伝統芸能の継承者たち

市川櫻香さんの名古屋むすめ歌舞伎【伝統芸能の継承者たち】


日曜日は、市川櫻香さん率いる「名古屋むすめ歌舞伎」へ。もともと常磐津師匠を祖母に持ち、鳴物・長唄や小唄・三味線の師匠を母に持ち、西川鯉女さんに日舞を習った櫻香さんが、むすめ歌舞伎を始められたのは約30年前。市川團十郎家から名を許され、女性のみで構成する歌舞伎団体として活動されている。昨年の團十郎さんの訃報でショックを受けていらっしゃると聞いていたので、陰ながら心配していたのだけど・・・。今年は團十郎さんの長女である市川ぼたんさんを招いての会が開催されることになって良かったです。


ご一緒いただいたのは、櫻香さんの従姉妹で、映画ナビゲーターの松岡ひとみさん。ひとみさんはご自身も西川流名取りであり、お母様が西川流のお師匠さん、お祖母様が常磐津のお師匠さん、従姉妹がむすめ歌舞伎という芸能一家で育っている。


この日は一部と二部に分かれていて、一部が市川櫻香さんの歌舞伎舞踊『長唄 菊慈童』。この舞が、どこからどう見ても可愛い童女にしか見えない。舞う技術があれば年齢なんて簡単に超えてしまうのだから、ホントに舞踊ってすごいですよね。その後、團十郎さんの長女である市川ぼたんさんと共に團十郎さんを偲ぶお話。2007年と2009年の「市川櫻香の会」で演じられた舞台映像が流された。おなじ名古屋能楽堂の舞台ということもあり、まるで目の前で團十郎さんが演じていらっしゃるような錯覚に陥ってしまった。


そして二部が【名古屋むすめ歌舞伎】。二部からは、元深窓のワガママお嬢の母が参戦。舞踊が3曲続いた後に、市川家の十八番である外郎売が演じられた。例の、ぶぐばぐぶぐばぐみぶぐばく・・・あの早口言葉を19歳の曽我五郎が見事に演じきって、会場は大拍手。朝比奈の面白みも工藤祐経の哀しみもとても良かった。敵討ちの話なのに、視点が女性なんですね。慈しみとかやさしさが前面に出た外郎売になっていた。これはむすめ歌舞伎ならでは!と楽しませていただいた。


市川櫻香さんとナビゲーターの方のお話が続き、その後は市川ぼたんさんの舞踊【長唄 島の千歳】。さすがに市川ぼたんさん。圧巻でした。西川流の島の千歳しか観た事がなかったので、歌舞伎舞踊としてのぼたんさんの舞は、とてもキリっとしていてイメージがまったく違っていた。隣でずっと解説してくれていた母も「西川とは随分違うねぇ」としみじみ。母も若い頃は西川で舞踊を習っていて、島の千歳を舞台で踊った経験があるのだ。なんでも難しい舞踊なので「お師匠さんに教えてもらう時、泣きながらお稽古した」んだそうな。鼓は一人だけで打つので、鼓を担当する人も難しいからと嫌がることが多かったらしい。


母が箪笥の中から取り出して見せてくれた、
母の「島の千歳」の写真。
「まだパパのことを知らない時代、この頃は良かったわ」
と、若かりし頃の自分にうっとりしてました。


ところが、この日、母がいちばんうっとりしたのは、ぼたんさんの舞踊でも、自分の舞踊写真でもなく、この日にナビゲーターをされていた村上信夫さんでした。元NHKアナウンサーで、とても還暦には見えなかったし、おしゃべりも進行も確かにとてもお上手でしたけどもがっ。「かっこいいわ〜目の保養になるわ〜」を連発するとはねぇ。
うーむ、むすめ歌舞伎と舞踊を観に来たんじゃなかったっけ?と思いつつ、母の嬉しそうな顔を見ていたら、ついぞ何も言えなかった。なぜかというと、何十年か先の自分の姿を見たような気がしたからだ。


やっとかめ文化祭を見にゆこう!【伝統芸能の継承者たち】


10/31から、名古屋で「やっとかめ文化祭」がスタートした。今年から始まったこの文化祭は、名古屋に昔から根付いている伝統芸能にスポットをあて、その面白さを次代へと繋げるために、名古屋市内の各所で約一ヶ月に渡ってさまざまな芸能を鑑賞できるイベントである。名古屋市をはじめ、名古屋市文化振興事業団、名古屋観光コンベンションビューロー、中日新聞社が主催している。私はこの文化祭のパンフレット制作に携わらせていただいた。もともと芸能好きの祖父母や両親、叔父叔母に囲まれて育ち、小さい頃は芸者さんに遊んでもらった子供だったので、日舞や長唄、小唄、三味線、都々逸などが生活の中にいつも存在していた。生活の中に芸能があったなどと書くとたいそう聞こえはいいが、要するに親戚が集まってお酒を呑み、酔っぱらってくると、誰かしら小唄を謳い出したり、都々逸でエロスを発揮したり、というのが日常だった、と表現した方が正しい。


