LARMES Column

枕上鞍上厠上【今日の地球】

枕上鞍上厠上(ちんじょうあんじょうしじょう)を、三上(さんじょう)と言うらしい。
考えるのに良い空間のことを示していて、帰田録を書いた欧陽脩という人の言葉らしいのだが、まさにこの通り!と膝を打ちたくなるのはわたしだけではないはずだ。
寝床・乗り物・トイレ、が、思索をめぐらすのに適した順番という意味で、決して机上ではない、ということを言っている。わたしの場合は、特に枕上でこれだ!というアイデアを思いつくことが多い。
若い時にはメモをしなくても思いついたことは覚えていて、一週間先の予定まで頭にしっかり入っていたほどだった。が、人生の折り返し地点を過ぎたころから記憶力が悪くなり、今では明日の予定は手帳を見ないと確認できないほどのダメっぷりである。
ところが、それと反比例するように、アイデアは枯渇しないどころか、泉のようにこんこんと湧いて出てくる。仕事以外のプライベートでも、楽しいことならいくらでも思いつく。歳を重ねるというのは、こんなに振り幅が豊かになるものなのかと我ながら驚くほどだ。先輩クリエイターたちが年をとってからの方が良いコピーが書けると言っていたのは、こういうことなのだ。
昨夜もいま抱えている案件でとても良いフレーズを枕上で思いついた。もう電気を消していたので、メモはしなかったが、こんなに明確に面白いアイデアだから忘れるわけはない。翌朝に早速企画書に仕立てよう!と思いながら眠りについた。
ところが、である。朝起きたら、その良いフレーズとやらはすっかり忘却していて、どうやっても思い出せない。本当に思いついたのか、それとも夢の中の出来事だったのか。
三上の法則を、なかなか使いこなせないでいる。


オムライスの品格【えとせとら】


先日、老舗洋食店をある方にご案内いただいた。78歳になられるシェフと奥様のお二人で営んでいるお店で、来年で開業して50周年を迎えるのだそうだ。わたしもまぁまぁ名古屋歴が長くなったのだけど、今までまったくノーマークのお店だった。入った瞬間に、昭和感たっぷりの木彫インテリアやカウンターの奥にあるウィスキーボトルの棚を見て、おおよそのメニューが想像できる、そういうタイプのお店だった。

ミックスサラダ、ポテトサラダ、串カツ、カニクリームコロッケ、ハンバーグ、とんかつ、ステーキ、チキンライスにオムライス、ナポリタンスパゲティ。かつてどの街にも存在した洋食店の誰もが思い描くメニューだ。その日は、お連れくださった方のおすすめに従ってオーダーしたのだけど、もうのっけから心を鷲掴みにされてしまった。手羽先の完成度の高さといったら、京都の某有名店の某メニューはここからインスパイヤされたのではないか?と思うほど。ひとつひとつの野菜が丁寧に仕事されたミックスサラダ、玉ねぎが挟まった串カツ、丁寧なベシャメルを感じるカニクリームコロッケにグラタンなどなど。デミグラスやマヨネーズはもちろん手作りである。最後になにかごはんものを、という段になって、わたしからわがままを言わせてもらい、オムライスを注文することにした。

それが冒頭の写真である。4人でシェアしたので、これは大盛サイズ。チキンライスのケチャップの水分がしっかり飛んでいるので、チャーハンのようにパラパラしている。しかも薄味でしっかりした味なのはチキンの旨味がちゃんとご飯に染みているから。そしてなにより卵が薄い。大盛りなのに薄いので、トップがすこし破れているところがまた愛おしい(笑)。これを4人でナイフとフォークを使ってきれいに割ったのだが、チキンライスの山が崩れなかったのは、卵でしっかり巻かれているからだ。これこそ、50年の間、丁寧に調理に向き合ってきた職人の仕事である。脱帽だった。街の片隅でずっと真摯に作り続けて来た味には、品格が漂っていた。
最先端の才能あふれるアグレッシブな料理を頭をフル回転させて考えながら食べるのはとても楽しいし創造性の高いひとときだ。けれどこの日は、こうして50年もの間、人々の心とおなかを満たした味をしっかりと味蕾にきざむ大切さを思い知ったのであった。




