LARMES Column

父の汗、母の涙、乙女の祈り【暮らしの発見】


先月末、実家建替のための仮住まいへの引っ越しを無事終えた。想像以上の荷物の多さと仕分け、荷物整理とパッキング、ゴミ処理業者・引っ越し業者・古物商・解体業者・建築会社との連日の打ち合わせ、そして両親の精神ケアまで含めて、まぁそれは大変な一ヶ月だった(準備→仕分け→引っ越し→片付けには一ヶ月を要したのである)。酷暑の時期の引っ越しだったこともあり、体力は失われ、精神力もおぼつかず、食欲だけは落ちなかったのが不思議だったけど、とにかく本当に本当に疲れた。約一ヶ月経った今、やっとこの思い出をコラムにアップする精神的余裕が出来たのだから、我ながら疲労度は相当なものだったと思う。
作業は自然に役割分担が決まっていった。私は荷物や道具を捨てるかどうかを母に迫って仕分けする役目で、父は捨てると決まった物を市の取り決めの通りに分別しパッキングする役目。そして捨てられゆく荷物を見ては溜め息をつき、時にしくしくと涙を流すのが、かつて深窓のお嬢様だった母の役目であった。そんな中、予想以上にうまく進まない状況にイライラしながら汗びっしょりで立ち回る私の姿を見て、両親がそっと目線をそらしていたのは知っていた。


苦しいばかりの引っ越し準備の中、私たち家族を束の間なぐさめてくれたのが、↑の写真のオルゴールだったのだ。私や姉が子供の頃の古いオルゴールが見つかり、あまりの古さに捨てようと仕分けし、父が木箱の部分をはずしてゴミ袋に入れた。オルゴール部分は不燃物として処理するため、不燃物置き場においていたところ、家族全員が疲れ果てて休憩している時に突然そのオルゴールが鳴りはじめたのである。崩れゆくゴミの山の中でスイッチがどこかに触ってしまったのだろう。オルゴールが奏でる曲は「乙女の祈り」だった。
すると、体だけでなく心にもたくさん汗をかいて、老体に鞭をうっていた父が、オルゴールの音色で一気に気持ちがほぐれたようで、皺にうずもれた小さな目がきらりと輝いた。さっきまで泣いていた母は、表情が一変して笑顔になった。オルゴールをゴミの山から探し出し、テーブルの上に載せてネジをくるくると巻いてみると、乙女が私たち家族の体と心の健康を祈ってくれているかのように、やさしい音色を響かせてくれたのである。父が一言「さっきまでクサクサしてたけど、このオルゴールですっかり癒されたなぁ」母は「音楽ってこんなにいいものなんだね」そんな両親の言葉を聞いて、思わず涙が出そうになった。


私よりもたくさん年をとっている両親が、辛い思いをしながら準備に明け暮れているのに、その人たちを相手に私ったら何をイライラしてるんだろう。音楽が両親を癒してくれたように、何故、私も両親を癒しながら準備を進められないんだろう。イライラしないで優しくしてね、と乙女が祈りのメッセージを送ってくれているような気がして、申し訳なさに涙が出そうになったのだった。


音楽には、人を癒しなぐさめる力があることは理解していたし経験もしていたけど、それを家族みんなで同時に体感したのははじめてのこと。さらに私には反省まで促してくれた。音楽の力って本当に素晴らしいのですね。
昔の日本には、オンガクという言葉がなく、歌とか謡、曲などの名称があるだけだった。ある知識人がmusicをオンガクと訳した。最初のオンガクは音学、つまり学問として捉えられていたが、これまたとある文化人が音楽、つまり音を学ぶのではなく、音を楽しむという漢字に変えたのだそうだ。確かに音楽は学ぶものではなく、楽しみ感じるものですよね。
その剥き出しになってしまったオルゴールは、結局捨てることができず、今も仮暮らしの住まいのテーブルに載っている。両親は時々ネジをまわして、乙女の祈りを聴いているようだ。今度、乙女はどんなメッセージを送ってくれるかな。いつまでも剥き出しにしておかないで早く木箱を見つけてよね。そう言っている気がして、オルゴールを見るとついつい謝ってしまう。
さて、いずれ完成する新居への再引っ越しで、またいろんな課題が山積の我が家。私も今度はイライラすることなく、背中のネジをしっかり巻いて、両親と引っ越しを楽しみたい、と半ば祈りのような気持ちになっている今日このごろである。