そんなわけで、このお仕事は、まさに楽しみながら仕事ができた好例かもしれない。なぜかというと、原稿を書きながら「この演目は確か○年前にあそこで観たのだな」とか「この出し物は面白いから見に行かなくちゃ」とか「あら○○○さんが出演されるのね」とやたら独り言の多い作業となったのである。


伝統芸能というと、なんとなく難しそうな雰囲気がしたり、どうせ古典だから面白くない、と思われがち。ところが、このやっとかめ文化祭では、そんな苦手意識がふっとんでしまうような仕掛けがされているのだ。「なぁんだ、おじいさんが謳ってるけど、よく聞いたら男と女のエロ話じゃん」「面白いパフォーマンスかと思ってよく見たら狂言だったのか」「これは現代で言うと吉本新喜劇なんだね」と思えるような演目が選ばれているし、古典芸能をまったく知らない人でも気軽に入っていけるようにストレートな面白さを追求している。


特に、街の真ん中で突然ゲリラ的にはじまる「辻狂言」は見ものである。寺子屋と称してお勉強できるイベントもあるし、とにかく市民参加型の文化祭としてはかなり面白くなるはず!伝統芸能に興味がない方へ→もし街の中でパフォーマンスに出くわしたら、ちょっと耳を傾けて観ていただきたい。今まで知らなかった笑いの世界がそこにあるはずだから。伝統芸能にちょっとは興味有りの方へ→下記にアクセスいただき、辻狂言やまちなか寺子屋、能楽舞台などをぜひチェックしてください。入場無料の演目もたくさんあるので、お気軽に遊んでくださいまし。
やっとかめ文化祭の詳細はこちらへ


昨晩のオープニング。

昨晩のオープニング。

これは都々逸の舞台。

これは都々逸の舞台。

これは平成殿様踊り。

これは平成殿様踊り。


菊之助による菊之助【伝統芸能の継承者たち】


知らざぁ言って聞かしやしょう!この決め台詞で有名な歌舞伎の演目「白波五人男」を観に行ってきた。約一ヶ月の公演で、さぞ芸が醸成しているだろうと思うと、今月のバカみたいにバタバタした日々もなんのその。前日の夜もせっせと原稿を書き(こうゆう時は筆が進む!)、今日の楽を迎えた。今回の御園座は、顔ぶれに人気役者が少なかったからか、なかなかチケットが売れずにご苦労されたと聞いている。お名前とお顔が一致する役者さんが少なかったのは事実だし、役どころによっては、ううむ、なぜこの人が?と思うお方もいらっしゃったのだけど、こと菊之助さんに関して言えば、芸が醸成するのをしっかり待った甲斐があった。


菊之助さんは若手の人気役者で、人気が先行しすぎて、まだ線が細い感じがしていたのだけど、今日の弁天小僧では黙阿弥の江戸弁を見事にこなし、私の印象は一気に変わった。弁天小僧が最後に追いつめられるシーンで、印象的な仕草を見た。着物を上半身脱いでいる菊之助さんは、立ち回りをする最中、早業でさっと着物の後ろを引っ張って帯に入れ込んだのである。確かに着物の後ろが少し垂れていてきりっと締まっていなかった。そのため、胴裏の朱色が目立ってしまい、後ろ姿が決まらないのである。果たしてあれだけ激しい立ち回りをしていて、こんなところに気づくだろうか?きっと菊之助さんには後ろにも目がついているに違いない。ささっと着物を直した後、"弁天小僧菊之助"は切腹して息絶えた。菊之助さんによる"菊之助"の素晴らしい舞台に感激した私は、お隣の菊之助ファンらしきおばさまにわからぬよう、そっと涙をふいた。


それにしても美男というのは得ですよね〜。菊之助さん、本当にいいお顔なさっている。お姫様の役も色男も、そして弁天小僧のような江戸弁の不埒者も美しく決まっちゃう。私が中学生くらいの時に映画になったジュリーによる天草四郎の「魔界転生」を思い出してしまった。


歌舞伎となると着物姿のお客さんが多くなるので、いろんな方の素敵なお着物姿を拝見できるのも楽しみの一つ。今日もお着物の方がとっても多かったです。私は、弁天小僧に合わせて、一番上の写真の着物で。帯は雷神の刺繍。真冬に締めたくなる柄。


こちらは今日の御園座とはまったく関係がないのだけど友人の着物姿。紅型の美しい青に細かく花模様が入っている見事な染め。今日、このお着物に一見似ているなと思ったご婦人を見掛けたので、もしや?と思わず近寄って観察しちゃった。階段を追いかけてぴたっと寄り添うように歩いてしまい、完全に不審者でした。ふふふ、でも私の友人の着物の方がずっときれいな染めでした。なぜだか自慢げになる私。着物好きの視線はすぐにわかりますからね〜。ばれないようにさりげなく観察しないとね。
さぁて、楽しみにしていた歌舞伎を堪能した日曜ももう終わり。明日はまた新幹線と電車を乗り継ぎ、有馬温泉方面に出掛けてきます。しばらくは旅芸人の日々が続くのである。もう寝なくっちゃ。


