LARMES Column

マナーのはざまで悩むワタクシ【徒然なるお仕事】


これらの写真は2月の中旬。随分前のネタ出しですみません。なにせ先月は怒濤の出張ラッシュだったんですもの。山の中腹、湖畔、海沿い、そしてお江戸のど真ん中と、移動ばかりの日々だったんですもの。


数多くの取材先の中でも印象深かったのが、東京・三田にあるイタリア共和国大使館。江戸時代、松平隠岐守の中屋敷があった場所で(ブラタモリに出てましたよね)明治維新後は松方正義(松方コレクションの松方幸次郎の父親)の手を経た後、昭和9年にイタリア政府が土地所有権を得たのだそう。


デザインの優れたインテリアが日本の引き戸や和紙照明、
書などとうまく組み合わせられ、
まさに日本とイタリアの美の融合といった趣。
うわ〜素敵〜とつぶやきながら、館内を見せていただいた。


インタビューの相手であるイタリア駐日大使の紳士ぶりにも驚いた。イタリアを旅した時に出逢ったイタリア男性の話す言葉や、映画に出てくる俳優たちのイタリア語は、一体ナンだったの???と思うほど抑揚が上品なイタリア語でお話になり、事前に秘書の方にお渡ししておいた質問について熟考されたお答えが用意されていた(事前に質問事項をお渡ししていても取材時にはまったく関係ないことをお話になる方や暴走される方が意外に多いものなのです)。日本の文化への深い理解をお示しになりながら、イタリアのPRをさりげなく上手にされていた。経済、文化、芸術、外交と、あらゆるジャンルに長けていなければ大使のお仕事は務まらないんですね。
さて、この日、私が悩んだというのは、マナーである。わたしたち取材スタッフは、国際プロトコールに基づいたマナーのもと、大使館で接待を受けた。座る席順、紹介の仕方、珈琲が出る順番などがすべてプロトコールに沿っていたので「ここは日本だけど、今、私はイタリアにいるっていうことなのね」と思いながら大使や秘書の方々とお話を続けていた、その時だった。毎年花粉症に悩まされる私は、まさにこの日その瞬間から花粉症の症状が出てしまったのである。インタビューをしている真っ最中に鼻がズルズルになったのだ。最初のうちは日本式に鼻をすすって誤摩化しながら取材を続けた。ところが途中で気がついたのである。あ、ここはイタリアだということを。イタリアやフランスをはじめとした欧州では、鼻をすするという行為は御法度である。鼻が出るなら人前であろうとハンカチで鼻をかむのが習慣となっている。鼻をすする音がとても不潔に感じられてしまうらしい。ところが日本では人前で鼻をかむことなど失礼極まりない。トイレに行ければ問題なかったのだけど、なにせ取材の真っ最中である。私が立席するわけにはいかない。日本のマナーと欧州のマナーのはざまで悩んだ私は、どちらでもない方法をとるしかなかった。永遠に流れ出る鼻水をハンカチでそっとぬぐい続けたのだ。鼻声になってしまったことだけはお許しいただいて、なんとか2時間近いインタビューを無事終えることができた。その後、トイレに行って鏡を見たら、ななんとトナカイみたいに鼻が真っ赤になっていた・・・泣。花粉症め!なにもこんなタイミングで現れなくてもよかろうに。



多分、花粉症の引き金になったのは、↑その前日に行った山梨のワインビーフ牧場↑だと思う。ワインビーフとは、山中湖や富士山の美しい風景の中、ワインを作る時の搾り粕を餌の一部として与えられて育てられた牛のことで、その肉質は柔らかく赤身の甘さが印象的な食材である。この牧場の取材でたくさんの牛に囲まれ、ガン見され(爆!)、足をなめられ、牛糞を踏んだ(爆!)。山の上できれいな空気を吸ったつもりが、おそらく花粉も一緒にたくさん吸い込んでしまったんじゃないかな。
まだまだ続く花粉症の季節。私はブタクサまで反応するので5月くらいまでひきずってしまう。これを機会に、国際プロトコールに沿った鼻水の処理方法とお鼻が赤くならないハンカチケアについて、研究してみようと思っている。ま、嘘だけどね。


