えとせとら

新幹線紳士、マナーの光と影【えとせとら】


新幹線の楽しみと言えば、富士山鑑賞と、熱海のあたりで一瞬見える海岸の景色、そしておやつタイムである。富士山はお天気や季節で見え方が全然違うし、熱海の景色は座席の位置によってはうまく見えないことがある。つまり、いつも必ず楽しめるのはおやつ。というわけで、私の新幹線移動は、どんなおやつを用意するかがかなり大きな意味を持つ。この日に銀座で購入したのが、定番木村屋のアンパンだった。大きさもほど良いし、餡がしっかり甘くて(個人的にここが重要、甘くない餡や甘くないクリームほど中途半端なものはないと思うので)、新幹線のおやつにはピッタリなのだ。東京から名古屋への帰り道、小田原あたりでアンパンを食べ、ゆったりと車窓の風景を眺めていると・・・。


前の座席の方が、私を振り返って「座席を少し倒してもいいですか?」と聞いてきたのである。おおよそ50代と思われるその紳士は、佐藤浩市風のカッコいいビジネスマン。そのシブい風貌に思わず素敵〜♬と心の中で叫びつつ、にっこり笑って「どうぞ」と答えた。きっとインターナショナルにお忙しい素敵な紳士は、世界中を飛び回るうちに、新幹線や飛行機で心地よく過ごすためのマナーをご自分なりに確立していらっしゃるのだわ。だから丁寧にご挨拶してくださったんだわ。だってなかなかお目にかかれないですよ、新幹線の座席を倒してもいいかどうかいちいち聞いてくださる方なんて!その紳士はどんなお仕事をしていらっしゃるのかしら、今日は東京からどこまで行くのかしら、もしかして名古屋だったらど〜しよ〜(どうしたいんだ!)などといつもの妄想癖はどんどん拡大していった。


ほどなくして、新幹線が静岡を過ぎた頃、紳士は席をお立ちになった。きっと大切なビジネス電話のため、マナーを守り、通路でお話していらっしゃるのね。私はご不浄に向かうと使用中の赤いマークが。ドア前で待つことおよそ2分。すると、そのご不浄から出ていらしたのは、くだんの紳士ではありませんか。目が合って、なんとなく気恥ずかしくて下をむきつつ、紳士と入れ替わるようにご不浄に入室すると・・・。そこには、想像を絶する2種類の匂いが混在していた。一つは自然の導きの大きな方。そしてもう一つは、なんと、煙草であった。そう、紳士は禁煙の座席では吸えない煙草を、禁煙のはずのご不浄で吸いながら自然の導きに従われたのである。
自然の導きの方はともかく、煙草の方は完全にルール違反である。新幹線で喫煙が許されているのは喫煙車両のみのはずだ。さきほど座席を倒していいかどうかを私に尋ねてくださった紳士のマナーは一体どこにいってしまったのか。2種類の匂いに圧倒されたあまりに用も足さずに退室した私は、通路でしばし呆然としてしまった。
これは、昨年の貴公子の放屁事件以上の落胆ではないだろうか。マナーが良い紳士に久方ぶりにお会いしたと思った矢先に、その方のマナーの悪さに直面してしまった・・・ついでに2種類の悪臭に包まれてしまった・・・。
そしてさらにその1時間後、新幹線紳士のマナー術は、思わぬ形で終わりを告げる。紳士はなんと私と同じく名古屋で降車されたのであるが、まず自分が倒した座席を元に戻し、さらに周りで倒されていた幾つかの座席を元通りにしまって、颯爽と立ち去っていったのである。一体どうなってるの?周囲の人の分まで座席を元に戻すマナー人が、なぜ禁煙のご不浄で煙をくゆらせるのか?その新幹線紳士のマナーの光と影は極端すぎやしませんか?こういうの、どうやって解釈すればいいのでしょうね?
そんな不思議な体験をしつつも無事に名古屋に着いたのは午後7時。いつもなら東京で仲間と食事をして帰ってくる私ですが、この日だけはどうしても早い時間に名古屋に戻らなくてはいけなかった。なぜなら・・・。


この人に逢いに行くため!そうです、我らが「徐州」の愛すべきタカちゃんのお誕生日だったのです。タカちゃんの喜ぶ顔を見ていたら、新幹線紳士のマナーのことなどすぐに忘れた私は、徐州の美味しい老酒に酔いしれた。これで、いいのだ。