今日の地球

外見だけじゃわからない!【今日の地球】


またまた古いネタでのエントリー、お許しくださいまし。これは5月、京都・大原の里へと取材に出掛けた時のこと。その取材原稿が掲載された企業広報誌がつい先日刊行されたので、我がコラムにもやっと書けるタイミングになったというわけでございます。とあるホテルのシェフと、とある生産農家さんを訪ねる取材となったこの日は、5月とは言え、日差しが強い夏日だった。夏号にはピッタリのピーカンお天気で、撮影も順調に進む。撮影隊が外で必死に撮影している合間をぬって、取材で立ち寄った「大原 里の駅」の朝採りお野菜や作りたてのお餅に気持ちを奪われる私。山野草のコーナーで見つけたのが上の写真である。このお花は「都忘れ」。初夏に咲く紫の清楚な茶花で、一番好きな花なので、実家の庭にもマンションのベランダにも植えてある。ところが、大原の里で売られていた都忘れは、写真の通りに色が薄いのである。写真上で色が飛んでしまっているが、実際の色は紫からはほど遠く、藤色をもっと薄くしたような、限りなく白に近い紫なのだ。「色がずいぶん薄いですね〜」と売り場の方に訊ねると「本当の都忘れはこの色なんですよ。皆さんが知っている紫色は園芸用に改良されたものなんです。大原では昔からの苗を受け継いで売っているので、原種の色のまま薄いんです」と教えてくださった。へ〜知らなかった。私が知ってる都忘れは偽物、園芸用だったんだ。


ちなみに都忘れの都とは、もちろん京の都のこと。その由来は後鳥羽上皇と順徳天皇の親子にさかのぼる。歴史の教科書にも出て来た"承久の乱"で敗退した親子は、それぞれ別の場所に引き離される。菊が好きだった後鳥羽上皇のことを息子である順徳天皇が思い出し、白菊を「都忘れ」と名付けた。その花を見ると、都への思いを一瞬でも忘れられる、という意味なのだそう。私だったら逆に思い出しちゃいそうだけどな。後鳥羽上皇と順徳天皇の大原陵には都忘れが群生しているのだとか。一度その風景を見てみたいものでありますね。大原の都忘れは原種だそうなので、うっすら白紫のきれいな色なのでしょう。


これは農家さんの畑で「食べてごらん」と言われた植物の若芽。
茎の色とか太さとかから想像すると苦そう。
でも食べてみるとびっくりするほど甘かった。
なんとルッコラの若芽と花の部分でした。
外見から味は判断できませんね〜。


畑での撮影を終えて向かった先は、とあるホテル。それまでの風景とは一変した空間にて撮影です。夏の海辺のイメージでロゼのスプマンテ♬ 撮影してるのは山の中なのに、カメラマンには「ここはサンセットビーチ」と言い続けて洗脳したため、海辺風の仕上がりになりました。広告物の写真なんてこういうことが多いもの、外見で判断しちゃいけません・・・苦笑。


そして外見だけで判断しちゃいけないシリーズの真骨頂はこの人!
この日一緒だったお仕事仲間のアートディレクターI氏。
後ろから声をかけると、いかにも怪しげな風貌!
怪しい怪しいと私が騒ぐと・・・・。


真正面を向いてくれました。
いやはや、いかにも怪しいお兄さんですよね。
ところが、この怪しげな外見とは裏腹に、I氏はとっても優しい気配りの人。
お仕事の手も早く、お仕事仲間として絶対的信頼をおいている。
外見だけじゃわからない、素敵な紳士なのであります。


5年程前、痛飲した後の深夜、ラーメン屋さんに仲間と立ち寄った時、お店の奥に座っていたI氏と偶然バッタリ会ったことがある。その頃は髪の毛が金色に染まっていて、どこからどう見ても怪しい職業の人だった。I氏から「久しぶり!」と手を挙げられた私はまさかI氏だとは思わずに、新手の勧誘かなにかだと思って「この人ぜったい知らない、ぜったい知らない」と呪文のように言い続けて無視をしていた。「近藤サン、久しぶり!」と名前を呼ばれてよぉく見ると、I氏だったのである。良くも悪くも(!)独特のオーラを持っているので、近寄りがたさはあるけれど、中身は本当に「いい人」だ。
I氏のように、外見と中身のギャップは、時に魅力になることもある。怖そうだと思ってたら実は優しいとか、美味しくなさそうと思ってたらびっくりするほど味わい深いとか。女性で言えばツンデレみたいなことでしょうか。ギャップが大きいほど印象が強いので、それが魅力に変化するのだ。もちろん、美味しそうに見えたのにマズいとか、優しそうに見えたのに怖い、という逆パターンのギャップは決定的な嫌われ要素になるのでご用心ですけどね。実はワタクシ、一見優しそうなのに中身は根性悪と言われます、気をつけなくちゃ。


