LARMES Column

一献盃で日本酒を楽しむ会【徒然なるお仕事】


先週の日曜日に、一献盃で日本酒を楽しむ会を開催した。一献盃とは、形状の違う4種類の酒器セットのことで、岐阜県土岐市の陶磁器メーカーであるカネコ小兵製陶所のオリジナル商品である。ワイングラスの違いによる味わいの違いとまったく同じ理論で、器の形状が違えば、お酒を飲んだ時に舌の上に滴る場所が違う。舌は、甘さや辛さを強く感じる場所があるので、甘みを強く感じる場所に滴れば甘く感じるという理論である。もちろん味わいだけではなく、形状が違えば香りの感じ方も変わってくる。つまり、まったく同じ日本酒でも、この4種類の器で飲み比べれば、味わいや香りが少しずつ異なるので、料理に合わせて飲み比べることができるというスグレモノの商品なのだ。私がこの商品と出逢ったのは、クリス・グレン氏を通じてカネコ小兵製陶所さんのお仕事をさせていただくようになったのがご縁。これは面白い商品だからどんどんPRしましょう!というわけで始まったプロジェクトなのである。


とはいえ、かなり実験的な食事会になるということ、なおかつ家庭で楽しんでいただきたいという名目から、料理はなんと僭越ながら私が担当。ナビゲーターは一献盃セットの開発者である小平健一氏。日本酒のセレクトは、日本酒バー・八咫(やた)のオーナーである山本将守氏。定休日に会場を貸してくださり、ワインとグラスの関係性について話をしてくださったのは、フレンチレストラン・ルマルタンペシュールの那須亮氏。プロデュースはクリス・グレン氏のマネージャーを務める加藤由佳氏。私以外は、その道のスペシャリストばかりを揃えた。この面々を見るだけでも、これは贅沢な会ですよ。さらに、参加してくださったゲストの方々は、IT日本酒コンサルタントや、中国茶専門店ロ・ヴーのオーナー、もっと地酒の会の主催者をはじめ、ギフト商品のプロデューサー、カネコ小兵製陶所さんと縁のある日本酒愛好者などなど。それぞれの視点で「この料理ならこっちの盃だな」「この盃にしたら香りが変わった!」と分析しながら、器を楽しんで使っていた。この盃のおかげで、はじめて会った方同士の会話がはずみ、自然に笑顔で食事とお酒を満喫している様子には、私の方が感動しちゃったほど。


そうなんです。私は料理を担当したのでほとんど厨房にこもってしまい、皆さんとはあまりお話ができなかったのだ。最初と最後のご挨拶と、皆さんのご紹介程度しか出来なかったので、場が盛り上がるかどうかがとても不安だった。でもそこは、さすがにオトナな皆さん。ちゃんと会の趣旨を理解してくださり、一献盃セットという商品をどう評価して世に送り出せばいいのか、真剣に考えながらも、一献盃セットを楽しむ方法について共に探ってくださったのだ。厨房の扉の向こうから漏れ聞こえてくる皆さんの会話を、一人こっそり楽しんでいた。提供する側としての最上の喜びを味わうことが出来たのだ。つたない素人料理を召し上がってくださり、日本酒と一献盃セットを心ゆくまで味わい尽くしていただけて、お越しくださった皆様、本当にありがとうございました。そして、今回は実験的要素が強かったこともあり、関係者及び縁ある方々を限定してお誘いしたので、お声掛けできなかった方々にはお詫び申し上げます。次回がもしあるとしたら・・・まだわからないけど、開催できるように頑張ります。以下は、日本酒担当の山本さんが撮影してくださった写真たち。



また参加してくださった方の多くが、早速この会の様子をブログアップしてくださった。どうもありがとうございました。※アイウエオ順
グラフィックデザイナーの池上貴文さん
日本酒コンサルタントの石井克成さん
広告デザイン会社経営及びコピーライターの岡田新吾さん
カネコ小兵製陶所さんのfacebook
住宅ライター及びラジオ構成作家の福岡由美さん
八咫さんのfacebook

またこの一献盃セットは、webからでも購入することができる。この楽しみを自宅でも味わってみたい!という方は、ぜひお試しになってみてください。カネコ小兵製陶所のwebからどうぞ。日本酒好きなカレシとかオトーサンへのヴァレンタインにピッタリの商品だと思うんだけどなー。もちろん味わいや香りが器の形状によって変わるという理論が当てはまるのは、日本酒だけじゃない。珈琲やお茶の味わいもビックリするほど変わってしまうので、お酒が苦手な方にも楽しんでいただける一献盃セットなのだー!