10月の顔見世、棒しばりの思い出【伝統芸能の継承者たち】


コラムアップがされてないけど生きてるのかっ???と心優しいメールをくださった皆様、しっかりしぶとく生きてます。日々のあれこれについて、twitterやfacebookに書くようになったからか、なかなかコラムの長文を書く余裕がない日々。ま、ただ単になまけ癖がついちゃっただけなんですけどがっっっ。そして今回のテーマがこれまた一ヶ月以上前のネタ、名古屋御園座の秋の顔見世でございます。ネタ古すぎじゃね?というツッコミ承知でアップするど〜。
というわけで行ってまいりました。楽しみにしていた顔見世・夜の部は、私が大好きな演目ばかり。濡髪長五郎、棒しばり、助六由縁江戸桜。有名な外題なので皆さんもよくご存知のストーリー。わかっているはすなのに、お涙頂戴の場面ではうるうるしたり、面白い場面ではおなかの底から笑ったりできるのだから、芸能というのは本当に不思議な力があるものだ。水戸黄門が印籠を出す瞬間の面白さと同じなのかな。結末がわかっているがゆえの安心感みたいなもの。観客が結末を知っていることを理解した上で、いかに演じるかというわけなのだから、演者さんのご苦労やご努力は相当のものなんでしょうね。



市川家の助六とあって、
お決まりの浄瑠璃・河東節も登場。
知人がお三味線で参加していました。


さて、今回はあのお騒がせエビ様が舞台復帰されるということで、会場にはエビ様ファンがつめかけていたが、今回の演目ではあくまでも端役としての扱いであったエビ様。中でも棒しばりでは、お酒好きが主人の留守に酔っぱらって粗相をはたらく内容だったので、ほくそ笑んで舞台を観ていたご仁も多かったのではないかと思う。太郎冠者と次郎冠者を三津五郎さんとエビ様が演じられたのである。円熟味を増した三津五郎さんと元気旺盛のエビ様の好対照で面白く舞台を拝見していたが、私が今までに観た中で一番印象的だったのは、もう10年ほど前に橋之助さんが演じられた棒しばりだった。


棒しばりは、主人が留守をする間にお酒好きの太郎冠者と次郎冠者がお酒を盗み飲みすることを心配して、手が使えないように棒にしばりつけられる話である。実際に主人が出掛けてしまうと、二人はしめしあわせてお酒を飲み、大酔っぱらいになるのだが、棒にしばられたまま踊る姿が実に滑稽である。橋之助さんは、しばられる前に棒を使って舞うシーンのところで、なんと誤って手をすべらせ、棒を落としてしまわれたのだ。目の前で観ていたわたしたちは一瞬ひやっとした。会場はし〜んと静まり返る。ところが、である。橋之助さんは一言も発することなく、すぐに棒をひろってアドリブの舞いをはじめた。自分が手をすべらしたわけではなく、この棒が勝手に自分の手から離れたがって踊って行ってしまった。聞き分けのない棒よ、自分の手にきちんとおさまっていなさい。と棒に語りかけているのが、舞いから理解できたのだ。会場はわれんばかりの拍手。成駒屋!の掛け声があちこちからかかり、舞いはそのまま次の段へと進んでいった。


私が個人的に橋之助さんのファンであることは、まぁおいといて。橋之助さんのアドリブは、ただ機転がきいていたというだけではなかったように思う。心から芸を愛する人の舞台は、そこにどんな逆境が待ち受けていても、必ず人を魅了するものなんだなぁと実感したわけであります。親から受け継いだものだから仕方なくやっている人と、芸が好きで好きで仕方がないという人では、やっぱり観る方にも心根が伝わってくるんですね。多分、これから何度も観ることになるであろう「棒しばり」、私の中でダントツ一位はおそらく10年前の橋之助さんがその座を譲ることはないだろうと思う。


赤堀登紅さんの母娘舞台【伝統芸能の継承者たち】


前回ウィキッドネタと同じ日の夜のお話。ご近所美味仲間の友人であり、日本舞踊・赤堀流のお師匠さんでもある赤堀登紅さんから「恒例の観月会で、今年は娘と一緒に踊ります。お目だるい事と思いますが是非いらしてくださいませ」とお誘いいただいた。赤堀登紅さんのお嬢さんの初舞台とあって、何があっても行かなくちゃ、ということでお出掛けしてきた。昔から芸能を受け継ぐ家の子供は、初舞台を6歳(数え年齢)の6月6日にすると良いとされており、登紅さんのお嬢さんもその習わしに従われたのだ。


こちらは初舞台直前のお嬢さんを
「パパにも撮らせて〜♥」とTパパが撮影中の図。
お嬢さんのこの立涌(たてわく)のお着物は
登紅さんご自身の初舞台の時のお衣装だそう。
登紅さん曰く「我が家は立涌好きなのよ〜」


なんともまぁ可愛らしい仕草をご覧ください。
ご母堂の登紅さんは見事に舞台度胸のすわった方で、
舞台の上で表情が素になることはないのだけれど、
この時ばかりは舞踊家というよりも母の顔に見えた。