サブちゃん初夏の収穫祭!【今日の地球】


80を過ぎた私の父の、今一番の趣味であり感心事は農業である。仕事一直線の現役生活から引退して早十年余りが経ち、もともと植物好きだった父は、70歳を随分過ぎてから突然農業をやり始めた。農業と言っても、猫の額ほどの畑で細々と続けているので、あれを農業と言ってしまうとお百姓さんに申し訳ないほどの遊び仕事ではあるが。お天気の日は、家から歩いて30秒ほどのところにある畑で午前中と夕方を過ごしている。一日のほとんどの時間を費やしているだけあって、父が作る野菜はビックリするほど美味しい。虫がつきやすい葉ものは最初からあきらめ、素人ができる範囲内で無農薬を徹底して実践している。年をとってから人間関係で悩んだり揉めたりすることもなく、農作物を相手に毎日会話をしている様子は、娘としては嬉しいような、なんだかちょっぴり心配なような複雑な気持ちではあるが、美味しい無農薬野菜を食べさせてもらえるのだから、まぁいいか。ちなみに雨の日はひたすら読書かひたすら数独。最近はそれにクロスワードパズルも加わった。要するに晴耕雨読そのまんまの生活なのだ。あ、サブちゃんとは、父の呼び名でございます。


↑上の写真は、ここ数年作り続けている地場の葱のネギボーズ。これを乾燥させて種をとるのだ!と意気込んで出窓で干していた様子があんまり可愛かったものだから、私がオーナメント代わりに籠に飾った代物で、その前に寝転がった人形は姉のセレクト。ま、これで我が家族のキャラが大体見えてくることでしょう・・・。


この日に収穫できたのは、
スナップエンドウ、サヤエンドウ、グリーンピースに
2番成りのイチゴである。


2番成りのイチゴは甘さもなく美味しくなかったので、
ことこと煮てイチゴジャムに。
毎朝のヨーグルトにいただいておりまする。


この数年は聞きかじった知識が技術に代わり、そこに経験が加わって、父の野菜の味は格段に美味しくなっている。現在のイチオシは新タマネギ。もうそこらの無農薬スーパーの商品とは比べ物にならないくらいに甘くてジューシーで美味しい。生でかじりつきたいくらいだ。今宵は父作の新タマネギを蓋つき耐熱ガラスにまるごと入れて、オーブンでじっくり焼き、とろっとろになったところをスプーンですくって食べてみた。一切調味料なしの自然の味は、ビックリするほど甘かった。ブラヴォー!サブちゃん!


さて、農作業はおろか土に触ることさえしない元深窓のお嬢様の母は何をしているかというと・・・「パパが作った野菜を食べれるなんて若い時は夢にも思わなかったわ」と談。彼女の役割は・・・父が丹誠こめて作った野菜をきれいな包装紙にせっせと包み、ご近所やお友達に配って、いい顔して歩き(いかにも我が家の爺やが作りましたの的な感じで)、いざ自宅で食べようとすると全部さしあげちゃって野菜がないっ!と騒ぐことである。はい、これで我が家族のすべてのキャラがお解りいただけたと思います。


らっきょうが匂う女【今日の地球】

毎年この季節になると、仲良しフグ料理屋さんの女将から猫なで声で電話がかかってくる。普段は名古屋弁ばりばりのキョーレツキャラの人なのだけど、頼み事ばかりは猫なで声になるのだ。そのフグ料理屋さんでは、フグの醤油焼きの付け合わせに自家製らっきょうを出していて、そのらっきょうが妙に美味しいものだから、おかわりを所望する人も多く、一年分のらっきょうをこの季節に600kgも漬け込むのである。のべ1週間くらいかけて漬け込むので、人海戦術が必要になる。6月の頭は私の仕事が一段落する時期でもあるので、毎年お手伝いに行っているのだ。あと、こういう地道な仕事が好きだったりするので、体力は消耗するけど、意外にも楽しめちゃったりするのである。それともう一つ大きな楽しみが。ここのお店は客筋が良いことでも有名で、らっきょう漬け週間にはお客さんから豪華ランチの差し入れがあるのだ。「この日のお弁当はSのステーキ弁当だよ」とか「その日はIのうなぎ弁当」などと電話でささやかれると、「はいはい行くよ」と即答しちゃう。胃袋を掴まれるとすぐに動いちゃう私です。