泣く女、泣けない女【徒然なるお仕事】

年の瀬がここまで迫っているというのに、未だに年末という感覚がない。毎年それが薄れてゆくのは、年末年始さえも頭のどこかで企画やら先々の予定のことなどに思いを巡らすのが当たり前になってしまったからなのか。決してワーカホリックではないつもりだが、傍から見ればこれもワーカホリックなのかもしれない。ともあれ、今日は大晦日。一年を締めくくる一日として、印象に残ったことを書きたいと思う。
仕事で出逢ったある女性とある男性のお話。これから書くことのほとんどが事実だが、多少創作を交え、ご本人であることが特定されないように考慮したつもりなので、詳細についてはご想像にお任せする(つまりこれ以上のことはプライベート情報になるかもしれないので教えられませぬ)。


ある化粧品メーカーの新商品ポスターのCDを受け持ち、撮影に立ち会ったその日。スタジオに集まったのは、クライアントをはじめ、代理店、カメラマン、デザイナーなど総勢10名のクルーだった。撮影はまぁそこそこ順調に進んでいるかのように見えた・・・・が、途中でカメラアシスタントの女性がちょっとした失敗をしでかしてしまった。当然ながら撮影は中断し、その場には冷たい空気が流れる。女性アシスタントはスミマセンと繰り返し謝りながら、上司である男性カメラマンの顔色をうかがう。私たちもなんとか事態を取り繕いたいので声を掛けようとするが、当のカメラマンは怒りで興奮し今にも爆発しそうな勢いである。ちょっとヤバい雰囲気だな、クライアントもいるし・・・と思った瞬間だった。カメラマンがアシスタントの女性をどなりつけたのは。


「何年やってんだお前!こんな初歩的なミスがスミマセンで済まされるわけないだろっ!謝れ!」「本当にスミマセン」(頭を下げて謝っている)「そんなんじゃダメだ、土下座して謝れ!」「申し訳ありませんでした」(ホントに土下座して謝っていた、そんなことよりも早く撮影再開するための手はずを整えて欲しいと周りのみんなが思っていた)そして驚いたのはここからである。
「お前!今日立ち会ってもらってる人の時間をなんて考えてるんだ。こんな失敗やらかして泣きもしないってどういうことなんだ!泣け!泣けよ!」
え?????泣けばいいんですか?っていうか泣くことって、ここで大切なことなんですか?という私の心の声はまったく届かなかったようで。なんと女性は大きな声をあげて泣き出してしまった。泣けと言う方も言う方だけど、泣けと言われて泣いちゃう女もどうなんだ???(きっとそれがはじめてのことではなかったんだと思う。怒られる→泣くという方程式が二人の間で出来上がっていたのではないかしらん)


結局30分ほどその問答が続いて、泣きながら失敗を片付けていた女性アシスタントは、泣きはらした顔でその後も撮影にのぞみ、彼女がやらかした失敗のおかげで約1時間ほど遅れて撮影が終了した。もちろん場の雰囲気は最悪で、なんとも後味の悪い撮影となった。唯一救いだったのは、上がった写真が思いのほか出来が良かったこと。


その日の夜、自分が泣く時のことを考えてみた。私は基本的に負けず嫌いということもあり、仕事先では絶対に泣かない。お客様からお叱りを受けることなんて山ほどあるけれど、平身低頭で謝るが泣きはしない。次に相手が望む以上のものを制作して、今度は絶対に褒めてもらうんだ!という思いの方が強くて、自分の失敗に対して泣くことはしてこなかった。というか、正確に言うと、人前では泣かなかった、のである。


何年も前のことだけれど、一度こんなことがあった。ある不動産会社のパンフレット作成をした際、私のコピーに対してクライアントの担当者が驚くような罵声を浴びせたことがあった。今から思えば、その担当者は浮気でもバレて奥さんと大げんかして八つ当たり先を探していたんじゃないかな?と思うほど、馬鹿げた難癖をつけられた。でもコピーは読む人の好みで判断されてしまうことがあるので、こういう時は逆らわずに相手の好みのように仕上げることにしている(ま、その時点で心は入りませんが、これをモンスタークライアントと呼んでいる)。その日の私の仕事は相手からの罵声にひたすら耐えることだと判断して、悔しいけれど我慢した。事務所に戻ってから、代理店の営業の女性(50代くらいの人だった)が気づかって電話をしてくれて、こう言った。「近藤さん、あんなひどい事を言われてよく泣かなかったね。よく我慢したね。これが若い子だったら大泣きしてるとこだわ」と。そうか、普通は泣くところだったんだ、と思った瞬間に悔しくて悔しくて、電話を切って一人で目が腫れるまで大泣きした。


舞台や映画を見て感情移入し、人前で大泣きすることはしょっちゅうなのに、仕事となると泣けない。泣いてはいけないと思ってきた。でも、もしかしたら泣ける女の方が可愛いのかな、と件のカメラマンの発言を聞いてから思うようになった。泣くという作業は女の特権と思っている男性が存在する以上、泣ける女は、泣くことで物事を終わらせ、完結させているのかもしれない。泣く女は、その涙の分だけ実は強く、泣けない女は、泣くことで許されてこなかったから窮地に立たされた時に打たれ弱い。
もうすぐ2012年が終わり、2013年がやって来るけど、多分来年も私は泣けない女のまま一年を過ごすことになると思う。そんな不器用?な私ですが、皆様お見捨てなく、来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。良いお年をお迎えくださいまし。


