徒然なるお仕事

飲んべえばかりのプロジェクト【徒然なるお仕事】


逸品もっとよくなるプロジェクト、これは岡田新吾さんの呼びかけで始まった地域ブランディングプロジェクトである。クリエイター5人で「逸品もっとよくなる推進委員会」を組織し、互いのスキルやキャリアを発揮して、地域に埋もれた特産品や名産品に再び脚光が当たるようにブランディングからの見直しから図り、魅力ある商品として甦らせる取り組みである。時として遠回りな道を通ることもあるわたしたち。安易に「こうすればカッコいいですよ〜」など絶対に言わない。でも丁寧に地道に、クライアントの魅力と可能性を引き出して、売れる商品づくり、伸びるブランド力を創り出してゆくのがわたしたちのやり方だ。


そしてその地道なやり方で新商品開発に結びつけた第一号の商品発表会(もちろん身内のクリエイター同士で)が先週の土曜日に、主宰者である岡田新吾さんのご自宅で開催された。↑上の写真はその時のもの。一番左が岡田新吾氏。彼が手にしているのが岐阜県各務原市にある小町酒造さんの新商品「零戦のつばさ」である。岐阜県の酒造米「飛騨ほまれ」を使った純米吟醸で、すっきりとした飲み口が特徴の日本酒だ。なにより、この誕生秘話が素晴らしい。岡田新吾さんは、広告デザイン会社の社長、コピーライター、写真ギャラリーオーナーと数々の肩書きに加えて、児童小説作家でもある。彼の処女作である「約束のつばさ」には地元各務原市で初飛行したという零戦が登場しており、それが平和や人の交流の象徴として描かれているところに小町酒造の方が注目したのだ。まさに一見遠回りなように見えるが、実は、クライアントのことや商品が生まれる環境をきちんと理解した上でのブランディング成功例だと思う。でも天の邪鬼な私は彼におめでとうとは言わなかった。この商品が広く知れ渡り、各務原市が零戦初飛行の街として地域性を高めることができた時に、心をこめておめでとう、と言おうと思っている。照れ屋の彼のことだから、きっと私の意図はわかってくれていると信じて。


さてもうひとつ、この日にお披露目になった商品があった。こちらは逸品もっとよくなるプロジェクトのメンバーの一人、デザイナーの池上氏。岡田氏と池上氏が手掛けた「逸品」は、愛知県犬山市に昔から伝わる駄菓子の「げんこつ」を、新たにブランディングしたもので、その名も「天下とりぼー」。戦国武将の陣中食だったと言われるげんこつ。そのルーツを改めてたどることで魅力を再発見し、ネーミングを考え、ラベルデザインを一新させたのである。この日はちょうど犬山祭りの日だったので、プロジェクトのメンバーで犬山祭りを訪れ、天下とりぼーを販売している店舗へと赴いたのだった。



また「逸品もっとよくなるプロジェクト」は、「もっと!地酒の会」も主宰している。ニッポンの良いものを掘り起こすにはニッポンのお酒を愛でようではないかという取り組みで、このコラムでも何度か紹介させていただいた。次回の「もっと!地酒の会」で日本酒を提供していただく酒蔵が、この日たまたま酒蔵開放されていたので、実は犬山に行く前に、愛知県江南市の酒蔵で一杯ひっかけてきちゃったのだ。(すみません、完全に時系列が逆になってます)


実はこの日の前夜は、我が家で「中華の会」を催し、例のごとく深夜までたくさん呑んでいた。翌朝は二日酔い状態で電車に乗って酒蔵開放に向い、思い切り迎え酒をしてから、陽光まぶしい犬山祭りに出掛け、酔いをひきずったまま岡田氏のご自宅へとたどり着いた。前夜からの二日酔いをひきずっていたのは私と池上氏。けれど岡田氏がいつも自慢している美人妻の手料理があんまり美味しいものだから、ついついお酒がすすんでしまって仕方がない。気づいたらいつも私と池上氏のグラスが空になっていて、ホスト役の岡田氏はさぞ大変だったろうと思う。でも、せっかくお誘いいただいたんだから、遠慮しないで徹底的に楽しむのがいいと思い込んでいるので、つがれた分はしっかりいただいてきましたけどね。岡田さん、美人な奥さま、本当にごちそうさまでした。懲りずにまた呼んでよね。


追記●岡田氏のご自宅はアート作品にあふれている。
さすが写真ギャラリーオーナーのハイセンスなお宅。
インテリアも素敵だし、なんとリビングにはサッカーゲームがあるではないですか!酔った勢いでサッカーゲームをやらせてもらい惨敗したので、次回は是非リベンジを!


