父を自宅で看取るということ

末期癌だった父は、6月に入ると一気に体調を崩し、7月には入退院を繰り返して、体力がどんどん奪われていきました。ドクターからは「最終段階に入ったので、これからは治療ではなく、痛みを抑える緩和ケアに入る時期。最期をどこで迎えるかを決めましょう。選択肢は2つ。緩和ケア専門のホスピスに入る、あるいは自宅で最期を迎える。ホスピスでは24時間体制で緩和ケアにあたってもらえます。自宅なら訪問看護と訪問医療を受けて、看取り専門のドクターにお薬の処方から全てをお任せすることになります」と選択を迫られます。
父は迷うことなく「自宅で家族に介護されながら最期を迎える」ことを選びました。姉夫婦に介護の負担がかかることは申し訳ないと言いながらも「ホスピスの人は所詮他人。最期はやっぱり家族に面倒を見てもらいたい」と本音で話してくれたので、姉夫婦も時々帰る私も全力で父を支えようと決めたのでした。
それから約一ヶ月半。姉を中心に、義兄と私がサポートに回る形で、父の緩和ケアと介護が始まりました。私は生活のベースを実家に移して、出掛ける用事がある時だけ、実家を留守にしましたが、できる限りは父のそばにいるように心がけました。
父の介護と最期に関しては、訪問医療と訪問看護のスタッフの方々なしでは、到底乗り越えられるものではありませんでした。看取りすることを専門としている医療チームなので、本人と家族に対する心のケアが素晴らしいのです。訪問していただいても、さほど長い時間は必要ないはずなのに、1時間近くかけていろんな話をし、信頼関係を少しずつ築き上げてくれました。父の人生がどんなものだったのか、家族との関係はどうか?など、さりげない会話の中からヒントをどんどんキャッチしていく取材力は、インタビュアーである私でさえ驚くようなスキルでした。
立ち上がることが困難になった父の入浴、散髪、髭剃り、下の世話まで、とにかくどんなことでも相談できるし、介護を行ってもらえるし、必要に応じて専門の会社を紹介してくれるのです。医療用具のレンタルなども迅速で本当に素晴らしい対応力でした。ケアマネージャーの采配がその根底にはあるのでしょうが、機関や団体を超えての連携プレイに、どれだけ助けられたことでしょうか。
また訪問医療のドクターとお薬の力によって、父は末期癌の苦しみをさほどひどく味わうことなく旅立つことができました。治癒に向かう医療ではなく、現状維持でもなく、悪化の一途を辿るしかない患者に対し、どんな言葉を使って説明すればいいのか、どのお薬をどのタイミングで処方すればいいのか。さらには、明るい未来はない患者と家族に、死をどう迎えればいいのかをきちんとわかりやすく説明してくれました。
そしてなによりも、人間は動物であり、他の動物たちと同じように、枯れて死んでいくのだということを父の死に様から学びとることができたのです。それは、延命処置を拒んだ父と訪問医療ドクターの考え方がぴったりと当てはまったことによる、死を迎えるための幸福な連鎖でした。
一日でも延命するために、病院やホスピスの多くは点滴を用いるそうです。末期における点滴は、水分を体に強制的に入れることで命を長引かせることはできても、患者にとっては苦痛な日にちの延長にしか過ぎないのだそうです。死に向かって草木が枯れるように、自然に水分も食べ物も受け付けなくなった人が、体の水分を極限まで減らしきった時に、自然の死がやってきます。土に還る準備が整ったということなのでしょうか。
痛みが出た時は強いお薬で痛みを取り除き、食事ができる間はどんなものでも自由に、水分が取れなくなったら自然に任せて、せん妄を体験するようになれば落ち着けるお薬で気持ちを楽に。こうして穏やかな時間を過ごしながら、父は、骨と皮だけのようになって、家族に見守られながら旅に出ました。幸せな最期だったと思います。訪問医療のドクターと、それを支えてくださった訪問看護のスタッフの方々、おそらくご本人には伝わることはないと思うけれど、ここで感謝を述べたいと思います。父の最期を一緒に見守ってくださって、本当にありがとうございました。