LARMES Column

もっと!地酒の会【一杯の幸せ】


「逸品もっとよくなるプロジェクト」のメンバーではじめた「もっと!地酒の会」の定例会第3回が去る5月19日におこなわれたというのに、なんと第4会の定例会が明後日7月7日に迫っているではありませんか!関係者の皆様、申し訳ございません。議事録代わりのコラムアップがすっかり遅れてしまいました。そんなわけで、第3回の報告をしつつも、第4回のお知らせまでしちゃうという一挙両得のコラムとさせていただきまする。↑上の写真は第3回の時のもの。この時のゲスト酒蔵は、愛知県江南市の「勲碧酒造」さん。そうです、4月に酒蔵開放にお邪魔し、さんざん呑んで酔っぱらってしまったあの酒蔵さんでございます。この地酒の会は、日本酒の知識をつけようとか蘊蓄を語ろうとか、そういう難しいお勉強の会ではない。どちらかというと初心者向けに、日本酒って美味しいんだ!お料理と一緒にいただくと楽しみが広がるんだ!ということをお互いにわかちあう会なのである。なんせ主催者である私たちが日本酒の初心者なのだから、蘊蓄など語れるはずがないのですけれどね。そこで毎回、最初に酒蔵メーカーさんの方に、その酒蔵について、歴史や文化的背景や、商品の特徴などをお話いただくことにしている。上の写真はその時のもの。ワタクシ、思い切り鏡に映りこんでますね。地酒の会には時間が許す限りはお着物でお出掛けしております。この日は、祖母から譲り受けた結城紬の単衣でした。


この会から、ほんの少し、バージョンアップして。
当日のお料理の内容に合わせて、
日本酒を飲む順番を酒蔵さんに選んでいただいた。
お品書きと共に皆さんのお手元に配られる。


これがいただいたお酒たち。
全体の印象としては、毎日お母さんが作ってくれる晩ご飯に
お父さんが何も考えずに晩酌するのにピッタリなお酒、という感じ。おばんざい系によく合うんじゃないかな。


左は「逸品もっとよくなるプロジェクト」の主宰であり、
「もっと!地酒の会」の主宰でもある、
我らが岡田新吾氏。
右が勲碧酒造の村瀬専務でございます。


さて、そして明後日7月7日は第4回が開催される。今回は福井県の「越の磯」さん。まだ若干名のお席はなんとかなりそうですので、もし参加ご希望の方がいらっしゃったら、「もっと!地酒の会」の申込フォームよりメールをお送りくださいまし。私にご連絡くださってもOKです。
今回は偶然にも七夕の開催。彦星さまと織姫さまが一年に一度出逢えるかどうかはお天気次第なのであるが、美味しい日本酒と夏限定の地ビールのラインナップ、そして「和蕎楽」の美味しいお料理とは確実に出逢うことができる。しかも季節感たっぷりで、なんと鮎の塩焼きも出るというじゃありませんか。小さい頃から長良川の鮎を食べて育っているので、鮎には目のない私。もう今から楽しみなんでございます。蛇足な話なのだけど、実は先週末は立て続けに実家でゲストをお迎えし、岐阜市内で昼→夜→昼と外食が続いた。今の岐阜では季節柄どのお店でも鮎が出される。見事に3軒とも鮎の塩焼きが出たので(もっともそのうちの2軒は鮎専門店だったのだけど)、たった2日で合計12匹もの鮎をいただいてすっかり鮎腹になってしまった。ところが明後日も鮎が出ると聞いてもまったく違和感なく楽しみにできるのは、本当に鮎が好きなんですね、私。さぁて、明後日は、どんなお酒と鮎を組み合わせていただけるのか、想像をめいっぱいふくらませて、地酒の会にのぞもうと思っている。


ナイフのような職人との対峙【伝統工芸の職人たち】


7年ほど前に取材がきっかけで知り合いになり、その後、親しくさせていただいている左官職人の挟土秀平さん。その当時から、左官のカリスマと言われてマスコミでも注目されていたが、その後のご活躍は皆さんご承知の通りでめざましい。今では、大手メーカーの商品キャラクターに選ばれたり、左官アーティストとして個展を開催するなど、すっかり有名人である。ところが、彼はどんなに売れて有名になっても、芯がぶれるということが絶対にない。土と水に対する真摯な情熱や、より高みへと追い求める心、そして自然への畏怖は変わらず、むしろ強くなっていて、お話するたびにドキッとさせられる。どうして彼はこんなにも純粋でいられるんだろう。さらに最近は文章を書くことも彼にとっては大切な創造性となっている。彼が紡ぎ出した言の葉を何度も読ませてもらったが、我々コピーライターが入り込む余地のないほど、哀しくも美しい文学をつくりあげている。