終わることのない旅のゆくえ MARUYO HOTEL semba【今日の地球】


三重県桑名市。名古屋から車でも電車でも30分ほどの距離である。そうなると大都市名古屋のベッドタウンとなるところだが、実際にベッドタウンかどうかは別にして、おそらく桑名の人はその呼称を好まない。桑名は宿場町、城下町、そして港町として発展したところで、経済と文化が両輪で支えあって育まれた歴史がある。外に出なくとも、仕事も住処も遊びも、桑名でこと足りるのである。
とはいえ、外の水は飲んでみたいと思うもの。桑名市に生まれ育った友人は、大学から東京へ移住して長きを過ごし、その後パリ、京都へと拠点を増やしていったが、2020年6月21日夏至、新月の日に桑名に新たな「場」をオープンさせた。
それがMARUYO HOTEL sembaである。佐藤武司さんの高曽祖父が、桑名市船馬町で材木商である丸与木材を起業し、氏の祖父の兄弟が戦後すぐに良質な木材を贅沢にふんだんに用いた家を建てた。そして2020年。末裔である氏が、その築70年超の民家に手を入れ、ラウンジ・ツインルーム2室・広いリビングダイニングを有する一棟貸しホテルへと蘇らせたのである。
氏の妻であり名古屋市内でgallery NAO MASAKIを主宰する正木なおさんが空間のプロデュース及びアートディレクションを、氏のご母堂であり名古屋市内でフラワーショップAtelier Nouveauを主宰する佐藤志津さんが館内の花を手掛けられている。

先週末、わたしは友人3人とともに、このMARUYO HOTEL sembaで1泊2日の時を過ごした。この2日間で、いろんなことを考えた。旅のありよう、場の感じ方、時の過ごし方…..。コロナ渦によって、人の考え方や価値観が大きく変わろうとしている時代となり、わたしたちの旅はよりパーソナルなものになっていくだろう。パーソナルというのは、個別対応とか個人旅行といった従来のサービスのことではなく、たった1人の心の中に、誰にも邪魔されない形で残されていく記憶と経験がなによりも大切となることを指している。そのためには、旅の舞台であるホテルが、わたしたちと共に変化してくれる(別の言い方をするならば共に成長してくれる)場でなければならない。
MARUYO HOTEL sembaは、先述のgallery NAO MASAKIのなおさんが館内のアートディレクションをしており、一つひとつの作品が存在を消しながら存在するという矛盾を内包している。鑑賞者を疲れさせない上に、共にいることの心地よさを与えてくれるのだ。これらアート作品は観る方のわたしたちが行くたびに感じ方が変わってゆくだろうし、MARUYO HOTEL sembaそのものもその空気を変貌させてゆくはずだ。わたしたちの内省を促し、あらたな旅心を刺激する場として。


オーナーの佐藤武司さんと正木なおさんご夫妻

ロブマイヤーのトラベラーグラスを全員持参し、シャンパーニュで乾杯

マルヨホテルの周りは、日の出や柿安本店、船津屋、歌行灯など名店揃い。ですが、この日の夜は、この空間でどうしてもゆっくりお食事したくて、テイクアウトをお願いしました。以前、オーナーに連れてっていただいた地元民に愛される小さな名店のステーキに惚れこんでしまったため、友人にもあの味を食べさせたくて。結果、大成功。友人たちにも喜んでもらえました。

窓を額縁に見立てて、外の景色の移り変わりを楽しむ

各部屋にシャワーはついていますが、お庭には露天風呂が。独りでゆっくりお湯に入り、考え事をするにはピッタリの場所。お庭やお部屋が一層美しく浮かび上がります。今度は朝酒と朝風呂しようと決めました笑

