今日の地球

光ミュージアムで今月末まで【今日の地球】


高山で開催中の
左官職人・挟土秀平さんの個展。
真田丸ですっかり有名人ですが
その素顔は純粋に自然と寄り添い
地球に畏怖と敬意をはらって生きる
森に咲く一輪の花のような人です。
彼が魂をこめて作り出した土の壁
その思想を支えている言葉の数々が
作品として展覧されています。
わたしはお月様が大好き!
俺の方が月が好き!
いや、わたしはこんなに月が好き!
それなら俺だってこんなに!

自分がいかに月が好きかを
言い争ったことがあります。
酔った者同士の論理は
時として創造のエネルギーへと
変化しますが
こんなに素晴らしい土壁に仕上がるなんて。
展示は
つっこみどころ満載でしたが笑
彼の世界観は十分に堪能できます。
高山の光ミュージアムにて
今月末まで開催されています。


ロマネコンティ・クローン【今日の地球】


山梨県のワイナリー、ドメーヌQ。
ここで
かのロマネ・コンティのクローンである
ピノ・ノワール種が栽培されています。
ドメーヌQさんから一本の枝が
ワインとともにやってきたのは
4年前。
わたくしが2年お預かりしまして
我が家のベランダでせっせと
芽を出させ、根を伸ばさせ
その後
ルマルタンペシュールの玄関に
移植しました。
なんと!
今年はじめて実をつけたとのこと
収穫祭に行ってきました。
ロマネ・コンティの畑で
味わったブドウと同じ味!
あの小さな枝から、
ここまで成長するとは、
本当に感慨ひとしお。
皮も美味しい!


素人のお花あしらい〜春【今日の地球】


実家ステイしていると、お花に恵まれる暮らしになる。
庭や公園にお花がいっぱい咲く春は特に。
というわけで、お稽古のつもりでお花を活けることが
毎日の楽しみになるという贅沢な日々を過ごしております。



snow aging beef 雪中熟成牛【今日の地球】


雪中熟成飛騨牛求評会。
天然雪のかまくらで無風の高湿度により、しっとりと仕上がったスノウエイジングの牛肉をいただく。昔の人が氷室に野菜を蓄えて越冬した知恵を、牛肉に応用した日本初の試みである。
繁殖家、肥育家、熟成師3人の愛情と知恵と情熱をこめて育てられた牛には
彼らの名前がついていた。
かまくらは、地球温暖化がこのまま進めば、やがて地球からなくなる可能性もある。雨やみぞれが降れば、あっという間に消えてなくなってしまうかまくらは、
飛騨の自然そのものでもあり、未来永劫あるとは限らない雪国の宝箱である。
名前のついた牛の命をいただくという行為も然り。
綺麗事を言うようだけど、わたしたちが地球に生かされているということが、スノウエイジングの牛肉に凝縮されていたように思う。
水分をたっぷり含みながら熟成された牛肉の深い深い味わいは、どこまでも、哀しく、切なく、狂うしいほど愛おしかった。


十五夜は夜ピクニック【今日の地球】


今年の仲秋の名月は9月27日で十四夜。十五夜は28月曜日です。
わたくしが「わたくしの庭園」と言えば、友人たちは皆それが名古屋の中心地である栄のセントラルパークという公園であることをよく知っている。
十五夜はわたくしの庭園で寝転がってお月見するよー、と呼びかけたら、夜な夜なたくさんのお友達がワイン片手に集まってくれた。仕事が終わってからお弁当をつくったので、あんまりまともなおかずはなかったけど、それでも、移りゆく満月の姿を木々の間から探しながら、満月を愛でる時間はとっても楽しいものだった。
夜のピクニック楽しいねー、これからは夜ピクって呼ぼうよー、と楽しい仲間たち。本格的な冬がやってくる前にもう一度やりたいな、夜ピク。場所はもちろん、わたくしの庭園でね。