名古屋をどり2010【伝統芸能の継承者たち】


今年もお邪魔してまいりました、名古屋をどり。前宣伝がかなりすごかったということもあり、会場は満席状態。昨年の鯉三郎さん記念の公演とはまったく趣を変えて、今年は「おどりヴァリエテ」と題した劇が主軸になっていた。なんと作は作家の荒俣宏さん。劇作家ではないはずなので、多分はじめての舞踊劇だと思われる。西川右近さん、まさ子さん、そしてゲストに加藤晴彦さんを迎えてのまったく新しい試みだった。そうは言っても、舞踊好きな人はどうしても伝統的な西川舞踊を期待してしまうので、こうした試みは受け入れられにくいはず。そこに敢えて挑戦されたのだから、出来不出来よりもその舞台精神に敬意を表するべきだと思う。


一年前は母と一緒に名古屋をどりを拝見したが、母が若い頃から憧れていたという茂太郎さんの舞に年甲斐もなく喜んでいたっけ。今年は残念ながら引っ越し疲れと夏バテしている母はお邪魔することができなかった。そしたら、舞台は長唄[棒しばり]で茂太郎さんが出演していらっしゃるではありませんか。母に報告しなくっちゃ、と食い入るように見せていただいた。棒しばりは歌舞伎でも舞踊でもよく拝見する演目で、随所に笑いとペーソスが織り交ぜられた内容は何度見ても面白い。何度も見た演目だと、役者さんの個性や技の違いがハッキリと分かるので、楽しみも倍増するというもの。


さて、一人でお邪魔した私は幕間になるとイマイチ手持ち無沙汰になる。そこでパンフレットの出演者欄を見ながら、あ、この芸妓さん知ってる〜確か叔父に連れて行ってもらったお店の人だ〜とか。このお姐さんは確かあのクラブの人・・・などと、まさしくオジサン目線でにやにやしながら熟読。パンフレットには当然広告スペースもたくさんあり、あ〜あのステーキのお店が広告出してる〜、あれ〜あの料理屋さんはスペース大きいな〜などと、ついつい広告屋目線で計算をしちゃうあたり、私もいやらしい広告屋そのものである。オジサン+広告屋=我ながらいやらしいわ〜。


こちらは、今回の引っ越しで押し入れの奥から出てきた、
昭和38年(私が生まれる前デス)の西川流のとある会のパンフレット。
祖父が後援会長を務めており、
当時小さかった姉が舞踊で出演した時のものだ。


この文字は祖父の筆によるもの。
(筆に覚えのあった祖父はあちこちに筆跡を残しているのだ)
春菜会、である。
今も岐阜市に現存する西川流派の会で、
春菜先生が現役で指導にあたられている。


このパンフレットの何が面白いって、広告ページなのだ。昭和38年、高度成長期を迎える日本で何が売れていたか、どんな世情だったのか、広告スペースを見ることで一目に理解できる。今年のパンフレットも、数十年後にはおそらく名古屋の広告業界の面白い資料となるに違いない。



やっぱりこの時代は車ですよね〜!今では完全にクラシックカーになっている型が、まさに花形モデルだったのだ。さすがに懐かしいという感覚は私にはないけど、なんと言えばいいのか、日本がひた走っていた時代の良い香りが広告から匂ってくるような気がする。


どの広告も、レトロでかわいい!このデザイン、コピー。どれをとっても、手作り感あふれていますよね。左下は祖父の会社のもの。MACできれいにデザインされちゃった現代の広告にはない、なんとも言えない味わいがあるなぁ〜。


こちらは西川鯉三郎さん。
現在の右近さんのご尊父さまにあたられる。
西川のお家元のご挨拶文だ。


これが我が祖父の挨拶文。
あれ、おじいちゃんってこんな顔だったっけか?
私の記憶の中には、なんとなく植木等がニヒルになった感じと
勝手に擦り込まれているのだけれど。


最後にお恥ずかしながら、我が姉の写真。この時の舞台では「お染久松」を踊ったのだそう。本人にはまったく記憶が残っていないらしい。でも間違いなく当時5歳のかわいい少女だった。今は面影ないですけどね(笑)。
このパンフレットは、広告の資料として面白いだけでなく、個人的には家族史にもなるので捨てずにとっておこうと思っている。


逸品もっとよくなるプロジェクト【徒然なるお仕事】

私が20代の頃はバブルまっただ中で、広告の価値観は常に大げさな費用対効果と直面していた。どれだけお金をかければ、どんな効果があって、どんな利益を生むか。その方程式さえしっかり作り上げれば、広告はいくらでも売れたと言って過言ではない。合っているといえば合っている、この価値観。だけど、世の中、お金だけじゃ推し量れない価値だってある。商品だって会社だって、お金をかけて広告作り、広告効果抜群で売れさえすればそれでいいかと言えば、やっぱり違う。違うと思いたい。なぜなら、その商品、または会社に本当にピッタリ合った広告宣伝の方法があるはずだし、商品の良さをきちんと理解したクリエイターが広告制作にのぞむべきである。残念ながらバブルの頃は、広告費を使うことに重きが置かれ、時として真摯な取り組みが二番手に廻ってしまうことさえあった。今から思うと、ハチャメチャな時代でしたなぁ。と過去を振り返ってばかりはいられない。あの時代を経験した私たちだからこそ、見えるものがある。最近とみにそう思うようになった。


