LARMES Column

料理の星【今日の地球】

東京ミシュランが華々しいデビューを飾って早2年。今年はとうとう日本の料理の聖域とも言える京都や大阪にも進出し、編集長ナレ氏の辣腕を歓迎する向きも、眉をひそめる声も挙がっているとか。かくいう私もミシュランにはかつて随分お世話になったし(フランスではレストラン情報だけでなく旅の友としての役割もあるので)、東京ミシュランが出た時は、行った事のあるレストランの星を意味なく足したりして喜んでいた。


星の増減で、人生を左右されるシェフがいるほど、一部の料理界では恐ろしいほどの権威を持ってしまったミシュラン。その他方で、ミシュランの存在など関係なく、地元の旬のものを美味しく調理し、地元の人々に喜んでもらうことを人生の最大の喜びとしている料理人たちが、この日本にはたくさんいる。


そんなことを思いおこしたのは、おもてなしの心で腕をふるう料理人に出逢ったからである。およそ7年ぶりに取材で博多を訪れた私は、福岡出身の飲み友達・サイトーサンから「コストパフォーマンス日本一のお寿司屋があるから行って来て!」と教えてもらったお店に出向いた。


オーダーしたのはサイトーサンおすすめ3,000円のコース。3,000円ですよ、3,000円!内容は、お口取り、大皿のお刺身盛り合わせ、季節のお料理2種、おまかせ握り6カン、お汁物、デザートである。またそのお刺身やお寿司のネタの新鮮なことと言ったら!穴子のあぶり刺身、季節の鯖、ヒラマサ、イカ、アンキモ・・・。お寿司の方は、江戸前風にすべて仕事をしてから卓上に出され、それぞれの味の違いが際立つように工夫されていた。時折、料理人の方がわたしたちの卓の様子を見て気にしてくださってるのがとても印象的だった。お話したらきっと面白そうだな〜。玄界灘の美味しい旬が集合したお皿に、大満腹大満足してホテルへ戻った。


本当に美味しいものを食べようと思ったら、やっぱり地産地消が一番なのだなと実感した一夜だった。だって地元で獲れた新鮮なお魚は地元で消費するべきだもん。東京や名古屋まで輸送するのにガソリンや電気を用い、コストをかけてCO2を排出し、値段が高くなってしまった食事って意味あるのかしら?


そんなことを思いながらホテルで寝転がっていると、サイトーサンから電話が入った。とても美味しかったという感想と礼を述べると、サイトーサンが言った。「銀座のあのお寿司屋さんもいいだろうけど、博多の寿司屋は違う意味でいいでしょ!あのお店のコストパフォーマンスの素晴らしさを分かってもらえて良かったよ!」と。銀座のお寿司屋さんとは、ミシュランに登場しているお店のことである。
芸術品のように美しく、計算され洗練された料理を都会でいただく事もそれはそれで素敵だけれど、わたしたちがこれから大切にしていきたい料理とは、その場所で獲れた食材をその場所で美味しく食べること、なんじゃないのかな。


サイトーサンおすすめのお寿司屋さんは、「すし処 寿楽」でググっていただければすぐに分かります。近々、[200字で綴る美味の想い出]にて更新しようかと画策中。博多へ行かれる方にはイチオシのお店です。サイトーサン、今度ぜひご一緒しましょうね!ちゃっちゃきちゃらじぇ〜。(覚えたての博多弁、合ってます?)


美味しいワインは2度香る【一杯の幸せ】

怒濤の忘年会ウィークが過ぎ、首までアルコール漬けになったまま、また新しい週があけた。せっかく首まで漬かったのだから、いっそのことアルコール漬けになってどこかの化学実験室にでも飾ってもらおうかしら。

ところで、いきなりですが、少々シモネタを失礼いたします。

美味しいワイン、特にシャルドネ種で作られ熟成した白ワインを飲んだ後、数時間後あるいは翌朝に、自然の導きにより体から液体を排出する時、シャルドネ種独特のナッティな香りを感じることはございませんか?

