伝統芸能の継承者たち

受け継ぐということ【伝統芸能の継承者たち】


すでに3月も中盤にさしかかり、花粉症に悩まされる季節となった。年が明けたのはつい先日だったのに、もう春だなんて。そして芸能に恵まれた2月のことをコラムに書こうとしていたのに、あっという間に3月になってしまった。嗚呼、最近はコラム更新が遅れた言い訳ばっかり書いているような気がする。
そんなわけで、先月の名古屋は、御園座に歌舞伎が来てまして、行ってまいりました。件の海老蔵さんご謹慎により海老蔵さん中心の演目ではなくなり、私個人的にはホッとした思いだった。海老蔵さんのシャープで硬質な感じの演技が私にはしっくりこないので(こんなこと言うと海老様ファンに怒られちゃいそうですが)、むしろ大好きな福助さんや左団次さんの舞台が見られるとあって、楽しみにしていた。だけどもがっっ。なんとな〜く違和感があったんですよね、今回の御園座。どこの何がどうっていうことは専門家でもないので表現できないのだけど。そしてその違和感の理由が急ごしらえの舞台だったからなのか、それとも違う理由なのかもわからない。ただ、役者さんの一体感のようなものが感じられなかった。お一人お一人はもちろん素晴らしいのだけど。


もう一つの楽しみは、鯉女会。日舞・西川流の会で、昨年亡くなった鯉女さんの追善公演が名古屋市能楽堂で催された。昨年は鯉女さんの突然の訃報で開催されなかったので、2年ぶりというわけだ。母と一緒に久しぶりに日舞デートである。プログラムを見ると、母の娘時代からの憧れの君で、母自身が舞台に立った時に後見を務めてくださったという西川長寿さんが出演されると書いてある。プログラムを見た瞬間から母は遠い目になり、娘時代に思いを馳せていた。長寿さんが出演されるとなると毎回こうなるので、私は何十回と繰り返される母の思い出話に相づちを打ちながら舞台を見ることになる。ふぅ。
一方、鯉女さんの娘さんで跡継ぎである満鶴さんは、今年も茂太郎さんと組まれ舞台に上がられた。鯉女さんという大名跡をお継ぎになる方だけあり、その舞台は静かな情熱に満ちあふれていた。歌舞伎も日舞も、家の名前を受け継ぐというのは本当に大変なことですよね。商売や職人と違って、伝統芸ですから。親と同じでもいけない、まったく外れてもいけない。受け継ぐということに難易度があるとしたら、芸ほど難しいものはないのでは?



←こちらが満鶴さんと茂太郎さんの舞台。
円熟味のあるお二人でした。


受け継ぐ難しさは歌舞伎役者さんも相当ご苦労されているのでしょうね。海老様も団十郎さんから本質的な芸は受け継ぎながら、古典の復活にも挑戦され、新しい境地を開拓しようとしていらっしゃる。どこまで自分を表現していくか、おそらく一生続く苦悩と挑戦なのだろう。そんな苦悩と挑戦を抱えた役者ばかりが集まって舞台が作られているのだから、演じる方も見る方もそれ相応に覚悟してのぞまないと良い舞台にならないと思う。舞台は役者からの一方通行ではなく、おそらく観客の受け止め方も大切な要素の一つだから。私が観劇した時の歌舞伎は、役者さんの一体感ではなく、観客と役者さんの一体感が足りなかったのかもしれないな。
鯉女会が終わりロビーに出ると、長寿さんがスーツに着替えて挨拶をされていた。母に「昔話で話しかけて握手してもらってきたら?」とうながすと、母は真っ赤な顔になり「恥ずかしいから嫌」と言ってさっさと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を見て思った。この人はいつまでもどこででも自分からの思いをぶつける「一方通行の人」なんだろうなぁ・・・。