今日の地球

おもしろきかな、加齢現象【今日の地球】


春の乾燥シーズン、今年はすっかり肌をやられた。ある日、いきなり眼の下にシワができていた。注射でも打たなければ抗えそうにない。そりゃそうだ。自分の年齢を考えれば当たり前の現象である。そんな私にやってきた新たな現象とは・・・なんとビックリの面相の変化である。
ある朝、鏡を見てビックリした。両目ともにくっきり二重まぶたが私の眼の特徴だったのだが・・・なんとその朝は両目ともに"隠れ二重"に変化していたのである。こんなことってあるんですねぇ、もうビックリ。そこで、隠れ二重になって2日目の暴風雨の夜にご一緒したA先生に聞いてみた。「ある日突然くっきり二重まぶたが隠れ二重になることってあるんですか?」と。するとA先生は笑いながら「あ、それはヒアルロン酸不足ですよ、歳とるとあることですよ」とアッサリバッサリ答えてくださった。ひゃ〜、つまりこれは加齢現象なんですと!
かつてのくっきり二重まぶたは、腫れぼったく見えるし、なにより眠そうに見えるのが気になっていたところなのだけど、いきなり隠れ二重になっちゃうと、それはそれで困ったもので、まずなにより困ったのがアイメイク。アイラインの引き方とか、アイシャドウの塗り方とかがわからなくなってしまうのだ。
なかなか隠れ二重に慣れないな〜と思っていたら、今日は右目だけが元通りのくっきり二重になって、左目が隠れ二重。どうなっていくんだろう?私のまぶた?もしかしたら明日は以前のくっきり二重に両目とも戻っているかもしれない。それにしても、日によって面相がころころ変わるなんて、加齢現象とはかくもおもしろきものである。


青森で虹を見た【今日の地球】


今まで少なくとも百回以上は飛行機に搭乗している私。今日、生まれて初めて青森に降り立った。ちょっと大げさかもしれないけど、世界中の雲上の風景をイヤというほど見てきた。けれど、今朝の飛行機から見た雲は、今までのどんな所のものとも違っていて、窓の外から目を離すことができなかった。新潟上空を過ぎたあたりから北上するに従って、雲の景色が変わっていったのである。果てしなく広がる雲は、綿菓子のように柔らかく輪郭がなくてふわふわしていたし、青空はこれ以上でもこれ以下でもない澄んだ浅葱色をしていた。絵本に出てくるような、おとぎの国の雲で、ずっと見ていても飽きない風景だった。綿菓子の間を抜けて機体が地上に近づくと、今度は今が盛りの紅葉が一面に広がっている。青森の風景は、雲の上も下も、なんて美しいんだろう。東北への畏敬の念が私の目のフィルターとなって、風景を美しく見せているのだろうかとさえ思った。そして空港から町中に向かう途中、今度は綺麗なアーチ型の虹が田園にかかっているではないですか!その美しさは今でも目にしっかりと焼きついている。(うまく撮れなかったけど、写真はその虹を車中から撮影したもの)

東北の手仕事への思いは、今までに何度もコラムで書いてきた。そして今日、弘前の人と直に触れ合って、改めて東北人の人柄の良さに心を打たれることになった。純粋な笑顔と瞳がとても印象的で、ところが、ふっとした時に見せる影の表情は、どこか諦観の念を感じさせるものだった。その諦観は、やがてやって来る厳しい冬への準備なのだろうか。自然が厳しい地域の人独特の表情だった。少し恥ずかしそうに津軽弁で語ってくれた、あの瞳が忘れられない。
午後から夕暮れまで屋内で取材し、すぐに電車に乗り込んで次の目的地に向かってしまったため、弘前城も洋館も街並も、何も見る事はできなかったけど、あの雲上の風景と綺麗な虹のこと、そして澄んだ瞳の人々のことは、多分ずっと忘れることはないと思う。いつかきっと、東北をゆっくり旅したいと思った。旅に出ている最中なのに旅情に誘われるなんて、おかしな話だけど。明日は山形へ。さて、今度はどんな出逢いがあるだろうか。


