LARMES Column

中村時蔵さんの歌舞伎舞踊【伝統芸能の継承者たち】


10月の楽しみと言えば、やっぱり御園座の顔見世でございます。10月は季刊発行の編集物が一斉に動き出す時期ということもあり、取材やら下調べやらでなにかとバタバタする一ヶ月なのだけど、あらゆる用事よりも最優先させるのが顔見世である。今年は歌舞伎座の建替えをしていることもあり、地方公演の役者の層が厚いので、余計に期待がふくらむのだ。御園座の場合、坂田藤十郎や尾上菊五郎などの大御所をはじめ、尾上菊之助といった若手人気役者が揃っている。


そして、なんてったって私が大好きな歌舞伎役者の一人。
中村時蔵さんも出演されているのであります!
女形を務める時蔵さんは、とりわけ舞踊が素晴らしい。
今迄、時蔵さんの舞踊を拝見して、何度感激し涙を流したことか。
円熟期を迎えられた時蔵さん、どんな舞踊を見せてくださるかしら。


時蔵さんの舞踊は「舞妓の花宴」。三変化舞踊と言われるもので、途中で小道具や衣装を変えながら、踊り手が移り変わってゆく舞踊であった。間がとっても難しく、踊りに盛り上がりがイマイチないので、時間が長い割には地味と言えば地味な舞踊だった。それでもさすがに時蔵さんの踊りは、やっぱり魅せるんですねぇ。体のしなりや品の良い所作、立ち姿の綺麗なラインには、自然と視線が吸い寄せられてしまった。特に、男踊りから恋する娘へと変化するあたりは、とても50代とは思えない可愛さに満ちていて、ほぉ〜と深く息をついてしまった。こういう舞踊を拝見すると、本当に心がすぅ〜っと透き通るような気持ちになる。やっぱり伝統芸能というのは、私たちのDNAに擦り込まれた美学を刺激するんですねぇ。


この他、藤十郎さんの政岡役や、菊五郎さんの身替座禅、菊之助さんの弁天小僧を気持ち良く拝見して、芸能に恵まれた秋の夜は更けていった。あ〜あ、名古屋でも毎月歌舞伎やってくれないかな。そしたらきっとお小遣いはすべて歌舞伎に費やすのに。


御園座には、この格好で。
紅型の少し渋めの着物に、ピンクの織帯、グリーン系統で小物をまとめて。
着物のハッカケがきれいなサーモンピンクだったので、帯とは合ってたと思います。紅型の着物に、紺、ピンク、グリーンが入っているので、合わせやすいんですね。

↓なせかここから「おうちごはん」のコラムに早変わり!
 備忘録代わりということでご容赦くださいませ↓
この日は日曜日の夜の部だったので、出掛ける前にはらごしらえは松茸ご飯で!今年豊作だという秋の味覚をいただいたので、おあげさん・しめじ・ちょっぴりお醤油で炊きこみました。


まったく関係ないけど、歌舞伎の前におうちで食べた「香り松茸味しめじご飯」

まったく関係ないけど、歌舞伎の前におうちで食べた「香り松茸味しめじご飯」

飯田市取材の時に仕入れた茸たち。一番左のデカイのがクロカワ茸、その隣が椎茸、茶色のがクリダケ、右がしめじ

飯田市取材の時に仕入れた茸たち。一番左のデカイのがクロカワ茸、その隣が椎茸、茶色のがクリダケ、右がしめじ

農家のおばちゃんから伝授してもらった、クロカワ茸の紫大根おろしと生醤油和え!

農家のおばちゃんから伝授してもらった、クロカワ茸の紫大根おろしと生醤油和え!


ノルウェイの森 村上春樹【読書する贅沢】

拡大解釈ではあるが、私たちの世代にとって村上春樹氏は、好むと好まざるとに関わらず、密接に人生に寄り添ってきたし、間違いなく影響を受けた小説家の一人だと思う。例えが良くないかもしれないけど、ある年代にとってサザンオールスターズの音楽が、好むと好まざるとに関わらず人生に密接に寄り添っているのと同じように。
そして村上作品のファンであるかどうかに関わらず、多くの人に読まれたのが「ノルウェイの森」だ。もともとこの小説は「蛍」という短編が基になっている。(私は「ノルウェイの森」から先に読んでしまい、後になって「蛍」を読んだ時に、読書するシアワセ感をとても新鮮に感じたことを今でもはっきり覚えている)「ノルウェイの森」は、他の村上作品のような不思議感があまりない。風変わりな登場人物、非現実的な状況が出てこない。ある意味で、とてもわかりやすい小説だったことも手伝ってか、発刊当時は爆発的な売れ行きだった。その「ノルウェイの森」が長い年月を経た今、映画化されるっていうんだから、驚かないはずはない。
村上作品の映画化は数少なく、その理由は作家本人が映像化をなかなか許可しないからだと言われている。素人ながらにも、確かにあの独特の間合いとか、台詞まわしとかを映像化するのは難しそうですよね。小説を読んだ人は、イメージが自分の中でふくらんでいるはずだから。


