に人の手や営みを確実に感じることができたのだ、と。
 ものづくりは大都市圏ではなく、地方都市から発信するべきだとかねてから思い続けていた私だけど、これからは意を新たにしたいと思う。ものづくりは大都市圏でも地方都市でもなく、人々の営みが生きる山里から発信していくべき、なんじゃないのかな。設楽町は、そんな可能性がたっぷり詰まった宝石箱のような町なのだ。
 というわけで、ここからは設楽町でいただいた美味しいものたち。長いですが良かったら笑い飛ばし読みください。


真ん中でお話してるのが、川本えこさん。プロのしゃべり手が生ガイドしてくれるんだから、よく考えたら贅沢なツアーですね。えこさんのお仲間が来るのならと、設楽町の人々がお肉やご飯やスープを用意して待っていてくださった。到着後すぐにBBQが始まった。


右が竹内牧場の竹内さん。美味しい空気と餌と、たっぷりの愛情をかけて育てられた竹内牧場の牛肉が、この日のBBQのメインディッシュ。左のご婦人お二人はお米の農家さん。美味しいご飯やスープをご用意してくださっていた。


むふ。これがBBQの途中段階。朝掘りのタケノコはアクがほとんどないので、皮のまま網の上で蒸し焼きにされる。野菜たちはすべて設楽町産のものを地元のマーケットで入手。野菜ソムリエでもあるえこさんによる、さすがのナビゲート。


じゃじゃ〜ん。竹内牧場産の牛肉のかたまり。久しぶりに"赤身"が美味しい牛肉を食べた気がしました。BBQの場所のすぐ近くにある竹内牧場では、いずれ食肉となる牛が飼育されている。「命をいただくことに感謝しながら食べる」という経験をさせていただいた。


牛丼にしても美味しいんだよ、と、えこさんが教えてくれたので、贅沢にも焼きたてのお肉にお醤油を少しつけて、わさびをトッピングし、炊きたてご飯にのっけて、設楽町牛丼!


設楽町のお米が炊きあがった瞬間。白米の本当の美味しさを知らない不幸(!)な都市生活者たちがむらがっている図。もちろん私もその不幸な生活者の一人でした。噛み締めるほどに甘くて、おなかにもたれない。設楽町のこしひかりの美味しさには本当に感激だった。



これは町の人々が手作りしたというピザ釜!
廃校になってしまった小学校のグラウンドに
誰でも使えるように設置されていた。


焼き上がったピザ。奥が、現地調達した「エシャロットみそ」と「わけぎ」にチーズをトッピングしたもの。手前の白い方は持参したクリーム+わけぎ+チーズ。日本酒にも合いそうな和のピザができました。オリジナルピザを作るのは楽しい作業です。


廃校になってしまった小学校。木造校舎は、時の経過により随分朽ちていたけど、趣のある建物だけに勿体ない。ロケとか宿泊施設とか多目的スペースとか、何かに使えないだろうか?と一人で今も激しく妄想中。


椎茸の原木を見せてもらっちゃった。欲しい〜!と大声をあげたら、いただけちゃった。竹内さん、ありがとうございました。椎茸大好きなんです。設楽の椎茸の美味しさには、BBQで感激し、天ぷらでいただいたらもっと驚いてしまった。


ま、結局は食べて飲んでばかりの一日になったわけだけど、この日のすべてのお世話をしてくださった川本えこさん、設楽町の名酒・空の作り手である関谷醸造の関谷さん、そして設楽町の皆さん。本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。次は蛍の季節かな。きっとまたお会いできることを楽しみにしております!


