LARMES Column

必殺仕分け人!【今日のエコ】


ここのところ毎週のように実家帰りしている私。実は実家の建て替えが決まったので、もろもろの打ち合わせやら片付け作業が始まっているのである。古い日本家屋は、昔の腕の良い大工さんが作っているのでとても造作が良く、今でも壊してしまうのはとてもとても勿体ないのだけど、二世帯住居としての条件(姉夫婦が戻ってくるため)、耐震性やら耐火性の問題などを考えると致し方ない選択が建替えであった。


というわけで、これから数ヶ月は年老いた母と一緒に少しずつ荷物の整理をしなければならない。先日、納戸の荷物を片付けた。今の家の歴史と同じ半世紀分の「モノ」が積み重なった空間なので、一体何が出てくるか、考えるだけで末恐ろしくなるのだが、一方で一つひとつが懐かしく思い出深いモノばかりである。箱の中からモノが出てくるたびに母の思い出話が始まるので、整理は遅々として進まないが、ま、これも想定内である。


納戸の面積のほとんどを占めているのは、漆塗りの長持ちだった。昔の家の蔵に必ずあった保存箱で、布団などの大物をしまっておく物である。サイズをはかったら幅1800×高さ780×奥行き870。これって二人分の棺桶サイズじゃん、と冗談を言ったけど、残念ながら母には通じなかった。それどころか、「これはもう捨てるしかないね〜。百年以上たってる物だからね」とさらっと言う。ひゃくねん、ですか?簡単に言うけど、今の物で百年先に残っている物なんてあるんだろうか。改めて、昔作られた物の高い品質を感じざるをえない。本来は、百年以上経っているからとっておこう、なんじゃないのかな。


長持ちのような大きい物については、致し方なく処分する方向で落ち着くのだけど、問題は小さな物、この先使うとは思えない物については、捨てるかどうかで父・母・私の意見が分かれる。少し前の蓮舫議員のごとく、必殺仕分け人となった私は心を鬼にして「これは捨てよう」と父母を説得する日々が続いている。できれば私だって、すべての道具類を大切にしまっておきたい気持ちはあるが、いかんせん収納面積には限界がある。そこで幾つもの道具を仕分けしていて、気づいたルールがあった。「捨てられる物と捨てられない物」の線引きである。


気軽に捨てようと言える物→プラスチック類
捨てるのは忍びない物→布(着物類を含めて)、紙や本類、陶器や漆器類
つまり、昔の職人さんや工芸師の手が入った物については捨てられず、またそういう物は傷みがほとんどないのだ。特に、祖母や祖父、曾祖父母の着物などは昔の天然素材で天然染料なので、現代で入手しようとしても手に入らない質の物ばかり。そんなわけで、とりあえず私のマンションにその着物類を避難させることになり、このところ毎週、重いスーツケースをズルズルと引きずっているのは、えぇ、私でございます。旅行なんかじゃございませんの。


これはおそらく父母が結婚した昭和30年代のシロモノで
アルミ製の洗濯バサミ「ピース印のピンチ」。
あまりにレトロで可愛くて、捨てられなかった〜。


『野々垣益兵衛様 御誂御小袖 いとう呉服店』
着物をしまっておくための和紙でできた包み紙、たとう紙とか文庫と呼ばれている。いとう呉服店って〜、このマークからして松坂屋の前身の名前、ですよね〜?しかも東京都じゃなくて東京市、になってるし。一体これいつの時代の物?と母に尋ねると「多分ぎっつぁまのだと思うけど、わからないね」とのこと。ちなみに、ぎっつぁまというのは母の叔父である義一(ぎいち)の呼び名である。また、野々垣益兵衛というのは母の実家の当主が代々継いでいる名前なので、いつの時代の益兵衛さんなのかがわからない。母の説が正しければ、母の叔父で私からすると大叔父にあたる、明治生まれの義一さんの着物文庫なのだろう。存命なら百歳を過ぎているので、文庫は60年以上は経っているということ。和紙が長命であることを裏付ける証拠でもある。こういう物って捨てるべきなんでしょうか???私には捨てられない。これから数ヶ月、途方もない量を仕分けし、その度に悩まなくてはならないなんて、先が思いやられるぅぅぅ。てきぱきと的確な判断を瞬時にくだす蓮舫議員のような才女には、とてもなれそうもないや〜。やれやれ。