その難しい映像化に取り組んだのは、「青いパパイヤの香り」のトラン・アン・ユン監督。驚くほど原作にほぼ忠実に物語が始まる。乾いた孤独感とか、喪失感みたいなものは、美しい風景によって描写されているので、読者は違和感なく映画の世界に入っていける。死に向かっていく直子はいつも青みがかった画で、生に向かっていくミドリは暖かな色に満ちていた。直子の療養所のある山の中の風景がとりわけ美しく、印象的である。イネ科の草の大群が風になびく様子は、直子の心の揺れのようで、悲しく寂しい。きっとロケハンに相当な労力と時間を費やしたんだろうなぁ〜。
試写室を出た時、何度も読み返したあの赤と緑の装丁本を思い出し、猛烈に読みたいという衝動にかられた。こう感じさせる映画はとても珍しい。原作にほぼ忠実な映像化が、小説に寄り添う映画を創り出したのだと思う。映画単体では存在しえない、小説と必ずセットになった映画は、12月11日からロードショーだそうです。観る前にぜひ小説をお読みになってからお出かけくださいまし。


追記1●映画には、イトイさんや細野さんやユキヒロさんがちょろちょろっと出演されていて、地味な可笑しさがかなりツボです。
追記2●レイコさんの役者さんのみ、私的にはイメージが違ってました。レイコさんの部分は原作に忠実ではなく脚色されていましたし、それがちょっと残念。
追記●ワタナベ役の松山ケンイチさん、若き日の村上春樹氏に似ているじゃん、と思ったのは私だけでしょか。


イチジクの王子様あらわる!【今日の地球】


以前このコラムでご紹介したセミドライの冷凍イチジク。覚えていらっしゃいますでしょうか。
イチジクなんて冷凍できないじゃん、という定説を覆し、セミドライにしてからゆったり真空パックという技法で冷凍イチジクを実現しちゃった商品。その出来ばえに感動し、貴重な冷凍イチジクを使ってフルーツサラダレシピをここでも紹介したところ「食べさせろ〜」と多くの方からメールをいただいた。出来ることなら個人的に入手したい、こんな発明をした作り手さんに会ってみたい。そう念じていたら、願いが叶ったのである。そう、人呼んで「イチジクの王子様」。三州フルーツ工房の鈴木誠さんだ。いい笑顔ですね!


王子様に会わせていただけたのは、某局の某H氏が主宰する名前なきグルメ会。毎回、名前を決めなくちゃね〜と言いつつ名前が決まらないという面白い会は、美味しいモノ好きの集まりだ。マスコミや広告業界の割合が多いにも関わらず、自己主張の強い人がいないからか、なかなか名前が決まらない。業種(NAME)を超えて集うという意味にもなるので、こうなったら名前のない会、NO NAME会でもいいんじゃないか?と個人的には思うのだけど、イマイチ主張が苦手なので言い出せないでいる。
今回はその会でのゲストが三州フルーツ工房の鈴木さんだったというわけだ。鈴木さんは「農家のこせがれネットワーク」を務めていることもあり、そのお仲間の加藤秀明さんと共に、農業への熱い想いを語ってくださった。あのイチジクがどんな風にして生まれたのか、農家経営の裏話(経営がとても大変だという話がほとんど)や若手農業家の可能性について、お話をうかがった。完熟イチジクをセミドライにするのに、なんと花火を作る技術が応用されているというのだから、ビックリ仰天。そんな面白いネタを聞いた途端にインタビュアー気質がスイッチオン。花火の応用技術について聞きまくってしまった。私みたいなインタビュアーが多いからか、それともただ単にみんな食いしん坊だからか、女性陣の質問は矢継ぎ早!イチジクに愛情を傾ける鈴木さんもタジタジの様相で、なかなか充実した秋の夜長となった。


