LARMES Column

やばっやばっ、2011が終わっちゃう!【徒然なるお仕事】


そういうわけで、師走らしく毎年恒例のごとくのバタバタ生活を送っておりますっ。一ヶ月前までは「今年の年末、結構余裕じゃん」と思っていたのだけど、蓋を開けてみたら、12月中旬〆切だったはずの原稿のことをころっと忘れていたことに中旬過ぎてから指摘され、以来バタバタライフへと突入したのであった。今月中旬の〆切原稿はなんと7つ。とは言っても、スパンが長い上にどうしても今月中旬じゃなければ!という内容でなかったことが幸いして、心優しきご担当者様が「今月中でいいですよ〜なんなら新年始まってパソコンあけた時に原稿が届いていればいいですよ〜」とおっしゃってくださったので、それに甘えて、今、必死に鋭意制作中というわけ。


もちろんその7つの原稿以外にも、色校正チェックやアップされたwebの確認作業、来年の計画案出さなきゃとか、web用のラフ構成も描かなきゃとか、いろいろあって、いわゆる「お正月迎え」の準備がまったく出来ていない。最近年齢のせいなのか、健忘症かっ?と自分でドキッとすることが多いので(時々家に帰ることさえ忘れそうになるオヤジ化現象もおきてます)、我が家の至る所にはto do listのメモが貼ってある。冒頭の写真は、28日までに絶対に行かなきゃいけない場所が、アテンション代わりに玄関に貼ってあるもの。(なんだ食べて飲むことばっかじゃん、とか言わない!)
あ〜あ、ホントはこんなコラム書いてる場合じゃないのだ。28日までに全部行けるのかな。そしてホントに今年中に今年の仕事終われるのかな、とちょっと不安なのだけど、あとちょっと突っ走ろうと思っています。皆様、街で自転車暴走族を見かけても、お声おかけいただきませんように見逃してくださいませ。よろしくお願いいたします。


スッピンより見られたくない顔とは?【えとせとら】

あ〜あ、またもや、やってしまいました、恥ずかしい失敗。
数日前のこと。その日は終日撮影で、朝一番に我が家近くの大通り沿いでカメラマン車にピックアップしてもらう約束だった。朝早いのが苦手な私は前夜からキンチョーして眠れないため、いつもの寝不足顔で車を待っていた。ほどなくすると見慣れた車がやって来る。朝が早かったこともあり、カメラマンは助手席で薄目を開け、会釈の代わりに左手を上げた。「おはようございま〜す」と低めのトーンで軽く挨拶し、車に乗り込む私。運転手はこれまた馴染みのカメラアシスタント君である。バックミラーごしに私の顔を認めると同時に「うぅ〜っす」と挨拶にならない挨拶で返してくれるのもいつものこと。常と違っていたのは、その後のカメアシ君の仕草である。私の顔を認めてすぐに前を向こうとしたのに、慌てて私を二度見したのである。「???」朝ご飯に食べたおにぎりの海苔の端でも顔についてるのかしらん。その程度にしか思っていなかった私は、走り出した車のシートに身を預けて、流れゆく車窓の風景をぼんやり見つめていた。約1時間後、高速道路のSAに寄ってトイレ休憩した時である。驚愕の事実が判明したのは!


トイレの鏡で自分の顔を見てビックリした。なんと、パウダーをはたいただけの顔で出てきてしまったのである。男性は判りにくいと思うのでご説明申し上げると、メイクの手順としては、1・化粧水をつけて下地クリームを塗った後にファンデーションまたはパウダーを塗って、2・眉やアイシャドウやアイラインで目元まわりを彩り、3・チークや口紅を塗って完成、となる。この日の私は、この手順の1番までしかほどこさず、アイメイクをしないままに出掛けてしまったのだ。つまり大げさに言うと白塗りの状態、というわけ。カメアシ君が二度見したのは「あれ、いつもの近藤さんと違う。眉毛が薄い。目がぼやけてる」と思ったからなのだ。そうなんです、目元周りのメイクをしないと、おそろしく童顔で、ぼや〜っとした顔になってしまうんです。