晩餐会からお座敷遊びまで【えとせとら】


いつものことながらコラムアップが遅くなってしまってネタが山積み。文章の出来具合とか前後の整合性については精査なしですので、まぁご勘弁いただき、ばばっと一気に書いちゃいます。
というわけで「本物は不変」であることを感じた時のことを写真と共に記してゆこうと思う。まず最初に、この上の写真は、去る5月に東京ニューオータニで開催された「シャンパーニュ騎士団叙任式」の様子。一昨年にも参加させていただいた叙任式と晩餐会が、今年も盛大に執りおこなわれた(シャンパーニュ騎士団については、グーグル先生に聞いてください)。シャンパーニュ地方の大手メゾンの当主がわざわざ日本にまで来て叙任式をするのだから、その方法は本場シャンパーニュとまったく同じで、騎士団のメンバーがマントをはおり、ラッパによる叙任の知らせと共に、各人に騎士団の称号を与えてゆく。古式ゆかしいそのスタイルには、おもわず感心の溜め息がでちゃった。


こちらは、一昨年に参加した「フランスチーズ鑑評騎士の会/シュバリエ・デュ・タストフロマージュ」の叙任式の様子。シャンパーニュ騎士団と同じようにマント姿の騎士の方から、うやうやしく叙任され、メダルをいただく。


でもってこちらは、つい先月、フランス大使館で開催されたシャンパンメゾンの「ローランペリエ社200周年記念晩餐会」の招待状。ドレスコードはブラックタイ。正式な招待状は、名前も手書き。こういうのをいただくと気分はアゲアゲでした。


晩餐会では、受付の後にローランペリエの当主との記念撮影を済ませ、フランス大使館の庭で、ローランペリエをいただきながらアートを楽しむという趣向だった。寒空のもとのガーデンパーティーには、和紙を使ったアートが設置され、全身に電飾をまとったバレリーナが客人の間をするりと抜けるように軽やかなステップを踏んでいく。いかにもフランスらしい演出にはこれまた感心。正式な晩餐会では、このようにテーマを設けて、客人を喜ばせることがとても大切なマナーでもあるのだ。そして大使館の館内でのディナーは、2platsのメニューだった。つまり、2皿で完結するディナーの内容だったのである。一般的にフランス料理というと、前菜で数品、スープが間に入り、魚とお肉と続くフルコースを想像する人がほとんどだと思うけど、実は正式な晩餐会といえば、前菜とメインの2皿に、チーズやデザートが供されるという極めてシンプルな内容で構成されている。さらに、料理はひと皿ごと運ばれてくるレストラン方式ではなく、大人数分の料理が盛られた大皿から自分の分を取り分け、隣の人にまわす、というスタイルであった。これまた実は正式な晩餐会での方法だ。さすがにフランス大使館で開催される晩餐会、何から何まで本来の晩餐会のスタイルを踏襲していて、とても勉強になった。
ついでに申し上げると、ワインラヴァーを自称する方々にありがちな「甘いもの苦手発言」も、本来のフランス料理の筋から言うと、とんでもない話である。前菜と主菜を食べ終え、最後に甘いデザートで締めてはじめてフランス料理は完結する。砂糖やみりんを料理に多用する日本料理や中華料理と違い、フランス料理はあまり加糖しない。舌に感じる甘みは野菜などからにじみ出る物がほとんどである。最後にデザートを食べるのは、甘味で栄養を補充するためと、アルコールの解毒作用の両方なのだ。銀座のある三ツ星レストランでデザートを選ぶ段になり「最後にデザート食べるなんてマリコさんってお子ちゃまなのね」と同席したご婦人に思い切りバカにされた経験があるが、まぁその時ばかりは頭に血が上るくらいにカチンときたんだった(もちろん反論もせずに我慢しましたとも)。


晩餐会の会場で偶然バッタリお会いしたMen's clubの戸賀編集長。
シャツも真っ黒で、真っ黒くろすけなタキシード姿。
タキシードが似合うというのも、素敵な紳士の条件ですな。
これも不変のテーマ。


あー、それでもってこちらは、叔父と叔母が出させていただいた小唄会。浴衣ですからね、夏ですね。芸事が好きな我が家系は、小唄やら長唄やら日舞などの世界が小さい時から日常にあった。親戚が集うと必ず芸のおさらい会のようになっていたんだっけ。これもある料亭のお座敷をお借りしての小唄会だったのだけど、やっぱり椅子とテーブルじゃなくて、お座敷にお座布団なんですね。そして浴衣とは言えども、ちゃんと足袋を履いている。いくら暑いからといっても素足なんてとんでもない話。当たり前のようで最近は当たり前じゃなくなった光景ですね。本物は不変なのだ、ふむ。


あー、これは我が叔父。小唄が本当に上手で、身内ながら毎回絶賛してしまうのだけど。小唄会が終わってからの宴席で、アルコールがまわり始めると、それぞれが得意の唄を披露する。お師匠さんがお三味線を弾いてくださるんだから、こんな贅沢な遊びはない。我も我もと唄った後に、我が叔父の極めつけ都々逸のシーンです。いやはや、その昔、叔母を随分泣かせたこともある色艶話の多かった叔父が、歳をとってからは妙におとなしくなってるなぁと思っていたのだけど。この時の都々逸はエロそのもので、座はわきにわき、身内である私は笑うに笑えず、たいそう困った瞬間だった。超遊び人で昭和の最後の旦那衆と言われた祖父の血をひく叔父。芸子さんを楽しませ、お客様を笑わせるのが、本物のお座敷遊びなのだなぁーと妙に実感した一夜だったのだ。っていうかシモネタは不変ということか。だらだらと書き連ねてしまったけど、こんな身内のオチを最後に、大変失礼いたしましたー。


