LARMES Column

約1時間40分の妄想劇【えとせとら】

明日の取材のための前入りで、今日から東京に来ている。打ち合せやら雑務をバタバタとこなし、新幹線に飛び乗ったのは夕方になっていた。夏休みだからか、まだお盆休みの人が多いからか、車内は満席で立つ人もいるほど混み合っていた。私はいつもの[2人席の通路側]を指定していたので、その座席に向かうと、なんとそこにはギターケースが置かれているではありませんか。お隣の窓際の席に座る男性の持ち物らしいので「あのぉ」と声をかけると、「あ、座ります?」と聞かれ、心の中で「あったりまえでしょ?指定とってるんだから」とつぶやきながらも、顔ではニッコリ笑って「えぇ、すみません」と外面良く答える私。自分の荷物を棚に上げようとしていると、その男性はギターケースを抱えて座ったまま窮屈そうに体勢を保っていた。なにも大きなギターケースを抱えなくても、棚には十分なスペースがある。親切心のつもりで「上に置けますよ・・・」と声をかけると、その彼はきっぱりと「いえ、大丈夫です」と答えた。なんだか変な人だなぁ。
おもむろに荷物を片付け、お茶と本をテーブルに置き、新幹線での佇まいを整えた私は、ふと足元を見て再び驚いた。お隣の彼は、ギターケースが床に触れないように、自分の靴の甲の部分にタオルを載せ、その上にギターケースを置いて抱きしめているのである。な、な、なんですと???ギターがそんなに大切なのか?この人は。それとも新幹線の微妙な振動がギターに不具合を与えるんだろうか。さらに30分が経過しても、その人は姿勢を保ったまま、ギターケースを抱えて座っていた。
妄想好きな私は本を読むふりをしながら、お隣の男性の人生についていろいろなことを思いめぐらすことにした。妄想1→地味な格好をしているけど有名なギタリストで、京都あたりで演奏活動をして東京に戻る途中。妄想2→ギターのコレクターで、関西のオークションで珍しいギターを手に入れたばかり。妄想3→実は中身はギターではなく、今高騰している金塊が入っている。中身が金塊だと思うと、俄然ドキドキしてくるから不思議だ。う〜ん、楽しいなぁ。
妄想をしながら、いつしか私は中学時代のT先生のことを思い出していた。中学一年生の担任は、自分が音楽の先生だったこともあり、私たちにやたら合唱を練習させようとしていて、2日に一度はピアノを弾いてクラス全員で唄うことが習慣になっていた。中学生活に慣れ始めた初夏のある日。T先生は一生懸命にピアノを弾いて暑くなってしまったのだろう。着ていたジャケットを脱いで、あろうことか、それをピアノの上にバサッと置いたのだ。私はビックリした。音楽を専門にしている人が、大切なピアノの上に脱いだ洋服を置くだろうか。その当時から偏屈な性格だった私は、その瞬間から「この先生のことは信用しない」と心に決めた。
そんな思い出話からお隣の男性の行動を結論づけるとすると・・・。もしギターケースの中身が本物のギターだとしたら、そして男性がギター弾きだったとしたら、T先生とは比べようがないほどに楽器を愛おしく思っている人ということになる。このあたりで妄想は完全にタイプ1に決定づけられ、私の中でお隣は有名なギタリストとなっていった。そうなると、どんなジャンルのギタリストなんだろう、地味な雰囲気から想像するにスタジオミュージシャンじゃなかろうか、などと妄想はステージ2へと発展。そんな頃、新幹線は新横浜に停車し、件の有名スタジオミュージシャンはギターケースを大切に抱えながら、私に会釈をして去っていった。正直言って決してイケメンでもなく、若くもなく、一見したところはただのオジサンだというのに、楽器を愛おしんで使うギタリストというすり込みのおかげで、私は密かに赤面していた。
ぽぉ〜っとしたまま約10分が経ち、車体は再びスピードを落としてホームへとすべりこむ。新幹線を降りると、潮の香りがわずかに混じった生暖かい風が赤面していた私の頬を撫でた。いつもの品川の風だった。


ハマグリ塚の建設計画【おうちごはん】


我が家のパーティーメニューで初夏の定番と言えば・・・アサリ&ハマグリしゃぶしゃぶ、である。ハマグリで有名な桑名の某店でハマグリしゃぶしゃぶをいただき感動した後、その某店の調味配合を自分好みにちょっとばかりアレンジして、桑名の「大和種」のハマグリをいつものお魚屋さんにオーダーして試作してみたのがおよそ4年ほど前。どうせだったら、桑名のハマグリだけじゃなく、知多のアサリを前座にして、アサリとハマグリの両方をしゃぶしゃぶにしちゃおうと思い立ったわけである。つまり、名古屋を真ん中に、伊勢湾と三河湾の恵みを一度にいただくお鍋というわけだ。冬のしし鍋と違って、アサリ&ハマグリの時期は比較的仕事がヒマなシーズン(それにしても今年はヒマ過ぎましたが)ということもあり、5月から6月は「例の鍋まだ〜?」と友人たちからラブコールがかかる。今年は記録を伸ばして、なんと全部で10回も開催してしまった。一人あたりアサリ10個&ハマグリ10個を用意し、大体5〜6人で催すので、合計するとアサリもハマグリもそれぞれ500〜600個は我が家で食されたことになる。こうやって計算してみるとすごい数だ。