前向きな消費活動のススメ【今日の地球】


この夜もよく呑みました〜。我が家で食事会をする時のルールは、皆さんにお酒をご持参していただくことである。左から児童小説家で広告会社社長・岡田氏ご持参である小布施の日本酒スクエアワン、久保田美紀姉さんご持参の極上吉之川(これは半年前からボトルキープしていた物)、村上由見子姉さんご持参で独特の香りが特徴の白生ビール、アートディレクター鳥居さんご持参の焼酎はなんと数日前から水で割って味を馴染ませていたという物、そして右端はプロデューサー熊崎氏ご持参の極上シャンパン・ベルエポック。これ、呑んだ順番です。我が家で催したこの会合は、夏に予定している「アートフェア」のキックオフ会だった。熊崎氏、鳥居氏、岡田氏、そして私が実行委員として活動を始めたアートのイベントである。これについてはまた後日に詳細を広報させていただくのでお楽しみに。
会合は随分前から日程が決まっていたのだけど、今回の震災の影響もあるので、どうしましょうか?というお伺いをたてると「らんちき騒ぎをするわけではないのだから、予定通りにやりましょう」との即答が皆さんから返ってきた。私もまったく同じ想いだったので、いつもと同じように大好きな料理を作り、器や盛りつけを考え、テーブルセッティングを整えた。ただいつもと違ったのは、お客様をお迎えするのにも関わらず、暖房を入れなかったこと。随分迷ったのだけど、今この時期だもの。皆でお酒を酌み交わしながら、互いの熱を感じて温かくなれるはずと思ったのだ。案の定、暖房なしでも心も体も熱く過ごすことができた。楽しく有意義な会だったと思っている。遊びや呑み会に参加することが後ろめたいような風潮がある中、それに臆することなく、予定通りに開催して良かった〜。


実は、ここのところ大掛かりなパーティーや催し物が次々にキャンセルになっている。仕事にも多少の穴が出ている。こういう時だから仕方ないなぁとは思うものの、みんなのお財布まで渋くなっちゃったら、日本の復興どころか、経済も衰退してしまうじゃないですか。だから、募金活動もしながら、消費活動も前向きに堅実にいきたいと思うのですけれどいかがでしょう?


こちらはアートディレクター鳥居氏がデザインしたTシャツ。
書・飯尾恒月さん、印刷・伊藤工芸社さん、ポストカード印刷・アサプリさん、スケッチブック提供・セントラル画材さん、企画制作が鳥居さんの会社である広告共和国。Tシャツ代以外はなんとすべてがボランティア。この売上は震災の義援金として送られるそうで、この時の会合に鳥居さんが持参された物を皆で購入した。消費活動も積極的に、でもこうした義援金活動にも積極的に、一人ができることからやっていこう!と改めて思いを強くした一夜となった。


新幹線缶詰5時間半の話【今日の地球】


余震に原発に放射能と、心配と心の痛みは増えるばかりで、美しく誇り高き日本は一体どうなってしまうのかという思いが彷徨う毎日。節電に心がけると言っても、普段からかなり節電を実践しているので、お昼間は暖房を入れずに厚着をして過ごし、夜になると靴下を二重履きにし全身モコモコになって体操しながらパソコンに向かっている(どんな体操しているかは想像してみてね)。要するにいつも以上に節電するとなると、暖房しない、という選択しか私には残されていないのだ。なのに、なのに、今日の名古屋は寒かった。でも被災地の方々はもっと寒かろうと思うと、やっぱり暖房は我慢した。ベランダに出て恨めしい思いで空を見上げようとしたその時が、↑の写真。そうなんです。こんなに寒くても、そして大変な惨状に日本が心を痛めていても、春はやってくるのですね。ベランダの楓が若芽を膨らまし、今か今かと芽吹きの時を待っている。


そんな中、世界が驚愕しているのが日本人の品格である。略奪がおきない。秩序を崩さない。個人は集団から離れず、集団は個人を守る。時として日本人の欠点とも受け止められる全体統制とか平均点至上主義が、この震災時には冷静な団結として行動をおこさせている。確かにその通りだと思う。それは、わずか5時間半という短い時間ではあったけど、新幹線に缶詰になった時にもまったく同じ全体統制がとられていたからである。被災された方々とは比較のしようもないほどちっぽけな地震体験ではあるけれど、その時の人間模様について、少し書いてみようと思う。


