LARMES Column

ドキュメンタリー映画 "紫"【伝統工芸の職人たち】


10年以上前に購入して、宝物のように大切にしている本がある。染織史家の吉岡幸雄さんによる【日本の色辞典】である。かつて日本のあちこちで植物染めをされてきた日本の伝統色を、古来から伝わる植物と染色方法で再現し、絹の生地を染めて辞典のように仕上がった本で、そこにはうっとりするような美しい色見本とともに、日本の四季の情景が頭に浮かんでくるような色の名前が連なっている。この本を読んで、あるいは眺めて、何度溜め息とともに妄想の世界に浸ったことか。数えきれないほどである。




これが私の宝物の本。
日本の色辞典。


中はこんな感じ。たとえば裏葉色とは、葉の表ではなく裏側の色のこと。ただのグリーン、緑ではなく、葉の裏側の少し白みがかった色のことをこんな素敵な表現で話していたんですねぇ。昔の人の鑑賞眼には頭が下がります。


もちろん眺めて溜め息ついてるだけでなく、原稿の資料にしたり、着物の色合いの表現を何度も参考にさせていただいた。また染料である植物についての知識や、地域の祭りや神社の行事にまつわる色の話などが全編に書かれているので、色の日本史として読み応えのある一冊なのだ。


この本の著者である吉岡幸雄さんは、京都の「染司よしおか」の継承者として生まれ、生家の家業を継ぐ前に美術図書出版「紫紅社」を設立している。上記の本はその出版社からの上梓である。美術図書出版でアートディレクターとして成功してから、実家の家業を継ぎ、染織家になっている。いつかこの人を取材したい、と思い続けているが、なかなかそのチャンスには恵まれないでいたところ、吉岡先生のドキュメンタリー映画ができたと聞き、私はもう何週間も前から浮き足立っていた。


映画は吉岡先生のインタビューから始まる。そして日本の色を追う二人の男性が描かれていく。吉岡先生と、染司よしおかで長年染色職人として働き続けている吉岡先生の右腕・福田伝士さんである。吉岡先生が、染料である植物の栽培を復活させて、農家さんと共同作業で研究開発している姿。福田さんが昔の色を実際の染色で実現している様子を、静かな視点で見つめ続ける映画である。ところどころで、二人の男性が語る話には、時に身につまされる思いが募った。失われてしまった色を現代に蘇らせるための涙ぐましい努力。昔の人々の仕事に挑戦する頑固な意志。これら静かな映像を見ていると、わたしたち日本人が失ってしまった色の奥には、人間の愚行がその原因であることが浮き彫りになっていくのだ。


名古屋では、今池シネマテークにて、なんと今週の金曜日までの上映である。きっと地味な映画だから、あまり興業収益が見込めないのでしょうね・・・。DVD化されたら絶対に買うつもりでいるけど、できれば多くの方に観ていただきたいので、日本の色にご興味のある方は、ぜひご覧になってください。名古屋の他は、横浜、京都、大阪、福岡などで上映が決まっているよう。詳細はこちらでご確認ください→ http://www.art-true.com/purple/


中国茶のマリアージュ【一杯の幸せ】


昨晩すっかり痛飲してしまい、完全なる二日酔い状態でうかがった「ロ・ヴー秋茶会2013」。貴重なお茶席にお酒の匂いぷんぷんさせてしまって、岩崎さん、小池さん、スミマセン・・・(涙)。
ロ・ヴーといえば中国茶専門店として全国的に有名なお店。毎年この季節に、貴重な中国茶とお菓子、そして音楽や器をしつらえて、秋茶会を開催されている。今年のテーマは、唐代双璧の詩人である李白と杜甫の深い友情から生まれた「渭樹江雲」。遠く離れた友への想いを託した言葉なのだそう。そして偉大な二人が同時代に出逢ったのは、陰の月と陽の太陽が一度に現れたかのような奇蹟でもあるため、茶席は「陽」と「月」の2席がしつらえてあった。



こちらが広間でおこなわれた
「陽」のお点前。


お茶/白茶餅老茶(白牡丹)
お菓子/秋の切り株 さつまいものブリュレ
3年熟成の茶葉を直前に焙じてからいれる。柿渋のような味わいが印象的で、岐阜の柿羊羹を思い出してしまった。




「陽」の茶席
床の間のしつらえ。


こちらが立礼席でおこなわれた
「月」のお点前。
音楽は予想通りにドビュッシー「月の光」!