ご不浄で自らの香りを嗅ぐなんて!とお思いでしょう。でも是非一度お試しになってみてください。シャルドネ種に由来する熟成香は、体を通過した後でも香しさを残しているのです。

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そのことを久しぶりに体感する夜が先週末にあった。とある場所にて、とあるメンバーとさんざんワインを飲んだ後「今からシャンパーニュのブラインドやるよ」の一言が。


卓を囲んだのは(実際には横並びだけど)このメンバー。
私以外のお三方は皆ワインのプロフェッショナルだ。
ブラインドなんて当たるわけないじゃん、とぶつぶつ言いながら
手元のグラスを引き寄せると、
なんとも言えない香しさが鼻をくすぐるではありませんか。


うっとりする香りに吸い寄せられるように一口いただく。
すると今度は熟成したシャンパン独特のお漬け物系の味わいが舌上に。
さて、これどんなシャンパーニュでしょう?
私の浅い経験では「AYのあたり?」としか答えられない。


答はこちら。MOËTだったのでございます。しかも80年代。正直申し上げて、モエシャンドンって「ちゃらけたシャンパン」くらいにしか思っていなくて(関係者及びモエ愛飲者の方々、大変ご無礼いたしました)熟成したモエがこんな味わいになるなど、露程も思っていなかった。この右奥にある瓶は同じくモエの70年代で、この日はお預けとなった。エチケットが禿げはげでいわくありげ。


隣にいたワインのプロフェッショナルの説明によると、結局はシャルドネ種が熟成するとこういう味わいになるのだそうだ。故に、シャルドネ種に由来する熟成味なのだと。ふ〜ん。ということは、久しぶりにあの熟成香がご不浄で香るはず・・・と密かに心躍る私。
翌朝、ご不浄にて鼻をくんくんしたのは言うまでもない。決して変態ではございませんが、美味しいワインは2度香る。これ本当です。


メヂカラ!【一杯の幸せ】

アイライン、アイシャドウ、マスカラ、エクステ・・・。女性の目の周りを縁取り、目を大きく見せる道具は進化を続けている。その昔は、泣けばマスカラがはげ落ちて悲惨な状態になったものだが、ウォータープルーフが出現してからは安心して泣けるようになったし、つけまつげの代わりにエクステが登場したおかげで、プラスティック感ばりばりのまつげから、エクステのナチュラルな長いまつげで、流し目ができるようになった。こうして、技術と科学の進歩により、女性の美が飛躍的に進化していることを、男性諸氏はどこまでご存知なのだろうか。


最近は特にメヂカラを特集する女性雑誌が多く、メヂカラのある女性イコール魅力的という方程式が出来上がりつつある。確かに大きな目で見られたら、男性はたまんないですよね〜(嗚呼、オヤジ発言)。で、ところで果たして、メヂカラって何でしょう?ただ単に目及び周辺のアイラインまでが大きければ、メヂカラがあるというのか?目は小さくても、きらっと光る愛らしさがあればいいのか。あるいはうるうるしっとりした目が最大の美なのか・・・。


実は今日は、お仕事でご一緒している女性と二人きりのお食事会で、その女性の目を見ていて、メヂカラあるなぁ!と実感したので、メヂカラについてコラムを書くことにした。その女性は、先月にご結婚されたばかり。そのお祝いを兼ねて、ラブい話を聞くために久々にお会いしたのだ。以前から可愛らしい優しい目をしていた人だったが、ご結婚されてからシアワセオーラが出まくっていて、以前以上にほんわかした雰囲気と癒され目になっていたのだ。メヂカラとは、強い力のある目だけを言うわけではないなぁと、その女性、美奈さんと話していて思った次第である。


そのシアワセオーラばりばりのメヂカラ美人がこちら。
ご結婚されて、栗原美奈さんから水谷美奈さんに。
ケータイを向けると、さっと左の指輪を見せてくださった。
う〜ん、シアワセな女性はやっぱり美しい〜〜〜〜。
こういう時、ほんの一瞬だけど私も結婚したくなるっ!


まったく前の記事とは関係ないのですが、
こちらは友人のソムリエ尾崎氏の長女の里音(リオン)ちゃん。
あまりの目の大きさに驚きますよね!?
この時もメヂカラあるなぁ!と感動したので思わずパチリ。
私に抱かれて少し不安げなお顔をしてますが・・・



尾崎パパに抱かれると、安心しきった顔になる里音ちゃん。
イケメンパパと美人ママの子だから、将来が楽しみです。
モデルエージェンシーの方々、モデルハントするならご一報を!