その挟土さんの取材を、7年ぶりにさせていただくことになった。4月の中旬、飛騨の山頂にはまだ雪が残る頃、高山へと向かったのである。今までに偶然同じ人物を取材するということは何度かあったし、時間経過によるインタビューの差異を自分でも楽しむことができたのだけど。取材してから友人になってしまった人を再び取材するというのははじめての経験である。嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちだった。そして、普段から挟土さんの話は聞いていて、仕事の内容も個人的に建設を進めている洋館の進行状況もなんとなくわかっていたから、いざインタビューとなると正直言ってどうしたらいいのかわからなくなった。情けない話である。


クライアントの視点を考慮しつつも質問を選びながらインタビューしたつもりだったけど、結果としては「すごくコアな質問取材」になってしまったのだ。私とご本人は理解できたとしても、周りで聞いている方々には伝わらないことがあったんじゃないかな。インタビューの途中で「マリコさん、それ、飲み屋での会話になってますね」と代理店のO女史は笑いながら指摘してくださった。お、そうだった、ここは高山の酒亭ではないのだ。さらにその後、場所を移動するため挟土さんと私が車に乗り込んだ時、挟土さんから「取材ってあんなんで良かったの?いつもの調子でしゃべりたいことしゃべっちゃったけどさ」と真顔で聞かれた。あ、そうだった、これはいつもの電話トークではないのだ。


インタビューだか会話だかわからないような取材を終え、いろいろな方からの厳しいチェックを受けて出来上がった原稿は、以下の媒体でお読みいただけます。
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KORYUのwebが6月よりスタートしました。
冊子の定期購読をご希望の方は、→KORYUからフォームに書き込んでお申し込みください。
もちろんwebでも一部の記事をお読みいただけます。
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ナイフのように研ぎ澄まされたナイーブで純粋で怖がりな、それでいて土と水にすべての愛情を注ぎ込む職人の「今の姿」を書いているつもりです。取材中はインタビューに迷ったりしたけれど、その迷いが文章に出ていないことを祈りつつ、どうぞ皆様お読みくださいませ。


ピクニック日和の季節は過ぎて【おうちごはん】


毎日ほんとにあっつい。まだかろうじて6月ぎりぎりだというのに、人と会って第一声は「ほんとにあっついですね〜どうなっちゃうんだろう、今年の夏・・・」が定番の挨拶になっている。でも、ホントにどうなっちゃうんでしょう、今年の夏は。前々回のコラムにも登場した農業を趣味にしている父によると、農作物の成長具合から想像するに、今年は梅雨寒の冷夏だったはずなんだけどなぁ。やっぱりなんちゃって農業のサブちゃんには天候までは読み切れなかったようです。


父の趣味が農業なら、娘の私は父作の野菜をせっせと料理して、お弁当箱に詰め、ピクニックに出掛けることを趣味にしていた。4月から入梅までは春先のお花がきれいだということもあって、毎週のようにピクニックしていたのである。我が家は都心にしては珍しく、お花見スポットが点在している。歩いて数十秒のセントラルパーク、歩いて15分くらいの名城公園、東区の有名な早咲き桜の通り、ちょっと自転車で走って鶴舞公園。桜にはじまり、藤、鈴蘭、薔薇、燕子花に菖蒲、紫陽花、紫蘭・・・。お花見が目的なのか、お弁当が目当てなのかは自分でもよく分からなくなっているのだけど、とにかく外でお花を愛でながらシャンパンを飲み、お弁当をつつくというのに、この上もなく幸せを感じるのである。