もうそこからは必死である。バッグに入っている"なにか"でアイメイクの代用品を探さなくてはいけない。ずぼらな私は朝メイクしたら一日中そのままで過ごすので、バッグにメイク用品がまったく入っていないのだ。口紅はもともと塗らないので、あるのはメンタムリップだけ。女性らしいメイクポーチなど持ったことがない。トイレの鏡の前でバッグをひっくり返し、取材道具のペンシルケースを取り出した。いつも使っている水性ボールペンで眉を描くと入れ墨みたいになっちゃうし、皮膚に痕が残ったら大変なのでNG。ボールペンもくっきりハッキリしたイモトアヤコ眉になっちゃうのでNG。ということは、残るはシャープペンしかない。鏡に向かって、シャープペンで眉を描く女を、多くのトイレ休憩女子が異様な目で見ていた。正直言って、痛かったっす。眉は頑張って誤摩化す程度に描けたけど、アイラインはとても無理と判断し、なんとか眉だけ体裁を整えて、いつもの私のメイク顔の半分くらいが出来上がった。ふ〜。これなら白塗りよりまだマシだ。


眉をシャープペンで必死に描いている時、向田邦子のエッセイを思い出した。見知らぬ若い女性からトイレで口紅を貸して欲しいと頼まれる話。ディナーが終わってトイレに立ち、脂のついた口紅をきれいにぬぐって新しく紅をひこうとした女性はバッグに口紅が入っていないことに気づく。偶然そこに居合わせた向田邦子に必死の形相で「口紅を貸して欲しい」と頼む。ところがあまりに必死だったからか、口紅を塗った後のスティックをティッシュでぬぐうことなく、そのまま向田邦子に返し、あわててディナーの席に戻っていったという話だったと思う。その話を思い出したからというわけではないが、見知らぬトイレ休憩女子に「メイク道具を貸してください」と言う勇気はなかった。変に小心者なのである。そして、この時ほど自分のすぼらな性格を呪った日はなかった。


どんな人に道を尋ねますか?【えとせとら】

今日も地下鉄の出口で道を聞かれた。何を隠そうワタクシ、結構な割合で道を尋ねられるのだ。一週間に最低でも2回。多いと一日に数回声を掛けられることだってある。よほどお人好しに見えるのか、あるいは道を知ってそうなのか、はたまた話しかけやすい顔をしているのか。今日のように自分が住んでいる街で尋ねられるのは教えられるからまだいいとして、見知らぬ土地でも声を掛けられることが多々あり、お断りするのが申し訳なくって困ってしまう。数日前も香川県の琴平駅で「金比羅さんへはどう行ったらええかの?」と腰の曲がったおじちゃんに声をかけられ面食らった。私だって行ったことがないんだから教えられるわけがない。仕方がないので駅員さんに行き方を教えてもらって、おじちゃんに説明し直してさしあげた。京都御所の真横で「御所はどこですかね?」と素っ頓狂なことを聞かれたこともあったし、一番遠い所ではパリの北駅で黒人女性に「バルセロナに行きたいけどオーステルリッツ駅への行き方を教えて欲しい」と頼まれたことがあったっけ。もうこうなると、人種や場所を超えて、どこの国のどの地域に行っても、私は他人に道を聞かれる運命にある、ということになる。きっと能天気な顔をしてふらふらと歩いているので、この人だったらヒマそうだし(当たってるけど)、聞いたら教えてくれそう、と思うのでしょうねぇ。


でもねぇ、世の中そんなに甘いもんじゃないんですよね。人相や雰囲気だけで道を尋ねてはいけない、ということを今日は若者にしっかりと教えてやったので、ここで白状しようと思う。今日の夕刻、地下鉄の出口から外に出た途端、いきなり上から声がした。「●●ビルってどこ?」と。私よりはるかに長身の10代後半とおぼしきニキビ面のチャラ男が道を尋ねてきたのである。しかも横にはガールフレンドらしき女の子を連れていて、またその女の子がチャラチャラした格好をしてケータイをいじっている。その言い方、人に物を尋ねる態度じゃないでしょうが。すみません道をお訊ねしますが、と言うべきでしょうが。なんですか、その横にいる彼女は。ケータイいじってるならケータイで行き先を調べればいいでしょうが。と説教する代わりに、意地悪な私は真反対の方角をその少年に教えてやった。「この道をまっすぐこっちに向かって行けば、右側にありますよ」と。