毎年我が家で食している友人の一人がマジメな顔をして言った。「一般家庭でこれだけアサリとハマグリを消費している人なんていないでしょ。商売屋さんだと供養塔とか建ててるじゃない?あなたもそろそろハマグリ塚でも建てたら?」なるほど、確かにアサリとハマグリから恨まれてもいいほどに大量消費している我が家。そう言われてみると、このお鍋を食べた後の生ゴミは貝の匂いがすごいし、しゃらしゃらと貝同士が擦れ合う音もうるさい。匂いはすぐに悪臭に変わるし、音がやたらうるさいなぁと思っているとゴミ袋が破れていたりする。アサリ&ハマグリたちは食された後もなお、自らの存在感を必死にアピールしているとも受け止められる。ううむ、来年あたりからハマグリ塚の建設計画でもたてないと、ハマグリお化けにいじめられちゃうんだろうか、と子供っぽい妄想にかられながら今シーズンを終えた。
↓今年こそすべて記録写真を撮ろうと思ったのに、残っているのはこの3枚だけ。確か去年も同じことをコラムに書いていた記憶があるけど、要するに成長なし、であります。


名古屋きってのワインラバーの集い。すんごいワインばっかり。

名古屋きってのワインラバーの集い。すんごいワインばっかり。

美女お二人と、秘密の女子会。お二人の美しさにドキドキしながらオヤジしてました。

美女お二人と、秘密の女子会。お二人の美しさにドキドキしながらオヤジしてました。

ソムリエ&中華シェフと共に、土用シジミをはじめて入貝させた会。

ソムリエ&中華シェフと共に、土用シジミをはじめて入貝させた会。


アサリとハマグリに合わせて飲んだお酒たちの写真も毎回ちゃんと記録しようと思っているのだけど、結局気づくとこれだけ↓。中にはレア物ワインなどもあるので、やっぱりきちんと記録しておくべきなんだけどね。食べて飲んで楽しむことこそ、食材への敬意だとばかりに、来年もきっと記録できないんだろうなぁ・・・。


私が大好きなボランジェ♥と、誰でも好きなコントラフォン。

私が大好きなボランジェ♥と、誰でも好きなコントラフォン。

こちらはブラインド大会で登場したワイン。

こちらはブラインド大会で登場したワイン。

これは高校の同級生たちが集った時のもの、よく飲んだね〜。

これは高校の同級生たちが集った時のもの、よく飲んだね〜。

ハマグリの形にご注目、三辺が等しくない三角形が大和種です。

ハマグリの形にご注目、三辺が等しくない三角形が大和種です。

左がハマグリ、真ん中がアサリ、右がなんとシジミ!土用の頃に最後の会を催し、魚屋さんの勧めに従ってシジミも登場しました。

左がハマグリ、真ん中がアサリ、右がなんとシジミ!土用の頃に最後の会を催し、魚屋さんの勧めに従ってシジミも登場しました。

シジミが登場した時にいただいたワインたち。土用シジミという言葉があるほど、シジミは7月が旬で大きくなるそうです。

シジミが登場した時にいただいたワインたち。土用シジミという言葉があるほど、シジミは7月が旬で大きくなるそうです。


まぁそんなわけで、来年はアサリとハマグリの塚を建設すべく思ってますので、我が家に食べにいらっしゃる皆様、建設に積極的にご協力くださいませ。ところで、供養塔ってアサリとハマグリの貝殻をくっつけてタワーにしちゃえばいいのかしらん???


哀しみの側【今日の地球】


"On the street at midnight,1999"
先週末のART NAGOYA 2011では「ミイラ取りがミイラになった」。つまり、私が実行委員という役目をころっと忘れて、ついつい現代アートに夢中になってしまい、写真家・ハービー山口さんの作品を購入してしまったのだ。それが↑の写真。リュクサンブールの街角で撮られたものである。ひと目惚れだった。


帰宅してから、改めてこの写真と向かい合い、私はなぜこの写真に惹かれたのだろうと考えてみた。現代アートという分野の写真には明るくないので、写真家の名前で購入を決めたわけではない。欧州の街角を撮影している写真家なんていくらでもいる。けれど、この作品がよかったのだ。
いかにも欧州らしい建物の雰囲気や雨で濡れた路面の感じ、必要最低限あるだけの光の量、そして接吻を交わす二人と、絵の向こうへと歩き去って行く二人。さらになんといっても私の大好きな6×6というスクエアサイズ。
これらが惹かれた要因である。・・・けれど、なんとなくこれだけではない、と心のどこかで言っている。もっと根本的ななにか。自分でもわからなかったその答えを、私は古い友人のfacebookの書き込みに見い出すことができた。