前回のコラムにも書いたように、地震発生直後に東京行きの新幹線に乗り、三河安城駅で約5時間半閉じ込められた私。車内の雰囲気は、外から入る情報により刻々と変化していった。最初の1時間くらいは「早く動かしてよ〜」という空気。その後、携帯電話などで外と連絡がとれた人が「津波が10mだって」「東京もかなり揺れたらしい」などと口々に話し始める。こうなると、他の乗客よりもいかに早く情報を仕入れるかが暗黙の競争になっていく。このあたり、男性の本能みたいなものなんでしょうか(ちなみに一車両で女性客は私ただ一人でした)。中には車内で堂々と大きな声で携帯電話で会社の同僚に連絡をとり、「オレ、閉じ込められちゃってさぁ〜参ったよ。東京駅についたら閉じ込められた乗客みたいな感じでテレビに映るかもしんないからヨロシク」みたいなふざけたことを話す輩もいて、私の感情は爆発寸前。握りこぶしをコートのポケットに隠すので精一杯だった。ところが2時間から3時間もすると、東北の津波情報が入り始めて、東京のJRや地下鉄も動かなさそうとなると、車内は悲壮の空気に包まれていく。自分たちは新幹線を降りることができるのだろうか。家には帰れるのだろうか。


その頃だったと思う。私のすぐ後ろの席に座っている男性がふぅ〜っと溜め息をついて「あ〜それにしても、おなかへったなぁ〜」と割と大きな声でつぶやいた。多分50代だろう。缶詰状態にコーフンしている輩や、車内販売されていた最後のサンドイッチをむさぼり食べる若者をいさめるかのような、なんとも言えない諦観の心持ちが伝わってきた。恐怖心を煽られていた私はどこか安心したのか、つい笑ってしまった。翌日、大学時代の悪友たちに会う約束をしていた私は、悪友の息子くんへの名古屋土産「ミソカツせんべい」なるものを買って持っていることを思い出した。おそるおそるハラヘリオジサンに「おせんべいですけど、召し上がります?」と声をかけるとハラヘリオジサンは「ビールがあったらサイコーなんだけど売り切れって言うんじゃ仕方ないよね。でも有り難くいただきます。他の皆さんにも分けてあげていいかな?」とおっしゃった。「もちろん!」と答えて、私の周りではミソカツせんべい宴会が始まったのである。宴会といっても、あるのはミソカツせんべいのみ。でも、ほんの一瞬でも空腹感をごまかすことはできる。こうなると、コーフン輩もサンドイッチ若者もみんな一緒に行動を共にする。不思議な連帯感だった。お互いに持っている地震情報を共有し、この先どうなるのか、閉じ込められたらどうするか、みたいな話をしていた時に、新幹線運転再開と豊橋駅臨時停車を告げるアナウンスが流れたのである。乾杯するグラスはなかったけど、ハラヘリオジサンとは瞳と瞳で乾杯した。その後、豊橋駅で降りる私に車両中の人たちが「気をつけて」と声をかけてくれた。ね、やっぱり日本人の連帯意識ってすごい力になると思うんですけど。


翌日会うことになっていた悪友ハルコからは「品川に近づいたら一度電話ください。車で迎えに行けるよう情報集めてみるから安心して」とメールが入った。東京だってかなり揺れているはずなのに、このメールには思わず目頭が熱くなった。ね、日本人の友情ってのも、やっぱり熱いぜ!と思うんですけど。


わたしたちにできること【今日の地球】


なんということでしょう。緊急地震速報が流れるたびに胸がきゅっと痛みます。テレビはどこの局も同じように被災状況を伝えているけど、お年を召した方や小さな子供向けに何か別の番組を放映する局があってもいいのではないか?被災者向けに、災害時に病気にならないための知恵とか、飲料水の作り方とか、よくわかんないけど。被災していない人向けには、節電の方法やボランティアへの呼びかけだっていい。正確な被害状況を伝えるのはNHKに任せて、あとは取材合戦するのをやめ、別の視点を入れた方がいいのに、と思う。


緊急時の情報に私がナーバスになったのには理由がある。実は地震発生した直後に私は東京行きの新幹線に乗っていたのだ。発生の瞬間、名古屋駅を足早に歩いていたため地震には気づかぬままに新幹線改札へ。そこには「宮城県で大きな地震があり新幹線は15〜30分の遅れ」との表示だった。もちろんこんな大惨事とは思わずにノーテンキにも「東京での約束に遅れちゃうよ〜。でも再開するんだから席に座っていればいいや」と思い、ホームで停車している新幹線に乗ってしまったのだ。