朝ごはんは、パティシエが作るクロワッサンやブリオッシュ、ヨーグルトにシリアル、しぼりたてオレンジジュースなどで。


らっきょうは待ってくれない【今日の地球】


らっきょうの季節、である。
先週末のこと、私は50キロのらっきょう漬けを期せずしてやることになった。
正確にいうと、らっきょうを漬ける約束は確かにしていたが、まさか50キロもの量になるとはつゆぞ思わなかったのである。
今から2年半前、惜しまれながら閉店したふぐ料理屋があった。そこの女将が、かつての常連客から「焼きふぐについていたらっきょうがどうしても食べたい。ふぐはもう無理なら、せめてらっきょうだけは漬けてほしい」と懇願されたのだそうだ。「だから、らっきょう漬けるの手伝ってよ。うちにはスタッフがいないし他に頼める人がいないから」と女将は私を説得してきたというわけだ。いつもお世話になっている女将のいうことなので断れない。どうせヒマしているのだし、いいよ!と二つ返事で了承したのが5月のはじめのことだった。

「土曜日の9時に、らっきょう・保存瓶・塩・酢・砂糖・唐辛子がマンションに届くからよろしく」と女将から連絡が。女将と私の共通の友人も加わってらっきょうを剥くのできっと午前中で終わるだろうと思って、私は午後から予定を入れていた。それが愚かな予想だとわかったのは、朝9時に八百屋さんの車の荷台で、5箱のらっきょうを見たときだった。1箱何キロですか?と聞くと10キロとのこと。合計50キロである。
それから延々、とにかくらっきょうを剥く。剥く。剥く。私は午後から予定があったので、女将たちを我が家に残して出かけ、17時に戻ったら、疲れ果てた顔で女将が言った。「あとの残りあんた1人でできる?」と。何キロ残っているのか確認するのも恐ろしかったので、とにかく女将たちには帰ってもらい、そこからは私がひたすら剥くことに。

私に課せられたのは20キロのらっきょうだった。24時までやって、あとは翌日にしようと決めてとりかかったのだが、22時を過ぎたあたりから、あろうことか袋の中のらっきょうが、青い芽を伸ばし始めたではありませんか!これでは青臭いらっきょうになってしまう。まずい。明日に作業を延ばすわけにはいかない。せっかく鳥取から第1級の大きならっきょうが届いたのにこれを無駄にはできないので、それから延々と朝の4時までかけて、らっきょうの皮を剥いた。
仕事の締め切りは、待ってもらえる(こともある)けど、らっきょうの成長は待ってくれない。日が昇る前までになんとか剥き終えて塩漬けしないと、らっきょうが朝の光を浴びて光合成を始めるんじゃないかしらと妙な恐怖心にかられながら、ひたすら剥いた。
肩こりと腰痛と睡眠不足というおまけはついたものの、翌日には無事に甘酢に漬けて完成。今、我が家はらっきょうの瓶が18本ほど並んでいる。
●10キロのらっきょうを剥くのに1人でやると約4時間かかること
●一日4時間程度が限界であること
●ちゃんと計画的に香盤表を作らないとエライコッチャ、ということ
●らっきょうは22時すぎるといきなり芽を伸ばすということ
覚え書きにして、女将に進言してみようと思う。
そんなわけで、しばらくはらっきょうは見たくないです。らっきょうのような頭のおじさんにも会いたくないです。らっきょうみたいな頭の方、ごめんね。ちょっと待っててね。


ある日どこかで【今日の地球】


先月のこと。映画関係の方へのインタビューで、おうち時間を楽しむための映画を紹介して欲しいとお尋ねしたところ、『ある日どこかで』が一番に挙がった。これは、1981年公開のアメリカ映画で、主人公がタイムスリップして物語が展開していく幻想譚である。公開当時は興行成績もふるわなかったようだが、根強いファンが今も多く、カルト古典として好まれている。実はこの映画を学生時代に偶然テレビ放映で初めて観て以来とりこになってしまった。
狂おしいほどにせつなくてたまらない物語、そしてどこまでもメランコリックなジョン・バリーの音楽。
どうしても手元に置きたくて、10年ほど前にDVDを買って繰り返し観ており、サントラ盤CDも2種類手に入れて愛聴している。

ここからはネタバレになるけれどご勘弁。
過去にタイムスリップした主人公は、女性と恋をするが、ある障害物のために、突然その時間旅行から引き戻されてしまう。その瞬間、主人公は愛する女性の目前からいなくなる。つらいシーンである。