これは母から譲り受けた飛騨春慶のお弁当箱で、母のお嫁入り道具の一つ。亡き祖父による毛筆で「飛騨春慶信玄弁当箱十組」と書かれた桐箱から六組ほど私が持ってきちゃったものだ。プラスチックの完全密閉式のお弁当箱の方が、お汁はこぼれないし傷もつきにくく、扱いやすいんだろうけど。せっかく母が譲ってくれた物なので、ここのところ頻繁に使うようにしている。最近の我が家パーティーでは前菜を入れておもてなしをしている。ピクニックの時はおかずを詰めたらラップをぴっちりかけてその上から蓋をし、さらに手ぬぐいでくるんで持ち運ぶ。平行に持てばお汁はこぼれないし、手ぬぐいでくるんでいるから傷がつくこともない。漆塗りの器に入れると、ただのおかずも美味しそうに見える。この飛騨春慶信玄弁当箱のおかげで、大切なものはちゃんと大切に扱えば、ずっと長く使えるものだということを改めて実感している。思えば、高校生の時のプラスチック製お弁当箱なんてかなりぞんざいに扱っていた。自転車の籠に入れてびゅんびゅんすっ飛ばしていたし、食べ終わった後なら、鞄の中で弁当箱の天地がひっくり返っていてもおかまいなしだったもの。ところが、この飛騨春慶のお弁当箱は、食べ終わったらナフキンで中のお汁をきれいに拭き取り(漆が傷まないようにね)、またラップをかけてから蓋をして、手ぬぐいにもう一度くるんで、平行にして持ち帰る。家に帰ったら、ぬるま湯でさっと洗って、乾燥したらすぐに片付ける。プラスチック製とは扱いがまったく違う。でも、大切に扱う分だけ愛着も深くなるのだ。


長野県塩尻市贄川の小学校では、給食の食器に地元の伝統工芸品である木曽漆器を使っている。当初は子供が扱いにくいし高価な漆器が傷むのでは、という心配の声もあがったという。ところが実際に漆器で給食を食べるようになると、子供たちは自然に漆器への親しみを感じて丁寧に扱うようになり、地元の工芸品であることに誇りを持つようになったのだとか。子供たちだって、プラスチック製の味気ない食器で食べるより、漆器の方が美味しく感じるに決まってる。その漆器給食の取り組みは、簡単だから・安心だから・安価だからという理由で、物事の価値判断を子供に押し付けてきた大人へのアンチテーゼになったのではないか。


上の写真は名城公園の広場にて。←の写真は同じく名城公園の見事な藤棚。ここの藤棚は本当に素晴らしいので必見だ。
さぁて、暑過ぎてピクニックには出掛ける気になれない今日この頃。次の楽しみは何にしようか考え中である。なにか楽しげなアイデアがあったら、教えてくださいまし〜。


お座敷遊びしてきましてん【伝統芸能の継承者たち】


4月と5月に撮影してパソコンに保存したつもりの写真をどこかに紛失してしまって悔しい思いをしていた。今日、何気なく「このファイル何だっけ?」と思ってのぞいてみたら、なんとそのファイルに紛失していた写真が何枚か残されていたのを発見し、すっかり気分が高揚している。子供のころ、なくしてしまったと思い込んでいた便箋や本の切り抜きを引き出しの隅から半年ぶりに見つけ出した時のような興奮ぶりである。そりゃ興奮しますがな。だって見つかった写真というのが↑この綺麗どころと一緒に撮影したものだったんですもの。


彼女は、一昨年、20年ぶりに名古屋花柳界に10代の舞妓さんが誕生したことで話題になった「ゆき乃」ちゃん。現在ハタチの舞妓さんである。そうなんです、4月まだ肌寒いこの夜、とある方々にお誘いいただき、お座敷遊びをさせていただいたのです。
徳川宗春の時代から栄えたと伝わる名古屋の花柳界。芸舞妓三千人を擁した時代もあったそうだが、現在、地元の名妓連に所属するのは二十数人なのだそう。花柳界というのは、お酒の席が伴うからか、一部では間違った知識を持たれているのも残念ながら事実である。芸者さんというのは、その漢字のごとく、きちんとした芸を身につけた人々がお客様の前で舞踊や長唄、三味線や鳴りものを披露して響宴の場を彩ることが仕事である。そこには、日本の伝統芸能や美術、おもてなし術や会話術など、私たちが誇るべき日本文化が表現されている。芸者さんたちは、芸を磨くために日々お稽古を怠らないし、美術品、建築、文学など幅広い知識を持ち、それをうまく会話の中にちりばめて接待してくださる「おもてなしのプロ」である。旦那衆の方も遊び慣れた人ほど得意の芸を持ち、芸者さんと共に唄を楽しみ、即興で芸を披露して響宴の場を盛り上げていた。
私の祖父が、昭和の旦那衆としてはおそらく最後の世代で、花柳界の方々がしょっちゅう祖父の所に出入りしていたので、遊び相手が芸者さんというちょっと変わった少女時代を過ごしているからか、小さい頃は芸者さんになるのが夢だった。いつか私も踊りと唄で仕事する女性になってみたいと真剣に思っていたのだ。祖父は小唄が得意で、お座敷では芸者さんに接待させるというよりも、小唄を披露しては芸者さんを喜ばせていたようだ。(ま、お金使ってそんなことしてりゃモテますよね、いい時代です)


