今日の地球

おうちごはん続きと猫続き【今日の地球】

我が家で開催したお誕生日会。  その時の前菜を春慶の信玄弁当箱に詰めました。

我が家で開催したお誕生日会。  その時の前菜を春慶の信玄弁当箱に詰めました。

姪っ子アユミの希望で翌週はチーズフォンデュ。チーズに合いそうな具材をいっぱい集めてみました。

姪っ子アユミの希望で翌週はチーズフォンデュ。チーズに合いそうな具材をいっぱい集めてみました。

これはお花見弁当。と言っても残り物を詰めただけのボックスと   やわらかタマゴのサンドイッチ!

これはお花見弁当。と言っても残り物を詰めただけのボックスと   やわらかタマゴのサンドイッチ!


というわけで、ここのところ「みんなと一緒におうちごはん」が続いている。先週は我が家でとある人のサプライズお誕生日会。その翌週は、この4月から名古屋の院生となった姪っ子アユミの希望によりチーズフォンデュ。バゲットだけではつまんないなぁと思って、チーズに合いそうな物をいろいろ集めてみた。銀鮭、ウィンナー、さつまいも、スナップえんどうなどなど、どれもなかなかオツな味になったけど、食べ比べてみるとやっぱりバゲットに軍配があがる。
翌日の日曜には、藤のお花見に出掛けようと思いつき、おかずをボックスに詰め込んで、やわらかタマゴのオープンサンドイッチ、スパークリングワインと丈夫なグラスを自転車の籠に入れて、名城公園までサイクリング♬


西からのあたたかな日差しを背中に受けながら、藤にカンパ〜イ。
お日様があるうちにワインをいただくのって、
なんだか能天気でシアワセな気分ですな。
名城公園は藤の花が咲き始めたところで、
白と紫のコントラストが美しいのです。


手前が白カピタン、奥が紫カピタン

手前が白カピタン、奥が紫カピタン

藤棚越しの名古屋城

藤棚越しの名古屋城

遅咲きの桜にも出逢えた!

遅咲きの桜にも出逢えた!


キャッチボールしているお父さんと子供、オペラ?を歌いながらウォーキングしている人、私が食べてるお弁当をおいしそうやね〜とのぞきこむ人。日曜夕方の名城公園にはいろんな人がいる。のどか、である。平和、である。トーキョーやキョウト、ロンドン、パリなどの都市と比べて、名古屋は緑が極めて少ない街だけど、お城の周りには季節の花と樹木がいっぱいあり、個人的には大好きな空間で時々自転車を飛ばして遊びに来ている。たとえイヤなことがあってめげていても、期待して行ったレストランがアンビリバボーなまずさだったとしても、挙動不審な政権に先行き不安感が高まっていても、ここに来てのんびりすれば、いつものどかで平和な気持ちになれるのだ。


そうそう、名城公園には猫がたくさんいて、
この黒猫ちゃんともお話して楽しんだ。
久しぶりに猫語を使うと、
(実は私は猫語が話せるのである)
その日は猫によく会うことになる、というのがジンクスで。


帰る途中も公園にいる猫がぞろぞろと私について来ていた。
マンション近くでは、いつも会うこの猫ちゃんとバッタリ。
勝手にミコちゃんと呼んでいるこの猫。
この日はイマイチご機嫌ナナメだった。


そして翌日。我が家のお隣、由美さん宅のベランダから猫の鳴き声と鈴の音が聞こえてきた。これは2年前に亡くなった由美さんの愛猫・ハマー君の声で、ハマー君が亡くなってからカレの鳴き声を聞くのはこれで3 回目である。一度目は亡くなって一ヶ月ほど経った頃、私はハマー君が亡くなったことを知らずに、ベランダに閉め出されたと勘違いして「閉め出されてるみたいよ」と電話すると、受話器の向こうで絶句している由美さん。ハマーは一ヶ月前に亡くなったと教えてもらった時はさすがに鳥肌がたった。2度目は一年前。ハマー君命日の前日に、同じくベランダから鳴き声と鈴の音が。その少し前に新しい家族としてお隣にやって来たアッシュ君かと思ったが、念のためにメールすると、「明日が命日なんですっっっ!」と再び絶句する由美さん。そして3回目の今日はドンピシャ命日だった。こんなことってあるんですね。由美さんに電話して、今日が命日だったことを教えてもらった時、なんだか嬉しくてもらい泣きしてしまった。


そういえば2日前、我が家にやって来た甥っ子ノゾムに「最近はお隣さんの猫の声、聞こえないの?」と聞かれて「最近は聞こえてないなぁ」と答えたばっかりだった。日曜にたくさんの猫と遊び、少しずつ猫の世界に近づいていたんだろうか。それとも、自然に囲まれて過ごすと、どろどろした現実世界から少し浄化されたピュアな世界へと移動できるんだろうか。春の風がやさしい花の香りを運ぶように、どこからか聞こえて来た甘えるようなハマー君の声。決して霊感が強いとは言えない私に3度も聞こえたということ。これが意味することって何だろう。春の風、花、猫、このキーワードから何が解き明かせるのだろう。天上のハマー君、教えてください。