美奈さんや里音ちゃんと並べちゃいますが(失礼!)、
こちらは友人の高木麻里のところにやってきた招き猫の宝輪。
これはまだ赤ちゃんのころの写真で、
生きるぞ!というメヂカラにあふれている。
今は立派な中猫になり、野獣のように動き回っているそうですが。


シアワセオーラに満ちているとメヂカラは自然についてくるものなのだな、
と実感した今宵、私のお供は「蕎麦焼酎の蕎麦湯割り」。
いつもの和蕎楽で、美味しいお食事と共に。(今日もホントに美味しかった)
私のメヂカラは、一杯のシアワセをいただいている時に、
もしかしたらキラリ!と光っているのかも。皆様、お見逃しなくね。


同級生の無条件シンパシー【えとせとら】

いよいよ師走。毎年12月になるたびに、1年が早いなぁ、昔よりも時間の流れが圧倒的に早くなったなぁと実感する。それは、分母(自分の年齢)が毎年増えていくので、多くなった分母に対しての分子(1年)は当然ながら短く感じるからだそうだ。確かに、3歳にとっての1年は3分の1でしかないが、30歳にとっての1年は30分の1となるから、短く感じるという理屈はうなづけるものがある。
ところが、年をとればとるほど短くなっていく「時の感覚」が、ある一瞬、止まることもある。今年はそれを何度も体感した1年となった。何十年かぶりに同級生たちに会い、まるで時が止まったかのような楽しい時間を過ごすことが出来たのである。
それは、6月のある朝、1枚のハガキを受け取ったことに始まった。


イラストレーターの伊藤ちづるさんから届いたそのハガキは、6人の作家によるバッグ展のお知らせだった。ちづるさん以外の作家の名前に、中学校の同級生と同姓同名を見つけたのである。井戸えりちゃんだった。バッグ展にお邪魔すると、すぐに互いを認識し、なんと30年の時を超えて一気に中学1年生に戻ることができた。


2回目はこのコラムがきっかけだった。高校の同級生の岡田くんが、児童小説を出版したことを紹介すると、それを読んだHさんが岡田くんと知り合いだったことがわかり、「岡田さんと同級生なんだ!じゃあ今度一緒に飲みましょう!」と誘ってくださったのだ。オトナになった者同士、はじめてお酒を酌み交わし、岡田くんを朝帰りさせてしまった!Hさん、あの時はありがとうございました。
3回目は9月だった。大学のゼミの同級生だった松崎くんが、名古屋出張になったからと連絡をくれたのである。松崎くんとは、彼の結婚式に会ったのが最後で、その後、彼は海外駐在を繰り返したので、会うチャンスがなかったのだ。十何年ぶりに食事をし会話を楽しんでいたら、松崎くんがつぶやいた。「松崎クンか。そんな風に呼ばれたの何年ぶりだろ。なんかいいな!」今や部下を何人も抱える国際派のビジネスマンだけど、私にとってはやはり松崎くん、である。前述の岡田くんにしても、広告会社の社長サンで、いろんな事業を興す企画マンで、実は偉い人なのだ。えりちゃんに至っては、作家の先生である。


でも、私にとっては永遠に、えりちゃん、岡田くん、松崎くんなのだ。
同じ時代をずっと一緒に生きている感覚や、元が知れているので気取る必要がないことや、仕事で知り合っていないから余分なことを考えなくてもいいことやら、とにかく同級生はいいもんです。同級生というだけで、無条件にシンパシーを感じてしまう私の今の楽しみは、年明けに行われる高校の同窓会だ。ひょんなことがきっかけで岡田くんが企画してくれたのである。名付けて、私立文系同窓会。そう、高校3年の時のクラス編制で、私立文系の大学を目指すクラスにいた十数名が会するのである。同級生と過ごす心地よさにすっかり味をしめた私は、同窓会で皆にいっぱいシンパシービームを送ることにいたしますわ。岡田くん、よろしくね。


嗚呼、栗・・・【今日の地球】

いよいよ秋も終わり。今年も秋の味覚をたくさんいただいたな、日本に生まれてよかったな〜と思いながら、晩秋の夜更けを過ごしている。特に今年は栗のお菓子に恵まれた秋だった。デパートに今日から並んだよ!と友人が駆けつけ差し入れしてくれた「栗きんとん」をはじめとして、毎年お取り寄せする丹波の栗納豆。国産栗で作ったという和菓子屋さんのモンブラン、かのパリ名店アンジェリーナのモンブラン・・・。


そして、こちらは食いしん坊ディレクターのS氏からいただいた
「栗きんとん羊羹」なるもの。味は栗きんとんなのに、ねっとり感は確かに羊羹。お煎茶でいただきました。はじめての食感でございました。S氏、どうもごちそうさまでした!!!