追記その2●この日を境に、日本酒に恵まれる日々が続いているのはなぜだろう。やっぱり桜の季節は日本酒、ということになるのだろうか。今週お邪魔してきたのは、秋田屋さん主催の恒例日本酒の会。今年は東日本大震災慈善事業として開催され、名古屋の財界及びお姐さんがたがずらりと勢揃いしていた。河村たかし市長もいらっしゃり、お得意の名古屋弁で被災地への支援についてお話されていた。私も東北の美酒を積極的にいただいて、復興支援をしていきたいと真剣に思っているので、皆様よろしくお願いいたします。


ウェスティンの天守の間

ウェスティンの天守の間

この日は素敵なTさんご夫妻とご一緒。

この日は素敵なTさんご夫妻とご一緒。

いっぱい呑んだ顔してますね

いっぱい呑んだ顔してますね


フランス料理店のwebを作りました【徒然なるお仕事】


名古屋・御器所にあるフランス料理のお店「ヴァンセット」のホームページを制作させていただいた。このお店には20年来通っており、青木さんが作る優しい味わいのお料理によって味覚の基本を育ててもらったと心の底から思っているので、ホームページを作るというのはそれに対する恩返しのようなつもりだった。オーナーシェフである青木さん、マダム&ソムリエールである秀代ママ、パティシエである娘の香保里ちゃん、家族3人でお店を作り上げている。オープンスタイルのカウンターキッチンで青木さんが料理を作るところを見ながら、あーだこーだと会話を楽しみつつ料理が出来上がるのを待つ。日本の割烹のカウンター文化を取り入れたヴァンセットスタイルは、オーナーシェフのフランス料理のお店がまだまだ少なかった20年前から今迄、ずっと変わらぬ形で続けられている。


ホームページのコンセプトは「お店の体温が伝わる」とした。カウンター越しに青木さんと会話する楽しさ、料理を待つ面白み・・・そんな温かい雰囲気とワクワク感を表現したかったからだ。また、日本料理の繊細な技術を取り入れた青木さんお得意の魚や野菜料理はクラシックでもなければヌーヴェルでもなく、最近流行のモデルヌでもない。それはまさに青木スタイルである。まだ無農薬有機野菜が珍しい時代から積極的に取り入れて、クリームやバターを控え、オリーブオイルで仕上げた優しい味わいは、フランス料理は苦手・・・という人にも受け入れられる。青木さん一家の人柄の良さが、お店にも料理にも現れているということなんでしょうね。


パリのホテルリッツにも招聘された実績を持つ青木さんのお店は、海外からのゲストも多い。海外からいらっしゃった人にもヴァンセットスタイルが伝わるといいな、ということから、今回は英訳をすべての文章に付加させた。和文と英文の両方で文章が長くなっちゃうので、デザインは大変だったんだけど、なんとかきれいに収まったんじゃないかな。今回のデザインは、ラルムのwebを制作してくれたアイデアソースの前田まさみさん。私の勝手な要望や細かいチェックをいつも難なくこなしてくれる才媛である。
青木一家が交代でブログも始める(ちゃんと書いてくださいよ!と脅迫中です)とのことなので、旬の食材情報や、新しいメニューなどがweb上でチェックできるようになる。ヴァンセットファンの皆さんも、ヴァンセットに行ったことがない皆さんも、是非訪問してくださいませね。
ヴァンセットのwebはこちら!


マナーのはざまで悩むワタクシ【徒然なるお仕事】


これらの写真は2月の中旬。随分前のネタ出しですみません。なにせ先月は怒濤の出張ラッシュだったんですもの。山の中腹、湖畔、海沿い、そしてお江戸のど真ん中と、移動ばかりの日々だったんですもの。


数多くの取材先の中でも印象深かったのが、東京・三田にあるイタリア共和国大使館。江戸時代、松平隠岐守の中屋敷があった場所で(ブラタモリに出てましたよね)明治維新後は松方正義(松方コレクションの松方幸次郎の父親)の手を経た後、昭和9年にイタリア政府が土地所有権を得たのだそう。


