LARMES Column

襟元を正す【徒然なるお仕事】

10年来、関わっているキモノの本「和煦」のモデル撮影が来週に控えている。この撮影でモデルさんを選抜する時にいつも大きな課題になるのが、「背の低さ」である。出来上がったキモノをお借りして撮影するため、そのほとんどが一般女性の背の高さで仕立てられた物ばかり。モデル事務所のモデルさんたちは一般女性よりもうんと高い人が多いので、キモノに合わせた背の低いモデルさんを探すのがひと苦労なのだ。


この日は、「和煦」のためのモデルオーディションだった。ユカタを着てもらい、キモノ姿になるとどんな雰囲気になるのかをカメラテストする。さらに直接お話して、キモノの仕事キャリアの有無や個人的にキモノを着るかどうか、などなど多少の質問をして、そのモデルさんの持っている空気感とかキャラクターを探るのである。一度に何人も、多い時は何十人ものモデルさんと対面するが、オーディションのたびに「肌きれいだな〜」とか「この子、好み〜。きゃ〜わい〜な〜」と私はついついオヤジ目線で見てしまう。


カメラテストと面談が終わると、今度はスタッフだけで、どのモデルさんにするのかを話し合う。その号の企画に見合うよう、女性っぽい感じがいいのか、モダンに仕上げたいかなど意見を言うのだ。その会議中に、カメラマンのなぎさがつぶやいた一言がとても印象に残った。「彼女(オーディションに来ていたモデルさんの一人)さ〜、ちょっとした仕草とか座り方とかがだらしがなかったよね。あんなに可愛いんだし売れっ子だからもったいないね〜。いずまいがきちんとしていれば、印象って全然違うのに」


なるほどね〜。確かに顔が可愛いとかスタイルが良いだけじゃなくて、しゃきっとした上品な立居振舞をすれば、魅力はう〜んとアップする。そして、これは外見を売り物にしているモデルさんたちだけじゃなくて、すべての仕事をする人にも当てはまる「マナー」なんじゃないかしら、と、ふと思ったのである。


インタビューや取材などで、初対面の人と話をすることが多い我々コピーライターだって、もちろんそうだ。たとえコピーが素晴らしい仕上がりだとしても、会った時の印象が良くなければ、コピーの評価も引き算されてしまうだろう。逆に、印象が良いと、後日仕上がったコピーから匂いたつような品のようなものを感じてもらえるはずである。
あぁ、こうして書いていて自己反省ばかりが頭をよぎる私。匂いたつような美しい文章のためには、美しい立居振舞が必要なのでございますなぁ。明日から取材旅行に出ることもあり、早速、襟元を正して、お仕事に向かうことをここで誓わせていただきます。


女子会続き!【えとせとら】

先週から今週にかけて、〆切に追われる毎日を過ごしつつも、夜は親しい人たちとの会合が相次いだ。暇だと言われる広告業界もさすがに年末はバタバタしたからか忘年会がほとんどなく、その分、今年は新年会が妙に多かったような気がする。数々の会合の中でも、特に記憶に残っているのが「女子会」である。文字通り女性ばかり、気の置けない人が集った食事会だった。


これは、おねえさまお二人とご一緒した女子会。直美おねえさまと美紀おねえさま。場所は新栄の勝手屋。相変わらず何を食べても美味しかった〜。お二人は何十年にも渡る親友同士で、私が親友の会に特別参加させていただいた。


私よりもほんの少しおねえさまのお二人とは、マシンガントークあり、涙あり、笑いあり(笑いが一番多かった)で、勝手屋がお店を閉めるぎりぎりまで楽しく時間を過ごすことができた。さすがに40も過ぎれば、仕事先では年下の人を相手にすることが多くなってきたこのごろだけど、おねえさまと一緒の時間は心のどこかで甘えてしまうらしく、気持ちも楽だったからかお酒は進み、時間経過と共に確実に加速度的に酔っぱらっていった。話題は恋バナからバブルの懐かしい想い出話まで。厳しい時代をたくましく生き抜くお二人のお話を聞いていて、私も頑張らなくっちゃと酔った頭で考えつつ、歩いて帰途についた。多分、知らない人が見たら、あぶなっかしい千鳥足で酔っぱらいの四十がらみだっただろうな〜、と少々反省。