我が家にてキノコ鍋をした時のデザートは、
なななんと栗のオンパレード!
左下が小布施堂の栗羊羹。左上が同じく小布施堂の栗かのこ。
右の大きいのがS氏からの頂き物、すやの栗きんとん羊羹。


こうして書き連ねてみると「栗のはじめて体験」の、なんと多いことでしょう。中でも強烈な印象に残っているのが、中津川の「すや」本店でいただいた、できたての栗きんとんだった。「すや」には、ある女性キャスターの取材の一環でお邪魔した。その女史が秋になると必ずお世話になった方々に贈る品が栗きんとん、ということで、その本店を訪ねたのだ。


そこで、お店の方からの特別のお計らいにより、絞りたての栗きんとんをいただく栄に浴すことができたのである。ほの暗い店の奥から、絞りたての栗きんとんがお盆に載せられ運ばれてくる。すると、どうでしょう!手元に栗きんとんを出していただいたその瞬間に、蒸した栗の甘い匂いがふわ〜っと香るではありませんか。その香りに驚きつつも、栗きんとんを口にすると、今迄味わったことのないしっとりした舌触りに再び驚きの声をあげてしまった。水分が蒸発していないので、ビロードのような繊細な舌触りが保たれるのだ。


おそらく、栗きんとんが販売されている期間中に、午前の早い時間帯にお店にうかがい、「絞りたてが欲しいのですが」とお願いすれば、なんとか売ってくださるのではないかと思う。どうしても食べてみたいという方はご一報ください。私もあの感動をもう一度味わいたいので、早起きして一緒に中津川まで行こうではありませんか。あとわずか残された日本の秋を、満喫しつくしましょうぞ。


ママの味とパパの味【おうちごはん】

この数年、父が家庭菜園に夢中になっている。実際は家庭菜園をとっくに通り越し、プチ農家と言ってもいいほどの規模と腕前となり、今年はじめて作ったというお大根と聖護院かぶらは見事な出来だった。もともと何かを育てることが好きな性格だからか、土を耕し、育てた野菜に実がなるのが面白くて仕方がないのだと言う。自宅の生ゴミを堆肥にして用い、さらに無農薬栽培に努め、雨の日も野菜の様子を見に出掛けるほどの熱の入れようだ。晴耕雨読を地でいく生活は、ちょっぴりうらやましくもある。この連休、実家に帰り、父母のもとでゆっくりと過ごしてきたが、お夕食は私のリクエストで「ママの味とパパの味で」とオーダーした。


それが、こちら。
父が丹精込めてつくったおネギをたっぷり使った
おネギのお好み焼き!
父が子供の頃に「一銭洋食」で食べた物の再現らしく、
自分でおネギを作るようになってから、その記憶をもとに考案したといつも威張って話す。料理をまったくしない父が唯一作ってくれる献立だ。(と言っても焼くまでの準備は母がするのですが)おネギ・紅ショウガ・桜えび・天ぷら屋さんでいただいてくる天かす・カツオ粉のシンプル具材。私はこれをさっぱりポン酢でいただくのが好み。


一方、ママの味がこちら。写真映りがイマイチ悪いけど、
特製の炊きこみご飯で、具材は、干し貝柱・鶏肉・ニンジン・糸こんにゃく・シイタケ・おあげさん
その時々によって具材は変化するが、子供のころから大好きなメニューのひとつだった。高校生の頃のお弁当にも入れてくれていて、それが楽しみで仕方なかったなと懐かしく思い出す。母の炊きこみご飯や煮物は、一生懸命真似して作ってもなかなか母のような味にはならない。こればっかりは年季のいる仕事みたいだ。コラムでこんな風に紹介したと話せば、もっとちゃんとしたおかずにしてよ(もう少しご馳走っぽいもの)と言うに決まっているので、内緒にしているが、いわゆるおふくろの味というのは、こうしたなんでもない献立のことを言うのではないかと思う。


食後に温かいお茶を飲みながら、くだらない話で笑い合い(会話の中身は人様には言えないほどホントにくだらないんだけど)、なんでもないシアワセをしっかりと噛みしめたせいか、この日の夜は幼い頃の夢を見た。