結城そぞろ歩き【着物だいすき】


先週の東京出張にはたくさんのおまけがついてきた。先のコラムで紹介した挟土氏の個展をはじめ、悪友ハルコとの再会、母校訪問、そして最後は姉と共に訪れた結城の街である。姉は随分前から結城に行ってみたいと思っていたそうだが、ダンナ様に遠慮して言い出せなかったらしい(確かに男性には不向き?の街かもね)。姉宅でのんびり朝寝をしていたら、「結城行こうか!」と姉が誘ってくれたので、いつか行ってみたいと思っていた私は即返事をした。



結城は、紬で栄えた街である。至るところに結城紬の織元やら問屋さんがあり、機を織る音が聞こえたお店もあった。↑こんな絵がすらり展示されていたりして、結城の歴史イコール紬なんだなぁと思わせてくれる。さりとて、これといって特色のない街でもある。昭和50年以降に建てられたと思われるコンクリートのビルや、しもたや風の民家には、昭和の香りがぷんぷん匂っていた。そして、結城を訪れる観光客にとってのメインストリートは、「問屋街」である。文字通り、結城紬の問屋が立ち並ぶ通りで、「見世蔵」と呼ばれる蔵作りの建物が幾つも点在している。


ここは見世蔵の一つで、現在も結城紬の問屋として大きな商いを営んでいらっしゃる会社の店先。通りを挟んだ真向かいが同経営のカフェになっていたので、姉と二人で珈琲をいただくことにした。「お昼食べたばっかりだからケーキは無理だよね〜?」と言いながら、チーズケーキを分け合って食べる胃袋も仲良しの姉妹、ふふふ。ノーテンキにケーキをほおばっていると、お隣の席ではインタビュアーらしき女性が、結城紬をかっこよくお召しになった紳士に話を聞き出していた。どうやら何かの取材のようだ。「結城の歴史と文化はすべて紬なんですよ」と語る紳士にうなづくインタビュアー。よそ様の取材を拝見できるチャンスなどほとんどないから、片手に珈琲、耳はダンボの状態で、取材の様子をじっくり聞かせていただいた。インタビュアーって、相手のお話にいちいちうなづくのがクセになっちゃうんですよね。私もそう。その時の聞き手もやはりうなづき続けていた。それを傍から見ていると、いかにも取材という感じがしたので、なぜだか私の方がこっぱずかしくなってしまった。まるでいつもの自分を見ているようだったから。


一服した後は、再び問屋街をそぞろ歩き、反物が欲しかったけどとても買えそうにないのであきらめ、姉とお揃いの「結城紬で作ったケータイクリーナー600円也」を記念に買って帰って来た。着物好きが高じると最後は結城に行き着く、と言われるほど粋人に好まれる結城紬。母や祖母から受け継いだ結城紬を着てみると、その着心地の良さとなんとも言えない風合いは、確かに行き着く先なのだと実感する。現在、結城紬はユネスコの世界遺産に申請中で、もしかすると来年あたりに世界遺産になるかもしれない。私もいつか、結城の反物を自分で買って仕立てたいなぁと思いつつ、世界遺産になっちゃったら更に値が上がってしまうのでは?と憂いながらも、とりあえず今のところはケータイクリーナーで満足することにした(それにしてもあまりに小ちゃい結城だこと!)


らっきょう週間!【今日の地球】


今年もやって来ました、らっきょう週間!毎年この季節は、仲良くしているお料理屋さんで「らっきょうボランティア」となる。このお店では、お料理の付け合わせに使うらっきょうを一年分なんと500kg漬け込むので、この時期はお仕事の合間をぬってらっきょう剥きのボランティアに参加しているのだ。残念ながら(泣!)今年はお仕事がヒマなので、いつでもお手伝いにいける私は、今週ちょこちょこと通う約束をした。そして今日がその第一日目である。


500kgを約10日間かけて漬け込むロングランなので、最初のうちはみんなで和気あいあいとお話しながら作業するのだが、後半になってくると疲れ果て、腰の傷みをかばいながら無言でもくもくと皮むきをするようになる。私の役目は、みんなが疲れ始めた後半に登場し、元気はつらつと話題を提供しながら、さくさく作業を進めることなのだ。つまり、私が参加した今日はちょうど折り返し地点の日というわけである。


