暮らしの発見

電子マネーの混乱【暮らしの発見】


皆さん、電子マネー、お手元にどれほどお持ちですか?ケータイにお財布機能がついた時は、こりゃ便利とばかりにいそいそEdy登録して、ロケや取材で高速道路のSAに寄るたびに、ガムやチョコレートやお茶をケータイでピッと鳴らして買っていた。でも今や、電子マネーはケータイだけではなく、いろんな媒体で広く使われるようになり、正直言うと頭がこんがらかっちゃってるのは私だけでしょうか。↑これは私が持っている乗り物カード系↑一番上からJR東海発行のtoica。首都圏のSuicaとまったく同じ機能で、カードに現金をチャージして使い継いでいける上に、電子マネー機能もあるので、コンビニやファストフード、飲食店などでもレジでピッと鳴らせば会計が瞬時に済んでしまう。真ん中が名古屋の市営地下鉄のプリペイドカード。これは地下鉄と市バスの両方に使えるので名古屋市内を公共交通機関で動く人にとってはとっても便利。ただしチャージ機能がないので、最初の購入金額を使ってしまえばあとはお役御免となる。一番下のPASMOは首都圏のJRと地下鉄に使えるチャージ型のカードで、JRのみのSuicaに対し、PASMOはJRと地下鉄の両方をカバーしていて、いつも混んでる東京でいちいち地下鉄の料金を調べてチケットを買う手間が省けるのでるのでやたらと便利。


実は先日このカードで失敗をしてしまった。東京出張の帰り、名古屋駅で改札を通さなければいけないのはこっちのカード。これはJRでエクスプレス予約をした場合にチケットレスで改札を通ることのできるICカードだ。それなのに、間違えて首都圏でしか使えないはずのPASMOを改札に通しちゃったもんだから、改札付近は私が鳴らしたビービー音で大騒ぎ。駅員さんに事情を話したら、困った顔をされてしまいました、名古屋駅新幹線改札の皆様、あの時はすみませんでした。


そして、そんなカード音痴な私が先日取材で向かったのは、岐阜県多治見市のとある場所。中央線多治見駅からさらにローカル線に乗り継ぎ、降りたのは「姫」というなんとも可愛らしい名前の駅だった。見渡すところ畑ばかりののんびりした平和な駅。そして無人・無改札駅。JR千種駅をtoicaで通ってきてしまった私は焦った。toicaはどこに通せばいいのぉ?慌てて電車の車掌さんに聞いたところ「あっち側に機械がありますから、そこにカードをかざしてくださいね」


というわけで、こんな感じで無事に改札を出場。
姫駅ののどかな雰囲気には不釣り合いな電子ボックスに
なんとなく違和感を感じつつ、
電子マネーってすごい、と改めて実感した一日でした。


来年から名古屋の地下鉄にも電子マネーつきのカードが誕生するらしいけど、そうなったら私の手元にはまた一枚電子マネーカードが増えるわけで。ますます混乱してあちこちでビービー音を発信しちゃうかもしれない。困ったなぁ。いっそのこと、toicaもPASMOもmanaca(名古屋地下鉄電子マネーカード)みんなケータイにくっつけてもらえるといいんだけど。どのカードにどれぐらいチャージしたのか、わっけわからなくなっているんですけどね。


ちなみに今や古い機種となってしまった愛用のdocomoケータイ。お財布機能はあまり使わなくなっちゃったけど、先日ビックリする威力を発揮してくれた。南信州の山奥に取材に行った時のこと。他の人のi-phoneもauも電波が通じなくて陸の孤島状態だったけど、見事、私のdocomoだけがバリサンでした。山奥ロケが多い方にはdocomoをオススメしますよ〜!
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と、コラムを書いたら、間違いを指摘されたので、ここで追記しておく。
↓ 以下、友人の走る珈琲愛飲者より ↓
とっくにSuicaもJRと地下鉄と私鉄とバスをカバーしているよ。つまりPasmoとの違いはポイントサービスだけ。かくしてアナタの電子マネーの混乱は収束していなかったのでありますw