登紅さんご自身も、舞踊家であったお祖母さまの厳しい躾を受けて舞踊の世界に入った方。子供の頃から当たり前のようにお稽古をしていて、いわゆる子供らしい遊びをするヒマもないほど、舞踊や長唄のお稽古に通っていたという話を以前に聞いたことがある。それでも登紅さんのように、舞踊家としてのセンスや適性を生まれながらにして持っている人は幸運である。歌舞伎役者さんの中には、明らかに不向きだなぁと思われる方がいらっしゃいますもんねぇ。こう考えると、家に受け継がれた芸を引き継いで人生を歩いていくというのは、本当に大変なことだと思う。数日前に香川照之さんが市川中車を襲名して、40代半ばにして歌舞伎に挑戦することが発表された。奇しくも登紅さんのお嬢さんの初舞台の直後だったので、このニュースを聞いて、いろいろな思いが巡ったのだった。同年代としては是非にも頑張っていただきたいが、一方で40を過ぎてからの歌舞伎はさぞやいばらの道であろうとも思う。そのいばらの道を選ばれたのだから、役者魂はやはり親ゆずりだったのだろうか。


登紅さんはお嬢さんとの舞台の後にこうお話されていた。「今日の初舞台で娘が舞踊は楽しいと思ってくれればそれでいいんです。舞台に立って踊ることで、皆さんから褒めてもらえたら、じゃあもっとやってみようって思ってくれるはずですから」これは、師匠の言葉でもあり、母の思いでもある。踊ることを面白いと思わせ、褒めて楽しませ、芸を磨く。これは母でありながら師匠でもある人でしかなし得ない教育なのかもしれないなぁ。きっと登紅さんがお祖母さまから受けた教育そのものなのだと思う。この夜、立派に初舞台をつとめたお嬢さんは、たくさんの花束やプレゼントを抱えて、本当に嬉しそうに着物姿で会場を飛び回っていた。一人の少女に戻った瞬間だった。


そして最後に、登紅さんが素踊りを魅せてくださった。
長唄「秋の色種」。
何度か登紅さんの舞踊は拝見しているが、友人びいきを差し引いても、彼女の踊りは変なシナがなく小気味いい。それと、ワタクシ、素踊りが結構好きなんです。素踊りって、踊る方の人となりとかがすぐそこに見えてくるような気がするのだけれど、いかがでしょう。


この観月会で3ヶ月ぶりにお会いした典子さんと。美味しいもの好きの典子さんとは、終始食べ物の話ばかりだった。話題が映画になっても、映画そのものが食べることをテーマにした作品だったり。今度、もしかすると、映画と食の楽しいイベントをご一緒できるかもしれない。典子さん、企画を練ってみるので待っててね。
そして私の着物は、またまた結城紬でした。単衣の時期になると、どうしてもこの着物を選んでしまうのですが、困ったもんです。一応、他の着物も並べて悩んでみるのだけど、結局いつもこの着物になってしまう。今年だけで何度着たことでしょう。祖母から受け継いだものなので、大切に着なくちゃいけないのに。帯は観月会ということなので、お月様とススキ模様。お月様好きとしては、この季節にはずせないアイテムでした。


お座敷遊びしてきましてん【伝統芸能の継承者たち】


4月と5月に撮影してパソコンに保存したつもりの写真をどこかに紛失してしまって悔しい思いをしていた。今日、何気なく「このファイル何だっけ?」と思ってのぞいてみたら、なんとそのファイルに紛失していた写真が何枚か残されていたのを発見し、すっかり気分が高揚している。子供のころ、なくしてしまったと思い込んでいた便箋や本の切り抜きを引き出しの隅から半年ぶりに見つけ出した時のような興奮ぶりである。そりゃ興奮しますがな。だって見つかった写真というのが↑この綺麗どころと一緒に撮影したものだったんですもの。


彼女は、一昨年、20年ぶりに名古屋花柳界に10代の舞妓さんが誕生したことで話題になった「ゆき乃」ちゃん。現在ハタチの舞妓さんである。そうなんです、4月まだ肌寒いこの夜、とある方々にお誘いいただき、お座敷遊びをさせていただいたのです。
徳川宗春の時代から栄えたと伝わる名古屋の花柳界。芸舞妓三千人を擁した時代もあったそうだが、現在、地元の名妓連に所属するのは二十数人なのだそう。花柳界というのは、お酒の席が伴うからか、一部では間違った知識を持たれているのも残念ながら事実である。芸者さんというのは、その漢字のごとく、きちんとした芸を身につけた人々がお客様の前で舞踊や長唄、三味線や鳴りものを披露して響宴の場を彩ることが仕事である。そこには、日本の伝統芸能や美術、おもてなし術や会話術など、私たちが誇るべき日本文化が表現されている。芸者さんたちは、芸を磨くために日々お稽古を怠らないし、美術品、建築、文学など幅広い知識を持ち、それをうまく会話の中にちりばめて接待してくださる「おもてなしのプロ」である。旦那衆の方も遊び慣れた人ほど得意の芸を持ち、芸者さんと共に唄を楽しみ、即興で芸を披露して響宴の場を盛り上げていた。
私の祖父が、昭和の旦那衆としてはおそらく最後の世代で、花柳界の方々がしょっちゅう祖父の所に出入りしていたので、遊び相手が芸者さんというちょっと変わった少女時代を過ごしているからか、小さい頃は芸者さんになるのが夢だった。いつか私も踊りと唄で仕事する女性になってみたいと真剣に思っていたのだ。祖父は小唄が得意で、お座敷では芸者さんに接待させるというよりも、小唄を披露しては芸者さんを喜ばせていたようだ。(ま、お金使ってそんなことしてりゃモテますよね、いい時代です)