土のついたらっきょうを水洗いする→根っこと頭の部分を切り落とす→土が混じっていたり傷がついたりしているので一皮剥くという一連の作業を、総勢8人程度で作業する。このお店では、根っこと頭を切り落とす役目を「切り師」、一皮剥く役目を「剥き師」と呼び、私が行くと「まりちゃ〜ん、今日は切り師やって」とか「はい、ここから剥き師に代わって」と言われるので、その役目をひたすら果たすのが私のお手伝いの内容である。切り師がその日分のらっきょうをカットし終わったあたりで、大将は剥かれたらっきょうの山と格闘をはじめる。らっきょうの新芽が出てこないように、まんべんなく塩をして水気をきる。この時の塩分がらっきょうの塩味を決めるので、極めて大切な作業である。さすがにここからの作業は絶対に人に任せない。なんと、大将はらっきょうの守りをするために、らっきょう漬け週間中はお店に泊まりこんでいるのだ。夜中も何度か起きて、塩をしたらっきょうの山を振って水気をきるのだそう。翌朝、水分が抜けたらっきょうを、特製の甘酢に漬け込み、らっきょうは完成する。


「うちのらっきょうは、一年後に食べてもシャキシャキしていて、味が変わらずおいしくなきゃいかん。これがなかなか難しくてね、昔はよく失敗したもんだよ。フツウのお宅だったら、数ヶ月もてばいいかもしれんけど、うちは商売でやってるからね、一年もたせるにはやっぱり塩と一晩かけて水気を抜くことが大事なんだわ」と大将談。なるほどね〜、毎年大将からはらっきょう漬けの時にいろんなことを教えてもらうんだけど、シャキシャキした食感の秘訣が塩と水気にあったとは。泊まり込みしてまで世話して仕上げる大将の職人魂にはおそれいる。職人好きな私は、いつも大将の横に立つことにしている。大将がくだらない冗談を言いながらも手を決して休めることなく仕事しているのを見ると、らっきょう一粒に愛情をこめて作り上げていることがよくわかる。ま、そんなわけで、この数日は私の手の指かららっきょうの匂いが抜けることはないと思うのだけれど、ご一緒する皆様、どうぞお許しくださいまし。


北方領土にヒゲが生えた【今日の地球】


              ドアップ写真で大変失礼いたします。
          ↑そうなんです、ワタクシ、ついにヒゲが生えました↑
目線がオヤジになってるだの、思想はオッサンと一緒だの、友人からは完全に中年オヤジとしてカウントされているワタクシ。それでも一応女子部に所属しているつもりでいたのですが、とうとう、というか、ついに、ヒゲが生えちゃったのであります。唇の右下ににょろっと生えている黒い線、見えますよね。数日前に鏡を見て気づいたこのヒゲ。唇と顔面皮膚のちょうど境目に生えてきている。写真では皮膚上に生えているように見えるけど、実際は唇のピンク色と皮膚色を境にするライン上にあるのだ。テニスで言えばオンラインってやつですな。地図で言えば北方領土みたいなもので、所有権を主張し合えば結論が出しにくくなる場所である。そして、これまた不思議なことに、ヒゲを発見してから2日後の今日、改めてヒゲを観察しようと鏡をのぞくと(ヒゲは伸ばしっぱなしになっていた!)、あら不思議。自然にヒゲは抜け落ちてなくなっていたのだ。引っ張った覚えもなければ、抜いた記憶もないのだけど、あのヒゲはいつ抜けちゃったんだろうか。


実は、ここのところface bookのお友達リストの件で、もやもやとした思いを持っていた。Aさんとお友達になってるとBさんが良く思わないとか。Bさんとお友達だったものだから、できればお友達登録したくないCさんからリクエストが来ちゃって困ったとか。あと、お仕事先の人だったりすると、いろいろと人間関係があるじゃないですか。長年親しくしている業界の先輩は「快く思っていない人なら、承認しない方がアナタのためだよ」と普通なら言いにくいことをちゃんと教えてくださった。ふむふむ、その通り。face bookの恩恵で素敵な方と出逢うこともできたから、やっぱり面白いツールなんだけど。面倒だなぁと思うことも多くて。こんなことならホントにプライベートなおつきあいの人だけをお友達承認すれば良かったな〜とちょっぴり後悔。子供の時は「あの子と仲良しにするなら仲間に入れてやんない」な〜んて、他人を自分の所有物みたいに扱っていたことがあったけど、オトナになるとそんな子供じみたことは言ってられない。でも他人に対する所有意識というのは、オトナになっても心の奥底では持ち続けているものなのだ。たとえそれが男女の関係ではなく、純粋に友情で結ばれている友達同士だったとしても。


