LARMES Column

[きぬぎぬ]の連鎖反応【えとせとら】

嬉しい連鎖反応。前回のコラムで、死語だの下ネタだの、どなたにもドストライクな話題をふりまいたためか、あちこちから多くの反応をいただいた。やっぱり男女の色恋ネタはどなた様もご興味がおありのようですね。その中でも嬉しい連鎖反応が2つあった。一つ目は、死語辞典下ネタ辞典を発行しようという話の発端になった写真家の初沢さんと、ツイッター上での140文字どころか、140字×複数回という、つぶやきレベルを軽く超えたやりとりで通じ合ってしまい、明日の東京出張の折に久々にお会いする段取りまでスピーディーに運んでしまったこと!
そして2つ目は、このコラムに何度も登場している同級生でプランナーで児童小説作家で・・・ああ面倒くさい。とにかく肩書きをたくさん持っている岡田氏が、後朝の別れについて、連鎖反応を示してくれて、ブログに書いてくれたことだった(2/7のもの)。私が好きだと書いた死語は、後朝の別れ。岡田氏がバーチャル体験したのは、後朝の文。平安時代の男女の恋愛に端を発するお手紙のことで、まぁほとんど光源氏の世界ではあるが、思わずうっとりするような平安の習慣なのである。平安の貴族というのは、あれだけ毎夜遊んでいながら政治も片手間にやっていたわけで、そういう意味でも本当に大したものですね〜。今の政治家も見習って欲しいくらいです、個人的にはね。
さて、このように、一つの言葉に連鎖反応して書き手の文章がどんどん連なってゆくのは、なかなか楽しく刺激的である。まるでコピーライター同士のしりとりゲームみたい。職業的書き屋の皆さん、僭越ながら、こういう書くことの楽しみをブログで広げていきましょうよ。食事の内容とかカフェのメニューの写真撮るのなんかそろそろやめて・・・ね。


死語辞典に下ネタ辞典!?【えとせとら】

先日、ツイッターで久しぶりな方と巡り会った。写真家の初沢克利さん、である。私がまだピチピチで駆け出しの頃に親友の紹介で知り合った写真家で、当時すでにパリ・モンパルナスの一つのカフェを何十年も撮影し続けていた重鎮だった。青山にある初沢スタジオで夜中遅くまで、時に場所をモンパルナスのカフェに移して、赤ワイン片手に怪しげな会話を楽しみながら、生意気盛りの私は初沢さんから多くの薫陶を受けたのだった。パリに長く住んでいた初沢さんは、フランスの知的な部分と激しく接触しているからか、頭の回転が鋭く早く、しなやかな饒舌を持つ人である。だから、年賀状のやりとりと一年に数度のメールを交わす程度でしばらく無礼を重ねていた私は、思いもよらぬツイッターで初沢さんの文章が読めるようになるのは嬉しい驚きだった。なぜなら、初沢さんは写真家である前に文学の人だから。

〜以下、ある日の初沢さんのツイートと私のやりとり〜
初沢さん●樋口一葉の「大つごもり」を読んでいたら「ほまち」という言葉が出て来た。懐かしい。子供の頃母親(明治生まれ)がよく使っていた。これも死語かも知れないが「へそくり」と言う意味。江戸のころのホモは「衆道」。死語をいっぱい知っているが、死語辞典があれば見てみたいものだ。
ワタクシ●それにしても死語辞典、面白い!あったらいいのに辞書シリーズ、下ネタ辞典に続き、リストに加えておきます。
初沢さん●「下ネタ辞典」は作ったら売れそうですね。「死語辞典」と重なる言葉が多いかもね。下ネタには古い言葉がふんだんに使われたり、そのまま生きていたり「松葉くずし」とか。今の若者は裏ビデオからの知識だけでかわいそうだし。(悪のりしてすみません)
ワタクシ●いえいえこちらこそ御意。おっしゃる通り、昔の下ネタは淫美な響きが多いですよね。いやらしさよりも綺麗が際立っていたり。ビジュアルなコピーたったりする。これも私が知るおそらく僅かな限りでそうなんだから、辞典があったらさぞや、と。