バブルもバブル崩壊も、プチバブルもプチ崩壊も、古くはIT革命だのDTPだの、そして百年に一度とやらの大不況も現在経験中の我々世代クリエイターが、あるプロジェクトで立ち上がることになった。[逸品もっとよくなるプロジェクト]である。提唱者は、高校の同級生でもありコピーライターで絵本作家で出版プロデューサーで広告デザイン会社社長と、数々の肩書きを持つ岡田新吾さん。「この商品、もっとこうした方がいいんじゃないか?」「地方の会社の商品なら、その地方の魅力をもっと理解して商品づくりに生かすべきではないか?」「この人物、こんなに魅力的で社会貢献度が高いのに、なぜアピールしないんだろう?」岡田さんが日頃の業務の中で感じる疑問やもっとこうしたら!というアイデアを、意思疎通のできるクリエイターと共にプロジェクトを組んでカタチにしたい〜そんな熱き想いで語ってくれたことに端を発するのだ。その彼のもとに集まったクリエイターは5名。いずれも私と同世代で、同じ時代を生き、様々な経験を積んだ者だからこそ疎通できる共通の思い〜それを商品開発や事業のプロデュース、パーソナルブランディングなどに繋げられるといいなぁ、という取り組みである。詳しくは岡田さんの会社エピスワードのwebにこのプロジェクトのコーナーがあるので、ご興味のある方もない方も是非ご覧くださいまし。→http://www.episword.co.jp/
逸品もっとよくなるプロジェクトの取り組み内容やメンバー5名のプロフィールなどが詳しく書かれている。広告宣伝というジャンルに留まらない、もっと広い視野で商品企画や商品開発、パーソナルブランディング、出版や電子書籍企画などのお手伝いをしていきたいと考えているのだ。「この商品名これでいいのかな」「良い商品なのに売れ行きが上がらないのはなぜ?」「広告費の使い方は適切だろうか」「個人史みたいな出版がしたいけどどうしたらいいかわからない」こんなお悩みがあったら、是非我がプロジェクトにご一報くださいまし。


和菓子の風雅と旦那はん【伝統工芸の職人たち】


上半身を思い切り折り曲げて、手元の小さなオブジェクトに集中しているこの男性は、名古屋市瑞穂区にある和菓子屋さん[花桔梗]のオーナー・伊藤さん。この日は、とある企業の広報誌の特集記事で和菓子を取り上げることになったための撮影だった。制作スタッフ全員が男性で、彼らは和菓子とあまり縁のない生活をしているということもあり、紅一点で和菓子好きの私が企画段階から好きなことを言わせていただける幸運なお仕事だったのである。和菓子好きとは言え専門知識を持っていない私は、いわゆる素人の強みというもので、協力先の花桔梗さんに言いたいことを言い放ってしまった。こんな記事にしたいんです→だからこんな絵が欲しいんです→だからこんな和菓子を作って欲しいんですけど・・・・という思いを、オーナーの伊藤さんにぶつけたところ・・・あまりに暴挙な無茶ぶりに、電話の向こうでしばし絶句されていた。あれ、やっぱり無茶ぶりだったかな・・・と感じたものの、今更引き返すわけにもいかないので、絶句している伊藤さんにたたみかけるように説得を続ける。「実際に販売されるようなお菓子じゃなくていいんです、これはあくまでもイメージで・・・」すると伊藤さんは意外にもあっさりと「わかりました。かなり難しいチャレンジですけど、試作してみます!」と爽やかにお答えくださったのである。きっと心の中では、この人めっちゃ無茶ぶりするな〜とあきれていらっしゃったはずだが、それを微塵も感じさせずに爽やかにお引き受けくださるところは、さすがに和菓子屋の旦那はんである。



この日のカメラは、ブルースタジオの浅野さん。お茶目な浅野さんが撮影すると、現場の雰囲気がとっても楽しくなるので、勝手ながら大好きなカメラマンのお一人だ。淡々と粛々と、時にくだらない冗談を言いながら、撮影は進行し、最後にくだんの無茶ぶりしていたお菓子の撮影となった。お昼時間をとっくに過ぎて、みんなの胃袋がキューキューと鳴き始めていても、誰も文句を言わずに撮影に取り組む。難易度の高いお菓子を作ってきてくださった伊藤さんの思いに対して、無事に撮影完了するまでは気が抜けないというわけだ。小さな課題はみんなが少しずつ知恵を出し合って解決し、午後2時に無事終了した。もちろんみんなのおなかは空き空き状態。撮影に使った和菓子を伊藤さんがどうぞ食べてください、と差し出された瞬間に、全員の手が伸びた時は思わず笑ってしまった。だってクライアントの女性と私以外は、和菓子に縁がないと言ってた男性たちだったから。