デザインの優れたインテリアが日本の引き戸や和紙照明、
書などとうまく組み合わせられ、
まさに日本とイタリアの美の融合といった趣。
うわ〜素敵〜とつぶやきながら、館内を見せていただいた。


インタビューの相手であるイタリア駐日大使の紳士ぶりにも驚いた。イタリアを旅した時に出逢ったイタリア男性の話す言葉や、映画に出てくる俳優たちのイタリア語は、一体ナンだったの???と思うほど抑揚が上品なイタリア語でお話になり、事前に秘書の方にお渡ししておいた質問について熟考されたお答えが用意されていた(事前に質問事項をお渡ししていても取材時にはまったく関係ないことをお話になる方や暴走される方が意外に多いものなのです)。日本の文化への深い理解をお示しになりながら、イタリアのPRをさりげなく上手にされていた。経済、文化、芸術、外交と、あらゆるジャンルに長けていなければ大使のお仕事は務まらないんですね。
さて、この日、私が悩んだというのは、マナーである。わたしたち取材スタッフは、国際プロトコールに基づいたマナーのもと、大使館で接待を受けた。座る席順、紹介の仕方、珈琲が出る順番などがすべてプロトコールに沿っていたので「ここは日本だけど、今、私はイタリアにいるっていうことなのね」と思いながら大使や秘書の方々とお話を続けていた、その時だった。毎年花粉症に悩まされる私は、まさにこの日その瞬間から花粉症の症状が出てしまったのである。インタビューをしている真っ最中に鼻がズルズルになったのだ。最初のうちは日本式に鼻をすすって誤摩化しながら取材を続けた。ところが途中で気がついたのである。あ、ここはイタリアだということを。イタリアやフランスをはじめとした欧州では、鼻をすするという行為は御法度である。鼻が出るなら人前であろうとハンカチで鼻をかむのが習慣となっている。鼻をすする音がとても不潔に感じられてしまうらしい。ところが日本では人前で鼻をかむことなど失礼極まりない。トイレに行ければ問題なかったのだけど、なにせ取材の真っ最中である。私が立席するわけにはいかない。日本のマナーと欧州のマナーのはざまで悩んだ私は、どちらでもない方法をとるしかなかった。永遠に流れ出る鼻水をハンカチでそっとぬぐい続けたのだ。鼻声になってしまったことだけはお許しいただいて、なんとか2時間近いインタビューを無事終えることができた。その後、トイレに行って鏡を見たら、ななんとトナカイみたいに鼻が真っ赤になっていた・・・泣。花粉症め!なにもこんなタイミングで現れなくてもよかろうに。



多分、花粉症の引き金になったのは、↑その前日に行った山梨のワインビーフ牧場↑だと思う。ワインビーフとは、山中湖や富士山の美しい風景の中、ワインを作る時の搾り粕を餌の一部として与えられて育てられた牛のことで、その肉質は柔らかく赤身の甘さが印象的な食材である。この牧場の取材でたくさんの牛に囲まれ、ガン見され(爆!)、足をなめられ、牛糞を踏んだ(爆!)。山の上できれいな空気を吸ったつもりが、おそらく花粉も一緒にたくさん吸い込んでしまったんじゃないかな。
まだまだ続く花粉症の季節。私はブタクサまで反応するので5月くらいまでひきずってしまう。これを機会に、国際プロトコールに沿った鼻水の処理方法とお鼻が赤くならないハンカチケアについて、研究してみようと思っている。ま、嘘だけどね。


白練りショコラ、バレンタインに再び!【徒然なるお仕事】


テレビのニュースで聞いたのだけど、今年のバレンタイン商戦は例年よりも少し早めなのだそうですなぁ。自慢じゃないけどワタクシ、今迄にバレンタインで勝負をかけたことなどただの一度もないものでして、世の中の女性陣がバレンタインにどんな意気込みで臨むのかという女心をまったく理解できないまま40を過ぎてしまった。とは言うものの、広告屋としてバレンタインに関わることは何度もあった。昨年に、商品開発プロデュースとネーミング及びパッケージを担当した「白練りショコラ」もその一つ。これは鮎の加工製品を取り扱う「泉屋物産店」の鮎の熟れ寿司のご飯の部分を再利用した、ちょっと変わり種のチョコレートである。


熟れ寿司の旨味は時間経過と共にご飯に移る。それが同じく発酵食品のチーズに少し似た味わいになることから、いろいろな洋風商品が開発されたが、白練りショコラはそのデザートバージョンだ。熟れ寿司のご飯にクリームやホワイトチョコレートを丁寧に練り込んでガナッシュにし、トリュフショコラに仕上げたもの。味わい的には、塩味のホワイトチョコレートを想像していただけば一番近いのではないかと思う。(お魚の臭みは驚く程にまったくない!)