おもしろきかな、加齢現象【今日の地球】


春の乾燥シーズン、今年はすっかり肌をやられた。ある日、いきなり眼の下にシワができていた。注射でも打たなければ抗えそうにない。そりゃそうだ。自分の年齢を考えれば当たり前の現象である。そんな私にやってきた新たな現象とは・・・なんとビックリの面相の変化である。
ある朝、鏡を見てビックリした。両目ともにくっきり二重まぶたが私の眼の特徴だったのだが・・・なんとその朝は両目ともに"隠れ二重"に変化していたのである。こんなことってあるんですねぇ、もうビックリ。そこで、隠れ二重になって2日目の暴風雨の夜にご一緒したA先生に聞いてみた。「ある日突然くっきり二重まぶたが隠れ二重になることってあるんですか?」と。するとA先生は笑いながら「あ、それはヒアルロン酸不足ですよ、歳とるとあることですよ」とアッサリバッサリ答えてくださった。ひゃ〜、つまりこれは加齢現象なんですと!
かつてのくっきり二重まぶたは、腫れぼったく見えるし、なにより眠そうに見えるのが気になっていたところなのだけど、いきなり隠れ二重になっちゃうと、それはそれで困ったもので、まずなにより困ったのがアイメイク。アイラインの引き方とか、アイシャドウの塗り方とかがわからなくなってしまうのだ。
なかなか隠れ二重に慣れないな〜と思っていたら、今日は右目だけが元通りのくっきり二重になって、左目が隠れ二重。どうなっていくんだろう?私のまぶた?もしかしたら明日は以前のくっきり二重に両目とも戻っているかもしれない。それにしても、日によって面相がころころ変わるなんて、加齢現象とはかくもおもしろきものである。


繰り返し読む本は一生もの【読書する贅沢】


子供の頃からよく親に言われたのは「ホントにあなたはバカのひとつ覚えなんだから」という言葉である。おもちゃでも食べ物でも、気に入ると何度も何度も使って食べて眺めたりして、周囲があきれるほどに愛おしむ。大人になってもそのクセは治らず、気に入った料理があると一週間でも食べ続けてしまう。ここは居心地が良いお店だなと思うと、店主がイヤな顔するまで通う。徹底的に愛でるというのは悪いことではないと思うけど、別名しつこいとも言うので、そろそろ『いい加減どき』というのを覚えなければいけないと思っている。


が、そんな私が周囲をあきれさせることもなく、密かに楽しめるのは読書だ。これは面白い!と思う本に出逢うと、それこそ何十回も読んでは、その度に別の発見があったり違う見方ができたりして、一人悦に入っている。それらの本たちを、一生本と読んで別格扱いしているのだが、最近、その一生本リストに新しい一冊が加わった。昨年初版された佐藤賢一氏の『黒王妃』である。カトリーヌ・ドゥ・メディシスのことを描いた小説で、フランスの歴史小説としてだけでなく、フランス文化や当時のイタリアとフランスの関係性、カトリーヌの女性としての可愛らしさがつぶさに描かれている。昨年の終わりにはじめて読み、あまりに良かったので、ここ半月ほどで2回目を読み、数日前に読破した。佐藤賢一さんは、フランスを舞台にした歴史小説が多い。驚くべきは、地名と人名以外はほとんどカタカナを用いないことだ。美しく正統な日本語で優美なフランスの歴史を語るのだから、その文章は多少難しくも感じるのだけど読みごたえがある。家庭画報に連載されていた『かの名はポンパドール』の精緻な日本語使いには脳天を打ち抜かれた気分になった。


写真の左側に映っているのは、宮尾登美子さんの『きのね』。これも随分前に一生本リストに入っていて、この文庫本がもうぼろぼろになるくらい読んでいる。こちらもご存知の方は多いと思うが、市川団十郎家をモデルにしたと言われた小説で、歌舞伎役者とその妻が主人公である。先日、団十郎さんが亡くなった時の海老蔵さんの会見を見ていて、ふと『きのね』の主人公である幸雄のことが頭をよぎった。私には主人公の歌舞伎役者が海老蔵さんのイメージと重なってならないのだ。それで何十回目かの『きのね』をここのところ読み始めている。


一生本になる本は、何度読んでもその度に違う感動があり、まるではじめて読むようなときめきを与えてくれる。しかし同時に、何度も読んでいるからこそわかる盛り上がりには、知っているのにドキドキしてしまう。大好きな描写があと数ページ先にあると、わざと前のページに戻ったりして、じらして読んだりする。こうなると、ほとんど変態だ。幕の内弁当でいちばん好きなおかずを最後までじらして残しておくタイプの私は、小説の好きな描写をじらしてじらして我慢できなくなってからやっと読み進むのである。普段Sキャラだと言われることが多いからか、読書ではMキャラでバランスをとっているのかもしれない。