こちらは、この夜のお座敷の芸者さん。
きく若ねえさん。
とっても面白くて、お話上手で、
お酒飲ませ上手な楽しいおねえさんでした。


これが名妓連の舞妓さんになる条件と言われている「しゃちほこ」芸。
名古屋城のしゃちほこに似せて、着物の裾を乱すことなく逆立ちもどきをする。優雅な踊りの後に突然しゃちほこ姿になるので、はじめて見る人はビックリし拍手喝采となる。お化粧したお顔で、畳にお化粧がつかないのかなぁと不思議なんだけど。


こちらは、きく若ねえさんの舞踊「春雨」。♬春雨にしっぽり 濡るるうぐいすの♬と端唄。傘を半分閉じてトトトと上がっていくところ、好きだなぁ。さすが舞踊には自信ありのきく若ねえさん。しっとりと春雨を踊りあげていらっしゃった。舞踊のための舞台ではなくお座敷の小上がりの所で、春先のお出掛けの様子を踊り表現し、お座敷は一瞬にして春の風景へと誘われた。


こちらは、なんと、しゃちほこ後のゆき乃ちゃん。
お化粧や日本髪が全然乱れてないでしょ。(舞妓さんは自毛で日本髪を結うのです)4月の初旬だったので、お着物も半襟も花かんざしも、ぜ〜んぶが桜。かわいい〜としか言いようがないですね。そういえば、この日のお座敷は、床の間の軸も桜でしたね。


小さい頃に憧れていた職業の方とご一緒できて、この夜はすっかり舞い上がっていた私。祖父が生きていたら、ここでどんな唄を歌うのかしら。芸者さんには何をリクエストするかな〜などと考えていたら、あっという間に宴は終わりの時を迎えていた。杯はかなり重ねたはずなのに、なぜだか酔わない夜だった。わずか数時間のことだったけど、もしかしたら祖父が私の隣に座って一緒に楽しんでいたんじゃないかと思っている。


ART NAGOYA 2011【徒然なるお仕事】


今夏、名古屋ではじめて、ホテルでのアートフェアが開かれる。全国から名だたる現代アートのギャラリーが集い、ウェスティンナゴヤキャッスルのエグゼクティブフロアがすべてギャラリーになるというアートイベントである。ホテルのお部屋ひとつひとつがギャラリーになっていて、ベッドやサイドテーブル、壁、椅子、場合によってはバスルームにまで、現代アートが飾られるのだ。ギャラリー空間ではなく、ホテル空間に展示することで、訪れた人はより身近により住まいに近い感覚でアートに接することができるという試みである。世界的にホテルでのアートフェアは広がっていて、東京・大阪・京都などの国内はもちろん、海外のあらゆるプレステージホテルで開催されている。名古屋では今夏のART NAGOYAがはじめてだ。来場者は気に入ったアート作品があれば、その場で購入することができる。
さて、このアートイベントの何が面白いかというと、手前味噌になるが、実行委員の顔ぶれである。実はワタクシも実行委員に名前を連ねさせていただいている。フツウ、こうしたアートイベントは、アート界に籍を置くその道のスペシャリストが運営するのだけど、今回は違う。広告及びPRの世界で活躍している人々が、自らのアート好きと広告及びPRの経験を生かして、新しいタイプのアートフェアを試みようと活動したことだった。実行委員は、エグゼクティブなイベントを運営させたら定評のあるプロデューサー、アート性の高い作品を制作するアートディレクター、写真ギャラリーオーナーでありPRのプロでもあるプランナー、そしてただアートが好きなだけというワタクシ。ワタクシと他の方々とは随分の温度差があるのは否めないのだけど、ま、そんなわけで名前を連ねさせていただき、運営スタッフとしてこの半年間、活動しているのだ。