午前中いっぱいかかって皮を剥いた30kgにまんべんなく塩をうつ。そのままざるに入れ半日かけて水分を抜き、明日の朝、漬け込むのである。この塩をうつ作業だけは大将の役目。長年の勘により、目分量の塩をらっきょうにすりこむようにしてうち、ざるを回しながら塩を全体に行き渡らせる。簡単なように見えて、これが難しい。一年間保管するための「保存料」としての塩の効果は、この時、決まるからだ。私とくだらない話をしながら、左手で塩を掴んでどんどん入れていく大将。「まりちゃん、なんでらっきょうに塩をうつか知ってる?」と言いながら、手元は狂うことなく、マシンのように次々と塩をうち、ざるを回す。らっきょうに塩をうつ理由は、水分が抜けるため、味付けのため、そしてらっきょうの成長防止のためだと大将が教えてくれた。らっきょうは精のつく物で、生命力に満ちているから、根をカットして水につけている間に芽がどんどん伸びてしまうのだ。その成長を止めるためにも塩をうつのだそう。ちょうどタマネギをほっておくと、内側から芽が伸びていくのと似ている。そういえば、わずか1時間くらいで数ミリ芽が伸びてしまったらっきょうが、ざるに数個は入っていたっけ。


らっきょうの生命力と塩の効果を改めて大将から学んだ、らっきょう週間第一日目であった。今週はあと三日ほどらっきょうボランティアと化す予定。半日作業しただけで両手の爪の間かららっきょうの匂いがぷんぷん香る。らっきょう漬け後半戦が終わる今週末あたりには、体全体から「らっきょうのにほい」のするオンナになっていると思うので、皆様あしからずご了承くださいませ。


15年ぶりの母校へ【えとせとら】


今週の東京出張は、実はわずか1時間の取材だった。本当なら、東京〜名古屋の日帰り出張で終わるはずなのだが、せっかく「ヒマ」をもてあましているので、ついでに懐かしい街に出掛けてみようと思い立った。学生時代の悪友・ハルコを呼び出してノスタルジーツアーを敢行。およそ15年ぶりくらいに、我が母校へ出掛けたのである。最寄りの駅は、昔はぼろぼろの駅舎だったのに、立派で大きくなっていたし、高架になってた!(昔は踏切の音がうるさかったんですよね〜)駅を降りたら、立派な並木道が整い、高層マンションがいっぱい並んでいる。まるで田舎者のごとく「わ〜ビックリ〜」と驚きながら大学までの道を歩いた。構内に入れば、これまたビックリの連続で、最近学部が増えたからか、新しい建物がぼこぼこと建っていて、私たちが過ごしたキャンパスの風景とは随分違っていた。なにより当時の学食がなくなっていたのはショックで、今は立派な「キャフェテリア」になっていたのである。時代は変わるのね〜。↑上の写真はこの日の目的のひとつ、学食で食べたランチ。なんとコレで260円。安いですよね。私たちの頃は、コロッケやカツなど揚げ物ばかりで構成されていて、確か230円だった。



学食はキャフェテリアに、図書館は立派な会館になり、大きくなった樹木の下にはウッドデッキやベンチが作られ、すっかりオシャレに変わってしまったキャンパスに、唯一昔のままの佇まいを残していたのが↑部室棟だった。体育系と文化系に分かれており、陸上部だったハルコは体育系の部室棟で、広告研究会だった私は文科系の部室棟で当時と同じ匂いを嗅いでみた。他人が見たら間違いなく変な人だったと思うけど、こっちは懐かしいんだから仕方ない。あのモラトリアムな4年間のことを思い出すと、たまらなく切なくなる。「あの頃、私たち、なんにも考えてなかったよね」ハルコがつぶやく。ホントになんにも考えていなかった。毎日どうやって楽しく過ごすか、それにしか興味がなかった。遠く離れて暮らしていた両親や姉も若かった。もし神様が願いを叶えてくれるなら、今の私の願いはひとつ。ハルコとマサコ(この日は会えなかったもう一人の悪友)と共に毎日はしゃいでいたあの頃の自分とみんなに、もう一度会いたい。