みんなが無意識に持っている友人に対する所有意識も、私のオヤジヒゲのように自然にするりと抜け落ちちゃえば、面倒な人間関係や内輪もめなんかに発展しないのになぁ。ま、あまり深く考えず、八方美人的にお友達承認しちゃった私が悪いんですけどね、はい。


前向きな消費活動のススメ【今日の地球】


この夜もよく呑みました〜。我が家で食事会をする時のルールは、皆さんにお酒をご持参していただくことである。左から児童小説家で広告会社社長・岡田氏ご持参である小布施の日本酒スクエアワン、久保田美紀姉さんご持参の極上吉之川(これは半年前からボトルキープしていた物)、村上由見子姉さんご持参で独特の香りが特徴の白生ビール、アートディレクター鳥居さんご持参の焼酎はなんと数日前から水で割って味を馴染ませていたという物、そして右端はプロデューサー熊崎氏ご持参の極上シャンパン・ベルエポック。これ、呑んだ順番です。我が家で催したこの会合は、夏に予定している「アートフェア」のキックオフ会だった。熊崎氏、鳥居氏、岡田氏、そして私が実行委員として活動を始めたアートのイベントである。これについてはまた後日に詳細を広報させていただくのでお楽しみに。
会合は随分前から日程が決まっていたのだけど、今回の震災の影響もあるので、どうしましょうか?というお伺いをたてると「らんちき騒ぎをするわけではないのだから、予定通りにやりましょう」との即答が皆さんから返ってきた。私もまったく同じ想いだったので、いつもと同じように大好きな料理を作り、器や盛りつけを考え、テーブルセッティングを整えた。ただいつもと違ったのは、お客様をお迎えするのにも関わらず、暖房を入れなかったこと。随分迷ったのだけど、今この時期だもの。皆でお酒を酌み交わしながら、互いの熱を感じて温かくなれるはずと思ったのだ。案の定、暖房なしでも心も体も熱く過ごすことができた。楽しく有意義な会だったと思っている。遊びや呑み会に参加することが後ろめたいような風潮がある中、それに臆することなく、予定通りに開催して良かった〜。


実は、ここのところ大掛かりなパーティーや催し物が次々にキャンセルになっている。仕事にも多少の穴が出ている。こういう時だから仕方ないなぁとは思うものの、みんなのお財布まで渋くなっちゃったら、日本の復興どころか、経済も衰退してしまうじゃないですか。だから、募金活動もしながら、消費活動も前向きに堅実にいきたいと思うのですけれどいかがでしょう?


こちらはアートディレクター鳥居氏がデザインしたTシャツ。
書・飯尾恒月さん、印刷・伊藤工芸社さん、ポストカード印刷・アサプリさん、スケッチブック提供・セントラル画材さん、企画制作が鳥居さんの会社である広告共和国。Tシャツ代以外はなんとすべてがボランティア。この売上は震災の義援金として送られるそうで、この時の会合に鳥居さんが持参された物を皆で購入した。消費活動も積極的に、でもこうした義援金活動にも積極的に、一人ができることからやっていこう!と改めて思いを強くした一夜となった。


新幹線缶詰5時間半の話【今日の地球】


余震に原発に放射能と、心配と心の痛みは増えるばかりで、美しく誇り高き日本は一体どうなってしまうのかという思いが彷徨う毎日。節電に心がけると言っても、普段からかなり節電を実践しているので、お昼間は暖房を入れずに厚着をして過ごし、夜になると靴下を二重履きにし全身モコモコになって体操しながらパソコンに向かっている(どんな体操しているかは想像してみてね)。要するにいつも以上に節電するとなると、暖房しない、という選択しか私には残されていないのだ。なのに、なのに、今日の名古屋は寒かった。でも被災地の方々はもっと寒かろうと思うと、やっぱり暖房は我慢した。ベランダに出て恨めしい思いで空を見上げようとしたその時が、↑の写真。そうなんです。こんなに寒くても、そして大変な惨状に日本が心を痛めていても、春はやってくるのですね。ベランダの楓が若芽を膨らまし、今か今かと芽吹きの時を待っている。


そんな中、世界が驚愕しているのが日本人の品格である。略奪がおきない。秩序を崩さない。個人は集団から離れず、集団は個人を守る。時として日本人の欠点とも受け止められる全体統制とか平均点至上主義が、この震災時には冷静な団結として行動をおこさせている。確かにその通りだと思う。それは、わずか5時間半という短い時間ではあったけど、新幹線に缶詰になった時にもまったく同じ全体統制がとられていたからである。被災された方々とは比較のしようもないほどちっぽけな地震体験ではあるけれど、その時の人間模様について、少し書いてみようと思う。