これだけ見ても、初沢さんが一級の表現者であるということがお分かりいただけるだろう。(それに比べて私の文章の貧相なことといったら・・・)というわけで、以来、私は死語と昔の下ネタに意識が集中するようになっていった。


古い言葉、使われていない言葉を思い浮かべてみると・・・たとえば青色ひとつをとっても、水色、浅葱色、浅葱ねず、藍白、瑠璃色、群青、灰青と限りなく名前がある。こんな古い表現を知っていても何の得にもならないし、日々の暮らしに役立つわけでもない。でも昔の人は、空の色や涙の色、あるいは哀しい気持ちや嬉しい心を表現するのに、時にはこうした色を用いたのではないかな。古い表現や死語に俄然興味がわいたので、ちょっとずつ調べてみると、面白い言葉が出るわ、出るわ。


女性を表現するのに使われる「きゃん」と「おむく」ご存知ですか?「きゃん」は侠と書き、勇み肌な人のことを指す言葉。そういう雰囲気を持ち合わせた若い女性のことを、きゃんむすめ、と言ったのだそう。一方「おむく」は、文字通り無垢で純真なタイプのこと。現代語で当てはまる言葉が思い当たらないのは、どちらのタイプの女性もいないからかな。


そして初沢さんのツイッターにもあったように、昔の下ネタとか男女の仲を示す言葉には艶やかな色気があった。私が好きな言葉が「後朝の別れ」である。古い歌などによく出てくる言葉で、恋人と過ごした夜が明けた朝の別れのことを表現したもの。ポイントは読み方である。後朝を「こうちょう」とは読まずに「きぬぎぬ」と読むのだ。男女が互いに着ていた衣(きぬ、と言うのだからおそらく着物のこと)を重ねて共寝し、次の朝にはそれを別々に身にまとう時、とても辛くて哀しいという解釈(だと思う)で、美しく切ない言葉ですよね。


そんなわけで、死語に秘められた日本の美をもっと追求したいと思うのだけど、どなたかこの死語辞典編纂話に携わってくださる方はいないものでしょか。ここのところの会合で何度かそんな話をしたところ、アラフォー女子がそれに賛成してくれた。先日我が家でご飯会をした時のメンバー、お隣の由美さん市川りっちゃんがブログにその時のことを書いてくれている。
明治の文学から昭和の死語まで、一つひとつの意味を精査していったらさぞ面白いと思う今日このごろなのです。


白練りショコラ、バレンタインに再び!【徒然なるお仕事】


テレビのニュースで聞いたのだけど、今年のバレンタイン商戦は例年よりも少し早めなのだそうですなぁ。自慢じゃないけどワタクシ、今迄にバレンタインで勝負をかけたことなどただの一度もないものでして、世の中の女性陣がバレンタインにどんな意気込みで臨むのかという女心をまったく理解できないまま40を過ぎてしまった。とは言うものの、広告屋としてバレンタインに関わることは何度もあった。昨年に、商品開発プロデュースとネーミング及びパッケージを担当した「白練りショコラ」もその一つ。これは鮎の加工製品を取り扱う「泉屋物産店」の鮎の熟れ寿司のご飯の部分を再利用した、ちょっと変わり種のチョコレートである。


熟れ寿司の旨味は時間経過と共にご飯に移る。それが同じく発酵食品のチーズに少し似た味わいになることから、いろいろな洋風商品が開発されたが、白練りショコラはそのデザートバージョンだ。熟れ寿司のご飯にクリームやホワイトチョコレートを丁寧に練り込んでガナッシュにし、トリュフショコラに仕上げたもの。味わい的には、塩味のホワイトチョコレートを想像していただけば一番近いのではないかと思う。(お魚の臭みは驚く程にまったくない!)