こちらは、この夜のお座敷の芸者さん。
きく若ねえさん。
とっても面白くて、お話上手で、
お酒飲ませ上手な楽しいおねえさんでした。


これが名妓連の舞妓さんになる条件と言われている「しゃちほこ」芸。
名古屋城のしゃちほこに似せて、着物の裾を乱すことなく逆立ちもどきをする。優雅な踊りの後に突然しゃちほこ姿になるので、はじめて見る人はビックリし拍手喝采となる。お化粧したお顔で、畳にお化粧がつかないのかなぁと不思議なんだけど。


こちらは、きく若ねえさんの舞踊「春雨」。♬春雨にしっぽり 濡るるうぐいすの♬と端唄。傘を半分閉じてトトトと上がっていくところ、好きだなぁ。さすが舞踊には自信ありのきく若ねえさん。しっとりと春雨を踊りあげていらっしゃった。舞踊のための舞台ではなくお座敷の小上がりの所で、春先のお出掛けの様子を踊り表現し、お座敷は一瞬にして春の風景へと誘われた。


こちらは、なんと、しゃちほこ後のゆき乃ちゃん。
お化粧や日本髪が全然乱れてないでしょ。(舞妓さんは自毛で日本髪を結うのです)4月の初旬だったので、お着物も半襟も花かんざしも、ぜ〜んぶが桜。かわいい〜としか言いようがないですね。そういえば、この日のお座敷は、床の間の軸も桜でしたね。


小さい頃に憧れていた職業の方とご一緒できて、この夜はすっかり舞い上がっていた私。祖父が生きていたら、ここでどんな唄を歌うのかしら。芸者さんには何をリクエストするかな〜などと考えていたら、あっという間に宴は終わりの時を迎えていた。杯はかなり重ねたはずなのに、なぜだか酔わない夜だった。わずか数時間のことだったけど、もしかしたら祖父が私の隣に座って一緒に楽しんでいたんじゃないかと思っている。


松島の情景に思いを馳せて【伝統芸能の継承者たち】


映画パーソナリティで映画のお姉さんこと松岡ひとみさんにお誘いを受けてお出掛けしてきたのが↑常磐津研究所。ひとみさんの従姉妹さんで名古屋むすめ歌舞伎を創立なさった市川櫻香さん主宰の「櫻 別会」にお邪魔してきた。常磐津「松島」の解説と櫻香さんの舞踊が拝見できるという内容。時間ぎりぎりに会場に着くと、櫻香さんファンの方々や舞踊のお稽古されているお嬢さんがすでに席を埋めていた。私も末席(ホントに末席だった!)に座らせていただき、櫻香さんお弟子さんによる常磐津・松島の解説に聴き入った。
明治に作曲された「松島」は、日本三景の一つと言われる三陸海岸一帯の景勝地を唄ったもの。歌舞伎演目の作者でも知られる河竹黙阿弥が作詞したという話を聞いてびっくりした。黙阿弥って常磐津も作ってたんですねぇ。松島の四季や美しさとその地に瑞々しく生きる人の姿を描いていると言われているそうで、文字を追って読んでみると、韻を踏みながら限られた文字数の中に色気と雅がちりばめられている。言葉が細かく計算されて作られているので、常磐津の節になってもする〜っと聴き入ることができるのだ。優れた作り手というのは時代に関係なく、人を言葉で酔わすことができるというわけですね。


常磐津の解説と振りの説明が終わると、櫻香さんの舞踊になった。以前も舞台を拝見して感じたのだけど、櫻香さんというのは静謐な情熱をたたえた方で、その真摯なお気持ちが現れた舞踊に、観ている方も胸がきゅんとなってしまう。この時もそうだった。むすめ歌舞伎を創立なさった時のお話や歌舞伎にかける思いなど、いつか取材するチャンスがあるといいんだけど。


そして櫻香さんの言葉で印象に残っているのが、東北の地で継がれた数々の唄についてである。会場入り口の八重桜が満開のこの日に、今回の被災地の一つである松島を会のテーマに選ばれたのだから、被災地の方々へ思いを寄せていらっしゃるとは思っていたのだけど。櫻香さんいわく、東北だけではなく、日本各地の風景を歌った唄が今消えつつあるとおっしゃるのだ。歌舞伎で用いられる唄は演目と一緒で、舞台に映える派手な内容のものが多い。でも常磐津・松島のように、日本の美しい風景を歌ったものは地味でもあるため、なかなか唄い継いでいく人が少なくなってしまったのだそう。「映像やCDで聴いたことはあっても、実際に演奏や舞踊を目の前で聴いたり観たりすることがないから、どうしても唄われなくなっていくんですね。それはとてもさびしく残念なことです」と本当にさびしそうにお話されていた。