お茶/武夷岩茶(高山奇蘭)
お菓子/マロン風味のリンツァートルテ
香りの高さがとても印象的で、
聞香杯を何度も振ってはその変化を楽しむことができた。


李白と杜甫は、人生でもっとも楽しい時間を共に過ごし、互いを尊敬しあっていたのだとか。別れの時が近づいた時は、何日にも渡って別れを惜しみ、お酒を酌み交わしたのだそう。もし私が、大切な友と別れなければならなくなったら、どんなお酒を飲むのかな、どんな時間を過ごすかな。友と別れる寂しさをしばし空想しながら、秋の茶席を後にした。「李白はお酒と月をこよなく愛し、舟に乗っていた時に酔って水面に映った月を取ろうとして舟から落ちて溺れて亡くなったという伝説がある」とパンフレットに書かれていた。お酒くさい私にとっては、まさに慰めの言葉。今まであまり馴染みのなかった李白さんに、今日からちょっぴり親近感を持つことになった。
こんな二日酔いの私にもかかわらず、「月」でも「陽」でも、正客席をいただいてしまいました。ホントにかたじけない。岩崎さん、小池さん、ロ・ヴーの皆様、今日はありがとうございました。


一夜限りの観月堂inLMP【今日の地球】


木曜日は仲秋の名月だった。そして満月と仲秋の名月が重なる珍しい一夜。お月様がとにかく好きで、毎年この季節は月を眺めて幸せな気分に浸っている私。ケータイのアドレスは"otsukisama"になっているので「大月さん?」と間違えられることがあるほどだ(苦笑)。というわけで今年の満月イベントは、観月堂 in LMPの一夜限りのマダムになりまして、満月シャンパーニュバーを開店しておりました。観月堂 in LMP(※店名ルマルタンペシュールの略語)の案内状はこんな感じ。
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シャンパーニュバー”観月堂 in LMP”
仲秋の名月に、一夜限りの開店です。


一年でもっとも月が綺麗な夜、
仲秋の名月が近づいてまいりました。
この世のものと思えぬ月の美しさに人は誘われ、
いつもよりちょっぴり饒舌になって
月夜をあおぎ見ることになります。
シャンパーニュがその時、手元にあったなら、
まぁるい泡がはじけ、
月の明かりのもとで恋心を刺激することでしょう。

2013年の仲秋の名月は、
ルマルタンペシュールの屋上で
シャンパーニュを飲みながら観月しませんか?

この日は、まぁるい顔の私が特別出演(?)
観月堂in LMPで一夜限りのマダムになります。
屋上で満月をあおぎ見ながら、
シャンパーニュが特別価格でいつもよりもずっとリーズナブルに味わえます。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。


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で、ルマルタンペシュールの屋上を会場に、はじめての試みとして開催したら予想以上の人数が集まってくださった。呑気にマダムをやるーと言ってたのだけど、受付とお会計とアミューズをお出しするのでいっぱいいっぱいになっちゃって、きちんとおもてなしできなかったのは大いなる反省点。70名近いお客様に一人で対応するのはやっぱり無理がありました・・・。ともあれ、案内状の通りに、この世のものとは思えない美しいお月様に皆うっとりとされて、満月パワーをいっぱい浴びていただいたので、今回はこれでよしとしようと思う。


でもって、どーしてもやりたかったしつらえがコレ。漆の盆に水を張って、屋上の真ん中に置き、満月を映し出して眺めるという趣向。月が真上に来た11時ころ、きれいに水盆に入ってくれた。←見立てのお月様として浮かべていた金色の漆器の真上に映ってるのが仲秋の名月でございます。


私はなんちゃってマダムで忙しかったので、一枚も写真が撮れなかったのだけど、↑の写真も↓の写真も、友人たちがfacebookにアップしてくれたのを頂戴しました。お写真くださった方々、ありがとうございました。