重兵衛さん・・・【今日の地球】

この前の週末は実家の方のお祭りで、姉も帰ってきていたので私ものんびり実家帰りしていた。日曜日のお昼間、みたらし団子で口元をべたべたにしていたところに携帯メールが入った。ヴァンセットの秀代ママからだった。そこには信じられない文字が連なっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・重兵衛さんが亡くなった、と・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

重兵衛とは、20年来お世話になっている名古屋の会席料理のお店の大将のことで、多くの料理人たちが敬愛してやまない料理人の中の料理人である。60代半ばでお若く、こんな突然の訃報を受けるなど誰もが信じられなかっただろう。私も呆然とするしかなかった。携帯電話を持ったまま、その場にへたりこんでしまった。
大きなご病気をされていたことも、最近体調が思うようにいかず、時々包丁をまな板の上に置いてじっとしているご様子も知っていたので、どうか養生してくださいね、とお顔を見るたびに言っていたのだが、まさか、こんなことになるとは。

月曜のお通夜と火曜のご葬儀では、重兵衛さんを失ってしまったということを現実のものにしたくなくて、会場に着いたものの、どうしても会場に入ることはできなかった。でも、現実は容赦なくやってきてしまう。時間通りにお通夜も葬儀も始まってしまったのだ。


重兵衛さんは、気骨あふれる料理人で、若干26歳で自分のお店を開き、以来39年の長きに渡り、独自性と創作性の高い素晴らしいお料理を数々作っていらっしゃった。日本料理の基本は昔ながらの技でしっかりとおさえながら、いつも斬新な発想で新しい料理を生み出してきた。お造りはそれぞれに温度、大きさと厚さ、隠し包丁による食感の違いをきちんと表現し、驚きの一皿を供されていたし(今では当たり前の技術だけど、当時はそこまでやっている町場の料理屋さんが数少なかった)。惜しげもなく良い素材をたっぷりと使っているので、思わずお客さんの方が原価を心配するということがあった。時にイタリアンやフレンチで使う調味料を日本料理で試したのも重兵衛さんがオピニオンリーダーだったのではないだろうか。
私が教えてもらったのは料理だけではなかった。まだうら若き20代の頃、生意気盛りの私は、重兵衛さんから多くの薫陶を受けたのである。


重兵衛さんの料理が食べたいけど一緒に行く人いないから、一人でカウンターに食べに行ってもいい?と電話すると、受話器の向こうから一喝された。「まりちゃん、女の子が一人で食事なんてするもんじゃない。一緒にお食事したいわ、と思えるようなボーイフレンドくらい何人も持ってなきゃオンナがすたるぞ」とあっさり断られてしまった。
「上品にごちそうしてもらえるオンナになりなさい。オトコがごちそうしてやりたいと思えるようなオンナになりなさい」
「女の子は一人でバーに行っちゃダメ。バーはオトコの場所なんだから、男性がエスコートしてくれるなら行きなさい。ましてホテルのバーは絶対に女性一人はダメ、ルール違反」
「いくらワインに詳しくても、お店に入ったら男性に任せなさい。オンナは飾り物としての美しさを保って、美味しい時間を過ごしなさい」
女性が女性らしく、男性が男性らしくあればこそ、食事の時間は楽しく記憶に残るものだということをとても丁寧に教えてくださった。


重兵衛さんのお宅にお邪魔して大酒を飲み重兵衛さんのベッドで眠りこけてしまったことや、次の日の営業で使う食材を勝手にお店から持って来て食べてしまったり(一階が店舗、二階がご自宅なので)、朝方まで飲んで大雪が降り帰るのに苦労したことや、お母さん(重兵衛さんの奥さんでお店では社長)以外の人を好きになってしまった内緒の話や、それがばれてお鍋で叩かれた話など、とにかく重兵衛さんの思い出は尽きない。