そして今週、我が家にて開催した女子会は、名付けて「男前女子会」。お仕事でご一緒する女性陣の中でも、あっぱれな小気味良さや見事なさばきでとりまとめていく姿が印象的なOTさんお二人(イニシャルトークにしてみてはじめて気づいたけど、お二人ともイニシャルがOTだ!)と、我が家のお隣さんである由美さん(彼女も見た目と違ってなかなか男前)をお見合いさせる会だったのである。それぞれが初対面ということもあり、我が家だったらすぐに場も和むかと思い、拙宅での開催となった。


これは女性4人でその夜平らげたお酒たち。
料理は和食に極めて近い中華とお伝えしてあったので、
皆さんにお酒を持ち寄っていただいたのだが、
純米酒を選ぶあたり、なかなか男前、でしょ?


前半は和食、進むにつれて中華に変貌していったメニュー。
お肉は、ちょっと不思議な食感のマリコ酢豚!
(と言っても、私が酢豚になったわけではござんせんよ)
これにロゼのカヴァがよく合ってました〜。
最後は麻婆豆腐を食べられるだけ炊きたてご飯にかけて!とお出しすると、お鍋いっぱい作ったはずの麻婆豆腐が見事になくなった。食べ方も男前!こういうのって、作った甲斐があると言うか、本当に気持ちの良いものですね。


どちらの会でも話題になったのは、最近の草食系男子や、男前と言える女性が多くなったことだった。皆さんとお話する中で思ったことは、男前と言われていても、彼女たちは決して「男まさり」ではないということ。むしろ女性らしいきめ細やかな心配りができ、てきぱきと仕事をこなしている。時に侠気あるなぁと思えるほどの決断力や行動力を発揮するので、それが男前と映るのである。結局、男性と女性の区別なく、人間の魅力として、それが男前と表現されているだけなのだ。
世の男性諸氏、どうか誤解なさらないで聞いてください。男まさりと男前は違いまするぞ。むしろ男前な女性ほど、内面は女性らしくて美しい人が多いような気がします。そういう内面を理解される男性が少ないようでそれが残念でもありますが。前述のOTさんはお二人とも花の独身。どなたか紹介を希望される方があれば、ぜひご一報を。またいつでも「男前女子会」を開催いたしますので!(念のため申し上げると、私も花の独身ですがっっっ)


同級生の無条件シンパシーVol.2【えとせとら】

高校の同窓会があった。と言っても、クラスや学校のオフィシャルな同窓会ではなく、お互いに連絡がつく人同士が声を掛け合って集まった、総勢14名の小さな同窓会だった。ほとんどが高校を卒業して以来の再会で、結婚して名字が変わっていたり、住む場所が変わっていたり、ちょっぴり体型が変わっていたりしたけれど、30分も話していたら、20数年前の高校生にすっかり戻っていた。人間って変わらないもんですね〜。アイドルだった女の子は、やっぱり主婦になっても同級生の間ではいつまでもアイドルで、人を笑わせ惹きつけていた男の子は40過ぎても人気者だ。


驚いたのは、同級生たちが立派になっていたこと。我々マスコミ系で言えば、三の丸の新聞社やら大手代理店やら。他にも家業を継いでいる人、会社経営者、銀行マン、そうそう政治家になった人もいた。女性の方は、私以外皆結婚していて、多分、シアワセな家庭生活を営んでいる。仕事の話をしていれば視点がぶれていなくて頼もしい限りだし、子供の話になれば良いお父さんやお母さんの顔になる。なんだか極楽トンボな生活しているのは私だけみたいだ。やれやれ。