ART NAGOYA 2011は、8月5金曜〜7日曜まで、ウェスティンナゴヤキャッスルで開催される。チケット(1,000円)を購入いただくと、一日中エグゼクティブフロアには出入り自由となるので、じっくり鑑賞して疲れちゃったらホテルのティーラウンジで一休みして(チケット提示で割引もございますっ)、また戻って再び鑑賞、また疲れたら今度は優雅にゆったりとランチでもして(チケット提示で割引もございますっ)再び戻る、な〜んていう贅沢な時間の使い方ができるわけだ。これがホテルでのアートフェアの良いところですね。ふむ。


ART NAGOYA 2011の詳細情報はこちらまで。
チケットは名古屋市内5カ所で取り扱っております。
ぜひぜひお買い求めいただき、ART NAGOYAにお越しくださいませ。
あ、そうそう。上記のwebにアクセスいただき、twitter欄もご覧ください。twitterはワタクシが担当しておりまして、アートだかどうだかわからないようなビミョーなつぶやきをお読みいただけます。時にくだらないこともつぶやいておりますが、どうかお許しを。そしてよろしかったらフォローしてください。


サブちゃん初夏の収穫祭!【今日の地球】


80を過ぎた私の父の、今一番の趣味であり感心事は農業である。仕事一直線の現役生活から引退して早十年余りが経ち、もともと植物好きだった父は、70歳を随分過ぎてから突然農業をやり始めた。農業と言っても、猫の額ほどの畑で細々と続けているので、あれを農業と言ってしまうとお百姓さんに申し訳ないほどの遊び仕事ではあるが。お天気の日は、家から歩いて30秒ほどのところにある畑で午前中と夕方を過ごしている。一日のほとんどの時間を費やしているだけあって、父が作る野菜はビックリするほど美味しい。虫がつきやすい葉ものは最初からあきらめ、素人ができる範囲内で無農薬を徹底して実践している。年をとってから人間関係で悩んだり揉めたりすることもなく、農作物を相手に毎日会話をしている様子は、娘としては嬉しいような、なんだかちょっぴり心配なような複雑な気持ちではあるが、美味しい無農薬野菜を食べさせてもらえるのだから、まぁいいか。ちなみに雨の日はひたすら読書かひたすら数独。最近はそれにクロスワードパズルも加わった。要するに晴耕雨読そのまんまの生活なのだ。あ、サブちゃんとは、父の呼び名でございます。


↑上の写真は、ここ数年作り続けている地場の葱のネギボーズ。これを乾燥させて種をとるのだ!と意気込んで出窓で干していた様子があんまり可愛かったものだから、私がオーナメント代わりに籠に飾った代物で、その前に寝転がった人形は姉のセレクト。ま、これで我が家族のキャラが大体見えてくることでしょう・・・。


この日に収穫できたのは、
スナップエンドウ、サヤエンドウ、グリーンピースに
2番成りのイチゴである。


2番成りのイチゴは甘さもなく美味しくなかったので、
ことこと煮てイチゴジャムに。
毎朝のヨーグルトにいただいておりまする。


この数年は聞きかじった知識が技術に代わり、そこに経験が加わって、父の野菜の味は格段に美味しくなっている。現在のイチオシは新タマネギ。もうそこらの無農薬スーパーの商品とは比べ物にならないくらいに甘くてジューシーで美味しい。生でかじりつきたいくらいだ。今宵は父作の新タマネギを蓋つき耐熱ガラスにまるごと入れて、オーブンでじっくり焼き、とろっとろになったところをスプーンですくって食べてみた。一切調味料なしの自然の味は、ビックリするほど甘かった。ブラヴォー!サブちゃん!