重兵衛さんの精神は、料理だけではなく、器の選び方からお店づくり、そしてお客さんとの距離感に至るまですべてにおいて一貫していた。お客さんに向かって"良い客になるためのマナーを教える"ことのできる料理人なんて、今はもういないのではないだろうか。そういえば、一度、こんなことがあった。
ワインブーム盛りの頃、お店にグランヴァンを持ち込むお客さんが増えていた。大らかな重兵衛さんは持ち込みOKと許容されていたが、ある時、3名でいらっしゃったお客さんがいきなりカウンターの上にワインを5本並べたのである。「テイスティングしたいから、グラスそれぞれ5脚ください」と。みなまで言い終わる前に、重兵衛さんは包丁を突き立てて怒った。「持ち込むなら持ち込むって予約の時に言え!お店への気配りで、一本ぐらいはお店のワインを飲め!そのお店で提供していないワインなら許す。お店にあるワインならお店の物を飲め!ワイングラスは一人一脚!持ち込んだらその空き瓶は自分で持って帰れ!それができないヤツはワイン持ち込み禁止!」ワインラバーに嫌気がさしていた私には、溜飲が下がる言葉だった。拍手を贈りたいくらいだった。その後、その3名は体を半分くらいに小さくして、無言で料理を食べていたっけ。さぞ苦しかったでしょうね〜。これ以外にも、エピソードを語り出したら止まらない。


2月生まれの重兵衛さんに今年もお花を贈り、そのお礼のお電話をいただいて会話したのが最後になってしまった。前回お店にうかがった時に、私が大好きな古九谷の器でお造りを出してくださったので、「重兵衛さんが死んだら、この器ちょうだい!」と言ったら「そんなに早く殺すなよ」と笑って言ってたのに。今年の夏は一緒に鮎を食べに行こうと約束していたのに。
重兵衛さん、あなたのような料理人はもう二度と現れないと思います。
日本中が桜で覆われるこの季節、桜が最も美しい散り際に、桜と共に散っていくなんて、重兵衛さん、最後の最後までかっこ良すぎるよ!
泣き過ぎて腫れてしまったまぶたに、濃いめのブラウンのシャドーを塗って、今日、私は懸命に涙をこらえて仕事に向かった。


海のオンナ、海のオトコ【今日の地球】


まだ極寒と言ってもいいほどの気温に震える2月初旬、海辺の風景を取材するために、賢島〜志摩方面に出掛けた。レインブーツを履いて海に入り海女さんと一緒に船に乗ると、このコラムでも紹介したあの頃のことである。ディレクターS氏とカメラマンM氏と共に賢島のホテルに泊まり、夜明け前の5時にロビーに集合して、すぐに浜辺に降りたら、この風景と出逢った。夜と朝の間、これから一日が始まろうとする光の眩しさ、絵葉書のような美しさに、息をのんで立ちつくしてしまった。


太陽が昇る光景を左手に見ていて、ふと右を見ると、空にはこんなきれいなお月様が浮かんでいるではありませんか!映像位置的にもまさに夜と朝の間に立っている私。カメラマンのM氏は、刻々と変わりゆく夜明けの色彩を追って無言でシャッターをきり続けている。一歩でも足を踏み出せば、あっという間に夜が明けてしまいそうな気がして、寒さに震えながらじっと空気が流れて行くのを感じていた。


日が昇った後は、漁業組合の市場の取材、そして楽しみにしていた海女さん取材である。海女小屋に入っていくなり浴びせられた言葉は「姉ちゃん、今日これから一緒に海に潜るん?」とまどう私に隣のおばちゃんが大笑い。平均年齢70歳を軽く超えている海女さんたちは、とにかく明るくて、めちゃめちゃ元気だ。まるで少女のようにけらけらと笑う。屈託のない笑顔は、人生の苦労と表裏一体なんだろうなぁと思いながら、私も一緒におかきを食べ、男性の悪口を言い合い、共にけらけらと笑った。腹筋をたくさん使って笑ったからか、とっても気持ち良かった。海女さんたちがお着替えされた時にちらりと見えた、真っ白でつややかな肌が忘れられない。

※海辺の風景を取材した文章は、とあるクライアント様の広報誌にてお読みいただけます。いつもながら写真がとても素晴らしいのでぜひご覧ください。ご希望の方は下記アドレスにメール送信してください。
Sassi-ko-ryu.Koe@chuden.co.jp
1.郵便番号・住所、2.氏名(ふりがなを添えて)、3.なぜ欲しいと思ったか、を記入の上、お申込くださいませ。



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2月の海辺でのことを何故今頃コラムにするのかというと・・・海のオンナの強さと海のオトコの清々しさを、この数日何度も想ったからである。

志摩に住む友人のご主人・海のオトコが天に召された。
3月30日午前10時43分、大潮だったそうだ。

友人のSちゃんは、癌を患ったご主人と共に過ごす闘病生活をブログに記しながら、ご主人Rちゃんに対する深い愛と献身的なまでの看病に精一杯のことをしていた。その愛に満ちたブログからは、愛娘とご主人との大切な時間をていねいに過ごしていることがよくわかった。愛娘には、人生の可笑しみや悲しみ、そして愛を教え、時に諭し、親と子というよりも同じ人間同士、共に成長を楽しんでいるかのように見えた。
ご主人のRちゃんは志摩で生まれ育ち、ヨットが大好きで船を造る仕事をしていて、海のオトコそのものだった。結婚前から話だけはたくさん聞いていたのだが、今度は会わせてねとは口約束ばかりで、結局、私はご主人には会えていない。


