伝統芸能の継承者たち

再び・・・花祭りで得たもの【伝統芸能の継承者たち】

いよいよ年の瀬。とは言うものの、昔のような年の瀬のライブ感が随分希薄になってしまったなぁと毎年ながら思う。子供の頃は、冬休みになると祖父母の家でお餅つきがあった。祖父母の家にはおくどさんがあったので、もち米を炊いて、父や叔父がお餅をつき、親戚中のお正月用のお餅を準備した。つきたてのきなこ餅を食べさせてもらうと、あぁもうすぐ紅白歌合戦、除夜の鐘、そしてお年玉だなぁと心がうきうきしたものだった。
毎年の行事だったお餅つきがなくなり、自分で仕事をするようになると、いつしか年の瀬感がなくなっていったように思う。ひとつには、フリーランスで仕事をしていると打ち合わせや〆切がなくなった日からがお休みとなるので、冬休みのラインが極めて曖昧になるからだと思う。今年も昨日まで打ち合わせがあったし、お正月の間の「なんとなく宿題」みたいなものも幾つかある。子供の頃は冬休みになった途端に、勉強のことや学校のことなどをすっかり忘れ、頭は遊びに切り替わっていたというのに、オトナになると頭をお休みモードに切り替えるのはこんなにも難しい。
だから、いつも年の瀬になると、子供の頃の楽しかったお餅つきのことを思い出し、冬休み気分を一人勝手に想像して盛り上げているのである。


今年もお餅つきや祖父母のことを思い出していたら、ある人から「想い出」にまつわるメールをいただいた。先日のコラムで紹介した花祭り、そこで出逢った裕斗くんパパ、佐藤裕さんである。一度しかお逢いしていないのに、その後のメールのやりとりですっかり親交を深め、その佐藤さんがご自身のブログで私のことを「想い出」をテーマにして書いてくださったのだ。そのお礼メールを差し上げると、佐藤さんのお人柄がわかるやさしい文章でお返事をいただいだのだが、それがとてもとても素敵だったので、ご本人の了解を得て、ここに紹介させていただく。


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自分の仕事は介護福祉士です。救護施設という福祉施設で10年ほど働いています。福祉施設ではこの寒い時期、かならず利用者の方が亡くなります。昨日もそうでした。そんなことが身近にある現場で働いていてよく思うのは、この人は生きたことが幸せだったのだろうか、たくさんの思い出を作れた人生だっただろうか、ということです。そんな気持ちのときには、なんていうか、明日、、いや、この先いつだって、自分もどうなるかはわからないのだから、一日一日を大事に生きよう、みんなで楽しい思い出を残そう、と強く思います。

思い出には形がなくて、見えるものではないけれど、とてつもなく強いエネルギーがあるような気がします。世の中のあらゆるものは、思い出の力が働いて出来ているんじゃないのかな、と思うこともあります。

花祭りからは、たしかに神さまの力を感じます。あの湯ばやしの時の裕斗の姿は親の自分も驚きました。ふだんは引っ込み思案なやつなのに、花祭りになると変貌する不思議な子供です。それが祭りの力、神さまの力なのかも知れませんね。

常日頃から思うのですが、もしかしたら馬鹿みたいな空想ですが、あの奥三河の山の中に、あれほどエネルギーに満ちた祭りが伝承されていることの真の意味は、昔の人々が、人々の願望・欲望の行く末を案じて荒んだ未来を予見し、いつまでも大切に伝承されるよう山奥の村に仕掛けた記憶装置なのかもしれません。
祭りにはタイムカプセルのように人類の叡智である大切な記憶がたくさん詰め込まれていますから。きっと、世の中がダメになりそうな時に、あの奥三河の山の中で大切に伝承されてきた祭り、そして祭りと共に生きてきた人々の道のりは輝きを増し、人類が突き進んできた人間本位の考え方から脱却するきっかけとなるような、何か光り輝く未来を指し示しているような気がします(…なんか、おおげさですね)。

そんな大事な宝を、もっと掘り起こしましょう。
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ね、素敵な感性ですよね。花祭りで、本当にいろんなコトやヒトと出逢えたことに改めて感謝!佐藤さんの文章を読んで気持ちがすっきりした私は、2009年の楽しかった想い出をいっぱい振り返り、楽しい想い出で頭をいっぱいにして2010年を迎えようと思っている。


これは花祭り会場に飾られていた数々の切り絵の中のひとつ。
夫婦円満を祈願したものらしく、
可愛らしいカップルの姿が印象的だった。


これは先日ロケハンに行った
橦木館」で見つけたステンドガラス。
カメラは私のプチカメラ、撮影は巨匠なぎさカメラマン。


この写真にちなんで、2010年は、みんな仲良く。これをテーマにしようかなぁ〜。
皆様、良いお年をお迎えくださいませ。