おそらくそのカップルは延々と目的地を探し、行き着かずに怒りまくり、私の顔を思い浮かべながら舌打ちしただろう。でもね。人に何かお願い事する時はそれ相応の態度で臨まないといけないのだ。そして、人が良さそうに見えても、実は意地悪だということもあるのだから、道ゆく人を簡単に信用してはいけないのである。私のように意地悪じゃなかったとしても、その人の知識や見解が正しいとは絶対に言えないのだから。私は目的地がわからなくなっても、道を尋ねる人は冷静にしっかり選ぶようにしている。ヒマそうで能天気に見える人間には決して尋ねないようにしている。ま、スマホが道を教えてくれるから、意地悪な私が道を聞かれることは少なくなると思いますけどね。


臆病風が吹いた夜【えとせとら】


極めて臆病である、と思う。加えてかなりマイナス思考だと思う。とにかく悪い方へ悪い方へと考える癖がある。石橋を叩きすぎて割っちゃうものだから、計画する以前に計画がこけてしまうことさえある。「もし●●●が●●●になったら・・・どないしょ〜」と悲観的な妄想をしてしまうのだ。そんな性格なものだから、待ち合わせ時間に遅れるのが嫌で、ついつい早めに到着して待つはめになるし、飛行機は2時間以上前にチェックイン体制に入ってるし、電車は調べておいた時間よりも一本早いのに乗ってしまう。私の人生の中で「待つ」という時間を全部足していったら、多分一年くらいになっちゃうんじゃないかと時々考えている。


その日は楽しみにしていた神戸のレストラン訪問の日だった。前日から松葉蟹の取材で兵庫県と京都府の日本海側の県境あたりにいた私は、当日の朝6時から漁港取材をし、朝9時にはその日の仕事が終了していた。取材クルーと一緒に朝Macした後、何度も電車を乗り継ぎ、神戸についたのがお昼過ぎ。久しぶりにお会いする作家さんを訪ねたりしていたら、あっという間に約束の時間になっていた。予約がとりにくいスペイン料理レストランとあって、期待値はかなり高まっている。ディナーが始まると、香りの生きた繊細な料理に陶然としつつ、同席した方々との会話とワインですっかりいい気分に。6時過ぎには食事をスタートさせていたので、新幹線の最終には余裕で間に合うつもりでいたのだが・・・。名古屋に帰る新幹線の新神戸最終が22:16。最後のデザートが出たのが21:40。そのお店から新神戸駅はタクシーで約10分。「そろそろタクシー呼んでおかないと間に合わないかも」同席した方の一言で、一瞬にして私に臆病風が吹き始めたのである。
というのも、乗り物に関しては大きなトラウマがある。沖縄から名古屋に戻る飛行機にあやうく乗り遅れそうになったり、福岡から名古屋への飛行機では便を遅らせる失態をやらかしている(いずれも同行者ともども時間の読み間違いが原因)。そんなトラウマもあるので、焦って新幹線に乗るよりも神戸に泊まろうかなと思っていたのだけど、一人で神戸に泊まっても面白くなく、神戸日帰りを選択することになったのだ。
で、件のタクシー。呼んだはずなのに21:50になっても到着しない。急いでいるのでもう一度呼んで欲しいとお願いしたが、このあたりで私の臆病風はマックスにさしかかっていた。ギリギリ新神戸についたとして→漁港で買ったカレイの干物やお泊まりセットを駅に預けてあるので→コインロッカーで荷物をよっこらせと取り出しているうちに→みんなは走って新幹線に飛び乗り→私も走るが先日治ったばかりの肉離れが再発してぶっ転び→私と大きな荷物だけが新神戸に取り残され→みんなは新幹線の窓から私に手を振る→さびしいよ〜怖いよ〜どうするんだよ〜と悲しい妄想は肥大化していった。21:57頃に到着したタクシーに乗り込むと、酔いも手伝ってタクシー内で私が大騒ぎ。運転手さんに急いで!と脅すと、周りの友人たちに「マリコさん騒ぎ過ぎ〜」「間に合うから大丈夫だって〜」となだめられ、そうこうしている内に22:07頃に新神戸駅に到着。コインロッカーの大きな荷物を王子様に持っていただいて小走り。東へ向かう新幹線のホームについたのが22:11くらいだったかしら?「ほらね〜待つ余裕あったでしょ!」と友人たちからは白い目で見つめられた。ふ〜〜〜〜ご一緒くださった皆さま、ごめんなさい。