以下、古い友人である北澤由美子さんの書き込みから(全文ママ)
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マリコさんのお誘いで、生まれて初めて現代美術のイベント(ART NAGOYA 2011)に参加しました。いろんな作品を拝見して、作者さんご自身やギャラリーの方々とお話しもして、とても刺激を受けました。あの場では全然言葉にできなかったものが、一日たってみて、すこしづつ言葉にできたので、忘れないうちに書いておきます。
一番印象深かったのが、大和由佳さんの「喪失を運ぶ舟」でした。お部屋にはいったとき、にこにこと説明をしてくださるかたがいて、そしたらそれが大和さんご自身でした。作品の前で「これ すごいー おもしろいーー 卵焼きがフライパンにくっついちゃったときのあのかんじを思いましたー」とかって、小学生みたいな感想を口走ってた自分が、今思えば相当恥ずかしい(>
うちにかえってきて、Webで大和さんのサイトを拝見して、改めて「喪失を運ぶ舟」をながめながら、あのとき作品の前で感じた自分の気持ちにようやく気づきました。
一晩中、蚊取り線香を玄関で焚いていると、朝になってその燃えかすが、ごくたまにではありますが、ほぼ完璧な同心円状で残ることがあります。うわー!と思って、入れものを持ち上げとたんにその形は音も立てずに崩れてしまうのだけど。そんなキレイな形ではなくても、なんでこんなふうに?と思うような形に残ることもあって、アレは本当に不思議。それなのに、朝の支度をしているうちに、さっき見た美しい形のことを、すぐに忘れてしまいます。ユニークな形についてもそう。わざわざデジカメで撮らない限り、覚えてなんていないのです。
そのことを、「喪失を運ぶ舟」の前で、私は思い出していたのでした。
そして、それと同時に、あの蚊取り線香の燃えかすのはかない様子は、一昨年の夏に亡くなった祖母の骨と同じだということにも気づいたのでした。火葬場で焼かれて引き出された骨は、まさに蚊取り線香の燃えかすのようでした。
シャガールの絵を見て、あるいはブラームスのシンフォニーを聴いて、そうすることによって自分のなかから引き出されてくるものがあります。現代美術も、まったくそれと一緒なんだなあー。現代美術ってどうやって「鑑賞」したらいいんだろう、とちょっと居心地が悪いというか困った気持ちになっていたのだけれど、これでほんのすこしだけれど、「わかった」気がしました。
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私も彼女と同じように、ART NAGOYAで多くのアート作品と出逢い、その中で↑の写真を手元に置く決心をした。由美子さんが言うように、私はこの写真を見ることによって、自分の中からある感情がわき起こっていたのである。それは"哀しみ"であった。一瞬の時を愛おしむ心のありよう、いつかどこかで経験した別れと出逢いのことなどを、この写真が語っているのである。


私が心を揺さぶられるものには、いつも"哀しみ"がそこにあるのだと思う。それは涙を流すような圧倒的な哀しみという意味だけでなく、場合によって"はかないこと"で、時には"せつないこと"だったり"なつかしいこと"だったりする。もっと観念的に表現するなら、お昼間の太陽がさんさんと当たる側ではなく、漆黒の夜に月が照らす側と言えばいいだろうか。蕾から開いたばかりの生命力あふれる朝の花よりも、夕暮れ時のゆるやかな風に揺れる一輪がいい。それが、心を揺さぶられる源なのだろう。アートも人間も生き方も、"哀しみの側"から眺め味わっていこうと思う。


ART NAGOYA 2011 明日から!【徒然なるお仕事】


ART NAGOYA 2011が、いよいよ明日と明後日に一般公開される。本日5日金曜日はプレス及び関係者向けの内覧会とレセプションが行われ、多くの取材クルー・美術界の関係者・ギャラリストでにぎわった一日となった。ウェスティンナゴヤキャッスルの9階、エグゼクティブフロアの客室がギャラリーとなり、全国から参画されたギャラリーが、個性と工夫にあふれた展示方法でアーティストの作品を紹介している。ベッドの上に整然と額装された作品を並べているギャラリーもあれば、室内を真っ暗にして映像作品を流していたり、バスタブにお水を張ってアート作品を展示していたり、どこかから音がするぞ?と探すとバスルームの中に驚きの作品が存在していたり。語り出したら際限ないほどの面白いアイデアで、現代アートが展示されている。全部で出展ギャラリーは26。かなり見応えのあるアートイベントとなったと思う。たとえば、↑の写真は、お隣の名古屋城を借景にして窓ガラスに作品を展示したもので、今この瞬間を鑑賞する「瞬間のアート」である。人の顔のシルエットだけでなく、雲の流れや空の色と共にその偶然性を味わえる。


こちらは室内まっくらで、この先を覗くのが、怖いもの見たさ的な期待感がある

こちらは室内まっくらで、この先を覗くのが、怖いもの見たさ的な期待感がある

ベッドの上にブラックボードが。作品が至る所に展示され、シックな空感に生まれ変わっていた

ベッドの上にブラックボードが。作品が至る所に展示され、シックな空感に生まれ変わっていた

オブジェがいきなり入り口に。ドキッとさせる演出には感服ですね。

オブジェがいきなり入り口に。ドキッとさせる演出には感服ですね。

こちらは西側タウンサイドのお部屋。西陽を計算しつくした窓の展示にご注目を。作品と空間を一体化させるアイデアは、ホテルならではの展示です。

こちらは西側タウンサイドのお部屋。西陽を計算しつくした窓の展示にご注目を。作品と空間を一体化させるアイデアは、ホテルならではの展示です。

これがバスルームに展示されてました。この面白さはご覧になった方だけのお楽しみでございます。

これがバスルームに展示されてました。この面白さはご覧になった方だけのお楽しみでございます。

こちらは開催前にテレビで紹介されて話題になった作家さんの作品。かわいかったですよ〜♥

こちらは開催前にテレビで紹介されて話題になった作家さんの作品。かわいかったですよ〜♥


ここでご紹介したのは、ほんのほんの一部のギャラリーである。一応実行委員に名前を連ねており、今日はご挨拶や関係者のご案内で歩き回っていたため、じっくり拝見できていない。明日明後日の一般公開で、ゆっくりと鑑賞しようと思っている。ここでご紹介しきれなかったギャラリーの皆様、どうぞご容赦ください。


ART NAGOYA 2011の一般公開は、
6土曜日、7日曜日の12時〜19時。
ウェスティンナゴヤキャッスル一階ロビーのレセプションにて、チケット(1,000円)をご購入くださいませ。