これが甘露か? "はまぐり椀"の話【今日の地球】

世の中グルメブロガーだらけで、食べる前に写真を撮るのでお店にはシャッター音が響き、その場でブログアップしてたりするので、食べるのに時間がかかり、隣席にそういう方がいらっしゃるとうんざりする今日このごろ。
だからというわけではないが、なるべく料理の写真を撮ることなく、その一品を記憶に留めておこうとする習性が身についてしまった。とはいえ、そのほとんどが忘却の彼方へといってしまうので、やはり記憶に留めるには写真が必要なのかもしれない。これから書く内容は、写真もないのに、記憶を頼りに料理の思い出を記すものである。果たしてどこまでその記憶を表現できるか、自分の文章力の勝負である。


その料理は、とあるお店で春にいただいた"はまぐり椀"だった。潮の香りが広がり、はまぐり独特の旨味が味蕾を刺激する椀は、料亭や割烹などで春になると出していただくので、今年もいろいろなお店で何度かいただいた。けれど、その椀は他のものとはまったく違うものだった。


料理しているところをカウンター越しに見ていたのだが、大将がカツオ出汁をとり始めたので、これから椀料理を出すんだなと思っていた。そのお店はいつもお客に出す直前に出汁をとるのである。そしてカツオ出汁の入ったお鍋に大きなはまぐりを加える。はまぐりが開いた瞬間に椀に盛り、供してくださった。ただそれだけの工程である。塩も入れず、香りづけのネギ類も加えていない。不思議な気持ちになりながら、椀をひと口いただく。うっすらと潮の香りはするが、味はほとんどしない。ふた口目、はまぐりでもカツオでもない、玉露の上澄みのような薄い味わいが口の中に広がっていく。それからはまぐりの身をいただくと、じんわりとその旨味を味わうことができ、そこからはまぐりがつゆに染み出したのだろう。身を食べ終わった後のおつゆは、はまぐりが軽やかに存在を残す、なんともまろやかな味わいだった。海がそのままおなかの中に入っていったかのようだった。


この椀をいただいて驚いたことは幾つもある。
まずカツオ出汁をとったつゆにはまぐりを入れたはずなのに、カツオの香りや味わいを感じなかったことである。はまぐりの味わいも決して強くなく、食べるに従ってはまぐりが出てくるという印象だった。カツオは一体どこにいっちゃったのか???これはどう考えてもわからなかったので大将に聞いたところ、「カツオでもない、はまぐりでもない、ちょうどその中間地点のバランスで味を決めているのです」とお答えに。つまり味がちょうど中和するポイントで、その椀を出しているということなんだろうか?料理は科学だというけれど、まさに科学と感性がなし得る"食べる芸術"である。
さらに、大将は調味をしていない。塩を加えず、はまぐりが持つ塩分だけで味を構成させた。これははまぐりの塩味を十分に承知した上で計算された技術である。香りづけも一切していない。ネギや柚子などの香味も入れず、ただただはまぐりの味わいをかつお出汁で引き出しただけなのだ。なんという潔さでしょうか!

「昆布にもカツオにも寄っていない、まあるい味を感じたら、それは椀として一級品。それを甘露と表現するんですよ」と山本益博さんから教えていただいて以来、甘露を探し求め、あちこちのお店で椀をいただいているのだが、この日の夜いただいた椀こそ、もしかしたら甘露だったのではないだろうか。もしあれが甘露だったとするなら、甘露とはいかにもはかないものである。その思いが数ヶ月経った今でもずっと残っていて、どうしても文にしたためておきたくなった。


海を見にゆく【今日の地球】


書家の水野清波さんの作品「海を見にゆく」が我が家にやって来た。何ヶ月か前に名古屋市のギャラリースペースプリズムで開催された清波さんの個展で、この作品を見た時、私の脳裏に浮かんだのは、真っ黒な海だった。青ではない、真っ黒である。
幼稚園のころ、夏の家族旅行で行った先で溺れたことがあった。溺れた経験のある人しかわからないと思うのだけど、水の中で自由を失った人間にとって、水は青くなく黒いのである。もがき苦しみ、水を飲んでどうしようもなくなった時に見えるのは真っ黒な風景なのだ。