一番上の写真は、そのレストランで最後にいただいたはずのハーブティー。確かヴェルヴェンヌとレモングラスだったと記憶しているのだけど、味をまったく覚えていない。お茶を飲む頃なんて臆病風が吹きまくって頭はテンパッていたので味わう余裕などなかったのである。冒頭に、臆病がゆえ人生において「待つ」時間を足したら一年くらいになるのでは?と書いたが、ここで加筆修正しておこう。臆病がゆえ人生において「ビビる」時間を足していったら、少なく見積もっても三年くらいにはなると思われる。


10月の顔見世、棒しばりの思い出【伝統芸能の継承者たち】


コラムアップがされてないけど生きてるのかっ???と心優しいメールをくださった皆様、しっかりしぶとく生きてます。日々のあれこれについて、twitterやfacebookに書くようになったからか、なかなかコラムの長文を書く余裕がない日々。ま、ただ単になまけ癖がついちゃっただけなんですけどがっっっ。そして今回のテーマがこれまた一ヶ月以上前のネタ、名古屋御園座の秋の顔見世でございます。ネタ古すぎじゃね?というツッコミ承知でアップするど〜。
というわけで行ってまいりました。楽しみにしていた顔見世・夜の部は、私が大好きな演目ばかり。濡髪長五郎、棒しばり、助六由縁江戸桜。有名な外題なので皆さんもよくご存知のストーリー。わかっているはすなのに、お涙頂戴の場面ではうるうるしたり、面白い場面ではおなかの底から笑ったりできるのだから、芸能というのは本当に不思議な力があるものだ。水戸黄門が印籠を出す瞬間の面白さと同じなのかな。結末がわかっているがゆえの安心感みたいなもの。観客が結末を知っていることを理解した上で、いかに演じるかというわけなのだから、演者さんのご苦労やご努力は相当のものなんでしょうね。



市川家の助六とあって、
お決まりの浄瑠璃・河東節も登場。
知人がお三味線で参加していました。


さて、今回はあのお騒がせエビ様が舞台復帰されるということで、会場にはエビ様ファンがつめかけていたが、今回の演目ではあくまでも端役としての扱いであったエビ様。中でも棒しばりでは、お酒好きが主人の留守に酔っぱらって粗相をはたらく内容だったので、ほくそ笑んで舞台を観ていたご仁も多かったのではないかと思う。太郎冠者と次郎冠者を三津五郎さんとエビ様が演じられたのである。円熟味を増した三津五郎さんと元気旺盛のエビ様の好対照で面白く舞台を拝見していたが、私が今までに観た中で一番印象的だったのは、もう10年ほど前に橋之助さんが演じられた棒しばりだった。


棒しばりは、主人が留守をする間にお酒好きの太郎冠者と次郎冠者がお酒を盗み飲みすることを心配して、手が使えないように棒にしばりつけられる話である。実際に主人が出掛けてしまうと、二人はしめしあわせてお酒を飲み、大酔っぱらいになるのだが、棒にしばられたまま踊る姿が実に滑稽である。橋之助さんは、しばられる前に棒を使って舞うシーンのところで、なんと誤って手をすべらせ、棒を落としてしまわれたのだ。目の前で観ていたわたしたちは一瞬ひやっとした。会場はし〜んと静まり返る。ところが、である。橋之助さんは一言も発することなく、すぐに棒をひろってアドリブの舞いをはじめた。自分が手をすべらしたわけではなく、この棒が勝手に自分の手から離れたがって踊って行ってしまった。聞き分けのない棒よ、自分の手にきちんとおさまっていなさい。と棒に語りかけているのが、舞いから理解できたのだ。会場はわれんばかりの拍手。成駒屋!の掛け声があちこちからかかり、舞いはそのまま次の段へと進んでいった。


私が個人的に橋之助さんのファンであることは、まぁおいといて。橋之助さんのアドリブは、ただ機転がきいていたというだけではなかったように思う。心から芸を愛する人の舞台は、そこにどんな逆境が待ち受けていても、必ず人を魅了するものなんだなぁと実感したわけであります。親から受け継いだものだから仕方なくやっている人と、芸が好きで好きで仕方がないという人では、やっぱり観る方にも心根が伝わってくるんですね。多分、これから何度も観ることになるであろう「棒しばり」、私の中でダントツ一位はおそらく10年前の橋之助さんがその座を譲ることはないだろうと思う。