それにしても、今回の和菓子撮影は、時間がない中、勝手な無茶ぶりばっかりしたのにも関わらず、絶対に「無理です」とか「出来ません」という言葉をおっしゃらなかった伊藤さんには頭の下がる思いだった。江戸時代から脈々と流れる和菓子職人の心意気がそうさせるのか、よっ!旦那はん!と拍子木を打ちたくなるような気持ちの良いお仕事ぶりだった。実は先日とあるパーティーにて、遠方からの賓客へのお手土産に特別オーダーの和菓子が手渡されたが、その製作も花桔梗さんがお引き受けになった。きっと評判の良いお菓子を創られたのだろうと拝察している。和菓子屋の旦那はんから、和菓子の風雅と仕事の粋を教えていただいた。


この企業の広報誌、なかなか良い仕上がりで、来月初旬に発行予定でございます。ご興味のある方はメールください。広報誌が発行されたら、こっそりPDFでご覧いただきますので。また和菓子好きの方は、ぜひ花桔梗さんにもお出かけくださいまし。日本の季節を美しい形にした伝統的な生菓子・干菓子はもちろん、かりんとうや和マカロンなどのジャンルを超えた創作和菓子も数多く取り揃えていらっしゃいます。お店の雰囲気もそれはそれはモダンでカッコいいですぞ。「花桔梗 名古屋」でググッていただけばすぐに出ます。桜通線・桜山駅より徒歩10分程度。月曜定休。ちなみに私が無茶ぶりした和菓子は、もちろん販売されておりません、はい。


紺碧なヴィトンの夜〜その2【今日の地球】


前回コラムの続き。ルイヴィトンの晩餐会会場はブルーに染められていて、テーブルの上は↑こんな感じだった。ブルーのバラは造花だったと思うけど(絶対に不可能と言われていたのに確か6年ほど前にサントリーが遺伝子組み換えで開発したブルーのバラは、もっと色が薄かったはずなので)、壁のブルーに照明が当たっていたので、会場全体が海の中にでもいるような青い空間となっていた。ブルーの照明は、料理の色は分かりにくいし、青色がかぶると一般的に料理は美味しそうに見えないので、残念ながら食事空間としては不適格な色だけど、そんな定説を忘れてしまうほど、そのブルーは私にとって心地の良いものだった。


なぜなら、単純に私の一番好きな色がブルーだから。私の前に座っていたヴィトンPRの方に「今夜はなぜブルーでまとめられたのですか?」と私が聞いている横から、お隣に座ったナイト役である挟土氏が口をはさんだ。「だってブルーは始まりの色だから。今日はルイヴィトンのリニューアルパーティーで、新しいスタートの日だからじゃない?」・・・???・・・皆さん、ご存知ですか?ブルーが始まりの色だということを。少なくとも私は知らなかった。私の本棚にある色彩心理の本にもそんなことは書いてなかったし。ということは、挟土さん独特の面白いロジックがきっとブルーに隠されているに違いない。


挟土さんにそのロジックを解き明かしてもらおうと思っていたら、会場ではジョージクルーニー似のフランス人マジシャン、ステファン・レイションさんによる楽しいマジックショーが始まっていた。続いてジェイソン・ベックさんの美しくもメロウなピアノの調べが・・・。ワインの酔いもまわり、すっかり気持ちよくなった私は、ブルーの秘密について謎解きしてもらうのをころっと忘れてしまったのだった。


そして二次会会場はレストランのお隣の「蘇山荘」にスライド。こちらではディジェスティフとしてロゼシャンパンがふるまわれた。シメシャン好きの私には嬉しいセレクトである。床の間にはヴィトンの旅行鞄のアンティーク物が飾られていて、ろうそくのなまめかしい光を受け、何百年も前の旅物語が聞こえてきそうな雰囲気だった。こういうのを見ると、やっぱりヴィトンはモノグラムがいいですね〜。メンズの新ラインで素敵なモノグラムバッグがあったので、使っちゃおうかな〜。メンズ物のデザインはシンプルな物が多いので、小さいバッグなら女性が持っても似合うのですよ。