山本容子さんが私の名前をっ!【徒然なるお仕事】


賢い読者の皆さんはお気づきだと思いますが、同じパターンのタイトルが続き申し訳ない!有名人の方のお名前をタイトルに用いるとSEOになるんですの。ごめんなさいませ。
さて、残暑厳しかった去る9月、憧れの山本容子さんを取材することが叶った。山本容子さんは銅版画家として活躍されているほか、グルメやワイン通としても知られている。ワインバーをプロデュースしたり、フランス・モメサン社のボージョレイヌーヴォーのエティケットを描いていることでも有名だ。クライアントは名古屋駅前のミッドランドスクエア。数々の一流レストランや高級料亭が入っていることでも知られており、グルマン垂涎のエリアである。そのビルの会報誌クリスマスバージョンで、ワインやお食事に精通されている素敵な女性をインタビューしようということになり、真っ先にお名前が挙がったのが山本容子さんだったのである。


新幹線のホームにお迎えに上がった時、大勢の乗降客でごったがえす中、山本さんはいわゆる"オーラ"を放っていらっしゃった。女性の素敵オーラっていいなーと、この時点で山本さんにメロメロな私。ミッドランドまでご案内し、取材の段取りを整えていると、いろいろなお話をしてくださる。おそらく、私たちスタッフが緊張しすぎないように、適度な距離感で接してくださっているのだ。とっても気さくで、でも意志は強く、美しいものを見定める眼力がすごい。熊川さんのインタビューの時も感じたことだけど、というか、いわゆる第一線で活躍されている方とご一緒するといつも思うことなんだけど、やっぱり一流の方というのは人間性も優れているんだなぁと。↑の写真は、この取材が終わった後、ミッドランドスクエアの美人広報・林美保子さんとご一緒に撮ったもの。


というわけで、山本容子さんをインタビューした記事は、ミッドランドスクエアの冬の会報誌「Cinderella Story」でお読みいただける。ミッドランドの館内に設置されているので、是非お出掛けいただき、冊子を手に取り、ついでにお買い物やお食事していらしてください。ちなみに山本さんを撮影したお店は、42階のエノテーカ ピンキオーリで、山本さんが召し上がった料理やおすすめのワインも冊子に記載されている。


それでもってこのお着物の写真たちは、取材後数週間してから、山本容子さんがご親戚の方々と名古屋にいらっしゃった時のもの。市川海老蔵さんの舞台を観るためにわざわざ来名され、撮影したレストラン・エノテーカ ピンキオーリでお食事されたのだ。ミッドランドの林さんと一緒にご挨拶でお邪魔して撮影させていただいた。え?プライベートなお食事の席なのになぜ写真なんか撮ったのかって?それは山本さんを含めた3人様がなんと山本容子さんが描かれたお着物と帯をお召しになっているからなのだ。大コーフンして写真撮影会にしちゃいました。容子さん、そしてお店のスタッフの方々、あの時は大変申し訳ありませんでした。それでも容子さんはにこやかに「これ、私が描いたのよー」と言って見せてくださった。今度はきっと、着物姿の山本さんを着物ネタで取材したいと思っていますので、よろしくお願いしますっ!


もともと山本容子さんのファンだったので、パティパタパンシリーズは版画を持っているし、日曜美術館に出演される時は必ず見るようにしている私。今回取材できただけでも感激なのに、なによりも嬉しかったのは、このお食事会にお邪魔した時の出来事だった。ご挨拶しようと山本さんのお部屋に入った瞬間、山本さんは「あらー!」と微笑みかけてくださり、その席にいらっしゃったご親戚の方々に「この前インタビューしてくださった近藤マリコさんよ」とフルネームでご紹介してくださったのである。マリコ、カンゲキ!


今までに何度も、いわゆる有名人や文化人の取材はしてきたけれど、インタビュアーの名前を覚えてくださったことなどほとんどない。インタビューが終われば顔さえ忘れてしまって次の現場へ行くというのが彼らの常だし、あくまでも黒子である私たちにとってはそれが当たり前である。山本容子さんの場合は、3度もお会いした(取材の前にとあるワイン会でご挨拶だけしているので)ということもあるのだけど、それにしてもフルネームって感激ですよね。ううむ、やっぱり一流で活躍する人はすごいのだ。人の名前どころかお顔さえ覚えていない私は、どこまでいっても一流にはなれそうもないけど、山本さんに少しでもあやかって、これからは人様のお名前とお顔をきちんと覚えるようにしなくちゃ、と思う今日この頃である。
※お写真は、ミッドランドスクエアの林美保子さんより借用いたしました。林さん、ありがとうございました!