さて、農作業はおろか土に触ることさえしない元深窓のお嬢様の母は何をしているかというと・・・「パパが作った野菜を食べれるなんて若い時は夢にも思わなかったわ」と談。彼女の役割は・・・父が丹誠こめて作った野菜をきれいな包装紙にせっせと包み、ご近所やお友達に配って、いい顔して歩き(いかにも我が家の爺やが作りましたの的な感じで)、いざ自宅で食べようとすると全部さしあげちゃって野菜がないっ!と騒ぐことである。はい、これで我が家族のすべてのキャラがお解りいただけたと思います。


らっきょうが匂う女【今日の地球】

毎年この季節になると、仲良しフグ料理屋さんの女将から猫なで声で電話がかかってくる。普段は名古屋弁ばりばりのキョーレツキャラの人なのだけど、頼み事ばかりは猫なで声になるのだ。そのフグ料理屋さんでは、フグの醤油焼きの付け合わせに自家製らっきょうを出していて、そのらっきょうが妙に美味しいものだから、おかわりを所望する人も多く、一年分のらっきょうをこの季節に600kgも漬け込むのである。のべ1週間くらいかけて漬け込むので、人海戦術が必要になる。6月の頭は私の仕事が一段落する時期でもあるので、毎年お手伝いに行っているのだ。あと、こういう地道な仕事が好きだったりするので、体力は消耗するけど、意外にも楽しめちゃったりするのである。それともう一つ大きな楽しみが。ここのお店は客筋が良いことでも有名で、らっきょう漬け週間にはお客さんから豪華ランチの差し入れがあるのだ。「この日のお弁当はSのステーキ弁当だよ」とか「その日はIのうなぎ弁当」などと電話でささやかれると、「はいはい行くよ」と即答しちゃう。胃袋を掴まれるとすぐに動いちゃう私です。


土のついたらっきょうを水洗いする→根っこと頭の部分を切り落とす→土が混じっていたり傷がついたりしているので一皮剥くという一連の作業を、総勢8人程度で作業する。このお店では、根っこと頭を切り落とす役目を「切り師」、一皮剥く役目を「剥き師」と呼び、私が行くと「まりちゃ〜ん、今日は切り師やって」とか「はい、ここから剥き師に代わって」と言われるので、その役目をひたすら果たすのが私のお手伝いの内容である。切り師がその日分のらっきょうをカットし終わったあたりで、大将は剥かれたらっきょうの山と格闘をはじめる。らっきょうの新芽が出てこないように、まんべんなく塩をして水気をきる。この時の塩分がらっきょうの塩味を決めるので、極めて大切な作業である。さすがにここからの作業は絶対に人に任せない。なんと、大将はらっきょうの守りをするために、らっきょう漬け週間中はお店に泊まりこんでいるのだ。夜中も何度か起きて、塩をしたらっきょうの山を振って水気をきるのだそう。翌朝、水分が抜けたらっきょうを、特製の甘酢に漬け込み、らっきょうは完成する。


「うちのらっきょうは、一年後に食べてもシャキシャキしていて、味が変わらずおいしくなきゃいかん。これがなかなか難しくてね、昔はよく失敗したもんだよ。フツウのお宅だったら、数ヶ月もてばいいかもしれんけど、うちは商売でやってるからね、一年もたせるにはやっぱり塩と一晩かけて水気を抜くことが大事なんだわ」と大将談。なるほどね〜、毎年大将からはらっきょう漬けの時にいろんなことを教えてもらうんだけど、シャキシャキした食感の秘訣が塩と水気にあったとは。泊まり込みしてまで世話して仕上げる大将の職人魂にはおそれいる。職人好きな私は、いつも大将の横に立つことにしている。大将がくだらない冗談を言いながらも手を決して休めることなく仕事しているのを見ると、らっきょう一粒に愛情をこめて作り上げていることがよくわかる。ま、そんなわけで、この数日は私の手の指かららっきょうの匂いが抜けることはないと思うのだけれど、ご一緒する皆様、どうぞお許しくださいまし。


なんと、骨折でした!【えとせとら】

え〜、今から遡ること3ヶ月前。我が実家で11歳になる老犬の散歩に行き、調子にのってサンダルで走って転倒し、左腕を負傷したことは以前にこのコラムで書いた。その時、レントゲン技師との間でブラジャーを巡る一悶着があったことも書いて、皆さんの失笑をかった。詳しくはこちらを再度お読みください。だけどもがっっっ。再び皆さんの失笑をかうような出来事が発覚してしまったので、白状させていただく。
転倒事件の後、「全治10日間」というヤブ医者の言うことを信じて疑わず、なんとなく痛みは残るけど、治ってるんだからいいよね、とすっかり左手を放置プレイしていた私。さすがに3ヶ月たった今でも痛みがひかず、いまだに左の手のひらをついて立ち上がることができず、左肩に鞄をかけようとすると痛みが走ったりする状況に不安を感じ、先日、実家の近くの信用できるG整形外科で診てもらった。レントゲンを見たG先生と私の会話。「あなた、どこの病院に行ったの?」「マンションのすぐ近くなのでヤブで有名な●●病院に行きました」「それ、夜間だったでしょ」「はい」「あそこ、★★病院のインターンの先生が夜間診療のバイトに行くことで有名なんだよね。多分あなたの腕を診た医者は整形外科の専門医じゃないね」「はぁ」「これ、多分骨折してますよ」「な、な、なんですと!?」