そうそう、それで聞きそびれたブルーの謎は、帰りのタクシーの中でやっと明らかになった。以下、挟土氏と私の会話。「ところでブルーはなんで始まりの色なの?」「だってすべての自然はブルーから始まってるじゃん。海だろ、空だろ、オレは大地に青い土も見つけただろ?」(挟土さんは飛騨のとある場所で混じりけのない紺碧色の土を見つけ、それを熟成させて壁に用いている)「ふむふむ」「だからブルーは始まりの色なの」「実は私が一番好きな色ってブルーなんだよね」「ブルーが好きだということは最も自然に近い人間ってこと。ブルーが限りなく薄くなったら白になるし、限りなく濃くなったら黒になる。中間色のグレイにもブルーは混じってる」「あ、わかるわかる。グレイの中にはブルーがある、確かに!」「だろ?これ、色の秀平説ね」そう言って笑った左官詩人の挟土秀平さんは、タクシーが名古屋駅に着くと、手を振りながら夜の人混みへと消えていった。まるで濃い紺碧色の夜空に吸い込まれるようにして。紺碧の空よ、挟土さんを連れて行ってしまわないでね。最近の挟土さんは、どこか別の世界に行ってしまうのか?と思わせるほど、尖ったナイフのように鋭くなっている。紺碧の深い色合いが、挟土さんを包み込んでしまう気がして、夜空に妙な畏怖を感じた。


翌朝、バッグの中からヴィトンでいただいた記念品を出してみて再びビックリ。紺碧色のカードケースだったのだ。お店でのレセプションパーティーに出席した私の友人たちは赤や緑のカードケースを記念品にいただいた人が多かったのだけど、私の手元には大好きなブルーがやって来てたというわけ。色の秀平説からすると、これは始まりの色。きっと私の新しい未来が始まっているのだわ。


さて、色の秀平説を唱えた挟土秀平さんは、この秋も数多くのメディアで注目を集める。9/15〜9/21まで池袋西武にて個展。9/26にはNHK BSで高山の挟土さんの王国の様子が放映される。さらにキリンの焼酎「白水」のイメージキャラクターとして、初夏に引き続きポスターや車内吊りなどに登場するそうだ。ご興味のある方は是非ご覧くださいまし。


ルイヴィトン、紺碧の晩餐会【今日の地球】


先週末、名古屋・栄のルイヴィトンで、レセプションパーティーが開催された。地下にメンズフロアが拡張された、そのお披露目である。栄のルイヴィトン路面店が出来た時も華やかなパーティーが催され、名古屋駅のミッドランド店の時もスマートなパーティーが話題になった。そのルイヴィトンすべてのパーティーをプロデュースしているのが、泉1丁目仲間のKさん。今回もKさんのご縁で、パーティーにお邪魔することができた。↑はその招待状。個人名の招待状なんて素敵ですよね。


こちらが招待状の表面。ギョーカイ風に観察すると、立体的に見える特殊印刷でシンプルなのにオシャレ、一見お金がかかってなさそうで実はかかっている。なんでもフランスで印刷して運んだのだそう。さっすがルイヴィトン、スケールが大きいデス。


当初はルイヴィトンのお店でのレセプションパーティーにお邪魔する予定だったのだけど、いろいろな事情で別会場にて開催された晩餐会に参列することになった。まずはお店の前でテープカット。夕暮れの久屋大通に人だかりとTVカメラが並ぶ中、俳優の内藤剛志さんやモデルのカリナさん、ルイヴィトンの社長がオープニングカットをする。その後、私たちは、メンズフロア専用のエントランスから入って、地下のメンズフロアでウェルカムシャンパンを楽しみながら内覧した。メンズを対象にジャズクラブをイメージしたとあって、バーカウンターに似たショーカウンターやスツールが置いてあり、店内はシックで確かにクラブっぽい雰囲気だった。


この夜、私をエスコートしてくださったのは、左官職人、最近は左官詩人とも呼ばれている挟土秀平さん。すっとぼけた顔の私とは違って(苦笑)、オーラ感じますよね。ストイックな生き様がそのまま顔に出てますよね。左官の域を時に超え、アーティストとして有名な彼は、店内でいきなり内藤剛志さんからお声がかかり(番組で挟土氏のVTRを紹介したのだそう)、ヴィトンのデザイナーの方や建築関係の方からも次々に話しかけられていた。ご一緒した私はビックリ仰天。やっぱり有名人なんだ〜、挟土さん!私はと言えば、シャンパンをひたすらいただき、知り合いとご挨拶。この日は酷暑だったので、夏物江戸小紋の薄緑のお着物に、帯だけは秋物でススキとお月様を選び、翡翠の髪飾りとバッグは祖母の形見。


会場で会ったヘアメイクの村上由見子さん。
カリナさんとは名古屋時代に仕事でよく一緒になったそうで、
話しかけたら覚えててくれた〜と喜んでました。


内覧が終わると、栄からタクシーで徳川園へと移動した。ルイヴィトンのパーティーと徳川園のレストランという組み合わせにイマイチ感を持っていたのだけど、そんなアンニュイは会場についたら吹き飛んでしまった。いつもの徳川園のレストランとはまったく違うのである。お庭が見えることがウリのはずのお店は、すべて壁で仕切られている。到着したゲストはお庭の見えるテラスに案内され、そこでシャンパンをいただいた。


そして壁の奥はこんな感じ。
ブルーの壁にブルーのバラ、照明はほとんどなく、
キャンドルの光が不思議な揺らめきを見せていた。
徳川園のレストランに行かれた方はお解りだと思うけど、
いつもと全然違うでしょ?