青森で虹を見た【今日の地球】


今まで少なくとも百回以上は飛行機に搭乗している私。今日、生まれて初めて青森に降り立った。ちょっと大げさかもしれないけど、世界中の雲上の風景をイヤというほど見てきた。けれど、今朝の飛行機から見た雲は、今までのどんな所のものとも違っていて、窓の外から目を離すことができなかった。新潟上空を過ぎたあたりから北上するに従って、雲の景色が変わっていったのである。果てしなく広がる雲は、綿菓子のように柔らかく輪郭がなくてふわふわしていたし、青空はこれ以上でもこれ以下でもない澄んだ浅葱色をしていた。絵本に出てくるような、おとぎの国の雲で、ずっと見ていても飽きない風景だった。綿菓子の間を抜けて機体が地上に近づくと、今度は今が盛りの紅葉が一面に広がっている。青森の風景は、雲の上も下も、なんて美しいんだろう。東北への畏敬の念が私の目のフィルターとなって、風景を美しく見せているのだろうかとさえ思った。そして空港から町中に向かう途中、今度は綺麗なアーチ型の虹が田園にかかっているではないですか!その美しさは今でも目にしっかりと焼きついている。(うまく撮れなかったけど、写真はその虹を車中から撮影したもの)

東北の手仕事への思いは、今までに何度もコラムで書いてきた。そして今日、弘前の人と直に触れ合って、改めて東北人の人柄の良さに心を打たれることになった。純粋な笑顔と瞳がとても印象的で、ところが、ふっとした時に見せる影の表情は、どこか諦観の念を感じさせるものだった。その諦観は、やがてやって来る厳しい冬への準備なのだろうか。自然が厳しい地域の人独特の表情だった。少し恥ずかしそうに津軽弁で語ってくれた、あの瞳が忘れられない。
午後から夕暮れまで屋内で取材し、すぐに電車に乗り込んで次の目的地に向かってしまったため、弘前城も洋館も街並も、何も見る事はできなかったけど、あの雲上の風景と綺麗な虹のこと、そして澄んだ瞳の人々のことは、多分ずっと忘れることはないと思う。いつかきっと、東北をゆっくり旅したいと思った。旅に出ている最中なのに旅情に誘われるなんて、おかしな話だけど。明日は山形へ。さて、今度はどんな出逢いがあるだろうか。


熊川哲也さんが私の右手をっ!【徒然なるお仕事】


腕時計は左手につけますか?それとも右手?
右利きの人は時計のネジを巻きやすいので左手にはめるということからか、ほとんどの方が左手にはめているんじゃないかと思うのだけど。私は普段から腕時計は右手と決めている。なぜかと言うと、取材してメモをしながら、相手に悟られないように時間を確認することが出来るから。限られた時間の中で、スムーズに取材を進行するためでもあるし、途中で話があらぬ方向にいっちゃった場合は、残りの時間でいろんなことを聞かなければならなくなる。加えて、多忙を極める有名人や財界人の場合は時間内に取材を終わらせないと、多くの人に迷惑をかけてしまうのだ。
世界トップクラスのバレエダンサーとして知られる熊川哲也さんを取材した時も、時計は右手にはめていた。ギリギリまで取材スケジュールが決定しないほどご多忙な熊川さんは、けれど忙しさを微塵も感じさせないような軽やかな足取りで、爽やかな風のごとく私たちの前に登場した。まず目をしっかり見つめて握手をし「よろしく」の一言。取材クルーはもうその時点でノックアウトされている。目ヂカラがハンパない。
取材が始まると、ひとつひとつの質問に対して真摯に考え、丁寧に一生懸命答えてくださった。しかも話は決してぶれることなく、簡潔に情熱とジョークを交えながら。完璧だ。さすが世界トップに登り詰めた人は本当にクレヴァーなのだ。
もっとお話をうかがいたい、と思ったけれど残念ながら終了時間は迫っている。あと何問くらい質問できるかな?と、いつものようにメモするふりして右手の時計をチラ見した時、熊川さんは私の動作を見抜いていた。その直後に最後の質問をすると、熊川さんはそれが最後の質問であることをわかっていて、まるでまとめるかのように終わりにふさわしい話をしてくださった。この日から私が熊川さんに恋したことは言うまでもない。


後日、熊川さんのバレエ公演があると聞いて、ミッドランドスクエアの美人広報と誉れ高い林美保子さんとお邪魔した時のこと。その舞台の素晴らしさはまさに筆舌に尽くしがたく、さらに公演後に林さんが差し入れをお持ちになった際も、やはり最初は握手から。そして目をしっかり見つめて「バレエ楽しんでいただけましたか?」と微笑んでくださった。ハッキリ言って昇天です。


そんなわけで、私がすっかり虜になってしまった熊川哲也さんのインタビュー記事は、名古屋駅前にあるミッドランドスクエア冬の会報誌「Cinderella Story」にてご覧いただけます。会員の方には郵送で、会員ではない方もミッドランドスクエアの館内に置いてあるので、ぜひ手に取って見てくださいませ。


さらに、ミッドランドスクエアのクリスマスが始まる11月9金曜日は、プレミアムデーとして数々のイベントが開催されます。熊川哲也さんがスペシャルトークショーに登場するほか、熊川さんによる点灯式で、クロエのクリスマスツリーやイルミネーションが一斉に輝く瞬間をぜひご覧ください。熊川さんが主宰するKバレエカンパニーによるダンスパフォーマンスも披露されるなど、素敵な晩秋の夜となりそうです。
ミッドランドスクエア プレミアムデーの詳細はこちらへ