鈴木さんの冷凍イチジクは、樹の上で完熟したイチジク(傷みが早いため、本来なら流通にのらず幻と呼ばれたイチジク)を、花火を作る時の技術を応用してセミドライの状態にし、実がつぶれてしまわないようにゆる〜い真空パックにして冷凍される。解凍する方法を間違うと、味を損ねてしまうため、まだ一般では流通しないということらしいが、来年のイチジクの時期には業者オーダーするつもりなので、ご興味のある方はご一報ください。あるいはイチジク狩りにも出掛けたいとも思っているので、希望者を募ります。何を隠そう、イチジクは私の好きな果物ベスト3に入るのですよ。


鈴木さんのイチジクを使ったフルーツサラダレシピは、こちら
鈴木さんたちの団体「農家のこせがれネットワーク」は、11月19日に名古屋市内にて異業種交流会を開催される。ご興味のある方はご連絡くださいませ。


この日の会場は我が家から歩いて行けるイタリアン「トラットリア ケイヤ」。お隣の由美さんやカメラマンの岡村さんと一緒に歩いて帰路につきながら、女性同士の会話ってのは終わらないもんですね〜。マンションについてから「うちでお茶してく?」と由美さんを誘いいれ、とうとう日付が変わるまであれやこれやと話に花が咲いた。この日はブーツを履いてた由美さん。我が家の玄関で「隣の部屋に帰るだけなのに、またブーツを履くの面倒だわ」とブーツを手に持ち、靴下姿のままお隣へお帰りになる様子は、ホント、ウケました。真夜中にも関わらず、玄関でしばらく笑っていたのは、ワタクシでございました。我がマンションの同じ階の皆さん、失礼いたしました。


ロ・ブーの中国茶会【一杯の幸せ】


名古屋・覚王山にある中国茶のお店「ロ・ブー」さんからお誘いを受けて、秋の茶会に出掛けてきた。場所は白鳥庭園の清羽亭。先々月にお茶会でお邪魔したばかりだったので、和そのものの日本建築で中国茶のお茶会を開催されるなんて、一体どんなしつらいになるのかしら。どんなご接待をされるのかしら。床の間の軸やお花はどんな風なのかしら。と、お邪魔する前からいろいろな想像をして楽しませていただいた。ロ・ブーのオーナーの岩崎さんとは、取材がきっかけで知り合いになり、その後イベントなどをご一緒したり情報を交換したりするようになった。前述のコラムで登場していた青木シェフのフランス料理を、岩崎さんの中国茶を飲みながら楽しむ、という企画ランチを催したこともあり、料理やお菓子とお茶の相性について何度も意見を交わしたことがある。用事があって携帯にお電話すると「今、福建省の山奥なんです。ドロドロの格好でお茶の摘み取りやってます〜」とお答えになることがある。つまり、中国茶ブームになるずっと前から中国茶の輸入や栽培に力を注いでこられた方なのだ。岩崎さんの中国茶の知識や経験はもちろんだが、アイデアと味覚に脱帽すること度々だったので、この茶会は期待感が相当つのっていたというわけだ。


そして、その期待はまったく裏切られるどころか、完成度の高さに驚かされたというのが正直な感想である。しばらくお会いしない間にすっかり進化を遂げられて、岩崎流と呼べるほどの素晴らしいお点前を拝見することができたのだ。
もともと岩崎さんは、日本に中国茶を紹介した第一人者ということもあり、中国茶を適温・適香で美味しく飲むためのお作法のようなものを編み出した方である。ロ・ブーにお邪魔すると、岩崎さん独特の美しく無駄のないお点前で、美味しい中国茶をいただけるので、熱烈なファンの方もきっと多いだろう。その岩崎流はこの茶会で、お点前、お作法、お菓子との相性など細部に至るまで行き渡り、完成されていた。3つの茶会の会場には、それぞれテーマが設けられ、中国茶・お菓子・音楽が見事な融合でプレゼンテーションされていたのだ。その一部を拙い写真でご紹介しようと思う。


紅の席。床の間のしつらい

紅の席。床の間のしつらい

アップにするとこんな感じ

アップにするとこんな感じ

お茶は文山包種茶の冷茶。お菓子はスイートポテト。BGMはアイソトニックサウンド「オーロラ」より。お茶を飲んだ後の舌に残る甘みと、ポテトの甘みがピッタリで、チョ〜ビックリ!

お茶は文山包種茶の冷茶。お菓子はスイートポテト。BGMはアイソトニックサウンド「オーロラ」より。お茶を飲んだ後の舌に残る甘みと、ポテトの甘みがピッタリで、チョ〜ビックリ!

茜の席。立礼の茶席でした。

茜の席。立礼の茶席でした。

完成された中国茶点前!

完成された中国茶点前!