ひげにんにくは、若者のかほり【今日の地球】


半月ほど前のある日、帰宅すると玄関のドアノブに「荷物」が引っかかっていた。これはお隣の由美さんとモノのやりとりをする時の常套手段なので、てっきりお隣さんかと思いきや、それは、FM愛知のパーソナリティー川本えこさんがわざわざ届けてくれたモノだった(ちなみに1Fのエントランスは住民と一緒に入ってこれたそう)。紙風呂敷に包まれたソレは、なんとはじめて見る「ひげにんにく」なるもの。一見するとフツウのにんにくに見えちゃうんだけど、これは発芽した直後に収穫されたモノらしく、名前についている"ひげ"は根っこのもじゃもじゃ部分というわけ。今までは主に四国で生産されていたそうだが、えこさんが親善大使を務める愛知県設楽町の農家さんが正式に生産をスタートさせたので、えこさんが「食べてみて〜」と持ってきてくださったという経緯である。このひげにんにく、匂いはごくフツウのにんにくと同じく香しいのだけど、成長途中だけあって、1〜2個食べた程度では匂いが残らないらしい(個人差ありとのこと)。むしろ大人のにんにくよりも甘みがあるので「にんにくは苦手なの」という紳士淑女にもオススメできそうなのだ。さらに発芽したばかりということは生命力に満ちあふれているということなので、きっと滋養強壮のにんにくパワーも強いんじゃないかな←これは単なる私の予想です。


そんなわけで早速作ってみたのがコレ。根の部分をスライスしてオリーブオイルで炒め、茎とひげの部分もさっと加熱して、ご飯の上に盛りまして、上から伊勢醤油をたらり。さらにフライパンに残ったオリーブオイルを熱めにして上からジャ〜ってかけたもの。


一番ビックリしたのは、ひげの食感だった。素揚げ状態だったのでパリパリになり、ほんのりにんにくの香りもして、上品なトッピングになったのである。さらに上からコリアンダーをみじん切りにして乗っけてみたらば、我ながら美味しかったです〜。


これは友人たちが突然ご飯を食べに遊びに来てくれた時に突発的に作ったメニュー(写真がぶれているのはカメラのせいではなくお酒のせいです、しかも食べかけ写真)。鰹のタタキ、コリアンダー風味。トッピングに、ひげにんにくの素揚げを部位別に食べてみたところ、この時期の繊細な鰹の風味とひげにんにくの上品さがピッタリの調和となって、女子3人で半身の鰹をぺろりとたいらげてしまった(内1名はなんと鰹苦手だったのに!)


発芽したばかりのにんにくは、人間に例えるなら、社会に出て少し経った25歳の青年といったところでしょうか←あくまでも男性での例えです。25歳の青年が醸し出す、まぶしいほどの躍動感、みなぎる生命力。その爽やかな笑顔は印象的ではあるものの、幾日もひきずるほどの執着はない。ひげにんにくってこんな野菜です←どんな説明やっ!


えこさんからいただいたひげにんにくは、実験的に現在冷凍庫で眠っている。あと半月くらいは解凍して調理できると思うので、試してみたい方はどうぞ遊びに来てください。また、ひげにんにくに興味のある方は、下記までお問い合わせを(農家さんは朝が早いので、夜半遅いお電話などはご遠慮くださいますよう)。
ひげにんにく生産者の村松 均さん
愛知県北設楽郡設楽町津具字踊場243
TEL:090-2777-2790


おまけ★最近のお気に入りのフルーツ酢も飲みに来てください〜。これをビールで割って飲むカクテルは、フルーツビールみたいになって美味しいです。炭酸水で割っても美味しい。今日現在、ピンクグレープフルーツ・枇杷・イチジクが漬けてありますが、残りわずか!この夏はフルーツ酢をいろいろ漬けて楽しむ予定です。


花を摘んで愛で、葉を摘んで食す【今日の地球】


黄金週間まっただ中、皆様いかがお過ごしですか?私はと言えば、知人宅や実家を彷徨い歩き美味しいものをつまみながら、その合間にちょこっと仕事する、みたいな能天気な日々を過ごしている。仕事のメールや電話もさすがに連休中はほとんど入らないので、安心してお昼からお酒を楽しめるというわけ。ところが、お昼からお酒をいただくと、真昼の太陽の眩しさに慣れていないからか、脳と体がついていかず、妙に酔っぱらってしまうのは私だけだろうか。


連休の最初にお邪魔したのは、O先生の山荘。名古屋市の中心部から車を走らせて1,5時間ほどで、ビックリするほど冷涼な場所に辿り着く。山と川を見晴らすように建てられた山荘は、O先生のお仲間が時々ワイン会を開催するための広いリビングがあり、地下のセラーには何十年もかけて集められた銘醸ワインがたんまり。むふふ。


この日のメインは、ラクレット。フランス・サヴォワ地方の名物料理で、溶かしたチーズをふかしたじゃがいもや野菜やパンと一緒に食べる。山荘でいただくにはピッタリのおもてなし料理だ。