前回のコラムにも書いたように、地震発生直後に東京行きの新幹線に乗り、三河安城駅で約5時間半閉じ込められた私。車内の雰囲気は、外から入る情報により刻々と変化していった。最初の1時間くらいは「早く動かしてよ〜」という空気。その後、携帯電話などで外と連絡がとれた人が「津波が10mだって」「東京もかなり揺れたらしい」などと口々に話し始める。こうなると、他の乗客よりもいかに早く情報を仕入れるかが暗黙の競争になっていく。このあたり、男性の本能みたいなものなんでしょうか(ちなみに一車両で女性客は私ただ一人でした)。中には車内で堂々と大きな声で携帯電話で会社の同僚に連絡をとり、「オレ、閉じ込められちゃってさぁ〜参ったよ。東京駅についたら閉じ込められた乗客みたいな感じでテレビに映るかもしんないからヨロシク」みたいなふざけたことを話す輩もいて、私の感情は爆発寸前。握りこぶしをコートのポケットに隠すので精一杯だった。ところが2時間から3時間もすると、東北の津波情報が入り始めて、東京のJRや地下鉄も動かなさそうとなると、車内は悲壮の空気に包まれていく。自分たちは新幹線を降りることができるのだろうか。家には帰れるのだろうか。


その頃だったと思う。私のすぐ後ろの席に座っている男性がふぅ〜っと溜め息をついて「あ〜それにしても、おなかへったなぁ〜」と割と大きな声でつぶやいた。多分50代だろう。缶詰状態にコーフンしている輩や、車内販売されていた最後のサンドイッチをむさぼり食べる若者をいさめるかのような、なんとも言えない諦観の心持ちが伝わってきた。恐怖心を煽られていた私はどこか安心したのか、つい笑ってしまった。翌日、大学時代の悪友たちに会う約束をしていた私は、悪友の息子くんへの名古屋土産「ミソカツせんべい」なるものを買って持っていることを思い出した。おそるおそるハラヘリオジサンに「おせんべいですけど、召し上がります?」と声をかけるとハラヘリオジサンは「ビールがあったらサイコーなんだけど売り切れって言うんじゃ仕方ないよね。でも有り難くいただきます。他の皆さんにも分けてあげていいかな?」とおっしゃった。「もちろん!」と答えて、私の周りではミソカツせんべい宴会が始まったのである。宴会といっても、あるのはミソカツせんべいのみ。でも、ほんの一瞬でも空腹感をごまかすことはできる。こうなると、コーフン輩もサンドイッチ若者もみんな一緒に行動を共にする。不思議な連帯感だった。お互いに持っている地震情報を共有し、この先どうなるのか、閉じ込められたらどうするか、みたいな話をしていた時に、新幹線運転再開と豊橋駅臨時停車を告げるアナウンスが流れたのである。乾杯するグラスはなかったけど、ハラヘリオジサンとは瞳と瞳で乾杯した。その後、豊橋駅で降りる私に車両中の人たちが「気をつけて」と声をかけてくれた。ね、やっぱり日本人の連帯意識ってすごい力になると思うんですけど。


翌日会うことになっていた悪友ハルコからは「品川に近づいたら一度電話ください。車で迎えに行けるよう情報集めてみるから安心して」とメールが入った。東京だってかなり揺れているはずなのに、このメールには思わず目頭が熱くなった。ね、日本人の友情ってのも、やっぱり熱いぜ!と思うんですけど。


わたしたちにできること【今日の地球】


なんということでしょう。緊急地震速報が流れるたびに胸がきゅっと痛みます。テレビはどこの局も同じように被災状況を伝えているけど、お年を召した方や小さな子供向けに何か別の番組を放映する局があってもいいのではないか?被災者向けに、災害時に病気にならないための知恵とか、飲料水の作り方とか、よくわかんないけど。被災していない人向けには、節電の方法やボランティアへの呼びかけだっていい。正確な被害状況を伝えるのはNHKに任せて、あとは取材合戦するのをやめ、別の視点を入れた方がいいのに、と思う。


緊急時の情報に私がナーバスになったのには理由がある。実は地震発生した直後に私は東京行きの新幹線に乗っていたのだ。発生の瞬間、名古屋駅を足早に歩いていたため地震には気づかぬままに新幹線改札へ。そこには「宮城県で大きな地震があり新幹線は15〜30分の遅れ」との表示だった。もちろんこんな大惨事とは思わずにノーテンキにも「東京での約束に遅れちゃうよ〜。でも再開するんだから席に座っていればいいや」と思い、ホームで停車している新幹線に乗ってしまったのだ。