挟土秀平「土と水陽」青と琥珀【伝統工芸の職人たち】


高山の左官職人・挟土秀平さんの個展「土と水陽」が、渋谷東急BUNKAMURAで始まっている。東京出張の際にお邪魔してきた。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/100603hasado/index.html
キリン焼酎「白水」の地下鉄車内刷りポスターに挟土氏が起用されており、今回の個展はキリンビールが協賛している。ポスターの方はご覧になったことがある方も多いはずだ。4月に高山でお会いした時に、個展で用いる文章を見せていただいたので、その文章に作品がどう絡むのか、一体どんな仕上がりになっているのか、とても楽しみであった。


展覧の前半は、キリンビールからのオーダーで制作した「水の鼓動」をはじめ、コマーシャリズムにきちんとのっとった物でまとめられていた。左官の仕事にはかならず施主がいるのだから、この場合の施主がキリンビールと考えれば納得できるなぁと考えながら、隙のないきれいな仕上がりの「壁」を見てまわった。「水の鼓動」の微妙な色の移り変わりは照明の効果かな?と思ったが、実はすべてが計算された土の色の積み重なりであった。まるで緻密に計算され織り込まれた紬の文様のように、縦、横、斜めに水の波紋が広がっている。完璧、である。土で水を表現できるなんて凄い!と思ってから、はっと気がついた。土は水に含まれているものだということを。ここで、個展のタイトル「土と水陽」を改めて考えさせられる。う〜ん、やっぱり唸らされるな〜、秀平さんには。



そしてこの個展の真骨頂は、後半にあった。「青と琥珀」と題された小説のような物語にそって、十数点の「壁」が作品となって掛けられている。もちろん文章も挟土氏によるものだ。壁は、土の上に群がる蟻の姿だったり、心の奥底のほとばしりだったり、どこにも持っていきようのない哀しみが表現されたりしていた。物語にそって作品を見ていたら、なぜか苦しくなってきた。苦しくて、その場に居ることができなくなって、慌てて建物の外に出てしまった。こんな展覧会ははじめてだ。苦しくなった原因のひとつには、すべての作品が美しく隙がなさすぎるということ。そして、もうひとつは、作者の感性がナイフのように尖って研ぎ澄まされすぎて、受け止める側が咀嚼に苦労するということ。挟土秀平とは一体何者か。左官か、芸術家か、否、詩人か。おそらくそのすべてなのだろう。その感性を受け入れるだけの受け皿を持たない私は、受け止められなくて苦しくなったみたいだ。
あ、こんな風に書いちゃうと、個展のアピールになってないかな。でも本当に素晴らしい作品ばかりなので、是非ご覧になってください。開催中はご本人にお会いできるかもしれませぬ。あ、でも私はご本人のお写真を撮り忘れてしまいましたけど。


挟土氏は、使い古された言葉かもしれないけど非常に人間くさい。キリンの焼酎「白水」の商品コンセプトをアピールするのにはピッタリの逸材だと確かに思う。語らせたら詩人だし、壁を塗らせたら芸術家だし、こんな逸材をメディアがほっておくはずがないと思う。でも挟土氏が創りだす壁の美しさとは別の世界で、タレントとしての挟土秀平が一人歩きしてしまうのではないか?と勝手な老婆心を抱いてしまう。高山の雄大な自然に佇み、土と水に向かう左官職人として、いつまでも存在して欲しいと願ってはいけないのだろうか。でも多分、私の老婆心は陳腐にすぎないのだろう。なぜならコマーシャリズムとは関係のないところで「青と琥珀」というとんでもない文章と壁の作品をこうして発表しているのだから。左官の枠を超えたアーティスト挟土秀平を象徴するように、今夏、銀座和光のショーウィンドウを彼の壁が飾る。