新幹線は遅れながらも出発するが、三河安城駅でストップ。JR側の説明は相変わらず同じで「宮城県で大きな地震があったため、線路状況を確認中」とのこと。その時点では「そのうち動くでしょ」という空気が車内に漂っていた。まさか東京で地下鉄もJRも動かないなんて状況だとは誰も思わなかったのだ。こんなことなら名古屋駅で「東京・東北方面には向かえません」って言っちゃっても良かったんじゃないのかな。私が乗った新幹線は三河安城駅で5時間半以上ストップした。東京に行けてもJRや地下鉄が動いていない、さりとて名古屋に戻ることもできないとなって、車内のノーテンキな空気は悲壮感に変わってゆく。
私は折しも運悪くケータイの電池が切れそうだったので、緊急時に備えてケータイ使用は控え、パソコンを取り出して情報収集した。twitterやfacebookで友人たちがオンタイムに知らせてくれたおかげで、やっと状況を把握することができ、悲壮感は恐怖感へと変化した。その後、午後8時の段階で、新幹線の運転再開が決定し、私が乗った新幹線は豊橋で臨時停車することが決定。午後9時、私は豊橋駅に降り立つことができた。そこからダイヤが乱れている在来線に乗り換え、名古屋に戻ったのは午後11時になっていた。


情報というのは、使い方や伝え方によっては、凶器にもなる。必要な情報をいかに正確に伝え、それを冷静に受け止めて行動することが大切だとはわかっていても、緊急時にはなかなかそれがうまくいかない。阪神大震災の対応を反面教師にして、マスコミは今回報道に気を遣って欲しいし、わたしたちコピーライターも職業の特性を活かしてメッセージを伝えていくべきだと思う。実際にtwitter上では若いコピーライターたちが節電を呼びかけるコピーを発表しているし、夜の広告ネオンを消すようにクライアントに呼びかける運動もおこっている。


とりあえず私はこの週末、実家に帰っている。実家に帰ることで、私一人で無駄な電気を使う必要がなくなるからだ。年老いた両親と共にリビングで集中して生活し、節電に心掛け、背の高い所から物が落ちてこないように配置を変えたりしている。今回の震災には直接関係がないかもしれないけど、家族でいろんなことを話し合うことで震災への意識を高めることはできると思う。お子さんがいらっしゃるご家庭なら、緊急時の連絡方法や集合場所など、これを機会に話し合ってもいいんじゃないかな。遠く離れたわたしたちに出来ることはまず節電、そしてお金の用意だ。Yahooのトップページからはクレジットカードによる寄付ができるそうなので、今年の春はブラウスを一枚あきらめて、早速寄付をしようと思う。明日から会社や工場が普段通りにスタートすれば圧倒的に電気が足りなくなる。明日以降も節電、みんなでトライしましょう!


受け継ぐということ【伝統芸能の継承者たち】


すでに3月も中盤にさしかかり、花粉症に悩まされる季節となった。年が明けたのはつい先日だったのに、もう春だなんて。そして芸能に恵まれた2月のことをコラムに書こうとしていたのに、あっという間に3月になってしまった。嗚呼、最近はコラム更新が遅れた言い訳ばっかり書いているような気がする。
そんなわけで、先月の名古屋は、御園座に歌舞伎が来てまして、行ってまいりました。件の海老蔵さんご謹慎により海老蔵さん中心の演目ではなくなり、私個人的にはホッとした思いだった。海老蔵さんのシャープで硬質な感じの演技が私にはしっくりこないので(こんなこと言うと海老様ファンに怒られちゃいそうですが)、むしろ大好きな福助さんや左団次さんの舞台が見られるとあって、楽しみにしていた。だけどもがっっ。なんとな〜く違和感があったんですよね、今回の御園座。どこの何がどうっていうことは専門家でもないので表現できないのだけど。そしてその違和感の理由が急ごしらえの舞台だったからなのか、それとも違う理由なのかもわからない。ただ、役者さんの一体感のようなものが感じられなかった。お一人お一人はもちろん素晴らしいのだけど。