この日のメインは、ラクレット。フランス・サヴォワ地方の名物料理で、溶かしたチーズをふかしたじゃがいもや野菜やパンと一緒に食べる。山荘でいただくにはピッタリのおもてなし料理だ。

O先生の山荘の真ん前を流れる川に、ずっと動かない釣り人がいる、と思い込んでいたら、なんと案山子でした。それにしてもよく出来てるな〜。ビール缶まで置いてあって芸が細かい。

O先生の山荘の真ん前を流れる川に、ずっと動かない釣り人がいる、と思い込んでいたら、なんと案山子でした。それにしてもよく出来てるな〜。ビール缶まで置いてあって芸が細かい。

川をお散歩して酔いを覚ましてきたら?とO先生の奥様にうながされ、お散歩しているうちに、レンゲを発見。小さい頃の想い出が重なり合って夢中になって摘んでしまった。お友達と、レンゲで王冠つくって楽しんだっけ。

川をお散歩して酔いを覚ましてきたら?とO先生の奥様にうながされ、お散歩しているうちに、レンゲを発見。小さい頃の想い出が重なり合って夢中になって摘んでしまった。お友達と、レンゲで王冠つくって楽しんだっけ。

O先生の山荘には常滑焼の山田常山さんの作品がずらりと並んでいるので、レンゲは常山さんの花器(絵夢さん時代の作品)をお借りして生けてみた。こうして野の花を摘んで、家で生けて愛でるという暮らし、いいですね。我が家じゃ、お花はお花屋さんで買うもの。野花が欲しい時は、野花を扱う遠くのお花屋さんまで地下鉄に乗っていかなきゃいけないんです。


そしてこちらは、由美子さんちで開催されたガーデンパーティーのひとこま。祖父江由美子さんは、色彩学の先生でありカラーアナリスト。暮らしを楽しむことにかけては、ご主人ともどもエキスパートと言ってもいいくらい素敵な毎日を送っていらっしゃる。


これが由美子さんちのお庭にあるピザ窯の全景、なんと手作り窯。
レンガで蓋をして、パンを焼いている最中。
ちゃんと温度管理もできて、煙突もくっついていて、本格窯です!
この立派な窯で焼かれたのは、パン、ハム、ピザ、お肉、etc・・・。
日差しを浴びながらいただくワインと共に、絶品ガーデングルメでした。


ご主人ご自慢のローストビーフに〜

ご主人ご自慢のローストビーフに〜

鯛の塩釜焼きに〜

鯛の塩釜焼きに〜

パリ薄で美味しいピザ♪

パリ薄で美味しいピザ♪

そしてこれがご主人特製の天ぷら。なんと、お庭の柿の木の若葉を揚げたものなんだそう!はじめて食べたのだけど、やわらかくて風味があって、滋養に満ちた感じのする味わいだった。そういえば柿の葉寿司というのがあるくらいだから、天ぷらもアリなんでしょうね。ふうううううむ。それにしても、お庭で採れた葉っぱを天ぷらにするなんて!なんて贅沢な話なんでしょう。私の日常はコンクリートに囲まれていて、家の中で向かうのはパソコン。取材や撮影で外に出掛けてはいるけど、自然はいつも取材か撮影の対象で、それを愛でるとか楽しむという余裕がないまま仕事に没頭している。窓から山や川が見えること、お庭にお花が咲くということが、こんなに心に美味しいものだなんて。この連休で、そんな暮らしをかいま見てたら、なんだか仕事を辞めたくなっちゃいました。いけない妄想・・・・・。O先生ご夫妻、そして由美子さんご夫妻、美味しいものいっぱいご馳走になり、ありがとうございました。私の現実逃避が始まらないよう、また呼んでください!(爆)


桜のマナー 花見から着物まで【今日の地球】


関東から南の地域では、お花見も今夜が終焉のころ。四月に入っても肌寒い日が続いたので、今年のお花見はいかに?と心配される声が多かったが、人間の想像力をはるかに超えたところで、今年も桜はちゃんと花を咲かせ、日本人の心をぎゅっと鷲掴みにして散りゆこうとしている。見事なものです、ホントに。かく言う私も先週は土日の両日にお花見を楽しみ、我が家のベランダに生けた桜を見ながら一人酒で乾杯したり、実家の窓から見える桜を額縁庭園のごとく楽しんだり。「お花見寒いから苦手〜」と天の邪鬼なことを言いつつもちゃっかり堪能させてもらった。