お茶は坦洋工夫、お菓子はケイクキャラメル、BGMはもののけ姫。

お茶は坦洋工夫、お菓子はケイクキャラメル、BGMはもののけ姫。

紫の席。日本の伝統建築で中国の香り。

紫の席。日本の伝統建築で中国の香り。

お茶は白葉単樸、お菓子はガトーマロン、BGMは郷情。

お茶は白葉単樸、お菓子はガトーマロン、BGMは郷情。


この日の茶会は、「槿花一日(きんかいちじつ)」と名付けられていた。槿とは朝顔のこと。強くたくましい命も、儚く小さな命も、同じ命。一服のお茶と共に、美しい自然の中ですべての命の声に耳を傾けていただければ、という岩崎さんの願いが込められている。お茶の作法に東西隣国の差こそあれど(もっとも中国茶の点前は岩崎さんが作り上げたもので中国本土にもないと思うけど)、お茶を愛でる心は同じ、ということですね。岩崎さんとロ・ブーの皆さんの志と精神性の高さに、すっかり心を奪われた秋晴れの一日だった。


プロフェッショナルの仕事【徒然なるお仕事】


もう3週間ほど前のこと。おいし〜い取材撮影のお仕事があった。とある醤油メーカーさんのお仕事で、調味料としての醤油の可能性や新しい発想の使い道などをプロのシェフと共に探り、広告物に仕上げるというものだった。食いしん坊な私にはとっても嬉しいお仕事で、事前に資料としていただいていたお醤油を自宅であれやこれやと言いながら一人で実験を繰り返していた。すっきり系のお醤油だったので、和食に限らず、なんちゃってフレンチとか、なんちゃって中華にもアレンジできる。こういう万能タイプの調味料がプロの手にかかれば、メニューは末広がりなんでしょうね〜。


そうです。このお仕事のパートナーとして登場いただいたのは、フレンチの青木シェフ。パリ・ホテルリッツに招聘されるなど国際的な活躍でも知られる青木シェフは、日本の食材や調味料にもかなり明るいので今回のオーダーにはうってつけの人選だった。


案の定、青木シェフとお話していると、食の実験は果てしなく面白く展開していく。こんなのどう?これ美味しいね!などと盛り上がりながら次々とアイデアが浮かんでくるのだ。さすがプロですね。


飲食店を経営しているからといっても、すべての料理人が技に優れているわけではないし、今回のオーダーのように応用技術が求められるわけでもない。極端なことを言えば、普段お醤油を使っている和食の料理人に、お醤油の可能性について取材をしても、その何割かの料理人は残念ながら答えることができないと思う。お醤油は身近すぎるから離れた目で見ることができないだろうし、醤油の使い道を応用して考えろなんて、和食の料理人に求められることではないからだ。そしてそれは我々コピーライターだって同じだ。文章を書くことを生業としていたって、小説が書けるかといえばそれはまた違う話だし(コピーライターから小説家になった林真理子さんや石田衣良さんみたいな方もいらっしゃるけどね)、手紙を書かせたら天下一品かといえばこれまた違う。どんな職業人にも得意な分野とか好きなやり方があるのだ。そう考えると、プロフェッショナルな仕事の線引きって難しいですね。生業にさえしていれば「自称」ではなく「プロ」と言えるわけでして。


いちお、ワタクシとしては、唄って踊れるコピーライターというキャッチコピーのもと「アイツ、仕事に好き嫌いあるからなぁ」と苦笑いされながらも、好きなものは徹底して好き、興味ない分野についてはまったくのドシロート同然というスタンスのまま、仕事を続けさせていただいている。青木シェフは私と比較するのは申し訳ないほど仕事のレベルが高い方なのですが、青木シェフのこだわりや器用なセンスをかいま見て、私も自分の仕事のやり方を改めて振り返るチャンスになったというわけ。もしかしたら時代の流れに負けてしまうのではないか?という恐怖心が時々もたげつつも、まだしばらくは好きな道で生きていきたいと思っている今日このごろなのだ。


もっと!地酒の会【一杯の幸せ】

先日このコラムで発表した逸品もっとよくなるプロジェクト。その活動スタートを飾るイベントが決定したので、ここにご紹介させていただく。

その名も「もっと!地酒の会」。

なぜ日本酒か、なぜ地酒か、というと・・・。我々プロジェクトの「日本の地方」の魅力を掘り起こしたい、もっと地方の良さをアピールしたいという切なる思いに端を発する。地方の面白さを知れば知るほど、日本酒文化と出逢うことになるからだ。そう、日本酒は昔からハレの席のものだった。神事はもちろん、冠婚葬祭、祝事、特別な寄り合いの場に、昔のオジサンたちは一升瓶をぶら下げて出掛けたのである。それはビールでもワインでもなかった。