新幹線は遅れながらも出発するが、三河安城駅でストップ。JR側の説明は相変わらず同じで「宮城県で大きな地震があったため、線路状況を確認中」とのこと。その時点では「そのうち動くでしょ」という空気が車内に漂っていた。まさか東京で地下鉄もJRも動かないなんて状況だとは誰も思わなかったのだ。こんなことなら名古屋駅で「東京・東北方面には向かえません」って言っちゃっても良かったんじゃないのかな。私が乗った新幹線は三河安城駅で5時間半以上ストップした。東京に行けてもJRや地下鉄が動いていない、さりとて名古屋に戻ることもできないとなって、車内のノーテンキな空気は悲壮感に変わってゆく。
私は折しも運悪くケータイの電池が切れそうだったので、緊急時に備えてケータイ使用は控え、パソコンを取り出して情報収集した。twitterやfacebookで友人たちがオンタイムに知らせてくれたおかげで、やっと状況を把握することができ、悲壮感は恐怖感へと変化した。その後、午後8時の段階で、新幹線の運転再開が決定し、私が乗った新幹線は豊橋で臨時停車することが決定。午後9時、私は豊橋駅に降り立つことができた。そこからダイヤが乱れている在来線に乗り換え、名古屋に戻ったのは午後11時になっていた。


情報というのは、使い方や伝え方によっては、凶器にもなる。必要な情報をいかに正確に伝え、それを冷静に受け止めて行動することが大切だとはわかっていても、緊急時にはなかなかそれがうまくいかない。阪神大震災の対応を反面教師にして、マスコミは今回報道に気を遣って欲しいし、わたしたちコピーライターも職業の特性を活かしてメッセージを伝えていくべきだと思う。実際にtwitter上では若いコピーライターたちが節電を呼びかけるコピーを発表しているし、夜の広告ネオンを消すようにクライアントに呼びかける運動もおこっている。


とりあえず私はこの週末、実家に帰っている。実家に帰ることで、私一人で無駄な電気を使う必要がなくなるからだ。年老いた両親と共にリビングで集中して生活し、節電に心掛け、背の高い所から物が落ちてこないように配置を変えたりしている。今回の震災には直接関係がないかもしれないけど、家族でいろんなことを話し合うことで震災への意識を高めることはできると思う。お子さんがいらっしゃるご家庭なら、緊急時の連絡方法や集合場所など、これを機会に話し合ってもいいんじゃないかな。遠く離れたわたしたちに出来ることはまず節電、そしてお金の用意だ。Yahooのトップページからはクレジットカードによる寄付ができるそうなので、今年の春はブラウスを一枚あきらめて、早速寄付をしようと思う。明日から会社や工場が普段通りにスタートすれば圧倒的に電気が足りなくなる。明日以降も節電、みんなでトライしましょう!


遠山敦画伯の個展【今日の地球】


一見ゆるキャラ、よく知るにつれてやっぱりゆるキャラなイラストレーター、遠山敦さんの個展が青山で開催されている。先日、東京出張の折にお邪魔してきた。表参道の交差点を根津美術館方面(大好きだったガニエール東京店が青山にあった頃はウキウキしながらこの通りを歩いたものだった・・・と思い出しながら会場に向かったワタクシでした)に歩いて約5分。右手に唯一見えてくる昭和な感じのビルの2階。懐かしさにかられながら階段を登ってゆくと、不思議な本屋さんutrechtがあり、その店内のさらに奥にギャラリースペースがある。


小学校のお絵描き教室のような雰囲気。机と椅子が置いてあるので、時間がある方は座ってのんびりされてもいいのでは。お隣の本屋さんではコーヒーとか飲めるみたいです。


これが私の一番お気に入り作品。
カラフルなのに、でもどこか哀しげに見えませんか?
これを見た瞬間、ピカソの泣く女を思い浮かべた。
鳥が泣いている。何に泣いているんだろう。


今回は作品集も発売されるというので楽しみにしているんだけど、なんと私がお邪魔した時にはまだ出来上がっておらず。18日にリリースされるんだそう。残念。ポストカードは販売されているのでたくさん買ってきました。個展は20日までです。皆様、是非。

「ColoredBirdBook」Atsushi Toyama
20×25cm、Softcover、188pages
価格:$59.95(blurb)または、5,880円(UTRECHT店頭)
アートディレクション・デザイン:遠山敦
発行:UTRECHT
2011年2月18日発売