ちなみに、この企画は、名古屋市内のフレンチレストランが参加する「満月シャンパーニュバー」として、先陣をきってスタートするもの。今後、「満月シャンパーニュバー」が各店舗で隔月開催されていく予定なので、皆様お楽しみに。
11月の満月/ヴィンテージ1970
1月の満月/六区
3月の満月/ル・タン・ペルデュ
4月の満月/ラヴェンタ・デ・ラ・フエンテ

■ナゴヤ満月シャンパーニュバー
実行委員長/那須亮(ルマルタンペシュール・オーナーソムリエ)
実行委員/尾崎昌弘(六区シニアソムリエ)
     辻悟(ルタンペルデュ・オーナーソムリエ)
     野村建徳(ヴィンテージ1970・ソムリエ)
     山内高幸(ラフエンテ・オーナーシェフ)
     ※アイウエオ順
プレス担当及び問合せ窓口/近藤マリコ(ラルム)


でもって昨夜は十六夜。すこしためらってから出て来ることから、いざよい、と言われるのだとか。我が家でお食事会をしたので、観月堂と同じ漆器でテーブルコーディネイトをしつらえた。そして今夜は立待月。十六夜からさらに少し遅い月の出になるので、いてもたってもいられなくなり、立って月を待つという意味。私も今夜は立って待つことになるのかな。


中年女子の妄想劇場【えとせとら】


暑くて暑くてたまんない!と思っていた夏もあっという間にどこかへと去り、夏を名残惜しむヒマもなく秋がやって来た。今年の夏の思い出といえば、やっぱりいちばんに思い浮かぶのが、友人の別荘がある蓼科に避暑に出掛けたこと。今回はじめて旅を共にするメンバーだったので、スッピンをさらしたのはちょっぴり恥ずかしかったけど、食材とワインをどっさり買い込んで飲んで食べて語ることを繰り返すという意味で、とても愉しい旅になった。
さて、別荘で過ごすということは、掃除や炊事は自分たちでやらなければならない。人間には得手不得手があるが、この旅のメンバーは見事に、得手不得手の凸凹がお互いに重ならず得意分野を担当しあったので、なんのストレスもなく、というか逆に、お互いの不得手な部分を補ってもらえて快適な生活ができたので、とても居心地が良かった。私と友人Aはご飯担当。友人Aと友人Bはお掃除担当。友人Bは洗濯とお掃除片付け担当。私はお洗濯物をたたむお手伝いをした程度で、ラクチンさせてもらっちゃった。親しい友人の下着をたたんで、はいっ!と手渡したりしてると、なんだか友人の域を超えて、親戚とか姉妹になっちゃった気分である。


1日目の夜は、麻婆豆腐やチヂミやナムルなどアジアンな感じで

1日目の夜は、麻婆豆腐やチヂミやナムルなどアジアンな感じで

朝寝坊したので朝食はカフェオレ。友人の珈琲屋さんがいれてくれた絶品氷だし珈琲。

朝寝坊したので朝食はカフェオレ。友人の珈琲屋さんがいれてくれた絶品氷だし珈琲。

2日目の夜は、1日目に食べきれなかったおかずを二次利用して、キャビアとシャンパンも!

2日目の夜は、1日目に食べきれなかったおかずを二次利用して、キャビアとシャンパンも!


というわけで、ここからがワタクシの妄想劇場の始まりである。いつの日かひとりぽっちになってしまった時、友人と共同生活できたら、さぞかし愉しいだろうと昔から妄想するクセがあったのだ。さかのぼれば学生時代の悪友たちと「友達ペンション計画」をたてていたこともあったほど。かつて独身だった友人たちは着々と結婚し、子供をもうけて年数がたったが、最近再び独身に戻った人もいれば、「ダンナとは一緒に暮らしてないと思うから一緒に暮らそっか」なんて言ってくれる奇特な友人もいる。「じゃあマリコはご飯担当ね」「じゃ○○子は掃除かな」などと妄想しながら女子同士で楽しんでいるのだ。


先日の蓼科への旅は、まさに妄想劇場をそのまま実現したような生活になった。ご飯担当の私は、買い出しやら仕込みやらであっという間に午後が終わってしまった。でもストレスが溜まらない。なぜなら好きなことだけやっていればいいから。家庭の主婦は好きじゃないこともやらなきゃいけないからストレスが溜まっていくんですよね。2日目の夕方は、私がちょっと疲れて眠っている間に、友人Bがきれいにお掃除して片付けしててくれたので、ビックリしたのと有り難かったのですっかりハイテンションになっちゃった。得手不得手の凹凸がぴったり合うって、なんて素敵なんでしょう。


