今日のエコ

必殺仕分け人、再び参上【今日のエコ】


皆さん、お盆のお休みは何をして過ごされましたか?お墓参り?旅行?海か山?それとも家でのんびり?いずれにしても有意義な時間をお過ごしになったこととと拝察いたします。はい、かく言うワタクシも大変有意義な日々でございました。実家建替による仮住まいへの引っ越しを今月末に控え、家中の荷物の整理に実家へ戻っていたわけなんです。
年老いた両親が住む家は築55年ほど。両親が結婚してから今日まで一度も引っ越しをしたことがない家なので、そこには55年分の荷物が詰まっているのだ。しかも捨てられない症候群にある我が母の性格も手伝って、物は溜まる一方だった。娘の私はそんな状況はわかっているので、随分前から荷物の整理をしてね、と優しくお願いしていたのだけど、母にとっての整理とは、荷物を引っ張り出してきて思い出に浸り、それをまた別の箱にしまってしまうことだったらしい。このお盆期間に帰って押し入れを開けてみて[母が整理した荷物]と対面した時、正直言って顎がはずれそうになった。


そんなわけで膨大な荷物を目の前に広げ、捨てるか取っておくか、取っておくなら倉庫にしまうか仮住まいに持参するか、文字通りの取捨選択を父と母に迫り、またまた蓮舫議員のごとく必殺仕分け人となった数日間だった。捨てるか取っておくかを父母が悩んでいる時に私がかける言葉は常に同じで「3年以上使っていない物は思い切って捨ててください」。最初のうちは「マリコがキツいことを言う」とこぼしていたけど、荷物の膨大さに本人たちも疲れ始めて、最後の方は「もういい、捨てて」と泣きそうな顔して諦めてくれるようになった。そんな顔を見るとなんだか申し訳ないような気分になりながら、それでも必殺仕分け人は仕分けなければ前に進めないのだ。そう、家族の明るい未来のために。


冒頭のこの写真は、母が溜めに溜めた扇子の数々。手前の骨が少なく大きい扇子は日本舞踊で用いる舞扇。奥の方にある骨が多いタイプが普通の扇子。これらは日舞の名取りになった方の名披露や、季節のご挨拶の時などにいただいた物ばかりで「いただき物は捨てられない」という母の考えのもと、我が家で大切に保管されていた代物だ。骨が折れていたり、紙が破れていた物については、母了承のもとにお役御免とさせていただいた。それにしても扇屋さんができるほどに、よくもまぁ保管しておいたものですわ。と、ここで気がついたことがひとつ。扇子の柄には小さな流行はあっても大きな変化はないということ。何十年前にいただいた物かがハッキリしない割に、現代でも十分に使える柄ばかりなのである。洋服はもちろん、アクセサリーやバッグだとこうはいかない。5年もすれば、いつの時代の流行かがわかってしまうはずだ。そう考えると、扇子って極めてエコな物なのかもしれないなぁ。ということはつまり→何十個あろうとも、扇子は保管しておくべき、なのだろうか?もしかすると母は、そういうことが全て判っていて、究極のエコ生活をしていたのかもしれない。昔の人が言うことには耳を傾けてみるもんだ、まったく。