ここのところ、Sちゃんのブログがかなり逼迫した内容だったので、数日ブログ更新がないとドキドキしてしまう。昨日、4月1日の未明の更新で、ご主人が亡くなったことを書いていた。これはエイプリルフールだろうと思った。きっとジョークなんだ、と。ブログが新しく更新されるまでは信じないでおこう、と。でも、やはりそれはエイプリルフールなんかじゃなかった。


4月1日の夜、私は会えなかったご主人Rちゃんと乾杯したくて、お酒を飲むために出掛けることにした。ご近所の割烹「ふじ原」で、はじめて"一人ふじ原"を体験。心の中で、友人のSちゃんと、そのご主人Rちゃんと一緒に日本酒を乾杯。Sちゃんがブログで書いていたように「今夜はたくさん飲もう!」とRちゃんに語りかけ、ひと口飲んで天を仰いだら、お酒が喉をゆっくりと流れていった。あ、美味しい。生きてるってこういうことなんだなと思った。
Sちゃん、今度Rちゃんの話しながら一緒にお酒を飲みましょう。何度かメールを送ったのだけど、なぜだか戻ってきてしまって。不義理を続けていてごめんなさい。3月30日はとてもきれいな満月でしたね。今頃、Rちゃんは、私が見た志摩のきれいな海の上でお星様になっているのでしょうね。お星様になった海のオトコが、海のオンナであるSちゃんたちをずっと見守ってくださると思います。


海の力【今日の地球】

海の上にぷかぷかと浮かんできた。と言っても、もちろん冬の海の上ではなく、海水を使ったアクアトニックプールに浮かんだのである。お仕事先のS藤さんが、蒲郡のテルムマランの体験チケットをくださったのだ。そう、あのラグーナのすぐ近くにあるタラソテラピーの施設のことだ。タラソテラピーとは、海洋療法のこと。海の力を借りて、疲れをとったり運動をしたりして、体を癒し、海からパワーをもらうことである。


テルムマランに到着してすぐにヘルシーなランチをいただく。これが前菜。バイキングで豊富なラインナップの中から好きに選ぶ。この後、メインをいただくので割とすごい量になるけど、ヘルシーに仕上げてあり、おなかもたれは全くなかった。カロリーコントロールしてあるので、気楽にいただけるのが女性には嬉しいですね。もちろんデザート付きだ。


この後、水着でアクアトニックプールで好きなだけ歩いたり座って海水の流れを感じたりして遊ぶ。プールといっても、三河湾から海水がひかれているので、海に浮かんでいるのと同じ効果が得られるのだ。全面窓からはラグーナやヨットハーバーが見えて気持ちイイ〜。首筋の打たれ滝みたいなのがあったり、足裏にジェットが当たるようになってたり、全身のツボにピンポイントで海水ジェットがびゅんびゅんと響く。マッサージマニアの私にはドストライクな所だということがわかってきた。


そして極めつけは、この後のピシーナリラクゼーションだった。トレーナーの指導のもと、海水に全身を浮かべて眠るのである。最初は耳に水が入っちゃうじゃん(これは耳栓でカバー)とか、眠れるわけないじゃん、などと思っていたのに、トレーナーの方に身を任せて言われるがままにしていたら、ホントに海水に浮かんだまま大の字で眠ってしまったのである。ハッキリ言って、枕が変わろうがベッドが変わろうが、どんな所でも眠れるタチではあるけど、まさか水の上で眠ることになるとは思わなかった。そして耳栓の奥から聞こえてくる水の流れやざわめきがものすごく心地よいのである。人間は海から生まれたとか、海は母親の胎内に似ているなどと言われるのがよぉ〜くわかった。


メニューの最後に、アルゴパックという海藻パックをマッパになって全身にほどこしてもらった。海藻クリームみたいなのをたっぷりと塗られ、ビニールで体を覆われて温めてもらう。まるで自分が昆布蒸しされているような気分になった。この時の私の体をこのままローストしたら、さぞ美味しい昆布締め風の焼豚ができたことと思う(笑)。


さらにこの後も、もう一度アクアトニックプール内のチェアに寝そべり、西陽のさす海を眺めながらのんびりしていたら、お隣に同じく寝そべっている紳士が、なにやら私のことを凝視している様子。
すわっプールサイドのナンパかっ!結構古い手だぞ!と思いきや。昆布締めパックの後、水着を着直した時に胸元のファスナーを上げきらないままプールに入ってしまったらしく、さらに中途半端なファスナーに海水ジェットが入り込み、私の胸元は半チチ状態になっていたのだ!うわ〜やっちゃった〜。仕方ないので素知らぬふりでプールを退去し、そそくさと着替えて帰路についた。
それにしても、海の力ってホントにすごいんですね〜。普通のプールではあんな体感できないですもの。名古屋から約1時間のテルムマラン。まる一日をゆったり過ごすにはとっても良い所でございます。皆さん是非ご体験を。S藤さん、またチケットよろしくお願いいたしますっ!!!