そんなわけで、気分転換も兼ねて、妄想劇場を図面化してみたのが一番上の写真。仮に4人の友達とシェアハウスを建てるなら、こんな感じがいいな。各居室はちゃんと独立していて専用トイレがあるが、お風呂とリビングとキッチンは共有スペース。この妄想劇場設計図、究極のミニマムであり、極上のマキシマム、だと思うのだけど、いかがでしょう?(あくまでも妄想ですが、土地と建築費用を持っている人がいたらどしどし応募してください!)


ま、こんな妄想メモを書いてるヒマがあったら、さっさとベッドに入りなさいよ、というところで、今日はおしまい。この続きは旅に出た先にて。


アートと食のイベント〜色を食す【今日の地球】


ART NAGOYAでもお世話になっているギャラリーフィールアートゼロの正木なおさんから「アートと食のイベントを開催するので是非いらしてね」とお誘いを受け、お邪魔してきた。食べ物は生きるための物というだけでなく、贅沢な嗜好品だけでもなく、いつも私たちの暮らしの狭間に存在する。と書かれたパンフレットのコピーが心に響き、アートと食をどう展開されるのか興味津々だった。このイベントでは、8/17〜8/25まで日替わりで講師を招き、食にまつわるワークショップや映画上映や郷土食を食べるといった内容まで、まさに様々な分野から人が集って行われる。私がお邪魔したのは、京都のkiln船越雅代さんが講師になっておこなわれるFOOD & ARTのワークショップだった。


ギャラリーにつくと、テーブルの上にはすでに5色のパスタの"素"が並んでいる。白=プレーン、ピンク=ビーツ、黒=イカスミ、緑=バジル、黄=サフランが練り込まれたパスタを、参加者全員でこねて、耳たぶ状のパスタに仕上げる。5色をどうこねて合わせるか、この時点で個々の色遊びが始まる。黒と黄色でシャープに、ピンクと緑でかわいらしく。中には白にピンクを渦巻き状に仕上げて、ナルト風のパスタを作ってた方もいたなぁ。ねんどで遊ぶ子供のごとく、それぞれがわいわい言いながら作り上げるのは、とっても楽しい作業だった。はじめて会った方ばかりなのに、目の前のパスタを媒介にしておしゃべりが進む。こねる人、切る人、耳たぶに仕上げる人と自然に役割分担ができていったのも、なんだか不思議で面白い。


で、仕上がったのがこのパスタたち。はちゃめちゃな色合いに見えますが、カラフルな食べ物が集まるとこんなに綺麗なはちゃめちゃになるのです。キャンディとかドロップみたいにも見える。


パスタが出来上がったらテーブルセッティング。
真っ白なお皿が並んで、これがみんなのキャンバスになる。
素材も並んでいるので、さながらアトリエのような気分!


パスタが茹で上がるまでに、個々のお皿でアートを作り上げるのが、その次のステップだった。これは船橋シェフのお手本。材料はイカスミペースト、バジルオイル、トマト、塩レモン、パセリ、唐墨、アリッサ(チュニジアの赤唐辛子ペースト)。


これが私のお皿。まっくろくろすけな涙(ラルム)のイメージ。腹黒な性格がバレましたでしょうか・・・。お皿をキャンバスにしてお絵描きするのは、それはそれは楽しかった。他の方々も素敵なアートを描かれていて、それが撮影できてなくて残念!


で、船橋シェフが仕上げてくださったパスタが、アートしたお皿の上にオン!パスタのソースと、イカスミやらバジルオイルなんかがお皿の上でうまい具合に混じり合って、美味しかったなー。ピンクの飲み物は、フランスのヴァンムスーっぽいビオワインでした。


オーナーである正木さんの、ものの作り手を守ることができなければギャラリーなんてやる意味がない、という言葉は、とても重く私の心に残った。職人という生き方に憧れ続ける私の、"物差し"のようなものと深いところでつながっている言葉だと思ったから。
ギャラリーフィールアートゼロでは今週末まで毎日、このような食とアートのイベントが開催されている。残席は少ないようだけど、ご興味のある方はぜひお出掛けになってみてくださいまし。詳しくはこちらへ。