広告の原点【暮らしの発見】

まだ世の中に広告というものがなかった時代。商品はどのように広報され、販売されていたのか。かなり偏った一説によると、最も古い形の広告は、うなぎ屋さんにあると言う。うなぎ屋さんの店先では蒲焼きが焼かれ、タレが焦げる香ばしさとうなぎの匂いであたりはいっぱいになる。この匂いこそ、最大の販促であり、五感に訴えたクロージングである、と一説は唱えているのである。最も古いと言及してしまうと問題はあるが、確かに広告の原点をついているエピソードではある。なんといっても「あぁ、欲しい、買いたい」と思わせるのが広告なのだから、特別な売り文句なしで、直接臭覚に訴えかけるうなぎ屋さんの手法は広告の原点かもしれない。


というわけで、広告文筆業を生業としている私が、
初夏の上田にてミイラ取りのミイラになってしまったのがこちら。
桑の実のジャム、とても珍しい代物で、桑畑のある山間部に行かないと販売されていないのだ。


絹織物の生産地には必ずお蚕さんの餌である桑が育てられていたので、よほどの都心部でない限り桑畑はあちこちにあったらしい。ちょっと昔の人に聞くと「わたしが子供の頃はね〜、桑畑で実をかじっておやつにしたんだよ」と話してくれる。知人から桑の実ジャムが美味しいと聞いていたので、軽井沢ではじめて発見した時は、即、業者買いし、お店の人を驚かせた。以来、長野方面に行くと必ず業者買いすることにしているこの桑の実ジャム。今年7月に信州・上田市に、上田紬の職人さんを取材で訪ねた折に、上田の街にあるみすず飴の店先で、桑の実ジャムの広告を見つけたのである。


それがこちら。
お店の方の直筆広告で、きれいな絵もついていて、
キャッチコピーは一言!「ご用意できました」
待ち望んだ物がやっと用意できた、という感じが出てませんか!?


すぐ隣には、こんなリードコピーがついている。
臨場感あふれる、やさしい毛筆。
そこに綴られているのは昔の風景への憧憬。
これにぐぐっときてしまい「桑の実ジャムください、二つ!」


毎朝のヨーグルトにスプーン一杯の桑の実ジャムを入れて食べ続けて5ヶ月。大きな瓶に詰まったジャムも、今日で最後となってしまった。美味しかったなぁ〜桑の実ジャム。ちなみに今年の桑の実は出来が良くなかったため、みすず飴では個人の大量買いは遠慮しますと書かれていた。その貴重なジャムを毎日いただけたことに感謝して、私が創りだす言の葉も人様をぐぐっとさせることが出来ますように、カラになったジャム瓶に向かって手を合わせた。


Royal China London・広東【200字で綴る美味の想い出】

おなかいっぱい食べてもそこそこの値段でおさまるので、気兼ねなくアワビやフカヒレを頼むことができる広東のお店。北京ダックなど他地方の名物も揃っている。何より美味しいのは点心で、香港あたりのお店と同じく、くたびれ気味(失礼!)の年齢不詳おばさんが、ゆっくり点心のワゴンをひいて回ってくれる。あ、これ何の味だっけ?と考えながら食べるシュウマイや浮粉クレープは絶品。こういうお店に出逢うと、中華万歳と言いたくなる。

※いわゆるグルメブログは、多くのブロガーの方々にお任せするとして。ここでは、愛してやまないお店、あるいはたった一夜の素晴らしい記憶について200字の文章で綴りたいと思います。お店や写真のデータは記載いたしませんので来訪希望の方は申し訳ありませんがご自身でお調べください。


オバマ大統領!【えとせとら】


じゃじゃ〜ん!
オバマ大統領スピーチの招待状!


と言っても、残念ながら私が出席したわけではない。ホワイトハウスから、我が姪っこちゃんのところにやって来た招待状なのだ。上智大学の英語学科の学生を対象に大使館から招待があり、くじ運の良い姪っこちゃんが当たったというわけ。


学生は2階席に座るように指示されたが、出席者に女性が少なかったので、姪っこちゃんたちは、女性人数調整でなななんとVIP席へと移動させられたのだとか。まぁ、その感覚がいかにも日本人だな〜とビックリしつつも、アメリカ大統領の演説を聞けるなんて、なんてラッキーなことでしょうね〜とうらやましく思っていた。姪っこちゃんによると、オバマ大統領はメモを一切見ないで、観客の方だけを見つけて最後までスピーチをしたそうだ。