「じゃあ、そんな日本酒文化を身近に楽しむ会を始めてみようか!」プロジェクト主宰者の岡田氏のこの呼びかけに、地酒の会開催が決まったというわけ。(単純といえば単純な理由ですけどね)

とは言っても、私たちがやりたいのは、よくある「利き酒の会」でもなければ「蘊蓄を傾ける会」でもない。日本酒がその地の文化にどんな風に根ざしつつ発展したのか(つまり商品コンセプト)、その地域の特性を日本酒づくりにどう活かすのか(つまり商品開発)、広告屋の視線を入れつつ、そんなことを皆で意見しながら、季節の料理と地酒を楽しみたいのである。

そして、そんなプロジェクトの考えに早速共鳴してくださり、第一回の会合に日本酒をご提供いただくことになったのは、岐阜県各務原市の酒造メーカー・小町酒造さん。長良川の伏流水で仕込み、蔵内にシンセサイザーの自然音楽を流し、酵母を育てるという「清音発酵仕込み」でも知られている。

どうです?面白そうでしょ???なんだか参加したくなってきたでしょ???
そんな視点で日本酒を味わってみるっていいな〜、楽しく面白い話をしながら日本酒を知りたいな〜、しかも美味しい季節の料理も味わえるなんて素敵だな〜、と思った方、ぜひぜひご参加くださいまし。あくまでも初心者向けの会なので(なんてったって主催者自身が初心者ですから)、皆様のお気軽なお申し込みをお待ちしております。(万が一、定員になっちゃってたら申し訳ござりませぬ)

日時/10月22日(金)、午後7時30分〜9時30分
場所/手打ちそば・小料理「和蕎楽」(わそら)
   (伏見駅より徒歩5分程度)
会費/5,000円
申込/プロジェクトホームページより申込ください
   (或いは私に直接メールくださっても結構です)
http://www.episword.co.jp/jizake/mail.html




嘆きのボインとカンカン帽【えとせとら】

前回のコラムにカンカン帽のことを書いたら、我がコラムを毎回読んでくださっているTさんからメールが届いた。「あの写真の帽子はカンカン帽ではなくパナマ帽ですよ」と。そうなのです、私の勘違いで、前回ご紹介したオジサマ方の帽子はカンカン帽ではなく、パナマ帽でありました。ここに訂正してお詫び申し上げます。
間違いこそ勉強のチャンスってなわけで、カンカン帽とパナマ帽の違いについて、ちょっと調べてみた。Tさんがおっしゃるように、カンカン帽は麦藁帽子の一種で、山の部分は円筒形、てっぺんもつば部分もが平らで、固くプレスされている(水しぶきで濡れても変形しないように)。一方パナマ帽は、パナマソウの葉を細く裂いた紐で作られており、てっぺんに凹みがあり、つば部分がわずかにカーブしており、やわらかい素材が特徴なのだとか。両者はどちらも大正時代の紳士の正装姿に用いられたものだったのだそうだけど、一見似ているようで、限りなく違うタイプである。改めて見てみると、ゆるやかな曲線がなんとも上品なパナマ帽は紳士向き、固くプレスされたカンカン帽はお茶目な殿方向きという感じがする。


そして間違いなく言えるのは、カンカン帽は私たち世代にとってはやっぱり月亭可朝がかぶっている帽子という認識なのである。多分カンカン帽がお茶目な殿方向きだと感じるのは、可朝のイメージそのままなんじゃないのかな。前回コラムで月亭可朝のことを書いたら、若年世代から「月亭可朝って誰?」と突っ込みを入れられたので、ご存じない方のために説明申し上げよう。月亭可朝さんは落語家で、ギターをひきながら"嘆きのボイン"を歌ってある時代を風靡した人である。「ボインはお父ちゃんのもんとちがうんやでぇ」といううたい文句は当時幼少の私にはとんでもないカルチャーショックだった。この歌が世に出たのは、私がわずか3〜4歳くらいの時なので記憶は定かではないが、おそらく周りの大人や小学生たちが面白がって言ってたんでしょうね。さらに歌詞はこう続く。「大きいのんがボインなら、ちっちゃいのんはコインやで、もっとちっちゃいのんはナインやでぇ」ボイン>コイン>ナイン。多分、私が人生で一番最初に覚えた方程式である。