白洲正子茶漬け!【今日のエコ】


これ↑今日のお昼ご飯。「ご飯」を中心に、塩昆布、お漬け物、エノキ佃煮、椎茸ステーキ(これだけは唯一自慢できる逸品です、うふ)。冷蔵庫にあった物で作ったごくごくシンプルなおかずだった。
フリーランスでしかも自宅の一部を事務所にしている私には、お昼休みというのがあるようでない。取材や打ち合わせで外に出掛けている時は、その出先の方々とご一緒することが多いが、お昼時に出掛ける用事がなければ、家にある物で食事をとることになる。締め切りが迫っていれば、お昼の時間など関係なくパソコンに向かっているし、はっと気づくと13時を過ぎてる!ということもある。


そんな私が、今日のお昼は「ご飯」を中心にランチするぞ!と決めたのには理由がある。先日まで名古屋駅のJR高島屋で開催されていた「白洲次郎・正子展」にお邪魔して、白洲正子コレクションの←このお茶碗を見て来たからだ。白洲正子はご存知の通り骨董収集が趣味で、会場にはあらゆる骨董を用いた夫妻の生活の様子が展示されていた。左の写真はその中のひとつ、「瀬戸麦藁手」のシリーズである。麦藁手(むぎわらで)は、縦縞の文様のことで、愛知県の瀬戸市近辺で昔から作られていた物。縦縞が麦の穂に似ていることから麦藁手と呼ばれており、柳宗悦の日本民芸運動でも絶賛されていたらしい。白洲正子は麦藁手が相当好みだったらしく、今回の展覧で麦藁手コーナーができちゃうほど多くの器が展示されていた。


その麦藁手コーナーには、江戸時代中期の片口や鉢、お茶碗がずらり。そしてその中に、私が愛用している麦藁手とそっくりの物が幾つもあったのだ。↑上が白洲正子所有、←こっちは私所有の麦藁手。15年ほど前に瀬戸で購入した物で、白洲正子の物と比較すると、文様は大柄で縞が太いけど、これも立派な瀬戸麦藁手、でございます。今迄なにげなく使ってきたこのお茶碗が白洲正子好みだったとはびっくりである。気分はすっかり白洲正子となり、今日のお昼にこのお茶碗でご飯を食べ、最後にあられと海苔と梅をのっけて、お茶漬けにしていただいた。名付けて「白洲正子茶漬け」。ただのお茶漬けも白洲正子ブランドがつくと、高尚な文化の香りあふれる一品となった。


実はこの麦藁手、大切に使っていたにもかかわらず、ついぞ5年ほど前、6つの内1つを割ってしまったことがあった。普通ならゴミ箱行きのはずの麦藁手だったけど、←頑張って金継ぎ(見えますか?)して直し、今もかろうじて6つが揃っている。白洲正子好みと判ったからには!、これからも大切に使い、白洲正子茶漬けを食べ続けていこうと思う。


スタジオワーク写真展"Sign"【えとせとら】

名古屋のコマーシャルフォトスタジオ、スタジオワークの写真展が今日から始まった。仲良しの川嶋なぎさをはじめ、長年のハグ友達である石橋明さん、先日"梅の精 桜の詩"の写真展を開催された池田史郎さん、昔はお互い若かったよね〜と会うたびに目で会話している松本龍二さん、実は以前この人の作品の前で唸ってしまったことがある鈴木敦詞さん、私の大事なムスメを娶ってしまった尾崎芳弘さん・・・。とここまで書いて気づいたのだけど、ワークのカメラマンの人々とはそれぞれにいろんな思い出があるということをコメントしようとして、書き始めたら、ほぼ全員のお名前を書く事になりそうなので、このあたりで留めることにする。親しみのあるスタジオというか、こういうお付き合いのできる会社っていいですよね。


すっかり話がそれてしまったけど、今日から始まった写真展"Sign"は、「あなたと私たちが紡ぐ感性の記号」というテーマで作品を発表している展覧会である。それぞれのカメラマンが"Sign"をどんな風に解釈して一枚の写真に仕上げているか、それは観てのお楽しみなので是非会場に足をお運びくださいませ。私はいつもワークの写真展に行くと「みんな文章うまいなぁ〜」と感心して帰ってくる。タイトルの付け方、説明コメントなど、皆さん本当にお上手なのである。今回の展覧会テーマである"sign"についても、いろいろと気づかされることが多かった。



6月1日(火)〜6日(日) 10時〜18時(4金は20時まで、6日は17時まで)
愛知県芸術文化センターB2 artspaceX
 入場無料
名古屋市東区東桜1-13-2  詳しくは→写真展特別サイト