ま、同じような説明を昨年の今頃もこのコラムに書いたので、今日は今年らしいトピックスをご紹介しようと思う。昨年は泉屋のお店と名古屋のデパート一店だけでの販売だけだったのが、今年は全国の高島屋で販売されているのでございます!東海地区の方だけでなく、高島屋のある都市の方々にお買い求めいただけるということですね。そしてもうひとつのトピックスは、なななんと昨年、この白練りショコラをバレンタインにプレゼントした女性が意中の人との恋を実らせ、無事にゴールインが決まったのだそうでございます。なんとおめでたいエピソードですこと。商品開発に携わった私にも、そんなおこぼれが今年はありますように。


というわけで、皆様、今年のバレンタインは泉屋物産店の「白練りショコラ」で勝負かけちゃってくださいまし。
「白練りショコラ」は全国の高島屋・味百選コーナー(地下の食品売場です、アムールドショコラではありません)でのお取り扱いがあります。あるいは、泉屋物産店のオンラインショップからもご注文いただけます。もし購入いただき、召し上がった方は、ご感想など是非お聞かせください。


原色のバンコクを喰らう!【今日の地球】


それにしても寒いですね〜毎日。寒さに滅法弱いワタクシは、ヒートテックで上下を固めております。3週間前に30度のバンコクにいたなんて、もうシンジラレナ〜イ。ってことで、再びバンコクの旅日記でございます。
バンコクに旅した一番の目的は姪っこアユミに会うため。そして2番目の目的はなんといってもタイ飯!野菜とフルーツが豊富なタイ料理は、辛いところだけを除けば大好きなジャンルである。現地の人々がフツウに食している美味しいお店をアユミがリサーチしてくれているはずなので、そういうごくフツウなタイご飯が楽しみだった。


結論から言うと、やっぱりタイ料理はヘルシーで美味しい!そして、屋台で食べても、ちょっと高いレストランで食べても、材料の使い方や味の整え方はほとんど一緒だということがよくわかった。味の基本は酸・甘・辛のバランスだ。特に甘みについてはグラニュー糖で加糖していたのにビックリ。中華料理のように化学調味料をふんだんに使うということもないので、舌にやさしい。そしてなにより興味深かったのは、原始的な調味の方法である。原始的という表現が正しいかどうかはわからないけど、少なくとも飽食日本の進化しすぎたとも言える調味と比較すると、極めてシンプルなのだ。


シンプルな調味ということでは、カレーが一番わかりやすかった。←これはアユミがどうしても私に食べさせたいと連れて行ってくれたお店のカオソイというカレー麺。食べた瞬間に懐かしさが広がった。多分わたしたちが子供の頃に食べていた、カレー粉から炒めて作る原始的なカレーの味なのだ。今の日本のカレーって、やたらマイルドでコクがあって煮込んだ美味しさを強調しているけど、昔食べていたカレーって、こういう味だったよな〜って思えるものだった。多分、カレー粉(お店でブレンドしているとは思うけど)と小麦粉を炒めて、チキンスープで割って、チキンを入れてさっと煮込んだもの。だからコクもないしマイルドなんかじゃ全然ないし、ピリっと辛くてスパイシーで、でもスパイスの調合の良さが体にじんわり効いていく感じ。写真はあまり美味しそうに見えないので残念なんだけど、これ、あんまり美味しいのでお代わりしちゃったんですよね。中に茹で上がった麺がカレーとからまっていて、上に揚げた麺がのっかっている。その食感の違いを楽しむのも面白いし、お漬け物とライムがついてくるのでそれを入れて酸味を足してもまた美味しい。あぁ、もう一回食べたいな〜。