そんなわけで、カンカン帽から嘆きのボインまで、ネットでいろいろ探していたらあっという間に数時間が経ってしまった。そろそろ〆切原稿に向かわなくっちゃ。
月亭可朝による懐かしの昭和の迷曲がyoutubeにあったので、ご興味がおありの方はパソコンのボリュームを下げてどうぞ→嘆きのボイン


岳の幟〜お祭りの記憶【徒然なるお仕事】


岳の幟(たけののぼり)というお祭りをご存知だろうか。長野県上田市の別所温泉に五百有余年に渡って一度も途切れることなく続けられている雨乞いのお祭りである。とある企業の広報誌で、このお祭りを取材することになり、七月の酷暑の日に山登り取材を敢行した。その時のお恥ずかしい様子は直後にコラムでもご紹介したので、いろんな方から「山登り大丈夫だった?」とお声をかけていただいた。山登りならぬ悲惨な山滑り体験となってしまったのだけど、秋風が吹く今となっては、あの時の太陽の照り返しや早朝の山頂風景などを懐かしく思い出すのだから、人間の記憶というのは都合良くできているんだなぁとつくづく思う。



左が第一陣+私たち取材陣が登りきった山頂で、御神酒をいただく瞬間の図。この先はいわゆる雲海で、地上が遥か下方に見えていた。右は第二陣が頂へと登ってきた瞬間の図。これ以外の写真は残されていなかった。登るのと下るのと滑るのに必死でカメラなど構えられなかったのである。


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※岳の幟を取材した文章は、とあるクライアントの広報誌にてお読みいただけます。
写真がとても素晴らしいのでぜひご覧ください。ご希望の方は下記アドレスにメール送信してください。
Sassi-ko-ryu.Koe@chuden.co.jp
1.郵便番号・住所、2.氏名(ふりがなを添えて)、3.なぜ欲しいと思ったか、を記入の上、お申込くださいませ。
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さて、この取材で私が一番ビックリ感激したのは、お祭りの衣装である。舞を踊る少女たち、獅子舞の青年たち、そして練り歩く人々など、皆そろって昔のままの装束をまとってのいでたちであった。五百有余年ずっと同じ素材というのはあり得ないにしても、現代ならついつい安くてお手入れしやすい化繊に頼りがちなのに、綿や麻素材にこだわり、それを身につけているのである。



↑ほらほら、ちゃんと感でしょ?↑綿とは言っても今年の酷暑の真っ最中だったので、皆さん汗びっしょりで熱中症になるんじゃないか?と心配するほどだったけど。さらに衣装をよく観察すると、昔ながらの文様がきちんと染め抜いて作られていた。たとえば獅子舞の衣装の上部分は「獅子の毛」と呼ばれる文様で着物の意匠にもよく用いられるものだ。下部は縞模様、ストライプですね。清々しい獅子の舞も衣装も、ホントかっこ良かったなぁ。


そして私が一番胸キュンだったのはこのオジサマ方である。紋付袴姿にカンカン帽!まるで昔の旦那衆のような粋な姿に見とれてしまい、広報誌の取材だということを一瞬忘れて、オジサマ方にくっついて話を聞くのに夢中になってしまった。オジサマ方は皆、夏の召し物と袴の上に、家紋を染め抜いた絽の夏羽織姿。聞いてみると全て自費で作っているのだとか。地元のお祭りを守り伝えるにも、やっぱりお金はかかるんですねぇ。明治末期に流行し始めたカンカン帽は、大正時代から正装時の着物姿に許されたそうで、以来、岳の幟では皆このカンカン帽をかぶるのだそう。実はカンカン帽と言えば"嘆きのボイン"で有名な月亭可朝を連想しちゃう下世話なワタクシ。一夫多妻制を公約に掲げて落選しちゃった落語家ですネ。でもこのオジサマ方は「ボインはお父ちゃんのもんやないんやでぇ」などとは勿論おっしゃらなかったので、おかげでカンカン帽イコール大正時代の正装姿という正しい認識を身につけることができた。カンカン帽を正しくかぶるオジサマ方と共に、粛々と別所の街を練り歩いたのだった。こらホンマやでぇ〜。