写真展の一環で特筆すべきがワークショップである。テーマは「肖像写真」で、会場をスタジオに移し、わたしたち写真のシロウトが、家族の写真を互いに撮り合うというワークショップ。プロのカメラマンの方々がアシストしてくれるらしい。写真展特別サイトの中に、このワークショップのインフォがあるので是非観てみてください。一組のカップルが互いの写真を撮り合うという行為から、確実に互いの距離をより近づけていて、それは微笑ましい映像である。ご家族と、あるいは大切な方とご一緒に、参加してみませんか?
work shop[Sign of life]
6月5土曜日・6日曜日 10時〜18時
会場:ZAG(スタジオワーク所有のバーみたいなスタジオです)
名古屋市東区東桜2-9-16 レジデンス高岳
完全予約制/参加費無料

info@studiowork-ex.com


仲良しのなぎさと彼女の作品の前で、記念撮影!
なぎママがモデルになっています。
とても静かで優しい作品に仕上がっていましたぞ。


なぎさと撮影していたら、横から「オレも撮ってくれ」と声が。
通称スージー。実はスタジオワークの会長。
ご本人いわく「カビがはえたジイサン」だそうで、
「腐ったじゃなくて、カビはえたってちゃんと書いてね」とはなぎさ談。
いやはや、こういう会社ってやっぱりいいですよね、えぇ。


あやめ柄の着物【着物だいすき】

ちょうど一年前、シャンパーニュ騎士団による騎士叙任式と記念晩餐会が日本橋のマンダリンホテルであり、それに出席する栄に浴した。もちろん私が叙任されたわけではなくて(叙任してもらってもいいくらい大量のシャンパンは呑んでますけどね)、叙任式を傍観し晩餐会に無理矢理おしかけた向きである。その時、五月の正式な場所に出席するのに、着物は袷か単衣かでかなり悩んだ。(その時のことをこのコラムでも書いた)この季節にぴったりのあやめ柄の着物はあるが単衣である。五月は正式な着物のルールだと単衣ではなく袷なので、はたしてどっちを着ていくべきか???であった。ちなみにドレスコードはブラックタイ。結局、涼しげに粋に、あやめ柄の単衣を選んだわたくし。結果として会場にはイブニングドレスあり、振り袖あり、袷あり、しかもうさぎとススキ柄といった秋模様の方もいたりして、むしろ季節にピッタリの着物を着ていたのは私だけ(えへへ)だったので、誇らしげな気持ちになったことを覚えている。晩餐会には芸能人や文化人も多く出席されていたので、実際のところ会場では、うわー川島なおみの足きれい〜、知花くららってキリンみたいに背高いっっ・・・などとナマ芸能人にミーハー心を刺激されてましたけど(しかも同じテーブルでは辰巳琢郎さんがご一緒でしたし・・・苦笑)。


先日、東山植物園で、美しく咲き誇るあやめを観たので、
根津美術館で修復された尾形光琳の燕子花図が公開されてるな〜とか、
一年前、あやめ柄の着物にするか悩んだな〜などと思い出していたのだ。
下の写真と見比べてみると、着物の柄って、自然の風景をきれいに切り取ってデザインしているということが、よく判りますよね〜。


一年前の晩餐会に着たのは、このコーディネイトでした。
あやめの着物(単衣)に、蝶の柄の帯。
紫の帯揚げに、白の帯締め。
お扇子は蝶が抜き型になっていて中から紫が見えている、
京都・宮脇さんの物。


それでもって、帯留めに、ぶどうの形をしたパールのブローチをセレクト!晩餐会の前日にたまたまヘアメイク&着付けの服部小百合嬢とランチをし、明日のコーディネイトどうしよ〜と相談したところ、彼女が「せっかくなら帯留めにブローチとか使ってみたらどうですか?」と教えてくれたのである。ぶどう形のブローチがあることを思い出し、帯の上にのっけてみたら、なかなかトレビアンな感じになった。しかもシャンパン騎士団の晩餐会だから、ぶどう形というのはバッチリな選択である。案の定、会場ではシャンパーニュ騎士団の騎士のおじさん達がぶどう形に反応してくれたので、あやめはフランスのアイリスの仲間だということ、今日はシャンパンの会だからぶどうのブローチを帯留めに選んだことを説明した。私の説明を理解したかどうかは微妙だったけど、とにかくカンパ〜イという感じで、共に肩を組んでシャンパンを飲み干した。それにしても、女性が着ているものをまず褒める、というのはさすがラテンのフランス人。一生懸命考えてドレスを選んでいる女性にとっては、たとえお世辞と分かっていても嬉しいもんですなぁ〜。日本の男性もちょっと見習って欲しいところであります。