ま、同じような説明を昨年の今頃もこのコラムに書いたので、今日は今年らしいトピックスをご紹介しようと思う。昨年は泉屋のお店と名古屋のデパート一店だけでの販売だけだったのが、今年は全国の高島屋で販売されているのでございます!東海地区の方だけでなく、高島屋のある都市の方々にお買い求めいただけるということですね。そしてもうひとつのトピックスは、なななんと昨年、この白練りショコラをバレンタインにプレゼントした女性が意中の人との恋を実らせ、無事にゴールインが決まったのだそうでございます。なんとおめでたいエピソードですこと。商品開発に携わった私にも、そんなおこぼれが今年はありますように。


というわけで、皆様、今年のバレンタインは泉屋物産店の「白練りショコラ」で勝負かけちゃってくださいまし。
「白練りショコラ」は全国の高島屋・味百選コーナー(地下の食品売場です、アムールドショコラではありません)でのお取り扱いがあります。あるいは、泉屋物産店のオンラインショップからもご注文いただけます。もし購入いただき、召し上がった方は、ご感想など是非お聞かせください。


そうめんな日々【徒然なるお仕事】


今日は11月29日、いい肉の日、じゃありませんか。それなのに私は相変わらずそうめんの日々なんです・・・。というのも実は現在、とある製麺メーカーさんのお仕事で、そうめんを使う新しい料理レシピの開発に携わっているのだ。なんでコピーライターが料理レシピ???とお思いですよね。そうなんです、なぜかコピーライターとしての近藤マリコではなく、普段から食の実験が好きで、人を呼んでは実験料理を作って食べて喜ぶという私の個人的な趣味を、とある人が評価してくださり、コピーライターとしてではなく、食の実験家としてお仕事を依頼されたのだ。今迄にも、何か一つの食材をテーマにして、その効能や賢い使い方やその食材で作るチョ〜簡単レシピを書いてよ、と主婦の知恵的な内容でコピーを書いたことは何度もあり、とあるwebでは私の身勝手な実験料理コーナーが定番となったこともあったんだけど。それは、あくまでもコピーライターである私にいただいたお仕事の依頼だったし、本業はコピー、でもついでに料理のレシピも書いちゃって、みたいなノリの内容だった。でも今回は違う。コピーらしき仕事は料理のネーミングぐらいのもので、あとは純粋に料理レシピ、なのである。


私なんかでいいのかしら。と迷っているうちに、そうめんの箱が2箱もどど〜んと宅配便で届いた。早速、そうめんを開けてみると・・・上記の写真のように、手打ちの立派な麺がこよりで結ばれ、入っているではありませんか。むむむ、なんだか美味しそう。というわけで速攻で季節はずれのそうめんをいただいてみると、お、美味しい。手打ち麺ならではのコシ、加熱しても変わらないモチモチ感。これはイケル。そう思った瞬間、このお仕事を受けることを決めていた。半生麺であること、コシの強さはそうめんの域ではないこと、好きな分だけハサミでカットして食べる麺であること、これらの特徴を活かしたレシピがいくらでも出て来そうだ。そうめんイコール夏、というイメージが定着しすぎて、秋から冬は売れゆきががくんと落ちる。それを打破するためには、真冬でも美味しいそうめんの食べ方をメーカー側が伝授する必要があるのだ。そういう意味では、ものがなしい晩秋の寒い日に、このレシピ開発ができたのは私にとってもラッキーだったと思う。


そんなこんなで約3週間。大好きな食の実験を繰り返し、洋風、和風、中華風、スイーツと、思いついたメニューを限りなく試し、その実験も終盤に近づいてホッと安心しているところである。それにしても、約3週間はおうちごはんでそうめんばっか、というのも、なかなか辛いもんですね。


段ボールで2箱も届いたそうめんは、まだまだたくさん残っているので、近々我が家にいらっしゃるご予定の皆様、メニューに一品は間違いなくそうめんが入ることになりそうです。どうぞご勘弁を。
ちなみにこのそうめんレシピ、やがて完成してブックになったら、このコラムでもご紹介するので、是非その商品をご購入くださいまし。料理レシピブックも一緒についてくるはずですので。