市川桜香さんの会【伝統芸能の継承者たち】


名古屋市能楽堂で開催された市川桜香さんの会にお邪魔してきた。市川桜香さんと言えば、むすめ歌舞伎を始められたことで有名な名古屋の舞台芸術家で、歌舞伎の市川宗家から市川姓を許されたことでも知られている。お名前はよく存じていたのだが、舞台を拝見するのははじめてのこと。ヘアメイクの村上由見子さん、スタイリストの原結美さんと一緒に拝見した舞台は驚きの連続だった。まずは最初に新作「天の探女」。これは能の「岩船」をベースに、能と狂言と歌舞伎の要素をひとつの舞台に融合させたものだった。この3つの芸能は、伝統芸能という一言でまとめてしまうには、それぞれあまりに多くの要素を持っている。それを舞台の上で融合させるのだから、相当なご努力が必要だったはずと素人ながらに拝見した。脚本は市川桜香さん自ら筆をとられたようだ。結果、私が感じたのは、そこには女性ならではの美しい表現の融合があったということ。能の荘厳さ、狂言のペーソス、清元の華やかさ、歌舞伎の豊かな台詞まわし。それらすべてが女性特有の器用さにより、きれいにまとまった脚本になっていたのだ。きっと、むすめ歌舞伎をはじめられたご経験が生きているんだろ〜な〜と考えていると、場内は舞台演出で真っ暗に。ストーリーに登場する不思議な光る石を演出するため、能楽堂が真っ暗になったのだ。御園座の照明の方がいらっしゃって照明を担当されたそうだが、このような舞台で照明の演出により舞台を効果的に見せるとは、これまた新しい試みであり驚きだった。芸能に限らずどんなことも「公衆の前ではじめて試み発表する」というのは、勇気と臆病さの両方が必要になる。勇気だけでは空回りする。そこに臆病なまでの繊細さがないと実現できないはずだ。今回の桜香さんの初の試みの奥には、どんな臆病さが渦巻いていたのか。最後に挨拶に立たれた時の桜香さんの涙が、その奥深さを物語っているようで、見知らぬ私まで胸が熱くなった。


途中、お話をしてくださった能楽師の藤田六郎兵衛さん。
能の監修と能楽笛方として舞台に上がられた。
きりっとした佇まいには、
勝手ながら、いつも惚れ惚れとさせていただいている。むふ。


充実した午後を過ごして、共に泉1丁目住民である由見子さんとタクって帰る途中、ついつい話に花が咲き「ちょっとお茶する?」がいつしか「一杯だけ呑んでく?」に早変わり。ご近所のバーでシャンパンとビールで乾杯し、伝統芸能の高尚さとは真反対の世間話に夢中になった。ま、伝統芸能のネタも、男女の恋愛話なんかがほとんどなのだからして、こういう世間話から芸能が生まれるんでありますよ、いやホント。


小豆婦人のマナー術【えとせとら】

先日のコラムでご紹介した「新幹線紳士、マナーの光と影」について、多くの方からいろいろなご意見や体験談をお聞かせいただいた。その中のお一人で、いつもコラムの感想をメールしてくださるTさんによると、新幹線紳士のマナーは、育ちの中で自然に身についたことではなく、成長してから後天的に学習したことではないかと分析された。だから、最も本人らしさが出るご不浄での行為が、あんなことになるのだと。つまりマナーには、先天的なものと後天的なものがあるというわけだ。なるほどね〜。某代理店のHさんは、新幹線紳士のマナーは職業病だったのではないか?と指摘。ご不浄でのマナーと車内のマナーには差異がありすぎるので、そこには何かしらの理由があるはず。車内マナーに秀でているならそれはJRまたはどこかの私鉄職員ではないか、というのだ。こちらも確かになるほどね〜。そしてもうお一人、面白いエピソードを教えてくれた人がいる。私とよく似た体験をしたIさんのエピソードは、最後にご紹介しよう。


そんなやりとりをしていたので、マナーに関する話題に事欠かない今日この頃。先日、Rさん・Nさん・私の女性3人でお茶していた時のこと。Rさんは、お菓子の"ういろう"を注文しようとして「大島と抹茶とコマメがあるけど、どれにする?」と聞いてきた。コマメって???・・・そう、彼女は小豆(アズキ)を間違えてコマメと読んでしまったのである。実はアズキういろうが食べたかった私は、ここでアズキと発音しちゃっていいものだろうかとあぐねていたところ、隣にいたNさんがすかさず「私、コマメがいいわ」とにっこり笑ってオーダーしたのである。