もう一つの楽しみは、鯉女会。日舞・西川流の会で、昨年亡くなった鯉女さんの追善公演が名古屋市能楽堂で催された。昨年は鯉女さんの突然の訃報で開催されなかったので、2年ぶりというわけだ。母と一緒に久しぶりに日舞デートである。プログラムを見ると、母の娘時代からの憧れの君で、母自身が舞台に立った時に後見を務めてくださったという西川長寿さんが出演されると書いてある。プログラムを見た瞬間から母は遠い目になり、娘時代に思いを馳せていた。長寿さんが出演されるとなると毎回こうなるので、私は何十回と繰り返される母の思い出話に相づちを打ちながら舞台を見ることになる。ふぅ。
一方、鯉女さんの娘さんで跡継ぎである満鶴さんは、今年も茂太郎さんと組まれ舞台に上がられた。鯉女さんという大名跡をお継ぎになる方だけあり、その舞台は静かな情熱に満ちあふれていた。歌舞伎も日舞も、家の名前を受け継ぐというのは本当に大変なことですよね。商売や職人と違って、伝統芸ですから。親と同じでもいけない、まったく外れてもいけない。受け継ぐということに難易度があるとしたら、芸ほど難しいものはないのでは?



←こちらが満鶴さんと茂太郎さんの舞台。
円熟味のあるお二人でした。


受け継ぐ難しさは歌舞伎役者さんも相当ご苦労されているのでしょうね。海老様も団十郎さんから本質的な芸は受け継ぎながら、古典の復活にも挑戦され、新しい境地を開拓しようとしていらっしゃる。どこまで自分を表現していくか、おそらく一生続く苦悩と挑戦なのだろう。そんな苦悩と挑戦を抱えた役者ばかりが集まって舞台が作られているのだから、演じる方も見る方もそれ相応に覚悟してのぞまないと良い舞台にならないと思う。舞台は役者からの一方通行ではなく、おそらく観客の受け止め方も大切な要素の一つだから。私が観劇した時の歌舞伎は、役者さんの一体感ではなく、観客と役者さんの一体感が足りなかったのかもしれないな。
鯉女会が終わりロビーに出ると、長寿さんがスーツに着替えて挨拶をされていた。母に「昔話で話しかけて握手してもらってきたら?」とうながすと、母は真っ赤な顔になり「恥ずかしいから嫌」と言ってさっさと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を見て思った。この人はいつまでもどこででも自分からの思いをぶつける「一方通行の人」なんだろうなぁ・・・。


世界に誇る国士無双とは!?【一杯の幸せ】


クリエイター仲間で始めた「もっと!地酒の会」の第2回定例会が木曜の夜に開催された。もっと!地酒の会のメンバーの中で唯一の女性が私ということで(てへっ)、万年会計部長を命じられ、参加者の顔を見るとすぐに「会費をお願いします」と請求しているので、これじゃあN○Kとかの集金係だなぁと思いつつも無事任務を終えたら、呑む体制をしっかり準備。なんてったって今回は北海道・旭川から国士無双の蔵元さんがいらっしゃっているのだ。お話を聞きながら日本酒が楽しめるなんて興味津々モードですよね。以前のコラムでも書いたけど、国士無双というお酒は日本酒好きな方ならよく知っているお酒らしい。その言葉の意味は、二人としていない英雄のことで、麻雀だと役満の名前(っていう表現で正しいのか???)にもなってますよね。いかにも強そうなネーミングの通り、確かにどれも力強くて、頼りがいのあるお酒だった。


今回、蔵元さんがご用意くださったのは6種類の日本酒。中にはネット販売も通信販売もされていない地域限定販売商品もあったりして、これまたそういうレアものがダントツで評判が良かった。レアものは美味しいという「品薄感」によるブランディングは一つのPR方程式とも言えるが、この蔵元さんの商品づくりと販売戦略はぴったりとその方程式に当てはまっていた。男らしくすっきりした味わいのレアもの(あえて商品名は書きませぬので、ご興味がおありの方は旭川までひとっ飛びしちゃってください)は、男性だけでなく女性陣にも人気が高く、最後のプレゼントタイムでも一番人気を誇っていた。