遠山敦による鳥づくめモノクロドローイング集「BirdBook」(2007 UTRECHT)に続く第二弾は総天然色、その名も「ColoredBirdBook」。
同書の発行を記念した原画展(アザーも!)及びリリースパーティを開催します。

ColoredBirdBook EXHIBITION
at NOW IDeA
2011年2月8日(火)-20日(日)
リリースパーティー : 18日(金) 18:00-21:00

UTRECHT/NOW IDeA
東京都港区南青山5-3-8 パレスミユキ2F
TEL 03-6427-4041
12:00-20:00 月曜日休み


原色のバンコクを喰らう!【今日の地球】


それにしても寒いですね〜毎日。寒さに滅法弱いワタクシは、ヒートテックで上下を固めております。3週間前に30度のバンコクにいたなんて、もうシンジラレナ〜イ。ってことで、再びバンコクの旅日記でございます。
バンコクに旅した一番の目的は姪っこアユミに会うため。そして2番目の目的はなんといってもタイ飯!野菜とフルーツが豊富なタイ料理は、辛いところだけを除けば大好きなジャンルである。現地の人々がフツウに食している美味しいお店をアユミがリサーチしてくれているはずなので、そういうごくフツウなタイご飯が楽しみだった。


結論から言うと、やっぱりタイ料理はヘルシーで美味しい!そして、屋台で食べても、ちょっと高いレストランで食べても、材料の使い方や味の整え方はほとんど一緒だということがよくわかった。味の基本は酸・甘・辛のバランスだ。特に甘みについてはグラニュー糖で加糖していたのにビックリ。中華料理のように化学調味料をふんだんに使うということもないので、舌にやさしい。そしてなにより興味深かったのは、原始的な調味の方法である。原始的という表現が正しいかどうかはわからないけど、少なくとも飽食日本の進化しすぎたとも言える調味と比較すると、極めてシンプルなのだ。


シンプルな調味ということでは、カレーが一番わかりやすかった。←これはアユミがどうしても私に食べさせたいと連れて行ってくれたお店のカオソイというカレー麺。食べた瞬間に懐かしさが広がった。多分わたしたちが子供の頃に食べていた、カレー粉から炒めて作る原始的なカレーの味なのだ。今の日本のカレーって、やたらマイルドでコクがあって煮込んだ美味しさを強調しているけど、昔食べていたカレーって、こういう味だったよな〜って思えるものだった。多分、カレー粉(お店でブレンドしているとは思うけど)と小麦粉を炒めて、チキンスープで割って、チキンを入れてさっと煮込んだもの。だからコクもないしマイルドなんかじゃ全然ないし、ピリっと辛くてスパイシーで、でもスパイスの調合の良さが体にじんわり効いていく感じ。写真はあまり美味しそうに見えないので残念なんだけど、これ、あんまり美味しいのでお代わりしちゃったんですよね。中に茹で上がった麺がカレーとからまっていて、上に揚げた麺がのっかっている。その食感の違いを楽しむのも面白いし、お漬け物とライムがついてくるのでそれを入れて酸味を足してもまた美味しい。あぁ、もう一回食べたいな〜。


アユミと同じ名古屋大院生でバンコクのユネスコにインターンとして来ているイチタロくんとアユミと共に屋台でカンパイ〜♥

アユミと同じ名古屋大院生でバンコクのユネスコにインターンとして来ているイチタロくんとアユミと共に屋台でカンパイ〜♥

こちらは蟹のカレー炒め、プーパッポン。これまた絶品!アユミの友人Qちゃんから教えてもらったタイ料理の名物なのだそう。

こちらは蟹のカレー炒め、プーパッポン。これまた絶品!アユミの友人Qちゃんから教えてもらったタイ料理の名物なのだそう。

これはちょっとすましてレストランで食べたサラダ。柑橘系のフルーツと海老をサラダにするのもタイ料理の特徴みたいだ。これはベトナムにも同じようなサラダがあったな〜。

これはちょっとすましてレストランで食べたサラダ。柑橘系のフルーツと海老をサラダにするのもタイ料理の特徴みたいだ。これはベトナムにも同じようなサラダがあったな〜。

とあるレストランでおねだり猫が出現。シャム猫の国だけあって、どんな野良猫もシャムのようにスマートで頭が小さく、高貴な顔をしているように思えたんだけど。

とあるレストランでおねだり猫が出現。シャム猫の国だけあって、どんな野良猫もシャムのようにスマートで頭が小さく、高貴な顔をしているように思えたんだけど。

これが美味しい屋台通り。トンローという街にありました。イチタロくん、ホスト役をありがとう!

これが美味しい屋台通り。トンローという街にありました。イチタロくん、ホスト役をありがとう!

