読書する贅沢

繰り返し読む本は一生もの【読書する贅沢】


子供の頃からよく親に言われたのは「ホントにあなたはバカのひとつ覚えなんだから」という言葉である。おもちゃでも食べ物でも、気に入ると何度も何度も使って食べて眺めたりして、周囲があきれるほどに愛おしむ。大人になってもそのクセは治らず、気に入った料理があると一週間でも食べ続けてしまう。ここは居心地が良いお店だなと思うと、店主がイヤな顔するまで通う。徹底的に愛でるというのは悪いことではないと思うけど、別名しつこいとも言うので、そろそろ『いい加減どき』というのを覚えなければいけないと思っている。


が、そんな私が周囲をあきれさせることもなく、密かに楽しめるのは読書だ。これは面白い!と思う本に出逢うと、それこそ何十回も読んでは、その度に別の発見があったり違う見方ができたりして、一人悦に入っている。それらの本たちを、一生本と読んで別格扱いしているのだが、最近、その一生本リストに新しい一冊が加わった。昨年初版された佐藤賢一氏の『黒王妃』である。カトリーヌ・ドゥ・メディシスのことを描いた小説で、フランスの歴史小説としてだけでなく、フランス文化や当時のイタリアとフランスの関係性、カトリーヌの女性としての可愛らしさがつぶさに描かれている。昨年の終わりにはじめて読み、あまりに良かったので、ここ半月ほどで2回目を読み、数日前に読破した。佐藤賢一さんは、フランスを舞台にした歴史小説が多い。驚くべきは、地名と人名以外はほとんどカタカナを用いないことだ。美しく正統な日本語で優美なフランスの歴史を語るのだから、その文章は多少難しくも感じるのだけど読みごたえがある。家庭画報に連載されていた『かの名はポンパドール』の精緻な日本語使いには脳天を打ち抜かれた気分になった。


写真の左側に映っているのは、宮尾登美子さんの『きのね』。これも随分前に一生本リストに入っていて、この文庫本がもうぼろぼろになるくらい読んでいる。こちらもご存知の方は多いと思うが、市川団十郎家をモデルにしたと言われた小説で、歌舞伎役者とその妻が主人公である。先日、団十郎さんが亡くなった時の海老蔵さんの会見を見ていて、ふと『きのね』の主人公である幸雄のことが頭をよぎった。私には主人公の歌舞伎役者が海老蔵さんのイメージと重なってならないのだ。それで何十回目かの『きのね』をここのところ読み始めている。


一生本になる本は、何度読んでもその度に違う感動があり、まるではじめて読むようなときめきを与えてくれる。しかし同時に、何度も読んでいるからこそわかる盛り上がりには、知っているのにドキドキしてしまう。大好きな描写があと数ページ先にあると、わざと前のページに戻ったりして、じらして読んだりする。こうなると、ほとんど変態だ。幕の内弁当でいちばん好きなおかずを最後までじらして残しておくタイプの私は、小説の好きな描写をじらしてじらして我慢できなくなってからやっと読み進むのである。普段Sキャラだと言われることが多いからか、読書ではMキャラでバランスをとっているのかもしれない。