保存食にぞっこん【今日のエコ】


これ、みょうがのお漬け物です。あざやかでしょ〜、綺麗でしょ〜。とある企業広報誌のお仕事で、料理家・ワタナベマキさんとご一緒させていただいており、このメニューはワタナベマキさんがお得意とする保存食のひとつなのだ(みょうがは夏号の時のメニューなのですでに半年以上前に掲載したモノだけど)。ワタナベマキさんは、おばあさまが料理教室を主宰していらっしゃったこともあり、小さい頃から料理が身近で、いわゆる「おばあちゃんの味」とか「おばあちゃんの食の知恵」みたいなものを現代の料理として蘇らせることがとてもお得意。どこの家庭にもあるごく一般的な食材を用いて、心がほっこりするようなメニューを次々と生み出されている。グラフィックデザイナーとして活躍された後に料理家となられたこともあって、盛りつけとか色合いが、決して華やかではないのだけどとてもシックでセンスが良い。ワタナベマキさんのお名前は勿論存じ上げていたし、雑誌に載っていたメニュー(確か野菜のペーストだったと思う)を作ってしばらく凝っていたこともあった私。だけれども、雑誌で拝見するのと、実際にお会いして目の前でお料理を作っていただくのとは、印象がまったく違うのだ。ほっこりしたお献立を作る人は、やっぱりお人柄もほっこりされている。はじめてお会いしたのが3月で、2度目にお会いした時にはもう料理撮影だったのだけど、2度目ですでに何度もお会いしたことがあるような気になってしまう、そんな方なのだ。


こちらは、みょうがのお漬け物を使った「みょうがのちらし寿司」。毎回ワタナベマキさんの保存食と、その保存食を応用した一品を紹介するというのが趣旨となっており、読者よりも一足お先にワタナベマキさんの保存食にぞっこんになっている今日この頃なのである。なぜぞっこんかと言うと・・・答えは簡単で、ワタナベマキさんの保存食はそのままお酒のおつまみになる、そして作り方が極めて簡単なのだ。冷蔵庫に保存食が数種類あれば、帰宅して数秒後にはプシュ〜と缶ビールを開けて、同時におつまみを並べることが出来るというワケ。保存食と野菜やお肉や炭水化物を組み合わせれば、大げさではなく本当に無限大にメニューが広がる。一人暮らしで食事の予定が不規則になりがちな私のような生活者にはピッタリの保存食と言える。ワタナベマキさんの保存食を食生活に取り入れて以来、私の周りのアラフォー独身一人暮らしの女子たちに「アナタたち、保存食作って冷蔵庫に入れておけば楽でいいわよ!」と上から目線で教えたつもりになってたけど、ネタを明かせば実はワタナベマキさんのレシピだったのだ。家族の健康を預かるママたちにとっても、きっと大助かりの保存食なのではないかしら。というわけで、ワタナベマキさんの保存食や献立にご興味がおありの方は、KORYUのwebにアクセスいただき、「ワタナベマキさんの愉しい食膳」をご覧くださいまし。毎月新しい保存食と応用メニューが更新されております。


和紙の力【伝統工芸の職人たち】


みなさ〜ん、マスキングテープってご存知ですよね。読んで字のごとく、何かを覆い隠すために使うテープのことで、資材を塗装する時に塗装しない部分を保護したり、建築資材の角っこなどが傷つかないように貼ったりする物である。粘着力がきちんとあるのにはがしても跡が残らないので、何かと便利なテープであり、最近ではプリント柄のマスキングテープが市販されていて、封筒のとじ目に貼ったりする女子的使い方がちらほら紹介されているようだ。
私は女子的使い方はあんまりしていないのだけど、陶器の金継ぎを趣味にしているので、金継ぎをする時にマスキングテープは欠かせないアイテムである。欠けたお茶碗を漆で直す時に、漆で汚れたり紙やすりでこすっても傷つかないように、健全な部分をマスキングテープで覆って守るのである。手でちぎれ、まっすぐのラインもR型のラインも自由自在に形づくれるマスキングテープは、手仕事をする人にとっては本当にスグレモノの道具なのだ。