そうなんです、手のひらには、人間の体の中でくっつきにくいワースト3とされる舟状骨(しゅうじょうこつ)という骨があるのだそうです。だから、手のひらから転んだと言われたら、まずは舟状骨骨折を疑うのが整形外科の教科書なのだそう。スキーなどで変な転び方をした人がよく骨折する箇所だとか。ところが専門医じゃなかったインターンの先生(確かにかっこ良かったけど若い先生でした)は、手のひらのレントゲンは撮らなかった。ただでさえ見落としがちな骨で骨折判断が見えにくいため難しいとされる場所を、夜間のバイトインターンが診たのだから、誤診も仕方ないのかな。G先生はこう続けた。「自分の専門外だったのなら、翌日にでも専門医に診てもらうように指示すればいいのにねぇ」なるほどね、私もそうアドバイスを受けていたら、きっとセカンドオピニオンを求めていたはずだ。
そんなわけで、時間がたち過ぎている私の骨折は、今となってはレントゲンでは詳細がわからない状態だったため、MRI検査へと進んだ。MRIの結果を診て、G先生は改めて「あぁ、やっぱり骨折ですね。出血もまだあるようです」とすごく残念そうに教えてくださった。
なぜG先生が残念そうに言ったかというと・・・舟状骨の骨折はたちが悪く、くっつきにくいことから、大げさな外科手術が必要になるかもしれないからだった。時間経過の自然治癒ではくっつかないまま痛みがひかないことが多く、その場合は骨盤の一部の骨を削って移植し、金属でブリッジをかけて固定するのだそうだ。もう聞いただけで痛そう、死にたくなる。


骨盤削って・・・というあたりからすっかりビビリ姫になってしまった私は、重病人の趣となり、顔色は悪くなり、左手首の痛みは増し、まさに世界の終わりという感じで帰宅した。とりあえずは数ヶ月様子をみて、再びMRI検査を受け、骨の状態がかんばしくないようなら外科手術を受けなければいけない。その日から、左手首を徹底してかばって行動している。もう左腕で重い荷物を持つのはやめよう。カルシウムたっぷりの食事をとるように気をつけよう。お魚の骨なんかバリバリとかじってやる。あ、大事なこと→調子にのってお酒を飲んで走ったりするのはやめよう。また転んだりしたら大変だ。もし夜の街で酔っぱらってへらへらと笑いながら走る私を見かけたら、どうか皆さん、無理矢理でもタクシーに乗せてくださいね。よろしくお願いいたします。


今様の茶陶展【伝統工芸の職人たち】


このwebのおかげで、とても素敵な出逢いがあった。ネット上のコミュニケーションに少々疲れ気味の私にとって、久方ぶりに嬉しい交流だったので、ここに紹介させていただこうと思う。webを通じて今までいろんな方々との出逢いがあったのだけど、今回ははじめて?とも言うべきファンレターをいただいたことに端を発する。そのお方は、あるキーワード検索で偶然、当webに行き着いてくださり、たまたま偶然コラムを読んでくださった。以来、この拙コラムのファンになってくださり、一ヶ月ほど前にメールでファンレターをくださったのである。そしてその方がなんと同郷の岐阜市の方で趣味や興味が共通してそうだったため、私も密かに思いがヒートアップ。これはいつかお会いしてお話するチャンスが巡ってこないかと思っていた矢先に、↑このご案内状をいただいたのである。「今様の茶陶展を開催します、ご実家に戻られている時にでもいらしてください」と。そうなんです、その方とは、岐阜市で長く画廊を経営していらっしゃる石原美術の石原夫妻だったのだ。