金継ぎは美魔女のはじまり【暮らしの発見】


今日は静かで平和な日曜日。多分今年に入ってはじめての「なんにも予定のないお休み」だったので、体が求める限りのお寝坊と遅いブランチをした後は、長い間ほったらかしになってた金継ぎをすることにした。自分の器だけじゃなく、友人から預かった物もあり、預かり期間が一年を超えている物もあるので、もういいかげんにやらなくちゃ、と思い続けて、すっかり時間がたってしまった。金継ぎは、欠けたり割れたりした器を漆でくっつけて、上から金や銀で彩る修復方法。漆を塗っては何日か乾かし、凸凹をやすりで平らにしてまた漆を塗って乾かし、最後に絵漆を塗って金や銀の粉をはたき、さらに乾かして上から叩いて定着させるという時間と手間のかかる工程である。だから電話が鳴らない日曜日じゃないと作業できない、という言い訳でほったからしていた。


話はころっと変わるが、最近花粉症のせいか、お肌の調子がすごぶる悪いわたくし。入浴後のお肌のお手入れは毎日入念にしていても、肌の加齢には勝てず、シワがすっかり定着しつつある。あぁ、このシワをパテで埋めることができるならと毎晩思う。陶器の金継ぎは、美魔女を作り上げる作業と似ているなぁ・・・と。加齢に逆らって外見を磨く美魔女たちに正直うんざりしていた私は、自分のシワを諦めた代わりに、陶器を直しているのかもしれない。


吉兆の徳岡さんと和紙作家の堀木さん【徒然なるお仕事】


ミシュラン3ツ星料亭である京都・吉兆の徳岡邦夫さんと、日本だけでなく海外でも活躍されている和紙作家の堀木エリ子さん。京都をベースにお仕事されているこのお2人は、実はお友達。呑み屋さんではしょっちゅう「対談」しているそうなのだが、きちんとした(?)対談企画というのが、今までなかったのだそう。このお2人のキョーレツなキャラクターとお話の面白さ、そして何よりも仕事への真摯な取り組みに対し、とある商業施設の美人広報Hさんが目をつけていて「素敵なお2人に対談していただきましょう」ということになり、取材させていただいた。


とある商業施設とは、名古屋駅前のミッドランド スクエア。このビルの41階に京都・吉兆が入っている。さらに、3月に6周年を迎えるミッドランド スクエアは、6周年記念企画で館内がアートミュージアムになるというイベントをおこなう。そのメインビジュアル作品を制作するのが、和紙作家の堀木エリ子さんというわけで、お2人の対談が叶ったのである。


実は私、このお2人とはそれぞれ何度かお会いしている。堀木さんは以前着物の本取材で京都のアトリエまでお邪魔したことがあり、その後シャンパンのシュバリエ叙任パーティーでもご一緒している。一方、徳岡さんは名古屋のふぐ屋さんで偶然お会いしたことがあるのだ。京都の方らしく、対談が始まった時からとてもフレンドリーな雰囲気で、さらに私が以前お会いしたことがあるとお伝えするとさらに和やかなムードになって、まるで旧知のお友達と久しぶりにお話しているかのような気持ちで取材することができた。


中でも驚いたのは、対談中にお2人が涙を浮かべてお話くださったことだった。私の今までの長い取材人生で、取材相手が涙を浮かべて話してくださったのは、これが3回目。涙もろい私はついついもらい泣きしてしまい、どうにも取材にならない。この時も、メモする手を休めてもらい涙を拭うことになった。このビッグなお2人が流した涙の中身については、ミッドランドスクエアの春の会報誌「My Story」にてお読みいただける。ミッドランドスクエアのプレミアム会員の方には郵送される他、館内にも少しは置いてあるので、ぜひお早めに手に取って読んでみてくださいまし。