アートが玄関にやって来た!【えとせとら】


これは私が実行委員を務めた ART NAGOYA2012 で出逢った作品で、山本一弥さんの『needle』。山本一弥さんは、完全なる左右対称の世界を作り上げる作家だそう。この美しいラインと藤田嗣治の乳白色を思わせるなめらかな色合い、そして完璧なシンメトリーにすっかり心惹かれたのである。(そういえば、デザインも写真もシンメトリーな美しさが好きな私)
昨年はハービー山口さんのアート写真だったけど、今年は立体を選んでしまった。ただでさえ狭いマンションのどこにこの作品を設置するのか?この作品を購入するかどうかで迷った一番の理由がそれだった。樹脂でできているこの作品は、乳白色の溶けそうな色合いがとても美しく、それを際立たせるには濃い色の壁が必要なのに、我が家にはそれがない。それどころか、マンションなのですべて壁はクロス貼り。クロスと樹脂作品はまったく合わないのである。困ったな。欲しいけど飾る場所がない・・・。
「唯一飾る場所があるとすれば、玄関ドアかな」私がそうつぶやくと、F-1ギャラリーのオーナー、こじまひさやさんは、すかさず「玄関ドアの色は何色?」と。黒だと答えると「もう、そこに飾るしかない。毎日出掛ける時、家に戻った時にこの作品が迎えてくれるなんて最高じゃん!」もともとご自身がアーティストであり、グラフィックデザイナーでもあるこじまさんから、具体的な設置方法と具体的なビジュアルイメージを説明されると、もう購入欲は高まるばかりである。そこでART NAGOYAの実行委員の面々を一人ひとり連れ出しては、F-1ギャラリーに引っ張って行き、設置方法やそれに伴う心配事を相談し「大丈夫でしょ、いい作品だね」とほぼ言わせて自分を納得させた。


アートがやって来る前の我が家の玄関ドアはこんな感じだった。
いただいた展覧会チケットや、個展情報などが貼ってある。開催期間中に忘れずに出掛けるために、玄関ドアに貼付けていたのである。掲示板的性格の強い情報コーナーだった。


それが、今はこうなっている。
needleのための額として、玄関ドアが存在している。
出入りするためのドアである前に、
作品の額としてのドアの存在。いいでしょ。
扉の開け閉めをしても、作品はびくとも動かない。


こじまさんが設置してくれた時の写真。
専用の赤外線装置で並行と中心をはかり、
ぴったりきれいにど真ん中に来るように設置してくださった。
その方法は・・・秘密です!


ART NAGOYAの実行委員の面々。設置されるのを待って、我が家で打ち上げ会を開催した。いい作品だね、と言わされた方々が、設置された作品を見に来てくださった。「作品にストレスを与えるのは良くないから玄関ドアは心配だ」と言い続けていた岡田氏も、実際に設置されて頑丈にくっついている作品を見て、安心してくれたみたいだった。そういうわけで、今、我が家に遊びに来てくださると、このアートをご覧いただけます。巷ではゲージュツの秋も始まりつつあるので、お茶飲みがてら、是非いらしてくださいませ。


ヴァカンスをとる方法【えとせとら】


うわ、日付見たらおよそ一ヶ月ぶりの更新だったんだ・・・。facebookで日常のネタを放出しているので、こっちのコラムは気づかぬうちにご無沙汰になっていたんですね。まぁ、コラムにじっくり向かえる時間がなかったというのも正直なところで、夏休みもなかった私。これではいけないと思って、木曜から週末まで、えいやっと4日間のお休みをいただいたわけなんです。写真は、ホテルのお部屋に飾っていた花と、読書のお供にした大好きなシャンパン。これが私の夏の思い出になった。
私が社会人になった頃はポケベルとパソコンの時代で、連絡方法は固定電話が主流だったのだけど、今や固定電話なんてファックス以外は鳴りもしないし、ファックスそのものもほとんど使わなくなってしまった。つまりケータイとネットとパソコンがあれば、いつどこでも仕事ができる環境である。確かにおそろしく便利ではあるのだけど、我々フリーランスの立場から言うと「休めない」状況が出来上がっている。出張に出ていても、取材中でも、土曜や日曜だって、電話やメールは届いちゃうし、それに対して即レスしないとせっかちな相手は焦るわ心配するわ、あげくのはてには怒っちゃう。おまけに最近はお盆休みをとらない代理店が多く、各個人で時期外れなお休みをとったりするもんだから、当然外注スタッフである我々はいつになっても休めない。←別に愚痴ってるわけではないのですが、そういうわけで気づいたらきちんと「お休みします」宣言して休日を過ごしたことが今年に入って一日もなかったことに気づいたのである。正確には、精神的休養をきちんととっていなかった、という意味なんだけどね。