父の汗、母の涙、乙女の祈り【暮らしの発見】


先月末、実家建替のための仮住まいへの引っ越しを無事終えた。想像以上の荷物の多さと仕分け、荷物整理とパッキング、ゴミ処理業者・引っ越し業者・古物商・解体業者・建築会社との連日の打ち合わせ、そして両親の精神ケアまで含めて、まぁそれは大変な一ヶ月だった(準備→仕分け→引っ越し→片付けには一ヶ月を要したのである)。酷暑の時期の引っ越しだったこともあり、体力は失われ、精神力もおぼつかず、食欲だけは落ちなかったのが不思議だったけど、とにかく本当に本当に疲れた。約一ヶ月経った今、やっとこの思い出をコラムにアップする精神的余裕が出来たのだから、我ながら疲労度は相当なものだったと思う。
作業は自然に役割分担が決まっていった。私は荷物や道具を捨てるかどうかを母に迫って仕分けする役目で、父は捨てると決まった物を市の取り決めの通りに分別しパッキングする役目。そして捨てられゆく荷物を見ては溜め息をつき、時にしくしくと涙を流すのが、かつて深窓のお嬢様だった母の役目であった。そんな中、予想以上にうまく進まない状況にイライラしながら汗びっしょりで立ち回る私の姿を見て、両親がそっと目線をそらしていたのは知っていた。


苦しいばかりの引っ越し準備の中、私たち家族を束の間なぐさめてくれたのが、↑の写真のオルゴールだったのだ。私や姉が子供の頃の古いオルゴールが見つかり、あまりの古さに捨てようと仕分けし、父が木箱の部分をはずしてゴミ袋に入れた。オルゴール部分は不燃物として処理するため、不燃物置き場においていたところ、家族全員が疲れ果てて休憩している時に突然そのオルゴールが鳴りはじめたのである。崩れゆくゴミの山の中でスイッチがどこかに触ってしまったのだろう。オルゴールが奏でる曲は「乙女の祈り」だった。
すると、体だけでなく心にもたくさん汗をかいて、老体に鞭をうっていた父が、オルゴールの音色で一気に気持ちがほぐれたようで、皺にうずもれた小さな目がきらりと輝いた。さっきまで泣いていた母は、表情が一変して笑顔になった。オルゴールをゴミの山から探し出し、テーブルの上に載せてネジをくるくると巻いてみると、乙女が私たち家族の体と心の健康を祈ってくれているかのように、やさしい音色を響かせてくれたのである。父が一言「さっきまでクサクサしてたけど、このオルゴールですっかり癒されたなぁ」母は「音楽ってこんなにいいものなんだね」そんな両親の言葉を聞いて、思わず涙が出そうになった。


私よりもたくさん年をとっている両親が、辛い思いをしながら準備に明け暮れているのに、その人たちを相手に私ったら何をイライラしてるんだろう。音楽が両親を癒してくれたように、何故、私も両親を癒しながら準備を進められないんだろう。イライラしないで優しくしてね、と乙女が祈りのメッセージを送ってくれているような気がして、申し訳なさに涙が出そうになったのだった。


音楽には、人を癒しなぐさめる力があることは理解していたし経験もしていたけど、それを家族みんなで同時に体感したのははじめてのこと。さらに私には反省まで促してくれた。音楽の力って本当に素晴らしいのですね。
昔の日本には、オンガクという言葉がなく、歌とか謡、曲などの名称があるだけだった。ある知識人がmusicをオンガクと訳した。最初のオンガクは音学、つまり学問として捉えられていたが、これまたとある文化人が音楽、つまり音を学ぶのではなく、音を楽しむという漢字に変えたのだそうだ。確かに音楽は学ぶものではなく、楽しみ感じるものですよね。
その剥き出しになってしまったオルゴールは、結局捨てることができず、今も仮暮らしの住まいのテーブルに載っている。両親は時々ネジをまわして、乙女の祈りを聴いているようだ。今度、乙女はどんなメッセージを送ってくれるかな。いつまでも剥き出しにしておかないで早く木箱を見つけてよね。そう言っている気がして、オルゴールを見るとついつい謝ってしまう。
さて、いずれ完成する新居への再引っ越しで、またいろんな課題が山積の我が家。私も今度はイライラすることなく、背中のネジをしっかり巻いて、両親と引っ越しを楽しみたい、と半ば祈りのような気持ちになっている今日このごろである。


昔の人の知恵【暮らしの発見】


2回連続で実家の荷物整理ネタです。捨てられない症候群の母は、とにかく何でも取っておく人なのだが、自分の両親が愛情こめて用意してくれたお嫁入り道具についても大切に大切に箱に入れてしまっていた。着物やお茶碗、お皿やお椀といった物については、時々押し入れの奥の方から出してきて使っていたし、私も知っていたのだが、中には目にしたことのない物もたくさんあって、ある意味で今回の引っ越しは、我が家の古道具を娘の私が知るよいチャンスにもなった。