アユミと同じ名古屋大院生でバンコクのユネスコにインターンとして来ているイチタロくんとアユミと共に屋台でカンパイ〜♥

アユミと同じ名古屋大院生でバンコクのユネスコにインターンとして来ているイチタロくんとアユミと共に屋台でカンパイ〜♥

こちらは蟹のカレー炒め、プーパッポン。これまた絶品!アユミの友人Qちゃんから教えてもらったタイ料理の名物なのだそう。

こちらは蟹のカレー炒め、プーパッポン。これまた絶品!アユミの友人Qちゃんから教えてもらったタイ料理の名物なのだそう。

これはちょっとすましてレストランで食べたサラダ。柑橘系のフルーツと海老をサラダにするのもタイ料理の特徴みたいだ。これはベトナムにも同じようなサラダがあったな〜。

これはちょっとすましてレストランで食べたサラダ。柑橘系のフルーツと海老をサラダにするのもタイ料理の特徴みたいだ。これはベトナムにも同じようなサラダがあったな〜。

とあるレストランでおねだり猫が出現。シャム猫の国だけあって、どんな野良猫もシャムのようにスマートで頭が小さく、高貴な顔をしているように思えたんだけど。

とあるレストランでおねだり猫が出現。シャム猫の国だけあって、どんな野良猫もシャムのようにスマートで頭が小さく、高貴な顔をしているように思えたんだけど。

これが美味しい屋台通り。トンローという街にありました。イチタロくん、ホスト役をありがとう!

これが美味しい屋台通り。トンローという街にありました。イチタロくん、ホスト役をありがとう!

カオソイのお店で、調味料に籠がかかっていた。こういうの、昭和っぽくて懐かしいですよね。

カオソイのお店で、調味料に籠がかかっていた。こういうの、昭和っぽくて懐かしいですよね。

日本食に飢えているアユミへのお土産のひとつ、不二屋のミルキーロール!これ以外に、お土産には鮎の甘露煮やさんまの山椒煮なども持参したのだ。

日本食に飢えているアユミへのお土産のひとつ、不二屋のミルキーロール!これ以外に、お土産には鮎の甘露煮やさんまの山椒煮なども持参したのだ。

小さい時からペコちゃんの真似をよくやってたので、一応おさえておきましたw

小さい時からペコちゃんの真似をよくやってたので、一応おさえておきましたw

お寿司大好きなアユミと日本食レストランで。

お寿司大好きなアユミと日本食レストランで。


こんなバンコクの熱さと美味を記憶の片隅に置きながら、今週はひたすら寒いところばかりに出張しておりました(コラム更新が遅れた言い訳です)。前半は三河湾に浮かぶアートの島、佐久島へ。港から渡船に乗り、島について漁船に乗り換え、揺れに耐えつつ取材敢行。コピーライターってホント体力勝負だわ〜。一瞬名古屋に戻ったのだけど、翌日に今度は信州・松本へ。中央線が北上するに従って車窓の風景は雪になり、松本は激寒の雪景色だった。潮風と寒風によってお肌はぼろぼろのワタクシ。今宵はバンコクで買ったスパイスを炒めて、3週間前の記憶を呼び起こし、南国の料理で心と体を癒そうと思っている。


桑愈〜そうゆ 和久傳【読書する贅沢】

自他共に認める和久傳好きなワタクシ。お料理もさることながら、和モダンなセンスやしつらいも大好きで、京都の和久傳は目的ごと(はっきり言えば予算ごと)に利用させていただいている。そんなわけで、和久傳から定期的に届く小冊子の桑愈は、和久傳好きなワタクシをますますファンにさせてしまう強力なフィロソフィー本なのである。
かの有名な和久傳の女将さんの人脈がなせることなのだろうか。そうそうたるメンバーが書き手となって、各々がエッセイを書き連ねている。テーマも様々だ。哲学者の梅原猛先生をはじめ、植物学者の(潜在自然植生を研究している方ですね)宮脇昭先生、宮本輝さん、文学者の中野美代子さんなど、学者や文学者、文化人を中心に、あらゆるジャンルから書き手が選ばれている。そのひとつひとつのエッセイが面白いのである。どこが面白いかというと、どなたも和久傳のことには一切触れずに、今思うことを京都の町に触れながら自由闊達に執筆されているのだ。こういう活動というのは、京都ならではなのか(もっとも和久傳は生粋の京都料亭ではないけれど)。昔、文学者や芸術家が料理屋を活動の拠点にして思想を語っていたことを鑑みると、そうした伝統が受け継がれた上での出版なのかもしれないなあ。ま、もちろん、そこには今でいうパトロン、昔風に言えば、旦那衆の役割が存在していたわけだけど。
ちなみにこの桑愈は和久傳でお食事すればいただけるので、皆様お出掛けの際には、ぜひ一言お添えになってご入手くださいまし。今なら、高台寺本店は間人の蟹が召し上がれますぞ。あぁ、思い出すだけでおなかがいっぱいになります。


