今日の地球

ある日どこかで【今日の地球】


先月のこと。映画関係の方へのインタビューで、おうち時間を楽しむための映画を紹介して欲しいとお尋ねしたところ、『ある日どこかで』が一番に挙がった。これは、1981年公開のアメリカ映画で、主人公がタイムスリップして物語が展開していく幻想譚である。公開当時は興行成績もふるわなかったようだが、根強いファンが今も多く、カルト古典として好まれている。実はこの映画を学生時代に偶然テレビ放映で初めて観て以来とりこになってしまった。
狂おしいほどにせつなくてたまらない物語、そしてどこまでもメランコリックなジョン・バリーの音楽。
どうしても手元に置きたくて、10年ほど前にDVDを買って繰り返し観ており、サントラ盤CDも2種類手に入れて愛聴している。

ここからはネタバレになるけれどご勘弁。
過去にタイムスリップした主人公は、女性と恋をするが、ある障害物のために、突然その時間旅行から引き戻されてしまう。その瞬間、主人公は愛する女性の目前からいなくなる。つらいシーンである。

なぜこの映画のことを書いたかというと、先日、時間旅行から無理やり引き戻されるような感覚を私も味わったからである。コロナ自粛で仲間との食事の約束がキャンセルになる中、友人たちと馴染みのお店からお料理をテイクアウトして、リモート飲み会をすることがあった。

画面に映る友と会話しながら、同じ料理を食べるということは、遠く離れていても一体感があり、今までにない食事の面白みを発見できてとても楽しいものである。

ところが、我が家のマンションでネット使用が渋滞していたからか、私だけそのリモート飲み会のラインから突然外れる現象が起こった。ネットワークが不安定なため、再度やり直してください、というアラートが入る。何度試しても、数分で私だけが静止画となり、私の音声が届かなくなる。みんなから「マリコさ〜〜〜〜ん!」と呼ばれても、私の顔はフリーズしたまま。そのうち突然画面が真っ暗になり、シャットダウンとなってしまう。

何度かこれを繰り返すと、さすがに疲れてしまって、そのうち自主リタイヤ。みんなも同じものを食べているんだなぁと想像しつつ、美味しいテイクアウト料理を味わった。1人が好きな私にとって、それはそれでとても楽しいことだったのだけど、そのシャットダウンした時の様子が、前述の『ある日どこかで』の時間旅行からの引き戻しシーンを想像させたのである。

『ある日どこかで』は、主人公にとってどこまでがリアルな話なのか、想像の世界なのかはわからない。もしかすると、主人公の長い夢の話かもしれない。それは観る人の受け取り方で様々な物語となるだろう。

それと同じで、もしかしたら私がシャットダウンされたリモート飲み会は現実とは別の世界で起きたことではないのか?そもそもコロナだってテレビの中だけの出来事で、現実世界で起きていないかもしれない。そうだったらいいのに。
その夜は、そうやって現実と妄想の世界を行ったり来たりしたからか、それとも1人で杯を重ねたからか、いつもよりずっと酔いが早かった。