ART NAGOYA 2013【徒然なるお仕事】

今年も名古屋がアートに燃える季節がやってきた。今年で3回目を迎えるART NAGOYAは、ウェスティンナゴヤキャッスルで土曜日曜に開催されている。昨年同様、9階エグゼクティブフロアの客室がギャラリーになっている会場に加え、今年からは2階のバンケットルームにも新たな会場が登場しています。私的に捉えると、マンションでアートを飾るのなら9階の客室に飾られているものが参考になるし、戸建住宅に住んでいる人なら2階のバンケットフロアのアートにも目がいくのではないかな。単純にスペースの問題だけではなく、ね。以下、だだーっと印象的だったアート作品たちです。


10土曜日・11日曜日 11時〜19時 入場料/1,000円
会場/ウェスティンナゴヤキャッスル
チケット提示で館内レストランの20%割引あり
会場にてお待ちしております!ちなみに10土曜日は1730まで。11日曜日は15時ごろまで会場にいます。お越しいただけたなら、ぜひお声掛けくださいませ。


利休にたずねよ【読書する贅沢】


市川海老蔵主演の映画「利休にたずねよ」の試写会に、映画ナビゲーターの松岡ひとみさんがご招待くださった。↑左が映画パンフレット、右が小説文庫本↑ 山本兼一さんの直木賞受賞作である同名小説は先に読んでいたので「読んでから観る」かたちとなった。何十年も前の某出版社の小説と映画の同時PRキャッチコピーに「読んでから観るか、観てから読むか」というのがあったけど、私は完全に読んでから観る派。小説と映画を比べちゃうと、想像力が働く分どうしても小説に軍配があがってしまうので、本当は観てから読んだ方が、作品への思いは深くなるのかもしれないな、と思っている。ところが映画「利休にたずねよ」に関して言えば、読んでからでも観てからでも、どっちでも楽しめる作品だなぁと珍しい感想を持ったのである。小説の方は、利休の人生をいろいろな人の視点で切り取ってオムニバスのような仕立てになっているので、人間関係が立体的な構図となって見えてくる。映画はその仕立てではないけれど、主役である海老蔵の圧倒的な演技力と存在感が、新しい利休像を作り上げていて興味深く観てしまったのだ。海老蔵が利休ってどうなんだろ?なんて素人考えでいたのだけど、ひとかたならぬ美への執着者・利休と、狂気を秘めた海老蔵は、どこかで重なり合っているように思えた。
もちろん、利休の映画となればお茶のお点前やお道具がとっても気になるところなので、そういう意味でも楽しめる。なんと、長次郎作の黒楽を楽家から特別に借りることができ、その黒楽茶碗で100年ぶりにお点前したシーンが映し出されている。海老蔵のお点前のシーンはさすがに所作が美しい。背中に筋がはいっているかのような伸びや手配りのきれいさなど、これは歌舞伎役者たる所以かな。ロケ場所も仕事柄気になるところで、大徳寺や南禅寺などビックリするような場所で行われている。お茶については、三千家がパートに分かれて監修されたそう。敬愛する茶人であり歴史学者の熊倉功夫さんも監修に名を連ねている。つまり、茶道界がお互いに睨みをきかせながら、それぞれに(表向きは)納得して出来上がった映画というわけである。この裏話を聞いただけでも、監督はじめスタッフの方々の並々ならぬご苦労と気遣いがあっただろうと拝察する。


原作を読んでいる立場でもし希望を言えるとしたら、ぜひ監督に聞いてみたいことが2つある。ひとつは、原作と明らかに異なる演出をした最後のシーンについて(これ以上はネタバレになるので書けないけど)。女性の視点では、いまいち納得しがたいものがあったなぁ。もうひとつは、若い時代の利休のエロティシズムについて。映画では若さゆえの傲慢さは描かれていたが、エロティシズムの部分は出てこなかった。千利休のイメージが崩れるとかなんとか言われそうで、茶道界との関連があったのかもしれないけど、なぜそこを描かなかったのか、是非とも聞いてみたい。


