今日の地球

新幹線缶詰5時間半の話【今日の地球】


余震に原発に放射能と、心配と心の痛みは増えるばかりで、美しく誇り高き日本は一体どうなってしまうのかという思いが彷徨う毎日。節電に心がけると言っても、普段からかなり節電を実践しているので、お昼間は暖房を入れずに厚着をして過ごし、夜になると靴下を二重履きにし全身モコモコになって体操しながらパソコンに向かっている(どんな体操しているかは想像してみてね)。要するにいつも以上に節電するとなると、暖房しない、という選択しか私には残されていないのだ。なのに、なのに、今日の名古屋は寒かった。でも被災地の方々はもっと寒かろうと思うと、やっぱり暖房は我慢した。ベランダに出て恨めしい思いで空を見上げようとしたその時が、↑の写真。そうなんです。こんなに寒くても、そして大変な惨状に日本が心を痛めていても、春はやってくるのですね。ベランダの楓が若芽を膨らまし、今か今かと芽吹きの時を待っている。


そんな中、世界が驚愕しているのが日本人の品格である。略奪がおきない。秩序を崩さない。個人は集団から離れず、集団は個人を守る。時として日本人の欠点とも受け止められる全体統制とか平均点至上主義が、この震災時には冷静な団結として行動をおこさせている。確かにその通りだと思う。それは、わずか5時間半という短い時間ではあったけど、新幹線に缶詰になった時にもまったく同じ全体統制がとられていたからである。被災された方々とは比較のしようもないほどちっぽけな地震体験ではあるけれど、その時の人間模様について、少し書いてみようと思う。


前回のコラムにも書いたように、地震発生直後に東京行きの新幹線に乗り、三河安城駅で約5時間半閉じ込められた私。車内の雰囲気は、外から入る情報により刻々と変化していった。最初の1時間くらいは「早く動かしてよ〜」という空気。その後、携帯電話などで外と連絡がとれた人が「津波が10mだって」「東京もかなり揺れたらしい」などと口々に話し始める。こうなると、他の乗客よりもいかに早く情報を仕入れるかが暗黙の競争になっていく。このあたり、男性の本能みたいなものなんでしょうか(ちなみに一車両で女性客は私ただ一人でした)。中には車内で堂々と大きな声で携帯電話で会社の同僚に連絡をとり、「オレ、閉じ込められちゃってさぁ〜参ったよ。東京駅についたら閉じ込められた乗客みたいな感じでテレビに映るかもしんないからヨロシク」みたいなふざけたことを話す輩もいて、私の感情は爆発寸前。握りこぶしをコートのポケットに隠すので精一杯だった。ところが2時間から3時間もすると、東北の津波情報が入り始めて、東京のJRや地下鉄も動かなさそうとなると、車内は悲壮の空気に包まれていく。自分たちは新幹線を降りることができるのだろうか。家には帰れるのだろうか。


その頃だったと思う。私のすぐ後ろの席に座っている男性がふぅ〜っと溜め息をついて「あ〜それにしても、おなかへったなぁ〜」と割と大きな声でつぶやいた。多分50代だろう。缶詰状態にコーフンしている輩や、車内販売されていた最後のサンドイッチをむさぼり食べる若者をいさめるかのような、なんとも言えない諦観の心持ちが伝わってきた。恐怖心を煽られていた私はどこか安心したのか、つい笑ってしまった。翌日、大学時代の悪友たちに会う約束をしていた私は、悪友の息子くんへの名古屋土産「ミソカツせんべい」なるものを買って持っていることを思い出した。おそるおそるハラヘリオジサンに「おせんべいですけど、召し上がります?」と声をかけるとハラヘリオジサンは「ビールがあったらサイコーなんだけど売り切れって言うんじゃ仕方ないよね。でも有り難くいただきます。他の皆さんにも分けてあげていいかな?」とおっしゃった。「もちろん!」と答えて、私の周りではミソカツせんべい宴会が始まったのである。宴会といっても、あるのはミソカツせんべいのみ。でも、ほんの一瞬でも空腹感をごまかすことはできる。こうなると、コーフン輩もサンドイッチ若者もみんな一緒に行動を共にする。不思議な連帯感だった。お互いに持っている地震情報を共有し、この先どうなるのか、閉じ込められたらどうするか、みたいな話をしていた時に、新幹線運転再開と豊橋駅臨時停車を告げるアナウンスが流れたのである。乾杯するグラスはなかったけど、ハラヘリオジサンとは瞳と瞳で乾杯した。その後、豊橋駅で降りる私に車両中の人たちが「気をつけて」と声をかけてくれた。ね、やっぱり日本人の連帯意識ってすごい力になると思うんですけど。


翌日会うことになっていた悪友ハルコからは「品川に近づいたら一度電話ください。車で迎えに行けるよう情報集めてみるから安心して」とメールが入った。東京だってかなり揺れているはずなのに、このメールには思わず目頭が熱くなった。ね、日本人の友情ってのも、やっぱり熱いぜ!と思うんですけど。