さて、コラムのテーマは「桜のマナー」。歳を重ねると読み書きしているうちにいろいろな知識がついたり、諸先輩が教えてくださったりするので、妙に知恵がついてしまった。行く先々で「あら、あの若い子、あんなことしてるわ」とか「まったくマナーを知らないんだから〜」と、他人の行動が気になって仕方がなかった。これって、いわゆる中年女性の特徴そのものですよね。すみませぬ。


まずはお花見の方のマナー。桜の木の真下にブルーシートを敷いてお弁当やお酒をいただくこと→もうこの時点でアウト、なのだそうだ。京都の桜守・佐野藤右衛門さんによると、ブルーシートで覆うことで桜の根っこの呼吸を一時的に止めてしまうのだとか。ブルーシートに長く覆われると桜は呼吸困難に陥り、元気をなくしてしまう。では地面にお弁当を広げる時はどうしたらいいかというと、昔から用いられているゴザなど通気性の良い物を使うべきなのだそう。さらに、女性のハイヒールも厳禁。地面には桜の若芽が顔を出しているはず。それをハイヒールのとがった先でへし折ってしまうからだ。先週のお花見では、ブルーシートを広げて大騒ぎしている団体さんや、カレシと腕を組んでうっとりしているハイヒール姿の女性を多く見掛けた。いちいち注意してたら、ただの迷惑おばさんになりかねないのでぐっと我慢し、自分のコラムでこうして吐露して発散することにした。


お着物の方のマナーは人によっておっしゃることが違うのだけど、私が信頼している着物屋の女将から教えてもらったマナーを記しておく。桜の花びら模様は一年中着ても問題はないが、桜模様の場合は、3月初旬から桜が咲く前まで着ることが許されているというマナーだ。つまり、花びらだけなら模様として認識されるけど、花模様は着る時期を限定してしまうというわけ。自然の美しさにはどんなに高価な着物も作家物も叶わないので、本物の桜が咲いている時は[偽物の桜]は遠慮するべきだ、という考え方らしい。「最近はそういうマナーを知らずに、桜の時期に桜模様を着ている人が多いんだけどね〜」と女将はちょっと残念そうに教えてくれた。


この桜模様のマナーは、自然への敬意を表す日本人ならではのセンスだなぁと感心しながら、同時に、他の花ではここまで細かなことをとやかく言われないのではないかとも思う。一年でたった一週間ほどしか咲かない桜。この花への深い憧憬が、多くの芸術だけでなく、マナーをも生み出したのだろう。と、ここまでコラムを書いていて、お恥ずかしいことにハッと気づいたことがある。バッグにいつも持ち歩く懐紙の模様が確か桜のままだったのだ。こりゃいけない!桜マナーにのっとって、明日、早速カキツバタ模様の懐紙に入れ替えておかなくっちゃ。どこかの中年女性に咎められないようにね・・・。


ナレーター原稿 with VoiceVoice【今日の地球】

2011年はfacebookを始めたこともあり、本当に多くの方と知り合えた一年だった。友人の友人ということで最初の垣根が取っ払われたり、コメントの書き方などから感性をうかがい知ることができたりして、会って話すのとはまた違った側面からその人となりに触れることができた。今日ご紹介するお二方は、コピーライター・モリケンさんとのご縁でお会いした方々。
モリケンさん主催のパーティーで自己紹介の時、ひときわよく通る声で印象的だった益田真里子さんと小坂珠実さん。それもそのはずで、お二人はナレーター・司会者・歌手を派遣及び養成するタレント事務所のVoiceVoiceの代表と第一号ナレーター(営業部長との声も)だったのである。
その後、お二人とFacebook友達になり、お互いにコメントをし合ったりしてnet上で交流が深まっていた。俳句の季語を毎日紹介してくださる益田さん、天然キャラぶりが楽しい小坂たまちゃんのコメントは、毎日の楽しみでもある。そして仲秋の名月の頃のことだった。お月様が大好きな私のfb上のコメントはすべて月にからむものばかりとなっていた。毎夜、その日のお月様を眺めては想いをfbに綴っていた私。その文章に、小坂たまちゃんが目をつけてくださった。「この文章大好きです。声に出して読んでみました」と嬉しいコメント。さらにその数ヶ月後、「VoiceVoiceのwebで、声のサンプルとしてこの文章を読みたいのですがいいですか?」というお話をいただいた。もちろんOKのお返事をして、クリエイティブディレクターの上原さん主催クリエイターズパーティーでお二人が私の文章を朗読してくださった後、いよいよwebでもボイスサンプルとしてオープンしたのである。
私がお仕事で書いている原稿のほとんどは、編集物・新聞・ポスター・webなど目で追って読んでいただくものばかり。耳で聞いていただくためのナレーション原稿とは、文章の作り方やリズム感がまったく異なる。ましてfacebookにアップした文章なんて想いのままで推敲もしておらず、かなりいい加減に書いてしまったもの。だからVoiceVoiceのお二人に読んでいただくにはリライトが必要だった。そんなことでリライト作業を加えて再作成した文章が、VoiceVoiceのwebでお聞きいただける。耳で聞いていただくにふさわしい文章に出来たかどうか、正直言って自分でもビミョーなのだけれど。皆様、以下の青字をクリックして、お二人の素敵なナレーションを是非お聞きくださいませ。