ちなみに気になる配役。利休が市川海老蔵、信長に伊勢谷友介、秀吉が大森南朋、長次郎を柄本明。利休の最後の奥さんの役を中谷美紀、ねねが檀れい。豪華な配役ですな。さて、映画「利休にたずねよ」は12月7日から東映系で公開だそうです。まだまだ時間がたっぷりあるので、ぜひ小説を読んでから映画を観てみてくださいまし。


お魚料理だけのレストラン【えとせとら】


メニューを見ると、前菜もメインも魚料理しかない。そんなレストランがパリにオープンしたと聞いて、先月の出張の際に出掛けてきた。「パリで魚?」と思うなかれ。実はパリは魚天国である。冷凍したり養殖してまで魚を食べようと思わないからか、店頭に並んでいる魚はほぼ生の天然もの。日本人が大好きなマグロだって生の物がいくらでも食べられる。魚の質そのものは日本の物とはまったく異なるのだけど、フランスでしか食べられない魚も数多くあって、魚好きは退屈しない街なのだ。でもフランス料理といえばメインはやっぱりお肉だよね、と思っている人が多いし、圧倒的に肉料理を食べたい人がほとんどなので、パリのレストランで魚専門というのはほんのほんのひと握りである。ましてこのお店は日本人のオーナーシェフというのだから、世界一の美食の街で、料理人として勝負をかけているのがよくわかる。


前菜に選んだルージェのカリカリ焼き(フランス語ではcroustillant de rougets aux pointes d'asperges et tapnade d'olive noire)にあまりに感動したので、今日はそのお話ね。ルージェこそ、フランスでしか食べられない大好きなお魚。メニューにルージェがあったら必ずオーダーすることにしている。ルージェの美味しさを語ると長くなっちゃうので割愛して、ここでは私が頭を必死に巡らせながら食べたソースのことを書こうと思う。


ハーブを効かせたごくごく軽いクリームソース。最初はソースをつけずにルージェだけを食べ、その後ルージェと共にいただくと、魚の味わいに一歩遅めに付いてやって来る感じでほんのりハーブが香る。2口目、3口目と食べ進んでいくと、ソースのやわらかさが魚全体を包み込んでゆく。魚を食べ終わった後、パンでぬぐうとパンの塩味と一緒になって強い存在感を示し、さらに食べ終わった後にはスッキリと爽やかな印象だけを残して、舌をニュートラルな状態に戻してくれるのだ。次の料理へと舌を準備させるために。なんというソース!BRAVO!


あのソースは、日本料理でいう「お吸い物」にあたるということを、先日お邪魔した京都吉兆で気づかせてもらった。お吸い物にもまったく同じストーリーが描かれる。最初に吸い地をいただき、口元をすっきりさせ、椀ダネをいただく時は吸い地の存在を忘れてしまうが、食べている間に椀ダネの味わいが吸い地にしみだしていくので、最後に飲み干すと凝縮感を味わうことができる。パリのお店のソースはまさにお吸い物と同じ物語りだった。


ルージェの旨味がだんだんソースになじんでいき、味わいが濃くなっていって、最後にスッキリさせるというのは、おそらくお吸い物と同じ原理なのだろうと思う。なんと密やかな、でも確かな技術に裏打ちされたひと皿でしょう。あんまり美味しかったので、シェフが真っ赤になって恥ずかしがるまで褒めてしまった。遠い国で奮闘する我が同胞を誇りに思った夜だった。


近々パリに行くご予定の方がいらっしゃったら、ぜひ来訪してみてください。予約は電話のみで、電話に出るのは冷ややかなフランス人女性。予約をとるのに多少の不便はあるけれど、お魚好きなら行く価値のあるお店だと思う。電話番号など詳細については個人的にお問い合わせくださいまし。


美山荘の眼福は職人の手仕事【伝統工芸の職人たち】


羽田に到着したのが6:50。国内線に乗り継ぎ中部国際空港に到着したのが9:10。自宅に辿り着いたのは10時過ぎだった。それからスーツケースを荷解き、洗濯して入浴し、再び旅の準備をした。そう、京都・花背の里へ出向くためである。フランス出張より半年も前から、花背の里にある美山荘に出掛けることは決まっていた。本当ならあと数日パリに留まって週末を過ごすこともできたのだけど諦めた。パリにはまた行けると思うけど、この季節の美山荘にこのメンバーで行く機会は、これから先それほどないと思ったから。