南信州の秋を満喫した取材【徒然なるお仕事】


またまた行ってまいりました、大好きな信州に。今回は飯田市を中心にした南信州エリアで、名古屋からは比較的近い信州なのでなんとなく親近感がある。この日は、市田柿の農家さんや、JAの方にお会いし、長野県の、いや南信州の肥沃な大地の恵みについてお話をうかがった。


大地に踏ん張って土を耕し、額に汗を流す人の言葉は、爽やかなのにとても重いものがあった。農業従事が高齢者に依っていて、この先、農業を継ぐ人がいないこと。地球温暖化は都会に住む私たちよりもおそらくずっと身近に、土や果物や野菜を触っていて感じるという話。日本の農業の未来は決して明るくとは言えないけど、この土地が好きでこの土地で採れた美味しい野菜を食べて生きていくんだという強い意思。中には専業農家を営む30代前半の若いご夫婦がいた。「農地を耕して生きていると、お金なんていらないんですよ。自分たちが食べる分は作っている野菜で賄えるし、洋服なんて作業の格好でいいし。電気代とかガス代くらいですかね、現金が必要なのは。だから野菜を作って売らなきゃいけないんですけど、あはは」と屈託なく笑うのである。


ケータイ代が今月は高いな〜とか、12月はパーティーが多いけど洋服どうしよ、とか、そんな悩みを持っている私とは、生活の崇高さが違うのである。若夫婦の奥さんは、化粧っけのない赤ちゃんのような白い肌で、目がとっても綺麗だった。こういう「美しい人」に出逢うと、人間の美しさは生き方に現れるんだなぁということを痛感させられる。一言で言ってしまえば、ピュアなんですね。心も体も生き方もピュア。私みたいにドロドロしてない(多分血液も)。今すぐに農業に従事して田舎暮らしを実行せよ、と言われて、果たして出来るだろうか、と究極な自問自答をしながら、帰路についた私でありました。


早朝の天竜川にかならずかかると言われる川霧!

早朝の天竜川にかならずかかると言われる川霧!

川霧を見た日の午後は、こんなに晴天でびっくり。

川霧を見た日の午後は、こんなに晴天でびっくり。

秘境・下栗の里から見晴らす南信州の大地

秘境・下栗の里から見晴らす南信州の大地

これは宿泊先ホテルのロビーで見つけた奇妙な組み合わせ!
ソフトクリームの横に、電気温風機。
ソフトクリームが食べたいような食べたくないような・・・。
これ、ちなみに朝5時50分の図です。


これが今回取材のおやつ、ではなくて、取材雑費!
疲れた時に甘い物を食べると、とりあえず疲れがとれるので。
この日はキャラメルを購入。
いつもはチョコレートとかね。
ガムは取材前に必ず噛むようにしている。取材する時の一応のエチケットですね。一番下のは、車の中で寝ないように、目ぱっちりにするための居眠り防止ガム!これすべて取材雑費でございます。


これは帰り道、中央高速を走っていて、突如目の前に現れた夕日!
まん丸の太陽が目の前にぽっかり浮かんでいて、それに向かって走っていた私たち。なんともロマンティックでした。
はっと気づいてカメラを構えたら、もう太陽の姿はなく、
こんな残像になってしまったけど、これでも十分美しいでしょう?赤からオレンジ、青とグラデーションしている空は、本当に綺麗でした。これで隣に乗っているのがディレクターとかカメラマンとかじゃなかったらな〜、もっとロマンティックだったんだけど(笑)。