うらやましく思った割にアメリカにまったく興味のない私は、オバマ大統領の来日よりも演説よりも気になることがあった。それは、大統領の来日が一日遅れてしまったこと。もちろん遅れた理由はもっともなことで、然るべき対応だったとは思うけれど、直前に一日延びることが日本の受け入れ体制側にどれほどの影響があったかを他人事ながら憂いてしまったのである。印刷物の日にちの刷り直しはどうなるの? 晩餐会の食材の仕入れは大丈夫だろうか???と特にこの二つの案件を心配してしまったのである。もし私がそのどちらかの担当者だったら、きりきりしながらこの数日を過ごしていただろうな〜。


もろもろ細かい段取りを完了して、我ながら完璧!と自己満足にふけった後に、急な訂正やら状況の変化があった時、めちゃめちゃ混乱するのが私の情けない性分なのだ。これで完璧だと自己満足してアップさせた原稿に大幅な直しが入った時、あるいは一日刻みで完璧なスケジュールを作ったにも関わらず先方の事情で作り直しを余儀なくさせられた時など、一からやり直すというリセットボタンがなかなか押せないのである。


電気製品の調子が悪くなった時に、一旦電源を抜いてもう一度電源を入れ直すともと取りになることがあるように、私もリセットの状況に陥った時はすべての思考のスイッチをオフにして、見知らぬ場所へふらっと出掛けてしまうことにしている。それは時に一人旅になったり、一人食事になったり、やみくも散歩になったり。リセット状況によって程度は様々、である。


まる一日あるいは数時間のスイッチオフで、バッテリーを交換することができるのだ。(と信じているだけだけど)こうしてメンテナンスした後は、すっきりした頭で案件にとりかかることができる。
お仕事先の皆様、たま〜に携帯電話の電源が切れている時は、どこかで充電山ごもりしているか、本当に地下鉄に乗っているかなので、ご用件は留守番電話が承ります。ちゃんと折り返ししますので、ご伝言を残してくださいませね!


山里の時の流れ【徒然なるお仕事】

先週、ある女性キャスターを取材する目的で、中津川まで一泊旅行に出掛けた。その女性キャスターを出身地である中津川で迎え、懐かしい風景をバックにして話をうかがったのである。テレビで見るままの知的さと、おおらかな親しみやすさに、同性ながらその女性の魅力にすっかり心を奪われてしまった。

お会いして早々にインタビューと撮影が始まった。我々スタッフは総勢7名。それに対峙するのは彼女ただ一人である。普段はインタビューする側の方で、インタビューされる側というのはあまり機会がないはず。しかしながら、さすがに話すことには慣れていらっしゃるので、こちらの質問に対して、わかりやすく丁寧に、ゆっくりとお話くださった。30歳を過ぎたキャリア女性にありがちなのが、用件のみを慌ただしく早口でまくしたてるようにしゃべる癖。まして取材されるともなれば、情熱的に早口で語ったり、或いは質問が難しい場合には考え込んでしまい沈黙が流れる。インタビュアーにとって、沈黙ほど怖いものはないので、その沈黙を消し去るようにインタビュアーは、自らまくしたてて難しい質問を重ねてしてしまうのである。沈黙の蟻地獄はインタビュアー泣かせだ。
その女性キャスターは、質問に対して、あまり間をおかず、沈黙を作らずに、的確な距離感を保ちながらお話してくださった。さらに、こちらがメモをとっているのを知って、メモの速度に間に合うように、大切な言葉はわざとゆっくりと話してくださった。こういう気づかいをしてもらうインタビューは、はじめてだったので、いたく感激して取材を終えることが出来た。


本当に仕事ができる女性って、こういう人のことを言うんだろうなぁ〜。相手のことを気づかい、気づかっていることを悟られないようにさりげなく進行していく。こんな素敵な女性と空間を共にできた幸せを噛みしめながら、山里の夜を楽しんだのである。


インタビューがおこなわれたお宿での翌朝の景色。
雪見障子のような昔の障子越しに、紅葉間近のもみじを発見。
まるで窓を額縁にした日本画みたいだ。


こちらは、エディターのN氏とカメラマンW氏。
キャスター女史が到着する前のロケハンで、
私が女史役になって座っているのを撮影し、絵を決めこんでいく作業中。
ファインダーをのぞいて「ビミョーだなぁ」を繰り返すW氏。
ビミョーなのは私ですか?それとも風景ですかっっ?