やがて小学生になった私は、美術の授業の「海を描きなさい」というテーマで、真っ黒な絵の具を使って海を描いた。周りの友人たちが、きれいな青い海や泳ぎ回る魚を描く中、私一人が画面を真っ黒に塗りつぶして絵を描いた。ただ運が良かったのは、美術の先生がなぜ黒く描いたのかと聞いてくれたことだった。あの時、「なぜ青ではないのか?」と聞かれていたら、私の性格は今よりももっとひねくれていたかもしれない(笑)。大人になってからも、やはり海は怖い。でも怖さがあるだけ、海は憧れでもある。海を自由に泳ぎまわることは、ずっと叶えられない夢なのである。今でも海辺のリゾートにはほとんど出掛けない。どこかで海に対して構えているところがあるのだ。
だからこそ、清波さんの「海を見にゆく」を見た時に、心の奥底に潜む海への恐れと憧れが、じわじわと蠢いたのかもしれない。墨で書かれた海という文字が、私の真っ黒な海と重なり合ったのだ。大胆で強い海、なのにどこか悲しくてせつない海を、清波さんはたった6文字で表現されているのだ。これが書の力なのだろうか。
ずっと気になっていた作品を、どうしてもリビングに掛けたくなり、ちょうど名古屋が梅雨入りした頃、ギャラリースペースプリズムの高北さんに相談したのである。我が家の狭いリビングに合う小さなサイズの作品をオーダーできないか、と。かくして、「海を見にゆく」は我が家にやって来た。
清波さんに「海を見にゆく、という言葉は何かの唄ですか?」と聞いたところ、「寺山修司の「悲しくなったときは」という歌に何度も繰り返し登場する歌詞で、とても心に残っていたので、書にしました」と教えてくださった。
↓悲しくなったときは、海を見にゆくという歌↓
http://www.youtube.com/watch?v=eDDH1AnIgr8


そしてもうひとつの黒い海の話。私の心に残っている黒い海は、東日本大震災で津波におそわれた東北の海にもつながっている。あの時、黒い津波が多くの人の命を奪った。場所は海ではなかったのに、海から黒い濁流がやって来たのである。
怒り狂った海と亡くなった人々を想い、大震災直後の卒業式をとりやめにした学校があった。立教新座高校である。ご存知の方も多いと思うが、この時の学校長のメッセージが素晴らしい文章なのだが、このメッセージの中で、海を見にゆくことの意味を学校長は説いている。
私は、海を見にゆく、ということの意味を、ずっと考えながら、書「海を見にゆく」を愛でていきたいと思っている。


これが昨日までのリビングのアート。
青木野枝さんのエッチング作品。
昨年のART NAGOYAで購入したものだ。


これが今日からのリビングのアート。
「海を見にゆく」は真ん中に飾ってもしっくりこなくて、
左の下方に掛けてみた。壁の余白は、大海原のイメージ。
畏れと憧憬が表現できるような気がしたから。真ん中のフックには代わりに帽子を掛けている。


最後に、立教新座高校の学校長・渡辺憲司さんの文章を、ここに引用させていただこうと思う。本文そのままなので長いですが、ぜひご一読ください。
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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、2週間前「時に海を見よ」と題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。


 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。


 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。


 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。


 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。


 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。


 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。


 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。


 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。


 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。


 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。


 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。


 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。


 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。


被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。


 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

梅花春雨に涙す
2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司


一夜限りの観月堂inLMP【今日の地球】


木曜日は仲秋の名月だった。そして満月と仲秋の名月が重なる珍しい一夜。お月様がとにかく好きで、毎年この季節は月を眺めて幸せな気分に浸っている私。ケータイのアドレスは"otsukisama"になっているので「大月さん?」と間違えられることがあるほどだ(苦笑)。というわけで今年の満月イベントは、観月堂 in LMPの一夜限りのマダムになりまして、満月シャンパーニュバーを開店しておりました。観月堂 in LMP(※店名ルマルタンペシュールの略語)の案内状はこんな感じ。
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シャンパーニュバー”観月堂 in LMP”
仲秋の名月に、一夜限りの開店です。


一年でもっとも月が綺麗な夜、
仲秋の名月が近づいてまいりました。
この世のものと思えぬ月の美しさに人は誘われ、
いつもよりちょっぴり饒舌になって
月夜をあおぎ見ることになります。
シャンパーニュがその時、手元にあったなら、
まぁるい泡がはじけ、
月の明かりのもとで恋心を刺激することでしょう。

2013年の仲秋の名月は、
ルマルタンペシュールの屋上で
シャンパーニュを飲みながら観月しませんか?

