伝統芸能の継承者たち

お座敷遊びしてきましてん【伝統芸能の継承者たち】


4月と5月に撮影してパソコンに保存したつもりの写真をどこかに紛失してしまって悔しい思いをしていた。今日、何気なく「このファイル何だっけ?」と思ってのぞいてみたら、なんとそのファイルに紛失していた写真が何枚か残されていたのを発見し、すっかり気分が高揚している。子供のころ、なくしてしまったと思い込んでいた便箋や本の切り抜きを引き出しの隅から半年ぶりに見つけ出した時のような興奮ぶりである。そりゃ興奮しますがな。だって見つかった写真というのが↑この綺麗どころと一緒に撮影したものだったんですもの。


彼女は、一昨年、20年ぶりに名古屋花柳界に10代の舞妓さんが誕生したことで話題になった「ゆき乃」ちゃん。現在ハタチの舞妓さんである。そうなんです、4月まだ肌寒いこの夜、とある方々にお誘いいただき、お座敷遊びをさせていただいたのです。
徳川宗春の時代から栄えたと伝わる名古屋の花柳界。芸舞妓三千人を擁した時代もあったそうだが、現在、地元の名妓連に所属するのは二十数人なのだそう。花柳界というのは、お酒の席が伴うからか、一部では間違った知識を持たれているのも残念ながら事実である。芸者さんというのは、その漢字のごとく、きちんとした芸を身につけた人々がお客様の前で舞踊や長唄、三味線や鳴りものを披露して響宴の場を彩ることが仕事である。そこには、日本の伝統芸能や美術、おもてなし術や会話術など、私たちが誇るべき日本文化が表現されている。芸者さんたちは、芸を磨くために日々お稽古を怠らないし、美術品、建築、文学など幅広い知識を持ち、それをうまく会話の中にちりばめて接待してくださる「おもてなしのプロ」である。旦那衆の方も遊び慣れた人ほど得意の芸を持ち、芸者さんと共に唄を楽しみ、即興で芸を披露して響宴の場を盛り上げていた。
私の祖父が、昭和の旦那衆としてはおそらく最後の世代で、花柳界の方々がしょっちゅう祖父の所に出入りしていたので、遊び相手が芸者さんというちょっと変わった少女時代を過ごしているからか、小さい頃は芸者さんになるのが夢だった。いつか私も踊りと唄で仕事する女性になってみたいと真剣に思っていたのだ。祖父は小唄が得意で、お座敷では芸者さんに接待させるというよりも、小唄を披露しては芸者さんを喜ばせていたようだ。(ま、お金使ってそんなことしてりゃモテますよね、いい時代です)


こちらは、この夜のお座敷の芸者さん。
きく若ねえさん。
とっても面白くて、お話上手で、
お酒飲ませ上手な楽しいおねえさんでした。


これが名妓連の舞妓さんになる条件と言われている「しゃちほこ」芸。
名古屋城のしゃちほこに似せて、着物の裾を乱すことなく逆立ちもどきをする。優雅な踊りの後に突然しゃちほこ姿になるので、はじめて見る人はビックリし拍手喝采となる。お化粧したお顔で、畳にお化粧がつかないのかなぁと不思議なんだけど。


こちらは、きく若ねえさんの舞踊「春雨」。♬春雨にしっぽり 濡るるうぐいすの♬と端唄。傘を半分閉じてトトトと上がっていくところ、好きだなぁ。さすが舞踊には自信ありのきく若ねえさん。しっとりと春雨を踊りあげていらっしゃった。舞踊のための舞台ではなくお座敷の小上がりの所で、春先のお出掛けの様子を踊り表現し、お座敷は一瞬にして春の風景へと誘われた。


こちらは、なんと、しゃちほこ後のゆき乃ちゃん。
お化粧や日本髪が全然乱れてないでしょ。(舞妓さんは自毛で日本髪を結うのです)4月の初旬だったので、お着物も半襟も花かんざしも、ぜ〜んぶが桜。かわいい〜としか言いようがないですね。そういえば、この日のお座敷は、床の間の軸も桜でしたね。


小さい頃に憧れていた職業の方とご一緒できて、この夜はすっかり舞い上がっていた私。祖父が生きていたら、ここでどんな唄を歌うのかしら。芸者さんには何をリクエストするかな〜などと考えていたら、あっという間に宴は終わりの時を迎えていた。杯はかなり重ねたはずなのに、なぜだか酔わない夜だった。わずか数時間のことだったけど、もしかしたら祖父が私の隣に座って一緒に楽しんでいたんじゃないかと思っている。