VoiceVoiceのメンバー紹介ページの[2012年・ボイスサンプル]にあります。
益田真里子さん「オリジナルナレーション」(タイトル/漱石の月)
小坂珠実さん「しっとり」(タイトル/いざよいの月)
http://voice71.web.fc2.com/member.html

ただの言葉に読み手の技が加わると、こんなにも空気感を作り出すものなのね。ふうむ、ナレーション原稿って面白い!どなたか、今度、ナレーション原稿のお仕事ください〜〜〜〜〜!!!!!!


黄金の国【今日の地球】


滋賀県の某所にて、稲穂が揺れる様を車の中から眺めていて、15年ほど前にあるイタリア人と交わした会話がふと蘇ってきた。F1日本グランプリが鈴鹿サーキットで行われた時だから、ちょうど10月だったはずだ。当時ルマン24時間耐久レースの取材に行っていた関係で、毎年F1日本グランプリの時はヨーロッパからレーシングジャーナリストやカージャーナリストのアテンドが入っていたのである。マウロさんというイタリア人一行とはルマンで何度も会っていたので、名古屋空港(当時はまだ小牧だった)までお迎えに行き、そのままレンタカーで鈴鹿までご一緒することになった。行く道すがら、見えてくるのは田んぼである。車が愛知県から三重県に入った頃から、稲穂の実りが進んでいて、大きな頭を垂らし、今か今かと収穫の時を待っていた。


日本に来たのが初めてだったマウロさんは、パチンコ店の派手な外観に驚き、コンパクトな日本車が田舎道をすいすいと走る様を見て喜んでいたが、田んぼの稲穂を見ると驚愕の声をあげた。「この黄金に輝くのは何だ?」と。それは稲穂で日本人が主食にしているお米がもうすぐ実るんですよ、と説明すると、マウロさんは再び甲高い声をあげて騒ぎ始めたのである。彼いわく「世の中に美しい植物はたくさんあるけれど、こんな風に黄金に輝く植物を見たのは初めてだ。さらにその黄金が日本人の主食となるお米だと知って感激した。日本人は黄金をおなかに入れているのか!なんて美しい、なんて素晴らしい!!!」と。マウロさんがあまりに興奮しているので少々困惑しながらも、見慣れてしまった風景を改めて見ると、確かにそこには風にたなびいて揺れる黄金があった。日本がジパング(黄金の国)と言われたのは、マルコポーロが中尊寺金色堂の話を聞いたからではなく、もしかしたら稲穂が一面黄金になった風景を伝え聞いたからではないんだろうか。
以来、この時期になると、黄金の田んぼを見てはマウロさんの言葉を思い出すようになった。経済も外交も円も株も震災復興も、なんだかすべて先が見えない毎日で、日本は黄金の国なんだ、などととても言えない状況ではあるけれど、せめてこの黄金が毎年変わらない風景として、子供たちの記憶に留まってくれますように。ただひたすら祈るばかりである。


ファッションショーで台風一過【今日の地球】


それにしても、おっきな台風でしたねぇ・・・。皆様の街には影響なかったでしょうか。浸水の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。台風がやってくる前から大雨が降り続け、いよいよ上陸?という時にはすでに川が氾濫しそうになり、道路は冠水したりで、名古屋の街は都市機能を失い、まるでフリーズしたかのような2日間だった。私は打ち合せがキャンセルになったので自宅で一日中パソコンとテレビに向かいっぱなし。そんな中、ケータイやパソコンには続々メールが入る。名古屋の2つの川が決壊かっ!人口の半分に避難指示!みたいなニュースが流れたため、東海地区以外の友人たちから「大丈夫!!!???」と連絡が入ったのである。友人が住んでいる街に自然災害が及んだ時、誰しも「あ!あの街にはあの人がいる!」と思い浮かべるもの。でも、実際に心配はしても、よほど親しくなければ安否確認するには至らないのではないだろうか。ところが、3.11以来、その意識は変わった、と思う。自然災害だらけの日本に住んでいると、いつどんな災害に遭って大変な状態に陥るかわからない、ということを3.11で思い知ったからである。自然の脅威を見せつけられたのだから。