ちょっぴり、その内容をお教えすると・・・
涙のエピソードその1/徳岡さんのおじいさま(吉兆の創業者)が語った「これこそがお茶なのだ」というひと言。お茶の道とはなんぞや?ということを振り返る良いお話。
涙のエピソードその2/まったく別の分野から"転職"して和紙の世界に入った堀木さんの、職人さんへの純粋な気持ち。職人が大好きな私にとっては心に響くお話。


そしてさらに、ミッドランドスクエアでは3/2から6周年記念月間が始まる。堀木さんが制作した巨大和紙のアート作品が展示され、その作品を前にして3/9土曜日には、堀木さんのトークショーが開催される。飛び入りゲストはサプライズ。どなたでもご参加いただけるので、詳しくはミッドランドスクエアのwebをご覧ください。この他、館内にはアート作品の展示をはじめ、アートにまつわるイベントがもりだくさん!3月はミッドランドスクエアでアートを楽しみませんか!?
詳しくは → http://www.midland-square.com/6th/index.html


加齢にもがく女子には専科!【えとせとら】


今日は昭和生まれの女子の皆様にご紹介したい基礎化粧品のお話。専科という商品をご存知だろうか。小池栄子さんがキャラクターとなって、年齢肌の個別の悩みを解決する基礎化粧品としてドラッグストアなどで市販されている、あの商品群のこと。ご縁があって、昨日、専科のビューティーイベントに参加させていただいた。美魔女のトークショーがあったり、専科の研究開発・企画開発それぞれの担当者から、開発秘話を聞いたりと、年齢肌に悩む女性にとっては興味深いお話がてんこもり。広告屋のワタクシとしては、ホントはパッケージデザインやネーミングの話も聞いてみたかったんだけど・・・会場にいらしてたのはマジメに肌のことを考えている女性ばかりだったので、場違いになるなーと断念。


美魔女・開発担当者・企画担当者のトークショー。
女性たちは食い入るように壇上の美女を見ていましたねー。
この美魔女は、テレビや雑誌でおなじみ、
モデルの原志保さん。


このイベントの前に、専科の商品一式が参加者全員にモニターとして送られていたので、皆さんはすでに専科を自分のお肌で体験済みでイベントに参加されている。もちろん私も使わせていただいた。専科という商品があることは知っていたけど、商品コンセプトは存じ上げず。でも、このパッケージを見ればコンセプトは一目瞭然ですよね。加齢による肌の衰えからなんとか守ろうと必死にもがいている、そう、私みたいな女性がターゲットなのである。


私の加齢肌(こう書くと悲しい響きですな)に一番ぐぐっと刺さったのは、この商品。パーフェクトウォータリーオイル。要するにオイルクレンジングのことなんだけど、一般的にオイルクレンジングって、お肌の表面についている化粧品を根こそぎ剥がしてしまうため、お肌へのダメージが大きく、本来剥がしとりたくない皮脂まで洗い流すことが難点とされてきた。乾燥肌の私はいつも化粧品アテンダントの方から「オイルよりクリーム系の方がダメージが少ないですよ」と進言されているのだけど、でもやっぱりクリーム系だと汚れが残っちゃう気がして、いつもオイル系を使っている。で、洗顔後のつっぱり感というか乾燥感が怖くて、入浴後はすかさず化粧水をバシャバシャとつけているのだけど・・・このパーフェクトウォータリーオイルは違うんですよ。メイクはきれいに浮かせてから洗い流せるのに、つっぱり感がなく、オイル系独特のヌルヌル感がない。さらに洗い流した後でもしっとりした感触が残っているのだ。開発担当者の方のお話によると、保湿剤と同じ構造を持った洗浄成分が入っているとのこと。なるほどねー。よくできてますね。


ところで、加齢肌って幾つくらいから現れるものなんでしょうね。昔から25歳はお肌の曲がり角なんて言われたものだけど、そう思って姪っ子2人の肌を思い浮かべてみると・・・25歳になったアユミは色白つるつる卵系だからか、シミソバカスがそろそろ気になり始めているけど、22歳のアイはスッピンの方が可愛いという若さあふれる肌をしている。そういえば、アユミは昭和生まれだけど、アイは平成生まれである。ということは、今日のこの時点で、昭和生まれ女子は加齢肌、なのかも。