なぜこの映画のことを書いたかというと、先日、時間旅行から無理やり引き戻されるような感覚を私も味わったからである。コロナ自粛で仲間との食事の約束がキャンセルになる中、友人たちと馴染みのお店からお料理をテイクアウトして、リモート飲み会をすることがあった。

画面に映る友と会話しながら、同じ料理を食べるということは、遠く離れていても一体感があり、今までにない食事の面白みを発見できてとても楽しいものである。

ところが、我が家のマンションでネット使用が渋滞していたからか、私だけそのリモート飲み会のラインから突然外れる現象が起こった。ネットワークが不安定なため、再度やり直してください、というアラートが入る。何度試しても、数分で私だけが静止画となり、私の音声が届かなくなる。みんなから「マリコさ〜〜〜〜ん!」と呼ばれても、私の顔はフリーズしたまま。そのうち突然画面が真っ暗になり、シャットダウンとなってしまう。

何度かこれを繰り返すと、さすがに疲れてしまって、そのうち自主リタイヤ。みんなも同じものを食べているんだなぁと想像しつつ、美味しいテイクアウト料理を味わった。1人が好きな私にとって、それはそれでとても楽しいことだったのだけど、そのシャットダウンした時の様子が、前述の『ある日どこかで』の時間旅行からの引き戻しシーンを想像させたのである。

『ある日どこかで』は、主人公にとってどこまでがリアルな話なのか、想像の世界なのかはわからない。もしかすると、主人公の長い夢の話かもしれない。それは観る人の受け取り方で様々な物語となるだろう。

それと同じで、もしかしたら私がシャットダウンされたリモート飲み会は現実とは別の世界で起きたことではないのか?そもそもコロナだってテレビの中だけの出来事で、現実世界で起きていないかもしれない。そうだったらいいのに。
その夜は、そうやって現実と妄想の世界を行ったり来たりしたからか、それとも1人で杯を重ねたからか、いつもよりずっと酔いが早かった。


名古屋まちなみデザインセレクション【えとせとら】


第4回 名古屋まちなみデザインセレクションが発表になり、昨日、名古屋市役所にて河村たかし市長による授賞式が行われた。名古屋市民がお気に入りの風景やまちなみを写真で応募したものの中から、審査されて選ばれるもので、名古屋のまちへの愛着や誇りを高めてもらうための催しである。私は有識者懇談会の構成員の一人として、審査に参加させていただいた。昨年の春に始まった有識者懇談会では、建築のプロの先生たちに混じり、素人目線ではあるがまちなみを構成する文化的な側面を中心にして色々と意見を申し上げた。専門家のお話を聞きながら、市民目線で意見を交換することは、私自身の学びにもなったし、一市民として住みたいまちなみづくりの取り組みは楽しい時間でもあった。専門知識はないものの、魅力創生という意味では小さな小さなお手伝いができたのではないかと思っている。


有識者懇談会の構成員。左から岡崎まちそだてセンターの三矢勝司さん、ピースグラフィックスの平井秀和さん、この懇親会の座長であり中部大工学部教授の中村研一さん、愛工大教授の中井孝幸さん、そしてわたくし。



まちなみデザイン賞
 建築物・工作物部門
●LT城西2 名古屋市西区
●グローバルゲート 名古屋市中村区
●料亭か茂免の白壁 名古屋市東区

 広告物部門
●印傳屋名古屋御園店のサイン 名古屋市中区
●ランプライトブックスホテル名古屋のサイン 名古屋市中区

 景観まちづくり部門
●SOCIAL TOWER PROJECT
●名古屋折り紙建築
●街茶 MACHI-CHA

受賞された皆様、おめでとうございました!