石原美術は趣ある街並にあって、すぐ近くには料亭「水琴亭」やお蕎麦屋の「吉照庵」などがあり、私が小さい時から今も風景はほとんど変わっておらず、馴染み深いエリアである。「水琴亭」は老舗料亭で、老舗ならではのオーセンティックな料理と立派な庭園が見事。岐阜市出身の実業家で芸術家たちのパトロンになったことでも有名な原三渓が描いた壁画(普段は公開していないけど、多分お願いすれば見せてくださる)があることでも知られている。「吉照庵」の方は、丁寧に打たれた美味しいお蕎麦がいただけるので、県外からも来客がある有名店だ。とまぁ、こんなお店や古い日本家屋が並ぶ中で、石原美術のひときわ目をひく外観はレンガ貼りの洋館。この日は、姪っこアユミを引き連れてお邪魔した。アユミは、はじめて足を踏み入れる画廊に少々緊張気味。私もはじめてお会いする緊張感に加えて、どんな茶器があるんだろう?と期待感がないまぜになっていた。入った瞬間、石原さんのご主人が「もしかして近藤さん?」と声を掛けてくださった。いきなり正体がばれるとは思ってなかったので面食らいつつも、ご主人と奥様のおすすめに従って、鑑賞させていただいた。今回の展覧は、6人の今を生きる若手世代の作家さんばかり。茶器を中心に、想像力をかきたてられる愉しい作品から、正統派の美しいラインが特徴のものまで、充分に堪能させていただいた。気に入ったものが幾つもあって、結局購入しちゃいました〜。この報告はまた後日。


お茶人でもあられる石原さんが「気に入ったお茶碗で一服いかが?」とお誘いくださり、私とアユミはそれぞれお茶碗を選んで、お薄をたてていただいた。それから先客の紳士も交えて、しばし会話を楽しんだ。ご夫婦そろって趣味人なので、お話は面白く、会話術もとてもスマート。今度はグラスか盃でも傾けながらゆっくり芸術論をお聞かせいただきたいなぁ。


お名残惜しくも失礼しようとすると、奥様が「お母様にお持ちになって」と渡してくださったのがこちらの薔薇。石原美術の前に咲き誇る薔薇をくださったのだ。母は大喜び。「玄関に飾って」とのお達しがあったので、早速飾っておきました。むか〜しの家の洋室に飾ってあった油絵。そこに描かれていたような薔薇と花器。この薔薇を見ていたら、目の前にあるものなのになんだか懐かしい気持ちになった。


石原さんご夫妻、素敵なおもてなしをどうもありがとうございました。そんなご夫妻と素晴らしい作品に逢うことのできる展覧「今様の茶陶展」は、今週末の6/5まで。石原美術/岐阜市米屋町24番地 TEL 058-262-4313 皆様どうぞお出掛けくださいませ。


さ、さ、貞子がっっ!【今日のエコ】


なんと半月もコラムアップをさぼってしまった。ご心配のメールやお電話をいただいた皆さん、どうもありがとうございました。プライベートで小さなハプニングやトラブルや懸案事項が重なり、落ち着かない日々を過ごしている。その内の幾つかはまだ解決していないので、今後もコラムアップは少し遅れ気味になるかと思うけど、私の体の方はいたって元気にしているので(ある部位を除く!これについてはまた後日にご報告します)、どうぞ皆様ご心配なく。せっかくのお誘いをお断りし続けている方々、こちらからご連絡するはずになっている方々、不義理を重ねてしまっていて本当に申し訳ありません。また落ち着いたら(いつ落ち着くのか?)その時はどうぞよろしくお願いいたします。
ま、そんなバタバタした毎日なのだけど、その多忙の合間に、先日とある場所にやっと行くことができた。その時の写真が↑これ。そうです、美容院です。


しばらくは節電を心がけねばならない事態となり、結構なロングヘアだった私に出来ることを考えてみたところ、簡単に結論が出た。とりあえず髪の毛を切っちゃえばいいと思ったのだ。ショートヘアになれば、ドライヤーを使う時間が少なくなるだけでなく(ロングの時は乾かすのに10分ほど必要だった)、首まわりの髪の毛をすっきりさせれば夏のエアコンを我慢することもできる。普段、かなりの節電生活をしている私にとって、節電に役立つ行動といえば髪の毛を切ることぐらいしか思い当たらないというのも事実なんだけどね。