日本酒に関して知識も経験もない私がいただいていて一番安心感のあったのは、「国士無双の純米酒」。昨今流行のただ辛いだけの日本酒とも、女性好みに迎合したフルーティー吟醸系でもなく、「昭和のオトーサン」が一人飲むのに似合いそうな、そんな素朴な味わいのあるお酒だった。一口が美味しい!と感じるお酒、お料理と合わせて美味しいお酒、ず〜っと呑み続けられそうなお酒と、美味しいお酒にもいろいろ種類があるけれど、私が安心だったのは呑み続けられそうなオトーサンのお酒だったわけで、正真正銘のオヤジを再認識。このお酒は旦那と呑んで、こっちは愛人で、これは・・・と下らない妄想で盛り上がっていたオヤジなクリエイターばっかりでしたけど、高砂酒造の廣野さん、よくお相手してくださり、ありがとうございました〜。


開催日は桃の節句だったので、会場である和蕎楽さんには事前に「春らしくお雛様を感じる彩りと料理を」と図々しいオーダーをしてしまいました。大将はそれにしっかり応えてくれて、こんなきれいな八寸が登場。女性陣からは歓声があがっておりました。


そうそう、万年会計部長をさせていただき、今回とても嬉しい発見があった。会費を徴収する時、参加された女性の中で数人の方が、会費をぽち袋に入れて事前にご用意し手渡ししてくださったことだった。もちろんお釣りが不要なキッチリ会費で。お食事前にお金に触るという行為や、人前で現金を裸で手渡しするということがなんとなく気になるお年頃になった私にとり、そのスマートなぽち袋マナーに感心したのである。オトナの女性の気配りって本当に素敵ですよね〜。中には真っ赤な「大入り袋」に入れて笑いながら渡してくださった方もいた。こういうセンス、見習わなければ。私も一応はお財布の中に数種類のぽち袋を用意して、いつでもお渡しできるようにしてあるんだけど、今度から笑いがとれる絵柄物も加えようと思う。国士無双という名前に負けない「世界に誇る日本の美しいマナー」に出逢った夜だった。
北海道の高砂酒造さんは、3月8日火曜日まで、名古屋の松坂屋本店「北海道展」に出店されています。皆様是非お運びくださいまし。


ブラジャーはとるべきか?【えとせとら】


そんなわけで、年甲斐もなく、こけました。左腕から肩にかけての打撲、全治10日間の診断。三角巾で左腕を吊った状態で1週間が過ぎ、やっと80%くらいまで復帰しつつあります。お騒がせした皆様、取材時にご心配おかけした皆様、大変申し訳ありませんでした。
この事故が起きたのは実家帰りしていた時のこと。御年11歳の犬の散歩に、よりによってサンダルで出掛けたワタクシ。11歳とはいえ、まだまだ走りたい盛りの犬にとって、私は一緒に走ってくれる「仲間」である。年老いた父は時間をかけて散歩はしてくれるものの、じゃれたり走ったりはしてくれない。だから私が散歩するとなると「走れる走れる〜♥」と目を輝かすのである。そんな目で見られたら走らざるを得ないですよね〜。サンダルで走り、道路の溝に思い切りつまづき、左手からこけました。利き腕である右手が無傷だったのは不幸中の幸い。左に激痛が走るものの、骨折ではないとタカをくくって実家から電車でマンションに戻り、数時間を過ごした。夜になってずきずきと痛みが増してくるので、念のためレントゲンだけ撮ったら?という友人の勧めにより、ご近所のヤブで有名な某病院へ。さて、そこで起きた第2の事件が今日のテーマでございます。


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夜間診療で御年28歳と思われるインターンのお医者さまに左腕を診ていただいてから、レントゲン室へ。そこには御年30歳と思われる男性のレントゲン技師が待っていた。以下、私とレントゲン技師(以下レ)との会話。(  )内は私の心のつぶやきである。
レ・「痛い所の写真を撮りますからね、洋服は脱いで、こちらの籠に入れてください」
私・(金具が反応するから洋服脱ぐんだ。でも腕が回らないからブラジャーがはずせないっ!)
  「あのぉ、腕が回らないものですから、ブラジャーはずしてもらえますか?」
レ・「ブ、ブラジャーですか?」
私・「えぇ、ですから、手が痛くて後ろに回せないんです」
レ・「ブ、ブラジャーはとらなくてもいいですよ、そのコートだけ脱いでもらえれば・・・」
私・「は???? コートだけ脱げばいいんですか?」
レ・「はい、コートだけ脱いで、左腕を置いてください」
私・「あ、はい。ブラジャーはいいんですね・・・」(なぁんだブラジャーはいいのか)
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この話を友人たちに話したところ、レントゲン技師の言い方も確かに誤解を招くけど、さらに私の応答も誤解を招くのではないか?と指摘を受けた。つまり、友人たちは、中年女性患者から若年レントゲン技師へのセクハラだと言いたいのだ。痛いのと不安なのとでセクハラどころではないというのが当時の私の心境なのだけど、冷静に考えてみると、こりゃ確かにセクハラですよね。左腕のレントゲンを撮るのに、ブラジャーの金具が反応するわけないじゃないのさ。やれやれ。年をとると、言動には気をつけなければいけないものなんですねぇ。会社の上司が女性の部下からセクハラと言われないように気づかいするのが大変だという話をよく聞くけれど、そんな中年上司の気持ちがちょっぴり理解できたような気がする。世の若者諸君よ、我々中年はセクハラしてみたいなどと思っているわけでは決してございませんのよ。どうぞ誤解めさるるな。