その中でも一番私が驚いたのは、お重箱だった。お正月におせち料理を入れているお重箱は私も見覚えがあり分かるのだけど、まったく見た事のないお重箱を母が見せてくれたのである。輪島塗で漆黒の美しい光を放つお重箱だった。外も内も真っ黒で絵柄もなく、それだけに漆塗りの技術の高さがはっきりと判る物。デザインもモダンで現代に持ってきてもまったく違和感はなさそうである。「なにこれ〜?はじめて見た〜!なんで今まで使わなかったの?」と私が聞くと「お正月に使うのはもう一つの柄の物の方が似合うし(内側が朱なのでお正月らしいと考えたようだ)この真っ黒のお重箱は使うのがもったいなくてね、なんとなくとっておいたの」と母が答えると、隣で父が一言「それ、パパも見るのはじめてだよ」。結婚相手も知らないお道具って〜果たしてお嫁入り道具って言えるのかしら???と素朴な疑問を感じつつ、父母のビミョーな空気感を感じ取って口には出さずに我慢した。すると、そんな空気を断ち切るかのようにノーテンキな母の発言が続く。


「マリちゃん、これ何か知ってる?」と←この箱を取り出して見せてくれた。なにやらおめでたそうな亀甲文様で、ふかふかした小さなお座布団のような物。お寺さんがいらっしゃった時に何かを載せるの?と素っ頓狂な発言をする私を一瞥して、母が説明してくれた。「これはね〜、重掛け(じゅうかけ)って言うの」「重掛け?なにそれ?」「お祝い事の時に、お重箱の上にホコリ除けでのせるもので、実際は飾りかな」「へぇ〜、だから亀甲文様なのね〜」


つまり、←このようにして使うのだそう。
こうして重掛けがかかっていると、中のお料理も高尚なメニューに思えてきそうだ。もちろん正絹で出来ているので、お手入れや保存方法は着物と同じく気を遣わなければいけない。


ハレの席で用いる華やかな道具と、日常のケの場面で気楽に扱える道具。昔の物ほど2つの役目ははっきりと分かれていたのである。もちろん、このお重掛けはハレの席で使う物なので、大切に箱に入れてしまわれていたのだ。二つ折りにして、折り皺がつかないように真ん中に真綿の棒を挟み、箱に入れる。真綿にくるまれるように、という表現はあるけれど、真綿を挟んで、というしまい方があったんですね〜。大切な道具としての扱いを受けたこの重掛けは、55年が過ぎた今でも一片のシミもなく、絹の美しい光沢を保ち続けている。昔の人の[物を大切にする考え方]に改めて感じいった晩夏の夜であった。


手ぬぐいフェチ【暮らしの発見】


やっと初夏の気配になってきた今日この頃。我が家では手ぬぐいがあちこちに登場している。昔から手ぬぐいの独特のシャリ感と肌触り、モダンなデザインや古典柄に惹かれていて、毎年この季節になると新しい手ぬぐいを購入するのが楽しみになっている。それでもって今年のヒットは↑すいか柄。代官山にあるわたくしイチ押しの手ぬぐい屋さん"かまわぬ"(名古屋ではJR高島屋にもショップがあります)の物。かわい〜でしょ〜!?


手ぬぐいは、ハンカチやタオル、テーブルクロスに、おもてなしの時のナプキン代わりに、贈り物のラッピングに、もちろんプレゼントとしても重宝する。鞄の中に一枚入れておくと、なにかと便利なグッズにもなる。肌寒い時に首に巻けば温かみになるし、逆に暑くて仕方ない時も首に巻いて汗を吸わせると避暑グッズになり、日射病から身体を守ることができる。水でじゃぶじゃぶと手洗いすればほんの30分ほどで乾いてしまうし、とにかく便利な逸品なのだ。


これは京都の永楽屋のもので、芸妓さんたちがボートを漕いでいる絵。タイトルは「おきばりやす」。

これは京都の永楽屋のもので、芸妓さんたちがボートを漕いでいる絵。タイトルは「おきばりやす」。

これは友人カメラマンなぎさが金沢のお土産にくれた原稿用紙柄!

これは友人カメラマンなぎさが金沢のお土産にくれた原稿用紙柄!

