暮らしの発見

繁栄の軌跡〜愛媛県内子町【暮らしの発見】

松山"旅の手帖"第2弾デス。松山から車で国道を1時間ほど走ると、のどかな山里に辿り着く。江戸後期から明治にかけて、木蝋の生産で栄えた内子という町である。その昔は和蝋燭で、後に化粧品の原料となった木蝋で町全体が木蝋長者になり、当時最高の技術と良質な材料で堅牢かつ華麗な家々が建築された。それが、今でもそのまま残されていて、風情ある街並に年間30万人の観光客が訪れると言う。その数字だけを聞くと俗化されたお土産品だらけの観光地を思い浮かべるが、内子町が他の観光地と一線を画すのは、その街並に今も人々が住み続けていることである。その証拠に、八日市護国の街並というメインストリート(?)を歩くと、おばちゃん同士の立ち話、子供たちの嬌声、店番をしているのか居眠りしているのかはっきりしないおじいちゃん・・・といった生活の場面に何度も遭遇するのだ。そして私たち外者にとっては、この街はまるで博物館である。漆喰で塗り込められた壁には昔の左官職人の、繊細なラインを刻む格子戸には大工さんの、荘厳な彫刻には彫り師の、技術力の高さをため息まじりに眺めて歩いた。さっきすれ違ったおばちゃんやおじいちゃんは、この古い日本の住宅を大切に守り継いで生きてきたんだなぁ。日々の暮らしを営みながら、こうした古いものを次の世代へと繋げてくれている。



それでもって町の自慢は、この「内子座」である。大正天皇即位記念で建てられた劇場で、外観も中もすべては木造。地場の事業で成功した人々が、歌舞伎や文楽をここで楽しんだのだという。昭和になって映画が栄華を極めた(シャレじゃござんせんよ)時代には、一時的に映画館になったこともあったという話から、映画「ニューシネマパラダイス」を思い出してしまった。時代が変わっても、内子座は人々の誇りを象徴する存在なのだろうなと思う。それにしても、こんな山の中の小さな町に劇場作って歌舞伎を呼んじゃうなんて、本当にこの町の繁栄はすごいものだったんでしょうね〜。



そして、この小さな山里をわざわざ私が訪ねたのは、この橋を見るためであった。じゃじゃ〜ん、内子町に2つだけある屋根付き橋の一つ、「田丸橋」。昔は生活道と物産の倉庫を兼ねていたそうで、屋根は杉皮ぶきである。実はこの橋、NHKのドラマ「坂の上の雲」に何度も登場しているのだ。「あのドラマに出て来た屋根付き橋、今でも松山にあるのかなぁ、あるのなら是非一度見てみたいものだわ」とつぶやくと、N○KのO本女史が笑いながらこう言った。「残ってるわけないじゃないですかマリコさん!あのドラマ、すんごいお金かかってるんですよ。きっとドラマのために作ったんじゃないですか?」そっか〜残ってないのか、残念と思いつつも念のためネットで調べると、松山から少し離れた町に現存している橋でロケをしたという情報が!やった〜!
O本女史!ちゃんと残ってましたよ、屋根付き橋!!!



こちらがもう一つの屋根付き橋「弓削神社橋」。弓削神社の参道になっていて、この橋を渡るとその先に神社があり、町の人々は毎日のように参拝しているという。しだれ桜の名所がすぐそばにあるのでご存知の方も多いだろう。神社の参道という性格上、前述の田丸橋とは趣が異なり、ゆるい弧を描く、それは美しい橋だった。田丸橋は子供が掛けっこしながら走って似合う橋だとすれば、弓削神社橋の方は楚々とした着物姿の女性が物思いにふけながら歩くのが似合う橋といった感じ。あ、また視線がオヤジになってしまった(苦笑)。



左上は、町で見つけた狭くて細くて、時代を感じる路地。右上はお昼ご飯をいただいたお店の軒先で出逢った猫ちゃん。とっても人なつこい子で、いきなり膝の上に乗ってすりすりしてきたので、しばし猫語で会話して遊んでもらった。
内子町を訪ねた日は肌寒く「菜種梅雨」が降っていた。文字通り、菜の花畑に降る小雨に濡れながら、この2つの橋に出逢えた感動で、なぜだか少し嬉し涙が流れてしまった。しっとり美しい風景は四十オンナをも詩人にするようでございます。