そんなわけで、続々と入るメールや電話に「心配してくれてありがとう!」とお返事しながら、不謹慎かもしれないけどちょっと嬉しい気持になった。なぜなら彼らはニュースを見て「名古屋にはマリコがいる!」と思ってくれたわけだから。私が住んでいる街は名古屋のほぼ真ん中で、水にはかなり強い場所である。高層マンションということもあって、今まで一度も水で苦労したことがない。ということは、名古屋市内の友人たちの心配をしなければいけない。川沿いに親しい友人がいるのでまずは安否確認、それから我が家に避難においで、と電話した。その後、遠方から通勤している仕事仲間に「帰宅難民」になっちゃったら、コンビニでお泊まりセットを買って我が家に来るように、とメールした。友人たちがいつ来てもいいようにご近所で食料とお酒を調達し酒盛りの準備が整った頃、川沿い友人からは「実家に避難したから大丈夫」帰宅難民かもしれなかった友人からは「早めに出たので無事に帰宅」とメールが入った。少々肩すかしの気分を味わいながらも、とりあえずはホッと安心して眠りについた。


そして台風直撃の昨日は、台風の雨風がびゅんびゅんと吹きすさぶ中、以前からお招き受けていたファッションショーにお邪魔した。
名古屋のファッションデザイナーの重鎮で、
多くの芸能人から衣装デザインを任されることでも有名な筧正雄先生の秋冬プライベートコレクションである。


某ホテルの一室に設営されたショーステージには、既知のモデルの方々がずらり。コピーライターMK氏夫人のSちゃん、ジオットの松本さん、和子さんなどなど。普段はスチール撮影でしかお目にかからないので、いわゆるモデルウォーキングは新鮮だった。っていうか単独ブランドのファッションショーはパリコレ以来だからおよそ5年ぶりである。しかもパリコレはプレタポルテしか見た事がないので、オートクチュールははじめてだ。↑の写真は、名古屋を代表するトップモデル、ジオットの松本さん。かっこよすぎ。


最初のうちは、モデルに知り合いが多かったので、お顔ばっかり眺めていたのだけど、ショーが進むにつれて、自然にファッションに釘付けになっていった。服が素敵にかっこよく映えるようにウォーキングするから(当たり前だけど)、筧先生が創りあげた服のラインがまるで意思を持った生き物のように見えてくる。プロのショーモデルってこういうことを言うのねぇ〜。そういえばパリコレを見る時もいつも同じ感想を持っていたっけ。会場に入った途端、お歴々のマダムたちの「あら若輩ね」的な視線を浴びてすっかり気後れしてたんだけど(名古屋の財界マダム、有名クラブのママ、有名料亭の女将、芸妓さんばっかりだったんですもの)、そんなことも忘れて、途中から筧先生のファッションに夢中になっちゃった。加えて、筧先生自らペンをとったというナレーション原稿のレベルの高さに驚いた。ファッションを引き立てるような音楽、照明、舞台構成、すべて筧マジックにすっかりはまってしまったのである。オートクチュールにご興味がおありの方は、CBC(中部日本放送)のすぐ近く、筧正雄先生のアトリエへ是非どうぞ。


この写真の中央が筧先生。いつもは毒舌が面白い先生なのですが、知的な奥様とお揃いの筧先生デザインスーツを纏い、とっても素敵な舞台を見せてくださった。先生のショーが終わると台風が去っていたことも印象的だった。


さて、一夜明けた今日は台風一過のお決まりの晴天。きれいな秋晴れの空(一番上の写真がお昼の写真)は、昨日の雨空とはまったく違う表情だ。人によっては清々しい秋空、また被災された方にとっては恨めしい青空。自然って、かくも美しく残酷なのですね。とコラムを書いていたら、遠くから笛の音と子供の嬌声が聴こえてきた。そう、台風の季節は運動会の季節でもあるのだ。きっと、もう一度だけ真夏のようなお天気がやって来て、その後は一気に涼しい秋の様相となるのだろう。被災を知らない子供たちは、まるで台風などなかったかのように、かけっこするんでしょうね。台風と運動会、台風とファッションショー。台風は何と並べても相性が悪い。できれば、もう来ないで欲しいんだけどなぁ、台風。