野菜の力とアラン・パッサール!【徒然なるお仕事】


じゃじゃ〜ん。かの三ツ星シェフ、アラン・パッサール氏とツーショット撮影しちゃいました。えへへ。ミーハーですみません。これはとある企業の広報誌制作で、日本に来ていたパッサール氏を取材した時のもの。アラン・パッサールと言えば、パリの三ツ星レストラン「アルページュ」のオーナーシェフとして日本でも知られ、さらに肉の魔術師と言われていたのに突然野菜料理のスペシャリストとして変貌したことでも有名な人だ。私がアルページュで食事したのはかれこれ4年ほど前のことなんだけど、その時はすでにほぼ野菜で構成されたメニューで世界一高価なレストランという評価が一般的になっていた。野菜だけで片手のコース料理なんて、いっくらなんでもあぁ〜た高すぎやしませんか?と思いつつ彼の料理をいただいたんだけど、食べ進むに従って、あ〜ここまで野菜が主役の料理として昇華させているのなら、確かに片手というのもうなづけるなぁと次第にパッサール氏の野菜マジックの虜になっていったのを覚えている。せっかく取材できるのだから、その時に感動したカブの料理のことを話そう!と心に決めていたのに、実際に面と向かうと、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。4年前にお店にお邪魔したんです、と話しかけたら「あ、そう。あの時と今日の私は別人。今日はお祭りのようなものだから、パリとは違った楽しみ方をして欲しいんだよ」とさらっとかわされてしまったのだ。予想外のリアクションにどぎまぎしていると、「はい、さぁ、記念撮影ね、ほらあっちを見て笑って〜」とパッサール氏のペースにはまってしまって、↑のようなことになったのだ。うぅ〜不覚〜。


これが、その日の晩餐会にて使用された野菜の数々。
企業広報誌の撮影も同時進行したので、
私たちはこの大量の野菜と格闘しながら
撮影に取り組んだ。
野菜って並べると綺麗ですよね〜。


20代のころはぺろっと食べちゃってたフレンチフルコースが、さすがに最近はもたれるのだけどね。この夜の晩餐会のパッサールメニューは、おなかいっぱいにはなったものの、もたれる感覚はまったくなかった(Kさん、私だけ悠々といただいちゃってすみませんでした!)。野菜ひとつひとつの味を大切にして、それが最も引き立つ料理を考え、火入れに細心の技術を用い、ストレートに野菜の旨味を味わうメニューだからだ。驚いたのは翌日のこと。季節はずれの台風が来ていたので、予定よりも早い新幹線に乗り込んだ私は、車窓から景色を楽しんでいた。窓に映る自分の顔を見てビックリしたのである。顔の生気が昨日までの自分と全然違うのだ。先日のコラムでも書いたけど、夏以来、肌の調子がずっとおかしかったので、肌の生気には敏感になっていた私。大地の栄養をたっぷり摂ったからか、いつもよりも肌がしっとりとしていた。野菜の力ってすごい!豚肉とか鶏肉でコラーゲンを摂るのとはワケが違いますよね。
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以下、妄想→ってことは、毎日アラン・パッサール氏の料理を食べていれば、肌はきれいになるってこと???アラブの大富豪に見初められたらそれも可能かもしれないけどね〜。パッサール氏を専属料理人にするのは無理にしても、スーシェフあたりだったら専属になってくれるかもな〜。あ、そういやパリのアラブ人にナンパされたことあったっけな〜。サンミッシェルのホテルの持ち主だけど、某リッツとは桁違い・・・。まだあのホテルあるかな〜。
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ここのところ事情あって素麺ばかり食べている私はお肌の調子も良くないので、そろそろ無尽蔵にふくらむ妄想は打ち切って今夜は眠ることにする。妄想オチでパッサールさん申し訳ない!ではおやすみなさい。


最後に、まったく野菜話とは関係ないけどがっ。この取材のために何十年かぶりに乗った踊り子号!学生時代、ゼミ教授の別荘が伊豆下田にあったため、夏のゼミ合宿は毎年下田でおこなわれていた。踊り子号はその時の思い出に直結する。なつかし〜!


プロフェッショナルの仕事【徒然なるお仕事】


もう3週間ほど前のこと。おいし〜い取材撮影のお仕事があった。とある醤油メーカーさんのお仕事で、調味料としての醤油の可能性や新しい発想の使い道などをプロのシェフと共に探り、広告物に仕上げるというものだった。食いしん坊な私にはとっても嬉しいお仕事で、事前に資料としていただいていたお醤油を自宅であれやこれやと言いながら一人で実験を繰り返していた。すっきり系のお醤油だったので、和食に限らず、なんちゃってフレンチとか、なんちゃって中華にもアレンジできる。こういう万能タイプの調味料がプロの手にかかれば、メニューは末広がりなんでしょうね〜。


そうです。このお仕事のパートナーとして登場いただいたのは、フレンチの青木シェフ。パリ・ホテルリッツに招聘されるなど国際的な活躍でも知られる青木シェフは、日本の食材や調味料にもかなり明るいので今回のオーダーにはうってつけの人選だった。