まぁそういうわけで、私が選んだヴァカンスはというと・・・ひたすら非日常空間で「なんにもしない」をすることだった。名古屋市内のホテルに3連泊し、朝と夕方のお散歩以外はホテルを出ない。朝食はお部屋で、お昼と夕食のどちらかもお部屋でとる。もちろんスッピンなので誰にも会わない。パソコンは持参したので文章は書いたのだけど、それは自分のための書き物であって仕事はしなかった。あとはひたすら読書と入浴と惰眠である。あ、ちょっとだけお酒もね。のんびりさせていただきました。
友人たちは「一人暮らしなんだから、家でのんびりすればいいのに」とか「どうせホテルに泊まるなら京都とか行けばいいのに」と進言してくれたのだけど、自宅で過ごせばお金はかからないけど非日常は味わえない。京都に行けば楽しいだろうけど、ついいろんな所に出掛けて情報収集(仕事の延長)してしまうのだ。
さて、この贅沢なのんびりを4日間過ごして気づいたことがある。お休みがとれない!と自虐的な思い込みをしていた私だけど、休日はいつも自分のすぐ隣にあったのだ。今回facebookで「お休みいただきます」と宣言していたこともあり、クライアントやスポンサーは気を遣ってくださって、連絡は電話ではなくメールにしてくださった。しかも本当は急いでいるはずなのに「対応は月曜日でいいですよ」と優しい一言もつけてくださった。私がお休みをとることを知らないクライアントからは「来週水曜までの原稿、今週中になんとかなりませんか?」と連絡があったのだけど、もうホテルにチェックインしていたので、申し訳ないけどキッパリとお断りした。他の仕事は大きな波を過ぎていたこともあり、私自身も「よほどのことがなければ仕事はやらない」と決めていたので、メールのやりとり程度で、本当に仕事をしない4日間を過ごすことができたのである。
でも、これって、普段からやろうと思えばできますよね?週末は絶対に休むとか、この日はお休みにするので連絡とれませんとか宣言しちゃえば、それなりになんとかなっちゃうのである。なぜ今までそれをやらなかったのか→答は簡単で仕事を失うのが怖かったから。即レス対応できないコピーライターは仕事が来なくなるという恐れにも似た思い込みが、年甲斐もなく精神休養なしの毎日を作り出してしまったのだ。そうなのです、私の悩みや抱えている問題は、いつだって自分の中に答があった。それに気づくのがあまりに遅すぎるというだけで。人生ももうすぐ折り返し地点、いや、とっくに過ぎたか? 次に抱える問題については、早め早めに答を見いだそうと思っているのだけど、できるかなぁ・・・。


ART NAGOYA 2012 明日から!【徒然なるお仕事】


今年も始まりました、ART NAGOYA。私が実行委員の一人として、微力ながらお手伝いしているアートフェアで、名古屋の老舗ホテル「ウェスティンナゴヤキャッスル」のエグゼクティブフロアを会場に、明日土曜日と明後日日曜日に開催される。本日はプレスプレビュー。マスコミ関係者及び地元の美術関係者、アートコレクターの方々にお集りいただき、一足早いお披露目会がおこなわれたのだ。
このアートフェアの面白いところは、ホテルの客室空間にアート作品を展示するので、ギャラリーの白い壁に展示してあるのとはひと味違った見せ方ができることである。より日常の生活空間に近いホテル客室で、アートをより身近に感じていただけるだけでなく、ギャラリーのセンス次第でアート作品の違った側面を見ることができる。また、日本各地でホテルでのアートフェアは開催されているが、名古屋の場合は、名古屋城のお隣でラグジュアリーホテルとしても知られるウェスティンナゴヤキャッスルが会場となっているため、ホテルの上質空間と一緒にアートを堪能できるのだ。


窓から見える名古屋城を借景にして、窓辺に作品展示するギャラリーがあったり、客室のお風呂やトイレを無機質に仕立て上げて、そこに作品を設置するギャラリーがあったり。作品の見せ方そのものも、立派なプレゼンテーションになっているので興味深い。ってなわけで、ART NAGOYAのほんの一部をざざざっとアップするので、本物がご覧になりたい方は、明日と明後日でぜひ会場にお越しくださいませ。



プレスプレビューが終わった後は、レセプションパーティー。地元の美術館関係者、アート界の方々、ギャラリスト、アーティスト、コレクターの方々などが100名以上お集りくださった。昨年もそうだったのだけど、アートパーティーは、派手さはないけど、しとやかでインテリジェンスあふれる方が多いので、とてもオトナな会となる。今宵もアート談義に花が咲く、素敵な集いとなった。