この日は、まぁるい顔の私が特別出演(?)
観月堂in LMPで一夜限りのマダムになります。
屋上で満月をあおぎ見ながら、
シャンパーニュが特別価格でいつもよりもずっとリーズナブルに味わえます。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。


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で、ルマルタンペシュールの屋上を会場に、はじめての試みとして開催したら予想以上の人数が集まってくださった。呑気にマダムをやるーと言ってたのだけど、受付とお会計とアミューズをお出しするのでいっぱいいっぱいになっちゃって、きちんとおもてなしできなかったのは大いなる反省点。70名近いお客様に一人で対応するのはやっぱり無理がありました・・・。ともあれ、案内状の通りに、この世のものとは思えない美しいお月様に皆うっとりとされて、満月パワーをいっぱい浴びていただいたので、今回はこれでよしとしようと思う。


でもって、どーしてもやりたかったしつらえがコレ。漆の盆に水を張って、屋上の真ん中に置き、満月を映し出して眺めるという趣向。月が真上に来た11時ころ、きれいに水盆に入ってくれた。←見立てのお月様として浮かべていた金色の漆器の真上に映ってるのが仲秋の名月でございます。


私はなんちゃってマダムで忙しかったので、一枚も写真が撮れなかったのだけど、↑の写真も↓の写真も、友人たちがfacebookにアップしてくれたのを頂戴しました。お写真くださった方々、ありがとうございました。



ちなみに、この企画は、名古屋市内のフレンチレストランが参加する「満月シャンパーニュバー」として、先陣をきってスタートするもの。今後、「満月シャンパーニュバー」が各店舗で隔月開催されていく予定なので、皆様お楽しみに。
11月の満月/ヴィンテージ1970
1月の満月/六区
3月の満月/ル・タン・ペルデュ
4月の満月/ラヴェンタ・デ・ラ・フエンテ

■ナゴヤ満月シャンパーニュバー
実行委員長/那須亮(ルマルタンペシュール・オーナーソムリエ)
実行委員/尾崎昌弘(六区シニアソムリエ)
     辻悟(ルタンペルデュ・オーナーソムリエ)
     野村建徳(ヴィンテージ1970・ソムリエ)
     山内高幸(ラフエンテ・オーナーシェフ)
     ※アイウエオ順
プレス担当及び問合せ窓口/近藤マリコ(ラルム)


でもって昨夜は十六夜。すこしためらってから出て来ることから、いざよい、と言われるのだとか。我が家でお食事会をしたので、観月堂と同じ漆器でテーブルコーディネイトをしつらえた。そして今夜は立待月。十六夜からさらに少し遅い月の出になるので、いてもたってもいられなくなり、立って月を待つという意味。私も今夜は立って待つことになるのかな。


アートと食のイベント〜色を食す【今日の地球】


ART NAGOYAでもお世話になっているギャラリーフィールアートゼロの正木なおさんから「アートと食のイベントを開催するので是非いらしてね」とお誘いを受け、お邪魔してきた。食べ物は生きるための物というだけでなく、贅沢な嗜好品だけでもなく、いつも私たちの暮らしの狭間に存在する。と書かれたパンフレットのコピーが心に響き、アートと食をどう展開されるのか興味津々だった。このイベントでは、8/17〜8/25まで日替わりで講師を招き、食にまつわるワークショップや映画上映や郷土食を食べるといった内容まで、まさに様々な分野から人が集って行われる。私がお邪魔したのは、京都のkiln船越雅代さんが講師になっておこなわれるFOOD & ARTのワークショップだった。