バンコクの空は何処へ【伝統工芸の職人たち】


先々週に脱稿明けの徹夜明け状態でバンコクにひとっ飛びして、もうすでに2週間が経とうとしている。日常というものは、なぜこんなにも光陰矢の如しなんだろう。すっかりいつもの取材と原稿〆切と打ち合わせの毎日に戻り、あの埃くさい灼熱の国のことなど忘却の彼方である。
バンコクには約20年前に当時勤めていた会社の社員旅行で訪れ、10年前にトランジットで空港だけ寄ったことがある。社員旅行で行った時はバス移動でガイドさんに連れられての旅だったので、今回ほとんど同じエリアを回ったにも関わらず、バンコクの地図が記憶にまったく残っていないことに気づいた。普通なら地図を片手に歩き回るので、何年か経っても旅した街の地理は頭に残っているものなのに。泊まったホテルはどこだったっけ?あの怪しくエロいお店はどこだったっけ?とかすかな記憶を呼び起こそうとしたのだけど、まったく思い出せなかった。


でもそれは私の記憶力が低下しているせいでも、20年前ガイドさんに連れられたせいでもないことに、旅の途中でやっと気づいた。そう、バンコクという都市が変化しすぎていたのである。そりゃ当たり前だ。20年ですもの。あの時生まれた子供はハタチになっているんですもの。どんな都市だって変わるはずだ。
アジア諸国を旅すると、どうしても頭の中で「これは○十年前の日本だね」と、かつて成長途上だった日本に当てはめて考えようとする癖がある。確かに10年ほど前まではその当てはめ方式が通用した。だけど今や、もうかつての日本と同じ状況の国や都市なんて存在しない。下手をすると、現在の日本よりもずっと発展していたり豊かだったりする。バンコクもその例に漏れず、600万人の人口を抱えるアジア有数の大都市なのである。


現在バンコクにある国連関連のIOM(国際移民機構)でインターン生として仕事をしている姪っこアユミ。4ヶ月ぶりに再会したアユミと、フツーの食堂でカンパイ。何を食べても美味しくて安いので、今回はタイご飯を食べ尽くす美食の旅となった。そう、観光は20年前に十分したので一切ナシ。ひたすら食とマッサージとショッピングの毎日である。


今回楽しみにしていたのは、タイの民芸品を探すことだった。20年前の私はまだ工芸への興味が薄かったのでチェックしなかったけれど、40代の今はアンティークや工芸品フェチとなってしまったので、民芸品を求めて歩き回る4日間となった。日本の優れた古い民芸品は、一部のマニアか博物館の手中。その点、多くのアジア諸国ではまだ民芸は健在で、旅をしているとそうしたモノがまだ生き生きと作られているのに出会うことができる。今回訪れたうちで唯一観光らしい施設「ジムトンプソンの家」では、美しく素晴らしい焼き物(ベンジャロン焼)の壺や器を見ることができたし、竹や大理石を使った精緻な製品があしらわれていた。


ところが。タイでは工業化と観光化が進み、優れた民芸品はとうに博物館に入ってしまっているみたいだった。陶器や竹の専門店に行けば大量生産された工業製品が並び、シルクのお店に行けば妙にソフィスケートされてしまった手触りの良いシルク製品が並んでいた。20年前は当時から最も有名なジムトンプソンでさえ、ごつごつした節目が素朴なシルク生地でバッグやストールが生産されていたのに。今ではヨーロッパブランドと遜色ないデザインと素材に仕上がっているのだ。うーむ。これが20年かけて変化した大都市の姿なんだろうか。都市化という発展には民芸の衰退という影がつきまとうものなのかしら。