と、マスキングテープをこよなく愛している私なのだが、実はマスキングテープの素材が「和紙」であることを、つい最近はじめて知ったのである。和紙を扱う環境で生まれ育ったというのに、なんちゅう不覚・・・。なんでも、マスキングテープは自動車塗装の現場で塗装をはがさずに保護するための物として開発されたらしい。日本では海外のマスキングテープに発想を得て、1918〜1938年の間に塗装と火薬包装用に和紙を用いたマスキングテープが生まれ、以後、和紙の使い勝手の良さから、世界中のマスキングテープに和紙が導入されるようになったのだそうだ。びっくり。和紙独特の柔らかさと薄さ、そして耐久性が成し得た商品なのだろう。


「マスキングテープは和紙でできているのよ」と教えてくださったのは、今お仕事でご一緒しているグラフィック&テキスタイルデザイナーのセキユリヲさん。セキさんは「天然生活」で”北欧の手づくり春夏秋冬”を連載されている。現在発売中の天然生活12月号には創刊8周年記念として、セキユリヲさんデザインのマスキングテープが特別付録になっているのである。それが一番上の写真。セキさんのテープ使ってますよ〜と私が話したところ、セキさんが和紙素材であることを教えてくれた。左上の写真は、セキさんのマスキングテープの私流使い方。一日の"to do list"と、現在抱えている原稿や仕事について、毎日メモしてmacに貼るのがクセになっていて、今までは生成り色の何の変哲もないテープを使っていたのだけど、ここのところセキさんデザインのテープが取って代わった。こうしてmacに貼っても違和感なくおさまるのは、和紙の優しさと幾何学模様のデザイン(編み図がデザインされている)が効いているのかな。数回は使い回しが出来るので、かなりのエコになる。「こんな薄いテープに印刷する技術はすごい、この印刷技術があるから最近は模様入りのテープが商品になってるんですね」と私が話すと、セキさんは「いやいや、印刷技術の前に、このテープに模様を入れちゃおうと発想したデザイナーがすごいのよ」と。確かに。無地から模様が入ったことで、マスキングテープは工業用製品から文房具・雑貨としての性格を持つことができたのだから。古くて伝統のあるモノに新しい発想とデザインを加えていけば、日本のプロダクツはもっと良くなる。この和紙の力のように、日本にはまだまだ素敵なものがいっぱいあるのだ。都会ではなくて地方にね。