ちなみに昨日の会場にいらしてた女性たちは、おおよそ全員が昭和生まれ。一部、平成生まれらしきカワイコちゃんもいたにはいたけど「アナタには肌の悩みなんてないでしょーが」的な視線で見られてましたな(←やっかみ)。それがどこでわかったかというと、出されたこのケーキの食べ方である。平成のギャルたちはすべてきれいに完食。悲しき昭和の女たちには脂肪分のある生クリームが多すぎて、生クリームだけよけて食べていた。いくら若づくりのファッションに身を包んでも、食べる物で年齢ってわかるんですよねー。だからせめて肌だけは若々しくいたいというのが本音なのですな。


保湿重視と美白重視で、さっぱりとしっとり、それぞれに商品が分かれている専科は、その日の乾燥具合や肌の調子に合わせて、使い分けていくといいのだそう。お値段もお値打ちなので、おこづかいで揃えられる価格帯。最近美容院に行く時間がどうしてもとれなくて髪が伸び放題になっていて、引退前の山口百恵みたいな髪型になっている私は、間違いなく昭和生まれの代表格。自分の肌年齢に合わせて、化粧品をちゃんとマジメに使わなくちゃ、と誓った一日になりました。


こちらが専科の開発担当者の松井さん。
女性の中で黒一点。
とっても愛らしいキャラで会場を湧かしていました。
私もファンになっちゃった。


「お友達に分けてあげてください」と試供品をいただいてきた。
専科を試してみたい加齢肌(!)の方、
どうぞ私にご一報を。
先着5名様にてお譲りいたしまーす。
専科に関する詳しいお話は↓
http://www.hada-senka.com/index.html


今年も!白練りショコラ!【徒然なるお仕事】


はーい、今年も巷にはバレンタインがやってきています。女性から男性への愛の告白をする日、だと思ってる人は、おそらく50代以上の一部の人じゃないかしらん。今やバレンタインのチョコレートは、男女を問わずスイーツ好きにとっての一大イベントなのである。アムール・ド・ショコラ(愛のチョコレート)と銘打って日本一の売上を誇るジェイアール名古屋タカシマヤのバレンタインは、男性へのアムールではなくって、自分へのアムール。つまり自分を愛する人のために多くのチョコレートが捧げられる祭典、と私は解釈している。


そういうわけで、今年も思い切り商品広告でございます。数年前に商品開発とプロデュースのお仕事をさせていただいた「白練りショコラ」のコマーシャル。岐阜市の鮎加工品専門店および鮎専門料理の「泉屋物産店」の洋風新商品の一つで、鮎の熟れ寿司のご飯の部分を再利用し、熟れ味をチーズに見立て、チョコレートを開発したもの。フランス料理「ヴァンセット」の青木シェフの監修のもと、試行錯誤を繰り返して出来上がったチョコレートは、ちょっとオトナ味。珈琲や紅茶というよりもブランディーやデザートワインによく合う味わいとなって完成した。私は商品開発そのものと、商品のネーミング、パッケージデザインまでを担当し、無事新商品として世に出すことができたというわけで愛着もひとしお。
さらに、商品開発と新商品販売を無事に済ませた頃に嬉しい発見があった。なにげなく本を読んでいたら「白練り色」という名前が日本の古い伝統色に存在していることが分かったのだ。ちょうど有田焼の乳白色のような深い色のことを白練り色と呼んだらしい。自分で作り出したと思い込んでたネーミングが、実は昔の色の名前だったなんて、嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちになったのだった。
というわけで、以下、白練りショコラのコマーシャルです。お酒好きの皆様、ぜひ今年のバレンタインは白練りショコラをお試しくださいまし。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
白練りショコラは、泉屋物産店(岐阜市)本店・webにて販売されています。
6個木箱入り、1,260円。
ちなみに、商品開発の時に一緒に売り出した他の洋風商品もぜひぜひお試しを。白熟クリームと鮎のリエットです。ワインにピッタリでございます。
泉屋物産店のwebはこちら