それでも、以前このコラムに書いた「同級生の無条件シンパシー」は、この夜も私の中で炸裂し、普段のビジネス環境とはまったく異質の心地良さを感じつつ、気分良くお酒を飲むことができた。10代後半の3年間を同じ校舎で過ごしたというだけの関係なのに、あの安心感はなんなのでしょうね。皆と時間を過ごすほどに懐かしさが増し、深夜帰宅してからしばらくは頭の中が卒業アルバムでいっぱいになり、なかなか眠れなかった。


思い返してみると、高校を卒業してすぐに地元を離れてしまったせいもあり、連絡を取り合っている友人は数少ない。誤解を恐れずに言えば、同級生との邂逅を、心のどこかで懐古趣味だと自分勝手に捉えていたのではないだろうか。大人になった自分を見せるのが気恥ずかしいような、そんな気持ち。それが40を過ぎて、自然に垣根が取っ払われたのはなぜだろう。
人は、生きてきた時間の分だけ想い出があって、年を重ねるほどに懐かしさの分量は増えていく。ある時点から、想い出の中にパワーを見つけることがプログラミングされていて、懐かしい人々との邂逅が必要になってくるんじゃないかな。きっと、そうだ。年をとるって悪くないものだなぁ、と独りごちて眠りについた。


マリーモコリン【徒然なるお仕事】

お正月明けから〆切に追われる毎日。
焦ってます。
代理店の皆様、頑張って原稿書いてます。
でもちょっと息抜きさせていただきやす。


友人のなぎさカメラマンがお土産でくれた「マリーモコリン」
ご存知、マリモッコリの京都芸妓さんバージョン。
キモかわい〜。


はんなりもよろしおすけど、
もっこりもよろしおすえ〜
だって(爆)!


これは3年前。
友人たちと伊勢戦国時代村にて、姫役の私と、忍者役の多喜田保子。
この時の私にマリーモコリンがそっくりなんだそう。
(なぎさ談)


花魁になりそこなった、なぎさカメラマン。


足軽の今井ちゃんと、
姫役のかみさん。


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すみません、まったく意味のないコラムになってしまった。
忙しい時に限って、こういう写真を眺めてみたくなるものなんです。
あ、やば、もうお昼だ。
これから仕事しますです、はい。


雪のお正月迎え【おうちごはん】

何年ぶりでしょう、こんな大雪。大晦日の夕方に雪をかぶって実家に戻ってきた私は、まるで雪の運び屋さんのようだった。元旦の朝、庭を見てびっくり。真っ白な風景で2010年が明けたのね!と寝ぼけまなこをこすって見てしまった。ノープランのお正月を過ごす私には、もってこいの雪景色。だって外に出掛けない言い訳になりますもんね。


そして元旦の夜は満月。
白い雪、まんまるのお月様、そしてマルが二つの2010年。
まっさらのゼロからスタートするにふさわしいお正月となった。


お庭のつくばいに、
マルを二つ重ねて雪だるまを作り「雪のお正月迎え」。
カワイイでしょ?
おかげで玄関花の千両がかすんでしまった(苦笑)。


というわけで、極めてぐうたらなお正月2日目を送りつつある我が家は、大好きな箱根駅伝を見ながら、おせちでお昼ご飯。父「芦ノ湖は一番東の湖だっけ?」母「私があんなに走ったら心臓が破裂しちゃうよね」と温度差の激しい両親の会話を聞き流しながら、私は東洋大学の柏原クンをひっそり応援。それにしても、家族みんながすでにおせち料理に食傷気味である(はやっ!)。おせち料理って、お重にきれいに詰まっていて美味しそうだけど、少しつまむと飽きてしまうのは何故かしら?ちんたらお酒を呑んだりお茶をいただきながらつまんでしまうから???そんなワガママな意見が飛び出したので、今宵のお夕食は、京都・宮津から届いたばかりのブリでしゃぶしゃぶをしようということになった。