お内裏様とお雛様の並び方【暮らしの発見】


多忙な一週間でした。移動→取材→移動→宿泊先で原稿書き→取材→移動というローテーションをずっと繰り返した一週間でした。やっと名古屋に戻って、今日は目覚ましをかけずに眠ったら、なんと10時間も眠り続けてしまった。私にとっては睡眠が一番の健康の素なので、いたしかたありませぬ。というわけでコラム更新が遅れた言い訳はここまで。もうすぐ桃の節句なので、今日はお雛様の話題で。
↑この写真は、実家に飾っているお雛様。左隣は姉手作りの吊るし雛。その左は貝を漆にはめこんだ火鉢。お雛様に合わせて貝の火鉢が出してある。私が小さい頃は「桃の節句を過ぎて飾っていたらお嫁にいくのが遅れてしまうから」と3月3日になったら慌ててしまっていたけど「せっかく出したんだし、新暦じゃなくて旧暦で考えて、3月末くらいまで飾っておけばいいんじゃない?」という私の怠惰なそそのかしに母も「そうねぇ、じゃ3月末まで飾っておきましょか」と納得していた。どうやらお嫁にすっかりいきそびれている娘のことは、もう頭にないらしい(苦笑)。


このお雛様は、私の母方の祖父母が松坂屋(名古屋の人は"まっちゃかや"とふざけて言いますが)で選んでくれたもの。梱包の中には飾り方の説明書きが入っているので、このお雛様とお内裏様の並び方は説明書に沿ったものだ。お内裏様とお雛様、どっちが左に飾るかで、地方性が出ることをご存知ですか?京雛と関東雛の違いで、位置が逆になるのだ。松坂屋は名古屋の百貨店だからか、関東式の並びで説明書が添えられていたことになる。
天子南面(天皇が南を向いて立った時に、日の出の方角を上座、日没の方角を下座とする考え方)に基づいて、お内裏様が向かって右側、お雛様は左側だった。ところが、明治の文明開化で日本も西洋式に習い、大正天皇が即位式で左に立ったことから、以来それが皇室の伝統となり現在に至っているのだ。これ、結婚式の新郎新婦の並びもそうなってますよね、確か。この並びが今では一般的になっているのだそう。ただし、現在でも京都では伝統にのっとり、お内裏様が向かって右側に飾られているので、関西の百貨店で販売されているお雛様は、松坂屋のものとは逆なのかもしれない。


これは実家の床の間に飾られている掛け軸。
お内裏様とお雛様の並びは、
上の物(関東雛)とは逆になっているので、
こちらは京雛ということになる。
お花は、桃・ぜんまい・菜の花。ワタクシが生けました。


こちらは我がマンションのリビングテーブルに飾っているミニお雛様。スペースの関係上、この小ささじゃないと飾れないのだけど、こういうポータブルな感じのお雛様は仰々しくなくて可愛いですよね。これも旧暦に合わせて、3月末まで飾っておこうかな。あ、それなら3月3日を過ぎたら、旧暦(つまり明治の文明開化前ってこと)に合わせて、並びを逆にしちゃえばいいのでは?3月3日までは新暦(文明開化後の関東式)の並びにして、3月3日以降は旧暦の並びに変えちゃう。こういう不届きな考え方で、お人形の飾り方を変えてもいいものなんでしょうか。お人形屋さん、お教えくださいまし。