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そして土曜日の今夜は、数回前のコラムでご紹介した、友人の井戸えりちゃんが衣装を担当しているお芝居「さくら城に沈む月」を見て来た。歌うように唱えるお経の"声明"とコラボしながら、お寺の本堂という特殊な空間に舞台を作り、桜を小道具に素敵なお芝居が繰り広げられた。もちろん井戸えりちゃんの衣装は創意と工夫に満ちたもので、お寺の本堂という舞台と時代考証をとてもうまくミックスさせて仕上がっていたと思う。明日日曜の夜は最後の公演になるので、お時間のある方は是非ご覧になってください。お寺で見るお芝居、新鮮なのにどこか懐かしくて、いいですよ!

「さくら城に沈む月」 劇工房MAKOプロデュース
3月28日曜18時30分
入場料/当日2800円
お問い合わせ/劇工房MAKO企画 09017520168(浜島)
www.md.ccnw.ne.jp/makokikaku/
会場・浄土宗 宝亀山 相応寺本堂


お寺の本堂の前には
五部咲きの桜の樹がライトアップされていた。
きっっれ〜い。
今年初の夜桜を思わず写メっちゃいました。


瀬戸内の美味に想う【今日の地球】

松山を旅してきた。愛媛はおろか、実は四国そのものに舞い降りるのが生まれてはじめてのこと。昨年末NHKで放映された「坂の上の雲」で松山を舞台にしたお話と松山の美しい風景(実際は全国あちこちでロケされているのだけど)にすっかり心奪われてしまい、久々に旅心に誘われたというわけだ。松山や道後温泉、坂の上の雲ロケ場所巡りツアーのことなどは後日アップするとして、松山"旅の手帖"第一弾は、瀬戸内の美味しいお魚について書こうと思う。


松山では、瀬戸内で獲れる鯛の炊き込みご飯やお茶漬けが名物となっている。私がいただいたのは、鯛のお刺身を卵とゴマを使ったタレに浸してご飯にかけて食べるもの。ただ、残念ながら観光客相手のお店だったのか、独特のもったりした脂がのっている養殖鯛だった。結構良いお値段だったので、少々がっくり。


お昼をいただいてからお城だの温泉だのでかなりの距離を歩いたので、おなかがすきすきの状態で、気を取り直してお夕食でございます。
せっかく松山に行くのだから、瀬戸内の美味しい小魚を食べさせてくれるお店、名古屋でいうところの「勝手屋」さんのような居酒屋に行きたいなと思い、いろいろリサーチしたが、残念ながら現地に知り合いがいない街では、ネットやガイドブックしか頼りになるものがない。以前博多出身サイトーさんに教えてもらった博多のお寿司屋さんがびっくりするほどお値打ちで、地魚を徹底的に美味しく食べさせてくれたので、その経験から地元の物を大切にする料理人のお店に行きたかったのだ。


結局、ネットで探して行き着いたのは、佐田岬半島の三崎漁業組合が経営する居酒屋さんだった。松山市内の住宅街のような場所にあり、地元の人が普段食べに行っている感じの、ごくごく普通の居酒屋さん。
そこでいただいたのが、このお刺身でございます。カンパチ、タチウオ、鯛、そして岬(はな)アジに岬サバ!岬アジとは、大分県佐賀関の関アジと漁場を共にする佐田岬半島の三崎漁港から出荷されるアジのことを言う。潮がぶつかりあう浅瀬の岩礁に棲み着いていて、大海原を大群で回遊するアジと違い、身が締まって旨味が強い。実際にいただいていみると、もうそんな面倒な説明などどうでもよくなるほど、本当に新鮮でこりこりしてふんわりと香る美味しいお魚だった。名古屋や東京のお寿司屋さんだったら、もう少し薄く切るんじゃないかな?と思うほど、どのお魚も分厚くて大きかったし、いわゆる"洗練"という言葉からはほど遠いお料理だったけど、これこそ獲れたばかりのお魚を地元で消費する美味しさに満ちていて、大満足の一夜を過ごした。お刺身の手前にある柑橘は、なななんとカボス!一瞬、色からして伊予柑???と思ったけど、絞ってみるとやわらかな酸味が特徴のこれまた美味しいカボスだった。さすが四国!
さらに、お昼の雪辱をはらすため、最後の〆ご飯は、鯛ご飯をオーダーした。すると、天然と思われる身の透き通った鯛のお刺身が、お昼と同じく卵とゴマのタレにかかって出てきた。最初に鯛のっけご飯で、次に上からお茶をかけてお茶漬けにしていただいた。もちろん、ごくごく上品なとっても美味しい鯛ご飯であった。さすが漁業組合直経営!