9階のエグゼクティブフロアで、スタッフにチケットを見せていただき、あとはご自由に各ギャラリーをご覧ください。その日のうちなら、再入場は何度でもOKです。ちょっと疲れた時には、ホテル内店舗でチケットをお見せいただけば割引サービスが受けられます。


現代アートへの関心が高いと言われている名古屋で、アートをもっともっと身近に感じていただきたいという思いからスタートした今回のイベント。アートにご興味がある方、どうぞお気軽にご来場ください。そして気に入った作品があれば、ぜひぜひご購入ください。アートが日常生活にもたらしてくれる幸福感を、一緒に味わいましょう!会場でお会いできることを心待ちにいたしております。


いいものはいいんです!【伝統工芸の職人たち】


7月のある日曜日は、珍しくちょっと遠出して岐阜県多治見市までお出掛けしてきた。目的は、陶芸家・青木良太氏の個展を見に行くためである。とある企業の広報誌の取材で念願の青木さんにお会いできたのが今年の2月。その時、彼の工房で作品に惚れてしまって幾つか器を買い込んだ。以来、我が家の食卓では頻繁にその器が登場しているのだが、これが実に使いやすい。薄くて軽いのに丈夫、見た目はクールだけど手に持つとしっとり馴染む。なんとも言えない柔肌の触り心地は、陶器のそれでもなければ磁器でもない。このあたりの秘密については、取材記事に書き込んであるので、よろしければご覧ください。


お邪魔したのは器のギャラリー「陶林春窯」さん。
昔の大工さんの技術の粋が随所に現れた築50年ほどの日本建築を、
とっても上手にリノベーションして、
日本家屋ギャラリーとして蘇らせていらっしゃる。


薄くて軽くて繊細な器たち。どう置いてもかっこいいのだけど、こうして重ねてみるとオブジェみたい。

薄くて軽くて繊細な器たち。どう置いてもかっこいいのだけど、こうして重ねてみるとオブジェみたい。

これはポット。射込みで作られているので、ほぼ左右対称。きれいなラインがシンメトリーになって、これまたオブジェ風。

これはポット。射込みで作られているので、ほぼ左右対称。きれいなラインがシンメトリーになって、これまたオブジェ風。

こちらはカフェコーナー。ここでお茶をいただきました。陰影のバランスがすごくいいでしょう。これぞ日本建築の良さなんですね。

こちらはカフェコーナー。ここでお茶をいただきました。陰影のバランスがすごくいいでしょう。これぞ日本建築の良さなんですね。

これが今回購入してしまった器。いぶし銀彩の器は、日本茶、紅茶、ハーブティーあたりが似合いそう。前菜や珍味を入れてもよさげです。

これが今回購入してしまった器。いぶし銀彩の器は、日本茶、紅茶、ハーブティーあたりが似合いそう。前菜や珍味を入れてもよさげです。

ちなみにこっちは、前回の取材時に購入しちゃった器。こちらはフレッシュミントティーで大活躍してます。この前カンパリソーダを作ったら、きれいに映えました。

ちなみにこっちは、前回の取材時に購入しちゃった器。こちらはフレッシュミントティーで大活躍してます。この前カンパリソーダを作ったら、きれいに映えました。


陶器好きなのは学生時代からで、ちょっと背伸びをしながら分不相応に少しずつ買いそろえた器は、一人暮らしとは思えない食器棚に窮屈にしまわれている。その内のどれをとっても「買わなきゃ良かった」などと思う物はなく、買った時の情景や一緒にいた人のことや、その日のお天気や空気感まで覚えている。そしてそれらは思い出と共に何十年という時を私と一緒に過ごしてくれている。ひとつひとつはちょっぴり高価だったとしても、心から良いなぁ!と惚れ込んだ物は決して後悔することなく、いつまでも私の暮らしに寄り添っていてくれるのだ。大好きな物だから大切に扱うし、万が一欠けたりしても、金継ぎで直して再び命を蘇らせている。たかが物、されど物。気に入った素敵な物たちは、時が経ってもやっぱりいいんです!
この日に購入した青木さんの器も、お財布情勢が厳しい今の私には分不相応だったけど、多分何年かしたら、雨降る多治見の街のことや、日本家屋の魅力に惚れ惚れしたことをきっと思い出すはずだ。・・・と考えていて、ふと気づいた。多治見の街が好きで一年に何度か訪れる私は、多治見で多くの逸品に出逢っているのだ。


青木さんの個展を見た後にお邪魔したのがココ!
およそ一年ぶりの「ギャルリももぐさ」。
陶芸家のご主人と布作家の奥様が手掛けられるギャラリーは
全国から多くの人が訪ねていらっしゃるほど有名なので、
ご存知の方も多いだろう。


山の奥に入っていってこの風景を見ると、もう胸キュンになっちゃう(あ、死語かな)。随分前に取材させていただいたり、撮影にご協力いただいたり、ももぐさグッズに惚れて買い込んだりしているので、個人的にはかなり思い入れのある場所でございます。


これは、5年程前に購入した"ももぐさグッズ"の下駄。大切に履いています。

これは、5年程前に購入した"ももぐさグッズ"の下駄。大切に履いています。

こちらは18年ほど前に多治見のギャラリーで衝動買いしたガラス。これで日本酒の冷を呑むと美味しいんですよ!

こちらは18年ほど前に多治見のギャラリーで衝動買いしたガラス。これで日本酒の冷を呑むと美味しいんですよ!