もっと地酒の会〜第2回定例会【一杯の幸せ】

昨年クリエイター仲間ではじめた「もっと!地酒の会」。日本文化の源でもある日本酒をもっと知りたい。日本酒離れをくいとめたい。オヤジが飲むお酒は日本酒がやっぱり似合うじゃないか。そんな思いをそれぞれ語り合ううちに自然発生的に発足した会だった。その第2回定例会が、来月、おひな祭りの夜に開催される。

今回の蔵元は、北海道の高砂酒造さん。
高砂酒造さんは、前身である小檜山酒造店時代から一世紀の長きにわたり、旭川で地酒を生産し続けていらっしゃる。淡麗辛口の「国士無双」と言えば、日本酒好きな方はピン!とくるのだそうだ(お恥ずかしながら私は無知でございました)。国士無双、なんて名前からしていかにもオヤジっぽくていいじゃないですか。オヤジが何もしゃべらず、黙って飲むのに似合いそう。かく言う私も、実はピチピチの若いお嬢さんだった頃、日本酒を飲んで息が臭くなるオヤジが大嫌いだった。それは日本酒が嫌いだったわけではなく、日本酒を飲んで愚痴っぽくなったり説教くさくなるオヤジが嫌いだったんだと思う。だから、やっぱりワインよね〜などとしゃらくさいことを言っていたわけだ。だけど、今となっては、日本酒を飲んで愚痴りたくなる気持ちも、説教したくなる気持ちもよぉくわかるお年頃になってきた。それに、日本料理にはなんといっても日本酒が一番よく合うということも、数多くの体験から(失敗も含む)学んだのである。日本酒は、人生をちょっとわかってきた頃に飲むと似合うのかもしれませんね〜。飲む方も熟成が必要なのかもしれない。というわけで、こんな話もしつつ、盃を傾けようではありませんか。今回から地酒の会専用のおちょこやグラスも用意しているので、乞うご期待!

日時/3月3日(木) 午後7時30分〜9時30分頃
場所/手打ちそば・小料理「和蕎楽」(わそら)
※詳細・申込はホームページよりご覧ください。(あるいは私に御申し込みいただいてもOKです)


遠山敦画伯の個展【今日の地球】


一見ゆるキャラ、よく知るにつれてやっぱりゆるキャラなイラストレーター、遠山敦さんの個展が青山で開催されている。先日、東京出張の折にお邪魔してきた。表参道の交差点を根津美術館方面(大好きだったガニエール東京店が青山にあった頃はウキウキしながらこの通りを歩いたものだった・・・と思い出しながら会場に向かったワタクシでした)に歩いて約5分。右手に唯一見えてくる昭和な感じのビルの2階。懐かしさにかられながら階段を登ってゆくと、不思議な本屋さんutrechtがあり、その店内のさらに奥にギャラリースペースがある。


小学校のお絵描き教室のような雰囲気。机と椅子が置いてあるので、時間がある方は座ってのんびりされてもいいのでは。お隣の本屋さんではコーヒーとか飲めるみたいです。


これが私の一番お気に入り作品。
カラフルなのに、でもどこか哀しげに見えませんか?
これを見た瞬間、ピカソの泣く女を思い浮かべた。
鳥が泣いている。何に泣いているんだろう。


今回は作品集も発売されるというので楽しみにしているんだけど、なんと私がお邪魔した時にはまだ出来上がっておらず。18日にリリースされるんだそう。残念。ポストカードは販売されているのでたくさん買ってきました。個展は20日までです。皆様、是非。

「ColoredBirdBook」Atsushi Toyama
20×25cm、Softcover、188pages
価格:$59.95(blurb)または、5,880円(UTRECHT店頭)
アートディレクション・デザイン:遠山敦
発行:UTRECHT
2011年2月18日発売

遠山敦による鳥づくめモノクロドローイング集「BirdBook」(2007 UTRECHT)に続く第二弾は総天然色、その名も「ColoredBirdBook」。
同書の発行を記念した原画展(アザーも!)及びリリースパーティを開催します。

ColoredBirdBook EXHIBITION
at NOW IDeA
2011年2月8日(火)-20日(日)
リリースパーティー : 18日(金) 18:00-21:00

UTRECHT/NOW IDeA
東京都港区南青山5-3-8 パレスミユキ2F
TEL 03-6427-4041
12:00-20:00 月曜日休み