それでもって、ブローチを帯留めに早変わりさせる必殺技をお教えしましょう。ブローチは普通横向きに留め金が付けられているので、それに帯締めを通そうとすると、ブローチが横を向いてしまう。ところがちょっとした小技で帯留めに変身させることができるのだ。もちろん、ブローチを帯留めに変身させる留め具が市販されているので、お財布に余裕のある方はお買い求めください。秘密の早業は、前述の服部嬢(って嬢って年でもないけどね)から教えてもらった技でございます。まず、帯締めの真ん中あたりに輪ゴム2つくらいをぐるぐる巻きにする→ぐるぐる巻きが帯前に来るようにして帯締めをしめる→着付けが仕上がったらブローチを輪ゴム部分に留める。簡単でしょ〜?さすが、撮影用の着付けを仕事にしている人の知恵である。これならいろんなブローチを帯留め代わりにして楽しめそうだ。これからユカタシーズン到来なので、皆さんどうぞお試しになってくださいませ〜!


フェチ続きで干物フェチ【おうちごはん】


グリンピ〜〜〜〜〜〜〜〜ス!
この数年すっかり家庭菜園の虜になっている父の作でございます。すごいでしょ、ぷりぷりでしょ!数日前に実家帰りした時に、父がたくさん収穫してくれたのだ。我が父ながら、ホントに良い出来と感心しつつ、さやから豆を取り出す作業にしばし夢中になった。「椅子に座ってツメをたて〜さやえんどうのスジをむく〜さやがワタシの心なら〜豆は別れた男たち♬」と古い歌を口ずさんでいたら、母の視線を感じたので、あわてて歌を変えた。



30分も作業していたら、こんなにすごい量のグリンピースになった。この一部はグリンピースご飯に、そして一部は軽く塩ゆでをして冷凍庫でストック、さらに残った一部をお日様にさらして乾燥させることにした。最近、干物づくりに凝っているのだ。お日様にあてて水分を飛ばし、旨味を凝縮させてから調理する。お魚はもちろん、野菜は全般に乾燥させてからいただくととても美味しいからだ。グリンピースの干物は、フライパンで塩炒りして炒り豆にする予定。ちなみに右の写真は豆を取り出した後のさや。内壁がぬるっと湿っていて、いかにも実の抜け殻という感じが妙に色っぽく、思わずカメラにおさめてしまった。


こちらはホタテ貝柱の日干し風景である。ここのところ我が家にてお食事会をする時の定番メニューとなっている「ホタテの一夜干し炙り、XOジャンソース」の仕込みだ。ホタテがお行儀よく並んでいるのが見えるかしら?最初の頃は薄切りにして日干しにしていたけど、肉厚のまま干し、半乾きあたりで止めた方が私の好みだということを発見したのだ。


これはシイタケ。夏場になるとシイタケの傷みが早くなるので、笠の裏側がちょっと黒くなってきたぞ・・・と思ったら、生椎茸として食べるのはあきらめ、すぐに日干しにして食材の寿命を延ばすことにしている。日当りの良い所に干すだけで、市販されている干し椎茸とまったく変わらない感じに仕上がるので、とってもラクチンな保存方法かも。


どの食材も生で食べて十分に美味しいものばかりなのに、お日様に干すだけで旨味が増えて寿命も長くなるのだから、干物とはすごい知恵だなぁとつくづく思う。そういえば昔、フランスのボロアパートにいた時に、どうしてもお魚の干物が食べたくなり、お魚屋さんで三枚に開いてもらったアジみたいな魚を塩水につけ、猫の額ほどのバルコニーにネットをはって干したことがある。そしたら真上に住む意地悪なポーランド人の留学生が「日本人が奇妙なことをしている」と気持ち悪がって管理人さんに告げ口をした。仕方ないのでバルコニーに干すのはあきらめ、外から見えないように窓枠のすぐ下の所に移動させて、ささやかな干物生活を楽しんだのだった。その時の惨めさから考えれば、今はマンションでこんなに堂々と干物づくりに精を出せるのだから、やっぱり日本は素敵な国だ!と実感している。干物バンザイ。