多治見には、日本一おいしいと思ううどん屋さんがあるし、思い出いっぱいのお蕎麦屋さんや鰻屋さんもあって、器屋さんは果てしなく軒を連ねる。飽きっぽい私が、お昼から夜までゆっくり時間を過ごすことが出来る稀有な街である。行ったばかりなのにまたすぐに行きたくなる。日本一暑い街だと観測されようが、私は行きますよ。多分、暑い季節のうちにもう一度。


円頓寺商店街の七夕祭と、映画"WAYA!"【暮らしの発見】


名古屋市西区にある円頓寺商店街の七夕祭が、昨日27水曜日から始まった。毎年おこなわれる七夕祭は、商店街の人々が自作するハリボテのコンクールにはじまり、女子高生のバトンやマーチングバンド、お猿さんの曲芸や和太鼓などなど、いわゆる昔から日本の夏の風物詩である「お祭りの風景」が繰り広げられる。このあたりはもともと名古屋城の御用商人街だったエリアで、今は昔懐かしいアーケード商店街になっている。昭和初期から50年代前半くらいはちょっとエッチな映画館があったり、一杯飲み屋さんが連なっていたり、着物屋さんや履物屋さんなど日常の物はなんでも揃う商店街だったことから、毎日かなりの人出だったらしい。ところが郊外型ショッピングセンターができはじめると商店街は衰退する。円頓寺商店街もその流れのままに、シャッター街になりかけていた。そこに地元の有志の、なんとかしなくちゃという思いが集い、一念発起で蘇った街なのだ。私の親しい友人である高木麻里嬢が商店街の理事長を務めており、地元愛に満ちた活動で頑張っているので、それを応援する意味でも、昭和好きな私はなにかとこの商店街に出掛けることが多い。


姪っこアユミと共にお祭り初日のランチはいつものはね海老で!

姪っこアユミと共にお祭り初日のランチはいつものはね海老で!

これが噂のハリボテ装飾のコンクール。全部手作りです!

これが噂のハリボテ装飾のコンクール。全部手作りです!

友人高木麻里の実家である野田仙の参加作品。野田仙は当代で4代目を数える下駄屋さん。

友人高木麻里の実家である野田仙の参加作品。野田仙は当代で4代目を数える下駄屋さん。


そうそう、そして今年の目玉といえば、この商店街が舞台となった映画がとうとう公開されるということだ!一番上の写真がその映画のポスター。商店街の昔ながらの近所付き合いやおせっかいな人々の人間関係が描かれた作品で、10月に名古屋伏見のミリオン座で公開が決定。七夕祭期間中は、商店街の中にPRブースがオープンしている。前売り券も販売しているので、皆様ぜひご購入ください。高木麻里宅があるので、ちょくちょくお出掛けしているが、この街は本当に人情にあふれている。B級グルメの宝庫で、猫がいっぱいいて、おしゃべりなおじちゃんおばちゃんが道で立ち話をしている。昭和の匂いがぷんぷんしているのだ。昭和生まれの40代には、しっくり馴染む街なんですね〜。ちなみに姪っこアユミも、この商店街は大好き〜と言うので理由を聞いてみると「だって昭和っぽいんだもん」とのこと。ぎりぎり昭和生まれの彼女も心落ち着くのだそうです。七夕祭は31日曜日まで。皆様お出掛けくださいませ。


◆開催期間:2011年7月27日(水)〜31日(日)
◆開催場所:名古屋市西区那古野 円頓寺商店街・円頓寺本町商店街

メイン会場:東側アーケード…圓頓寺前、西側アーケード…喫茶ピジョン横

7/28(木)
◆10:30〜 写生大会
◆18:00〜 起震車体験コーナー(20:00まで)
◆19:00〜 日響和太鼓
7/29(金)
◆16:00〜 啓明学園高等学校茶華道部七夕納涼茶会(20:00まで)
◆18:00〜 パフォーマンスフェスタ(21:00まで)
7/30(土)
◆14:30〜ものづくり文化の館in円頓寺(19:00まで)
◆16:00〜 啓明学園高等学校茶華道部七夕納涼茶会(20:00まで)
◆16:30〜17:00 大正琴「澄音会」演奏会 (東メイン会場のみ)
◆16:30〜 ベリーダンス(西メイン会場16:30〜、東メイン会場17:30〜)
◆19:00〜 太閤連阿波踊り
7/31(日)
◆14:30〜ものづくり文化の館in円頓寺(19:00まで)
◆16:00〜 名古屋市消防音楽隊パレード
◆18:00〜 津軽三味線 山口晃司演奏会
     (東メイン会場18:00〜、西メイン会場18:30〜)
◆18:30〜 えんどうじどまつり

7/27(水)〜7/31(日) 連日イベント
◆おさるさんのパフォーマンス 16:00〜21:00頃 円頓寺本町商店街「二ツ玉」横

◆今秋公開!商店街映画「WAYA!」PRブース出店!
 期間中、 円頓寺界隈が舞台の映画「WAYA!」
(今秋10月下旬公開予定・伏見ミリオン座にて) PRブースがお祭に出店します!(東側アーケード「ふれあい館前」)

 こちらで、ついに前売券の販売を開始です!
 ぜひぜひこの機会にお求めください。

その他の情報
◆期間中、今年も「円頓寺七夕放送局」が東側アーケードにて開局!
◆期間中、各店で七夕まつりセールを開催!
◆名物七夕飾り、必見!
◆アーケードには屋台がたくさん並びます!