ギャラリーにつくと、テーブルの上にはすでに5色のパスタの"素"が並んでいる。白=プレーン、ピンク=ビーツ、黒=イカスミ、緑=バジル、黄=サフランが練り込まれたパスタを、参加者全員でこねて、耳たぶ状のパスタに仕上げる。5色をどうこねて合わせるか、この時点で個々の色遊びが始まる。黒と黄色でシャープに、ピンクと緑でかわいらしく。中には白にピンクを渦巻き状に仕上げて、ナルト風のパスタを作ってた方もいたなぁ。ねんどで遊ぶ子供のごとく、それぞれがわいわい言いながら作り上げるのは、とっても楽しい作業だった。はじめて会った方ばかりなのに、目の前のパスタを媒介にしておしゃべりが進む。こねる人、切る人、耳たぶに仕上げる人と自然に役割分担ができていったのも、なんだか不思議で面白い。


で、仕上がったのがこのパスタたち。はちゃめちゃな色合いに見えますが、カラフルな食べ物が集まるとこんなに綺麗なはちゃめちゃになるのです。キャンディとかドロップみたいにも見える。


パスタが出来上がったらテーブルセッティング。
真っ白なお皿が並んで、これがみんなのキャンバスになる。
素材も並んでいるので、さながらアトリエのような気分!


パスタが茹で上がるまでに、個々のお皿でアートを作り上げるのが、その次のステップだった。これは船橋シェフのお手本。材料はイカスミペースト、バジルオイル、トマト、塩レモン、パセリ、唐墨、アリッサ(チュニジアの赤唐辛子ペースト)。


これが私のお皿。まっくろくろすけな涙(ラルム)のイメージ。腹黒な性格がバレましたでしょうか・・・。お皿をキャンバスにしてお絵描きするのは、それはそれは楽しかった。他の方々も素敵なアートを描かれていて、それが撮影できてなくて残念!


で、船橋シェフが仕上げてくださったパスタが、アートしたお皿の上にオン!パスタのソースと、イカスミやらバジルオイルなんかがお皿の上でうまい具合に混じり合って、美味しかったなー。ピンクの飲み物は、フランスのヴァンムスーっぽいビオワインでした。


オーナーである正木さんの、ものの作り手を守ることができなければギャラリーなんてやる意味がない、という言葉は、とても重く私の心に残った。職人という生き方に憧れ続ける私の、"物差し"のようなものと深いところでつながっている言葉だと思ったから。
ギャラリーフィールアートゼロでは今週末まで毎日、このような食とアートのイベントが開催されている。残席は少ないようだけど、ご興味のある方はぜひお出掛けになってみてくださいまし。詳しくはこちらへ。


地産を地で飲食す〜愛知県設楽町【今日の地球】


 連休初日は、かねてからお誘いいただいていた設楽町にロングドライブ&BBQに出掛けてきた。設楽りさこさんのおかげか?、どなたも地名はお読みになれると思うのだけど、どこにある町なのか、愛知県外の方にはあまり知られていない。愛知県の東三河地方にある設楽町は、日本の原風景とも言える山里がそのまま残され、今でも生き続けている稀有な町で、緑連なる山々と田園風景、そして美味しい食材と空気に恵まれた「美しいニッポン」である。
 FM愛知のパーソナリティー・川本えこさんが、設楽町の観光大使的なことを続けていることもあり、折に触れて彼女から設楽町の話を聞いていた。美しいニッポンなんてわかったようなことを書いているけど、近隣の東三河には仕事で何度か出掛けたことがあるものの、設楽町に行くのは実ははじめてのことだった。前夜の痛飲により若干二日酔い気味でバスに乗り込み、眠さと闘っていたはずの眼に飛び込んできたのが、絵葉書のようにきれいな"生きた山里"だった。山里と言っても、人の営みがそこになければ山里は生きない。設楽町の風景は、まさに"生き生き"としていたのである。
 地産地消と言うようになって久しいけど、この日ほど、きちんと地産地消をやり遂げた日は今までになかったんじゃないかな。設楽町の新鮮野菜と極上のお肉でBBQ。町の人たちが山菜を採ってきて、天ぷらを揚げてくださる。澄んだ空気と町の人の笑顔のおかげで、いただく物はどれも本当に美味しくて、ここのところモヤモヤしていた気持ちはどこかに吹っ飛んでいってしまった。
 「どの食材も美味しいですね。もっと設楽町を多くの人に知って欲しいですね」と牧場主である竹内さんにお話していたら、竹内さんはこう語ってくれた。「私ら牧場も、お米の農家も、野菜を作っとる農家もね、頑張って朝から晩まで働いて自分たちが稼いだお金で、子供たちを学校に行かせて、家の一軒でも建てられんかったら、おかしいでしょ?当たり前なはずの農業の仕組みづくりを、みんなでマジメにやってみようと今呼びかけとるんだよ。そのためには、設楽町の豊かな食をまず知ってもらうことから始めないと!」この言葉を聞いた瞬間、私の中で複雑なパズルの最後のピースがぴたりと当てはまったような爽快感があった。そうか!生きた山里だと感じた理由は、ここにあったのだ。町の人々が生きることをマジメに考えているから、山里の風景に人の手や営みを確実に感じることができたのだ、と。
 ものづくりは大都市圏ではなく、地方都市から発信するべきだとかねてから思い続けていた私だけど、これからは意を新たにしたいと思う。ものづくりは大都市圏でも地方都市でもなく、人々の営みが生きる山里から発信していくべき、なんじゃないのかな。設楽町は、そんな可能性がたっぷり詰まった宝石箱のような町なのだ。
 というわけで、ここからは設楽町でいただいた美味しいものたち。長いですが良かったら笑い飛ばし読みください。