お料理2品目。これを見れば「もしかしてロブション???」と思いますよね?それがホントに大当たりだった、もうビックリ。この日のためだけに、ジョエルロブションからシェフがやってきてお料理を作ってくださったのだ。


そしてワインのセレクトも状態もなかなかのものだった。70名という大人数の晩餐会に、最適な状態でワインをサーヴィスするのは難易度が高い。ラインナップは、ルイナール ブランドブラン、ニュートン2006、シュヴァルブラン2002、テイラーヴィンテージポート2000。特にシュヴァルブランは2002だとちょっと若いなぁ〜と思っていたのに、飲んでみるとこなれた味わい。サーヴィスの方に聞いてみたら「数時間前に抜栓してデカンタしておいたんです」とのこと。こういうサーヴィスができるソムリエなんて、私が知る限り名古屋では数人、東京でもわずかしかいない。しかも70名のパーティーですよ!さすがロブション、というよりもさすがヴィトン、なのでしょうね。ショコラに合わせたポートもトレビアンで、最後まで驚きと満足を味わった晩餐会となった。あ、ここまで書いたのに紺碧の晩餐会というタイトルの意味に到達できていない(泣)。パーティーの感想をだらだらと書いていたらこんなに長くなっちゃった。ぐぐぐ、すみません、紺碧の意味は、次回のコラムにて書くことにいたしまする。


新幹線紳士、マナーの光と影【えとせとら】


新幹線の楽しみと言えば、富士山鑑賞と、熱海のあたりで一瞬見える海岸の景色、そしておやつタイムである。富士山はお天気や季節で見え方が全然違うし、熱海の景色は座席の位置によってはうまく見えないことがある。つまり、いつも必ず楽しめるのはおやつ。というわけで、私の新幹線移動は、どんなおやつを用意するかがかなり大きな意味を持つ。この日に銀座で購入したのが、定番木村屋のアンパンだった。大きさもほど良いし、餡がしっかり甘くて(個人的にここが重要、甘くない餡や甘くないクリームほど中途半端なものはないと思うので)、新幹線のおやつにはピッタリなのだ。東京から名古屋への帰り道、小田原あたりでアンパンを食べ、ゆったりと車窓の風景を眺めていると・・・。


前の座席の方が、私を振り返って「座席を少し倒してもいいですか?」と聞いてきたのである。おおよそ50代と思われるその紳士は、佐藤浩市風のカッコいいビジネスマン。そのシブい風貌に思わず素敵〜♬と心の中で叫びつつ、にっこり笑って「どうぞ」と答えた。きっとインターナショナルにお忙しい素敵な紳士は、世界中を飛び回るうちに、新幹線や飛行機で心地よく過ごすためのマナーをご自分なりに確立していらっしゃるのだわ。だから丁寧にご挨拶してくださったんだわ。だってなかなかお目にかかれないですよ、新幹線の座席を倒してもいいかどうかいちいち聞いてくださる方なんて!その紳士はどんなお仕事をしていらっしゃるのかしら、今日は東京からどこまで行くのかしら、もしかして名古屋だったらど〜しよ〜(どうしたいんだ!)などといつもの妄想癖はどんどん拡大していった。