※イベントは都合により変更する場合があります。


お酒と食事〜色の方程式【一杯の幸せ】


去る7月7日、雨空の七夕の夜、第4回「もっと!地酒の会」が開催された。今回の蔵元さんは、福井県福井市の「越の磯」さん。私ははじめていただく日本酒だった。そして今回初の試みが、なんと日本酒の会のはずなのに、ビールが最初に供されるということだった。確かに〜蒸し暑い名古屋の夏で、最初はきりっと冷えたビールが飲みたいというのは人情ですよね〜。越の磯さんは、香港の日本酒ビール部門で金賞に輝いたという地ビールを作っていらっしゃるということで、今回3種類の地ビールをご提供くださったのだ。天の邪鬼な私は、ビール好きじゃないし、地ビールで美味しいのに出逢ったことないし・・・と実はマイナスな発想でこの会に参加していた。ところが、である。越の磯さんの地ビールは、日本酒で培ったお酒づくりのノウハウが生かされているからか、ビックリするほど美味しかった。ホントは「なぜ日本酒の蔵元がビールを作るようになったのか?」という質問を杜氏である磯見さんにしたはずだったが、その後の気持ちの良い酔いで、すっかり忘れてしまった。ご興味がある方は「越の磯」さんまで遊びに行っちゃってみてください(無責任なおしつけでスミマセン!)。


これが3種類の地ビール。
左から越前福井浪漫麦酒のピルスナー、
真ん中がアンバーエール、右がダークエール。
瓶首の帯色に注目ください。
ピルスナーが緑、アンバーエールが赤、ダークエールが黒である。


そしてこれが、地ビールで合わせたお料理たち。今回も「和蕎楽」の美味しい八寸は彩り豊かで季節感たっぷりだ。この八寸の前の先付けとして、蕎麦豆腐の完熟トマトソースが出された。


食の実験が大好きな私は、早速この地ビールの色と、食材の色合わせを試してみた。地ビール3種類は瓶首の帯の色のまま、ピルスナーは緑っぽさのある黄色、アンバーエールはロゼ色、ダークエールは茶色である。そこでピルスナーには卵焼きと枝豆を。アンバーエールのロゼ色には同じく赤系のトマトソースを。ダークエールには地鶏の胡椒焼と金時草おひたしを。まぁこれが見事に合うのである。特に驚いたのはアンバーエールのロゼ色と先付けのトマトソースの相性だった。トマトの酸味がアクセントになってビールがすすんじゃう〜。色が似ている物同士を合わせると良い、というワインと食事の色の方程式がそのまま役立ったのだ。それとこれらが美味しかった理由その2について。和食には日本酒の蔵元さんが作る地ビールがよく合う、という理由を蔵元さんのお話から見つけ出したはずだったんだけどな〜。う〜ん、忘れちゃった。越の磯さん、また名古屋にいらっしゃったら教えてくださいまし。


地ビールでさんざん盛り上がった後、日本酒が4種類提供された。地ビールが美味しいということは、日本酒の作りも秀逸ということなんだろうか。これまた日本酒の方も極めて美酒であったのだ。一番上の写真は原酒のイメージとは違っていて、とても飲みやすく人気があったもの。


こちらは最後に供された10年熟成の古酒。
人間もお酒も工芸品も「より古い」方が好きな私は、
これが一番お気に入りになりました。
シェリーのような香りとコクが忘れられない。
紹興酒みたいとおっしゃっていたご仁もいましたね。


もっと!地酒の会も今回で4回目。日本酒の初心者だった私たちも、何度か回を重ねて日本酒をたしなむようになると、日本酒ってやっぱり和食にはピッタリね、という感覚や、日本酒の味わい方みたいなものがなんとな〜くわかってきたような気がする。今回の越の磯さんの丁寧に作られた日本酒は、お酒を味わう舌がちょっぴりオトナになった私たちに、日本酒の面白さを改めて教えてくださった。次回からは酔っぱらっても質問した内容くらいは記憶を留めているよう、気をつけなくっちゃ。ちなみに越の磯さんは来年2月、名古屋の百貨店にて特別販売されるご予定がある。その機会は逃さず、お出掛けくださいまし。


外見だけじゃわからない!【今日の地球】


またまた古いネタでのエントリー、お許しくださいまし。これは5月、京都・大原の里へと取材に出掛けた時のこと。その取材原稿が掲載された企業広報誌がつい先日刊行されたので、我がコラムにもやっと書けるタイミングになったというわけでございます。とあるホテルのシェフと、とある生産農家さんを訪ねる取材となったこの日は、5月とは言え、日差しが強い夏日だった。夏号にはピッタリのピーカンお天気で、撮影も順調に進む。撮影隊が外で必死に撮影している合間をぬって、取材で立ち寄った「大原 里の駅」の朝採りお野菜や作りたてのお餅に気持ちを奪われる私。山野草のコーナーで見つけたのが上の写真である。このお花は「都忘れ」。初夏に咲く紫の清楚な茶花で、一番好きな花なので、実家の庭にもマンションのベランダにも植えてある。ところが、大原の里で売られていた都忘れは、写真の通りに色が薄いのである。写真上で色が飛んでしまっているが、実際の色は紫からはほど遠く、藤色をもっと薄くしたような、限りなく白に近い紫なのだ。「色がずいぶん薄いですね〜」と売り場の方に訊ねると「本当の都忘れはこの色なんですよ。皆さんが知っている紫色は園芸用に改良されたものなんです。大原では昔からの苗を受け継いで売っているので、原種の色のまま薄いんです」と教えてくださった。へ〜知らなかった。私が知ってる都忘れは偽物、園芸用だったんだ。