さてさて最後のお夕食。松山空港で瀬戸内最後の食べおさめとばかりに、導かれるようにしてお寿司屋さんの暖簾をくぐった。瀬戸内産とおぼしきネタにうっとりしながら、まずはビールとお刺身を注文する。すると、出てきたのは、新鮮なぷりぷりのカンパチ、岬アジ、岬サバ・・・とここまでは良かった。この後、びっくり仰天、まぐろの赤身が供されたのである。すっかり気分は冷めながらも仕方なく一口いただくと、予想通り冷凍物が解凍されて、さらにドリップが出きった後の旨味の抜けたパサパサのまぐろだった。地元のお魚で、とオーダーしなかった私が悪いのか。
目の前で獲れた新鮮な瀬戸内の小魚にこんなにも恵まれているのに、なぜ、まぐろ???お寿司屋といえばまぐろが出てくるというのがもしかして日本の常識になっている?そしてそのおかしな常識は、どこかの大手回転寿司会社が作ったのか、それとも日本人の頭の中がそこまでおかしくなってしまっているのか?日本全国、どこのお寿司屋さんに行ってもまぐろがあるなんておかしいじゃないですか。クロマグロがワシントン条約で禁輸になるかもと騒いでいるけど、もしも日本人の味覚とお魚への意識がどうかなってしまっていて、クロマグロを世界中で乱獲して冷凍しないとお寿司屋さんが成り立たないのだとしたら、ワシントン条約による禁輸は決行されるべきだと思う。近海で獲れたお魚を地元で美味しく消費する、そんなごく当たり前の“楽しさ”を知る自由がないなんて!冷凍技術なんてくそくらえだ!納得できない気分のままに、すっかり下品になった私は、夕暮れ時の真っ赤な空をゆく機上の人となった。


啓蟄を知らせる【今日の地球】

三寒四温の言葉どおり、少しずつ春が近づいてきている。三寒四温、いい言葉だなぁ〜。
今朝、昔から使われている言葉とか、昔の人の鑑賞眼はすごいものだなぁとつくづく実感する出来事があった。
今日3月6日は「啓蟄」である。啓蟄(けいちつ)とは二十四節気のひとつで、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくる頃のことを言う。「啓」には「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味が、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味があるそう。要するに、春への扉を開けて虫が外に出てくるということで、人間だけでなく虫にとっても居心地の良い温かさを感じる季節、というわけだ。


我が家のリビングは南向きで冬でも結構温かい。お天気が良ければ、暖房を入れなくてもぽかぽかしていて、気持ち良くお昼寝できちゃうほどだ。そして、日当りの良い窓際には幾つか観葉植物を置いているので、そこには小さな生き物が生存する「鉢」がある。そろそろ春かな・・・と人間が感じる季節になると、土の中に眠っていた小さな虫がのっそりと出てくるのである。そして今日、まさにその虫が現れたのだ!「お、今年も出たね」と虫に声を掛けてから気がついた。今日が啓蟄だということに。


実はこの虫、海外からやってきたヤツなのだ。およそ4年前、まだ学生だった甥っこノゾムがインドを旅したお土産に「クミンシード」を持って来てくれた。カレーに入れる香辛料で、小さなビニール袋に詰まった代物だった。もらってから1週間ほどキッチンに置いておき、ある日ふとそのクミンを見ると、もぞもぞと虫が動いているではないか!どうやらインドからクミンにくっついて虫も一緒にやって来ちゃったみたいなのだ。一瞬うぎゃっっっ!と声をあげながら、そのビニール袋ごとゴミ袋に捨てて封印し、無事処理したつもりでいた。
・・・そして一年後・・・。
当然ながら、その虫のことなどすっかり忘れていた。ところが、一年後のちょうど「啓蟄」の頃、その虫がリビングをのっそりと、でも堂々と横断しているではありませんか。どうやらヤツらは観葉植物の鉢に安住の地を見いだしたらしく、そこで越冬して2世代目が顔を出したのだ。びっくりした反面、生命力のすごさを感じてしまい、虫を退治する気にはなれなかった。


のっそり虫くんは、お米粒の半分ほどの大きさで、人間の不都合になることは何もしない。ただリビングの南側を時々のっそりと横断するくらいである。さらにヤツらの生存日数は大体数日で、のっそり歩いているなと思ったら何日か後には死骸となる。何を食べて生きているのかまったくわからない。もしかすると何も食べることないままに一生を終えるのかもしれない。この部屋で何代にも渡って生き続けている割には繁殖力も大したことがなく、まぁ要するに虫嫌いの私でもほとんど気にならない程度の存在なのである。