レストランにおける隣人愛について【えとせとら】

 昔々のお話。実家の一本北の道にカトリック教会があったので(今でもあるけど)、小学3年生の頃、ただ単なる憧れと興味だけで友人と一緒に日曜ミサに出掛けていた時期があった。賛美歌を歌ったり、聖書の中に出てくるいろんなお話について神父さんからお話を聞いたりしていたが、その中の言葉で「汝の隣人を愛せよ」というのが子供心に引っかかってならなかったことを覚えている。なんで隣にいるというだけの人を愛さなければならないのか?もちろんカトリックの教えには深い意味があったはずなんだけど、先日2軒のレストランにて余りに隣人(隣席)に恵まれないことがあったので、大人になって改めて、隣人を愛することとは一体なんぞや?と考えてしまった。
 ひとつ目のお店は数ヶ月前のこと。名古屋のイタリアンで予約がとれないことで有名なお店(イニシャルだけで絶対に分かってしまうので店名は伏せますね)にて友人たちとディナーを楽しんでいた。女子4人で食事とワインを楽しんでいる私たちの隣に、20代と思われるカップルがやって来た。
男「予約には苦労したんだよ。何回もトライしてやっととれたんだ!」女「一度は来たいって思ってたお店なの、◎◎さんホントにありがとう♥嬉しいわ!」という会話から想像するに二人はまだ交際しておらず、男性の雰囲気からして、予約困難店でのディナーで「キメてやるぜ」みたいな匂いがぷんぷん漂っていた。2皿目のアンティパストが終わった頃、パスタ好きらしい男性は「パスタって大盛りにできますか?」とお店の人に聞いていた。ううむ、パスタハウスじゃないんだから大盛りはないでしょ〜?と、このあたりから私たちは耳ダンボ。相手の女性も目が点になっているところを見ると、彼女の方がレストランには慣れているみたいだ。お店からさりげなく大盛りを断られた後に、件のパスタが運ばれてきた。そして次の瞬間である。男性はズルズルズルズルズルッ!とけたたましいすすり音をたてて、パスタを召し上がったのだ。いや、喰らったという表現の方が正しいかもしれない。私たちも周りのお客さまも、そしてお店のスタッフも、そこに居合わせたすべての人の動きが一瞬にしてフリーズした。目の前にいる女性は、驚きを通り越してすでに怒りの形相に変わっていた。男性は、パスタがお皿からなくなるまで、一心不乱に音をたてた。それからである。女性はほとんど話をせず黙って料理を食べ、男性はなぜ女性が不機嫌になったのかがわからず困り果てたまま、ほどなくするとディナーが終わった。男性が会計を済ませている間に女性はすっくと席をたち、一言のお礼も言わないまま、さっさとお店を立ち去ってしまったのである。手に汗にぎる、すごいドラマを真横で見た夜だった。
●さて、ふたつ目のお話は私が大好きな東京のフレンチレストランでのこと。私たちの隣人は家族連れだった。40代の歯科開業医とその妻、中学生くらいのお嬢さんの3人で、どうやらご夫婦の結婚20周年記念ディナーだったようだ。なぜここまで詳しい情報を私が知っているかというと・・・この夜の隣人は極めて声が甲高くて大きく、ビックリするほどのおしゃべり好きだったのだ。ご主人の病院で事務を手伝っている奥さんは、娘のPTAの役員にもなっていて、ママ友との付き合いに苦労していること。病院事務の古株であるおばさんと仲がよろしくないこと。そろそろ娘の受験体制を整えなければいけないことなど、息つくヒマなく(マジでお食事は口に入っているのか?と思うほど)しゃべり続けている。気が短い私は何度もキレそうになった。「ねぇ奥さん、お金持ちのアナタにとっては、いつでも来られるレストランかもしれないけど、わたしゃわざわざ名古屋から新幹線に乗って来ているんだし、美味しいお食事とワインとフレンチレストランならではの優雅な時間を楽しみたいんだよっ。お願いだから、アナタの娘の受験や塾の話、ママ友や病院のおばさんの話を、まったく関係のない私に聞かさないでくださいっ!ここでは非日常を味わいましょうよ。もしくは、どうしても話したいなら、もっと小さい声で話してっ!(←妄想)」と言えたなら良かったんだけど、意外にもチキンハートなものでして、結局言えないまま、前述の妄想劇を想像しつつ我慢して時を過ごしていた。せっかくの美味しいお食事も残念ながら半分くらいはイメージダウンしてしまった。この奥さんのように周りがまったく見えなくなるタイプは、同性を悪くは言いたくないが、一般的に男性よりも女性の方が多いような気がする。私も他人からそう思われないように、気をつけなくっちゃですね、ホントに。
 それにしても、今回のコラムは完全に私のぼやきになってしまった。読んでくださった方、どうもありがとうございました。そして奇しくも今月は、上記の2軒、どちらのお店にも再訪予定となっている。はてさて、今度、私は隣人を愛せるだろうか。


黄金の国【今日の地球】


滋賀県の某所にて、稲穂が揺れる様を車の中から眺めていて、15年ほど前にあるイタリア人と交わした会話がふと蘇ってきた。F1日本グランプリが鈴鹿サーキットで行われた時だから、ちょうど10月だったはずだ。当時ルマン24時間耐久レースの取材に行っていた関係で、毎年F1日本グランプリの時はヨーロッパからレーシングジャーナリストやカージャーナリストのアテンドが入っていたのである。マウロさんというイタリア人一行とはルマンで何度も会っていたので、名古屋空港(当時はまだ小牧だった)までお迎えに行き、そのままレンタカーで鈴鹿までご一緒することになった。行く道すがら、見えてくるのは田んぼである。車が愛知県から三重県に入った頃から、稲穂の実りが進んでいて、大きな頭を垂らし、今か今かと収穫の時を待っていた。