受け継いでいこう、次の世代に残そうとわたしたちが思うのは、工芸品や着物など目に見える有形のものを考える。唄とか舞踊のように、無形のものにはなかなか意識がいかないのが現実だ。今回の震災で多くの有形物が流され、焼けて、壊れてしまったことを嘆き悲しむ声は多いが、常磐津・松島のように、被災地のかつての美しさを表現した素晴らしい唄が消えゆこうとしていることに注目する人は残念ながら少ないのだと思う。そこに着目して、さびれゆく無形の美に視点を注ぎ、踊り継いでいこうとする櫻香さんの意思には本当に心打たれた。さびしげな櫻香さんの心を映すような、薄曇りの肌寒い春の一日だった。


受け継ぐということ【伝統芸能の継承者たち】


すでに3月も中盤にさしかかり、花粉症に悩まされる季節となった。年が明けたのはつい先日だったのに、もう春だなんて。そして芸能に恵まれた2月のことをコラムに書こうとしていたのに、あっという間に3月になってしまった。嗚呼、最近はコラム更新が遅れた言い訳ばっかり書いているような気がする。
そんなわけで、先月の名古屋は、御園座に歌舞伎が来てまして、行ってまいりました。件の海老蔵さんご謹慎により海老蔵さん中心の演目ではなくなり、私個人的にはホッとした思いだった。海老蔵さんのシャープで硬質な感じの演技が私にはしっくりこないので(こんなこと言うと海老様ファンに怒られちゃいそうですが)、むしろ大好きな福助さんや左団次さんの舞台が見られるとあって、楽しみにしていた。だけどもがっっ。なんとな〜く違和感があったんですよね、今回の御園座。どこの何がどうっていうことは専門家でもないので表現できないのだけど。そしてその違和感の理由が急ごしらえの舞台だったからなのか、それとも違う理由なのかもわからない。ただ、役者さんの一体感のようなものが感じられなかった。お一人お一人はもちろん素晴らしいのだけど。


もう一つの楽しみは、鯉女会。日舞・西川流の会で、昨年亡くなった鯉女さんの追善公演が名古屋市能楽堂で催された。昨年は鯉女さんの突然の訃報で開催されなかったので、2年ぶりというわけだ。母と一緒に久しぶりに日舞デートである。プログラムを見ると、母の娘時代からの憧れの君で、母自身が舞台に立った時に後見を務めてくださったという西川長寿さんが出演されると書いてある。プログラムを見た瞬間から母は遠い目になり、娘時代に思いを馳せていた。長寿さんが出演されるとなると毎回こうなるので、私は何十回と繰り返される母の思い出話に相づちを打ちながら舞台を見ることになる。ふぅ。
一方、鯉女さんの娘さんで跡継ぎである満鶴さんは、今年も茂太郎さんと組まれ舞台に上がられた。鯉女さんという大名跡をお継ぎになる方だけあり、その舞台は静かな情熱に満ちあふれていた。歌舞伎も日舞も、家の名前を受け継ぐというのは本当に大変なことですよね。商売や職人と違って、伝統芸ですから。親と同じでもいけない、まったく外れてもいけない。受け継ぐということに難易度があるとしたら、芸ほど難しいものはないのでは?



←こちらが満鶴さんと茂太郎さんの舞台。
円熟味のあるお二人でした。


受け継ぐ難しさは歌舞伎役者さんも相当ご苦労されているのでしょうね。海老様も団十郎さんから本質的な芸は受け継ぎながら、古典の復活にも挑戦され、新しい境地を開拓しようとしていらっしゃる。どこまで自分を表現していくか、おそらく一生続く苦悩と挑戦なのだろう。そんな苦悩と挑戦を抱えた役者ばかりが集まって舞台が作られているのだから、演じる方も見る方もそれ相応に覚悟してのぞまないと良い舞台にならないと思う。舞台は役者からの一方通行ではなく、おそらく観客の受け止め方も大切な要素の一つだから。私が観劇した時の歌舞伎は、役者さんの一体感ではなく、観客と役者さんの一体感が足りなかったのかもしれないな。
鯉女会が終わりロビーに出ると、長寿さんがスーツに着替えて挨拶をされていた。母に「昔話で話しかけて握手してもらってきたら?」とうながすと、母は真っ赤な顔になり「恥ずかしいから嫌」と言ってさっさと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を見て思った。この人はいつまでもどこででも自分からの思いをぶつける「一方通行の人」なんだろうなぁ・・・。


奥三河東栄町〜小林の花祭り【伝統芸能の継承者たち】


最初に謝っておきます、今日のコラムは長いです。
先月中旬のこと。今年も行っちゃいました。奥三河に700年伝承されている花祭りに。ここには昨年はじめて訪れた。とある企業の広報誌の特集取材のためで、早朝から深夜まで行われるという伝統の祭りに興味はあったものの、あくまでも"仕事"だった。心のどこかに冷静さを保ちつつお祭り会場で1日半ほど過ごしてみると、いつの間にか、私の心は東栄町の花祭りに夢中になってしまっていた。その時の様子を3度に渡ってコラムに書き記しているので、もしよろしかったらご笑読くださいまし。
昨年のコラムその1昨年のコラムその2昨年のコラムその3