それにしても、インドから海を渡ってやってきたというのに、日本の二十四節気の啓蟄を狙って外に這い出てくるとは、のっそり虫もなかなか礼儀正しく粋なヤツである。毎年、のっそり君が、仕事と恋に疲れた四十女に春の訪れを知らせてくれるのだ。どうもありがとう。


料理の星【今日の地球】

東京ミシュランが華々しいデビューを飾って早2年。今年はとうとう日本の料理の聖域とも言える京都や大阪にも進出し、編集長ナレ氏の辣腕を歓迎する向きも、眉をひそめる声も挙がっているとか。かくいう私もミシュランにはかつて随分お世話になったし(フランスではレストラン情報だけでなく旅の友としての役割もあるので)、東京ミシュランが出た時は、行った事のあるレストランの星を意味なく足したりして喜んでいた。


星の増減で、人生を左右されるシェフがいるほど、一部の料理界では恐ろしいほどの権威を持ってしまったミシュラン。その他方で、ミシュランの存在など関係なく、地元の旬のものを美味しく調理し、地元の人々に喜んでもらうことを人生の最大の喜びとしている料理人たちが、この日本にはたくさんいる。


そんなことを思いおこしたのは、おもてなしの心で腕をふるう料理人に出逢ったからである。およそ7年ぶりに取材で博多を訪れた私は、福岡出身の飲み友達・サイトーサンから「コストパフォーマンス日本一のお寿司屋があるから行って来て!」と教えてもらったお店に出向いた。


オーダーしたのはサイトーサンおすすめ3,000円のコース。3,000円ですよ、3,000円!内容は、お口取り、大皿のお刺身盛り合わせ、季節のお料理2種、おまかせ握り6カン、お汁物、デザートである。またそのお刺身やお寿司のネタの新鮮なことと言ったら!穴子のあぶり刺身、季節の鯖、ヒラマサ、イカ、アンキモ・・・。お寿司の方は、江戸前風にすべて仕事をしてから卓上に出され、それぞれの味の違いが際立つように工夫されていた。時折、料理人の方がわたしたちの卓の様子を見て気にしてくださってるのがとても印象的だった。お話したらきっと面白そうだな〜。玄界灘の美味しい旬が集合したお皿に、大満腹大満足してホテルへ戻った。


本当に美味しいものを食べようと思ったら、やっぱり地産地消が一番なのだなと実感した一夜だった。だって地元で獲れた新鮮なお魚は地元で消費するべきだもん。東京や名古屋まで輸送するのにガソリンや電気を用い、コストをかけてCO2を排出し、値段が高くなってしまった食事って意味あるのかしら?


そんなことを思いながらホテルで寝転がっていると、サイトーサンから電話が入った。とても美味しかったという感想と礼を述べると、サイトーサンが言った。「銀座のあのお寿司屋さんもいいだろうけど、博多の寿司屋は違う意味でいいでしょ!あのお店のコストパフォーマンスの素晴らしさを分かってもらえて良かったよ!」と。銀座のお寿司屋さんとは、ミシュランに登場しているお店のことである。
芸術品のように美しく、計算され洗練された料理を都会でいただく事もそれはそれで素敵だけれど、わたしたちがこれから大切にしていきたい料理とは、その場所で獲れた食材をその場所で美味しく食べること、なんじゃないのかな。


サイトーサンおすすめのお寿司屋さんは、「すし処 寿楽」でググっていただければすぐに分かります。近々、[200字で綴る美味の想い出]にて更新しようかと画策中。博多へ行かれる方にはイチオシのお店です。サイトーサン、今度ぜひご一緒しましょうね!ちゃっちゃきちゃらじぇ〜。(覚えたての博多弁、合ってます?)


嗚呼、栗・・・【今日の地球】

いよいよ秋も終わり。今年も秋の味覚をたくさんいただいたな、日本に生まれてよかったな〜と思いながら、晩秋の夜更けを過ごしている。特に今年は栗のお菓子に恵まれた秋だった。デパートに今日から並んだよ!と友人が駆けつけ差し入れしてくれた「栗きんとん」をはじめとして、毎年お取り寄せする丹波の栗納豆。国産栗で作ったという和菓子屋さんのモンブラン、かのパリ名店アンジェリーナのモンブラン・・・。


そして、こちらは食いしん坊ディレクターのS氏からいただいた
「栗きんとん羊羹」なるもの。味は栗きんとんなのに、ねっとり感は確かに羊羹。お煎茶でいただきました。はじめての食感でございました。S氏、どうもごちそうさまでした!!!