Rさんに気づかれないようRさんに合わせて自分もコマメと発音してオーダーしちゃうスマートさには感服した。これって、イギリスのエドワード8世の逸話と同じですよね。エドワード8世が王太子だった頃、アラブの首長を招いて晩餐会を開いた時のこと。お客の一人がフィンガーボールの使用法を知らずに中の水を飲み干してしまうと、それを見ていたエドワード8世は客に恥をかかせないようにして、咄嗟に自分もフィンガーボールの水を飲み干したという有名な話がある。(私はこれをエリザベス女王の逸話と勘違いしていたが、調べてみたらエドワード8世だった。現在のエリザベス女王の伯父さまにあたる方で、なんといっても王冠を賭けた恋で有名ですよね?ちなみに日本の陸軍大将の荒木貞夫にもまったく同じフィンガーボールの逸話があるそう)
マナーと一口に言っても、いろいろな作法や決まり事があって、単純にひとつのマナー術に絞りきれるものではない。でもどんなマナーもその根底にあるのは、共に時間を過ごす人のことを気づかい、互いに心地よいひとときを送るためのものであるはず。時代錯誤で杓子定規なマナーは本棚の奥にでもしまっておいて、或いはコマメをアズキとわざわざ訂正して相手に恥をかかせるような無粋な輩には軽くヒジテツでもくらわして。エドワード8世や小豆婦人のように心優しいマナー術を身につけたいな、と思う。


さて、最後に走る珈琲愛飲者のI氏の新幹線マナー体験談をご紹介する。タイトルは「新幹線淑女のマナー術」以下、I氏からのメールをまんまコピペさせていただく。
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新幹線の指定席で独り名古屋へ帰る際、隣席が空いているのと埋まっているのとではくつろぎように差は大きい。最近では東京駅を滑り出したからといって気は抜けない。すぐに品川駅でガサツなオヤジが乗り込んできて、隣にドカッと座り込んだりするからだ。これが妙年の美女ならば、などと思うところは自分もガサツなオヤジだったりするわけだが・・・。
 
その日、車速が落ちた新幹線の窓際席から品川駅のプラットフォームを眺めていると、真っ赤なタイトスーツの女性が近くのドアから乗り込むのが見えた。ほどなく私の座る車両のドアが開くと、くだんの女性が入ってきて私の隣席近くまで進んで来た。豊満系スタイル抜群で立っていてもフトモモ露なミニスカートの30才前後と思われる美人である。ただ服も真っ赤ならばロングヘアもかなり明るく染めていて、この手合に振る舞いが淑女は少ないけれどまあ容姿だけでも我慢しろ、と先走った偏見で私心のニヤツキを勝手に抑えて身構えた。「こちら失礼します」と私にことわり隣席に一旦座った彼女、もう一度立ち上がり「頭の上をごめんなさい」と手元のキャリーバッグを荷棚に上げ、後ろの席の男性に「座席を倒してもいいですか?」と聞いている。やるじゃないか!大当たりだ〜(何がだ!)などと自分の先入観そっちのけで内心舞い上がってドキドキしてきた。
 
しかし露出の大きな美女が触れ合わんばかりの近くにいると、必要以上にイヤらしく思われたくないと視線をそちらに向けるのも不自然な気遣いになって、ケッコウ疲れるものである。買っておいた弁当でも取り出して気を紛らわせるか(何から!)などと思った矢先、「あのー、お腹がすいているのでお弁当失礼します」と隣席の美女に先を越されてしまった。「あ、あ、私もそろそろ食べようと思っていたのでこちらこそ」などと訳のわからない返事をしてしまったが、あぁ派手で美しい淑女って日本にもいるんだなぁ、と勝手な感慨に耽ってしまう。
 
新幹線は新横浜駅を過ぎているので、隣席女性がどこまでいくにしろ名古屋まではご一緒だラッキィ〜、食べながら何を話しかけよう、などと妄念にとらわれながら自分の弁当をつつき始めた・・・。が、何か違和感がある、ご飯の味がオカシイ、何だろう?食べ物じゃない臭い?香水?そう強烈な香水だ。嫌いな系統とか体臭と混じってとかではないが、とにかくキツイ。いや、容姿と物腰に気を奪われてそれまで気にならなかった私も私だが、この臭いの強さは飯どころじゃない!何で!ここまで完璧だったのにここに来てぶち壊しじゃないか!私の身勝手といえばそれまでだが、なまじの事マナーも良しの淑女という判断が崩れたガッカリさは大きい。弁当の味わいなども忘れ、ひたすら早くこの臭いから解放されるよう待ちわびる苦行が名古屋まで続いたのである。
 
あぁ、「新幹線紳士のマナーの光と影」話を読んで思い出した私の体験「新幹線淑女のマナーの光と影」話、ニンゲンって生き物は他人を呆然とさせる振る舞いをするものなのだ、自分では気づかない間に。きっと他人事じゃないんだろうなぁ・・・気づかぬうちに私も紳士を捨てているのかもしれないなぁ。
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