ブリはワタクシがさばきました〜。
チョ〜お嬢様気分がいまだに抜けない我が母は、こういう仕事は一切やらない。上が背側、下が腹側。骨が太くて大変だった。


父はかつお削りの役目。
普段は何も家事をやらない昔気質の父ですが、
知らぬ間に家事分担させられてるみたいですな。
おかげで美味しいお出汁がとれました。


いただき物の柚子。
これを全部搾って、ポン酢を作り〜♬♬♬


父自慢の家庭菜園でも雪が積もり、甘みが増したはずのお大根。きしめん状に剥きました。ブリの旨味をお大根がたっぷり吸って、美味しいしゃぶしゃぶになりました。


明日の夜は、ブリの皮をお醤油に漬けこんでオーブンで焼き、お酒のおつまみに。田作りをオムレツにするとか〜、酢レンコンをきんぴらにしてみたら〜とか・・・おせちアレンジで煮物か揚げ物にできないかしら?といろいろ妄想がふくらんでいる。献立を振り返ってみると、いただき物やら残り物を使って一歩も外に出ることなく食べ続けている我が家。こういうのもエコって言うんだろうか。と、ぶつぶつ独り言を繰り返しながら、今年も過ごすことになりそうだ。今年もワタクシの妄想劇に、どうぞおつきあいのほどをよろしくお願いいたします。


再び・・・花祭りで得たもの【伝統芸能の継承者たち】

いよいよ年の瀬。とは言うものの、昔のような年の瀬のライブ感が随分希薄になってしまったなぁと毎年ながら思う。子供の頃は、冬休みになると祖父母の家でお餅つきがあった。祖父母の家にはおくどさんがあったので、もち米を炊いて、父や叔父がお餅をつき、親戚中のお正月用のお餅を準備した。つきたてのきなこ餅を食べさせてもらうと、あぁもうすぐ紅白歌合戦、除夜の鐘、そしてお年玉だなぁと心がうきうきしたものだった。
毎年の行事だったお餅つきがなくなり、自分で仕事をするようになると、いつしか年の瀬感がなくなっていったように思う。ひとつには、フリーランスで仕事をしていると打ち合わせや〆切がなくなった日からがお休みとなるので、冬休みのラインが極めて曖昧になるからだと思う。今年も昨日まで打ち合わせがあったし、お正月の間の「なんとなく宿題」みたいなものも幾つかある。子供の頃は冬休みになった途端に、勉強のことや学校のことなどをすっかり忘れ、頭は遊びに切り替わっていたというのに、オトナになると頭をお休みモードに切り替えるのはこんなにも難しい。
だから、いつも年の瀬になると、子供の頃の楽しかったお餅つきのことを思い出し、冬休み気分を一人勝手に想像して盛り上げているのである。


今年もお餅つきや祖父母のことを思い出していたら、ある人から「想い出」にまつわるメールをいただいた。先日のコラムで紹介した花祭り、そこで出逢った裕斗くんパパ、佐藤裕さんである。一度しかお逢いしていないのに、その後のメールのやりとりですっかり親交を深め、その佐藤さんがご自身のブログで私のことを「想い出」をテーマにして書いてくださったのだ。そのお礼メールを差し上げると、佐藤さんのお人柄がわかるやさしい文章でお返事をいただいだのだが、それがとてもとても素敵だったので、ご本人の了解を得て、ここに紹介させていただく。


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自分の仕事は介護福祉士です。救護施設という福祉施設で10年ほど働いています。福祉施設ではこの寒い時期、かならず利用者の方が亡くなります。昨日もそうでした。そんなことが身近にある現場で働いていてよく思うのは、この人は生きたことが幸せだったのだろうか、たくさんの思い出を作れた人生だっただろうか、ということです。そんな気持ちのときには、なんていうか、明日、、いや、この先いつだって、自分もどうなるかはわからないのだから、一日一日を大事に生きよう、みんなで楽しい思い出を残そう、と強く思います。

思い出には形がなくて、見えるものではないけれど、とてつもなく強いエネルギーがあるような気がします。世の中のあらゆるものは、思い出の力が働いて出来ているんじゃないのかな、と思うこともあります。