都市の肥大化に伴い手仕事が衰退する前に、民芸の職人たちと技術を守ることはできないのか。そんなことを考えつつ、アユミが住むマンションからバンコクの街(↑写真↑)を見下ろすと、そこには動く気配のない渋滞道路と排気ガスで曇った街並がぽっかりと浮かんでいた。


雪の日のハーブ&ドロシー【えとせとら】


名古屋の街は雪でお化粧されて真っ白になっている。雪が珍しい子供たちにとってはサイコーのおもちゃなのだろう。街角に、マンションのベランダに、子供たちが作った雪だるまが並んでいるのを見ると、なんだか懐かしい気持ちになる。私も作ってしまおうかしら。明日は早朝からロケハンに出掛けなければいけない私は、いつもなら「明日の朝は道路凍ってるだろ〜な〜やだな〜」なんて愚痴ってるところだけど、今日は気分が穏やかだ。なぜなら、今話題のハーブ&ドロシーを観てきて、気持ちがとっても優しくなっているから〜♥


ハーブ&ドロシーは、4000点もの現代アートをアメリカの国立美術館ナショナルギャラリーに寄贈した夫妻の名前だ。アートコレクターと言えば大富豪を思い浮かべるけど、この夫妻は違う。郵便局員と図書館司書のごく慎ましい家庭のお財布の中から、30年以上に渡ってこつこつと現代アート作品を買い続け、膨大なコレクションを築き上げた人たちなのだ。彼らがアートを買う基準は、自分たちの収入で買えること、1LDKのアパートに入る作品であること、この2つ。それがとうとう4000点を超えてしまい、ナショナルギャラリーに寄贈したのである。作品群はすでに価値が高騰した作家も多くいて、数点売却すれば大金持ちになれるにも関わらず、夫妻は売らずに一切を寄贈した。その奇跡のような夫妻のストーリーをドキュメンタリー映画にしたのがハーブ&ドロシーである。


物質的に豊かであっても心が豊かじゃなければ、シアワセとは言えない。お金があってもシアワセじゃない人はたくさんいる。そしてお金がなくても、たった一枚のアートが人生のシアワセを創り出すことだってある。映画の冒頭と最後に登場したあるアーティストの言葉が印象的だった。Art is mute, when money talks. by Patrick Mimran(金がモノを言うとアートは沈黙する)
そう、アートは一部のお金持ちのものでもなければ、一部の自称知識層のものでもない。市井の人々が、一枚の版画を、写真を、絵画を、なんの知識も経験もなく所有することで、日常を過ごす空間が心地よいものになることを、この映画が教えてくれた。
とても穏やかになった私は、雪道を楽しみながら歩いて家路につく途中、雪が降り積もったお庭の美しさに心奪われて、ついつい美味しいお店の暖簾をくぐってしまった。それが↑上の写真。雪が積もったお庭が眺められるのは今夜限りですからね、これもアートです。花うさぎさん、ごちそうさまでした!そしてハーブ&ドロシーは上映期間残りわずかです。アートに興味がある人もない人も、ぜひご高覧を。