案の定、青木シェフとお話していると、食の実験は果てしなく面白く展開していく。こんなのどう?これ美味しいね!などと盛り上がりながら次々とアイデアが浮かんでくるのだ。さすがプロですね。


飲食店を経営しているからといっても、すべての料理人が技に優れているわけではないし、今回のオーダーのように応用技術が求められるわけでもない。極端なことを言えば、普段お醤油を使っている和食の料理人に、お醤油の可能性について取材をしても、その何割かの料理人は残念ながら答えることができないと思う。お醤油は身近すぎるから離れた目で見ることができないだろうし、醤油の使い道を応用して考えろなんて、和食の料理人に求められることではないからだ。そしてそれは我々コピーライターだって同じだ。文章を書くことを生業としていたって、小説が書けるかといえばそれはまた違う話だし(コピーライターから小説家になった林真理子さんや石田衣良さんみたいな方もいらっしゃるけどね)、手紙を書かせたら天下一品かといえばこれまた違う。どんな職業人にも得意な分野とか好きなやり方があるのだ。そう考えると、プロフェッショナルな仕事の線引きって難しいですね。生業にさえしていれば「自称」ではなく「プロ」と言えるわけでして。


いちお、ワタクシとしては、唄って踊れるコピーライターというキャッチコピーのもと「アイツ、仕事に好き嫌いあるからなぁ」と苦笑いされながらも、好きなものは徹底して好き、興味ない分野についてはまったくのドシロート同然というスタンスのまま、仕事を続けさせていただいている。青木シェフは私と比較するのは申し訳ないほど仕事のレベルが高い方なのですが、青木シェフのこだわりや器用なセンスをかいま見て、私も自分の仕事のやり方を改めて振り返るチャンスになったというわけ。もしかしたら時代の流れに負けてしまうのではないか?という恐怖心が時々もたげつつも、まだしばらくは好きな道で生きていきたいと思っている今日このごろなのだ。


岳の幟〜お祭りの記憶【徒然なるお仕事】


岳の幟(たけののぼり)というお祭りをご存知だろうか。長野県上田市の別所温泉に五百有余年に渡って一度も途切れることなく続けられている雨乞いのお祭りである。とある企業の広報誌で、このお祭りを取材することになり、七月の酷暑の日に山登り取材を敢行した。その時のお恥ずかしい様子は直後にコラムでもご紹介したので、いろんな方から「山登り大丈夫だった?」とお声をかけていただいた。山登りならぬ悲惨な山滑り体験となってしまったのだけど、秋風が吹く今となっては、あの時の太陽の照り返しや早朝の山頂風景などを懐かしく思い出すのだから、人間の記憶というのは都合良くできているんだなぁとつくづく思う。



左が第一陣+私たち取材陣が登りきった山頂で、御神酒をいただく瞬間の図。この先はいわゆる雲海で、地上が遥か下方に見えていた。右は第二陣が頂へと登ってきた瞬間の図。これ以外の写真は残されていなかった。登るのと下るのと滑るのに必死でカメラなど構えられなかったのである。


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※岳の幟を取材した文章は、とあるクライアントの広報誌にてお読みいただけます。
写真がとても素晴らしいのでぜひご覧ください。ご希望の方は下記アドレスにメール送信してください。
Sassi-ko-ryu.Koe@chuden.co.jp
1.郵便番号・住所、2.氏名(ふりがなを添えて)、3.なぜ欲しいと思ったか、を記入の上、お申込くださいませ。
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さて、この取材で私が一番ビックリ感激したのは、お祭りの衣装である。舞を踊る少女たち、獅子舞の青年たち、そして練り歩く人々など、皆そろって昔のままの装束をまとってのいでたちであった。五百有余年ずっと同じ素材というのはあり得ないにしても、現代ならついつい安くてお手入れしやすい化繊に頼りがちなのに、綿や麻素材にこだわり、それを身につけているのである。



↑ほらほら、ちゃんと感でしょ?↑綿とは言っても今年の酷暑の真っ最中だったので、皆さん汗びっしょりで熱中症になるんじゃないか?と心配するほどだったけど。さらに衣装をよく観察すると、昔ながらの文様がきちんと染め抜いて作られていた。たとえば獅子舞の衣装の上部分は「獅子の毛」と呼ばれる文様で着物の意匠にもよく用いられるものだ。下部は縞模様、ストライプですね。清々しい獅子の舞も衣装も、ホントかっこ良かったなぁ。