ちなみに都忘れの都とは、もちろん京の都のこと。その由来は後鳥羽上皇と順徳天皇の親子にさかのぼる。歴史の教科書にも出て来た"承久の乱"で敗退した親子は、それぞれ別の場所に引き離される。菊が好きだった後鳥羽上皇のことを息子である順徳天皇が思い出し、白菊を「都忘れ」と名付けた。その花を見ると、都への思いを一瞬でも忘れられる、という意味なのだそう。私だったら逆に思い出しちゃいそうだけどな。後鳥羽上皇と順徳天皇の大原陵には都忘れが群生しているのだとか。一度その風景を見てみたいものでありますね。大原の都忘れは原種だそうなので、うっすら白紫のきれいな色なのでしょう。


これは農家さんの畑で「食べてごらん」と言われた植物の若芽。
茎の色とか太さとかから想像すると苦そう。
でも食べてみるとびっくりするほど甘かった。
なんとルッコラの若芽と花の部分でした。
外見から味は判断できませんね〜。


畑での撮影を終えて向かった先は、とあるホテル。それまでの風景とは一変した空間にて撮影です。夏の海辺のイメージでロゼのスプマンテ♬ 撮影してるのは山の中なのに、カメラマンには「ここはサンセットビーチ」と言い続けて洗脳したため、海辺風の仕上がりになりました。広告物の写真なんてこういうことが多いもの、外見で判断しちゃいけません・・・苦笑。


そして外見だけで判断しちゃいけないシリーズの真骨頂はこの人!
この日一緒だったお仕事仲間のアートディレクターI氏。
後ろから声をかけると、いかにも怪しげな風貌!
怪しい怪しいと私が騒ぐと・・・・。


真正面を向いてくれました。
いやはや、いかにも怪しいお兄さんですよね。
ところが、この怪しげな外見とは裏腹に、I氏はとっても優しい気配りの人。
お仕事の手も早く、お仕事仲間として絶対的信頼をおいている。
外見だけじゃわからない、素敵な紳士なのであります。


5年程前、痛飲した後の深夜、ラーメン屋さんに仲間と立ち寄った時、お店の奥に座っていたI氏と偶然バッタリ会ったことがある。その頃は髪の毛が金色に染まっていて、どこからどう見ても怪しい職業の人だった。I氏から「久しぶり!」と手を挙げられた私はまさかI氏だとは思わずに、新手の勧誘かなにかだと思って「この人ぜったい知らない、ぜったい知らない」と呪文のように言い続けて無視をしていた。「近藤サン、久しぶり!」と名前を呼ばれてよぉく見ると、I氏だったのである。良くも悪くも(!)独特のオーラを持っているので、近寄りがたさはあるけれど、中身は本当に「いい人」だ。
I氏のように、外見と中身のギャップは、時に魅力になることもある。怖そうだと思ってたら実は優しいとか、美味しくなさそうと思ってたらびっくりするほど味わい深いとか。女性で言えばツンデレみたいなことでしょうか。ギャップが大きいほど印象が強いので、それが魅力に変化するのだ。もちろん、美味しそうに見えたのにマズいとか、優しそうに見えたのに怖い、という逆パターンのギャップは決定的な嫌われ要素になるのでご用心ですけどね。実はワタクシ、一見優しそうなのに中身は根性悪と言われます、気をつけなくちゃ。


金沢と博多〜寿司職人との対決【えとせとら】


今回書きたいテーマは、金沢と博多を旅した時の話なのだが、残念ながら、金沢の写真はすべてPC内で行方不明(多分間違えてゴミ箱に行ってしまったと思われる)、博多の写真はかろうじて残っているものの、↑こんな意味ない写真しかない。基本的に飲食店で食事をする時は写真を撮らないことにしているので、お寿司ネタで書こうとしているのに、お寿司の写真がまったくない。ご容赦くださいませ。でも一応いいわけしておくと、「博多駅」の表示マークが「博多献上の柄」にデザインされているのはカッコいいなぁと思ったので、写真を撮ったんだと思う。


さて本題です。春に金沢へ、初夏に博多に出掛ける機を得た。どちらも食いしん坊が旅の友だったので、当然ながら一番の目的は食事であった。そしてどちらもお魚が美味しい場所となればお寿司屋さんが目当てとなる。幸運にも現地に知り合いがいて「地元のお魚をちゃんと仕事して出してくれるお店」とオーダーすると、当地で評判になっているお店を教えてくださった。知らない土地ではじめて入るお店、特にお寿司屋さんとなると、どんなお店なのか、どんな大将か、お魚揃えは?お仕事ぶりは?得意なお魚は?お客さんとの距離感は???など、相手の懐を探るようにして食べ始めなければならない。これは楽しみだけでなく緊張感も伴うものである。まして今回の場合、私は通りすがりの観光客で、お店の人にとってプライオリティは当然ながら低い。仕方ない。一見で終わるかもしれない観光客より、誰だって地元の常連客を大切にしたいものね。金沢も博多もアウェイってことです。そういうことも心して、控えめに努めなければいけないのだ。


あぁ、なのにやってしまったんですね。素晴らしい仕事ぶりを魅せてくださる職人を前にすると、ついつい対決姿勢でのぞんでしまうんです。大将を相手に「もっと違う部位を、もっと別の食べ方も」と無言のうちにプレッシャーをかけてしまうのだ。