花祭りからは、たしかに神さまの力を感じます。あの湯ばやしの時の裕斗の姿は親の自分も驚きました。ふだんは引っ込み思案なやつなのに、花祭りになると変貌する不思議な子供です。それが祭りの力、神さまの力なのかも知れませんね。

常日頃から思うのですが、もしかしたら馬鹿みたいな空想ですが、あの奥三河の山の中に、あれほどエネルギーに満ちた祭りが伝承されていることの真の意味は、昔の人々が、人々の願望・欲望の行く末を案じて荒んだ未来を予見し、いつまでも大切に伝承されるよう山奥の村に仕掛けた記憶装置なのかもしれません。
祭りにはタイムカプセルのように人類の叡智である大切な記憶がたくさん詰め込まれていますから。きっと、世の中がダメになりそうな時に、あの奥三河の山の中で大切に伝承されてきた祭り、そして祭りと共に生きてきた人々の道のりは輝きを増し、人類が突き進んできた人間本位の考え方から脱却するきっかけとなるような、何か光り輝く未来を指し示しているような気がします(…なんか、おおげさですね)。

そんな大事な宝を、もっと掘り起こしましょう。
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ね、素敵な感性ですよね。花祭りで、本当にいろんなコトやヒトと出逢えたことに改めて感謝!佐藤さんの文章を読んで気持ちがすっきりした私は、2009年の楽しかった想い出をいっぱい振り返り、楽しい想い出で頭をいっぱいにして2010年を迎えようと思っている。


これは花祭り会場に飾られていた数々の切り絵の中のひとつ。
夫婦円満を祈願したものらしく、
可愛らしいカップルの姿が印象的だった。


これは先日ロケハンに行った
橦木館」で見つけたステンドガラス。
カメラは私のプチカメラ、撮影は巨匠なぎさカメラマン。


この写真にちなんで、2010年は、みんな仲良く。これをテーマにしようかなぁ〜。
皆様、良いお年をお迎えくださいませ。


贅沢な週末の過ごし方【徒然なるお仕事】

んんんあっっっ〜、忙しかったっっっっぁぁぁぁぁ。

振り返ってもどこがどう忙しかったんだか、よくわからないけど、とにかくコラムを更新する暇がないほど忙しかった。仕事の件数は大して多くないし、イヤラシイ話、数字的にも決して多いものではなかったのに、とにかくバタバタしていた。なんでかなぁ。忙しさのバロメーターって一体なんでしょうね?とよぉ〜く考えてみたら、今回の忙しさは、移動距離が長かったことにあると判明した。ここのところ移動に要した乗り物をスピード順に挙げてみると・・・。飛行機、新幹線、電車、地下鉄、タクシー、自転車。これ、ほとんどすべての乗り物ですよね。どちらかというと乗り物が得意ではないので、近辺は自転車を活用することが多い私が短期間にこれだけ乗り物を利用したのだから、疲労感が募るはずである。

そう、正確に言うと、忙しかったのではなく、動き回りすぎて、ただ単に疲れた、のである。
わたしたちのお仕事は、取材や会議、打ち合わせなどで外に出掛ける時間と、家にこもって原稿を書き上げる時間に大別でき、場合によっては三日ぐらい一歩も外に出ないでパソコンに向かっていることもある。さらに場合によっては、スッピン・パジャマ・メガネの3点セットで終日パソコン画面と対峙することだってある。そういう自分のペースで進められる「内なる時間」と比較すると、人と会ってやりくりする「外なる時間」は未だに緊張するし慣れないことばかりなのだ。(一体何年この仕事やってるの?と言いたくなりますが)


疲労を蓄積して迎えたこの週末は、どっぷり「充電時間」に徹することにした。まずは体のケアから。いつもお世話になっている鍼灸師でマッサージ師でもあるアヤちゃんのゴッドハンドへとGO。アヤちゃんの右手を抱擁したくなる衝動を抑えながら、至福の1時間を過ごした。アヤちゃんに癒してもらった日の夜は、一度も起きることなく泥のように熟睡できるのだ。