このほか、市民投票により選ばれたまちなみデザインが20選発表されている。
詳しくはこちら↓
http://www.city.nagoya.jp/kankou/category/358-5-0-0-0-0-0-0-0-0.html


極上の孤独【えとせとら】

大人に囲まれて育ち、大人の世界のすぐ隣で暮らすように成長した私は、小さい時から一人で過ごすことが多かった。どちらかといえば内気な性格の私を、母はあろうことか1年保育で幼稚園に行かせた。周りの園児たちは2年目ですでに仲良しグループが出来上がっていたため、私にはアウェイ感が半端なく、入園式では号泣して嫌がり、先生たちをかなり困らせたのだそうだ。小学校に上がってからも友人を作ることが苦手なままで、気がつけばいつも一人で行動していた。
私が小学校から帰宅する時間は、年の離れた姉と父はまだ帰っておらず、母はほとんどキッチンで料理をしていた。母からは宿題をやりなさいと言われながら、私が向かうのは勉強部屋ではなく応接間だった。一つには母がいるキッチンから遠いので干渉されなくて済むということと、もう一つには、そこにステレオがあったからである。父が買ったと思しきレコードを触ると怒られるので、私は子供用のソノシートのプレイヤーで音楽を聴くのが大好きだった。一番好んでかけていたのは、クライスラーの「愛の哀しみ」で、確か緑色のソノシートを何度も擦り切れるほど聴いたのである。もちろん、愛のことも、哀しみのことも、全く理解していなかったが。

さて、先日。仕事でインタビューした世界的ピアニスト・竹澤恭子さんのリサイタルにお邪魔した時のこと。竹澤さんはクライスラーの「愛の哀しみ」を演奏されたのだが、久しぶりに聴くこの曲に、なぜだか涙腺が反応して堪えきれなくなってしまった。ちょっと湿っぽい匂いのする応接間の、出窓に置いてあったソノシートの風景を思い出したからだろうか。あの応接間には、私の孤独が詰まっていたのである。
ここでいう孤独には、寂しさからくる悲壮感はまったくない。たった一人の空間で、邪魔されることなく好きなことを考えて過ごす豊かさを指している。孤独を味わい尽くす習性は、大人になった今でも続いており、多くの友人たちとにぎやかな時間を共有することはもちろん人生の楽しみの一つではあるが、一方で、友人たちと別れてから一人になってその会話を思い出すことも至上の喜びなのである。わかりやすい例を挙げると、自宅に友人を招いてホームパーティを催す時など、一人で準備をしている段階がもっともテンションが上がる。その日のテーマと主役を設定して、どんなメニューにするか、テーブルセッティングは何をモチーフにするか、何度もラフスケッチを描きながら妄想してさんざん楽しんだ後、本番がやってくる。当日は友人たちといっぱいおしゃべりし、最高の時間を過ごす。そして友人が帰った後、また一人になって後片付けをするのが、これまた豊かな孤独の極みなのである。つまり、私がホームパーティを開催するのは、孤独を味わいたいから、というパラドックスが成立するのだ。

孤独論には一家言あるつもりなので、下重暁子さんの「極上の孤独」がベストセラーになっていると聞き、早々に拝読したのだが。正直に申すと、私にとっての驚くような新しい論はそこには書かれていなかった。代わりに、私はすでに孤独を体現しているのだと確信することができたのである。それにしても、極上の孤独とはいい言葉だ。おそらくこれからの私にとって「極上の孤独」という言葉は人生の標語になるだろうと思う。
どなたか孤独論をお持ちの方、よろしかったら、孤独論を話しませんか?と書いてから、孤独論は一人では論を闘わせることはできない、というパラドックスをまた発見してしまった。


最愛の父が宇宙旅行に【今日の地球】

最愛の父が、宇宙旅行に出掛けました。
いつ還って来られるかわからない旅です。

一昨年の春、父は胆管癌を宣告され、今年の春には肺への転移が見つかりました。若い頃はスポーツ選手で、鍛え上げた体力だけは自信を持っていた父でしたが、春以降、少しずつ体力がなくなり痩せていきました。が、スポーツマンスピリットというか、ど根性というか、とにかく病気に負けてなるものかという気力は最後の最後まで持ち続けていました。生きることへの執着と気力には、本当に驚かされ、生き様と死に様を同時に学ばされたように思います。
晩年は家庭菜園に目覚め、緻密な計画を立てて、晴耕雨読を実践していました。今、私は通夜の会場で、父の家庭菜園の計画表と畑の設計図をみて、愕然としているところです。そこには、天気、その日の作業内容がびっしりと細かく描かれ、前年の計画表と比較をしながら、常に工夫を重ねていることが読み取れます。またその計画表は日記の要素も兼ね備えており、「万理子帰宅」「家族で山代温泉へ旅行」「万理子東京へ」といった家族の行動まで記されていました。(マリコがペンネームで、万理子は本名です) ちなみに癌を宣告された日付を見てみると、「癌宣告される」と記されており、その一文を書くことはさぞ辛かったであろうと思うと、なんともやるせなく悲しい気持ちになっています。