ボケボケですみません。元美さん、松島夫妻、江場夫妻、福田慶恵さんたちと。

ボケボケですみません。元美さん、松島夫妻、江場夫妻、福田慶恵さんたちと。

20年来の友人、ムッシュペリエ。20年来の仕事仲間でギャラリストのこじまさん。パリから出展くださったマダムユキコ。

20年来の友人、ムッシュペリエ。20年来の仕事仲間でギャラリストのこじまさん。パリから出展くださったマダムユキコ。

んも〜ホントに仲良し夫妻の江場さんご夫妻。

んも〜ホントに仲良し夫妻の江場さんご夫妻。

料亭か茂免の若旦那のりさんと奥方のまゆみさん。真ん中はBUAISOの江崎さん。

料亭か茂免の若旦那のりさんと奥方のまゆみさん。真ん中はBUAISOの江崎さん。

我らがメンズクラブ戸賀編集長とDJの岡本祐佳さん。

我らがメンズクラブ戸賀編集長とDJの岡本祐佳さん。

会場はシャンボール。このムラノガラスについ目がいきますネ。

会場はシャンボール。このムラノガラスについ目がいきますネ。

お目苦しい格好ですみません。
今日はお着物で皆様をお迎えいたしました。
夏の着物は暑いと思われがちだけど、
空気が通るようになっているので、意外に暑くな〜い。


ART NAGOYA 2012は、明日と明後日の開催です。皆様ぜひお出掛けくださいませ。
開催時間/11時〜19時
開催会場/ウェスティンナゴヤキャッスル
交通機関/地下鉄浅間町から徒歩表示になってますが、歩くと暑いので、
     名古屋駅の成城石井前から出ている無料シャトルバスがお勧めです。
駐車場 /なぜだかおそろしく混んでいますので、公共の交通機関をお勧めいたします。
入場料 /1,000円


シャネルと東北の手仕事Vol.1【伝統工芸の職人たち】


昨年の東日本大震災以降、ずっと思いつめていたことがある。被災された方々のために私が出来ることは何だろう?と。
震災で多くの大切な命と物がなくなり、悲しみが日本中に渦巻いている真っ最中に、友人の左官職人・挟土秀平氏が「東北には素晴らしい手仕事がいっぱいあったが流されてしまった。職人の高い技術だけでなく、生活の中に崇高な手仕事が生きている地域だったのに」と悔しそうに語っていた。挟土氏が言うように、東北では真冬が農閑期になるため、自分たちの生活道具を作って冬を過ごしていた。暮らしの中で根気よく作られ、連綿と伝え継がれた「なんでもない物たち」。その多くが津波に流され、作り手たちは制作意欲をなくし、まさに貴重な日本の手仕事が、この世から消えゆこうとしている。


職人の手仕事や生き方に深い感銘を受けて、この15年ほど取材を続けてきた私が出来るお手伝いは、彼ら職人を守ることではないのか?彼らの手から生み出された素晴らしい手仕事の品々を多くの人に知らしめることではないのか?そう思いついてから、クライアントへの提案書や企画書に必ず「東北の手仕事」を加えるようにしたのである。私の勝手なる思いがそう簡単にクライアントに通じるわけはなく、一年以上が経過した今年の初夏、やっと思いが実を結んで東北の手仕事を取材させていただけることになった。それが、福島県三島町の伝統的工芸品に指定されている「奥会津編み組細工」である。山ぶどう、ヒロロ、マタタビといった植物の皮を用いて、バッグや籠、ザルなどの生活用品に編まれた物の総称で、素晴らしく繊細で美しい編み目模様と、高いデザイン性、そして丈夫で長持ちすることから、丁寧な生活者たちに絶対的な支持を受けている道具である。


山ぶどうで編まれたバッグ。福島県がルーツと言われている。奥が木の節を生かした乱れ編。手前がきしめん状に割いた山ぶどうの茎を編み込んだもの。モダンな着物姿にピッタリなので、籠ブームですっかり人気商品になっている。


こちらはヒロロ細工。紐状のヒロロが編み込まれていて、まるで布のよう。ヒロロには、生成り色を中心に、薄緑もあれば茶色もあり、それらの色を組み合わせるとなんとも優しいグラデーションになるから不思議だ。


これはマタタビ細工。マタタビは水を含むと膨張するので、米をこぼさず傷つけない。米研ぎザルにピッタリなのだそう。実はこのマタタビ細工の米研ぎザルを昨年末に購入し、年賀状の素材として使用したので、ご覧いただいた方も多いと思う。このマタタビ細工の山を見た時、ついついコーフンしてしまい、クライアントが横にいることをころっと忘れて右往左往。値札と大きさをにらめっこしてしまった。


というわけで、ミイラ取りがミイラになって購入したのがこのザル。いただいたばかりの沖縄の島ニンニクとパッションフルーツをのせてみた。野菜以外にもいろいろ飾ったり使ったりしてみたんだけど、やっぱり野菜が一番似合いました。


使い込むほど飴色に変化し、丈夫になると言われる植物の籠。これらは、もともと売るためではなく、自分たちの生活のために作られたもの。そこに心豊かな生活の循環があった。マタタビ細工の米研ぎザルは、昔の男達がみな親から作り方を教わったという。結婚したら、夫が作って妻に贈るのが習わしだったとか。こうした生活道具の素晴らしさを、なんとか次代へと繋げていきたいなとつくづく思う。プラスチック製の方が安価で扱いも簡単だけど、そこに愛情や思い入れは生まれない。なんでもない物にも生命力を与え、丈夫さだけではなく美しさをも追求する日本の手仕事。それを紹介していくことが、仕事を通じた私の社会貢献になるのではないかと思っている。今回、東北の手仕事を取材させてくださったクライアントR社のOさん、そして私のワガママな企画をアレンジしてくださった代理店N社のKさん。ここで改めてお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。ホントにちっぽけな貢献でしかないのだけど、震災後一年半を経てやっと、役割の一部を果たせたような気になっています。
あ、ところでタイトルに「シャネル」とあるのに、本文には一言もシャネルが出てきませんでしたね〜。この続きはまた後日。シャネルと東北の手仕事の共通点について書きます!