そしてたっぷりと眠り、睡眠欲を満たした後は食欲。ということで、冷凍庫に常備している大彦の干物の中に、新物の秋刀魚があったのでそれを焼いた。炙りたての海苔に、自家製梅干し、叔父からいただいた「まつのはこんぶ」、十六雑穀ご飯にお大根のお味噌汁、そして丹波の無農薬番茶。我ながらなんて美味しいお食事でしょう!決してご馳走ではないけれど、日本人に生まれてよかったな!と実感できる「ご飯」で、しっかりと充電することができた。体力的にも精神的にも疲労が蓄積した時は、やっぱりご飯とお魚を中心にした和食に限るのであります。
さらに週末ならではの贅沢で、お昼からゆっくり入浴。湯船に半分蓋をして、文庫本を持ち込み、湿りゆく本をめくりながら読書に没頭する。これまた至福のひとときである。


お風呂上がりに飲んだのはコレ。
お隣の由美さんからいただいた湯上がりサイダーと蜂蜜れもん。
これまた湯上がりにピッタリの爽やかドリンクで、
ちゃんと腰に手をあててマッパでラッパ飲みしましたよ、由美さん。


そして3時のおやつはコレ。我が従兄弟の長男で小学校2年生、さらに実は少年モデルで売れっ子の野々垣慶真くんからクリスマスプレゼントが届いたのだ!チロルチョコ、おいしかったよ。けいしん、ごちそうさま&ありがとう!


かくして、睡眠欲と食欲を満たし、ここのところ夢中になっている「坂の上の雲」で大好きなもっくんを鑑賞し、贅沢な週末を過ごしたのであった。明日もまだまだお仕事はある。今年も本当にあと少し、ガンバリマショウ!


奥三河・東栄町の花祭り Vol.2【伝統芸能の継承者たち】

またまた花祭りのお話。このお祭りでは、地元の方々との会話から、本当にいろんなことを学ばせていただいた。山里の小さな集落で暮らす彼らの、昔から受け継がれた知恵や知識の深さは、いちいちうなづけるものばかりだったし、地元を愛するがゆえの懸命さには、絶対的な希望とある種の諦観が微妙に混じり合っていることを知る事ができた。


祭り会場には「接待所」と呼ばれる場所があり、お見舞いを持っていった人はそこで接待を受けることができる。地元のお母さんたち手作りのご飯とお酒をいただきながら、お父さんたちがいろんな話をしてくれた。東栄町を離れ、普段は岡崎や豊橋に住んで仕事をしている人たちも、このお祭りにだけは必ず帰ってくること。このお祭りがあるから、東栄町にある家を手放さず、持ち続けていること。祭りの舞は昔から、東栄町の家に生まれた男児だけに許されていたが、子供の数が減ってしまった今、女児も許されるようになり、さらに東栄町以外の町から子供を借りてお祭りを継承させる努力をしていること。そして、なんと!「お嫁にいらっしゃい」という有り難いお言葉までかけていただいた。田舎暮らしはいいよ〜と。Kさん、あの時はありがとうございました。


こちらは舞台上の囃子方。太鼓をたたいているのが、保存会長の小野田さん。誰よりも動き回り、誰よりも真剣な眼差しで祭りを見つめていた。小野田さんの真摯な姿はホントにかっこ良かったです!その左のベレー帽のおじいちゃまが、前保存会長で御年80歳。小林の花祭りの生き字引と呼ばれている人で、少しでも多くのことを次世代に言い伝えようとする姿にすっかり魅了された。
前日の準備の時にはジャージやフリース姿だった人たちが、ひとたび祭りが始まると、着物を纏い、笛を吹き、太鼓を鳴らし、唄を謳う。ごく普通のお兄さんやオジサンだった人が、お祭りの姿になるときりりと見えて、いきなりかっこ良くなる。正直言って、前日とお祭り当日では同一人物だとは思えない方が何人もいらっしゃった。これは花祭りの魔法だな、きっと。