ここには、私が子供の頃の父との交流で、心に残っていることを書き留めておこうと思います。それは日常生活の中にこっそりと父が仕掛けてくれた独自の教育のことです。私がまだ小さな子供だった頃、タバコを嗜む父は帰宅して食事をすませると、決まって居間にどっしりと座り、私の方を見て「タバコとマッチと灰皿と」と言いました。私はそれを言いつけられるのが好きで仕方がなく、その3点セットを得意げに父に持っていき、頭を撫でてもらっていました。
実はここには、父なりの私への教育が施されていたのです。つまり、タバコを吸う人にはマッチと灰皿が必ず必要で、タバコと言われたらマッチと灰皿も一緒に用意をしなさい。それくらい気の利く人間になりなさい、という意味でした。ところが、「タバコとマッチと灰皿と」この言葉に込められた父の思いに、気がついたのは30歳を過ぎた頃のことでした。なんという間抜けな娘でしょうか。恥ずかしくて父には「気がついてるよ」と言わないままに、父は逝ってしまいました。今、通夜の間に、父にそっと耳打ちしようと思っています。でもきっとこれからも「あ、あの時の父の言葉にはこんな意味が込められていたんだ!」と気がつくことがあるでしょう。その度に私は、自分の間抜けさにがっかりしながらも、ずっと父とともに生きていくことになるのだと思います。

パパ、間抜けな娘に育ってしまったけど、
私はパパの娘に生まれたことを、心から誇りに思っています。
長い間、ありがとうございました。


ルーブル美術館特別展 漫画、9番目の芸術【徒然なるお仕事】


今日から「ルーブル美術館特別展 漫画、9番目の芸術」が名古屋・松坂屋美術館でスタートした。ルーブルと漫画???と思いますよね。私もそうだった。フランス語圏には、バンド・デシネ(BD)と呼ばれる漫画文化があり、絵画のように緻密で技巧に富んだ作品が多いことから、フランスでは9番目の芸術と位置づけられているのだとか。
日本で生まれた漫画が、芸術の都で評価され、アートとして認められて一つのジャンルを確立する日が来るとは・・・。子供の頃、漫画ばかり読んで親に怒られた経験がある世代にとってはびっくり仰天な、そして同時に誇らしい思いでいっぱいなのである。
そしてとうとう、世界最高峰の美術館であるルーブルが現代アートとして漫画に注目し、ルーブルが日本人を含む才能ある漫画家を招待して、ルーブルをテーマに作品を描いてもらう「ルーブル美術館BDプロジェクト」がスタートしたというのだから、再び驚く。


このプロジェクトの全容を見せてくれるのが、今回の展覧会なのだ。16人の漫画家の原画、資料、特別映像などが紹介されている。ルーブルを舞台にしたミステリアスな漫画あり、恋愛ものあり、不思議な物語あり。フランスで漫画がどんな昇華を遂げて、一つの芸術となったのかを探るには、絶好の作品群というわけ。一人一人の作家の作品をじっくり読み込んで観るなら、大げさじゃなく2時間は必要だと思う。お出かけになる方は是非ゆっくり時間をとってご覧になるといいんじゃないかな。


ちなみに、9番目の芸術、というのだから漫画以外に8つの芸術がきになるところですよね。諸説あるものの、フランスにおける芸術の序列は、1から8が以下の通りなのだとか。建築、彫刻、絵画、音楽、文学(詩)、演劇、映画、メディア芸術。


お土産コーナーも楽しい。オリジナルグッズがいっぱいで、さすが漫画が題材になっているだけあって、作品がTシャツやマグカップやトートバッグなどに。手ぬぐいやポチ袋も漫画柄だったので、これはフランスで絶対に売れるなーと妄想しつつ購入しました笑。