今年も花祭りに行きたいな〜と思ってはいたけど、なにせ車じゃないと行けない山奥にあり、その中でも私がお邪魔した小林地区は東栄町の街の中心からさらに車で20分ほどの所にある。どう考えても私一人では行く手段がなく、半ばあきらめていた時、昨年取材でご一緒したSディレクターと同じ広報誌に関わっていたイラストレーターのT画伯が「一緒に行こうか〜?」と誘ってくださったのだ。念願かなって今年も花祭りに行けるなんて!!小躍りしながら喜んでしまった。


東栄町で行われる花祭りは11月にスタートし、町内の地区ごとに新年明けまで続けられる。小林地区は、標高430m、28戸、平均年齢65,4歳という典型的な高齢化と過疎の街。その小さな街が一年に一度、驚くほどのパワーを生み出すのである。そのパワーとは、もしかしたら奥三河に降りてくる神様の力、偉大な自然の恵み、そして人々の魂。花祭りには、何か人を惹きつける磁石のような力が働いているのではないかしら。小林地区に生まれ育ち、外に出てしまった人々もこの花祭りの時には必ず帰って来て祭りに参加する。奥深い山々に抱かれるかのようにして、私のようなよそ者まで吸い寄せられる。


というわけで、今年も東栄町・小林地区の花祭り、ダイジェスト写真でご紹介します。


東栄町にはいる直前、名古屋方面からは最後のコンビニに、招き猫が!

東栄町にはいる直前、名古屋方面からは最後のコンビニに、招き猫が!

昨年デビューした舞子のゆうと君(中央)が今年も見事に舞いました!

昨年デビューした舞子のゆうと君(中央)が今年も見事に舞いました!

真剣な眼差しに、この子は何歳なのか?と思った。やっぱり神様が近くにいるみたい。

真剣な眼差しに、この子は何歳なのか?と思った。やっぱり神様が近くにいるみたい。

昨年もいた!この子!花祭りの鬼好きが高じて、自分で鬼の面をかぶり、鬼と一緒になって舞っている。

昨年もいた!この子!花祭りの鬼好きが高じて、自分で鬼の面をかぶり、鬼と一緒になって舞っている。

鬼さんの舞い。この衣装、昔の装束を見事に再現していて、妥協していないところが凄いと思います。

鬼さんの舞い。この衣装、昔の装束を見事に再現していて、妥協していないところが凄いと思います。

花祭りの天井の飾りは、すべて町民の手作り。

花祭りの天井の飾りは、すべて町民の手作り。

接待所でいただける

接待所でいただける

右が舞いを終えたゆうと君、左はその弟君。どっちもかわいいですよね。弟君もいずれ舞うことになるのかな〜。

右が舞いを終えたゆうと君、左はその弟君。どっちもかわいいですよね。弟君もいずれ舞うことになるのかな〜。

このふざけた格好してるのがT画伯でございます。

このふざけた格好してるのがT画伯でございます。


そして、私が一番楽しみにしていたのは、最後の舞である。少年から青年と思われる男性が4人ほどで1時間以上ずっと舞い続け、最後の盛り上がりで、真ん中にある釜から湯を観客に浴びせかける。その湯を浴びると、一年間無病息災で過ごせると言い伝えられており、花祭りのクライマックスでもある。人々はトランス状態となり、地元の人もそうでない人も一緒に踊って唄い、五穀豊穣を願うのである。実際、昨年もこの湯ばやしの湯を浴びた私は、一年間本当に風邪をひくことなく元気に過ごせたので、あながち言い伝えも嘘ではないような気がしている。



んも〜。↑こんな写真しか撮れてないのが悔しいのだけど、この舞いが本当に美しかった。昨年のコラムにも書いたけど、妙に背中が色っぽいのだ。普段は耳にピアスあけててもおかしくないようなイマドキの若者が、古式ゆかしい装束に身を包み、誇り高い表情で延々と踊り続ける。小さい頃から体に染み付いたリズムがあるのだろう。両手両足が描くラインは、驚くほど端正である。面白いのは、少年たちだけでなく、かつての少年たち、つまりオジサンたちが途中で参加してくることだ。最初のうちは、うまく踊れるかな〜と心配そうに見守っているのだが、磁石が舞庭へと引き寄せてしまうよう。舞が半ばあたりにさしかかると「も〜しんぼうたまらんっ!」という感じで、少年たちに混じって踊りだす。もちろん少年たちのようなしなやかな動きはないけれど、そこには花祭りによって育てられた人々の哀愁漂う美しさがあった。そして、その背中を見た時、あ、これは男性のための舞いなのだ、と思った。女性の丸みを帯びた体には、あの舞は似合わない。お祭りというのは、外で狩りをしたり農作業して家族を養ってきた男性のためのものなんだなぁ、きっと。


一升瓶と湯呑みを持って回る女性から「どうぞどうぞ」と湯呑みを渡された。遠慮なくいただくと、なんとそれはぬるカン。一升瓶ごと温めて持ち歩いてるってことですよね。すごい、この汎用性の高さはさすが日本酒。これこそ日本のお祭りだ。この女性は、舞い子のご母堂だったらしい。