こちらも永楽屋で猫と鈴。

こちらも永楽屋で猫と鈴。


というわけで、我が家には使用中手ぬぐいがわんさか。未使用手ぬぐいもたくさんストックしてあるのだ。たくさん使って色も落ち、へたってきた手ぬぐいは肌にやさしくやわらかくなっているので、洗顔の後のタオル代わりにオススメだ。最後の最後は雑巾になるのだから、エコな品物である。最近は柄が豊富になっているので、外国人へのお土産にも好評。なんてったって日本が誇る伝統品ですからね。型を使って生地を一枚一枚染めていく作業は今も職人の手仕事によっている。海外に行く時には、新品をお土産用に、使用中を鞄に入れて出掛けるようにしている。


それでもって先日の使用例がこちら。スイカのシャーベットを作ったので、お客様にお出しする時のトレイの中敷き代わりにスイカ柄の手ぬぐいを敷いてみた。「さぁてこれは何のシャーベットでしょう?」とクイズを出すと、この日我が家にいらした福岡由美さん、中橋かおりさん、川本えこさんの話し手女子チームからは「トマト!」「シナモン入りのなにかフルーツ!」と様々な発想が。答え合わせをした後で、目の前の手ぬぐいにヒントがあるのに〜!と大笑いになった。こんな風にして食卓の話題にもなるのが手ぬぐいの楽しいところである。このスイカ柄も、多分再来年くらいになると赤い果肉がやわらかなピンク色になり、洗顔後のスッピンをやさしく拭きあげてくれることだろう。


繁栄の軌跡〜愛媛県内子町【暮らしの発見】

松山"旅の手帖"第2弾デス。松山から車で国道を1時間ほど走ると、のどかな山里に辿り着く。江戸後期から明治にかけて、木蝋の生産で栄えた内子という町である。その昔は和蝋燭で、後に化粧品の原料となった木蝋で町全体が木蝋長者になり、当時最高の技術と良質な材料で堅牢かつ華麗な家々が建築された。それが、今でもそのまま残されていて、風情ある街並に年間30万人の観光客が訪れると言う。その数字だけを聞くと俗化されたお土産品だらけの観光地を思い浮かべるが、内子町が他の観光地と一線を画すのは、その街並に今も人々が住み続けていることである。その証拠に、八日市護国の街並というメインストリート(?)を歩くと、おばちゃん同士の立ち話、子供たちの嬌声、店番をしているのか居眠りしているのかはっきりしないおじいちゃん・・・といった生活の場面に何度も遭遇するのだ。そして私たち外者にとっては、この街はまるで博物館である。漆喰で塗り込められた壁には昔の左官職人の、繊細なラインを刻む格子戸には大工さんの、荘厳な彫刻には彫り師の、技術力の高さをため息まじりに眺めて歩いた。さっきすれ違ったおばちゃんやおじいちゃんは、この古い日本の住宅を大切に守り継いで生きてきたんだなぁ。日々の暮らしを営みながら、こうした古いものを次の世代へと繋げてくれている。



それでもって町の自慢は、この「内子座」である。大正天皇即位記念で建てられた劇場で、外観も中もすべては木造。地場の事業で成功した人々が、歌舞伎や文楽をここで楽しんだのだという。昭和になって映画が栄華を極めた(シャレじゃござんせんよ)時代には、一時的に映画館になったこともあったという話から、映画「ニューシネマパラダイス」を思い出してしまった。時代が変わっても、内子座は人々の誇りを象徴する存在なのだろうなと思う。それにしても、こんな山の中の小さな町に劇場作って歌舞伎を呼んじゃうなんて、本当にこの町の繁栄はすごいものだったんでしょうね〜。



そして、この小さな山里をわざわざ私が訪ねたのは、この橋を見るためであった。じゃじゃ〜ん、内子町に2つだけある屋根付き橋の一つ、「田丸橋」。昔は生活道と物産の倉庫を兼ねていたそうで、屋根は杉皮ぶきである。実はこの橋、NHKのドラマ「坂の上の雲」に何度も登場しているのだ。「あのドラマに出て来た屋根付き橋、今でも松山にあるのかなぁ、あるのなら是非一度見てみたいものだわ」とつぶやくと、N○KのO本女史が笑いながらこう言った。「残ってるわけないじゃないですかマリコさん!あのドラマ、すんごいお金かかってるんですよ。きっとドラマのために作ったんじゃないですか?」そっか〜残ってないのか、残念と思いつつも念のためネットで調べると、松山から少し離れた町に現存している橋でロケをしたという情報が!やった〜!
O本女史!ちゃんと残ってましたよ、屋根付き橋!!!