ブラヴォー家紋!【暮らしの発見】


先日、家紋が好きだという20代の若者に会った。お食事を共にしていた時、なんの話から家紋の話題になったのかは覚えていないが、「僕、家紋好きなんです」と言うではないか。かくいう私も家紋は好きで、着物の仕事をしていれば自然に家紋の勉強をすることにもなり、いろいろなことを調べたり学んだりした。知れば知るほど奥が深いもので、日本人はもっと家紋文化を誇りに思ってもいいのではないかな?と思っていたので、冒頭の若者発言はビックリしたのである。わたしたち世代でも、自分の家の紋がどんなものか、その名前や由来が何かを知る人は少ないからだ。ブラヴォー家紋好き!20代の若者が家紋好きなんて、まだまだ日本も捨てたもんじゃありませんね。
家紋の歴史は、900年ほど前にさかのぼる。平安の後期あたりに、お公家さんが牛車の紋として定めたことから、その紋を身のまわりの品などに描くようになり、それが貴族の間に広まって、気に入った紋を調度品や衣裳に用いるようになっていった。
世界で紋章をもつのは、ヨーロッパやアメリカのほんの一部の上流階級と日本だけといわれているが、日本ではすべての家に紋があることがきわめて特徴的である。なんと4590種もあるといわれている日本の紋は、デザイン性がとても高い。また、季節の植物や風景など、情緒を表現した紋というのは他の国では例を見ないのである。
とまぁ、こんな風に家紋の知識について書いていると際限がなくなっちゃうので、このへんでやめておくけれど、そうそう、自分で好き勝手に家紋を作っちゃってもいいということ、ご存知でした?月アイテムが好きな私は、以前から月をモチーフにした家紋を制作して、着物に染め抜いてしまおうと画策している。どなたか良いアイデアがあったら教えてくださいませ。
冒頭の写真は、実家建替えプロジェクトの際に、仮住まいの家に母の桐たんすを置いた時のもの。昔は、このようにタンスにかける「ゆたん」という代物をお嫁入り道具で必ず持ってきたのだそうだ。タンスの塵除けに用いられたものらしく、母は「お嫁に来た時に使って以来だわ〜」と懐かしそうに実家の家紋を見つめていたっけ。お嫁さんは実家の紋を着物や道具に描いて他家へ嫁ぐ。結婚相手の家の紋を染めて持ってきた方が合理的なのに実家の紋で嫁ぐなんて不思議な習慣だなぁと思っていたのだけど、母の懐かしそうな表情を見て、その謎がなんとなく解けた気がした。他家に嫁いだ人が実家を思い出して懐かしい感情に浸る時、或いは旦那さんに違和感を持って実家への郷愁を感じる時、家紋を眺めて想いにふけるため、ではないだろうか。我が母の場合は、残念ながら後者、だと思いますけどね。ふふ。


ピエールガニェール 東京・フレンチ【200字で綴る美味の想い出】

パリの本店よりも好きだった青山のピエールガニェールが閉店した時はショックを受けたが、ANAインターコンチネンタルホテル内に再オープンしたというニュースを聞いた時は本当に嬉しかった。厨房スタッフはほぼ変わらず、食材を部位ごとに視点を変えて料理するという哲学はそのまま。ガニェールの創造性は相変わらず新鮮な感動を与えてくれる。願わくば、ホテル然としたサービスが青山時代にフィックスするともっといいのだけれど。


中原の虹 浅田次郎【読書する贅沢】

例によって例のごとく、浅田次郎好きなワタクシの最近の2度読みが、中原の虹、であります。NHKで放映されている「蒼穹の昴」の第3弾(第2弾は珍妃の井戸)として、あまたの浅田次郎ファンが望んだ続編である。清国の末期を描いているとあって、蒼穹の昴同様、漢字含有率が高く、人の名前が覚えられなくてごっちゃになりがちなのだけど、それ以上にぐいぐいと惹きつけられる話の展開と、あ〜これとこれがこう結びつくのか〜!という嬉しい驚きが続くこともあり、眠い目をこすって毎夜ベッドで読んでいる。1度目は、とにかく先が読みたいのでひたすらストーリーを追って読み進む。2度目には、一文を噛みしめるように味わいながら読むので、時間がかかって仕方がない。特にこの作家は、漢字に妙なこだわりがあって、今や使用されていないような難しい漢字を積極的に使っているので「なんだこりゃ」「どういう意味なんだろ」などとつぶやきながら読むことになる。いい年したオンナがベッドで一人ぶつぶつ言いながら読書するというのは、あまり褒められた様子ではないと思うものの、本人は至って幸せな時間なのである。


年末から年始にかけても仕事漬けで、毎日PCとにらめっこなのだけど、それもあと数時間でおしまい。明朝からバンコクにひとっ飛びするのだ。仕事は多分朝までかかるので、今夜は眠らずに原稿を書き、明朝に旅の支度をして機上の人となる予定なのだけど、旅のお供に持参するのは中原の虹、と決めている。腫れた目で読み続け、雲上でまぶたが引力に負けた時、本を抱きしめながら爆睡してやるんだ。浅田次郎さん、私ってなかなか良い読者でしょ?