カオソイのお店で、調味料に籠がかかっていた。こういうの、昭和っぽくて懐かしいですよね。

カオソイのお店で、調味料に籠がかかっていた。こういうの、昭和っぽくて懐かしいですよね。

日本食に飢えているアユミへのお土産のひとつ、不二屋のミルキーロール!これ以外に、お土産には鮎の甘露煮やさんまの山椒煮なども持参したのだ。

日本食に飢えているアユミへのお土産のひとつ、不二屋のミルキーロール!これ以外に、お土産には鮎の甘露煮やさんまの山椒煮なども持参したのだ。

小さい時からペコちゃんの真似をよくやってたので、一応おさえておきましたw

小さい時からペコちゃんの真似をよくやってたので、一応おさえておきましたw

お寿司大好きなアユミと日本食レストランで。

お寿司大好きなアユミと日本食レストランで。


こんなバンコクの熱さと美味を記憶の片隅に置きながら、今週はひたすら寒いところばかりに出張しておりました(コラム更新が遅れた言い訳です)。前半は三河湾に浮かぶアートの島、佐久島へ。港から渡船に乗り、島について漁船に乗り換え、揺れに耐えつつ取材敢行。コピーライターってホント体力勝負だわ〜。一瞬名古屋に戻ったのだけど、翌日に今度は信州・松本へ。中央線が北上するに従って車窓の風景は雪になり、松本は激寒の雪景色だった。潮風と寒風によってお肌はぼろぼろのワタクシ。今宵はバンコクで買ったスパイスを炒めて、3週間前の記憶を呼び起こし、南国の料理で心と体を癒そうと思っている。


酷暑がもたらしたもの【今日の地球】

一気に寒くなったり、小春日和が続いたり。なんともよくわからない気候でございます。寒いのがめっきり苦手な私は、今の季節が過ごしやすいあまりに夏の猛暑を忘れてしまっていたのだけど。今年の夏の暑さは、今頃になっていろいろな影響となって表面に出てきている。松茸などのキノコ類が異常に多く採れるとか、紅葉する樹木が赤くなる前に枯れてしまっているとか、木の実が成らないから熊が町に餌を探して降りてくるとか。自然界に間違いなく負荷がかかっているのは明らかで、地球温暖化がこのまま進んだら私たちの暮らしはどうなってしまうのだろうかと大きな鳩胸をいためて心配している。


そんな鳩胸の私に酷暑がもたらしたものは、熊並みに大きな心配事だった。というのも、顔のあちこちに湿疹のようなものができ、顔が赤らんでしまったからである。特にビックリしたのは左の写真の時のこと。約2ヶ月前のドスッピンの顔でございます。スッピンを公開するなんて犯罪と同じ・・・とは分かっちゃいるのだが、今回ばかりはご勘弁くだされ。この写真は皮膚科のドクターに見せるために撮影したものなのだ。鼻梁の横にピンク色で痣のようなものができているでしょ?これ、前日の夕方くらいからなんとなく鼻の横がむずがゆくなり、翌朝起きたら、こんなにくっきりと痣になっていたのだ。ほっぺたも赤くなっていて、ビックリするのを通り越して、ショックで外に出掛けられないほどだった。


友人に皮膚科を紹介してもらい、ご近所のドクターのところに駆け込んだところ、もしかすると膠原病かもしれませんから血液検査しましょうと言われ、再びショックを受ける。検査の結果は膠原病ではなかったのでホッとしたんだけど、結局原因は分からずじまい。薬をもらってつけていたら痣は自然に治っていった。この痣の形、よぉく見ると♥マークに思えてきて、なかなか愛おしい気持ちになったりもしたが、場所が場所だけに目立っていけませんでした。


こちらは、私が痣で悩んでいる頃、
我が家に遊びにやって来た姪っこアイの目元写真。
私の半分以下の年齢、
やっぱりハタチの肌ってピッチピチできれいだよね〜。


皮膚科のドクターの見立てによると、私の痣と肌の赤みは、外的な要因で日焼けによるものではないかと言われた。確かに仕事先へ出向くのに自転車を乗り回したし、実家の引っ越し作業に伴って、真っ昼間に日焼け止めも塗らずにしょっちゅう車を運転したので腕が真っ黒になってしまった。いつもの倍以上の紫外線を浴びたのは間違いないので、ホントにもしかしたら酷暑がもたらした痣なのかもしれないのだ。


人間の手で温暖化を止めること、どこまで出来るのかわからないけど、私たち女性の肌を守るためにも、電気はこまめに消し、エコな暮らしに心掛けなくては、と改めて誓った私でございました。