日本に来たのが初めてだったマウロさんは、パチンコ店の派手な外観に驚き、コンパクトな日本車が田舎道をすいすいと走る様を見て喜んでいたが、田んぼの稲穂を見ると驚愕の声をあげた。「この黄金に輝くのは何だ?」と。それは稲穂で日本人が主食にしているお米がもうすぐ実るんですよ、と説明すると、マウロさんは再び甲高い声をあげて騒ぎ始めたのである。彼いわく「世の中に美しい植物はたくさんあるけれど、こんな風に黄金に輝く植物を見たのは初めてだ。さらにその黄金が日本人の主食となるお米だと知って感激した。日本人は黄金をおなかに入れているのか!なんて美しい、なんて素晴らしい!!!」と。マウロさんがあまりに興奮しているので少々困惑しながらも、見慣れてしまった風景を改めて見ると、確かにそこには風にたなびいて揺れる黄金があった。日本がジパング(黄金の国)と言われたのは、マルコポーロが中尊寺金色堂の話を聞いたからではなく、もしかしたら稲穂が一面黄金になった風景を伝え聞いたからではないんだろうか。
以来、この時期になると、黄金の田んぼを見てはマウロさんの言葉を思い出すようになった。経済も外交も円も株も震災復興も、なんだかすべて先が見えない毎日で、日本は黄金の国なんだ、などととても言えない状況ではあるけれど、せめてこの黄金が毎年変わらない風景として、子供たちの記憶に留まってくれますように。ただひたすら祈るばかりである。


"職人という生き方"展 芝パークホテル【伝統工芸の職人たち】


かろうじて文章を生業にしている私にとって、最も心躍る表現対象のひとつは「職人」である。小さい頃から古いモノに囲まれて育ったということも手伝ってか、職人の手仕事が大好きだ。繊細で美しい手仕事の品を暮らしの中で使うことにこの上ない幸せを感じている。30歳を過ぎた頃から、陶器や漆器といった伝統工芸品の作り手、大工や左官や庭師といった職人にインタビューさせていただく機会が増え、職人の苦悩と喜びに触れる度に、その生き方や感受性に感銘を受けてきた。そして日本から消えゆこうとしている職人の未来を憂い、美しい手仕事を日本に残していきたいと願うようになったのである。そんな思いを抱いている私に、嬉しい出逢いがあった。あるアートフェアで同級生の造形作家との縁でご紹介を受けたギャラリー「羽黒洞」さんである。羽黒洞の木村泰子さんとそのご主人でカメラマンである富野さんも私と同じ思いを持っていらっしゃり、さらに日本の職人の手仕事を残していくために積極的な活動をおこなっている「ニッポンのワザドットコム」の木下社長をご紹介くださった。前置きがすっかり長くなってしまったけど、今回ご紹介するのは「ニッポンのワザドットコム」プレゼンツの「職人という生き方」展である。


日本の職人の手仕事を紹介するために企画された"職人という生き方"展は、芝パークホテル別館の「掌」及び「バーフィフティーン」にて今回でvol.2。前回は江戸切子で、今回が江戸小紋である。小さく繊細で美しい模様が連続して成る江戸小紋の作品と、職人の仕事風景が写真で展示され、廣瀬染工場四代目・廣瀬雄一さんと、伝統工芸士・岩下江美佳さんによる反物や小物の販売もされている。さらにバーフィフティーンでは、江戸小紋×オリジナルカクテルということで、小紋をまとったカクテルグラスが登場する。
初日の10月3日にはレセプションがおこなわれ、偶然私も東京滞在中だったのでお邪魔して、作家の岩下さんやニッポンのワザドットコムの木下社長ともお会いすることができた。この時の様子をデジカメにおさめたはずなのに、なぜだかデジカメ紛失中なのでここにアップできないのがひたすら残念(泣)。なぜなら粋なお着物姿の方々が多くいらっしゃっていて、それをちゃんと撮影したはずだったからだ、ぐすん。羽黒洞の木村泰子さんのそれは素敵なお着物姿もおさめてるんだけどなぁ。
それにしても、共通の思いを持った方にはどこかで必ず出逢うことができるということを今回は実感したことになる。実はここのところ、もっと丁寧に気持をこめて仕事に向かいたいのにそれが許されない状況が続いたりして、仕事上で結構凹んだりしていた。職人という生き方にもっとこだわってものづくりをしていきたい、そう思っていた矢先での出逢いだったので、なおさら嬉しかったのだと思う。羽黒洞の木村さんとカメラマンの富野さんとの縁を導いてくれた、造形作家の井戸えりさんと大野泰雄さんには深く感謝深謝。


というわけで、年末まで開催されている「職人という生き方」展に、ぜひお出掛けくださいましね。
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芝パークホテル別館1階 17:00〜23:30 入場無料
10月3日月曜日〜12月26日月曜日

※土日祝定休、臨時休業ありですので、ご留意ください。
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