そして、なんといっても注目を集めたのは、4歳の裕斗くん。稚児の舞で今年はじめてデビューした舞子である。40分近い時間を、見事に舞いきった。大人でも緊張して間違えてしまいそうな難しい舞を、数回の練習でよくも身につけたものだと思う。聞けば、裕斗くんのご先祖は、花祭りに関わる神職だったのだとか。裕斗くんパパが花祭り好きで東栄町に毎年通ううちに、裕斗くんに舞ってみないかと声がかかったそうだ。ご先祖が花祭りに関わっていたことは、舞子になることが決まってからわかったというのだから、縁というのは本当に不思議なものである。きっと神様が引き寄せてくださったんでしょうね。花祭り好きな裕斗くんパパはお隣の長野県阿南町で暮らし、地元愛に満ちた生活の様子をブログにされているので、ぜひおたずねください。


午前に出番だった裕斗くん。深夜まで元気いっぱいにお祭りを味わっていた。最後の湯ばやしの舞が始まった時、裕斗くんが舞いたそうにしていたので、「裕斗くん、お兄さんたちと一緒に舞っちゃえば!」と言うと、神妙な顔で「鈴がないからダメや」と一言。舞子が手に持っている鈴のことを言っているのである。小さいながらも、お祭りのルールを体で覚えているんだな〜と感心。ところが!やがて湯ばやしがクライマックスとなり、会場全体が高揚感に包まれたその時、裕斗くんはもうガマンできない!といった面持ちで、いきなり一人舞い始めたのである。堰が切れたように夢中になって舞う裕斗くんの姿に、私は再び神様の存在を感じてしまった。裕斗くんの背中を借りて、神様は希望に満ちた未来を語ってくれたような気がしてならない。裕斗くんが、来年の花祭りではどんな舞を見せてくれるのか、体が覚えたあのリズムを一年後の彼がどう表現してくれるのか。そんなことを考えている私は、すでに花祭りの磁力に引き寄せられてしまったのだろうか。


奥三河・東栄町の花祭り Vol.1【伝統芸能の継承者たち】

一ヶ月ほど前、奥三河に出掛けた。早朝から深夜までお祭りをぶっ通し取材する目的である。寒いのと眠いのが滅法弱いぐうたらな私に務まるかしら?と不安を抱えながら、前日のうちに向かう。道はだんだんと山の中に入り、現地に近づくと携帯電話が一気に圏外になった。外界と遮断されたような気持ちになって、いささか寂しい気持ちに・・・。
その祭りの会場である諏訪神社の前には、すでに地元の人が集まっていた。その何人かの方と会話を交わしたら、ついさっきまで抱いていた不安感はどこかに飛んでしまった。そこにいた人々の顔つきが、あまりにもはずかしそうで、あまりにも嬉しそうだったから。そんなキラキラ輝く目を見たのはいつぶりだろう?


奥三河の東栄町では、11月から3月まで、全部で11の地域で花祭りが行われる。700年以上に渡って継承される神事芸能で、この山里に脈々と伝承されてきた。私がお邪魔したのは、小林地区である。


鬼、人間、神の舞が終日続く

鬼、人間、神の舞が終日続く


鬼の舞

鬼の舞


稚児の舞

稚児の舞


朝の9時ごろから夜の11時ころまで、絶えることなくひたすら舞う。囃す。ひとつの舞が30分から長いと1時間。子供も大人も舞い続ける。予想以上にテンポの早い舞で、体力だけではなく気力が続くことに、思わず感心する。


地元の人は子供のころから花祭りを舞ってきているので、独特のリズム、笛や鈴の音がしみついているよう。前日の準備の段階では、すでにその音が体のどこかで鳴り始めているのだ。だから、あんなに輝いた目をしていたのだな。朝のうちは淡々と見えたが、夕方から夜にかけては、お酒の酔いも手伝ってか会場全体が高揚感に包まれていく。最後の舞を見てドキッとした。テンポが早くて舞い手の顔はよく見えないが、その後ろ姿が妙に色っぽいのである。この色気はなんなのか?背中の哀愁と漂う香りに惹きつけられて凝視した。なんと、舞い手3人は高校生とおぼしき少年だったのである。人の色気は涙の数で決まるはずなのに・・・、な〜んて歌詞のような言葉が浮かぶ。少年たちの舞は、まるで人生の悲哀を知っている人の踊りのように見えたのだ。そして、クライマックスを終えてみて、少年の舞に色気を感じた理由を理解することができた。