こちらがもう一つの屋根付き橋「弓削神社橋」。弓削神社の参道になっていて、この橋を渡るとその先に神社があり、町の人々は毎日のように参拝しているという。しだれ桜の名所がすぐそばにあるのでご存知の方も多いだろう。神社の参道という性格上、前述の田丸橋とは趣が異なり、ゆるい弧を描く、それは美しい橋だった。田丸橋は子供が掛けっこしながら走って似合う橋だとすれば、弓削神社橋の方は楚々とした着物姿の女性が物思いにふけながら歩くのが似合う橋といった感じ。あ、また視線がオヤジになってしまった(苦笑)。



左上は、町で見つけた狭くて細くて、時代を感じる路地。右上はお昼ご飯をいただいたお店の軒先で出逢った猫ちゃん。とっても人なつこい子で、いきなり膝の上に乗ってすりすりしてきたので、しばし猫語で会話して遊んでもらった。
内子町を訪ねた日は肌寒く「菜種梅雨」が降っていた。文字通り、菜の花畑に降る小雨に濡れながら、この2つの橋に出逢えた感動で、なぜだか少し嬉し涙が流れてしまった。しっとり美しい風景は四十オンナをも詩人にするようでございます。


広告の原点【暮らしの発見】

まだ世の中に広告というものがなかった時代。商品はどのように広報され、販売されていたのか。かなり偏った一説によると、最も古い形の広告は、うなぎ屋さんにあると言う。うなぎ屋さんの店先では蒲焼きが焼かれ、タレが焦げる香ばしさとうなぎの匂いであたりはいっぱいになる。この匂いこそ、最大の販促であり、五感に訴えたクロージングである、と一説は唱えているのである。最も古いと言及してしまうと問題はあるが、確かに広告の原点をついているエピソードではある。なんといっても「あぁ、欲しい、買いたい」と思わせるのが広告なのだから、特別な売り文句なしで、直接臭覚に訴えかけるうなぎ屋さんの手法は広告の原点かもしれない。


というわけで、広告文筆業を生業としている私が、
初夏の上田にてミイラ取りのミイラになってしまったのがこちら。
桑の実のジャム、とても珍しい代物で、桑畑のある山間部に行かないと販売されていないのだ。


絹織物の生産地には必ずお蚕さんの餌である桑が育てられていたので、よほどの都心部でない限り桑畑はあちこちにあったらしい。ちょっと昔の人に聞くと「わたしが子供の頃はね〜、桑畑で実をかじっておやつにしたんだよ」と話してくれる。知人から桑の実ジャムが美味しいと聞いていたので、軽井沢ではじめて発見した時は、即、業者買いし、お店の人を驚かせた。以来、長野方面に行くと必ず業者買いすることにしているこの桑の実ジャム。今年7月に信州・上田市に、上田紬の職人さんを取材で訪ねた折に、上田の街にあるみすず飴の店先で、桑の実ジャムの広告を見つけたのである。


それがこちら。
お店の方の直筆広告で、きれいな絵もついていて、
キャッチコピーは一言!「ご用意できました」
待ち望んだ物がやっと用意できた、という感じが出てませんか!?


すぐ隣には、こんなリードコピーがついている。
臨場感あふれる、やさしい毛筆。
そこに綴られているのは昔の風景への憧憬。
これにぐぐっときてしまい「桑の実ジャムください、二つ!」


毎朝のヨーグルトにスプーン一杯の桑の実ジャムを入れて食べ続けて5ヶ月。大きな瓶に詰まったジャムも、今日で最後となってしまった。美味しかったなぁ〜桑の実ジャム。ちなみに今年の桑の実は出来が良くなかったため、みすず飴では個人の大量買いは遠慮しますと書かれていた。その貴重なジャムを毎日いただけたことに感謝して、私が創りだす言の葉も人様をぐぐっとさせることが出来ますように、カラになったジャム瓶に向かって手を合わせた。


秋の夜空と虫の声【暮らしの発見】

久々に母と二人でお出掛けして、そのまま実家に帰った昨日。一人暮らししている私は、生まれ育った家に戻ると、自分を無意識にリセットしているような気分になる。
段差だらけで生活しにくい古い家屋ではあるが、木造建築独特の匂いがどこかから漂い、そこかしこに子供の頃の記憶が刻まれた家。何をするということなく、その空間でぼぉ〜っとしていると、それだけで満ち足りた気持ちになる。壁や襖や障子が息をしているような気がするのだ。普段の私は、コンクリートに囲まれて虚構の世界に生きているのではないか?と思うほど。