ほどなくして、新幹線が静岡を過ぎた頃、紳士は席をお立ちになった。きっと大切なビジネス電話のため、マナーを守り、通路でお話していらっしゃるのね。私はご不浄に向かうと使用中の赤いマークが。ドア前で待つことおよそ2分。すると、そのご不浄から出ていらしたのは、くだんの紳士ではありませんか。目が合って、なんとなく気恥ずかしくて下をむきつつ、紳士と入れ替わるようにご不浄に入室すると・・・。そこには、想像を絶する2種類の匂いが混在していた。一つは自然の導きの大きな方。そしてもう一つは、なんと、煙草であった。そう、紳士は禁煙の座席では吸えない煙草を、禁煙のはずのご不浄で吸いながら自然の導きに従われたのである。
自然の導きの方はともかく、煙草の方は完全にルール違反である。新幹線で喫煙が許されているのは喫煙車両のみのはずだ。さきほど座席を倒していいかどうかを私に尋ねてくださった紳士のマナーは一体どこにいってしまったのか。2種類の匂いに圧倒されたあまりに用も足さずに退室した私は、通路でしばし呆然としてしまった。
これは、昨年の貴公子の放屁事件以上の落胆ではないだろうか。マナーが良い紳士に久方ぶりにお会いしたと思った矢先に、その方のマナーの悪さに直面してしまった・・・ついでに2種類の悪臭に包まれてしまった・・・。
そしてさらにその1時間後、新幹線紳士のマナー術は、思わぬ形で終わりを告げる。紳士はなんと私と同じく名古屋で降車されたのであるが、まず自分が倒した座席を元に戻し、さらに周りで倒されていた幾つかの座席を元通りにしまって、颯爽と立ち去っていったのである。一体どうなってるの?周囲の人の分まで座席を元に戻すマナー人が、なぜ禁煙のご不浄で煙をくゆらせるのか?その新幹線紳士のマナーの光と影は極端すぎやしませんか?こういうの、どうやって解釈すればいいのでしょうね?
そんな不思議な体験をしつつも無事に名古屋に着いたのは午後7時。いつもなら東京で仲間と食事をして帰ってくる私ですが、この日だけはどうしても早い時間に名古屋に戻らなくてはいけなかった。なぜなら・・・。


この人に逢いに行くため!そうです、我らが「徐州」の愛すべきタカちゃんのお誕生日だったのです。タカちゃんの喜ぶ顔を見ていたら、新幹線紳士のマナーのことなどすぐに忘れた私は、徐州の美味しい老酒に酔いしれた。これで、いいのだ。


アサリとハマグリのおもひで♥【おうちごはん】


嗚呼、何故だ。何故、美味しいものを食べていると、肝心な事をすっかり忘れてしまうのだろうか。

毎年春から初夏にかけて、我が家のご飯会の定番メニューとなる「アサリとハマグリのしゃぶしゃぶ」。昨年は確か通算7回、今年は5回催した。昨年の今頃、記憶を辿ってコラムを書いたことを覚えている。それで、昨年の反省を生かし、今年こそは、アサリとハマグリの大きさを毎回写真に撮り、その成長ぶりが途中で主役交代となるタイミングを見極めようと画策していたというのに。手元にある写真ストックには、たった4枚しか残されていないのである。


アサリは5月が成長のピーク。一方ハマグリは6月がピークである。4月ころからしゃぶしゃぶを始めるので、最初のうちはアサリのプリプリ感がすごくて感激し、6月あたりからハマグリの方にプリプリ度合いが移っていく。その移り変わりを写真におさめようと思っていたのだ。さらにご一緒していただいた人たちの写真も撮り、アサリとハマグリ仲間としてアルバムにおさめようと思っていたのですが〜。



残ってた写真、↑これだけだもんね、がっくり。しかもこの3枚はアサリばっかりだし。食べることに夢中になると、決心を忘れてしまうんだろうか。我ながらホントに情けない限りである。記憶に留まっているのは、美味しかったことと、ご一緒した方々の喜ぶお顔ばかりだ。


由美さん、えこさん、かおりさん、N男ちゃん、M輪くん、美紀さん、直美さん、O本さん、Mさん、えりちゃん、松崎くん、今年は結局実現できなかった青木シェフと秀代ママも含めて〜。来年も一緒に食べましょうね〜〜〜〜!!!と意味のないメッセージを記して、来年こそは大きさ確証撮影することをここに誓いまする!


小ママになる夜【えとせとら】


年に数えるほどのこと。とあるお店で、小ママになる夜がある。賢い皆さんはワタクシの性格をよくご存知なので勘違いされることはないと思うが、もちろんクラブやスナックの部類ではない。そう、↑お好み焼き屋さん↑である。けれど、このお店、ただのお好み焼き屋とあなどってはいけない。キョーレツキャラの女将が一人で仕切るカウンターのみの[会員制]なのだ。お好み焼き屋で会員制?と首をひねる向きもあろう。女将いわく、素性のわかった(女将の性格を知り尽くしたという意味の)人しか入れたくないので一見さんは一切お断りなのだとか。女将が会員と認めた人と、その会員が連れて来た人だけが入店を許されるお店だ。ブログはもちろん取材は絶対拒否。店名を掲載するとおそろしい勢いで怒られるのでここでは名前を伏せておく。


