伝統芸能の継承者たち

赤堀登紅さんの母娘舞台【伝統芸能の継承者たち】


前回ウィキッドネタと同じ日の夜のお話。ご近所美味仲間の友人であり、日本舞踊・赤堀流のお師匠さんでもある赤堀登紅さんから「恒例の観月会で、今年は娘と一緒に踊ります。お目だるい事と思いますが是非いらしてくださいませ」とお誘いいただいた。赤堀登紅さんのお嬢さんの初舞台とあって、何があっても行かなくちゃ、ということでお出掛けしてきた。昔から芸能を受け継ぐ家の子供は、初舞台を6歳(数え年齢)の6月6日にすると良いとされており、登紅さんのお嬢さんもその習わしに従われたのだ。


こちらは初舞台直前のお嬢さんを
「パパにも撮らせて〜♥」とTパパが撮影中の図。
お嬢さんのこの立涌(たてわく)のお着物は
登紅さんご自身の初舞台の時のお衣装だそう。
登紅さん曰く「我が家は立涌好きなのよ〜」


なんともまぁ可愛らしい仕草をご覧ください。
ご母堂の登紅さんは見事に舞台度胸のすわった方で、
舞台の上で表情が素になることはないのだけれど、
この時ばかりは舞踊家というよりも母の顔に見えた。


登紅さんご自身も、舞踊家であったお祖母さまの厳しい躾を受けて舞踊の世界に入った方。子供の頃から当たり前のようにお稽古をしていて、いわゆる子供らしい遊びをするヒマもないほど、舞踊や長唄のお稽古に通っていたという話を以前に聞いたことがある。それでも登紅さんのように、舞踊家としてのセンスや適性を生まれながらにして持っている人は幸運である。歌舞伎役者さんの中には、明らかに不向きだなぁと思われる方がいらっしゃいますもんねぇ。こう考えると、家に受け継がれた芸を引き継いで人生を歩いていくというのは、本当に大変なことだと思う。数日前に香川照之さんが市川中車を襲名して、40代半ばにして歌舞伎に挑戦することが発表された。奇しくも登紅さんのお嬢さんの初舞台の直後だったので、このニュースを聞いて、いろいろな思いが巡ったのだった。同年代としては是非にも頑張っていただきたいが、一方で40を過ぎてからの歌舞伎はさぞやいばらの道であろうとも思う。そのいばらの道を選ばれたのだから、役者魂はやはり親ゆずりだったのだろうか。


登紅さんはお嬢さんとの舞台の後にこうお話されていた。「今日の初舞台で娘が舞踊は楽しいと思ってくれればそれでいいんです。舞台に立って踊ることで、皆さんから褒めてもらえたら、じゃあもっとやってみようって思ってくれるはずですから」これは、師匠の言葉でもあり、母の思いでもある。踊ることを面白いと思わせ、褒めて楽しませ、芸を磨く。これは母でありながら師匠でもある人でしかなし得ない教育なのかもしれないなぁ。きっと登紅さんがお祖母さまから受けた教育そのものなのだと思う。この夜、立派に初舞台をつとめたお嬢さんは、たくさんの花束やプレゼントを抱えて、本当に嬉しそうに着物姿で会場を飛び回っていた。一人の少女に戻った瞬間だった。


そして最後に、登紅さんが素踊りを魅せてくださった。
長唄「秋の色種」。
何度か登紅さんの舞踊は拝見しているが、友人びいきを差し引いても、彼女の踊りは変なシナがなく小気味いい。それと、ワタクシ、素踊りが結構好きなんです。素踊りって、踊る方の人となりとかがすぐそこに見えてくるような気がするのだけれど、いかがでしょう。


この観月会で3ヶ月ぶりにお会いした典子さんと。美味しいもの好きの典子さんとは、終始食べ物の話ばかりだった。話題が映画になっても、映画そのものが食べることをテーマにした作品だったり。今度、もしかすると、映画と食の楽しいイベントをご一緒できるかもしれない。典子さん、企画を練ってみるので待っててね。
そして私の着物は、またまた結城紬でした。単衣の時期になると、どうしてもこの着物を選んでしまうのですが、困ったもんです。一応、他の着物も並べて悩んでみるのだけど、結局いつもこの着物になってしまう。今年だけで何度着たことでしょう。祖母から受け継いだものなので、大切に着なくちゃいけないのに。帯は観月会ということなので、お月様とススキ模様。お月様好きとしては、この季節にはずせないアイテムでした。