クライマックスの湯ばやし

クライマックスの湯ばやし

最後は真ん中の釜の湯を、舞子が周囲の人に振りかける。そのお湯を浴びると、一年間を健康に過ごせると言われているそうだ。


この祭りは、全国の神様をお呼出し、集っていただき、悪霊を祓って無病息災を願うもの。つまり、祭りの間中、神様はわたしたちの目の前に降りてきているのである。最後、クライマックスの湯ばやしを舞った少年たちの背中を借りて、神様は人生の悲哀を語ったのではないだろうか。それが私の目に色気として映ったのではないだろうか。神様も色気の素になる涙を、いっぱい流してくれているのかな。そんなことを考えている私を知ってか知らずか、汗とお湯でびっしょり濡れた一人の少年と目が合う。彼ははにかんで微笑んだ。なんとなく、神様と通じたような気がした。


※花祭りを取材した文章は、とあるクライアント様の広報誌にてお読みいただけます。カメラマン松本氏による写真がとても素晴らしいのでぜひご覧ください。ご希望の方は下記アドレスにメール送信してください。
Sassi-ko-ryu.Koe@chuden.co.jp
1.郵便番号・住所、2.氏名(ふりがなを添えて)、3.なぜ欲しいと思ったか、を記入の上、お申込くださいませ。


薄壁の悲哀【えとせとら】

2回連続で博多出張ネタで失礼いたします。
博多では取材は順調に進み、取材先で温かい人情にふれ、美味しい玄界灘のお魚を食し、大変良い気分でホテルに戻った私。ホテルはよくある普通のビジネスタイプで、お部屋は決して広いとは言えないけれど、清潔で心地よい空間だった。のんびり入浴してからお茶が飲みたくなり、廊下の自動販売機に向かうと、そこには「美男子」という言葉をそのまま人間にしたような、見目麗しい男性が立っているではありませんか。お風呂上がりのスッピンを恥じながらも、軽く会釈してもう一度美男子をチラ見しておいた。ビジネスホテルにはおよそ似合わない風貌である。やんごとないお生まれの貴公子である彼は、お父上の厳しい帝王学教育により、世間の荒波へと送り出され、こうしてしがないビジネスホテルに宿泊してお仕事されているに違いない。ほんの数分で、私の妄想は勝手にどんどん膨らんでいった。


そして驚いたことに、その貴公子は私の隣の部屋へと入っていくではありませんか。そう、この夜、私はどこかの国からやって来たプリンスと壁一枚をはさんで眠る運命となったのである。だからどうってわけではないけれど、なんとなく緊張するものだ。それほど、その貴公子は美しいお顔立ちをされていたのである。


眠る前の儀式のようにして、いつも本を読む癖のある私は、その夜もベッドに寝転がりながら文庫本の世界に入り込んでいた。すると、壁の向こうから奇妙な音がする。ビジネスホテルならではの壁の薄さだった。しかも音のする方向はあの貴公子のお部屋だ。何事かしら?と耳を澄ますと、もう一度奇妙な音が。なななんと、それは貴公子が放屁された音だった。
・・・・・・・・・・・・。
貴公子だって人間ですもの。そりゃ出ますよね。おそらく私の部屋側の壁に背中をくっつけるような格好だったのでは?と思うほど、その音ははっきり聞こえた。面白いのは、その音がいかにもつまらなさそうに聞こえたこと、そして一回ならずも何十回もの放屁をされたことである。
最初はつまらなさそうだったのが、なんとなく眠そうな音へと変化し、私もその眠そうな音に誘導されて、いつしか眠ってしまった。
玄界灘の美味しいお魚と共に、貴公子の放屁も博多の良き想い出のひとつに加えようと思う。