そして私が一番胸キュンだったのはこのオジサマ方である。紋付袴姿にカンカン帽!まるで昔の旦那衆のような粋な姿に見とれてしまい、広報誌の取材だということを一瞬忘れて、オジサマ方にくっついて話を聞くのに夢中になってしまった。オジサマ方は皆、夏の召し物と袴の上に、家紋を染め抜いた絽の夏羽織姿。聞いてみると全て自費で作っているのだとか。地元のお祭りを守り伝えるにも、やっぱりお金はかかるんですねぇ。明治末期に流行し始めたカンカン帽は、大正時代から正装時の着物姿に許されたそうで、以来、岳の幟では皆このカンカン帽をかぶるのだそう。実はカンカン帽と言えば"嘆きのボイン"で有名な月亭可朝を連想しちゃう下世話なワタクシ。一夫多妻制を公約に掲げて落選しちゃった落語家ですネ。でもこのオジサマ方は「ボインはお父ちゃんのもんやないんやでぇ」などとは勿論おっしゃらなかったので、おかげでカンカン帽イコール大正時代の正装姿という正しい認識を身につけることができた。カンカン帽を正しくかぶるオジサマ方と共に、粛々と別所の街を練り歩いたのだった。こらホンマやでぇ〜。


逸品もっとよくなるプロジェクト【徒然なるお仕事】

私が20代の頃はバブルまっただ中で、広告の価値観は常に大げさな費用対効果と直面していた。どれだけお金をかければ、どんな効果があって、どんな利益を生むか。その方程式さえしっかり作り上げれば、広告はいくらでも売れたと言って過言ではない。合っているといえば合っている、この価値観。だけど、世の中、お金だけじゃ推し量れない価値だってある。商品だって会社だって、お金をかけて広告作り、広告効果抜群で売れさえすればそれでいいかと言えば、やっぱり違う。違うと思いたい。なぜなら、その商品、または会社に本当にピッタリ合った広告宣伝の方法があるはずだし、商品の良さをきちんと理解したクリエイターが広告制作にのぞむべきである。残念ながらバブルの頃は、広告費を使うことに重きが置かれ、時として真摯な取り組みが二番手に廻ってしまうことさえあった。今から思うと、ハチャメチャな時代でしたなぁ。と過去を振り返ってばかりはいられない。あの時代を経験した私たちだからこそ、見えるものがある。最近とみにそう思うようになった。


バブルもバブル崩壊も、プチバブルもプチ崩壊も、古くはIT革命だのDTPだの、そして百年に一度とやらの大不況も現在経験中の我々世代クリエイターが、あるプロジェクトで立ち上がることになった。[逸品もっとよくなるプロジェクト]である。提唱者は、高校の同級生でもありコピーライターで絵本作家で出版プロデューサーで広告デザイン会社社長と、数々の肩書きを持つ岡田新吾さん。「この商品、もっとこうした方がいいんじゃないか?」「地方の会社の商品なら、その地方の魅力をもっと理解して商品づくりに生かすべきではないか?」「この人物、こんなに魅力的で社会貢献度が高いのに、なぜアピールしないんだろう?」岡田さんが日頃の業務の中で感じる疑問やもっとこうしたら!というアイデアを、意思疎通のできるクリエイターと共にプロジェクトを組んでカタチにしたい〜そんな熱き想いで語ってくれたことに端を発するのだ。その彼のもとに集まったクリエイターは5名。いずれも私と同世代で、同じ時代を生き、様々な経験を積んだ者だからこそ疎通できる共通の思い〜それを商品開発や事業のプロデュース、パーソナルブランディングなどに繋げられるといいなぁ、という取り組みである。詳しくは岡田さんの会社エピスワードのwebにこのプロジェクトのコーナーがあるので、ご興味のある方もない方も是非ご覧くださいまし。→http://www.episword.co.jp/
逸品もっとよくなるプロジェクトの取り組み内容やメンバー5名のプロフィールなどが詳しく書かれている。広告宣伝というジャンルに留まらない、もっと広い視野で商品企画や商品開発、パーソナルブランディング、出版や電子書籍企画などのお手伝いをしていきたいと考えているのだ。「この商品名これでいいのかな」「良い商品なのに売れ行きが上がらないのはなぜ?」「広告費の使い方は適切だろうか」「個人史みたいな出版がしたいけどどうしたらいいかわからない」こんなお悩みがあったら、是非我がプロジェクトにご一報くださいまし。