そして展覧されてた作品の中でも特に気になったのが、荒木飛呂彦による「岸辺露伴ルーブルへ行く」。この展覧会のもっとも優れたところは、気に入った作品はBDとして購入できちゃうところなんです。普通、松坂屋美術館で展覧されている作品を購入しようとすればそれなりのお金を用意しなくちゃいけないけど、原画でない限り、漫画という作品であれば、私のお小遣いでも余裕で買える。というわけで、荒木飛呂彦さんのBD作品を購入したというわけ。ハードカバーで大きいけど、フルカラーで2667円ならかなりお値打ちな「アート」だと思う。ああ、まだゆっくりもう一度観たい。また行ったら別の作品を買っちゃうかもしれない。でも、それでもお小遣いで買える範囲だから、と自分に言い聞かせて、会期中にまた出かけようと思っている。松坂屋美術館で9/3までの開催。


名古屋平成中村座【伝統芸能の継承者たち】


今年2月のスターウォーズ展を皮切りに、今月は名古屋平成中村座、来月は大相撲と、名古屋城で開催される文化系活動が活発である。今日も着物美人がたくさん平成中村座に集まっていて、真夏日の名古屋にもかかわらず、着物美人エリアには一服の涼にも似た清々しさを感じた。私も着物で来るべきだったなぁと一人残念がっていたのだけど、会場でお席についてから、やっぱり洋服でよかったと思い直した。お席の前半分くらいはいつもの平成中村座らしく床に座るスタイルだからだ。足が痛いし、着物だとちょっと座りにくく足も崩しにくいのだけど、舞台との一体感は格別なものがある。江戸時代の芝居小屋を再現したいというのが勘三郎さんのご意思だったんですもの。その雰囲気を味わおうじゃありませんか。


平成中村座が初めて名古屋にやってきたのは、2006年。屋号の中村の名前の由来が、名古屋市中村区であるという説を元にして、中村区にある同朋高校の体育館を芝居小屋に仕立て、確か3日か4日だけの限定公演だったと記憶している。左の写真はその時に記念で購入したTシャツ。同朋高校と書かれているので、これを着ていると、同朋高校の方ですか?と聞かれたことがあったっけ。


さて、今回は勘三郎さんが亡くなって5年たち、勘九郎さんと七之助さんが後を継いで行う最初の平成中村座。きっと勘三郎さんも名古屋城に来ていて、見守っているんだろうなぁと思いながら、息子の立場になったり親の気持ちになったりしながら、舞台を楽しませていただいた。どんどん勘三郎さんに似てくる勘九郎さん。どんどん美しくなる七之助さん。夜の部の最後は、ご当地名古屋の日舞流派・西川流と深い縁のある演目「仇ゆめ」。狸が傾城に恋をしてしまうが、それが人間に知られてしまい、狸は恋い焦がれる傾城への思いを胸に命を落とすと言うお話である。イヤホンガイドのおくだ健太郎さんのの独自の解釈も加わって、狸(自然と共に生きている立場)と人間(自然を破壊する立場)の関係性やら、父と子の芸の伝承やら、はたまた思いを遂げられなかった狸の非業の死やらを考えてしまい、名古屋城を借景にしたラストシーンには、もう涙を隠すことはできなかった。



勘三郎さんは間違いなく会場に来ているな、と本当に思っていたのだけど、それには仕掛けがあって、隠れ勘三郎アイテムが会場内に18か所あるのだそう。十八世にちなんでなのだろう。こんな楽しい仕掛けも平成中村座ならでは。そしてスタッフの方たちのおもてなし精神にも本当に驚いた。席やトイレの誘導には、マイクを使わずにお客さんの心にちゃんと届くように心を込めて、時折ジョークを交えながら、見事に仕切っておられた。歌舞伎を楽しんでもらいたいという素直な気持ちがホスピタリティとして現れていて、これもきっと勘三郎さんがずっと思い描いた芝居小屋の形なのだろうと思うと、またまた泣けてくるのであった。