忙殺中の癒しの風景【今日の地球】


んっあ〜、ばたついた〜。っていうか、まだばたついている最中なんだけど、先週末から今週にかけては移動が多い一週間だったので、忙しいというよりも正直言うと体の疲れが抜けない日々であった。一日おきに新幹線とか長距離ドライブが続くと、体の芯からど〜んと疲れが蓄積していくのね。これが中年っつうものなんでしょうか。そんな日々のある夕方、偶然目にした夕焼けの風景。電柱とか街路灯とか、電線が交差してる感じとか、昭和の香りがしますよね。この西空には夏の終わりの切なさが詰まっているようで、思わずカメラを向けてしまった。体は疲れていても、こんな風景を目の前にすると、やっぱり癒されるわけです。


ばたついていて、自宅でゆっくり食事する時間のない私の元に届いたクール宅急便がコチラ。長野県飯田市の農家「虎岩旬菜園」の上野さんご夫妻が、フルーツとうもろこしを送ってくださったのである。フルーツとうもろこしは名前のごとく生で食べられる物で、糖度が17〜18度と驚く程高い。虎岩旬菜園さんを取材したのは昨年の11月、市田柿の収穫時期だった。農業で生きていくために東京から築120年の木造家屋に移り住み、ご夫妻2人ではじめた農園である。いかにも純粋な心持ちという印象のご夫妻で、自分たちで作った野菜や果物を食べ、育てた野菜を販売して必要最低限の生活費を稼ぎ、目の前の自然と共に暮らし、自然を相手に闘っている。きれいな瞳を持ったお二人だなぁというのが取材した時の印象だった。共に取材したディレクターと「バーに飲みに行きたい!とかそういう欲望っておきないのかな、あのお二人は・・・」などと薄汚れた瞳を持つ人間同士で話していたことを覚えている。


上野さんご夫妻のおすすめの通りに、鮮度が命のフルーツとうもろこしを生でがぶりとかじってみた。お〜いし〜。みずみずしくて甘くてシャキシャキしてて、本当にフルーツのような芳香があった。あとは電子レンジで皮ごと3分加熱して、ラップして冷蔵庫で保存した。さて、皆さん。このとうもろこし、どっち側から召し上がりますか?フルーツを食べる時にいつも気をつけていることなのだけど、部位によって糖度が違うので、甘くない部位から甘い部位へと食べていくのがコツである。甘いのがどっち側かを見分けるのは簡単だ。そのフルーツが樹に成っている姿を思い浮かべればいい。糖分は重力と共に下方へと下がっていくので、上方から下方へと食べていけば、段々甘くなるというわけだ。このとうもろこしで言えば、おひげが生えていた先の方から根元の下の方へと食べればいい。メロンやイチゴも同じで、ヘタの方から食べるに従って糖度は増していく。それにしても、フルーツではこの食べ方が当てはまるのだけど、野菜であるとうもろこしでも実践できるとは思っていなかった。フルーツとうもろこしならでは、である。上野さんご夫妻、貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。


そしてもう一箱届いた宅急便がコチラ。名古屋市北区にある「あられの匠 白木」さんが、大きな段ボール箱いっぱいに、あられをたっぷりと詰めて送ってくださったのである。白木さんとお知り合いになったのは、お世話になった方の送別会でのことだった。以前、友人がおもたせに持って来てくれたあられに感動したため、そのお店に行きたくて調べておいたあられ屋さんだったのである。名刺を交換させていただき、お名前を拝見して思わず「ファンなんです♥」と言いよってしまい、白木さんは随分困惑されていた。写真には2種類しか映っていないのだけど、これ以外にも大人気なのが「ごぼうあられ」と「和風カレーせんべい」である。いただいてからすぐに食べちゃったので撮影できなかったというわけ。白木社長と知り合ったのをいい事に、取材用手土産の買いだめと自分を言い聞かして、お気に入りのあられをいっぱい注文してしまった。今、事務所には白木さんの箱が山積みされている。


そんなわけで、コラムアップできていないけどちゃんと生きているのか?と心配のメールをくださった皆様。ばたついた日々はまだもう少し続くのだけれど、虎岩旬菜園からのとうもろこしと、白木さんのあられのおかげで、なんとか心も癒され、仕事に邁進しております。また落ち着いたら、遊びの方もお誘いくださいまし。