夜、お布団に入って眠ろうとすると、網戸越しに庭から聞こえてきたのが、虫たちの競演だった。虫の名前はわからないけれど、高音から低音まで、それは美しいハーモニーを奏でている。風が吹けば一瞬演奏は中断され、風が落ち着くと再び始まった。眠るのがもったいなくて、縁側に出てしばし演奏会の聴衆となった。夜空を見上げれば、十六夜。秋らしく透明感のあるお月様が、こっちを見ていた。こんな夜は、盃のお酒に月を映して呑みたくなる。今年もこの季節がやってきたな、と思った。


円頓寺商店街の七夕まつり【暮らしの発見】

今日は名古屋市西区、国際センタービルのすぐ近くにある円頓寺商店街の七夕祭りに行ってきた!
この商店街の理事長は、友人のグラフィックデザイナー高木麻里。
商店街のイベントがある度に足しげく通っているので、どこにどんなお店があるか、どこの何が美味しいか、地元の人なみに知っているつもりである。


七夕祭りも毎年の夏の行事のひとつだ。この商店街は、ただでさえ昭和の香りがぷんぷんする、懐かしさいっぱいの街なのに、七夕祭りになるとアーケード内すべてに屋台が所狭しと並ぶので、それはもう昭和50年代の小学生垂涎の的であった「買い喰い」の聖地となるのである。

串カツ、イカ焼き、綿菓子、チョコバナナ、りんご飴、たこ焼きにビール!

子供の頃、我が家では「買い喰い」は罪であり、お祭りで売っている物は合成着色料の塊だから食べてはいけないという御法度まで出ていた。

合成着色料の塊というのは、りんご飴の色を見て母が勝手に思い込み、私にそう教えたんだと思う。

だから今でも、屋台で食べたい!とは思うものの、三つ子の魂で結局手が出ないのである。
未だに「屋台のラーメン」が食べられないのは、こんなところに理由があるのかしら。

おそらく、心配性の母のことだから、夏に外で調理された物を食べておなかをこわしたら大変だと思ったのだろう。
子供である私に、屋台の食べ物への恐怖心を与えて、食べさせないように教育したのである。
パブロフの犬の法則に従って、大人になった今でも、屋台の物が食べられない体となってしまった。


今日のお祭りは、もちろん食べ物だけではなく、
いろんなお店が出ていたので、屋台ものNGの私でも大丈夫!
金魚すくいにワニすくい!(ワニすくいって昔はなかったよね?)
占いがあれば飴細工体験もあり、途中で消防隊のパレードにも出くわした。
日替わりでイベントが盛りだくさんなので、飽きることがない。

残念ながら今日が最終日。
皆さん、来年は是非お出かけくださいませ。

こういう下町らしい人情味あふれる商店街っていいなぁ、来るたびにそう思う。
七夕祭りは特別だけど、普段の商店街もとても親しみやすい街だ。
昔懐かしい風景に出逢いたかったら、ぶらっとお散歩をおすすめする。
子供の頃に見たものや感じたものが、必ず視界のどこかに入ってくるはずだ。

最後に、円頓寺商店街の七夕祭りの名物、ハリボテのコンテストはご存知?
商店街のお店がそれぞれに手作りしたハリボテを出展して審査されるもので、
写真は、高木麻里の家業である下駄屋さん「野田仙」の作品。
下駄の形がすごいでしょう?
見事に、西区長賞を受賞していました。ぱちぱちぱち。



畳は涼し。【暮らしの発見】

暑い日曜日だった。
今日は実家で過ごす、のんびりの休日。

皮張りのソファに座っていたら、知らぬ間に体がねっとり。
そのねとねと肌を冷やすように、日本間でごろんと横になった。
畳がひんやりと冷たくて気持ちがいい。

吉田兼好が「住まいは夏を旨とすべし」とかなんとか書いたんだった、確か。
日本の住宅は、蒸し暑い夏を基本に設計するべきだという意味らしい。
昔の人はよく考えてたんだなぁ。

日本家屋には庇があって、
夏の日光が家の中に入らないように出来ているから、
風が通れば、実は涼しいのだ。
冬になると、太陽は低い位置で地上を照らすので、
夕暮れの頃まで日光が部屋の中まで入って温かい。

それに比べるとマンションの造りには季節感がないのかも。

ねっとりしていた肌は、
涼しい畳になじんで気持ちよくなり、
知らないうちにうたた寝してしまったみたいだ。

お夕飯よ〜、遠くの方で母の声がする。
サザエさんのエンディングテーマも聞こえてきた。
小学生に戻ったようで、幸せな気分だった。