金沢の時は「のどぐろ」だった。日本海でとれる高級魚で、火を入れるとバターのような芳香を伴うこの魚は寿司ネタになること自体が珍しい。その日の一番客だった私たちに、大将はのどぐろを尻尾の方から切り、それをさっと炙って握ってくださった。う、美味しい。思わず「もう一回アンコール!」と叫ぶと、大将はやはり尻尾から数えて5切れ目に包丁を入れる。最初に尻尾を食べたんだから今度はおなかの脂がのっている部分を食べたいというのが私の本音だった。でも仕方ない、私は一見の客なのだ。おなかの部分はこの後やって来る常連のために残しておかねばならない。一旦はあきらめ、他のネタをいただいていると、やがて予想通りに常連客がカウンターに並んだ。彼らが順調に食べ進み、のどぐろを食し終わると、ちょうどおなかの部分にさしかかっていた。こんなチャンスを逃してなるものか。私はすかさず3度目ののどぐろを所望した。ここまで来ると大将の根負けである。苦虫を噛み潰したような表情で、大将は炙りの加減を微妙に変えた2カンを塩とお醤油それぞれで食べさせてくれた。脂がより落ちている方をお醤油で、脂がのっている方を塩で。その2カンは本当に圧巻だった。相手がこっぱずかしくなるほど丁寧にお礼を言い、お会計を済ませて帰る時、大将は笑顔をはじめて見せてくれた。多分、やっかいな客がやっと帰ってくれるという喜びの笑顔だったんだと思う(苦笑)。グルメブロガーと称する人々が大嫌いで写真禁止を掲げる頑固な大将の、見事な仕事ぶりには心から拍手を贈りたい。


長くてすみませんね。今度は博多。ここも美味しいお魚の宝庫である。本州では滅多に食べることのないお魚がずらり。江戸前風の仕事をする寿司職人の大将で、地元のお魚だけで勝負している。中でもビックリしたのは赤雲丹だ。もちろんミョウバンはかかっておらず、口の中に海をそのまま放り込んだような香りと独特の甘みが忘れられない。三重県にも坂手の雲丹があるけれど、もうその比ではない。これまたアンコールを何度もすると、最後に大将は雲丹と寿司飯だけで小さく握った一品を出してくださった。わさびも塩もお醤油もなし。こうなると雲丹の生飯という感じでお寿司の領域を超えている。否、これこそお寿司の原点なのかも。ご飯のための雲丹、雲丹のためのご飯。ご飯と雲丹が黄金比率となっていた。


金沢と博多で続けて寿司職人と面白い対決をして以来、むくむくと対決欲望がもたげてきている。それは寿司職人じゃなくても、フレンチでもイタリアンでも中華でもいい。お客の無尽蔵な食欲と探究心を徹底的に満足させてくれる「職人」に出逢ってみたいのだ。そろそろ、また旅に出ようか。


ふぐ屋のサードオピニオン【えとせとら】


今年の安定しない天候はいろんなところに影響を及ぼしている。我が家のベランダで毎年香しく咲くくちなしが枯れかけで半分あきらめていたところ、たった一輪の蕾を見つけたのだ。良かった〜。一部は枯れてしまったけど、なんとか命をつなげることが出来たのだ。蕾を見つけて以来、まだ咲かないのかな〜と毎日眺めて楽しみにしたら、一昨日、真っ白な花が甘い匂いと共に開き始めた。きっと近いうちに良いことある気がする〜♥と小学生のように心躍るワタクシに、本当に嬉しい出来事があったのです!
ここのところの憂い事である「舟状骨骨折」について、いつも仲良くしているふぐ屋の女将が心配してくれて、ほぼ強引にサードオピニオンに連れていかれることになったのだ。キョーレツな名古屋弁が特徴の女将は「整形外科の先生に聞いたけど、ほっといたら左手が動かんくなるらしいぎゃ〜!信用できるドクターにちゃんと診てもらわないかんて。私が連れてったるで保険証持って黙ってついてこや〜!土曜日の午前に迎えに行くでね!」と一方的に用件を告げられ、一方的に電話を切られたのは5日ほど前。というわけで、今日土曜日の午前に、女将に連れられてとある整形外科病院へと出向いた。レントゲンとMRIを新たにとって、その画像を見て先生がにやり。「骨、くっつきかけてますね。大丈夫そうですよ」とおっしゃった。良かった〜!保護者代わりについてきてくれた女将も横で良かったね〜!と喜んでくれる。どうやら、くっつきにくい骨も私のしつこいカルシウム積極摂取作戦によって、どうやらくっつき始めているらしい。「完全にくっつくのにまだ数ヶ月はかかりますから引き続き用心してくださいね。それにしても、転んだ直後にちゃんと専門医に見せていれば、こんなに長引くことはなかったのにね〜」と今度は苦言を呈する先生。私を最初に診断した某有名ヤブ病院の名前を口にすると、先生は苦笑いをしながらも「まぁね、やっぱり餅は餅屋でね、医者にも専門分野があるんですよ。レントゲンの撮り方ひとつにしても、角度とか、いろいろポイントがあるんです。これからは何かあった時は必ず専門医にきちんと診てもらってくださいね」としっかりお説教されてしまった。


まぁ、そういうわけで、くちなしの甘い香りが運んできた「なにか良いことある気がしたこと」は、手のひらの骨がくっつきはじめたという吉報だったのだ。女将の言うことを聞いてサードオピニオンに行ってみて良かったです。ご心配をおかけした皆様に報告申し上げますです。ありがとうございました。
今夜は友人とミュージカルを観て帰宅し、ベランダで一人乾杯しながら骨がくっついたお祝いをしている。先日、松岡ひとみさんにいただいた七尾の和蝋燭を灯して、一輪のくちなしを眺めつつ、辺りに漂う甘い香りを嗅いでいる・・・。和蝋燭は風が吹いても消えにくく、ゆらゆらとゆらめく姿が美しいのだ。でも、ひざに抱いたパソコンの熱と蝋燭の温かみでさすがに暑くなってきたので、そろそろ引き上げて眠ることにします。おやすみなさい。皆様も良い夢を。