哀しみの側【今日の地球】


"On the street at midnight,1999"
先週末のART NAGOYA 2011では「ミイラ取りがミイラになった」。つまり、私が実行委員という役目をころっと忘れて、ついつい現代アートに夢中になってしまい、写真家・ハービー山口さんの作品を購入してしまったのだ。それが↑の写真。リュクサンブールの街角で撮られたものである。ひと目惚れだった。


帰宅してから、改めてこの写真と向かい合い、私はなぜこの写真に惹かれたのだろうと考えてみた。現代アートという分野の写真には明るくないので、写真家の名前で購入を決めたわけではない。欧州の街角を撮影している写真家なんていくらでもいる。けれど、この作品がよかったのだ。
いかにも欧州らしい建物の雰囲気や雨で濡れた路面の感じ、必要最低限あるだけの光の量、そして接吻を交わす二人と、絵の向こうへと歩き去って行く二人。さらになんといっても私の大好きな6×6というスクエアサイズ。
これらが惹かれた要因である。・・・けれど、なんとなくこれだけではない、と心のどこかで言っている。もっと根本的ななにか。自分でもわからなかったその答えを、私は古い友人のfacebookの書き込みに見い出すことができた。


以下、古い友人である北澤由美子さんの書き込みから(全文ママ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マリコさんのお誘いで、生まれて初めて現代美術のイベント(ART NAGOYA 2011)に参加しました。いろんな作品を拝見して、作者さんご自身やギャラリーの方々とお話しもして、とても刺激を受けました。あの場では全然言葉にできなかったものが、一日たってみて、すこしづつ言葉にできたので、忘れないうちに書いておきます。
一番印象深かったのが、大和由佳さんの「喪失を運ぶ舟」でした。お部屋にはいったとき、にこにこと説明をしてくださるかたがいて、そしたらそれが大和さんご自身でした。作品の前で「これ すごいー おもしろいーー 卵焼きがフライパンにくっついちゃったときのあのかんじを思いましたー」とかって、小学生みたいな感想を口走ってた自分が、今思えば相当恥ずかしい(>
うちにかえってきて、Webで大和さんのサイトを拝見して、改めて「喪失を運ぶ舟」をながめながら、あのとき作品の前で感じた自分の気持ちにようやく気づきました。
一晩中、蚊取り線香を玄関で焚いていると、朝になってその燃えかすが、ごくたまにではありますが、ほぼ完璧な同心円状で残ることがあります。うわー!と思って、入れものを持ち上げとたんにその形は音も立てずに崩れてしまうのだけど。そんなキレイな形ではなくても、なんでこんなふうに?と思うような形に残ることもあって、アレは本当に不思議。それなのに、朝の支度をしているうちに、さっき見た美しい形のことを、すぐに忘れてしまいます。ユニークな形についてもそう。わざわざデジカメで撮らない限り、覚えてなんていないのです。
そのことを、「喪失を運ぶ舟」の前で、私は思い出していたのでした。
そして、それと同時に、あの蚊取り線香の燃えかすのはかない様子は、一昨年の夏に亡くなった祖母の骨と同じだということにも気づいたのでした。火葬場で焼かれて引き出された骨は、まさに蚊取り線香の燃えかすのようでした。
シャガールの絵を見て、あるいはブラームスのシンフォニーを聴いて、そうすることによって自分のなかから引き出されてくるものがあります。現代美術も、まったくそれと一緒なんだなあー。現代美術ってどうやって「鑑賞」したらいいんだろう、とちょっと居心地が悪いというか困った気持ちになっていたのだけれど、これでほんのすこしだけれど、「わかった」気がしました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


私も彼女と同じように、ART NAGOYAで多くのアート作品と出逢い、その中で↑の写真を手元に置く決心をした。由美子さんが言うように、私はこの写真を見ることによって、自分の中からある感情がわき起こっていたのである。それは"哀しみ"であった。一瞬の時を愛おしむ心のありよう、いつかどこかで経験した別れと出逢いのことなどを、この写真が語っているのである。


私が心を揺さぶられるものには、いつも"哀しみ"がそこにあるのだと思う。それは涙を流すような圧倒的な哀しみという意味だけでなく、場合によって"はかないこと"で、時には"せつないこと"だったり"なつかしいこと"だったりする。もっと観念的に表現するなら、お昼間の太陽がさんさんと当たる側ではなく、漆黒の夜に月が照らす側と言えばいいだろうか。蕾から開いたばかりの生命力あふれる朝の花よりも、夕暮れ時のゆるやかな風に揺れる一輪がいい。それが、心を揺さぶられる源なのだろう。アートも人間も生き方も、"哀しみの側"から眺め味わっていこうと思う。