京都・花背の里で過ごした時間のことは、たくさん書きたいけれど書ききれないので思いきって割愛する。美山荘の素敵なおもてなし術と摘み草料理の素晴らしさについては、多くの著名人が書き記しているのでまぁいいだろう。私にとっては、日本建築の粋が記憶に残る。左官職人の友人が言っていた「土壁の錆」の醸成途中をこの眼で確かめることができたのは何よりの眼福だった。土壁の錆とは、経年により本物の土壁だけに現れる現象のことで、一見するとカビにも見えるため、無知な人は「壁を塗り直して欲しい」と職人にダメ出ししてしまうらしい。手を入れて20年が経つという美山荘の壁はまさにその錆が出始めて、風雅の変化をじっくりと味わえる。職人技術の美しい手仕事は随所に見られ、さすが世に名高い中村工務店さんのお仕事と一人膝を打っていた。中村さんによるお宿は俵屋で何度か経験したけれど、町中とは趣を変えて、自然と一体化した山里らしさがとても心地よい。またこの山里に来られるように、明日からのお仕事に一層力を入れねば、と誓っている。この心持ちがずっと続くといいのだけれど。



つばめの家/岡田新吾氏最新作【読書する贅沢】


岡田新吾氏が3作目となる児童小説を上梓した。金曜日の夜は、その出版記念パーティーだった。岡田氏は、広告デザイン会社の社長、コピーライター、ブランディングプロデューサー、写真ギャラリーのオーナー、そして児童小説家と、幾つもの顔を持つ。月曜から金曜は目いっぱい仕事をして、児童小説を書くのは主に休日なのだそうだ。そんな生活をもう10年近く続けている。広告業界に身を置いている同業者として、これは感嘆に値すること。大して仕事がなくてもなぜだか毎日忙殺されるのが広告業界の常で、多くのクリエイターが休日は家族サービスさえ遠慮がちにして、頭をからっぽにすることで次の新しい一週間をなんとかしのぐためのチャージをしている。その大切な休日を、ジャンルは違うと言えども執筆という作業に費やすことは並大抵のことではないはずだ。それが出来るということは、岡田氏にとって広告業界は仮の姿で、児童小説の世界こそ天職なのだろうか。いやいや、そう問えば否と答えるに決まっているのだけれど。


3作目となる「つばめの家」は老夫婦が主人公という不思議な構成になっている。岡田氏の"あとがき"にもこの件について触れているが、これは児童小説の世界ではあまりないことらしい。ゆえに執筆が時にゆっくりになったり、悩んだりしたこともあったそうだ。このまま老夫婦を主人公にして出版をするか、あるいは子供が主人公の小説に書き直すか。その悩みの段階のあたりから作品を読ませていただいていたので、私個人的には初心を貫いた岡田氏の勇気に拍手を贈りたいと思う。


その結果、今までの児童小説にはない、"子供とは違った視点で大人が楽しめる一冊"に仕上がっているからだ。小説の随所に隠された不変のテーマは、愛情を注ぐということの意味について。家族や友人への愛情、社会への愛情、弱きものや失われゆくものへの愛情を、すべての読者に問いかけている。そしてそれは、何年か前にご母堂を亡くされた岡田氏の母へのオマージュでもある。


ひとつ書き忘れていたけど、私と同じくコピーライター仲間である岡田氏は高校時代のリアル同級生でもある。しかも高校3年の担任は国語の松久先生だった。お互いに(失礼!)優等生とは決して言えない私たちが、言葉を紡ぐ仕事をしているというのだから、世の中もわからないものである。なので今回の出版祈念パーティーには、恩師である松久聡先生と高校の同級生たちも駆けつけた。この写真は、恩師・松久先生と岡田氏を同級生で囲んだ時の記念写真。なんとこのメンバー。極楽トンボの私を除き、1人が某大手新聞社の管理職で、2人が政治家、あとの4人は会社経営者である。みんな偉くなったもんです、ビックリしちゃいました。さて、最後にクイズです。この写真の中の政治家2人とは誰でしょうか?選挙ポスターっぽく爽やかな笑顔が印象的な2人が政治家なんだけど、わかるかなー!?