我が家にてキノコ鍋をした時のデザートは、
なななんと栗のオンパレード!
左下が小布施堂の栗羊羹。左上が同じく小布施堂の栗かのこ。
右の大きいのがS氏からの頂き物、すやの栗きんとん羊羹。


こうして書き連ねてみると「栗のはじめて体験」の、なんと多いことでしょう。中でも強烈な印象に残っているのが、中津川の「すや」本店でいただいた、できたての栗きんとんだった。「すや」には、ある女性キャスターの取材の一環でお邪魔した。その女史が秋になると必ずお世話になった方々に贈る品が栗きんとん、ということで、その本店を訪ねたのだ。


そこで、お店の方からの特別のお計らいにより、絞りたての栗きんとんをいただく栄に浴すことができたのである。ほの暗い店の奥から、絞りたての栗きんとんがお盆に載せられ運ばれてくる。すると、どうでしょう!手元に栗きんとんを出していただいたその瞬間に、蒸した栗の甘い匂いがふわ〜っと香るではありませんか。その香りに驚きつつも、栗きんとんを口にすると、今迄味わったことのないしっとりした舌触りに再び驚きの声をあげてしまった。水分が蒸発していないので、ビロードのような繊細な舌触りが保たれるのだ。


おそらく、栗きんとんが販売されている期間中に、午前の早い時間帯にお店にうかがい、「絞りたてが欲しいのですが」とお願いすれば、なんとか売ってくださるのではないかと思う。どうしても食べてみたいという方はご一報ください。私もあの感動をもう一度味わいたいので、早起きして一緒に中津川まで行こうではありませんか。あとわずか残された日本の秋を、満喫しつくしましょうぞ。


仲秋の名月【今日の地球】


今日は一年でお月様が一番美しい、仲秋の名月だ。
お月様が大好きなので、ほぼ毎夜、お月様の姿を空に探すのが習慣になっている。地平線が見える所では、お月様を頭上に掲げてお散歩する。高速道路を走っている時は、山に見え隠れするお月様を確認しながら変化する夜道を楽しむ。そしてビルに囲まれた我が家では、ベランダからテレビ塔の横に浮かぶ姿を拝み、時にビルに映り込んだところを見つけては喜んでいる。中でも秋のお月様は神々しいように白く輝き、澄んだ色をしているので大好きだ。
お酒が入ってのんびり(というか千鳥足?)歩いている時に、夜空に浮かぶお月様を見つけると、思わずお月様を目掛けて走りだしてしまうクセがあるので、周りの人はビックリするみたいだ。前世はオオカミなのかしら?(どう見てもオオカミには見えない、ですよね)
上の写真は、Galleryの季節のハガキコーナーにもアップしている物。何年か前に制作した「仲秋の名月DM」である。親友のカメラマン川嶋なぎさと一緒に制作したもので、かなり好評だったので、しつこくこうして見ていただくことにした。お月様に見立てて撮影したのは、ベトナムで購入した金箔の酒器。この年はたまたま9月11日が仲秋の名月だった。自分で書いたリードコピーが後々になっても結構気に入っているという、珍しい制作物(苦笑!)でもある。

さてさて、皆さん、今宵はどんなご予定でしょう?台風接近でお天気が少し心配ではありますが。一年に一度の夜なので、美しいお月様を眺め、お仲間とご一緒に杯をかたむけてみませんか?


パイナップルの生命力【今日の地球】

二回続けて南国フルーツネタでご勘弁くださいませ。
5月に沖縄へ旅行した時に買ってきた物と言えば・・・。
当然ながらマンゴー、そして八重山パイナップルにも心奪われ、業者買いした。
フルーツショップのお兄さんに
「お客さん、そんなにパイナップルが好きなら、食べた後は育ててあげてね」と言われた。
パイナップルを育てる? しかも食べた後に?


左が食べる前。
右が食べた後。
そのお兄さんによると、実を食べてから、切り口を少し乾燥させ、
鉢に入れて土をかけてやれば、自然に根付くそうである。


そして、こちらが、今日現在の姿。
一部傷んでいる箇所があるけれど、立派に根をはり、
伸び伸びとお日様に向かって葉が成長しているのがよくわかる。


食用として栽培され、収穫されて売られる運命のパイナップルも、
土と太陽と水さえあれば、こうして立派に生きることが出来るのだ。
生命力って本当にすごいんだなぁ、と鉢に向かってつぶやいてみた。

先週までの怒濤の連続原稿締め切りが山を越え、一息ついているタイミングなので、
そこはかとなく無意味なことを考える晩夏の昼下がり。

忙しければ現実からの逃避行を妄想する癖があり、
暇ができるとついついマイナス思考に走る癖がある。
どちらにしても前向きとか積極的とはほど遠い性格だ・・・自己嫌悪。

パイナップルの生命力を目の前にして、
私も弱音なんてはいていないで、張り切っていくぞぉ〜、と思い直し。

さぁ、前向きな発想でいかなくちゃ〜とパイナップルとにらめっこ。

そうだ、来年はこのパイナップルに実を成らせることを目標にしよう。