店名を伏せたとしても、もしかしたらお好み焼きの写真をこうして掲載することもダメ!というかもしれないので、突如写真が削除される日がやってくるかもしれない。どうぞご了承いただきたい。
私がお邪魔する時は、ほとんどの場合が貸し切り状態なので、女将の仕事量はとんでもないことになる。通常メニューの味噌おでん・お好み焼き・焼きそば以外に、揚げたてをはふはふ言いながら食べるとびきり美味しい串揚げや、すき焼きアレンジの飛騨牛鉄板焼き、日によってはお刺身、野菜を数日煮込んで作るクリームシチュー、特製海鮮サラダなど、材料と手間を惜しまない女将の料理は本当に美味しい。それだけ手間のかかる料理なので、知ったお客にしか作りたくないというのがどうやら本音みたいだ(あ、こんなこと書くとまた怒られちゃうかな)。そして貸し切りの時は、料理に神経を集中しすぎて、女将にはビールやワインをサービスする余裕がない。そういう時に助っ人になるのが私の役目なのだ。普段は触ったこともないビールサーバーを使ってビールをつぎ、ワインを開け、焼酎の水割りを作る。本当はやったことのない仕事でも、完璧主義の女将が安心して料理に専念できるよう、素知らぬ顔して見よう見まねでやってたら、いつの間にか板についちゃったのだ。今では、女将が小ママと呼んでくれるようになった。ハッタリって意外にうまくいくものなんですよ。


俳優の中村繁之さんや      ←楽しいドクターたちと↑

俳優の中村繁之さんや      ←楽しいドクターたちと↑


この女将のキョ−レツキャラは有名で、ハッキリ言って嫌われたらもう大変だ。相手がどんな偉い人だろうと、気に入らなければ出てけ〜!と言われちゃう。反面、人情もろい愛すべきキャラでもあるので信奉者は多い。ただ、冷静に彼女の言っていることを分析すると「うちの料理は私の言う通りに食べて欲しい」という確固たる信念があるので、そのルールを守らない人に対して怒ることがあるのだ。作り手である彼女が一番美味しいと思う方法でお行儀よく食べ、美味しいね〜と言っていれば、何にも問題はおこらないのである。その女将が今迄に語った幾つかの名言があるが、私が一番印象に残っているものを紹介させていただく。「高級店かどうかはお店の価格で決まる。一流店かどうかは風評で決まる。会員制のお店は店主が決めればいい。だからウチは会員制」うーむ、深い。


銀座和光のディスプレイ【伝統工芸の職人たち】


今夏の銀座4丁目は、左官職人・挟土秀平さんの壁がお目見えしている。6月の終わりから始まっていた和光のウィンドウディスプレイに、出張の際、やっとお邪魔することができた。夏ぎりぎり間に合ったという感じ。銀座4丁目、日本のど真ん中である。和光のウィンドウディスプレイと言えば、おそらく日本一注目されるデコレーションではないかしら。そこに壁を塗っちゃうわけだから、まぁすごいことですよね〜。
銀座で地下鉄を降りて、さぁてどの出口から出ようかなぁと悩むのも楽しみだ♬いきなり真ん前に見えるのも情緒がなくてなんだし、少し距離を置いて段々見えてくるのが一番良いんじゃないかと思って、まずは鳩居堂を目指した。鳩居堂で少しお買い物をしてからくるっとUターン。相変わらずの人混みにもまれながら歩いていくと、見えてきました。挟土氏の壁が。
私の大好きなブルーのきれいな色合いが目に入った。まるで虹のように壁がカーブを描いている。そして土で作られた女性像がその前に佇んでいた。思わず発した言葉は一言、きれ〜い。全体をじっくり鑑賞してみると、きれいすぎて、なんだか寂しい。とてつもなく美しいなのに寂寥感が漂っていた。まるで砂漠の夜みたい。暑いのに夜になると寒くなるみたいな、あるいはすごい美人だけど整いすぎてクールに見える、みたいな、ね(なんとなく例えが間違っているような気がしないでもないが)。完璧主義の職人が制作した作品ならではの孤独感なのかもしれない。


これは反対側のウィンドウ。
ガラスがあるので、きれいな写真が撮れなくて残念。
でもガラスに銀座の街並が映りこんでいるのがいい感じ。


これはそのアップでございます。
う〜ん、プロの写真家が撮影したら
もっとかっこよく映りこむんでしょうね。
実はワタクシ、映りこみの写真ってかなり好きなんです。


これは女性のマネキンの足元で、挟土氏お得意の計算されつくした「ひび割れ大地」。やっぱり都会の砂漠、みたいだなぁ。
一連の壁作品にご興味のある方は、こちらをどうぞご覧くださいませ。きれいな写真が見られます。
作品を間近で鑑賞した後、今度は三越側へと信号を渡ってみた。こっちの角度からもウィンドウを見たかったからである。すると、改装中の三越の入り口からはおそろしく冷たい風が大量に吹いていた。涼しかった。今が酷暑の夏であることも、銀座の真ん中であることも一瞬わからなくなった。今、私はどこに立っているんだったっけ?
ここは都会の砂漠だよ、挟土氏のメッセージが聞こえてくるような気がした。