お孫さんを抱いて、一緒に踊るおばあちゃん。
お孫さんはかなり眠そうだったけど、
おばあちゃんのこの体の揺れ、とっても良かった。
これ、ブルースですよ。


昨年取材でお邪魔した時にお世話になった、保存会長の小野田さん(左)。小野田さんの佇まい、相変わらずかっこよかったな〜。
そして御年81歳、花祭りの生き字引の前会長(右のベレー帽の方)。今年もお会いできて嬉しかったです〜。


この他、小林では多くの方からお声をかけていただいた。昨年は前日から入って、しつこくお話を聞いてまわっていたから覚えてくださっていたみたい。よそ者に対して、とっても優しくしてくださって、本当にありがとうございました。Kさん、Iさん、きっとまた来年もお会いしたいと思います。そして、今年も会えて嬉しかったのは、ゆうと君パパの佐藤さん。あまりゆっくりお話できなかったけど、心にじんわり優しさが染みました。そして、もう行けそうもないやとあきらめていた私を誘ってくださり、連れてってくださったSディレクター、心より感謝深謝。来年も是非、小林の花祭りにお邪魔したいと思っている。皆さんもご一緒にいかが?
↓これはご一緒したT画伯が撮影した最後の舞いの様子↓
http://www.youtube.com/user/attoyt?feature=mhum#p/u/2/NZ-Hd1rZnCU


中村時蔵さんの歌舞伎舞踊【伝統芸能の継承者たち】


10月の楽しみと言えば、やっぱり御園座の顔見世でございます。10月は季刊発行の編集物が一斉に動き出す時期ということもあり、取材やら下調べやらでなにかとバタバタする一ヶ月なのだけど、あらゆる用事よりも最優先させるのが顔見世である。今年は歌舞伎座の建替えをしていることもあり、地方公演の役者の層が厚いので、余計に期待がふくらむのだ。御園座の場合、坂田藤十郎や尾上菊五郎などの大御所をはじめ、尾上菊之助といった若手人気役者が揃っている。


そして、なんてったって私が大好きな歌舞伎役者の一人。
中村時蔵さんも出演されているのであります!
女形を務める時蔵さんは、とりわけ舞踊が素晴らしい。
今迄、時蔵さんの舞踊を拝見して、何度感激し涙を流したことか。
円熟期を迎えられた時蔵さん、どんな舞踊を見せてくださるかしら。


時蔵さんの舞踊は「舞妓の花宴」。三変化舞踊と言われるもので、途中で小道具や衣装を変えながら、踊り手が移り変わってゆく舞踊であった。間がとっても難しく、踊りに盛り上がりがイマイチないので、時間が長い割には地味と言えば地味な舞踊だった。それでもさすがに時蔵さんの踊りは、やっぱり魅せるんですねぇ。体のしなりや品の良い所作、立ち姿の綺麗なラインには、自然と視線が吸い寄せられてしまった。特に、男踊りから恋する娘へと変化するあたりは、とても50代とは思えない可愛さに満ちていて、ほぉ〜と深く息をついてしまった。こういう舞踊を拝見すると、本当に心がすぅ〜っと透き通るような気持ちになる。やっぱり伝統芸能というのは、私たちのDNAに擦り込まれた美学を刺激するんですねぇ。


この他、藤十郎さんの政岡役や、菊五郎さんの身替座禅、菊之助さんの弁天小僧を気持ち良く拝見して、芸能に恵まれた秋の夜は更けていった。あ〜あ、名古屋でも毎月歌舞伎やってくれないかな。そしたらきっとお小遣いはすべて歌舞伎に費やすのに。


御園座には、この格好で。
紅型の少し渋めの着物に、ピンクの織帯、グリーン系統で小物をまとめて。
着物のハッカケがきれいなサーモンピンクだったので、帯とは合ってたと思います。紅型の着物に、紺、ピンク、グリーンが入っているので、合わせやすいんですね。

↓なせかここから「おうちごはん」のコラムに早変わり!
 備忘録代わりということでご容赦くださいませ↓
この日は日曜日の夜の部だったので、出掛ける前にはらごしらえは松茸ご飯で!今年豊作だという秋の味覚をいただいたので、おあげさん・しめじ・ちょっぴりお醤油で炊きこみました。


まったく関係ないけど、歌舞伎の前におうちで食べた「香り松茸味しめじご飯」

まったく関係ないけど、歌舞伎の前におうちで食べた「香り松茸味しめじご飯」

飯田市取材の時に仕入れた茸たち。一番左のデカイのがクロカワ茸、その隣が椎茸、茶色のがクリダケ、右がしめじ

飯田市取材の時に仕入れた茸たち。一番左のデカイのがクロカワ茸、その隣が椎茸、茶色のがクリダケ、右がしめじ

農家のおばちゃんから伝授してもらった、クロカワ茸の紫大根おろしと生醤油和え!

農家のおばちゃんから伝授してもらった、クロカワ茸の紫大根おろしと生醤油和え!