真ん中でお話してるのが、川本えこさん。プロのしゃべり手が生ガイドしてくれるんだから、よく考えたら贅沢なツアーですね。えこさんのお仲間が来るのならと、設楽町の人々がお肉やご飯やスープを用意して待っていてくださった。到着後すぐにBBQが始まった。


右が竹内牧場の竹内さん。美味しい空気と餌と、たっぷりの愛情をかけて育てられた竹内牧場の牛肉が、この日のBBQのメインディッシュ。左のご婦人お二人はお米の農家さん。美味しいご飯やスープをご用意してくださっていた。


むふ。これがBBQの途中段階。朝掘りのタケノコはアクがほとんどないので、皮のまま網の上で蒸し焼きにされる。野菜たちはすべて設楽町産のものを地元のマーケットで入手。野菜ソムリエでもあるえこさんによる、さすがのナビゲート。


じゃじゃ〜ん。竹内牧場産の牛肉のかたまり。久しぶりに"赤身"が美味しい牛肉を食べた気がしました。BBQの場所のすぐ近くにある竹内牧場では、いずれ食肉となる牛が飼育されている。「命をいただくことに感謝しながら食べる」という経験をさせていただいた。


牛丼にしても美味しいんだよ、と、えこさんが教えてくれたので、贅沢にも焼きたてのお肉にお醤油を少しつけて、わさびをトッピングし、炊きたてご飯にのっけて、設楽町牛丼!


設楽町のお米が炊きあがった瞬間。白米の本当の美味しさを知らない不幸(!)な都市生活者たちがむらがっている図。もちろん私もその不幸な生活者の一人でした。噛み締めるほどに甘くて、おなかにもたれない。設楽町のこしひかりの美味しさには本当に感激だった。



これは町の人々が手作りしたというピザ釜!
廃校になってしまった小学校のグラウンドに
誰でも使えるように設置されていた。


焼き上がったピザ。奥が、現地調達した「エシャロットみそ」と「わけぎ」にチーズをトッピングしたもの。手前の白い方は持参したクリーム+わけぎ+チーズ。日本酒にも合いそうな和のピザができました。オリジナルピザを作るのは楽しい作業です。


廃校になってしまった小学校。木造校舎は、時の経過により随分朽ちていたけど、趣のある建物だけに勿体ない。ロケとか宿泊施設とか多目的スペースとか、何かに使えないだろうか?と一人で今も激しく妄想中。


椎茸の原木を見せてもらっちゃった。欲しい〜!と大声をあげたら、いただけちゃった。竹内さん、ありがとうございました。椎茸大好きなんです。設楽の椎茸の美味しさには、BBQで感激し、天ぷらでいただいたらもっと驚いてしまった。


ま、結局は食べて飲んでばかりの一日になったわけだけど、この日のすべてのお世話をしてくださった川本えこさん、設楽町の名酒・空の作り手である関谷醸造の関谷さん、そして設楽町の皆さん。本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。次は蛍の季節かな。きっとまたお会いできることを楽しみにしております!