今のところ、干物づくりの敵はコイツだけだ。我が家近辺を飛び回るヒヨドリのヒヨコちゃん。時々バルコニーの干し物を狙っている。人間を怖がることのないヒヨドリらしく、私が近づいても飛び立つ気配さえ見せない。この写真は今日のもので、「ヒヨコ!」と呼びつけ真正面からにらめっこになった。私が猫のふりをしてニャ!と鳴いたら、さすがに気味悪がって逃げていった。とりあえず、今日のところは私が勝ちをおさめた。


井戸えり作品展「衣と袋」【えとせとら】


中学時代の同級生で、昨夏30年ぶりに再会を果たした美術家・井戸えりさんの作品展が、名古屋・栄のギャラリーで始まっている。すぐに行かなくちゃ!と思いつつ3日目の日曜日にやっと行くことができた。思えば、一年前にえりちゃんと再会したのも同じギャラリーだったので、感慨深い思いで会場に向かったのである。昨年以降はバッグ作家としての作品を見せてもらってきたが、今回はそれに洋服も加わるとのことだったので、どんなんかしら〜と楽しみにしていたのだ。


先月、彼女が舞台衣装を手掛けたお芝居を観に行った時、簡素な舞台とえりちゃんの"主張しすぎない衣装"のバランスがとても良かったので、日常衣装となると「どんなんかしら?」と思ったわけである。それが↑こんな感じでした!「まかしときな!」的な姉御肌の彼女だが、作品はなかなかフェミニンで可愛くて、やさしさがにじみ出ている。触るとやわらかそ〜!という物がほとんどで、彼女の心のやわらかさそのものだった。


私が買っちゃったのはこのバッグ。風呂敷に荷物を入れる感覚で真四角な布を立体の鞄に仕上げたもの。ななんと包帯を柿渋染めにしたものが使われている!すごい発想。すごいデザイン。そして、すごぉぉく手間がかかっているのにお値打ち価格!


手に持った感じは、もっとふわっと丸くて、えりちゃん曰く「これは着物で持ってほしいわ」とのこと。は〜い、仰せの通り、着物の時に使ってみますです。ホントはショルダーバージョンが欲しかったのだけど、残念ながら開催3日目にしてもう完売状態だった。きっと彼女のバッグファンが多いんでしょうね。


というわけで皆様ぜひお出かけくださいまし。
サロンギャラリー 余白(よはく)
名古屋市中区栄4-17-30 Tel.052-262-5454 月曜休廊
〜5/30(日曜日)まで。10:30〜18:00(最終日16:00まで)


すでに作品はかなり売れてしまっているけど、お気に入りの物があったら、熱望すれば特別オーダーに応じてくれるかもしれないので、もしそんなお気に入りがあったら、コンドウマリコの友人だ!と恫喝してやってください。ただし作家さんは土日しか会場にいないそうなので、ギャラリーの方には全く通じません。平日の恫喝はご勘弁いただきますようヨロシクお願いいたします。


もうひとつ、この週末に訪ねたところが←ココ。覚王山の「サブリエドヴェリエ」の一日だけメキシカンカフェ。前述のえりちゃんと私を30年ぶりに引き合わせてくれたイラストレーターの伊藤ちづるさんや、コピーライターの小境和恵さんたちが一日だけ限定でタコスやピンチョスを作ってくれるというとてもワンダホーなイベントディだったのだ。姪っ子アユミと共にお邪魔して、美味しいメキシカンフードをいただいてきた。写真は手作りピンチョス。美味しそうでしょ?美味しかったデス。そんなわけで、もう一つ土曜日にお誘いいただいていたスタイリスト原結美さんの「一日写真館」にはど〜しても時間がなくてお邪魔できなかった。コスプレして行きたかったのだけど、ホントに残念。結美さん、すみませんでした〜!!!